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Rich Podolsky 著『Don Kirshner: The Man with the Golden Ear』より


少年の頃、ジャック・ケラーは父方の祖父を知らなかった。ジャックの父、マル・ケラーはジャックが14歳の時に亡くなった。孫が生まれるのを見るまで長生きできないというのがケラー家の男に4世代も続いていた。

彼の家系に引き継がれている心臓の問題をよくわかっていたので、ケラーは自分自身を絶えず監視していた。適切なダイエットと運動、それから医者の用心深い目を通して、ケラーは長生きして、いつか自分の孫と遊ぶことを願っていた。彼と彼の妻のロビは4人の子供をもうけたが、そのうちの最初の2人は養子だった。

1998年、ケラーは胸に締め付けられるような痛みを覚えた。何が起こっているのかわかったので、5分もかからないうちに自分で車を運転して病院に向かった。3つのバイパスが施されて、文字通り人生に新たなリースを提供することになった。数年後、3人の孫のうちの一人目が生まれた。

2004年3月に、ケラーが演奏者として参加したオールディーズのクルーズのおかげで、彼はトニー・オーランド、トニ・ワイン、そしてロン・ダンテとの素晴らしい再会を果たした。

クルーズ船での温かな再会はケラー家をナッシュヴィルから車で行ける距離の中で行われるオーランドのショーへ連れ出すことになった。2005年2月10日に彼らは車に荷物を詰め込んで4時間も運転してエヴァンスヴィルやインディアナに行ってトニー・オーランドとトニ・ワインのショーを見た。このときオーランドはジャックを聴衆に紹介するだけでなく彼にステージに上がって何か演奏するように頼んだ。彼が演奏に選んだのはただ1曲、『奥さまは魔女(Bewitched)』だった。観衆から盛大な拍手喝さいをあびた。

そのショーの後、ケラーは彼が持参していたあるものでオーランドを驚かせた。それは何年も前の記憶を呼び起こすものだった。

「僕が最初にジャックに会ってから44年も経って、僕が16歳だった時に彼に書いた手紙を彼は自分のスーツケースから取り出したんだ」とオーランドは言った。「手紙は汚れもなくまっさらだった。しわひとつなかった。彼が完璧な形でこの手紙を保管していた場所にはさらに僕を驚かせるものが入っていた。それは僕の最初のナイトクラブから僕が歌ったプログラムだった。彼が僕にその手紙を見せてくれた時、とりわけ強く印象に残っているのは、彼のことをいかに大切に思っているかということと、彼が44年間も当時のものを汚れもなくまっさら形で保管していたということがだった。それから彼は1枚の写真をひっぱり出して僕に尋ねたんだ。『これは君のおじさんのジョニーじゃないのかい?』って。僕は22年間もおじのジョニーに会ってはいなかった。しかもその写真はまるでポラロイドから出てきたばかりのように色あせていなかった。

2005年のその週、ケラーはナッシュビルに戻った後微熱が出して、それはなかなか下がらないように思われた。その週には3日間のセッションをプロデュースすることになっていたので、彼はAdvilという薬を使ってなんとか熱を抑えようとした。でも、薬を飲むのをやめるとすぐに熱が出た。

2月18日までに、ほとんど恢復の糸口をもたらすことのない何度かの血液検査のあと、ケラーは「僕の血液の血小板は低いんだ。私が知っているのはそれだけだ。癌だとは思わない」と言った。

「僕は彼のことを心配している」とアーティー・カプランは言った。「その音が好きではない」と。

3月2日に、ケラーはさらなる検査を受けに行った。このとき彼は入院させられた。3月7日の月曜日までに彼は悪い知らせを受け取り、それを披露してくれた。彼はNK T細胞白血病と診断されていた。”NK”とは”ナチュラル・キラー”を表している。この状態の白血病と診断された平均的な患者はたった55日間しか生きられなかった。でもジャックはよくなると確信していた。

「医師たちは熱を抑えて僕が家に戻ることができると自信を持っているよ」と彼は僕に話してくれた。「もしそうなったら、いろんなこと[彼の仕事]を順番にこなすよ。僕は何年も自分の心臓のことを心配していたのでそのようなことが起きただけだよ」と。

ケラーはできるだけ聞き手にわかりやすく教えてくれた。彼はそうするほどに強かった。その日彼の少年時代からの友人であるアーティー・カプランとの話を終えた時、彼はこう締めくくった。「愛してるよ」と。カプランはナッシュヴィルへ飛行機で飛んで行く計画を立てた。

次の2週間はジャック・ケラーにとっては良好だった。熱がひいて彼は本当に自宅に戻って物事を順番にこなすことができた。その間、彼は昔の仲間みんなから電話を受け始めた。ジェリー・ゴフィンが最初に電話をかけ、それからジェリー・リーバー。ドン・カーシュナーも何度も彼に電話をかけた。ケラーの子供のころからの友人であるブルックス・アーサーも電話してきて昔の喧嘩の収拾をした。トニ・ワインは彼に会うためにナッシュビルに飛んできて1週間滞在した。


この本を執筆する過程で、私たちが行なった数多くの会話を通してジャックと私は親密な間柄になることができた。彼は私にナッシュビルに来て、本のために彼が持っている写真や記念のものなどを集めるようにすすめてくれた。私は彼の健康のことを心配していたので、言われた通りにきちんと飛行機のチケットを予約した。


時はあっという間に過ぎ去り、友人たちもそれを知っていた。「だれが電話してくれたか君は絶対にあてることはできないはずさ。信じられなかったよ」とケラーが私に話してくれたのは3月19日のことだった。「僕が電話に出たら、こんなことを言う声が聞こえたんだ。『ジャック、キャロル・キングよ』。僕たちは1963年に戻ったみたいに話をしたよ。素晴らしいことだった。気になっていたことがようやく解決したんだ」

その電話の前、ケラーとキャロル・キングはほぼ30年間連絡を取り合っていなかった。2002年にキングがセミナーのためにナッシュヴィルにやってきたので、ジャックは彼女に会うためにそのセミナーの終わり頃に立ち寄った。彼は二人でコーヒーを一杯飲むことができないかと頼んだが、彼女のマネージャーが彼女を振り払うように行かせたので、二人は結局話をすることができなかった。ケラーは昔の友達を失ってしまったのではと気にしていた。でも、彼女の電話がすべてを変えた。「今、私たちについてはすべてがうまくいっているとわかったよ」と彼は言った。

「それから君に教えるけど、他に誰が電話してくれたと思う? バリー・マンとシンシア・ワイルだよ。キャロルがきっと彼らをまきこんだにちがいないけどね。それからジェリー・リーバーが電話してきたんだ。彼は僕のことを偉大な作曲家だと言ってくれたんだ。想像できる? あの偉大なジェリー・リーバーがそんなことを話してくれたなんて」

3月20日に、そんな人たちすべてをまとめあげていた人物のドン・カーシュナーが電話でジャックと話をした。「僕は彼にジェリー・リーバーが言ってくれたことを話したよ」ジャックはそのときのことを思い出す。「ねえ、ドニー(ドン・カーシュナー)が僕に何と言ったと思う? 彼はこう言ったんだよ。『私は君が偉大な作曲家であるということを君に話した最初の人間だよ』と。君は彼を大好きになるよ」と。

死が差し迫っている人間として、彼はきっとみんなにさよならを告げることを楽しんでいた。それから熱が再びぶり返して彼は病院に戻った。


2005年3月31日木曜日の夜、午後11時30分、ケラーは病院のベッドから私に電話をかけてきた。彼がそんなに遅く電話をかけるなんて以前にはないことだった。


「たぶん、僕たちが予定していたときよりも少し早くここに来たほうがいいよ」と彼は言った。「僕にはそんなに時間は残されていないと思う」と。翌朝、2005年4月1日金曜日の8時30分、ベッドサイドに彼の家族全員がいる中でジャック・ケラーは「少し休むよ」と言って、それを最後に目を閉じた。白血病と診断されてからたった27日後に彼は帰らぬ人となった。

皮肉にも彼の子供の頃からの友人で、ケラーがはじめての曲をいっしょに書いたポール・カウフマンも34日前に癌で亡くなっていた。一人とも行年68歳だった。

(つづく)


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by hinaseno | 2017-02-19 13:38 | 音楽 | Comments(0)

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Rich Podolsky著『Don Kirshner: The Man with the Golden Ear』より


. . . And through all eternity

She'd be good for only me

Beats there a heart so true?


他のだれもがそうであったように、ブリティッシュ・インヴェイジョンが起こると、ジャック・ケラーはなかなかヒット曲を書けない状況におかれた。彼はコニー・フランシスのために一連のNo.1ソングを書いていたけれども、彼の最大のヒットはまさにそんな厳しい時期に作った、あるテレビ番組の主題歌である。

1964年、スクリーンジェムズはエリザベス・モンゴメリーが主役を演じた『奥さまは魔女(Bewitched)』という新たなテレビ・ドラマの制作に乗り出した。その放送局の幹部がドン・カーシュナーに頼んだことは、彼の会社と契約している作家たちにその番組のためのテーマソングを作らせることだった。カーシュナーは作家全員に『奥さまは魔女(Bewitched)』のパイロット版の一編を見るように言った。そのパイロット版ではプロデューサーはフランク・シナトラの歌う「ウィッチクラフト」を使っていて、それをオープニングのクレジットのところで流していた。しかしその幹部は独自のテーマ曲を欲しがった。

他のあらゆることと同様に、カーシュナーはこれをコンペティションにした。そして全てのソングライター・チームが全力を尽くした作品を集めた。その中で他を圧倒して選びとられたのがジャック・ケラーとハワード・グリーンフィールドが作ったヴァージョンだった。カーシュナーは、『Hazel』や『ギジェット(Gidget)』のようなテレビ番組のために、ジャック・ケラーとハワードのところに直接行ってテーマソングを作るよう頼んだ。テレビ番組のテーマソングに自分の曲が使われるのはあまり好きではなかったキャロル・キングとジェリー・ゴフィンやバリー・マンとシンシア・ワイルを通り越す形で。ケラーはまた後に『Here Come the Brides』という番組のテーマソングとして「Seattle」という曲を書くことになる。その曲は1969年にペリー・コモにも歌われてヒットした。

『奥さまは魔女(Bewitched)』が完成したとき、まず最初にフランキー・ランデルがRCAのためにそれを録音した。インストルメンタルのヴァージョンも録音された。スクリーンジェムズはジャック・ケラーのメロディーだけのヴァージョンでやっていくことにしたがグリーンフィールドの書いた詞も一応残された。ドン・コスタがスティーヴ・ローレンスの歌ったすばらしいバージョンをプロデュースしたが(それは最近リメイクされた『奥様は魔女』の映画で使われた)、そのときにはすでにスクリーンジェムズはインストルメンタル・ヴァージョンを使うことを決めていた。

40年以上、『奥様は魔女』のインストルメンタル・ヴァージョンが視聴者を楽しませていた。2005年にジャック・ケラーはヒップホップのビートを使って『奥様は魔女』を再録音し、もう一度ヒットすることを願った。彼はそれを電話機に入れることさえしていた。

60年代後半も70年代もジャック・ケラーはずっと曲を書き続け、プロデュースをし続けて、1970年にはボビー・シャーマンによって歌われてトップ10ヒットとなった「Easy Come, Easy Go」を作曲した。「私は最初はそれをモンキーズのデイヴィ・ジョーンズに見せたんだ。で、彼は検討しますと言ったよ」とジャック・ケラーは回想している。「彼が検討している間にボビー・シャーマンがそれをシングルカットして発売したんだ」と。

1956年にジャック・ベナンティ(Jack Benanti)が最初にケラーのことを気に入って、彼を事務所に自由に出入りできるようにし、ベナンティのクライアントであるフランク・シナトラのための選曲を手伝うようになってからずっと、ケラーはいつかOl’ Blue Eyes(シナトラのニックネーム)のために曲を書くことを夢見ていた。1968年になって、その夢は「When Somebody Loves You」と呼ばれる曲で実現した。それはシナトラにとって申し分のない曲だとケラーは考えていたが、いろんな事情でハワード・グリーンフィールドに曲を仕上げさせることができなかった。そこでキーリー・スミス(ルイ・プリマとコンビを組んでいた)が手伝って曲を仕上げた。ネルソン・リドルがそのバラードにアレンジを施した。シナトラはその曲を大いに気に入って次のアルバムのタイトル・ソングにそれを選んだ。ケラーは一切プロデュースすることはできなかった。それでも、彼は自分の履歴がようやく完全なものになったと感じた。

ロサンゼルスに移ってからケラーはモンキーズのアルバムをいくつもプロデュースして大成功を収めた。そのうちのひとつには彼自身が書いた「Your Auntie Grizelda」という曲も収められていた。1984年、ジャック・ケラーはさらなる変化を求めてナッシュヴィルに移り、そこの集まりの一員となって改めて曲を書くことを楽しむようになった。彼が最初に到着したとき、「The Tennessean」という新聞の記者が彼にナッシュヴィルのソングライターと競い合うのはどんな感じがするか尋ねた。それに対してケラーはこう答えた。「私は列の最後尾に並んで、自分の順番がやってくるのを待つことをいやだとは思わないよ」と。

(つづく)


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by hinaseno | 2017-02-18 14:21 | Comments(0)

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今、手元に置いている一冊の洋書。

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タイトルは『Don Kirshner: The Man with the Golden Ear』。日本語に直したら「ドン・カーシュナー:黄金の耳を持つ男」。ドン・カーシュナーというのはアメリカン・ポップスのアイドル歌謡の作品を一手に引き受けて大成功を収めたアルドン・ミュージックを設立したアルさんとドンさんの2人のうちのドンさんのほう。その評伝ですね。彼は「黄金の耳を持つ男」と呼ばれていました。本の筆者はRich Podolskyという人。出版されたのは2012年。「アメリカン・ポップス伝」の資料として大瀧さんは間違いなくこの本を読んでいただろうと思います。

この本、できあがるまでにかなり長い年月をかけて関係者にインタビューをしたようなのですが、中でもとりわけ多いのがジャック・ケラーでした。ジャック・ケラーは「Beats There A Heart So True」を出した翌年の1959年にアルドン・ミュージックと契約。ドン・カーシュナーは会社のオーナーとはいえ年が近かったので結構親しい関係にあったんですね。

ドン・カーシュナーと親しい関係があったとはいえ、これだけ多く彼のインタビューがなされているということは筆者がジャック・ケラーのことを信頼していた証ですね。インタビュイーとして信頼する条件をあげるならば、まず第一に記憶が正確であること。嘘や大げさなことを言わないことでしょうか。あるいはある種の成功を収めた人にありがちな自慢話、手柄話のようなことも言わない。

そういえば山下達郎さんがジャック・ケラー特集のときに、いろいろとジャック・ケラーに関する資料を読んで知った彼の人柄をこんな風に語っていました。


「ジャック・ケラーという人はあまり欲がないといいますか、ガツガツしたところもなく、自分がヒットソングライターであるということをそれほど声高にアピールもしていない」

さらにこんなことも。


「自分の成功とか、身の丈に満足していた感じがします」

実際に会ったことはないけれども、なんとなくそんな感じがします。で、もう一つ、彼が積極的にインタビューに応じていたのは、何かを伝えようとする気持ちが人一倍強かったからにちがいありません。

でも、彼はこの本が出版される前の2005年に彼は亡くなります。筆者はまだ本の出版に向けてのインタビューを重ねている中での死だったようです。

この本は全部で28の章から成り立っています。面白いのは章のタイトルがすべて曲のタイトルからとられているんですね。作曲家別に見てみると28章のうち最も多いのがキャロル・キングの9曲。ヒット曲の多さからいって当然ですね。一応挙げておくと「Will You Love Me Tomorrow」「Halfway To Paradise」「Take Good Care Of My Baby」「Some Kind Of Wonderful」「The Loco-Motion」「Go Away Little Girl」「Up On The Roof」「It Might As Well Rain Until September」「One Fine Day」。

次がニール・セダカの7曲。「The Hungry Years」「Stupid Cupid」「Oh Carol」「Where The Boys Are」「Next Door To An Angel」「Breaking Up Is Hard To Do」「Love Will Keep Us Together」。

その次がジャック・ケラーの4曲なんですね。で、それに続いてバリー・マンの3曲となっています。あのバリー・マンよりも多いというところに筆者の思いが感じられます。ちなみにバリー・マンは「On Broadway」「Who Put The Bomp」「I Love How You Love Me」。


さて、ジャック・ケラーの書いた曲から取られたタイトルはまず「Everybody's Somebody's Fool」。コニー・フランシスが歌ったナンバー・ワン・ソングですね。で、ボビー・ヴィーの「Run To Him」。次はちょっと意外な曲ですが、ロビン・ルークという歌手が歌った「The Part Of A Fool」。この曲、なぜかよくバリー・マンの曲と間違えられていて、バリー・マンの作品集に収められたりしています。どうもバリー・マンと間違ってクレジットされているレコードがあるみたいですね。

そして最後が、そうペリー・コモの「Beats There A Heart So True」。本では最後から2つめの27章。

この章はジャック・ケラーが亡くなった後に書かれているんですね。ジャック・ケラーを追悼するために書かれた文章で、この本の主役であるドン・カーシュナーとはほとんど関係のない内容になっています。そのタイトルとしてとられたのが「Beats There A Heart So True」なんですね。

実は今回、ずっと「Beats There A Heart So True」という曲の話をしてきたのはこれを紹介したかったためでもありました。


ところでつい最近気がついたのですが、この本の扉にこんな言葉が記されていました。

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本の献辞として二人の名前が記されています。一人は筆者の奥さんのダイアナさん。そして、もう一人がジャック・ケラーなんですね。「この本を作ることができたのは、ジャック・ケラーの精神と音楽への深い愛情のおかげだった」と。


この本、とにかく素晴らしい本で、できればだれかが訳してくれないかなと思っているのですが、誰も訳してくれそうもないので、ではということでその「Beats There A Heart So True」の章を少しずつ訳していこうと思います。「Beats There A Heart So True」にまつわる話はさらに長くなりますが、ジャック・ケラーと、ジャック・ケラーにも負けないくらいの音楽に対する深い愛情をお持ちの石川さんに捧げます。アゲイン10周年おめでとうございますという気持ちをこめて。


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by hinaseno | 2017-02-16 12:17 | 音楽 | Comments(0)

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2010年9月12日から3週にわたって放送された山下達郎の「サンデー・ソングブック」のジャック・ケラー特集では知らない曲が何曲もかかりました。僕なりにいろいろと準備していましたが驚きました。さすが達郎さんだなと。もちろん「Beats There A Heart So True」も初めて聴いた曲。曲をかける前に達郎さんはこんな紹介をします。


(ノエル・シャーマンとジャック・ケラーが共作した曲の中で)今日は私がジャック・ケラーの初期の最高傑作だと思います、ほんとにいい曲です。ペリー・コモの1958年、シングル「Moon Talk」のカップリングとして発売されました「Beats There A Heart So True」という、まだロックンロール以前の香りが残っておりますが、ほんとに素晴らしい作品です。

こんな達郎さんの大絶賛の言葉がありながら、僕はこの曲を印象にとどめてはいませんでした。むしろ心に強く残ったのは第3週目にかかったアネットの「Crystal Ball」からナット・キング・コールの「My First and Only Lover」、ジュリー・ロンドンの「We Proved Them Wrong」、ルイ・アームストロングの「I Like This Kind of Party」と続く4曲の曲。全部初めて聴く曲でした。その前の、この日の1曲目にかかったリトル・エヴァの「The Trouble With Boys」(これはA面ですね)も大好きな曲だったので、ラジオを聴きながら最高にハッピーな気持ちになったことを覚えています。で、そのあともしばらくはこればっかり聴いていました。でも、これを録音したMDはいつのまにか紛失(2週目のものも)。だれかください。

一応この5曲並べて貼っておきます。作曲はすべてジャック・ケラー。

リトル・エヴァの「The Trouble With Boys」。




アネットの「Crystal Ball」。




ナット・キング・コールの「My First and Only Lover」。




ジュリー・ロンドンの「We Proved Them Wrong」。




ルイ・アームストロングの「I Like This Kind of Party」は残念ながらYouTubeにありませんでした。


というわけで1週目の最初の方でかかったペリー・コモの「Beats There A Heart So True」は達郎さんの大賛辞があったものの僕の中ではすっかり影が薄くなってしまいました。いや、僕だけでなくこの曲を心に留めた人はどれだけいたでしょうか。

でも、一人いたんですね。それが石川さんでした。ブログで何度も語られ続け、おそらく店に来られた人にも曲の魅力を伝え続けられたんだろうと思います。

「Beats There A Heart So True」という曲は「Moon Talk」のカップリングということで、A面、B面ははっきりしないんですが、チャートに入ったのは「Moon Talk」(最高位29位)のほうでこちらが実質的にはA面だったようです。ということなので「Moon Talk」はペリー・コモのベストもののCDにはよく入っているのですが(僕の持っている50曲入りのCDにも入っています)、「Beats There A Heart So True」が収録されたCDはほとんどありません。でも、石川さんはそれが収録されたものを見つけて、できるだけ多くの人に聴いてもらおうと思って、当時YouTubeにアップされたんですね。それがこれです。


現在では「Beats There A Heart So True」の音源はほかに2つほどアップされていているのですが、2年くらい前までは石川さんがアップされていたものだけでした。

石川さんがアップされた音は、権利上の問題も考えられてのことだとは思いますが、たぶんスピーカーを通して収録されたものになっています。でも、だからこそというか、これ、アゲインの音がしていますね。野口さんも多分これを聴かれてこの曲の魅力を知られたはず。


ところで石川さんが「Beats There A Heart So True」をYouTubeに公開されたのは2012年6月14日。この同じ日か翌日くらいに石川さんから送っていただいたのが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のジャック・ケラー特集を録音したCD-ROMでした。

それを聴いて何よりも驚いたのは大瀧さんが時間の関係で曲はかけなかったけどジャック・ケラーが書いた曲として「Beats There A Heart So True」を紹介していたことでした。こんな言葉。


58年にはペリー・コモに1曲書いているんですね。「Beats There A Heart So True」という曲で、共作がノエル・シャーマンなんですよ。あのジョー・シャーマン、ノエル・シャーマンのシャーマン兄弟のですね、...と共作したんですよ。すごいもんですね。

いや本当にびっくりでした。「Beats There A Heart So True」の第一発見者は大瀧さんだったんだなと。なんだか「Beats There A Heart So True」という曲を通していろんなものがつながったような気がして、で、そのつながりの中に僕も入れたような気がしてなんともうれしい気持ちになりました。ちなみにそれが確認できた日は僕の誕生日でもありました。最高の誕生日プレゼント。さらに数日後に人生で最高なことが起こることになるのですがそれは内緒。もちろん石川さんのおかげです。


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by hinaseno | 2017-02-15 12:53 | 音楽 | Comments(0)

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僕も石川さんも、全国の達郎さんファンも、(たぶんほとんどいないと思われる)ジャック・ケラー・ファンも初めてペリー・コモの「Beats There A Heart So True」を耳にしたのが2010年9月12日に放送された山下達郎さんの「サンデー・ソングブック」でした。3週にわたって放送されたジャック・ケラー特集の第1回目。その3曲目にかかります。僕はとにかくこの特集を楽しみにしていました。かなり前から達郎さんはジャック・ケラー特集をすると言っていたので。

ちなみに僕がジャック・ケラーという作曲家に興味を持ったのは、やっぱり大瀧さんでした。大瀧さんが「おれはジャック・ケラーなんだ」と言ったのが全てのきっかけ。

この発言をされたのは2009年の新春放談。久しぶりに聞き返したらこの年の新春放談の最初の方でこんなこと言ってました。達郎さんが例によって、今、何をされているんですかという問いかけをしたあと。


大瀧「ネタとしてはタモリさんとかぶるんですね。最近『タモリ倶楽部』をよく見てんだけど。去年、スタジオで偶然バッタリお会いして、かぶったネタについてちょっとお話ししましたけど。あの人、鉄道マニアと古地図をやっていて。そのところでちょっとクロスするんですけどね」
山下「大瀧さんって鉄道マニアですか?」
大瀧「いやいや、古地図の方」

ちょうど大瀧さんは成瀬の映画研究をされていたころ。タモリさんと情報交換していたというのがすごいですね。

それはさておき、ジャック・ケラーの話。こんな会話が交わされます。


山下「僕はよ~くわかったけど、大瀧さんはヘレン・ミラーとジャック・ケラーなんだなって」
大瀧「ジャック・ケラーだよ。言わなかったっけか?」
山下「いいえ」
大瀧「ああ、そう? これ言おうと思って来たの。おれはジャック・ケラーなんだ。ヘレン・ミラーでもあるんだ」
山下「それはよ~くわかった」
大瀧「わかったね。いや、さすがだな~、って言ったって、だれがわかるんだ、こんな話(爆笑)」
山下「だから次はジャック・ケラーをやろうと思うんですよ」
大瀧「(笑いが止まらず)日本中のだれもわからない。こんな話...」
山下「いいんですよ、わからなくても」
大瀧「ああ、おかしい。で、つくづくジェフとエリーだと言われて、いや、実はず~っと内心、だれかがジャック・ケラーだって言ってくれるかなっと思ってたら、君だったね」
山下「よ~く、わかりました。この歳になって」
大瀧「ほんとにね。産湯はね、ジャック・ケラーなんだよ」
山下「そうなんですね」
大瀧「で、体質にも合うんだね」
山下「わかります」

さらにこんな会話。


大瀧「ジャック・ケラーはちゃんと集めてんの? 結構意外なものがあるんだよね。で、みんな小品なんだよ。これって大作は一個もなし」
山下「B面が多いですね」
大瀧「B面が多い。B面好きなんだよ。ほんとにB面好き」
山下「だけどジャック・ケラーは大変」
大瀧「大変だね~」
山下「もう4年ぐらいやったんですけどね」
大瀧「何があるのかも、僕も全貌つかんでないし。聴いてみなきゃ、わかんないしね」
山下「今度、一揃い揃ったら全部あれしますから。DVDかなんかにデータ入れて」
大瀧「今時ジャック・ケラーという人なんていないよな~」

このときの放送で達郎さんは次はジャック・ケラー特集をすると言ったんですね。実現したのはそれから1年9ヶ月後のこと。その日まで僕は自分なりにジャック・ケラーの音源をいろいろと集めました。今はウィキペディアにこんなリストが掲載されているので、それに基づいて集められますが、当時は持っていたCDやレコードのクレジットを一つずつ確認する作業。J. Kellerと記載されていてもジェリー・ケラー(Jerry Keller)というシンガーソングライターもいて大変。大瀧さんが言われる通り「聴いてみなきゃ、わかんない」。でも、50曲くらいは集めたように思います。もちろんそのときにはまだ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のジャック・ケラー特集なんて聴いていません。

で、僕にとっては待ちに待ったジャック・ケラー特集の日がやってきます。


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by hinaseno | 2017-02-14 12:42 | 音楽 | Comments(0)

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ところで野口久和ザ・ビッグバンド with BREEZEのライブのMCで、石川さんの名前は出されませんでしたが、野口さんにペリー・コモの「Beats There A Heart So True」を教えた人(もちろん石川さんです)は『レコード・コレクターズ』という雑誌の「コレクター紳士録」に登場した方だという話がされていました。

石川さんが「コレクター紳士録」に登場したのは『レコード・コレクターズ』の2009年4月号。

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当然のことながら大瀧さんの話も出てきます。初めて大瀧さんからメールが来た日のこと。そして僕が石川さんのことを知るきっかけになった例の「Polka Dots And Moonbeams」にまつわる話も。


「ジャズのファンってああいうポップスは聞かない、ポップスのファンはジャズを聞かないと。でも、大瀧さんはそういう知識を幅広く持っているので、そこが面白いんですね」

と語られています。その通りですね。

余談ですが「コレクター紳士録」には石川さんがアゲインを始められる前に翻訳会社に勤められていたことにも少し触れられています。この翻訳会社の社長が平川克美さんで同じ会社には内田樹先生がいたということなんて、これを書いた人も読んだ人もだれも知らないはず。


さて、話はペリー・コモのこと。

僕が初めてペリー・コモを意識したきっかけはやはり大瀧さんでした。2007年1月14日に放送された新春放談で大瀧さんがこんなことを言ったんですね。


「ペリー・コモとか上手いよ~。ほんっとに上手い。なんであんなに上手いのかね」

このときにはフランク・シナトラやビング・クロスビーやトニー・ベネットなどのポピュラー歌手の名前があがるのですが、歌の上手さに関してはペリー・コモが格別だと。

それにしてもこのときの大瀧さんの発言は僕にとってはすごく意外なもので、かなり驚いた記憶があります。大瀧さんもこういった音楽を聴かれるんだなとそのときに初めて知りました。僕は当時ジャズ・ボーカルを結構聴くようになってましたが(ただし偏っていました)ペリー・コモに関しては全くのノー・マーク。ということでこの日の放送でかかった「It’s Impossible」の入ったCDなど、ペリー・コモのCDを何枚か買いました。ただ、代表曲をかなり数多く収めたCDにも「Beats There A Heart So True」は収録されていませんでしたが。


このあとに大瀧さんのポピュラーミュージックへの知識を思い知らされたのが2012年3月26日から始まった『アメリカン・ポップス伝』でした。野口さんが大瀧さんの知識に驚かれていたのも、おそらくはこの日の放送を聴かれてのことだろうと思います。

この記念すべき最初の放送のテーマは1956年にナンバーワンになったエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」の登場がいかに衝撃的なものであったかを実証すること。そこで大瀧さんがしたのはエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」が登場するまでにどんな曲が流行っていたかを紹介することでした。ここで数多くのポピュラーミュージックがかかるんですね。一応大瀧さんは1951年からナンバーワンになった曲をかけることにするんですが、ただ単に曲を並べただけじゃんと思う人がいたら大間違い。それぞれの曲の一番の聴かせどころをつなげて時々コメントをはさみながら50分の放送で200曲あまりの曲をかけるわけですが、それぞれの曲の聴かせどころを熟知していなければとてもあんな編集はできません。

で、この記念すべき第一回目の放送の最初の曲が実はペリー・コモなんですね。「If」という曲。時間の関係とかいろんなことを考えて1951年からにされたのだとは思いますが、改めて考えてみると、やはりペリー・コモから始めようと意図したのかもしれません。1951年のナンバーワン・ヒットをかけた後にこんなこんな言葉が出て来ます。


「戦前はビング・クロスビーの一人舞台だったわけですけれども、戦後はペリー・コモが一番人気でしたね」

ペリー・コモの曲はこのあと1952年、1953年、1954年にそれぞれ1曲ずつナンバーワン・ソングがかかります。エルヴィスが登場した1956年にはナンバーワンになった曲はありませんが、翌1957年にはまたナンバーワンソングを出しています。「Beats There A Heart So True」が発売された1958年も、ナンバーワン・ソングは出なかったものの「Catch a Falling Star」は全米2位の大ヒット。B面だったバカラック作曲の「Magic Moments」も全米4位の大ヒット。ジャック・ケラーが「Beats There A Heart So True」を書いたのはそんな状況。でも、このときジャック・ケラーはまだ駆け出しだったんですね。ヒット曲はひとつもない。すごいプレッシャーだったんじゃないでしょうか。

ただこのとき彼には支えになってくれる存在がいました。それが作詞家のノエル・シャーマン。有名なシャーマン兄弟の弟ですね。この時期彼は兄のジョー・シャーマンと仲違いしていたこともあって他の作曲家を探していて、見つけたのがジャック・ケラーだったようです。2人が共作した曲は20曲ほど。僕の手元には14曲ありますが、とにかくいろんなタイプの曲を作っています。ティーンネイジャーのたわいもない曲から「Beats There A Heart So True」のような大人の曲までさまざま。ノエル・シャーマンからいろんなタイプの曲作りを教わっていたんでしょうね。

それにしても曲作りの経験を多く積んでのことであるならば理解できますが、「Beats There A Heart So True」はジャック・ケラーにとっては最初期の、彼がまだ21歳のときの作品。驚きますね。

彼は翌年にアルドン・ミュージックと契約して、ティーンネイジャー(でない人もいるけど)のアイドル向けの曲を量産することになって、こういう大人の路線の曲を作ることはなくなります。


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by hinaseno | 2017-02-13 14:47 | 音楽 | Comments(0)

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昨日紹介した野口久和ザ・ビッグバンド with BREEZEのライブのMC中で、野口さんがペリー・コモの「Beats There A Heart So True」を知ったきっかけとして紹介されている武蔵小山のライブハウスのオーナーというのはもちろんアゲインの石川茂樹さんのこと。

石川さんは数日前に野口さんからライブで「Beats There A Heart So True」を演奏するということを聞かされていました。ただ、ライブの日は石川さんの店でもライブの予定が入っていたために野口さんのライブに行くのは難しいと伝えていたようです。でも、絶対に行っておかなければということで、無理をしてライブに向かわれたんですね。

当日、ライブ会場はかなりの客がいたようで、野口さんはそこに石川さんが来られていたことを知りません。そんな中であのMCがあったんですね。さらに総勢17人からなるビッグバンドの演奏をバックにBREEZEの素晴らしいコーラスにとって石川さんの大好きな「Beats There A Heart So True」が歌われます。石川さんがどれほど興奮し感動されたか、他人事ながら心が震えます。

ちなみに野口さんのライブが行われたのは2012年9月3日。石川さんがその日のことを書かれてブログにアップされたのが翌9月4日。実は僕がこのブログを始めたのがまさにその日、2012年9月4日でした。つまり石川さんが「Beats There A Heart So True」にまつわる話を書かれているのを読んでから、僕はブログを始めようと決心したんですね。

翌日、僕は石川さんに、前日のブログに書かれていた話の感想とともに、僕もブログを始めましたということを伝えるメールを送ります。

その日の石川さんからの返事。ちょっと紹介します。


ペリー・コモのあの曲、何だかドラマになってしまい、一人で感動しております。あそこから得た教訓は常にメッセージは出しておくことが大事だということです。

今考えれば、「常にメッセージは出しておくことが大事」だという石川さんが得た教訓を僕なりに強く感じたからこそ僕はブログを始める決心をしたんだと思います。まあ、ブログなんて多くの人が気軽にやっているわけで「決心」なんて気持ちを持たなくてもやれるものなんですが、僕はどうしようかとぐずぐずしていた時期が長かったので、まさに「Beats There A Heart So True」が僕の背中を押してくれたんですね。

石川さんからはさらにこんな嬉しい言葉もいただきました。


ブログを始めたことを心から喜びたいと思います。貴方の視点は今の世の中にあって大変貴重な存在だと思います。時々参考にさせていただいております。是非貴重なメッセージを発信してください。少なくとも私はフォローしますので。

今読んでも泣けてしまうくらいにうれしい言葉。僕にとっての「Beats There A Heart So True」はこんな思い出と結びついているんですね。でも、まさかこの曲が僕にとってもこんなに大切な曲になるとは思ってもみませんでした。

ところで、僕が石川さんに送ったメールにはこんなことを書きました。


川本三郎さんがよく使われる表現をすれば、「Beats There A Heart So True」という曲は石川さんが発見されたと言っても過言ではないと思います。

ここで川本三郎さんの名前を出したのは、川本さんがしばしば発見という言葉を使われるから。たとえば川本さんの『白秋望景』にこんな言葉が出てきます。


 風景はいつも発見されるものだ。前からそこにありながら、誰もそれに気がつかなかったものが、ひとたび意識して見つめられる時に、新しい風景としての意味を持ってくる。
 武蔵野の雑木林は国木田独歩によって発見された。東京の下町、そして路地は永井荷風によって発見された。夏目漱石の『草枕』にある「ターナーが汽車を写すまで汽車の美を解せず」という言葉にならえば、独歩が登場するまでわれわれは雑木林を知らず、荷風が描くまで路地の美しさを知らなかった。

音楽も風景と同じように(単なる比喩ではなく僕にとっては音楽と風景は同じ価値を持っています)、前からそこにありながら、誰もそれに気がつかなかったものが、ひとたび意識して聴かれる時に、新しい音楽としての意味を持ってくるんですね。発見者がいなければすぐに忘れられてしまう。「Beats There A Heart So True」という曲は、達郎さんがラジオの番組でかけたとはいえ、石川さんのような発見者がいなければそれだけで終わっていました。実際僕はその日の放送を聴いていて、録音もして何度も聴いていたのに聴き流していたんですから。

でも、あとでわかったことですが、この曲には第一発見者がいたんですね。シングルのB面にひっそりと収められていたこの曲をジャック・ケラーが書いた曲として見つけていた人が。もちろんそれが大瀧さんでした。


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by hinaseno | 2017-02-12 12:13 | 音楽 | Comments(0)

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2012年9月3日。場所は秋葉原にあるTokyo TUCというジャズのライブハウス。この日出演していたのは野口久和ザ・ビッグバンド with BREEZE。BREEZEはジャズのコーラスグループ。グループ名のBREEZEはあの和田誠さんにいただいたもの。

この日のライブでは、まず最初に野口久和ザ・ビッグバンドが何曲か演奏。それからコーラスグループのBREEZEが加わってビッグバンドとともに1曲。で、次の曲が歌われる前にこんなMCが始まります。やりとりをしているのはBREEZEのメンバーの一人、磯貝たかあきさん(好きな海外のアーティストはフランク・シナトラとペリー・コモ)とバンドリーダーの野口久和さん。


「じゃあ、次の曲に行きたいと思いますが、次の曲は今日のライブのために野口さんが新しくアレンジしてくださった曲なんですが、これはちょっと知る人ぞ知るといいましょうか。ねえ、野口さん」
「もしもこの中で、この曲を聴いたことがあるっていう人がいらっしゃったら相当なマニアというか…」
「そうですよね」
「実は僕も最近までこの曲を知らなかったんですけれども、うちの近所の、武蔵小山という町なんですが、そこにライブハウスがありまして、ジャズのライブハウスではないんですけれど、僕もポップスのバンドをやっていて出たりしてるんですけど、そこのオーナーがポピュラー・ミュージックにとても造詣が深い方で、たとえば『レコード・コレクターズ』って雑誌がありますけど、あれの「コレクター紳士録」に登場した方で、それでジャズ畑の方ではないですけど、たとえば大瀧詠一さんみたいな方と交流があって。で、実は大瀧詠一さんという方は、皆さんはポップスの『ロング・バケーション』とかのイメージがあるでしょうけど、あの方ぐらいアメリカン・ポピュラー・ミュージックのスタンダードに詳しい方もいないんですね。で、ご自分でラジオの番組をやってレヴューしてて、それこそ亡くなった青木啓(あおきひらく)先生に次ぐくらいの知識を持っている。もう下手な話ね、そこらのジャズメンよりも全然曲を知っていますよ、特にスタンダードを。大瀧さんとか山下達郎さんはね。
 それでこれからBREEZEの歌う曲は、ライブハウスのマスターが山下達郎さんの番組でかかって、ペリー・コモが歌っている曲なんですけどね、それを聴いて気に入った曲だと。それを僕は情報をキャッチして聴いてみたら素晴らしい曲で、じゃあ早速BREEZEでも歌ってもらって、ビッグバンドの新曲としてやろうと。で、今日初めてみなさんに聴いてもらおうと。たぶん初めてお聴きになる人がほとんどだろうと思います」
「メロディーはとても温かい感じなんですけれども内容はちょっと悲しくて、あなたが僕のもとを去ってしまって、僕は何か悪いことをしてしまったのか、この愛は本当だったんだろうか、そしてこの先、僕の前にまた真実の愛が現れるんだろうかという詞ですね。 
 ではお送りしましょう。『Beats There A Heart So True』」


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by hinaseno | 2017-02-11 11:01 | 音楽 | Comments(0)

スロウな本屋へ(2/2)


スロウな本屋さんは、ナビを使わなければわからない、まさに隠れ家のような場所にありました。

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近くの大きな道は車で何度も通っていたけど、一歩入ったところにこんな場所があったとは。なんともいい場所、いい家を見つけたものです。店主の小倉さんからこの家を見つけた話もうかがいましたが、とても興味深い話でした。いいものを見つける眼と、確かな感覚を持った人とつながる力(運)をお持ちのようです。

ちなみに小倉さんの出身地は和気。山陽線の駅でいえば三石のとなりのとなり。和気清麻呂さんの和気です。

さて、古い民家を改装した店内もなんとも素敵でした。その名の通り外の世界とは隔絶されたスロウな時間が流れていて、いつまでもいたくなるような場所。

玄関から建物に入って(靴を脱いで上がります)最初に目に飛び込むのがこのスペース。

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もともと押入れがあった場所を改装してるんですね。絵本中心の児童書がずらっと並んでいて(星野道夫の本はこちらにいくつかありました)、子供達は下のスペースで、ゴロゴロしながら絵本を読めるようになっています。子供が喜ぶような工夫も。行ってのお楽しみです。

アラジンのストーブが置かれている奥の部屋には基本的には大人が読む本が並んでいます。

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とはいっても、僕が行っていたときには母親に連れられた4~5歳くらいの女の子がこっちの部屋にも入ってきていろんな本に手を伸ばしていました。場所も、そして本も区別があってないようなもの。

ジャンルは多岐にわたっていますが、店主の確かな考えが伝わってくるような本が並んでいます。持っている本もあれば、ネット等で目にして気になっていたものの実際に手に取る機会がなかったような本もいっぱい。小さな声で語られる、ささやかだけれど大切なこと特別なことが書かれているはずの本ばかり。全て新刊ですがこれだけの本をよく集められたなと感心しました。大きな書店に行けば置かれているのかもしれませんが、いろんなコーナーに足を運ばなければならないし、たくさんの本の中から気づくのは大変そう。

平川克美さんの『言葉が鍛えられる場所』は平積みにされていました。Facebookやサイトの紹介ページで取り上げたら反響があったようで、かなりの数が売れたそうです。ちなみに平川さんのことは『小商いのすすめ』を読んで好きになられたとのこと。店にはほかにも『「消費」をやめる』や『何かのためではない、特別なこと』がありました。そういえば僕がサウダージ・ブックスから出版された原民喜の『幼年画』を読んだきっかけは平川さんの『何かのためではない、特別なこと』に収録された書評でした。

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ところで、店主の小倉さんも昨年の秋に旧内山下小学校で開かれた建築家の光嶋裕介さんと岡山大学文学部准教授の松村圭一郎さんとミシマ社代表の三島邦弘さんによるトークイベントに行かれていたそうで、どうやらその日にミシマ社さんとの縁ができたようで、昨日は岡大で三島さんと松村さんとトークイベントを行われたようです。行きたかったけど時間の都合が合わず行けませんでした。どんな話がされたんでしょうか。またお店の方に伺って聴いてみようと思います。


ところでスロウな本屋さんで買った本を一つだけ紹介。児童書の部屋で買ったこの『赤い蝋燭と人魚』(小川未明 文 酒井駒子 絵)。

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実はこの『赤い蝋燭と人魚』には苦い思い出があって、それを書くと話が長くなるけど一応書いておきます。

話は中学3年生の夏休み明けのこと。その日は死ぬほど嫌いだった読書感想文の発表会。読書感想文って本当に読書嫌いにしますね。しかもその発表会のようなものがあったから最悪でした。読書感想文の発表会のたぶん最後くらいに、一人の女の子が読んだ本が紹介されました。彼女はとてもおとなしい子。今思えば、ちょっと知恵遅れの子だったかもしれない。勉強もまったくできなくて、授業中にその子があたると授業が進まなくなってしまう。

その子が紹介したのが『赤い蝋燭と人魚』の絵本でした。

先生がその本を出したときに「絵本じゃん。ずるい」とクラスのだれかが言いました。するとあちこちから「ずるい、ずるい」の声。僕が「ずるい」という声を発した中のひとりにいたかどうかは覚えていないけど(最初に「絵本じゃん。ずるい」と言ったのが僕かもしれない)、心の中で中学3年生にもなって絵本の感想文を書くなんてとちょっとばかにした気持ちになっていました。

彼女は真っ赤になってずっとうつむいていたけど、そのうちに泣き出してしまいました。たぶん先生は絵本でも素晴らしい本があるんですとか言っていたはずだけど、その声はクラスの多くの人間には届くことはありませんでした。

覚えているのはこれだけ。でも、この日のことがなんとも苦い思い出としてずっと残っているんですね。何かあるたびに思い出してしまう。きっとクラスの人はみんな忘れてるだろうけど。当事者だった彼女はどうなんだろう。


それから何年かたったある日、たぶんどこかの図書館で『赤い蝋燭と人魚』を目にして、あの日の苦い思い出がよみがえって、ちょっと手にとって読んだらなんだか気持ちの悪い話ですぐに本を戻してしまいました。


一昨年に高橋和枝さんが絵を描かれた『月夜とめがね』の話が素晴らしくて作者の小川未明のことが気になって、本の最後のページの作者の紹介のところを見たら最初に書かれていたのがまさに『赤い蝋燭と人魚』。これは機会があればきちんと読まなければと思いました。

で、また『赤い蝋燭と人魚』のことをちょっと忘れていたのですが、先日読んだ『小泉今日子 書評集』に取り上げられていたのが酒井駒子さんが絵を描かれた『赤い蝋燭と人魚』でした。これは絶対に読まなくてはと思っていたときにスロウな本屋さんで出会ったんですね。

あの日以来初めて手にとってきちんと読みましたが、すごい話でした。こんな深い悲しみをたたえた物語だったとは。あの当時、中学3年だった彼女はこの悲しみを受け止めることはできたんだろうかと思いました。いや、できたからこそ感想文に書くことができたんでしょうね。それは当時の僕はとても受け止めることのできない質の悲しみでした。

ところで、こんなことを書きながら僕はその彼女の顔を今思い出すことができない。アルバムを見てもわからない。彼女は一体誰だったんだろう。これは実際に起こった話だったんだろうか。何か記憶を封印しているような気がする。やはりあのとき最初に「絵本じゃん。ずるい」と言ったのは僕だったのかもしれない。


というわけで、次回は予告していた話に戻ります。


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by hinaseno | 2017-02-09 13:27 | 文学 | Comments(0)

スロウな本屋へ(1/2)


初めての本屋に足を運ぶのはいつになっても心がワクワクします。もちろん何度も足を運んでいる本屋に行くのもやはりワクワクするけど、その1.5倍くらいのワクワク感がありますね。


先日、スロウな本屋という本屋さんに行ってきました。場所は岡山市内の中心部の、ちょっとややこしいところ。2年前にオープンしていたそうですが知りませんでした。きっかけはこの『せとうち暮らし』という雑誌。

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そういえば結局書くことができなかったけど、昨年の暮れに久しぶりに神戸の元町に行った時に立ち寄ったのが1003という書店。近くに住んでいればきっと何度も通いたくなるようなとっても素敵な本屋でした。そこで買った本の一つが『瀬戸内海のスケッチ 黒島伝治作品集』。出版社はサウダージ・ブックス。この出版社、以前、原民喜の『幼年画』を倉敷の蟲文庫さんで買ったときから目をつけていました。サウダージ・ブックスは夏葉社と同じひとり出版社。でも、サウダージ・ブックスの本、なかなか普通の書店ではみかけないんですね。ちなみに『瀬戸内海のスケッチ 黒島伝治作品集』の選者は夏葉社から出版された上林暁の2冊の本と同じ山本善行さん。ということで悪かろうはずがありません。

1003には普通の書店には置かれていない、あるいは置かれていてもなかなか気づかないような本が並べられていましたが、真ん中のカウンターに近い長机に並べられていたのが『せとうち暮らし』という雑誌でした。たぶん創刊号から全部あったはず。ちょっと手にとってパラパラと見たらとてもいい本であることがわかりました。本当はゆっくり見たかったのですが時間がなかったのと、その前に立ち寄ったいくつかの本屋&レコード店でかなりの買い物をしていたので、また改めてということにしました。

で、戻って近くの書店に行ったら雑誌のコーナーに『せとうち暮らし』があったので購入。出版社は瀬戸内人。どうやらサウダージブックスという一人出版社をされていた方はこの瀬戸内人という出版社に入られたようで、絶版になっていた原民喜の『幼年画』も瀬戸内人から再版されています。

さて、この『せとうち暮らし』の最新号で紹介されていたのがスロウな本屋さんでした。場所は吉備路文学館の近く。ちょっと気になってサイトを覗いたらこれがびっくりだったんですね。こちらです。

まず目に飛び込んだ写真がこれ。

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下の段のいちばん向こう側に置かれているのは昨年度に僕が読んだ本の中でいちばんよかったと思っている平川克美さんの『言葉が鍛えられる場所』。その上には昨年復刊されたメイ・サートンの『独り居の日記』。そして手前には『須賀敦子の手紙』。

実は昨年暮れに姫路のおひさまゆうびん舎さんで開かれていた「私の本棚」展に僕の本棚の写真も貼っていただいていたのですが、どちらかといえば古い本を並べている中に、須賀敦子、高峰秀子とならべてメイ・サートンの『独り居の日記』を入れたんですね。その部分。

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この本に気がついて、へ~って思ってくれる人が一人でもいてくれたらうれしいなと思って、あえてメイ・サートンの『独り居の日記』を入れました。ちなみに川本三郎さんのエッセイ集『ひとり居の記』はそこからとられているんですね。そのメイ・サートンの『独り居の日記』と平川克美さんの『言葉が鍛えられる場所』が上下に並んで置かれているわけですから、とにかく驚いてしまいました。これは行かないわけにはいきません。というわけで、先日、久しぶりに気持ちよく晴れた日に、店からは結構遠い場所に車を駐めて歩いて行ってきました。


ところでそのスロウな本屋さんのサイトのイベントのところを見たらメイ・サートンの『独り居の日記』を定期的にされるとのこと。素晴らしいですね。参加したいな。


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by hinaseno | 2017-02-08 14:40 | 文学 | Comments(0)