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by hinaseno
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聖橋からニコライ堂の辺りに戻ってきたときに思い出したのが松本竣介のこの「並木道」という絵でした。松本竣介の作品の中で最も好きなものの一つ。絵が描かれたのは1943(昭和18)年頃。

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僕がそのとき歩いていたのは本郷通りと呼ばれる通りのニコライ堂とは反対側の歩道。ちょうどこの写真を撮っていたときのことでした。

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そういえば松本竣介に確かこの辺りで男の人が歩いている絵があったなと。家に戻って確認したらやはりそうでした。

この絵のことを知ったのは例の洲之内徹の『気まぐれ美術館』。これは『芸術新潮』に連載されたときのもの(1975年11月号)。

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下にある写真は松本竣介が絵を描いた同じ場所から洲之内さんが撮った写真。ちょっと拡大します。竣介が絵を描いてから30年の歳月が流れています。

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で、これは洲之内さんが描かれた地図。

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洲之内さんが写真を撮った場所、つまり竣介が絵を描いた場所は、この地図の矢印で示されたところ。僕がまさに上の写真を撮っていた辺りでした。


「並木道」のことを思い出した時に、とりあえず聖橋方向の写真を撮ろうかと思ったのですが、御茶ノ水駅から降りてきたものすごい数の人の波が向かってきていて、とてもそちらにカメラを向ける勇気はありませんでした。ニコライ堂を撮るのすら恥ずかしかったくらい。

ところで手元にある『松本竣介展 生誕100年』という図録を見ていたら、この「並木道」のスケッチが2枚収められています。

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最初に描いたのは左。洲之内さんの撮った写真とそんなに変わらない風景ですね。で、坂を実際よりは少し急にして描いたのが右の絵。それを下絵にして「並木道」を描いたことがわかります。

一応ストリートビューで撮った写真を貼っておきます。

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ところで、洲之内さんの地図にも描かれていますが、右に見える石垣にそってビルの前を通って右側に下る道は幽霊坂と呼ばれています。幽霊坂というのはあちこちにあるけどこんなところにもあったんですね。昭和56年発行の『今昔 東京の坂』を読むと「人通りはまったくない」と書かれています。今はどうなんでしょう。


ニコライ堂の横を男が歩いているといえば松本竣介には「ニコライ堂の横の道」という絵があります。こちらは1941(昭和16)年頃の作品。

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前から気になっていたのは、この絵に描かれている2つの建物。どうみてもあのニコライ堂とは違うんですね。色々調べていたらネット上にこんな写真がありました。聖橋を渡ったところから撮ったニコライ堂と聖橋。撮影された年代は確認できませんでしたが、おそらく昭和初期の写真のはず。

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この写真を見たら今見ることのできる建物の右の少し離れたところに、まさに松本竣介が描いた建物が2つ見えます。

とすると「ニコライ堂の横の道」というのは紅梅坂と呼ばれている道ですね。前に紹介したこの写真に写っているのが紅梅坂。

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おそらくこの写真を撮った場所のあたりで当時右に立っていた2つの塔を描いたんでしょうね。ちなみに『今昔 東京の坂』によると、この紅梅坂は本郷通りができる前は幽霊坂とつながっていたとのこと。ここはほとんど人通りがありませんでした。


小津の『麦秋』で映し出されたニコライ堂があのように見える場所に紀子(原節子)の兄の省二と謙吉が何度も立ち寄っていた喫茶店があったとするならば、それは「ニコライ堂の横の道」に描かれた建物の塔の先あたりということになります。

省二が謙吉に徐州戦のあった1938年に麦の穂の入った手紙を送っているのですが、おそらくそれが最後の手紙だったはず。つまり省二はそれから間もなく亡くなっている。

ここで一つの妄想を。

松本竣介が「並木道」(1943年頃)と「ニコライ堂の横の道」(1941年頃)に描かれていた男は、ニコライ堂の見える風景が好きな省二ではなかったかと。それが幽霊なのかどうかはわからないけど、松本竣介にはその姿が見えていた。


さて、話はころっと変わって、この絵を。

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描かれたのは高橋和枝さん。昨年の秋に開かれた『日々 綴る。』という2人展にこの絵を展示していたそうで、そのときに高橋さんのブログにこの絵が貼られていたんですが、一目見て気に入ってしまって今ではこんなふうに携帯の待ち受け画面の壁紙にしています。

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この絵、どこか松本竣介の「並木道」につながるものがありますね。でも、高橋さんの絵には竣介の絵にはない幸福感があります。ちなみに高橋さんはこの絵のイメージの元にあったのは子供の頃に見たという長谷川りん二郎という画家の描いた「荻窪風景」という絵だったそうです。


ところで、この高橋さんの絵の前に、かなり長い間携帯の壁紙にしていたのはこの絵。

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鈴木信太郎の「東京の空」ですね。あのアドバルーンのある風景です。

学士会館に戻ってチェックアウトしてから向かったのは、この絵に描かれた場所でした。高橋さんは僕が鈴木信太郎の絵の場所に行ったなんてもちろん知らないわけですが、今回の旅の最後の最後に、おっと思うことがありました。


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by hinaseno | 2017-05-31 14:31 | 雑記 | Comments(0)

前回の終わりに今回は松本竣介の「並木道」のことを書くという予告をしましたが、あの絵のことを思い出したのは聖橋からの帰り道だったので、時系列的に聖橋の話をもう少し書いておきます。

聖橋でどうしても見たかった風景がこれでした。

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この風景の何かの写真で初めて見たときには本当に心がときめきました。神田川をまたいで三本の線路が交錯する。向こうに見える緑の鉄橋もなんともいい感じ。その鉄橋を渡って電車がやってきているのがJR総武線。その下にあるのが中央線。そして手前にあるトンネルは東京メトロ丸ノ内線。

この風景、山高登さんも描いています。

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山高さんの絵を見ると3本の路線全部に電車が走っています。僕もそういう瞬間を捕えたかったのですが、2本の線路に電車が走るところすらなかなか難しくて、結局、あの鉄橋を電車が渡って来る場面を撮りました。

時間があればいつまでも眺めていたい風景ですが、この写真も工事のために作られたネットの間から撮ったような気がします。


ところで、話はころっと変わりますが、つい先日観た映画の話を。

1950年代の映画が放送されると内容がわからなくても一応録っておいて、時間があるときに早送りで風景だけを追って観ているんですが(大瀧さんもそうされていたのではないかと。でなければあれほどの数の映画を観れるはずはないので)、ときどきおっと思うような風景が映っていることがあるんですね。で、先日観たのが2ヶ月ほど前に録っていた市川崑監督の『わたしの凡てを』という映画。市川監督の映画は正直全然観ていないのですが、この映画の主演が『早春』の池部良と『東京暮色』の有馬稲子だったので録画しました。公開は1954年。つまり『早春』の前年。

さて、映画を観ていておっと思ったのはこのシーン。

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向こうに見えているのはまちがいなくニコライ堂。いったいここはどこだろうと思っていたら次に映ったのがこのシーン。

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池部良の後ろに見える鉄橋は、聖橋から見えた鉄橋に間違いありません。

このあと女性が橋を渡るシーンが映ります。

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どうやらこれは神田川にかかる昌平橋。僕が聖橋から撮った写真の遠くの方に映っています。今も橋の照明灯があるみたいですね。

で、その橋のあたりで撮られたこのシーン。総武線の鉄橋の向こうに聖橋が見えます。

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そういえばと思って山高登さんの『東京昭和百景』を見たらこんな絵がありました。

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タイトルは「交差する街」(1990年)。上の映画のシーンとほぼ、というか全く同じ場所で描いていることがわかります。いやびっくり。山高さんは電車をいっぱい描き込んでいますね。空には飛行機まで。

『東京昭和百景』のコメントでこんなことを語られています。


「ここへ立つたび、この風景が子どもの頃持っていた絵本の1ページのようだと思う。乗り物好きの現在の子どもが見たら、どんな感想を持つだろうか。まるでジオラマで作られているような風景」

まさにそうですね。山高さんが童心に返ってわくわくしながら描いていたのが伝わってくるような絵です。

ところで『わたしの凡てを』はこの後も、おっと思うシーンがいくつも出てきます。まずはこのシーン。

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左に見える特徴的な建物ですぐに場所がわかりました。場所は五反田。建物は白木屋。で、白木屋の右に見えるのは池上線の五反田駅のホームですね。

次に映るのは五反田駅。これは山手線の五反田駅でしょうか。

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このあと五反田駅周辺の風景がいくつも映ります。小津はこの映画を観て『早春』や『東京暮色』のロケ地に五反田を選んだのではないかとふと考えたりも。

いちばん驚いたのはこのシーン。

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なんと恋に破れた(映画のストーリーはわからないけど、たぶん)有馬稲子さんが線路に飛び込みかけているんですね。実際にはぎりぎりのところで踏みとどまったんですけど。

『東京暮色』では汽車にはねられてしまう(そのシーンは映されてはいないけど)役柄を演じたのは偶然なのか、あるいは小津がこの映画を観て思いついたことなのか。


最後にはこんな人が登場してまたまたびっくり。

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あのトニー谷がミス日本を選ぶショーの司会者をしてたんですね。例の「レイディース・アンド・ジェントルマン」をはじめおきまりのセリフを連発。このときは人気絶頂の時のようです。

トニー谷という人のことを知ったのは大瀧さんがプロデュースしたこのCDでした。

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解説は小林信彦さん。小林さん、お身体の方心配しています。


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by hinaseno | 2017-05-30 12:57 | 雑記 | Comments(0)

翌朝、目が覚めてすぐに窓のカーテンを開ける。雲ひとつない快晴。前日は黄砂の影響があって霞んでいた空もすっきりと澄み切っている。心の中で小さくガッツポーズ。頭の中にマイルス・デイヴィスの「スプリングズヴィル」が流れてくる。最高の気分。


ここで小さくガッツポーズをした理由を少し。もちろんこの日も、あっちやこっちへと行きたい場所がたくさんあったので晴れるに越したことはなかったのだけど、実はこの日、武蔵新田で会うことになっていた高橋さんと小さな約束をしていたから。

武蔵新田で会うことを決めたとき、高橋さんがてるてる坊主を作りますというということを書かれていたので(確か、高橋さんが一度武蔵新田を歩こうとした日に雨が降って結局歩けなかったんですね)、じゃあもし晴れたらそのてるてる坊主くださいって言ってたんですね。お互いにどこまで本気なのかっていう約束ではあったけど。そのてるてる坊主についてはまた後日。でも一体いつになるんだろう。


学士会館のレストランで早々に朝食を済ませて、一度は絶対に行かなくてはと思っていた場所へ。それは小津の『麦秋』のこのシーンで、(僕と誕生日が同じ)原節子さんが喫茶店の窓から眺めていた場所。

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その窓から見えた風景というのは。

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そう、あのニコライ堂。小津の映画の中で最も好きな映画『麦秋』の最も好きなシーンで映っていたので、いつか絶対に見たいと思っていました。神田の学士会館に泊まったのはニコライ堂に歩いていける距離だったからでもありました。

改めて『麦秋』のこのシーンのシナリオを。


  窓から見えるニコライ堂――。
  紀子と謙吉がお茶をのんでいる。
謙吉「昔、学生時分、よく省二君と来たんですよ、ここへ」
紀子「そう」
謙吉「で、いつもここにすわったんですよ」
紀子「そう」
謙吉「やっぱりあの額がかかってた......」
紀子「――?」(と見る)
  ミレーの『落穂拾い』の古ぼけた額――
謙吉「早いもんだなぁ......」
紀子「そうねぇ――よく喧嘩もしたけど、あたし省兄さんとても好きだった......」
謙吉「ああ、省二君の手紙があるんですよ。徐州戦の時、向こうから来た軍事郵便で、中に麦の穂が入ってたんですよ」
紀子「――?」
謙吉「その時分、僕はちょうど『麦と兵隊』読んでて.....」
紀子「その手紙頂けない?」
謙吉「ああ、上げますよ。上げようと思ってたんだ......」
紀子「頂だい!」

このシーンは何度見ても涙が出そうになります。そういえば東京に行く前にちょこっと立ち寄った古書展で、謙吉が読んだはずの『麦と兵隊』を見つけました。

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1938(昭和13)年発行。ちなみに徐州戦があったのも同じ年。


さて、ゴールデンウィークも終わって、早足で会社へ出勤するたくさんの人を横目に見ながらニコライ堂のある場所へ。ビルの間からその姿が見えたときにはやはり感動しました。よくぞ空襲の被害も受けずに、と。

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何はともあれ映画と同じアングルを探しましたが、どうやらニコライ堂の右にある事務所のような建物があった場所にかつてあったと思われる別の建物の3階くらいの窓から撮ったようです。もちろんそんなところに喫茶店があったはずもなく。

ちなみにこれはその事務所の下あたりから撮ったもの。映画のカットがいかに上から撮ったものかわかりますね。

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チェックアウトの時間までには戻らないといけないので、いそいで次の場所へ。向かったのは聖橋。

ところが着いてみたら聖橋はかなり大規模な工事中で、聖橋の写真も撮れないばかりか(工事中の姿を撮っても仕方ないので)、邪魔なものがいっぱいで聖橋からの風景も撮れない状態になっていました。しかもかなり狭められた歩道を人がいっぱい歩いて行く。体がぶつかりそうで、とても落ち着いて写真を撮れる状態ではありませんでした。

ちなみに僕が「聖橋」という橋の名前を初めて覚えたのは、さだまさしさんの「檸檬」という曲でした。

こんな歌詞が出てくるんですね。


食べかけの檸檬 聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれちがう

ちょっと笑ってしまったのは聖橋を渡ったところから向こう側を眺めていたら「レモン」と大きく書かれた文字が。カフェかなと思っていましたがどうやら画材屋さんのようですね。

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さて、ニコライ堂と聖橋といえば松本竣介ですね。彼は昭和1941(16)年頃、ニコライ堂の絵をたくさん描いていますが、その中に「ニコライ堂と聖橋」と題された作品があります。

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たぶんかなりデフォルメしているだろうとは思いますが、ニコライ堂は、というか教会というのは近くで見上げるよりもちょっと離れたところから眺めたほうがいいんですね。

それから以前紹介したことのあるこの「ニコライ堂」と題されたこの絵は聖橋の上から捕えたものです。

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この2つの絵に描かれた風景に近いものが撮れたらと思いましたが、工事用に作られたものやビルがじゃまをして無理でした。

ちなみにこれは聖橋の方から撮ったニコライ堂。現在ではこんなふうにいろんなものに隠れてしまいます。

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松本竣介は、『麦秋』の原節子の兄、「省二」と同様にニコライ堂のある風景が大好きだったんだろうと思いますが、ニコライ堂付近の道も結構描いていて、いい作品が多いんですね。

とりわけ僕が好きなのが「並木道」という作品。それについてはまた次回に。


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by hinaseno | 2017-05-28 14:39 | 雑記 | Comments(0)

昨日、最後に鷲田清一先生の「折々のことば」を紹介したら今朝はなんと小関智弘さんの言葉。


「野に雑草という名の草がないように、工場には雑用という名の仕事はない」

小関さんは大田区で長い間旋盤工として働いていた作家。大田区の工場で働く職人を描いた作品が多く、今日の言葉も『どっこい大田の工匠たち』から引用されています。

そういえばと思って調べたら、小関さんは馬込文学圏(馬込文士村)の生まれ。ということは間違いなく山王書房にも通っていたはず。小関さんの何かのエッセイに山王書房や関口良雄さんのことが書かれているかもしれません。ちなみに僕が小関智弘という作家のことを知ったのは、平川克美さんでした。平川さんは小関さんにお会いされているんですね。


さて、『森崎書店の日々』のことをもう少し。この喫茶店のシーンで向こうの方にちらっと写っているのが岡崎武志さん。

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実は関口直人さんにお会いした前日に関口さんは岡崎さんの還暦を祝うイベントに行かれたようです。そのパーティは岡崎さんの新刊の『風来坊ふたたび』の出版を祝う会もかねていたようで、世田谷ピンポンズさんがその詩集をもとにした歌を歌っていたんですね。おひさまゆうびん舎の常連さんもこのイベントに行っていたみたいだけど、関口さんのこと気づいたでしょうか。

それにしても関口さんの話は興味深い話ばかり。

一番興味深かったのはこのレコードにまつわる話でしょうか。まさに秘話。

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関口さんが作曲した「海の底でうたう唄」。歌っているのは当時、テレビですごく人気のあったモコ・ビーバー・オリーブという3人組のグループ。この真ん中にいるオリーブことシリア・ポールをのちに大瀧さんがプロデュースするんですね。いや、ほんとうに縁は異なものです。

このレコードのジャケットの上の方に「ヤングが選んだ、ヤングの歌!!」なんて言葉がありますね。これはどういうことかというとレコードの解説にも書かれていますが、実はこの曲はサンケイ新聞のヤング面で募集していた「サンケイ・ヤング・ヒット・チューン」の第1回の優勝曲なんですね。これにまつわる話がおもしろすぎたんですが、残念ながらいろいろと問題がありそうなのでここには書けません。

この曲もいくつもの偶然から生まれていたんですね。少し切なくなるような話も含まれていて。これが聞けただけでも本当にお会いできてよかったです。でも正直言えばもっと時間がほしかった。今度は関口さんのお好きなお酒をいっしょに飲みながら(僕はビールしか飲めないけど)。

酒といえば関口さんとお会いした2日後に、なんと関口さんがテレビに映ったんですね。『太田和彦ふらり旅いい酒いい肴』という番組。

関口さんがよく行く三軒茶屋の居酒屋が映るんですが太田和彦のとなりで楽しそうに酒を飲まれているのが関口直人さんです。これはたまたまではなく店の人からぜひということだったようです。

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この番組では直人さんが話す場面はあまり映りませんでしたが、実際に目の前で愉快そうに話をされる直人さんの姿を見ていたら、いろんな本で読んでいたお父さんの良雄さんの姿が重なってきて、なんともいえない嬉しい気持ちになりました。

そういえば夏葉社の新刊『東京の編集者 山高登さんに話を聞く』では関口良雄さんの話が何度か出てくるんですが「宇野千代さん」の章にこんな話が。それは宇野千代さんの『薄墨の桜』という作品を担当していた時のこと。


原稿がなかなかあがってこなくて、催促のために那須にある宇野さんの別荘に伺ったんです。「お友だちがいたら連れていらっしゃい」とおっしゃるから尾崎士郎先生と親しかった関口良雄さんを連れて、そうしたら宇野さん、とても喜んでくださって。
 あの日は本当に楽しかったですね。宇野さんが「健康のためにみんなで民謡を踊るのだから、あなた方も参加しなくては駄目よ」とおっしゃるから、食事のあとにみんなで民謡のレコードに合わせて踊ったんです。そうしたら、関口さんが宇野さんのお弟子さんのワンピースを着て踊りはじめたものですから、みんなでお腹をかかえて笑いました。

関口良雄さんのエピソードってこんなのばっかり。本当にいろんな人から愛されていたんだなと思います。その『東京の編集者』の「宇野千代さん」に収録されているこの写真。

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向こう側で何かを覗き込んでいるのが関口良雄さんですね。直人さんに教えられて初めて気づきました。なんだか宇野さんをはじめその場にいる人がみんな良雄さんに注目しているようで、なんとも微笑ましい写真です。

で、直人さんもそんな良雄さんの人柄をそのまま引き継がれているんですね。「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のシリア・ポール特集のときに大瀧さんが直人さんのことを話される語り口からも、大瀧さんが直人さんをいかに愛していたかがよくわかります。


そういえば関口さんから聞いて知ったんですが「海の底でうたう唄」はLe Couple(ル・クプル)というグループがカバーしていたんですね。調べたらデビューシングル。これですね。




Le Coupleといえばテレビ番組の主題歌だったこの曲が大好きで、CDも買いました。




タイトルは「縁は異なもの」。

関口直人さんとのことを考えると、まさに「縁は異なもの味なもの」。もう一度是非お会いしたいです。


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by hinaseno | 2017-05-27 12:28 | 雑記 | Comments(0)

実は東京から戻ってすぐに『森崎書店の日々』を見直しまた。あの道、関口さんと石川さんといっしょに歩いたなとか、うれしくなる風景がいっぱい。そして前に見たときには気づかなかったことがいくつも。

たとえば、主演の菊池亜希子さんが森崎書店の店主である叔父の内藤剛志さんから受け取った手紙に添えられていたこの手書きの地図。

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これ、正確な地図だったんですね。「ここ」と書かれた場所はまさに森崎書店があった場所でした。

いちばん驚いたのは『昔日の客』の本のこと。あの本が映画に映るのは昨日紹介したあのワンカットだけかと思っていたら、そうではなかったんですね。映画の後半、店の中で菊池さんが内藤さんに失恋のことを打ち明けるかなり長いカットがあるんですが、そのときに『昔日の客』がすごく目立つ形で置かれていました。

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菊地さんと内藤さんのちょうど真ん中に置かれていますね。照明がそこにあたって本が輝いているみたいです。

この後、なんと内藤さんが『昔日の客』にドンと手を置きます。おいおい、ですね。でも、後で考えたらこれは演出家の一つのメッセージ。

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で、ついに菊地さんは泣き出して、少しずつ心を開いて失恋の話を語り始めます。

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その話は延々と。

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というわけで時間にして6分40秒くらい『昔日の客』は映画に映り続けていたんですね。映画の大事なシーンで『昔日の客』は2人の言葉を聞き続けていたんです。

このシーンのこと、関口さんはもちろんご存知でした。ドキドキしながらそのシーンを見られたそうです。


そういえばウィキペディアで『森崎書店の日々』を調べたら、「劇中で使用された書籍」という項目に『昔日の客』が載っていなくてちょっとびっくりでした。この映画で最も重要な役割を果たしていた本はまちがいなくこの『昔日の客』なのに。

それは『昔日の客』と縁の深い野呂邦暢の本がいくつか登場するところにも示されています。特にこのシーン。

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映し出されているのは『小さな町にて』に収録された「山王書房店主」というエッセイ。「山王書房店主」というのはもちろん『昔日の客』の著者関口良雄さんのこと。こういうのは知らない人には絶対に気づけないことだけど、この映画の制作に関わった人はいろんな形でメッセージを出しているんですね。

僕はたぶん川本三郎さんや大瀧詠一さんの影響で最近は映画を風景で見るようになったというか、風景こそが主人公と考えて見るようになっているのですが、その意味で言えばこの映画の主人公はまちがいなく関口良雄さんの『昔日の客』なんですね。ということもあって、僕はどうしても関口さんとお会いするならばこの映画の舞台になった場所でと考えたんです。

で、僕が三茶書房版の『昔日の客』を持参したのは、もちろんそこに関口さんのサインをもらいたかったから。でも、なかなか言い出しにくくて、勇気を振りしぼってサインお願いしたら、実は最初は断られてしまったんです。

「僕なんかがサインしたら売るときの値段が下がってしまいますよ」と。

売るわけないですよね。こんな大切な本。僕がもし死んだら、いっしょに棺に入れてもらうように今からでも遺言に書いておきます。

あとがきも含めて直人さんはこの本の著者のひとりですからと説得してようやく書いてもらうことに。


そのサインに関してちょっと素敵なエピソードを。サインをお願いしたら関口さんはいっしょにお茶していたテーブルから別のテーブルに移られたんですね。サインをするのを見られたくないのかと思ったら、なんとサインの練習をされ始めたんです。小さな紙に何度も。

これがそのときの関口さん。

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そして書き上がってにっこりの関口さん(僕の名前もきちんと書いてくれていますが、ちょっとぼかしています)。

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さて、これが今手元にある『昔日の客』に書いてもらった関口さんのサイン。

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達筆な墨書きでこう書かれていました。

「感謝をもって 関口直人」


なんといううれしい言葉。この言葉もわかる人にはわかりますね。

『昔日の客』の表題作である野呂邦暢とのエピソードを描いた「昔日の客」で、野呂邦暢が関口良雄さんに贈った本の見返しに書いていたのが、

「昔日の客より感謝をもって」 野呂邦暢

という言葉。その言葉を使われていたんですね。感謝するのは僕の方なのに。


そういえば昨年の暮れ、朝日新聞で連載中の鷲田清一先生の「折々のことば」で、まさにこの「昔日の客より感謝をもって」という言葉が紹介されていました。うれしいやらびっくりやら。何度も書いていますが鷲田先生、ほんとにすごいです。

このときの鷲田先生のコメント。


諫早から上京し、給油店で働く若き日の作家は、故あって郷里に戻ることになる。通いつめた古本屋にどうしてもほしい一冊があったが金が足りない。おずおずと事情を話すと、値切りを嫌う店主が黙って値を下げてくれた。芥川賞を受賞したお礼にと届けた本の見返しにこう書かれていた。含羞の2人の交わりが実にゆかしい。往年の古書店主・関口良雄の「昔日の客」から。

関口直人さんとのこと、もう少し続きます。


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by hinaseno | 2017-05-26 10:00 | 雑記 | Comments(0)

神保町駅で降りて古書店が立ち並ぶすずらん通りを通って向かったのは三省堂書店。そこである方との待ち合わせをしていました。このあたり、地図では何度か確認していたのに、地下鉄のせいで方向感覚を失ってしまっていたのでどの方向に向かっているのかまったくわからなくなっていました。マッピング力には自信があるけど地下鉄はダメですね。というわけでただただ石川さんの後をついて行くだけ。まだ開いていた古書店に立ち寄りたい気持ちをぐっと抑えて。

三省堂書店の閉店時間の8時を少し過ぎていたので、その方は入り口の前で待ってくれていました。お会いするのは初めて。でも、なんだかすごく懐かしい気持ちになってすぐに打ち解けることができました。

そして、その方にある場所に連れて行ってもらいました。

それがここ。

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そう、あの森崎書店のあった場所。

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映画のまま建物が残っていて感動しました。隣に並んだ家もそのまま。
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この場所で僕は1冊の本を取り出しました。『森崎書店の日々』で大きく映し出されるこの本を。

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その方はそれを見て大変喜んでくれました。

そうなんです。「その方」とは『森崎書店の日々』に映った『昔日の客』の著者関口良雄さんの息子さんの関口直人さん。この写真で石川さんと一緒に写っているのが関口直人さんです。

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今回、東京行きを決めて、どうしてもお会いしたかったのが関口直人さんでした。そして、その関口さんとメールなどのやりとりができるきっかけを作っていただいたのも石川さんでした。

以前、書いたことですが、石川さんとやりとりをするようになって、ある日送られてきた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のシリア・ポール特集を聞いていたら関口直人という名前が出てきたんですね。大瀧さんといっしょにCMの仕事をしていたという人。関口直人? CM? どこかで聞いたことのある。

そういえばと浮かんだのが夏葉社から出版された『昔日の客』。その「あとがき」と「復刊に際して」を書かれていたのが関口直人という名前の人。「復刊に際して」を確認するとCM音楽制作をしてきたと書いてある。間違いない。同一人物に違いないと。

偶然とはおそろしいもので、このつながりがわかった日にまさにその関口さんがアゲインに来られたんですね。もちろんたまたま。僕のつぶやきを知った石川さんは手をこまねいて関口さんの来るのを待っていたようです。そしてその夜電話がかかってきたんです。

「もしもし、関口です」と。腰が抜けました。

これはその時の証拠として石川さんから送られてきた写真。もちろん場所はアゲイン。

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調べたら5年前の2012年9月14日のことですね。そういえば野口久和 THE BIG BAND with “BREEZE”が「Beats There A Heart So True」を初めて披露したのは2012年9月2日。なんだか面白いですね。

石川さんは数日前に生で見た「Beats There A Heart So True」の超興奮をひきづっていた時期。ご自身のブログや僕とのメールにもそれに触れた話をたくさん書かれていました。変な表現ですが、関口さんはまるで石川さんの興奮した気持ちの状態を抑えるために姿を現してくれているようです。

実際、関口さんとお会いした翌日、石川さんとお話ししたのは、あのライブの後に関口さんとお会いして話ができたことが、気持ちの状態を整える上ですごく助かったということ。確かにその通りでした。関口さんって、いっしょにいるとすごく癒される感じがするんですね。それはまさにお父さん譲りのものなんだということをひしひしと感じました。


次回は『森崎書店の日々』の話をからめながら関口さんのことをもう少し書こうと思います。


これは大瀧さんの『EACH TIME』の歌詞カードの裏側に記されている関口直人さんの名前と『昔日の客』(夏葉社)の最後のページに記された関口直人さんの名前。

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by hinaseno | 2017-05-25 14:07 | 雑記 | Comments(0)

野口久和 THE BIG BAND with “BREEZE”によって演奏された「Beats There A Heart So True」を聴いた後は、まるで魂の抜け殻のような状態になってしまいました。2週間を経た今もその状態は続いています。


ライブでは「Beats There A Heart So True」の後、BREEZEによるビートルズ・メドレー(何曲歌ったんだろう)があって、それからビッグバンドによって2曲、そしてアンコールで数曲演奏されてライブは終了しました。

「Beats There A Heart So True」の余韻をひきづってかなりの抜け殻状態でしたが、一つ心に残ったのは今の世界情勢を憂う言葉を少しだけ野口さんが言われた後に演奏された「What A Wonderful World」。サッチモ(ルイ・アームストロング)であまりにも有名な曲ですね。それをトランペットのソロで演奏したのですが、これは沁みました。

野口さんはそれほど多くは語られなかったけど、考えたら世界のことよりも自分の国が一番みたいな国ばっかりが増えてきていますね。そうなると対立するばかり。で、自分の国が一番だなんて大声で自慢するのはみっともないと言えば、じゃあ出て行けとか言う人が相当数いる。かけがえのない貴重な自然を必要でもないもののために破壊し、それに反対する人を拘束できるような法律を作ったりする。

ふ~…。

気分を変えて、そういえばジャック・ケラーはサッチモにごきげんな曲を書いているんですね。「I Like This Kind of Party」という曲。これの10:12あたりから聴くことができます。




さて、前にも書いたように、ライブ終了後は、ライブ中に紹介された石川さんの元に次々に人がやってきて、次の行動(大事な約束が入っていたんです)がとれなくなってしまいました。この日のライブで「Beats There A Heart So True」が演奏されることが決まったときに、石川さんがブログでこの日が終わったら死んでもいいみたいなことを書いていたので、心配してきていた人も。でも、実際、僕も曲を聴いていたときにはこのまま死んでしまってもいいと思っていました。

ようやく石川さんのもとを訪れるひとがいなくなったときに、石川さんを通じて野口さんに会わせていただき、さらにBREEZEのメンバーにも。みなさんいい方ばかり。磯貝さんは僕のブログを読まれていたそうです。うれしいかぎり。

野口さんとBREEZEのメンバーと石川さんに囲まれて記念写真を撮らせてもらいました。これは僕抜きの写真です。皆さん、いい表情です。

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そういえば以前行われた野口久和 THE BIG BAND with “BREEZE”のライブでバカラック・メドレーをされたというのを見つけてわおっ!でした。「A House Is Not A Home」がBREEZEのコーラスで歌われるのを聴いてみたかった。ビートルズ・メドレーでも確か何曲かアカペラで歌われていましたが、こんな感じで歌うのを聴けたら最高です。




ってことで、またいつかこの場所に戻って来れる日があることを願いながらTUCをあとにしました。


時刻は8時近くになっていたでしょうか。

このあと、ある方とお会いすることになっていたので、急いで岩本町の駅に向かいました。地下鉄の階段を軽快に駆け下りていく石川さんを必死で追いかけて。

向かったのは神保町。そこにも夢のような瞬間が待っていました。


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by hinaseno | 2017-05-24 12:11 | 雑記 | Comments(0)

2017年5月7日。時刻は午後6時半ごろ。場所は東京神田の岩本町にあるライブハウスTOKYO TUC。その時間、外にどれくらいの明るさが残っていたのか地下だったのでわからない。

BREEZEの4人のメンバーがこの日2度目のステージに登場。第1部で野口さんによって振られていた小さなネタを受けた話を磯貝さんがされて観客の笑いを誘う。その笑いが収まって、会場は静謐な空気に。

その瞬間、僕も、そしておそらく石川さんも”そのとき”がやってきたことを知る。このブログでぽろっと書いた夢が実現するときが。


BREEZEのメンバーの小菅けいこさんが次に歌う曲の紹介を始める。「あまり知られてはいない曲で、私たちも知らなかった曲だった」。と。曲のタイトルは言わないまま。

ここで野口さんがBREEZEによってその曲が歌われることになったいきさつを語り始める。ジャック・ケラーという作曲家によって書かれて、ペリー・コモに歌われた曲だと。その場にいた観客のどれくらいの人に届いたかはわからないけど、たくさんの人を前にしてジャック・ケラーの名前が語られたことに心から感動する。「ジャック、聴いてる? これから君の書いた素晴らしい曲がここで演奏されることになるんだよ」と心で叫ぶ。

そしてその知られていない曲を野口さんに教えた「ある方」の話が始まる。「ある方」という表現で通されるかと思ったけど、野口さんはその人の紹介を始める。「武蔵小山のアゲインというライブカフェのオーナーの石川さん」と。なんだか自分のことのようにうれしくなる。そして野口さんが呼びかける。

「その石川さん、今日、来てくださっているんですね。石川さん、どこにいらしゃいますか?」

目の前に座っている石川さんがテーブルの下に潜り込もうとするが、逆にその動きが目立ってしまう。僕も後ろから石川さんの背中をたたく。全員の視線が石川さんに集まり、石川さんが恥ずかしそうにおじぎをする。たまらないくらいに幸せな気持ちになる。

野口さんは石川さんがいかにポピュラー音楽に造詣が深いかを説明し、大瀧さんや山下達郎さんの話を交えながら今回5年ぶりにこの曲が演奏されることになった経緯を紹介。石川さんとの具体的なやりとりも話されていました。で、石川さんの友達(僕のことですね)も今日のライブに来ていると言われ、このときに初めてBREEZEのメンバーと目が合う。

野口さんは「知られていないけどこんなにいい曲があるんだということを知ってほしい」と話されて小菅さんにバトンタッチ。


ここで小菅さんはペリー・コモにまつわる興味深い話を披露。それはペリー・コモの最後の来日公演の時の話。調べたら1993年3月。

この公演、NHKで放送されたということがわかったのでもしやと思って調べたら、なんとYouTubeにありました。




実はこの来日公演ときにドラムを叩いていたのが今回の野口久和 THE BIG BANDのドラムを演奏していた稲垣貴庸さんだったことがわかりみんなびっくり。そしてそのあと、さらにびっくりするようなとびっきり素敵なエピソードが紹介されます。

それはペリー・コモの歓迎パーティーのときのこと。上の貼ったYouTubeの最初の方にそのパーティーの様子がちらっと映っていますね。加山雄三さんもいることからもわかるように会場はかなり騒然とした雰囲気に包まれていました。そんな中、一人の女性がステージに呼ばれ歌を歌うことになります。後藤芳子というジャズシンガー。騒然とした会場で、きっと自分の歌が誰の耳にも届いていないことを感じながら後藤さんは歌を歌ったにちがいありません。

ところが後藤さんが歌い終えたときに、彼女のところに一人の男性がやってくる。ペリー・コモ。そして彼は彼女にこう言う。「僕は聴いていたよ」と。この後藤芳子さんというのがBREEZEの師匠に当たる人。

さらに興味深いのはBREEZEが結成されたのはまさにこのペリー・コモの最後の来日公演があった1993年。いや、縁というのはなんて不思議なんだろう。

いくつもの”たまたま”がきっかけで今回野口久和 THE BIG BAND with “BREEZE”で演奏されることになったペリー・コモの「Beats There A Heart So True」。もちろん、演奏した野口さんも、歌を歌ったBREEZEも素晴らしい曲であると判断したからこそだろうとは思いますが(磯貝さんは例のeBayでこのレコードを手にいれて聴いたそうです。磯貝さんはレコードマニアなんですね)、ペリー・コモとのこんな素敵な繋がりがかくされていたとは。歌われる前から胸がいっぱいになってしまいました。

こうなったらBREEZEには絶対に『Sings Perry Como』というアルバムを出してもらわないと。もちろん演奏は野口久和 THE BIG BANDで。


さて素敵なエピソードが披露された後、小菅さんによって曲のタイトルが告げられついに「Beats There A Heart So True」の演奏が始まる。すぐに石川さんの背中が激しく震え出すのがわかる。手で顔をおおい、しばらくは顔を上げることができないでいる。僕もすぐに涙が溢れてくる。願いが叶ってうれしいということもあるけど、何よりも目の前で演奏されている曲の素晴らしさに感動して。なんとなく歌っているBREEZEのメンバーの目も潤んでいるように見える。

曲の素晴らしさにについて説明する言葉はない。哀しみを表現するような金管楽器とその哀しみを優しく包み込むような木管楽器の織りなす演奏にBREEZEの4人のハーモニーが見事に重なっていく。哀しみにつつまれ曲だけど、なんて希望に満ち溢れた曲なんだろうと思う。

永遠に曲が終わってほしくないと願いながら、最後のエンディングが近づく。音が完全に消えるまでは誰も拍手をしないでほしいと願い続ける。

そして音が消え、一瞬の間があって盛大な拍手。石川さんは「すごい!すごい!」と叫び続ける。BREEZEサポーターの席に座られていた人が「BREEZEにぴったりの曲」とさけぶ。僕と石川さんだけでなく、演奏していたバンドやBREEZEのメンバーも含めてみんながこの曲のすごさに心を打たれていることがひしひしと伝わってくる。まちがいなくこの日のライブのハイライト。

少しだけ正気に戻ってきたときに石川さんが振り返って、ふたりでがっちりと握手。この素晴らしい瞬間をひとりではなくふたりで共有できたことは喜びを何倍にもする。ああ、いっしょに来てよかった。石川さんに、そして野口久和 THE BIG BANDとBREEZEのメンバーに心から感謝する。


これはこの日のライブの写真ではないけど、TOKYO TUCのサイトに貼られていた少し前に行われた野口久和 THE BIG BAND with “BREEZE”のライブの様子を撮ったもの。お借りしておきます。

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by hinaseno | 2017-05-23 13:27 | 雑記 | Comments(0)

唐突ですが、これから「地下」の時代がやって来そうな予感。

東京に行って以来(というか実際には行く少し前から)「地下」がなんだかキーワードになってしまいました。

アゲインも地下。先日のライブがあったTOKYO TUCも地下。できれば恐る恐るとかこそこそではなく、スキップしながら階段を駆け下りて行けるような地下が身近にあってほしいなと。別にそこでレジスタンスをするわけではありません。でも、きっと未来は地下から始まるだろうと。

そういえばライブ会場でも言われていましたが、来週土曜日の「出没!アド街ック天国は神田の岩本町編。なんとTOKYO TUCのある場所なんですね。で、TOKYO TUCも映るそうです。

もしこのライブに行かなければ岩本町ってどこ?だったんですが、岩本町は遠く離れていてもすごく身近に思える場所になりました。

この番組、昨日こちらでも見れることがわかったので予約録画しました。石川さんがスキップをしながら駆け下りた岩本駅の地下鉄の階段が映るのかな。楽しみですね。

テレビの話ついでですが、昨日の『ブラタモリ』は僕の愛する町の一つ、尾道でした。いろいろ書きたいけど、今はやめておきます。で、驚いたことに来週のブラタモリは倉敷。ついにタモリさんが岡山へ。「出没!アド街ック天国とともに来週の土曜日が待ち遠しい。


ところで昨日ブログを書き終えた後、『One Night Stand!』のライナーノーツに野口さんが書かれた解説を読んでいたら興味深いことがいろいろと。

ビッグバンドを結成するにいたったのは今回ライブをしたTOKYO TUCの方の進言と強い後押しのおかげだったと。で、こんな言葉。


「どうせやるならメチャクチャ楽しいバンドに・・・音楽だけでなく、エンターテインメントの部分もしっかり確立したかったので、まずバンドシンガーは絶対必要だと。幸いすぐ側に「BREEZE」という仲間達がいたので、コーラスグループ付き総勢21人というビッグバンドが誕生!これは現在の日本のバンドシーンの中ではとても贅沢なことではないでしょうか?そしてモットーとしては「ジャンルにこだわらずメロディの良い曲を演奏する」「長いアドリブは演らない」「譜面はすべて手書きで!(この点については自分が超アナログ人間だということもありますが、ビッグバンドに限らず最近のコンテンポラリージャズ色の強い、いかにもコンピューターを使って作ったようなサウンドに対するアンチテーゼでもあります)」

なるほど、でした。今回のライブはエンターテインメントとしても最高に楽しめるものでしたが、なによりも野口さんの演奏された曲はどれもメロディの良い曲だったというのがいちばんの感想。僕は基本的には音楽をメロディ(とアレンジ)で聴く人間なので。

そういう野口さんですから、ただ石川さんに頼まれたからとか石川さんが好きだからということだけで曲を演奏するはずがないんですね。


思わず笑ってしまったのが「Cradle Song」についてのこんなコメント。


「どこか外国の避暑地の昼下がり、ハンモックに揺られて・・・というイメージ」


昨日僕が書いていた通りですね。まさに野口さんがイメージしていた通りに受け取っていたんですね。


前置きが長くなりましたが、ライブは第2部へ。時刻は夕方の6時。

まずは野口久和 THE BIG BANDによる演奏が3曲。1曲目は超アップテンポの「Dizzy Fingers」という曲。野口さんが超高速で演奏するピアノがすごかったです。ここにLiberaceというピアニストの演奏シーンがありますがこんな感じ。




で、野口さんの凄いのは合間合間にバンドの指揮もするんですね。昔、ビデオでグレン・グールドが指揮をしながらピアノを弾いているのを見てびっくりしたことがありましたが、そういうのを生で見たのははじめて。というかめったに見れるものではないですね。一旦ピアノから離れて指揮をして、で、ピアノに戻ってすぐに弾き始める。言葉で言うのは簡単だけどすごいことです。


2曲目は野口さんのファースト・アルバム『How About A Drink?』に収録された「Cat Walk」。明らかにヘンリー・マンシーニのこの「ピンク・マンサーのテーマ」を下敷きにして作られた曲ですね。これもいい曲でした。

この日のライブではヘンリー・マンシーニの「Mr. Lucky」も演奏されていたので、きっと野口さん、ヘンリー・マンシーニがお好きなんでしょうね。僕もヘンリー・マンシーニは大好きです。


大好きといえば、この「Cat Walk」を演奏した後に野口さんの好きなアレンジャーの話をされたんですが、この話のあたりから僕のワクワク度合いはさらに高まっていくことに。で、野口さんが好きだというアレンジャーの名前を聞いて、野口さんのバンドで演奏した曲がそのアレンジも含めて僕の好みにぴったりだと感じた理由もよくわかりました。

まず最初に名前を挙げたのがクインシー・ジョーンズ。クインシー・ジョーンズといえば僕にとってはなんといってもレスリー・ゴーアの楽曲のアレンジですね。

で、次がこの日のブログで紹介したネルソン・リドル。

そして3人目がニール・ヘフティ。

ニール・ヘフティはジャズ畑では最も好きなアレンジャーだったので、昔、中古レコード屋さんを回ってはニール・ヘフティのレコードを集めていました。カウント・ベイシーの『Basie Plays Hefti』なんて死ぬほど好きです。

そういえばニール・ヘフティのものでいちばん探したのがこのレコード。

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ジョニー・ソマーズの『The "Voice" Of The Sixties!』。

知り合いがこれを持っていて、ジャケットを含めて最高だったので、どうしても欲しくて大阪あたりまで探しに行きました(もちろんまだネットを利用していない頃の話)。でも、結局、見つからなかった。

で、ネットを利用するようになって知ったのが海外のオークションサイトeBay。初めてeBayを利用して買ったのがこのレコードでした。結構高かったけどどうしても欲しかったので。

そういえばそのeBayの話もこのライブの時にちらっと出てきましたね。


さて、野口さんがとりわけ好きなアレンジャーとして最後に語られたのがギル・エヴァンス。

ギル・エヴァンスといえばなんといってもあれだなと僕が頭に描いていたら、「もし、無人島にもっていくレコードがあるとすれば」という話がでてきてびっくり。僕がそのレコードを知ったきっかけはまさに『無人島レコード』という本だったので。

で、野口さんの口から語られたのはまさにその『無人島レコード』という本で知ったレコード、マイルス・デイヴィスの『マイルス・アヘッド』。そのアルバムはこの日のブログで紹介していたもの(マイクロスターの「My Baby」の話のつながりでしたね)。ピチカート・ファイヴの小西康陽さんが『無人島レコード』という本で選んでいたものでした。こんな写真も載せていますね。僕もこれを読んで『マイルス・アヘッド』を買いました。

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というわけで野口さんのこの話が出た瞬間から僕の頭の中ではこのアルバムの1曲目の曲が流れ始めてきて、東京にいる間中ずっと脳内再生を続けていました。本当は実際の曲を聴きたくて仕方がなかったけど僕のスマホにはその曲を入れてなかったので、東京から戻ってきたとき、いろいろと買ったりもらったりしたCDをおいといて、まず最初に『マイルス・アヘッド』に針を落としました(持っているのはCDなので、あくまで比喩)。

大好きなその1曲目の曲。タイトルは「Springsville(スプリングズヴィル)」。




野口さんがライブで実際に演奏されたのは『マイルス・アヘッド』とは別のアルバムに収録された「Jambangle」という曲。でも、僕の頭の中には「Springsville」がとめどなく流れてきて、それとビッグバンドが演奏する曲が重なってちょっと夢心地な気分になっていたときにBREEZEが再登場。

ついにそのときがやってきました。


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by hinaseno | 2017-05-21 12:44 | 雑記 | Comments(0)

前回紹介した野口久和 THE BIG BANDの『One Night Stand!』を手に入れました。よく利用しているAmazonが品切れ状態だったのでちょっと苦労したけど。

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ジャケットを開いたらビッグバンドのメンバーとBREEZEの写真。BREEZEはこのときはアルトが現在の松室さんではなかったんですね。

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先日のライブで聴けた曲も何曲か。「Cradle Song」は何度聴いてもたまらない。海辺の木につるしたハンモックに寝そべってこの曲を聴きながらうとうとできたら最高だろうな。

ハリー・ウォーレンの「Jeepers Creepers」も最高。早速iTunesのプレイリストの「Harry Warren Songbook」に入れました。「Jeepers Creepers」はこれで6曲目。


さて、新曲「Pick Yourself Up」のあとにBREEZEが歌ったのはラテンの曲が2曲。有名な「ベサメ・ムーチョ」と「Cielito Lindo」。ラテンなのでいずれもスペイン語。日本人としては英語以上に発音が難しいのではと思いますが、見事に歌いこなされていました。実はラテンの曲はちょっと苦手なんだけど、こうやって聴くとやっぱりちがいますね。印象がすっかりかわりました、特に初めて聴いた「Cielito Lindo」というのはとてもいい曲。

こんな曲です。




ソロで歌われていた磯貝さんの声質によく合っていました。

そういえば磯貝さんのMCって最高ですね。何度も笑わせてもらいました。


第一部でのBREEZEはこの3曲。「Beats There A Heart So True」は2部に持ち越し。でも、コーラスグループとしてのBREEZEの実力を十分に知ることができたので、期待はさらに高まりました。

で、BREEZEが退場した後、ビッグバンドによる演奏が2曲。まずはクラリネットのソロによって演奏されるベニー・グッドマンの「Memories of You」。いやあ、これも素晴らしかった。

これがオリジナルですね。




で、1部の最後に演奏されたのが「Ol' Man River」。作曲は「Pick Yourself Up」と同じジュローム・カーン。ただし作詞はドロシー・フィールズではなく有名なオスカー・ハマースタイン。ミュージカル『ショウ・ボート』で歌われた曲だったんですね。

ここで野口さんはジュローム・カーンの作曲した曲を何曲か紹介。石川さんの好きな「The Way You Look Tonight」や『有頂天時代』の話をされて、ようやく僕はいろんなつながりに気がつきました。


ところで僕が「Ol' Man River」という曲を知ったのはビーチ・ボーイズが歌ったこれでした。




この曲はたいていこんな風にゆっくりと歌われるんですが、野口さんはこの曲を軽快なアレンジで演奏します。ウェストコーストって感じで。

ちなみに先日紹介したビル・ホールマンもこの曲をこんな感じで軽快に演奏しています。




この曲で1部は終了して30分間の休憩に。この休憩のときに石川さんの顔の広さをまざまざと知ることになりました。あちこちでいろんな人から声をかけられていたんですね。

でも2部が終了したときにはさらに多くの人が次々に石川さんのもとへやってくることになります。石川さんの肩を強く叩いて握手する人がいたりと。

その理由についてはまた次回以降に。


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by hinaseno | 2017-05-20 15:20 | 雑記 | Comments(0)