Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧

<   2017年 01月 ( 23 )   > この月の画像一覧



昨夜、アゲインの石川さんからお電話。僕がブログに書いた武蔵新田近辺の話が、局地的ではあるけれど結構大きな反響をよんでいるとのこと。「きみは僕より詳しいから、今度武蔵新田を案内してくれ」と言われました。案内する自信、あります。


さて、僕が武蔵新田に関心を持つきっかけを与えてくれたのは武蔵新田のティールグリーンで絵本の原画展をされていた高橋和枝さん。

その高橋さんの待望の新刊が出ました。なんとあのくまくまちゃんシリーズの第3弾『くまくまちゃん、たびにでる』です。それにともなって絶版になっていた『くまくまちゃん』と『くまくまちゃんのいえ』も新たな装幀で復刊。『くまくまちゃんのいえ』は持っていなかったので、せっかくなので3冊まとめて買いに行きました。買ったお店はもちろん姫路のおひさまゆうびん舎。おひさまゆうびん舎では現在「かえってきた、くまくまちゃんフェア」を開催中。とても全部は気づけそうにないくらいに、店の至るところにくまくまちゃんがいっぱい。くまくまちゃん愛にあふれています。で、おひさまゆうびん舎さんで売られている本は高橋さんの直筆のサイン&イラスト入り。ここで買うべきですね。

a0285828_13005551.jpg

a0285828_14194677.jpg

a0285828_14195542.jpg


さて、おひさまゆうびん舎ほどではないけれど、僕の家でも何匹かのくまくまちゃんがお出迎え。そう、高橋さん手製のくまくまちゃんと、高橋さんのワークショップで学んだことをもとにして描いたくまくまトーンズ。

a0285828_13003478.jpg

くまくまちゃんは女性に大人気なんですが、店主の窪田さんによると大人の男の人も結構買っているそうです。うれしいですね。

くまくまちゃんの物語の語り手は「ぼく」、つまり男性なんですね。くまくまちゃんというのは女性ではなく男性が思い描いた存在。そこがポイント。ただただかわいいだけではない世界がそこにあるんです。

読んでいなかった『くまくまちゃんのいえ』ではその語り手の男性が登場します。20代の男性のようにも見えるし50代の男性に見えなくもない。

それから最新刊の『くまくまちゃん、たびにでる』もとても素敵な本でした。夜、窓から外を眺めている絵は最高。それからふっと大瀧さんのことを考えてしまう場面もありました。

高橋さんの絵本には日頃、特に男性は、と言ってもいいかもしれないけど、心の片隅に追いやってしまった感情をふっと呼び起こしてくれて、それをほっこりと癒してくれる力があります。その意味ではもっともっと男の人に読んでもらえたらと思っています。「くまくまちゃん」は大人の男の人にこそ読まれるべき絵本ではないかと。とにかく僕はくまくまちゃんに出会えてよかったなと。彼が僕の心の中の山奥に住みついた、いや、そこに住んでいることに気づかせてくれたことに感謝しています。


ところで、改めて考えてみると僕がくまくまちゃんに出会えたのも「快盗ルビイ」のおかげですね。あの曲の作詞を大瀧さんが和田誠さんに依頼したからこそ、僕は和田さんのことを知って和田さんのファンになり、和田さんが表紙を描いたマラマッドの『レンブラントの帽子』に目を止めることになり、で、夏葉社のことを知って、『さよならのあとで』を読んで、その挿画を描かれた高橋和枝さんのことを知ることができたのだから。

でも、正直にいうと、はじめて「快盗ルビイ」を聴いたとき、どうして歌詞を松本隆さんにしてくれなかったんだろうとかなり残念に思ったものでした。ディレクターの田村さんもきっとそれを期待していたんじゃないでしょうか。田村さんはインタビューで大瀧さんに作曲を了解してもらったときのことをこう話しています。


歌詞は?と聞くと大瀧さんは和田誠さんがいいという。和田さんは(映画の)監督ですよ(笑)。

やはりかなり意外だったんでしょうね。ちなみに『大瀧詠一SONG BOOK VOL.2』の解説で大瀧さんはこんなことを書いています。


 ビクター製作の同名の映画主題歌でしたが、監督は和田誠さんでした。作詞は映画制作関係者側には『探偵物語』の関係者も多かったので〈松本隆〉になるものだと思っていたようですが、私は和田誠さんご本人が面白いのではないかと考え依頼しました。最初は〈意外〉に受け取られたようですが〈脚韻〉を踏むなどの和田さんならではの詞となりました。

作詞家をだれにするかは大瀧さんの判断に委ねられていたんですね。普通に考えれば候補としては次の3人。1番手は「なんてったってアイドル」「夜明けのMew」「キスを止めないで」などの歌詞を書いていて当時ブレイクしていたあの秋元康。2番手は「まっ赤な女の子」「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」「ヤマトナデシコ七変化」などの歌詞を書いていた康珍化(かん ちんふぁ)。そしてもちろんはっぴいえんどからの盟友である松本隆。松本さんも小泉今日子さんには「迷宮のアンドローラ」や「水のルージュ」の歌詞を提供していました。そのときの作曲者は筒美京平さん。「木綿のハンカチーフ」コンビですね。

でも、改めて小泉さんの曲をいろいろ聴いてみると、松本さんの書いた叙情的な歌詞はなんとなく小泉さんに合わない気がします。たぶん大瀧さんもそれを感じたんでしょうね。で、松本さん以外でと考えて、当然、秋元康と康珍化が頭には浮かんだとは思いますが結局大瀧さんが選んだのが和田誠さん。和田さんの本をずっと読んできて、きっと曲の歌詞を書ける人だと直感したんでしょうね。

そして、出来上がった和田さんの遊び心いっぱいの歌詞は小泉さんにも「快盗ルビイ」という曲にもぴったりでした。和田さんの歌詞がなければ「快盗ルビイ」をこんなに好きになってはいなかったのではと思えるくらい。


ということで改めて和田誠さんの歌詞を貼っておきます。「脚韻」にどれだけ気づくことができるでしょうか。20箇所くらいあります。


誰かの熱いハート

いつでも恋はきらめく謎ね


ねらいをつけたら 

もう逃がさないから

海賊が埋めたあの宝 

手に入れたらすぐサヨナラ


キラキラ ダイヤモンド 

赤いルビイも 輝く夜

夢みれば上がる温度 

光るエメラルド 心はおどる


好きよ金銀サンゴ

憧れてたタンゴ

欲しいのはサファイア

それとも素敵なキス・オブ・ファイア


ヒミツの鍵穴 

やさしくかける わな

涙をかくしたあの戸棚 

思わず心に咲く花


誰かの熱いハート 

盗んでいたのいつのまにか

はばたく 天使の鳩 

今度の恋は たしかに間近


いつでも恋はきらめく謎ね

私は 私は 燃えるルビイ


[PR]
by hinaseno | 2017-01-30 13:02 | 雑記 | Comments(0)

「快盗ルビイ」の「ボール・ルーム・ヴァージョン」と『大瀧詠一SONG BOOK VOL.2』に収録されたヴァージョン(非売品のレコードでは「オン・エアー・ヴァージョン」と記載されているので、一応「オン・エアー・ヴァージョン」と表現することにします)の最も大きな違いはそのエンディング。

「ボール・ルーム・ヴァージョン」は、最後の♫私は 私は 燃えるルビイ~♫が歌われた後、約20秒間のストリングスとホーンによる壮大なエンディングがつけられています。その部分のアレンジは服部克久さんですね。完全にお任せしていたのか、大瀧さんのある程度の指示に従ってのことなのかは不明。

で、「オン・エアー・ヴァージョン」はというと、その部分はすべてカット。代わりに♫ルビ・ドゥビ・ルビ・ドゥビ…♫というフレーズが入れられています。この部分は1番の後に出てくる同じフレーズの演奏を貼り付けたのかもしれません。ただ、ポイントは♫燃えるルビイ~♫が終わって♫ルビ・ドゥビ・ルビ・ドゥビ…♫が出てくる前のドラム。「快盗ルビイ」のカラオケ・ヴァージョンを何度か聴いていたときにハッと気づくものがあったんですね。♫燃えるルビイ~♫と歌われる部分でいったん演奏がとぎれてすべての楽器の音が消える。そしてその後に聴かれるドラムの音。それはまさに「ペパーミント・ブルー」の最初に聴かれるドラムのフィル・インと全く同じものだと。きっとドラムの青山純さんに同じように叩かせたんだろうと考えていたんですが、例の「Each Timeヴァージョン」という言葉を見たときにひらめいたんですね。もしかしたら「ペパーミント・ブルー」のフィル・インを「快盗ルビイ」にそのまま使っているのではないかと。で、なんども聴き比べをしました。多少の音色の違いは感じられるものの、テンポも音の強弱もまったく同じ。

とするならばと考えたのが「オン・エアー・ヴァージョン」の最後のジャジャジャジャン。ここで聴かれるドラムは「夏のペーパーバック」のエンディングで3回繰り返されるものと同じ。この日のブログで紹介したように「快盗ルビイ」にはいろんな曲を取り入れているのですが、どうやら大瀧さんは最後にご自身の『EACH TIME』を代表する2曲の「ペパーミント・ブルー」と「夏のペーパーバック」を入れたようです。今頃気づいたかって大瀧さんに言われそう。

「ボール・ルーム・ヴァージョン」との違いが最もよく表れているのが最後の部分なので、「ボール・ルーム・ヴァージョン」と区別するために大瀧さんはどこかででポロっと「Each Timeヴァージョン」と言ったのかもしれません。


ところでYouTubeに貼られたこの画像。




テレビ番組で小泉今日子さんが「快盗ルビイ」を歌っているビデオですが、これ、なんとエンディング付きのカ

ラオケ(カセットテープに収録されたもの。ただし何箇所か編集でカットしていますが)で歌っていますね。2:32で「ペパーミント・ブルー」のフィル・イン、最後に「夏のペーパーバック」のエンディングのドラムを聴けます。

一応、「ペパーミント・ブルー」も貼っておきます。




[PR]
by hinaseno | 2017-01-29 12:11 | ナイアガラ | Comments(0)

「快盗ルビイ」の「Each Timeヴァージョン」という言葉をネット上のサイトで見つけたものの、それが収録されているのは非売品のプロモーション用のレコードのB面だと書かれているのに同じサイトのそのレコードの説明にはEach Timeヴァージョンのことは一言も触れておらず、B面は「On Air Version」というもので『大瀧詠一SONG BOOK VOL.2』に収録されているものと同じとの記載があるだけ。なんだかわけがわからない。

ってことでそのサイトを運営している方に事の真相を尋ねてみようかと思ったけれど、運よくその非売品のプロモーション用のレコードを手に入れることができたので、ジャケットやらレコード盤を目を皿のようにしてくまなく見てみました。でも残念ながらどこにも「Each Timeヴァージョン」なんて記載はありません。書かれているのは「On Air Version」だけ。曲は『大瀧詠一SONG BOOK VOL.2』に収録されているエンディング付きのヴァージョンとまったく同じ。なんだかな~と思っていたときにハッと気がついたことがあったんですね。実際には1週間ほど前に「快盗ルビイ」のカラオケ・ヴァージョンを聴き続けていたときに気がついたことでしたが。それにつながったんですね。

もしかしたら、僕が聴いていないラジオ番組、あるいは僕が読んでいない本のインタビューで、大瀧さんは「ボール・ルーム・ヴァージョン」に対して便宜上「Each Timeヴァージョン」という言葉をぽろっと使っていたのかもしれなと。そして僕が気がついたことはまさにその確かな証拠ではないかと。なんだか『銀座二十四帖』のあの場所を見つけたときと同じ気分になってしまいました。

これを説明するためには非売品のプロモーション用のレコードのA面に収録された「ボール・ルーム・ヴァージョン」のことから話を始める必要があります。


僕が初めて「快盗ルビイ」の「ボール・ルーム・ヴァージョン」を聴いたのは1989年1月5日放送の「新春放談」でした。この頃の新春放談は萩原健太さんの番組で放送されていたので、萩原健太さんが司会をする形での大瀧さん、山下達郎さん、そして健太さんの3人の対談になっています。その「快盗ルビイ」に関する話から。


萩原:大瀧さん久々のアイドルもの、アイドル・ポップですね。今回は映画音楽ということで結構…
大瀧:和田誠さんということで、映画を見るようになったのも小林信彦さんとか和田誠さんとか、そういう本を読んで古い映画とかを見て、それで理解がいっそう深まったというかね。だからそういうことがあるんで、そういうお話をいただいて、一度そういう話であればね、これはまたとない機会だと思って。
萩原:今回も結構凝ってますよね。
大瀧:でしょうかね。普通にやったんですけどもね。
萩原:面白かったのは、もうすでにベストテン番組とか歌番組とかに出てきてて、その流れの中で聴いたときのこの曲っていうのはおもしろい響き方をしてますね。
大瀧:本当は映画の中だけで使われてもらえればホントによかったんだけどね。本当は。
萩原:まあ、そうですよね。その辺、両立させるの難しかったでしょ、ある意味じゃ。
大瀧:両立も考えなきゃいけないでしょ。たとえばだから映画だからっていうことでぐっと強引に押そうと思えば押せるわけなんだけども、テレビとか出て歌ったりもしなきゃいけないし、なんかすごく難しかったですよね、そういう意味ではね。
萩原:まあ、でもその折衷のところに…
大瀧:折衷のところでしたね、ちょうど。
山下:大瀧さんの作る音はテレビで再現するのが難しいでしょ。
大瀧:音自体は、前からここ7、8年ぐらいは。それは歌う人が気の毒でね。それはまあ山下君も同じことで、よくわかってると思うんだけれども、とびっきりの音をレコーディングで作っちゃって、そのカラオケで気持ちよく歌うわけだから、それと同じオケには絶対になり得ないわけなんですよね。そういうライブというのは。歌う人がいつも、あっ、こういうのじゃない、こういうのじゃないっというふうに思ったりするからね。歌う人が大変なんですよね。そう意味では。ライブはね。レコードはよく、彼女(小泉今日子さん)は歌っていると思いますよ。
萩原:でも、ホントに久しぶりのレコーディングで…
大瀧:レコーディングはクレージーキャッツ以来でしたからね。
萩原:(笑)
大瀧:3年ぶりぐらい。
山下:トニー谷以来ですかね?
萩原:スタジオにこもったのは。
大瀧:一応はね。昨年はトニー谷のダンス・ミックスというのでスタートしましたから、ずっとお笑いの路線で行ってましたけれども。
萩原:今年はキュートなポップスものにきたわけですけども、今日はちょっとあの「ボール・ルーム・ヴァージョン」というのをね。
大瀧:これ、シングルでいつもラジオとかでかかっているのじゃなくて、特別なヴァージョン。
萩原:これの方がね、途中のサビなんかのところの遊び心の部分。結構色々聴かれてきたりして。
山下:どう違うんですか?
大瀧:「ボール・ルーム・ヴァージョン」はですね、一発録りの音なんですよ。で、シングルで出したのはドラム以外を全部少しクリアにしようということで全部ダビングして、少し、ほんのちょっとビートを少しつけたという。で、こっち(「ボール・ルーム・ヴァージョン」)はゆったりめに、聴いてるとのんびりしちゃうというか。これをだから、あれなんですよね、ちょっと長くなって申し訳ないんだけど。
萩原:いえいえ。
大瀧:映画館なんかでレコード・ヴァージョンをそのまま聴くとシラケるんですよ。
山下:確かにね。
大瀧:で、それから外向きのテンポっていうのはちょっと速くて、一時間半くらい座ってて聴いてると速いテンポをやられると落ち着かないんですよ。で、映画館で聴いてちょうどいいテンポというのをテレビとかそういうところで聴くとホントに遅いんです。
山下・萩原:(笑)
大瀧:何年か前の、ってうふうにどうしてもなっちゃうんです。
山下:確かにね。
大瀧:で、同じテンポで、ノリを変えてやってみたんです。ゆったりしたのと、ちょっとアップテンポと。そういうことができるのかどうかっていうのをちょっとやってみたんですけども。
山下:深い!

改めてこれを聴いてそうだったのかということばかり。いくつも目からウロコが落ちてしまいました。

大瀧さんが「快盗ルビイ」として最初にレコーディングしたのがまさに「ボール・ルーム・ヴァージョン」だったんですね。例によって一発録り。大瀧さんの話の中にあるように「映画の中だけで使われ」るものとして作ったようですね。でも、ラジオでもオン・エアーするためのシングル盤も出し、さらにテレビでも歌うのにそれをそのまま使うのはどうかと考えて、で、テンポは代えないけれどもアップテンポに感じられるようにダビングをして作ったのが「オン・エアー・ヴァージョン」。

さらに、よく聴けばわかるのですが、実際にシングルカットされたヴァージョンは、その「オン・エアー・ヴァージョン」の最後の♫ルビ・ドゥビ・ドゥビ・ドゥビ、ジャジャジャジャン♫の部分が出てくる前にフェードアウトさせたもの。

ところが、どうやら映画では(実は見ていません)大瀧さんとしては最初に映画に使われることを考えて作った「ボール・ルーム・ヴァージョン」ではなく、「オン・エアー・ヴァージョン」をさらにフェードアウトした「シングル・ヴァージョン」を使ったようですね。

ということで「ボール・ルーム・ヴァージョン」も「オン・エアー・ヴァージョン」もボツになったようです。ただしそれらをオクラ入りさせてしまうのはもったいないと考えた小泉さんのディレクターの田村さんがそれをいろんな形で公にしていったんですね。でも、なんの説明もないから、まるでそれらがあとで別個に作られたように思ってしまっていたわけです。


さて、それではなぜ、そのエンディング付きの「オン・エアー・ヴァージョン」が「Each Timeヴァージョン」と呼べるものなのか。

これに関してはまた次回に。

それにしても「快盗ルビイ」は深い! 深すぎる!


[PR]
by hinaseno | 2017-01-28 12:26 | Comments(0)

「快盗ルビイ」のヴァージョンを調べていたら知らないものまでいろいろと。ちょっと整理しておきます。


①オリジナル・シングル・ヴァージョン

1988年10月26日に発売されたレコードとCDシングルに収録されたもの。最後はフェイドアウト。

a0285828_13232157.jpg

②エンディング付きヴァージョン

フェイドアウトではなくエンディング付きのもの。1995年3月24日発売の『大瀧詠一SONG BOOK VOL.2』に収録されていたのを聴いて初めて知りましたが、最初に発表されたのは1988年にプロモーション用に作られた非売品のレコードのB面に収録されたオン・エアー・ヴァージョン(On Air Version)と記されたもの。

これ、最近手に入れました。

a0285828_13233508.jpg

③カラオケ・ヴァージョン(フェイドアウト)

1991年に「キスを止めないで」とカップリングして発売されたCDシングルに収録。①のカラオケ。

a0285828_13235555.jpg

④カラオケ・ヴァージョン(エンディング付き)

レコードやCDシングルが発売された時にどうやら同時に発売されていたカセットテープに収録されているようです。②のカラオケですね。こんなのがあったなんて知りませんでした。手に入れたいけど、カセットテープの再生機はもうないし…。


⑤ボール・ルーム・ヴァージョン(Ball-Room Version)

先ほどの非売品のプロモーション用のレコードのA面に収録。1988年12月17日発売の『Best of Kyong King』に収録されていて、現在、iTunes Storeやアマゾンでもダウンロードできます。僕が初めて聴いたのは1989年1月5日放送の「新春放談」でした。


⑥小泉今日子&大瀧詠一デュエット・ヴァージョン

2002年12月18日発売の『KYON3 ~KOIZUMI the Great 51~』に収録されたもの。②とその仮歌(ガイドヴォーカル)である⑦をミックスして作っています。二人がマイクの前でいっしょにデュエットしたわけではありません。


⑦大瀧さんのソロ・ヴァージョン

2016年3月21日発売の大瀧詠一の『DEBUT AGAIN』に収録。オケは②と同じ。


⑧ムービー・バージョン

映画『快盗ルビイ』のサントラ盤の最後に収録されたもの。サントラ盤をもっていないので確かではありませんが、アレンジが八木正生さんということなので、おそらくジャズにアレンジされたものだろうと思います。


さて、ネットを調べていたら、Each Timeヴァージョンというのがあると書かれていて、ちょっと色めき立ってしまいました。ただしEach Timeヴァージョンのことを書いているのはそのブログだけ。例のプロモーション用のレコードのB面に収録されていて「『Each Time』をちょっと意識した感じのミックスの物」なんて書かれているけど、実際は(On Air Version)と記載されたエンディング付きのヴァージョン。どういうこと?


でも、実はちょっと前にあることに気がついていて、もしかしたらあれかな、と。

それについては次回に。


[PR]
by hinaseno | 2017-01-27 13:25 | ナイアガラ | Comments(0)

今回は小泉今日子さんの話を中心に、と思っていましたが、やはり「快盗ルビイ」のことをもう少し書いてみたくなりました。最近、気づいたことも含めて書きたいことがいっぱいあるので。


さて、一口に「快盗ルビイ」といっても、実際にはいろんなヴァージョンが存在します。たぶん聖子ちゃんに提供した曲もきっといろんなヴァージョンが存在しているんだろうとは思いますが、公になっているのは「風立ちぬ」のカラオケヴァージョンとCMヴァージョンくらい。キョンキョンのが多いのは、やはりディレクターの田村さんがナイアガラーだったからこそでしょうね。

「快盗ルビイ」のヴァージョン違いについてはまた改めて触れますが、僕たちが最も心ときめいたのは2002年に発売された小泉さんのベストアルバム『KYON3 ~KOIZUMI THE GREAT 51』に収録されたこの「小泉今日子&大瀧詠一デュエット・ヴァージョン」ですね(実はアルバムは持っていないんだけど)。




これに関しては2003年1月12日に放送された新春放談で興味深い話が語られています。昨年発売された大瀧さんの『DEBUT AGAIN』にも関連する話。『DEBUT AGAIN』は一応大瀧さん本人によるセルフカヴァーのアルバムということになりますが、「快盗ルビイ」に関しては小泉さんが歌うためのガイドボーカルとして録音された仮歌ですね。

前回紹介した田村さんのインタビューで、田村さんはこんな話をされていました。


「僕は彼女の歌入れは全部やっているのですが、この曲だけは大瀧さんです。だから他の曲ともしかしたら雰囲気が違うかもしれません。大瀧さんの仮歌入れも大瀧さんはスタジオに鍵をかけて、外に監督やら映画のプロデューサーをひたすら待たせているので、ロビーはとんでもない圧迫感」

『DEBUT AGAIN』に収録されたその仮歌を小泉さんの歌ったものとミックスしてデュエット・ヴァージョンを作ろうと思いついたのも田村さんでした。でも、そこにはやはり”たまたま偶然”があったわけです。

というわけで新春放談のその部分を。


山下:去年はもう1個、あの、キョンキョンの…。
大瀧:ありました。
山下:あれはいきなりどうしたんですか?
大瀧:あれはね、人に提供した曲っていうのは僕はあんまりやってないんですよね。基本的には。「夏のリビエラ」とか、あのくらいしかない。
山下:セルフカバーっていうのはほとんどやりませんもんね。
大瀧:書いたものはそのまま、その人に向けて書いたのでね。なけなしの才能をね、なんとかがんばって。あと、キーが全く別だからね。
山下:なるほど。キーも神経質ですからね、大瀧さんはね。
大瀧:キーはね。僕ね、キーがちょっと違うと全部下手になるのよ。もともと下手なんだけれども、うまくない。ピッチは悪いんだけれども、とにかくね、キーが合わないと、ずーっと下手なのよ。あれって不思議だね。
山下:そんなもんですよ。
大瀧:そーお?
山下:絶対そうですよ。半音違っただけで全然歌違いますもん。
大瀧:その半音の間にいっぱいあるんだ、ポイントが。半音違ったらもう全く別の歌。だから男と女なんかまるでそうでしょ。例えば小泉の場合なんかでも、彼女の場合は上がCだから1つ低いんですよ。だから「暗いね」とか、デモテープ聴いて。暗いも何もないでしょ、男が歌を歌うにはあれっきゃないんだからさぁ。
山下:ホントそうですよね。
大瀧:そういうのもあるし。あとはまあ、提供の曲はあまり自分でやらないようにってこともやってたんだけども、これはねぇ、たまたま偶然に当時のスタッフだった相茶君(おそらく相茶紀緒さん)と会ってね。お父さんのお葬式だったんだけれども。その時に担当ディレクターの田村と会って「いやあ久々に『怪盗ルビイ』聴いたら良かったよ」って僕が言ったのがきっかけだったのよ。それでなんかアイデアが閃いたらしくて、「デュエット、どうでしょうか?」って言われて、「いや、あんまり…」と思って断ろうと思ったんだけれど。どうもね、なんか相茶君のお父さんのお導きじゃないかっていうふうに僕はそういうふうにすぐにとる方なんですね。それで、あっ、これはやれって言われたんだなって思ったんで、それでやってみたんですけど。
山下:あれは仮歌なんですか、じゃあ?
大瀧:仮歌。
山下:あの当時の声なんですか?
大瀧:当時。2回ぐらいっきゃ歌ってないと思うんだよね。気軽にこんな感
じかなあとかいう。
山下:要するに仮歌っていうガイドヴォーカルですか?
大瀧:ガイドヴォーカル。
山下:じゃあキョンキョンはあれを聴いて。
大瀧:あれを聴いて。だから随分あの通りに歌ってたみたいよ。

ところで大瀧さんの『DEBUT AGAIN』が出たときに、本人の意思を無視して勝手にセルフカバーのアルバムなんか出すべきではないというようなことをアマゾンのコメント欄に書いていた人がいましたが、おそらくこの日の新春放談で語られた大瀧さんの言葉を覚えていたんでしょうね。ときどきこういう原理主義的なナイアガラーがいて、なんだかなぁ…となってしまうことがあります。

実はこの日の新春放談ではこのあとこんな話も出てくるんです。これがまさに大瀧さんらしい話なんですね。


山下:いろんな人知ってるけど、絶対にイヤだっつったら、絶対に最後までイヤだっつって通した人って、僕の人生で見てる限り3人くらいしか見たことないけど、大瀧さんは絶対にイヤだって言ったら絶対にやんないもんね。
大瀧:やんないときはやんないですね。
山下:やんないときはやんない。いいじゃないのと思うんだけど。頑固ものと言ってみればそれまでだけど。
大瀧:いや、頑固者はあなた。
山下:(笑)
大瀧:僕は全然頑固じゃないですよ。
山下:そうですか。
大瀧:ああ、順応派ですね。
山下:でも、基調方針から外れることで絶対にやりたくないことはダメなんでしょ。
大瀧:ダメだろう…ね。
山下:一旦「ノー」って言ったら絶対に「ノー」だっていうことがあるじゃないですか。
大瀧:いや、99パーセント行っても、中村ノリ(近鉄にいた中村紀洋のこと。前年のシーズン終了後にFA宣言し、その年の暮れ、つまりこの新春放談を収録した直前くらいに「メジャー移籍は絶対にない」と言い続けていたのにニューヨーク・メッツと契約した)のようにポーンと1%セントでひっくり返るという人生を、僕ね、3、4回ありますよ。

絶対イヤだとはいってても、何かのお導きのような出来事が、たまたま、偶然起きれば大瀧さんは行動に移す人なんですね。


[PR]
by hinaseno | 2017-01-26 12:25 | ナイアガラ | Comments(0)

大瀧さんと田村充義ディレクターとの出会いは、田村さんが小泉さんの前に担当していた山田邦子のとき。山田邦子が人気絶頂のときですね。田村さんを大瀧さんに紹介したのが大瀧さんと親しい関係にあったあの川原伸司(=平井夏美)です。大瀧さんの未発表作品である「アンアン小唄」を山田邦子にやらせてみてはと川原さんが考えて、田村さんを大瀧さんに会わせたようですね。

たぶんその出会いの場で田村さんは自己紹介をかねて自分がはっぴいえんど以来の大瀧さんのファンであることを話したはず。


さて、ネット上のここここに、一昨年の3月21日に小泉今日子さんの音源がハイレゾ化された配信されたときに監修をされた田村さんのインタビューが載っていて、そこで「快盗ルビイ」にからめて大瀧さんとのエピソードがいろいろと語られています。


大瀧詠一さんは昔から知っていて、担当していた山田邦子さんでも仕事をしたことがあったのですが、なかなか曲を書いてくれない(笑)。映画の仕事があってやっと書いていただきました。


1970年代にTBSラジオでやっていた「ゴー・ゴー・ナイアガラ」という番組で僕が大瀧詠一さんと知り合って、会うごとに「小泉に作品を書いてください」とお願いしていたんですが、それがやっと実現した曲でした。


これを読むと田村さんは「ゴー・ゴー・ナイアガラ」の単なるリスナーでなく、なんらかの交流を持っていたことをうかがわせます。もしかしたらハガキを書いていて番組で読まれていたかもしれないと思って「ゴー・ゴー・ナイアガラ」のおハガキの日の特集をいろいろと聴いていたら1977年2月8日放送のおハガキ特集の日に「(トマベチヨシミ改め)タムラウメノスケ」というペンネームの人のハガキが読まれていたことがわかりました。大瀧さんは番組にハガキを送ってくれた人はとりわけ大事にされていて、レコードなどを送ってあげたりもされていたので、もしこの「タムラウメノスケ」が田村ディレクターだとすれば、実は僕は「ゴー・ゴー・ナイアガラ」にハガキを書いていましたとなって、大瀧さんも一気に親しみを持つことができただろうと思います。ということで大瀧さんは山田邦子が「アンアン小唄」を歌うのを快く了解。


曲のアレンジは大瀧さんではないのですが、歌入れの時には大瀧さんも立ち会って、その場で「山田邦子を〈日本のジャニス・ジョブリン〉にする!」とかいって、山田邦子に「もっと怒鳴れ、もっと怒鳴れ」と要求したそうです。それがこれ。




リリースは1982年10月。前年に出した『ロングバケーション』も、さらに小泉さんのデビューと同じ日の1982年3月21日に発売した『ナイアガラ・トライアングルVol.2』も大ヒットしていて、周囲からは素敵なメロディの曲を書くまじめなアーティストとみられていた時期にこんなことをやってたわけです。もちろん、それは大瀧さんという人を以前からよく知っている川原さんと田村さんがいたからこそ。


ということで、大瀧さんとの強い縁を確認することのできた田村ディレクターは翌年に小泉今日子さんを担当するようになって、おそらく早い段階で大瀧さんに曲を依頼しただろうと思います。でも、大瀧さんは次の作品『EACH TIME』に取り掛かり、それが難航し、結果的に創作意欲が一気に落ちてしまうことになります。それでも田村さんは松本隆作詞、大瀧さん作曲の「はいからはくち」や大瀧さん作詞作曲の「颱風」をパロディにした「渚のはいから人魚」や「颱風騎士(タイフーンナイト)」という曲を小泉さんに歌わせて、メッセージを送り続けます。

そしてたぶん田村さんにとっては5年越しの夢が叶う日がくるんですね。『大瀧詠一 SONGBOOK 2』のライナーで大瀧さんはこう書いています。ちなみに『大瀧詠一 SONGBOOK 2』の制作担当です。


「ビクターの田村充義ディレクターは小泉今日子さん担当であることはすでに書きましたが、この『大瀧詠一 SONGBOOK 2』の制作担当でもあります。〈小泉-大瀧〉の作品を実現することは彼の〈悲願〉でもあったということで、この作品は彼に捧げたもの、と言っても過言ではありません」


歌を歌った小泉さんはこんないきさつがあったとは知る由もありません。


[PR]
by hinaseno | 2017-01-24 13:24 | 雑記 | Comments(0)

小泉今日子さんのことについて書くのならば、やはり大瀧さんが作曲した(作詞は和田誠さん)『快盗ルビイ』のことに触れなければなりません。でも、この日書いた「「快盗ルビイ」のヒミツ」をはじめ、この曲については何度も書いてきたので、今回は、この曲を書いたいきさつに触れてみようと思います。


その前に小泉さんのデビューのことから。小泉さんは1981年初頭に、あの『スター誕生』に出場して合格。ビクターと契約します。『スター誕生』はもちろん見ていましたが、欽ちゃんが司会をやめたときくらいから見なくなっていたので小泉さんが出ていたのも合格したのも知りません。

ちなみに『スター誕生』のメインスポンサーはアサヒビール。ただしCMで流していたのは清涼飲料水部門。そう、あの三ツ矢サイダー。この三ツ矢サイダーのCMの曲をかいていたのが、はっぴいえんどをやめてソロ活動を始めていたばかりの大瀧さんですね。これの最初の方でずらっと見ることができます。




さて、『スター誕生』で合格した小泉さんは翌1982年に「私の16才」という曲でデビュー。なんとデビューした日が3月21日。ナイアガラデーに小泉さんがデビューしていたんですね。ちなみに1982年3月21日のナイアガラ・デーに発売されたのはあの『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』。この記念すべきアルバムと小泉今日子さんの歴史が同じだったとは。大瀧さんがこのことに縁を感じないはずはありません。


今、手元には昨年の2月4日の小泉さんの50歳の誕生日の日に発行された『MEKURU』という小泉さんを特集した雑誌があるのですが、ずらっと並んだシングル盤のジャケットの写真を見ると、デビュー当初は正統派のアイドル路線で売り出していたことがわかります。この1982年は「花の82年組」とよばれるほどアイドルの当たり年で小泉さんはその中ではかなり出遅れた状態になっていたようです。当時は歌謡曲にも目を向けていましたが、最初の4枚のシングルの曲はどれも知りません。

僕が小泉今日子というのを初めて知ったのは5枚目のシングルの「まっ赤な女の子」ですね。ウィキペディアを見ると、やはりこの曲でブレイクしたと書かれています。この曲のときに髪をショートカットにイメージチェンジしたとも。確かにその前のシングルのジャケットの写真は当時のアイドルがみんなしていた聖子ちゃんカットですが、ここでバッサリ髪を切っています。いろんな意味でこの曲が転機になったようですね。

実はこの「まっ赤な女の子」からビクターの小泉さんの担当ディレクターが代わっているんですね。それまではあの「ルイジアナ・ママ」を歌った飯田久彦。この人が『スター誕生』で合格の札を上げたようです。でも彼がディレクターをしていたときには曲がヒットしない状態が続いていました。

そこで1983年から新たにディレクターになったのが田村充義さん。この人がキーマンでした。『MEKURU』でのインタビューでそのあたりのことを小泉さんはこう言っています。


「(デビューして)1年くらい経ったころ、『そろそろ違うことやってもいいのかもしれない』と思って、私は歌も下手だしダンスもできるわけじゃないし、どうせそんなに長くこの仕事をしていないだろうから、だったらちょっと違う女の子像を作れたらいいなあと思ったんですよね」
「自分の理想の女の子になろうと思ったんです。そう思っていた時期に、ちょうどディレクターの田村(充義)さんが担当になって、彼が持ってきてくれる企画や楽曲がまさにそれができるなっていうものだった。『この曲ならこういう格好ができる、こういう髪型でもオッケー』みたいな。田村さんは時代や人を見る力があるので、そういう感覚がピタッと合ったんでしょうね」

で、『MEKURU』にはその田村さんのインタビューも。


「『まっ赤な女の子』から、25年間小泉さんを担当しました。アイドルの制作は初めてだったので、どうやるべきかを考えましたが、結果が出なかったらどうせクビになるんだから、だったら自分が面白いと思うことをやろうというところからスタートしました。82年組のアイドルの中で、当時はまだ5番手、6番手でしたから、事務所の方も大目に見てくれたんだと思います。だから、まずはじめに僕がやろうとしたのは、他のアイドルとの差別化でした」
「糸井重里さんが大活躍されているキャッチコピーの時代でしたので、シングルのタイトルをキャッチコピー化したんです。キャッチコピーのようなタイトルのシングルを作り重ねることで、彼女のイメージが固定化されるんじゃないかと」

というわけで「まっ赤な女の子」から、かなり印象的なタイトルの曲が作られるようになります。そんな中に、ある人たちにとってオッと思わせるようなタイトルの曲が登場します。

「渚のはいから人魚」「ヤマトナデシコ七変化」、アルバムに収録された「颱風騎士(タイフーンナイト)」。

はっぴいえんどの『風街ろまん』に収録された「はいからはくち」、「暗闇坂むささび変化」、「颱風」をパロディにしたようなタイトル。そしてまもなく松本隆さんにも作詞を依頼するようになります。

そう、田村さんは昔からのはっぴいえんどファン、そして「ゴー!ゴー!ナイアガラ」時代からの大瀧さんファン(ナイアガラー)だったんですね。大瀧さんがよくラジオ関東時代の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を聴いていた人に業界に入った人が多いと語られていましたが、田村さんもその一人でした。


[PR]
by hinaseno | 2017-01-23 12:58 | 雑記 | Comments(0)

「花屋」の話


『最後から二番目の恋』を見終えて、小泉今日子さんに関心をもって手に取ったのが昨年出た彼女のエッセイ集『黄色いマンション 黒い猫』。装丁は和田誠さん。和田さんが描かれた小泉さんのイラストを見るのは、和田さんが監督を務められた『快盗ルビイ』(主題歌を作曲されたのは大瀧さん)以来。

a0285828_13054460.jpg

この表紙の絵を見てエッセイの最初に収録された表題作を読むと誰もが驚くことになります。その内容は書きませんが、たぶんそのエッセイを読まれたはずであるにもかかわらず、あえてこのような絵を描かれた和田さんはやはり素晴らしいなと思わずにはいられませんでした。エッセイを読んで改めてこの絵を見ると心が震えます。


さて、昨日読んだのは「花や 庭や」というエッセイ。こんな書き出しでした。


 休日の夕方は、商店街をぶらぶら歩く。スーパーで晩ご飯の食材を買って、タバコ屋で中南海をワンカートン買って、薬屋でお化粧用のコットンを買って、酒屋で冷えた白ワインを買って、最後に花屋で自分のために好きな花を選んで買う。

小泉さんも近所の商店街を歩くのが好きみたいですね。商店街を歩いていろんな買い物をしている小泉さんの姿を想像するだけでうれしくなります。いったいどこの商店街を歩いているんでしょうか。少し前に読んだエッセイではいろんな商店街を歩いて昔ながらのいい喫茶店を探している話もありました。いつか平川克美さんの隣町珈琲を見つけられるかもしれません。

そういえば『銀座二十四帖』に関して、僕のブログを読まれた平川さんからとても興味深い情報をいただきました。


『銀座二十四帖』の主人公のコニイ(三橋達也)は銀座(新田銀座ではなく本当の銀座)で花屋を営んでいます。実はあの武蔵新田の新田銀座にあるサロンひとみから朝帰りする若い男性が働いているのがこの花屋。彼はサロンひとみから出た後に、店で売るための花を積み込むために花を栽培している場所に向かいます。そこは武蔵新田からそんなに遠くない場所。映像とともにこんなナレーションが出てきます(聞き違いがあるかもしれません)。


ここは多摩川の温室村。バラ、カーネーション、ラン。花木類は伊豆、川崎、川口、西新井、沼田付近、そしてここ多摩川のヒルタ付近で朝早く積み込まれます。

実はこの「温室村」というのは地名だとは思っていなかったので聞き流していたのですが、そんな地名があったんですね。そのあとに語られる「ヒルタ」という地名は探したのですがわかりませんでした。

その温室村という場所があったのが現在の田園調布5丁目あたり。東京時層地図を調べたら高度成長前夜(昭和30-35年)の地図に温室村がありました。

a0285828_13063293.jpg

これが映画に映る温室村の風景。花を積み込んでいるトラックはサロンひとみの下に置いてあったものと同じ。

a0285828_13071941.png


a0285828_13070206.png

ところで、僕のもっている『写真で見る日本 15 関東編 東京(1)』(昭和32年発行)に温室村の写真が載っていました。一応観光名所にもなっていたようですね。

a0285828_13074917.jpg

ちなみにこの本の表紙は銀座の中心街。あの服部時計店の時計台の向こうにアドバルーンが上がっています。下には路面電車。なんともいい風景です。

a0285828_13080577.jpg

さて、平川さんによると今も温室村というバス停があって、実は平川さんは以前、その近くにお住まいだったそうです。しかも驚いたのは、小泉今日子さんが結婚されていたときに住んでいた家もすぐお近くだったとのこと。びっくりですね(さらにもっとびっくりな話も教えていただきました)。

小泉さん、温室村で栽培された花を買われていたんでしょうか。


ところで、映画では花を積み込んだトラックが銀座に向かうこんなシーンが映ります。どこを通っていってたんでしょうか。平川さんによれば武蔵新田を通るルートではないかとのことですが果たして。

a0285828_13081929.png


[PR]
by hinaseno | 2017-01-22 13:08 | 雑記 | Comments(0)

ついにトランプさんがアメリカ大統領に就任。未来は一体どうなるんでしょうか。

なんだか暗澹たる気持ちになってしまいます。あのShe & HImの歌詞にも登場したジェリー・ブラウンさんが知事を務めるカルフォルニア州が独立に向けて動いているという話も出てきていますね。

日本でもこれ以上ないほどいじめられている沖縄も独立するような未来がやってくれば希望が見えてくるのだけど。でも、絶対にそんなことはさせないためのさらに恐ろしい法律が作られそうで心が暗くなります。


そんな暗い話が多く続く中、あちこちから心を明るくしてくれる驚くようなうれしいものが届けられています。どれも信じられないようなものばかり。心から感謝です。それらが僕にとって今と、少しだけ先の未来を幸福にしてくれることだけは確かです。いずれも古い時代に関するものばかりだけど。


未来といえば武蔵新田商店街の「未来門」。なんだかここが僕にとって大切な場所になってしまいました。このアーチをくぐって新田神社の前を過ぎれば「希望門」。未来と希望をつなぐ場所。


牛窓を舞台にした想田和弘さんの映画『牡蠣工場』が受賞したソレイユ・ドール(金の太陽賞)に、中井貴一主演の映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』も受賞していたことを知って、久しぶりに録画していた『RAILWAYS』を見たくなって、今見ているところ。これは大好きな映画。映画のストーリーもそうですが、一畑電車の走る風景はたまらないものがあります。

ところで録画していたのは昨年の10月くらいに日本映画専門チャンネルで放送されたもの。実はそれ以前に録画(NHKのBSで放送されたものだったかな)したものをもっていたのですが、今回また録画したのは映画の前後で中井貴一のインタビューがあったから。

中井貴一は大好きなんですね。俳優として、というよりもエンターテイナーとして。この人の喋りは本当に面白くて、彼の笑いのセンスには驚かされるばかり。


そういえば年末に内田先生の下丸子に関して書かれたブログを読んで、小津安二郎の『お早よう』が下丸子でロケされていたことを知って、たぶんみんなが紅白を見ていた頃に僕は『お早よう』を見ていました。小津の、晩年の映画の中では異色作。ほとんどコメディ。

主演は佐田啓二。そう、中井貴一のお父さんです。この映画の2年後に中井貴一が生まれています。映画を見る限り、佐田啓二は下丸子には来ていないかな、という気がしました。

『お早よう』を見た後で、中井貴一の作品を見たくなって、正月になって見始めたのが、日本映画専門チャンネルで『RAILWAYS』と同じ時期に放映された『最後から二番目の恋』というドラマ。これも録画したまま見ていなかったんですね。

主演は中井貴一と小泉今日子。そう、相手役が小泉今日子さんというのがポイントでした。このドラマはコメディなんですが、あの中井貴一と驚くほどの言葉数のやりとりを見事にこなしている小泉今日子さんの演技の素晴らしさに心を打たれてしまい、すっかり小泉さんファンになってしまいました。


ということで次回から小泉今日子さんの話をちょっと書いていこうと思います。一応最後は「未来」という言葉に繋げようと思っていますが、いろんなことを書いているうちに予定外の方向に行くかもしれません。武蔵新田の話も、まさか未来門に行くとは思っていなかったので。


[PR]
by hinaseno | 2017-01-21 12:26 | 雑記 | Comments(0)

大瀧詠一さん繫がりで…


内緒にしておこうかと思っていた話ですが、いい機会なので紹介することにします。それは、わがナイアガラ・トライアングル・ステーションの千鳥駅近くにお住まいだった平川克美さんが書かれたエッセイのこと。平川さんが書かれたものは内田樹先生のブログ上でされていた往復書簡で知って以来、出版されてきたものは可能な限り追ってきました。ただ、ここ数年、さすがに追いきれなくなってきて、単行本として書籍化されるのを待つという形になりつつあります。

その平川さんが最近、『望星』(東海教育研究所発行)という雑誌に「路の記憶」という連載を始められたことは知っていましたが、この雑誌、どこの書店に行っても置かれてないんですね。

まあこれも単行本に収められるのを待とうと思っていたものの、ちょっと気になって雑誌のサイトを調べたら、なんとこの雑誌に川本三郎さんと池内紀さんの対談が3か月おきに連載されていることがわかったんですね。というわけで川本三郎さんと池内紀さんの対談が載った号を取り寄せました。対談が最初に載ったのが2016年3月号で、その号に掲載された平川さんの「路の記憶」を読んだらこれがびっくり。なんと僕のことが…。

この日のエッセイのタイトルは「晩年に暮らしたい町」。これだけでピンとくるものがありました。そう、この日のブログで書いた牛窓の話ですね。平川さんのエッセイも牛窓の話。

こんな言葉からエッセイが始まります。最初に出てくる言葉は例の「池上線」。


 池上線沿線に住み、仕事場も五つ先の駅から数分のところに引っ越してきて以来、生活圏が縮まってほとんど半径1キロメートルの外へは出なくなってしまった。
 そんなわけで、めっきり旅をする機会も減ったのだが、一度だけ訪ねた岡山県がらみの話題が、身辺に何度か持ち上がってきて、これはどんな因縁なのだろうかと頭を捻っている。わたしは、岡山にはほとんど何の繋がりもないのだが、岡山へ行って以来、様々なものが磁石が鉄粉を吸い寄せるように繋がってくるのである。

で、このあと「牛窓」の話に。もちろん川本三郎さん(と奥さん)の話も出てきます。うれしくなってニコニコしながら読んでいたらこんな言葉が出てきたんですね。


大瀧詠一さん繫がりで知り合った知人も、川本ファンで、よく「牛窓」の記事をブログに書き、現地報告をしてくれていた。

この「大瀧詠一さん繫がりで知り合った知人」って間違いなく僕のこと、ですね。びっくりやらうれしいやら。思わず飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになってしまいました。「大瀧詠一さん繫がりで知り合った」というのがなんともうれしい。正確に言えばこの間にアゲインの石川さんが入るわけですが。

話はこのあと平川さんがパンフレットに文章を寄せられた想田和弘さんの牛窓を舞台にした映画「牡蠣工場」のことに。

そういえばその「牡蠣工場」、つい先日、毎年フランスで開催されている日本映画祭の最高賞であるソレイユ・ドール(金の太陽)賞を受賞されたんですね。ここにその記事があります。

このソレイユ・ドール、過去に受賞した作品を見たらなかなか興味深い作品が並んでいます。2010年には中井貴一主演の大好きな映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』が受賞しています。

「牡蠣工場」、はやくDVDになってほしいですね。未公開部分を入れたボーナス映像があれば最高です。帯はもちろん平川さんで。


さて、平川さんのエッセイはこんな言葉で終わります。


これで、わたしはどうしても、「牛窓」に行かなければならなくなった。

といことで、それから間もなく平川さんは牛窓に来られたんですね。

平川さんの牛窓、岡山がらみの話をまとめた本もいつかぜひ出してほしいです。


[PR]
by hinaseno | 2017-01-19 12:40 | 雑記 | Comments(0)