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改めて厚田さんの手帳に描かれた平山家の場所を示す地図を。
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福善寺の南側の門から線路と国道を渡った場所にある階段を上った左手に平山家がありますね。
その入り口の階段。
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石段の登り口には「丹花小路」と書かれた石柱。その石柱や手すりは新しく作られたもののようですが、石段は相当古いことがわかります。
石段を20段ほど上ると、左に道が曲がっていました。目の前はまさに平山家があった場所。
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路地はそこから下って目の前には薄暗い世界が広がっていました。あちこちに石段や石垣があって道はいくつも枝分かれしています。なんだか異次元の世界に迷い込んできたよう。
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井戸も何箇所かありました。
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祠も。
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そしてこんな3体の石仏が民家の脇に立っていました。
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尾道ではいろんな路地を歩きましたが、ここは特別な空気が流れていました。
そういえば最初に紹介したようにここで一人の女性に出会いました。彼女の家は上に貼った写真にも写っています。
僕が「丹花」という言葉を発したことで、彼女はいろんな話を聞かせてくれました。彼女はそのあたりの町並みに残る記憶をなんとか後世に伝えようと努力されているようでした。僕が小津さんたちが『東京物語』のロケの時にここを歩かれたんですよと話したらとてもうれしそうにされていました。
僕が帰りかけた時に彼女がちょっと待ってほしいと家に戻って取ってきたのはこの新聞の切り抜き。
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記事の部分がないので正確にはわかりませんが、どうやら尾道の地形と風水の関係を表しているようです。ネットで調べると、その記事につながるような話がいくつか書かれていました。
地図のポイントは風水の四神の南北と東西を結んだ線の交わった場所が丹花城跡、つまり福善寺裏の墓地だということ。「この場所こそ『尾道パワースポットの芯』」と書いているブログもありました。
この説の真偽は別としても、あの福善寺裏の墓地から丹花の路地にかけてのあたりは不思議な空気が流れていることだけは確かなこと。歩いてみたらわかります。小津がそこを歩いてそこを映画の重要な場所にしたというのは何かに引きつけられたのかもしれないですね。

改めて思ったことですが、『東京物語』の尾道の平山家というのは、映画を見ると浄土寺のそばというイメージを持ってしまいますが、本来はこの丹花に想定されていたのではないかと。「もうひとつの平山家」ではなくこちらこそがまさに尾道の平山家だったんだろうと。

さて、この日、本当は厚田雄春の撮影日程表に書かれている通り、最後は「米アゲ町」に行ってみる予定だったのですが、丹花で出会った女性と長い話をし過ぎてしまってその時間を取ることができなくなってしまいました。
改めてもう一回だけこのコースを歩いてみようと思っています。でも、天満宮に行くのはやめとこうかな。

最後に、先日手に入れた昭和30年頃の写真の中にこんな写真もありました。
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子供たちが山の上から写生をしているもの。
『東京物語』のシナリオでは、最後は香川京子さんは校外で写生の授業をしていることになっていたのですが、まさにそんな風景。
それからこれはおまけですが、昨日、白黒写真をカラー写真に変えるというサイトがあることを知ったので、この写真をカラーにしてみました。すごいですね。
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by hinaseno | 2016-10-31 12:45 | 映画 | Comments(0)

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御袖天満宮から再びれんが坂を登って尾根の最も高いところに戻り、そこから福善寺の墓地に入りました。いよいよ今回の尾道歩きのメインの場所へ。
ところで、今回尾道に行く前に尾道の古い写真を何枚か手に入れたのですが、その中の一枚がこれ。
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千光寺山の中腹から東の方向を撮った写真。福善寺のある尾根がはっきりと写っています。撮影されたのは昭和30年。『東京物語』のロケが行われた2年後のこと。つまりここには『東京物語』をロケした当時の風景がほぼそのまま写っているんですね。
左端に写っているのが中世に丹花城があった福善寺の墓地と福善寺の本堂。
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そこから海に向かってゆるやかに尾根が傾斜していることがわかります。
そしてその尾根の右端あたりのこの部分。
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道路と線路によって削り取られていますが、その南側に丹花の家並みが見えます。小津はここのどこかの家に”もうひとつの平山家”を設定していたんですね。

ちなみに本堂の右上には筒湯小学校の校舎を『東京物語』に映っているそのままの姿で見ることができます。

れんが坂から福善寺の墓地に入って向かったのは前回探すのに苦労したこのシーンが撮影された場所。
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今回は写真を見ないで行ってみることにしました。が、結構大変。だいたいの場所はわかっているものの、そこに行く通路がわからず、行ったり戻ったりを繰り返してようやく見つけました。
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ここに眠っているはずの「とみ」と「しょうじ」に手を合わせて、境内に。そしてとりあえずここの場所も。
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で、東側にある山門からではなく南側の門から外に出ました。目の前には丹花の町。ここからまっすぐ丹花小路の入り口につながっているのがわかります。
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ちなみにこれが丹花小路の入り口から福善寺側を見上げたもの。
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写真を見ればわかるように福善寺からは右に曲がって線路沿いに下りて行くことになります。
その坂道が線路と同じ高さになるあたりで見えたのがこの風景。
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『東京物語』の最後の原節子さんが乗った汽車が東京に戻って行くときにほんの一瞬だけ映るこのシーンはやはり予想通りここで撮られていました。
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僕は金網越しに撮ったのですが、もしかしたら厚田さんは中にカメラを置いて撮ったのかもしれません。

ところで僕が手に入れた尾道の古い写真には、やはり千光寺山の中腹から撮られたこんな写真もありました。撮影されたのは昭和31年。
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ここには『東京物語』にほんの一瞬映る丹花の家並みをそのまま見ることができます。これがそのあたりを拡大したもの。
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水色で囲んでいるのが映画に映り込んでいる場所。崖にはられた看板も崖の上の家もそのままですね。

そして、赤の丸で囲んでいるのが平山家が設定されていたはずの家。
いよいよその平山家に向かいます。なんとなく何十年ぶりかで我が家に帰るような気分になりました。
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by hinaseno | 2016-10-30 12:31 | 映画 | Comments(0)

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久保小学校の正門前の道かられんが坂に通じている道をくねくねと歩いたらこの場所にたどり着きました。
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右に西国寺、まっすぐ行けば福善寺と記した道標。ここからがいよいよれんが坂。ただしどこにも「れんが坂」と書いたものはありません。

もともと坂好きで、しかも小津が通ったはずの道なので、最初はわくわくしながら歩いていましたが、途中からとんでもない急坂に。もとは丹花城あった尾根の頂上部分に一気に登っていく坂になっているようです。これはこたえました。
坂を登りつめた所に見えてきたのがこの風景。福善寺の墓地ですね。あの過酷な坂を登った後にこんな風景を見ると、おおっと思ったでしょうね。墓地があるけどどこか天国的な風景。
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ここから墓地の間の道を通って福善寺の境内に入ることができるのですが、その前に小津さん一行が歩いたのと同様に御袖天満宮に向かいました。御袖天満宮はすぐ近くに見えて入るけど、そこに行くには一度れんが坂を下って、長い石段を登らならないことがわかりました。やれやれ。
坂を下り始めた所で5匹くらいの猫がお出迎え。尾道ではあちこちで猫を見かけましたが、何匹も集まっているのを見たのは初めて。どれもかわいい猫ばかりでこれには癒されました。
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特にかわいかったのはこの猫。
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ほかの猫たちは一応僕の方に関心を向けているのに、この猫だけは知らんぷりしてごろごろ。どうやら昼寝していたのを起こしてしまったようです。

坂を下りてこれが天満宮の入り口の鳥居。石段を見たらちょっとうんざりした気分にになって深くため息。
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足が悲鳴をあげかけているのをがまんして石段の途中にある門をくぐり、それからさらに石段を登ってようやく境内に。これが登りきった場所から下を眺めた風景。
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あの大林監督の『転校生』の階段から転げ落ちるシーンが撮影されたのがまさにここだったんですね。向こうには福善寺の本堂が見えています。

境内には30歳代くらいのカップルが一組。『転校生』の話をしているようにも思えませんでした。『転校生』ももう34年も前の映画なので知らない可能性もあります。
これが境内から南側を眺めた風景。
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小津さんがここに来たのはやはりあの笠智衆と原節子が朝日を眺めるシーンを撮る候補地として考えたからでしょうね。
これがもう少し塀に近づいた場所から眺めた風景。
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目の前には福善寺の墓地が見えていますが、海までは遠く、浄土寺で撮影された風景に比べたら開放感に欠けていますね。境内もちょっと狭い。

考えたら今は浄土寺も二人の立っていた場所には鐘楼が建てられていて、境内の向こう側はすべて塀が作られて海が見えづらくなってしまっています。
これはもう失われてしまった風景なんですね。
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さて、天満宮の長い石段を降り、再びれんが坂を登って福善寺の墓地へ。
坂を登った所にはさっきの猫たちがいて、ほっこりした気持ちに。あの猫だけはやはりごろごろ。でも少しだけ眠そうな目をこちらに向けてくれました。
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by hinaseno | 2016-10-28 13:53 | 映画 | Comments(0)

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久保小学校の南側の門を出てすぐ左手の石段を登って見るのを楽しみにしていた西郷寺へ。西郷寺を楽しみにしていたのは、写真で見た本堂が素晴らしかったこともありますが、なによりそこが時宗の寺だったこと。
時宗については、その開祖である一遍上人という人になぜか心惹かれるものを感じていて、一遍上人に関する本を何冊か買って読んでいました。
なによりも例の福岡の市も出てくる一遍上人絵伝は何度見ても楽しいものがあります。さらに彼が始めた踊り念仏というのも共感を覚えるものがあって一度はどこかで見てみたいと思っていました(踊り念仏といえば杉真理さん経由で知ったレキシというグループに「踊り念仏」という曲がこれが最高です)。
ところが、一遍、時宗に関心を持ったものの身近なところには時宗の寺はどこにもなかったので、時宗とは縁がないまま過ごしてきましたが、前回、尾道に行ったときにたまたま立ち寄った福善寺のそばの常称寺が時宗の寺だとわかってびっくり。岡山にはひとつも時宗の寺がないのに尾道には時宗の寺が5つもあるんですね。で、いろいろと調べているうちに西郷寺のことを知ったんですね。あの香川京子さんの歩かれた場所のすぐ近くにあるということにも縁を感じて、これは絶対に行かなくてはと思っていました。

これが山門。
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そして本堂。
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素晴らしいですね。手前の木は桜なので、桜が満開の時はかなり見応えがありそうですが、もう少し葉が枯れるか、あるいは葉が落ちてしまったほうが寺の雰囲気に似合っているような気がしました。

西郷寺の山門と本堂は現存する時宗の最古の建造物とのこと。本堂の廊下からはこのように隣の久保小学校の校舎を見ることができます。
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境内には七福神の石像が建てられていました。地元の尾道大学の美術学科の生徒が数年前に作ったようです。寺の雰囲気と合っているかどうかは微妙。
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こんな風景を前にしてコンビニで買ってきたおにぎりでも食べようかと思ってカバンからおにぎりを出しかけたら、住職と思われる人(住職でした)が出てきて庭の落ち葉を掃き始めました。さらによく見たら境内に建てられた看板には境内での飲食はお断りしますとの文字。あわてておにぎりをしまいました。

住職と少し話し。
本堂前の場所に連れられて、本堂の方を眺めてこう説明される。
ちょうどこの場所のあたりから見たら本堂の屋根の傾斜は背後の山の傾斜が重なるように作られているとのこと。
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僕は寺の建造物では寄棟造りがいちばん好きなのですが(牛窓の本蓮寺の本堂も寄棟造り)、西郷寺の本堂はとりわけ屋根の傾斜がゆるやかに作られていて、そのため寄棟造りの建物にしてはめずらしく軽やかで優美な感じを生み出しているんですね。これだけ均整のとれた美しい寄棟造りは初めて見ました。

住職に本堂の中に入るように促されて中で拝礼。
中に入ってわかったことですが、本堂の中には「泣き龍天井」というのがあって。手を打つと音が不思議な反響をして天井から返ってくるんですね。案内板には竜にまつわる伝承も書かれていました。1回だけ手を打つようにと書かれていましたが3回ほど叩いてしまいました。

西郷寺の山門を出たところで久保小学校をながめながらおにぎりを食べて、次はいよいよ厚田さんの日程表に「練瓦坂」と記されている「れんが坂」に向かいました。ちなみにこの日のブログに貼った地図には西郷寺付近かられんが坂までは点線で記していますが、小津一行はおそらく久保小学校の正門前の道かられんが坂につながっているこの道に入ったんだろうと思います。
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by hinaseno | 2016-10-27 12:45 | 映画 | Comments(0)

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浄土寺近くの三宅さんの家から浄土寺の境内を通って再び昔保健所と市民病院があった現在は図書館がある場所に戻ってきました。本当はもう少し図書館内をいろいろ眺めて、地元にしかないような本や写真集などを探してみたかったのですが、後の時間のことを考えて次の場所に向かいました。
といってもそこは図書館から100mも離れていない場所。図書館前の道を北に向かったらすぐにこの風景にぶつかりました。
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そうです。ここが香川京子さんの歩かれた場所。映画のシーンからは逆方向から撮ったこの写真の風景がかすかに残っています。
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ちなみにこれが映画に映ったシーン。
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これが同じ方向からとらえた現在の風景。右の家だけが当時のままですが、こちらからだと場所の手がかりになるものがほとんどありません。
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ここを左に行けば西郷寺の門があるのですが、近所のお店でお弁当かおにぎりでも買って西国寺の境内で食べようと考えて、前回この場所を教えてもらったコンビニに行きました。道を教えてもらったお礼も兼ねて。もちろん僕のことは覚えてくれていました。

その店からは西国寺よりもそのとなりの久保小学校の方が近かったので、先にそちらに行くことに。
これが校門。ありがたいことに校門は開放されていました。正面に写真で見ていたあの美しい校舎が見えています。
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校庭から見た校舎の全景。その素晴らしさに圧倒されました。
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何かの工事をしているためか、あるいは外壁が崩落するのを防ぐためにか、校舎には目障りにならない程度にネットが張られていました。でも、いったいいくつ教室があるんでしょうね。今、この教室のいくつくらいが使われているんだろう。耐震とかいろんな問題があるのかもしれませんが、安全性というよくわからない勝手な基準のもとで取り壊さないことを願うばかり。

校庭の端には長い渡り廊下がおそらく昔のまま残っています。そしてその向こうに西郷寺の寄棟造りの本堂が見えています。
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この渡り廊下がまた素晴らしかった。こんな渡り廊下が今残っているところは少ないはず。
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西郷寺のある校庭の南側に小さな門があって、ここから道をはさんで新校舎の入り口があります。さっきの渡り廊下は道の下(というか西郷寺に向かう石段の下)をくぐって新校舎に通じています。現在はこちらの校舎を主に使っているのかもしれません。
この南側の門のところから見た旧校舎。
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校舎の入り口が正面に見えます。その上には時計。もしかしたら昔はこの南側の小さな門が正門だったのかもしれません。
ここから少し目を横に向けると山の中腹に西郷寺ではなく西国寺の三重塔を見ることができます。なんともぜいたくな風景。
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ちなみにこれが南側の門を出たところ。前方の赤い矢印で示したのが『東京物語』の香川京子さんが歩くシーンのそばに映っている家の門。
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で、この後ろに西郷寺に向かう石段があります。
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by hinaseno | 2016-10-26 13:43 | 映画 | Comments(0)

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アメリカン・ポップスの男性シンガーの中ではいちばん好きなボビー・ヴィーが昨日亡くなったとのこと。72歳。まだ若いですね。ボビー・ヴィーのことはまた改めて書こうと思います。

さて、尾道の話。
浄土寺から市立中央図書館へは数百メートルの距離。坂を下って道をまがればすぐに図書館の建物が見えてきます。
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車庫に青いトラックが見えて、もしやと思ったらやはり。
尾道の移動図書館「なかよし号」でした。
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今年夏葉社で復刻された『移動図書館ひまわり号』(前川恒雄著)を読んだばかりだったので移動図書館には強い親しみを持ってしまいます。ちょうど本を詰め込んだばかりのようで、横から見える本棚には本がぎっしり。これから出発するところだったのかもしれません。
尾道の図書館がいつから移動図書館を始めたのかはわかりませんが、始められるときにはきっと前川さんのところに行っていろいろと学ばれたのではないかと思います。そのあたりの話をうかがおうかと思いましたが時間の関係で今回はやめて当初の目的を最優先。それは古い住宅地図を調べることでした。
図書館にあったいちばん古い住宅地図は1960年台のもの。ただそれを見るにはやや煩雑な手続きをしなければならないことがわかったので、その次に古い1970年頃の住宅地図を出してもらいました。探したのは浄土寺の近くにあるはずの「三宅氏」の家。

昭和28年6月30日の撮影日程表の最初に「尾道町の三宅氏 物干台」と記されていて、さらに8月15日にも「午后15時市内の三宅氏物干台」、さらに翌16日も「浄土寺より情景 浄土寺附近 汽車走り 物干台」とあることから、そこで重要なシーンが撮影されたことは明らか。
地図を開いて三宅と記された家はすぐに見つかりました。やはりあそこだったんだなと。で、浄土寺に引き返してその場所に行ったら今も表札には三宅さんの名前が書かれていました。
この写真の右手前に見えるのが三宅さんの家。向こうに浄土寺の多宝塔が見えます。
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建物が当時のままなのかわからないので「物干台」というのは確認ができませんでしたが、この家の2階のあたりから『東京物語』のいくつかのシーンが撮影されたのは確かなこと。そのひとつがこのカット。
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そしてラストシーンのこのカット。
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この二つ、一見違う場所から撮られているような感じがしますが、実はカメラのアングルをちょっとずらしただけだったんですね。

ちなみに昨日も紹介したこの写真は三宅さんの家の前の道から柵の中に入った、今は草がいっぱい生えている場所から撮りました。
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そしてこれはそこからちょっと視線を右に移したもの。
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「三宅氏 物干台」に関してはこのシーンが撮られた家の可能性も考えましたが、ちがっていましたね。
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本当は三宅さんの家の人にいろいろと訊いてみようかと思いましたが、ちょっと勇気が出ませんでした。
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by hinaseno | 2016-10-25 14:09 | 映画 | Comments(0)

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先日、この日のブログで示したコースを歩いてきました。尾道に行くのは今年3度め。この日にも書いているように、小津安二郎の『東京物語』の尾道でのロケを考えるとき、最も重要なのが昭和28年6月30日に行われたロケハンでした。この日小津たちが歩いた場所で『東京物語』の尾道の主だったシーンが撮られていたんですね。最終的には映画に取り入れられなかった場所も含めてどうしても見ておきたくなって行ってきました。

はっきり言ってかなり過酷なコース。あまり人にはおすすめできません。でも、いくつもの素敵な出会いありました。
改めてカメラマンの厚田雄春のこの日の撮影日程表を貼っておきます。
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『東京物語』の尾道のシーンが実際に撮影されたのは昭和28年8月13日から8月19日にかけてのこと。子供たちは夏休みの真っ最中。撮影現場をとらえた写真に子供たちがたくさん映っているはずです。もちろんお盆休みと重なっているので観光客も含めて一般の人もいっぱい。ロケは大変だったでしょうね。これは浄土寺での撮影風景。
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ところで先日『東京物語』のシナリオを読み返しましたら、ラストシーンはこう記されていました。

178――海
  ポンポン蒸気の音が夢のやうに遠くなってゆく。
  瀬戸内海の七月の午後である。

撮影されたのは「8月」だったのですが、映画的には「七月」だったんですね。ちなみにそのラストシーンがこれ。
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このシーンが撮影された場所はこの日のブログでも書いているように、この春に尾道に行ったときに浄土寺付近の山沿いの道を歩いていてたまたま見つけることができました。
ここですね。
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でも、少しだけ風景が違う。この日のブログにはこう書き添えています。

ちょっとした櫓を作ってその上から撮ったものなのかもしれません。

と。そしてこの春に行ったときにいちばん見つけたかったのがこのシーンが撮られた場所。
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これが撮影されたのは、先ほどの場所からもう少しだけ上に登ったところと推測したんですね。でも、どうやらこの2つのシーンは同じ1つの場所から撮ったものだろうということが今回わかりました。それについてはまたあとで。

ということで10月上旬のよく晴れた土曜日に尾道に行って、最初に向かったのは撮影日程表の通り尾道の町の東のはずれの浄土寺。尾道駅からはほぼ2kmの道のり。結構な距離ですが商店街を歩いて行けばそんなに退屈はしません。
実は浄土寺にはいったん別の場所に行ってあることを調べてから再び戻ってくることにしていました。
とりあえず浄土寺の境内のいちばん好きな場所に行くことに。
ここですね。
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塔が見えて海が見えるここが浄土寺でいちばん好きな場所。この日は何かの法事が行われていたようで、境内の建物には色とりどりの布がつるされていました。
ちなみに昭和45年の地図の冊子についていた同じあたりから写したこの写真(多宝塔には同じような布がつるされていますね)。
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赤丸をしたのがこのあまりにも有名なシーンが撮影された場所です。現在とどう違っているかわかりますね。
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浄土寺ではとりあえずこの写真だけ撮って、次の「保ケン病院」と記された場所に向かいました。その途中の道から見えるのがこの場所。
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ここには映画にも登場する筒湯小学校の校舎が建っていました。

さて、厚田さんの日程表には「保ケン病院」と記されている当時保健所と市民病院があった場所には現在、尾道市立中央図書館が建てられています。ここで調べようと思っていたのが昭和28年6月30日の撮影日程表の最初に書かれている「尾道町の三宅氏 物干台」でした。
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by hinaseno | 2016-10-24 13:20 | 映画 | Comments(0)

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その路地は入り口から中は見えない。目の前には石段。かなり急なために手すりがつけられている。石段を登りきると今度は下りの石段。いくつかの方向かに枝分かれた薄暗い路地が見える。石垣や石段があちこちにある。

枝分かれした路地のひとつから話し声が聞こえてきたのでそちらに行ってみる。3人の人が外で話をしている。2人は背中にバックを背負っているので訪問客とわかる。もしかしたら観光客かもしれないけど、この道を通る観光客はそんなにはいないはず。そしてもう一人は年配の女性。彼女が立っているのはある家の入り口付近だったのでおそらくはその家の人であろうと思う。

そのあたりを探索して話が途切れるのを見計らってその女性に尋ねる。
「ここは丹花(たんが)というところですか」
ちょっと驚いたような顔をされる。
「そうですよ、ここは丹花です」
そして、さらにうれしそうにこう話される。
「丹花のことを尋ねて人が来たのははじめてです」

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by hinaseno | 2016-10-23 11:26 | 映画 | Comments(0)

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昨日の地震はびっくりでした。家の中にいたのですが、かなりの恐怖を覚えました。いつどこで何が起こるかわからないということを思い知らされました。

ところで、アゲインでのマイクロスターのトークイベントの話は前回で終わりにするつもりでしたが大事なことを一つ忘れていました。
この日マイクロスターが今世紀初のライブをしたんですね。

これが素晴らしかった。
最初に歌ったのが「My Baby」、そしてアンコールでもう1曲「東京の空から」。
石川さんから送っていただいた映像を見たときには、すでにサプライズのライブの演奏があってこの2曲が歌われたことは知っていたのですが、もしその場にいたら感動のあまり涙ぐんでしまったのではと思ってしまいました。

以前にも書きましたが、マイクロスターがライブをやめられた理由はこうでした。

「ライブを前提としてやっちゃうと、ライブで再現可能なものを考えなければならないので幅が限られてしまう。で、もっと普通にポップスとかちゃんとやりたいと思って、ライブとかを無視して作品重視でやることにした」

ということなので、もちろんCDに収められた形で再現することはできません。
用意した楽器はたったの2つ。佐藤さんがギター、そしてボーカルの飯泉さんはベースではなくピアニカを間奏とエンディングで演奏。
これがまるでデモを聴いているかのような肌触りだったんですね。「My Baby」は何度も書いているように、はじめて『She Got The Blues』を聴いた時に最初に好きになった曲ですが、「東京の空から」はこのライブを聴いて大好きになりました。こういう形の演奏も似合っている曲だなと。今ではときどきふっと口ずさむ歌になっています。
そしてこの曲は詞がとってもいいんですね。こんな詞です。

 東京の空から

いつか願い放った 東京の空から はるか彼方
いつも 泣き虫だった プロペラの音聞く 土曜の午後

会いたいな 君に 会いたいな
ああ こんな日は会えるかも

空港から工場のほう ごらんもうすぐ 雨は降ってくるけど
嘘じゃない 嘘じゃない ずっと笑ってる ずっとここで待っている

ある日君に出会った 公園のベンチに並んで座った
いつか 願いかなった 真夜中に流れる星が光った

ああなんだ ふいに わかった
ああ なんだこれでいいんだね

嘘じゃない 嘘じゃない やっとみつけたよ どこで何してたの?
空想じゃない 嘘じゃない ずっとさがしたよ こうやって君に会うために

ああなんだ ついに わかった
ああ やっと君に会えたね

嘘じゃない 嘘じゃない ずっと会いたい はしゃぎまわっていたい
空想じゃない 嘘じゃない ずっとわかってた 君がやってくることを

もっと急いだよ 君が待っているなら
空想じゃない 嘘じゃない 本当嬉しいよ こうやって君に会えたこと

実は歌詞カードを見て、そんな風に歌ってたんだと気づいたことがいくつか。
飯泉さんは、詞の題材をご自身の日常の生活や本、あるいは映画からとられているとはいえ、言葉の選び方は独特のものがあります。何よりも歌って心地いい、というのを最優先しているような気がします。
「東京の空から」の歌詞で一番面白いのは「嘘じゃない」という何度も繰り返される言葉が、いくつか同じ音の響きを持つ別の言葉になっていること。
ひとつは「空想じゃない」。これ、ぼんやり聴いているとほとんど「嘘じゃない」と聞こえるんですね。
もうひとつが「空港から」。歌詞カードを見て、一番へえ〜っと思ったことでした。

「空港から工場のほう」というのはきっと飯泉さん家族がお住いの武蔵小山から南の方の羽田空港や川崎の工業地帯のあたりを眺めた風景のことなんでしょうね。これもやはりいつか見てみたい風景です。
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by hinaseno | 2016-10-22 12:01 | 音楽 | Comments(0)

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長く続けたマイクロスターのトークイベントの話も今日が最後、かな。
最初は作り話から始めましたが、それは今日の話につなげるためでもありました。

最初の日のブログで設定したのは昭和7年という年。なぜ昭和7年に設定したかというと、まず第一に小津の『東京物語』の末妹の京子である香川京子さんが生まれたのが昭和6年だったということ。赤ん坊の京子を登場させたかったので。
そしてもう一つは小津の戦前のサイレント時代の作品で最も好きな『生れてはみたけれど』が作られたのが昭和7年だったから。

『生れてはみたけれど』にはトークイベントが行われたアゲインのある(ちなみに司会をされた森陽馬さんはアゲインの上のペットサウンズ・レコードの店主の森勉さんの息子さん)武蔵小山の駅も通っていた目蒲線(現在は目黒線)と池上線を走る電車がなんども登場するんですね。その走る姿が、テーマとしてはやや暗い作品に反して、明るく軽快なリズムを作っていました。サイレントなので声も音も一切入っていませんが、とても音楽的。
さて、マイクロスターのお二人もどうやら武蔵小山(の近く?)にお住まいとのことで、おっと思える話が出たんですね。『She Got The Blues』の2曲目の「Tiny Spark」の歌詞と、その歌詞をもとにして作られた高瀬さんのこのジャケットの話になったときのこと。
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高瀬さんとしては詞に描かれた風景をそのまま取り入れたとのことですが、飯泉さんはこのジャケットが歌詞を書くときに頭の中に思い描いたイメージと全く同じだったそうです。
この絵にも描かれていますが、飯泉さんは明かりがついている電車が走る風景がすごく好きだとのこと。その言葉を受けて森さんがこう語られます。

「昔、目蒲線も地上を走っていて。今は地下になっちゃいましたけど」

「目蒲線」なんて言葉が出ていたとはびっくりでした。
目蒲線が明かりをつけて地上を走っていた風景を想像するだけでたまらないものがあります。

目蒲線といえば、同じ蒲田から出ていた東急の電車の池上線の話を最後に少し。
それはつい先日発売された『散歩の達人』という雑誌のこと。特集は東急池上線。その特集の最初のページに載っていたのがこの写真でした。
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五反田駅付近を明かりがついた電車が走る風景。
この写真の下の記事にも書かれていますが、あの高い場所にある五反田駅から明かりがついた電車が出て行く風景は、まさに銀河鉄道。
ちなみにこのページをもう少し大きく写したのがこの写真。
明かりのついた池上線の電車の下に載っているのはなんと隣町珈琲と店主の平川克美さん。話ができすぎですね。
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ところで五反田駅周辺といえば小津の『早春』や『東京暮色』の舞台になっていますが、実は映画では使われなかったけれど『東京物語』でもロケハンされているんですね。

尾道のロケハンをすませて東京に戻ってから数日の休みをとって最初に向かったのが五反田でした。
厚田さんの昭和28年7月8日の撮影日程表はこうなっています。

東京ロケハン 新宿駅12時集合 五反田駅附近アパート 目蒲線不動駅 横浜平沼町アパート

これは本当に興味深い内容。「不動駅」というのは正しくは不動前駅ですね。武蔵小山駅の隣の駅。
この日のブログでも書きましたが「五反田駅附近アパート 目蒲線不動駅」で探したのは紀子(原節子)と「しょうじ」が暮らしていたアパートの場所だったにちがいありません。実際に映画の撮影で使われたのは「横浜平沼町」にあった同潤会のアパートですが、小津たちが場所として想定していたのは池上線の五反田駅や目蒲線の不動前駅周辺。原節子さんは尾道を去った後、まさにこのあたりに戻ってきていたんですね。
はたして原節子さん夫婦はどこに住んでいたんでしょう。小津のことだから「このあたり」というぼんやりしたイメージではなく、はっきりとここと決めていたはず。改めて書いておきますが、『東京物語』で原節子さんが「しょうじ」と住んでいたアパートに笠智衆夫婦が泊まったときに電車の音がするのですが、それはまちがいなく目蒲線か池上線の電車の音。

一応この近辺の地図を貼っておきます。ちなみに平川さんの隣町珈琲があるのは荏原中延駅の近くです。
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佐藤さん、飯泉さんもここのどこかにお住まいなんでしょうか。
ところで、高瀬さんのジャケットに写っている電車はどこを走る電車だったんでしょうか。これが池上線か、現在の目黒線だったら話のオチとしては最高なのですが。

というわけで、次回は改めて尾道の話に戻ります。
そう、あの平山家があったと想定された場所に行ってきました。
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by hinaseno | 2016-10-20 12:50 | 音楽 | Comments(0)