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昨日の最後、実際には映画に一度も登場させないにもかかわらず、福善寺近くの平山家の場所を特定していると書きましたが、あのあたりの風景を思い浮かべていたときに、はっと『東京物語』のあるシーンを思い浮かべました。確認したらやはり写っていました。
そのシーンのカットは浄土寺付近で探していたけど見つからなかったもの。まさか福善寺のあたりで撮られていたとは思いませんでした。映画資料館のパネルにはそのカットの撮影された場所が示されていたっけ?

とりあえず、厚田さんの手帳の左のページに記された図の説明をします。線路の左側に描かれているのが福善寺。墓地を示す墓の絵が描かれています(ちなみに手帳のこのページの写真が掲載された『デジタル小津安二郎――キャメラマン厚田雄春の視』では、この写真の下のコメントも含めて説明は一切ありません)。
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これがこのあたりの現在の地図。
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厚田さんは線路と国道が上下に走るように描いていますが、北を上にした場合の実際の地形はこうなっています。

まず、厚田さんの図に示された平山家の場所の特定から。厚田さんの手帳の平山家の左には階段が描かれています。実はこのあたりの両側はかなりの崖。もともとは山の尾根だったところを切り通して鉄道と国道を作ったんですね。厚田さんが何本もの斜線で描いているのは崖のこと。江戸時代なんかの古い地図を見たら、おそらくはそのせり出した尾根の先の部分全体を丹花と呼んでいたはず。

さて、福善寺とは反対側の国道の沿いの崖には現在この付近に2箇所階段があります。
改めて厚田さんが描いた図を見ると境内に入る門の手前に石段のようなものが描かれています。平山家のそばの石段はその真正面。
厚田さんが描いた門は福善寺の南西側の山門ではなく南東にある小さな門。赤い点線の丸で描いている場所にある門です。実は僕が線路脇の細い坂道(かなりの急坂)を登って入ったのがこの門でした。石段から左に折れて門があるのも厚田さんが描いている通りですね。その門の線路と国道を挟んで反対側にあるのが先日紹介した丹花小路。昔はおそらくここにまっすぐ道が通じていたはず。
厚田さんが平山家のそばに描いていた階段はまさにこの丹花小路に入る場所にある階段でした。とすれば平山家は階段から崖を少し登った左手の赤の四角で囲んだあたりということになります。
撮影日程表に「丹花」と書いているのは、平山家の場所として想定した辺りを探るためだったんでしょうね。

で、『東京物語』でこの付近が映っていたというのはこのシーン。
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右端の崖上に見えるのは地図の紫の四角で示したあたりにあった家だと思います。
ストリートビューを使って丹花小路の入口付近から東の方向をとらえたのがこの写真。右手の崖のあたりに見える階段はそのままです。
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ちなみにこの場所から福善寺側を見るとこうなります。
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『東京物語』のカットはこの写真の左の端の坂の付近から線路のそばに入って撮影したはず。地図で確認すると緑で丸をしたあたりから矢印の方向に向かって撮られたと考えられます。僕は同じ道を通っていたのですが気がつきませんでした。

そういえば厚田さんの手帳の右のページには「福善寺下の線路付近の土蔵」という言葉が書かれています。で、左のページの絵を見ると線路脇に赤く塗られた建物があります。もしかしたらこの建物が「土蔵」で、そこから撮った風景なのかもしれません。

実は僕はここから数十メートルしか離れていない場所で線路の上を歩いたのですが(青い矢印の場所)、そこでも映画のあのシーンとほぼ同じような風景を見ることができていたはずで、ちらっと見ていたとは思いますが気がつきませんでした。情けない。
ちなみにこれがその線路上からストリートビューを使って見た風景。
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ところで、上のシーンがいつ『東京物語』に登場するかというと、まさに映画のラストシーン。原節子演じる紀子の乗った東京行きの列車が走り去っていくシーンとして映ります。
映画の流れからいうと、筒湯小学校に設定されている小学校に勤めている京子(香川京子)が授業の途中で教室の窓から外を見ます。
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で、上りの列車が向こうからやってきます。実際には浄土寺付近で撮られています。
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そしてそのあとにこのシーンが続きます。崖沿いの丹花あたりの風景が見えるのはほんの一瞬。
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列車が走り去っているということを表しているカットですが、実際の位置としてはこちらの方が尾道駅に近いんですね。
ただ改めて考えてみると、このラストシーンの紀子が乗った列車を見送るシーンが撮影された2つの場所というのはとても意味深いように思いました。
一つは浄土寺近くに設定された平山家のそばで撮影されていて、もう一つは「とみ」と「しょうじ」が眠ることになる福善寺近くに設定された平山家のそばで撮影されている。つまり、上は京子という、これからいろんな形で大人の世界を知っていくことになる若い「生者」が見送る形で、そして下は「死者」が見送る形になっていたんですね。

さて、僕は尾道に行った日(考えたら紀子を演じた原節子さんの一周忌に近い日でした)の夕方、「死者」たちが紀子を見送った場所に近い、地図の青い矢印の場所を通って、国道を渡って路地を入ったところにある場所へと向かいました。地図の右端の青い星印で示した場所でした。福善寺近くの丹花小路にあった平山家からは100mも離れていない場所。路地を抜けていけば1分くらいで行ける場所かもしれません。そこは昔、泌尿器科の病院のあった場所。『東京物語』のロケをしたときにも病院はそこにありました。おそらく戦前からあったんだろうと思います。もしかしたら平山家の人たちもその病院に何度かお世話になっていたかもしれません。

今、そこは昔の病院をそのまま残した形でいい雰囲気の古本屋になっています。このシリーズの一番上に貼った写真はその古本屋を撮ったものでした。古本屋の名は弐拾dB。
その日、そこで世田谷ピンポンズさんのライブが行われたんですね。「もうひとつの平山家」とライブが開かれた場所が目と鼻の先だったというのも何かの縁としか言えません。
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by hinaseno | 2016-09-29 11:24 | 映画 | Comments(0)

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小津安二郎の『東京物語』の尾道のシーンを見ると、いろんな形で尾道の平山家が寺のすぐそばにあることが示されています。
例えばこの家の中の様子をとらえたカット。家はもちろんセットですが、庭の向こうにはお寺の塀と何体もの石仏を見えます。
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そして、その庭で作業をしている場面として映し出されたのがこのシーン。
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向こうに見えるのは浄土寺の塀と多宝塔。これによって僕に限らず尾道のことをそれなりに知っている人であれば尾道の平山家はこの地図で示した辺りの場所と普通に考えてしまいます。
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とみが亡くなった日の朝、朝日が昇るのを見に行った笠智衆を原節子が探しに行ったあのあまりにも有名なこのシーンが撮られたのも浄土寺。
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平山家が浄土寺のそばにあったというのはおそらく常識になっているはず。厚田さんの手帳のどこかのページには間違いなく浄土寺のそばの平山家を図示した絵が描かれているに違いありません。
でも、その別のページには福善寺のそばに平山家が描かれていたんですね。これには本当に驚きました。
浄土寺周辺にあの葬儀をした寺の墓地が見当たらなかったので、僕はああ、葬儀は家のそばの浄土寺ではなく、別の寺でしたんだなと考えました。物語としてはそれでもなんの問題もないように思います。例えばあの墓が福善寺にあるものだとわかった人であれば、浄土寺のそばの家から福善寺までは1kmも離れていないので、そこで葬儀が行われ、そこに墓が作られたとしても特に変だとは思わないはず。

ところが平山家はその福善寺のそばにも設定されていたんですね。小津の頭の中にははっきりとした尾道の平山家のイメージがあって、あくまで平山家は寺のすぐそばにあり、その寺で葬儀も行われ、おそらくそこの墓地に平山家の人たちが代々眠っているわけです。そのためには場合によってはそばの寺が浄土寺であろうが福善寺であろうが映画的には構わない。

ふと、これは平川克美さん率いる隣町探偵団によって解明が進められた小津の『生れてはみたけれど』の吉井家とその前を入る鉄道の関係と同じだなと思いました。
小津が頭の中でバーチャルに作り上げた風景に合わせるために、家の前に走っている鉄道は場合によって池上線が写っていたり目蒲線が写っていたりしているんですね。当然それによって吉井家も池上線沿線と目蒲線沿線の2箇所に設定されることになる。
尾道の平山家と、浄土寺あるいは福善寺の関係と全く同じ。

では、その福善寺のそばの平山家は実際にはどこに設定されていたのか。それはだいたいの場所ではないんですね。きちんと場所を特定している。実際には映画に一度も登場しないにもかかわらず。
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by hinaseno | 2016-09-28 13:32 | 映画 | Comments(0)

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福善寺で『東京物語』に映った墓地を確認した後に行った映画資料館の2階には映画に関するたくさんの本が並んでいました。その中から自分が持っていない小津に関する本を何冊か取り出して尾道のロケに関する写真などがないかと調べました。
そこで目に留まったのが『デジタル小津安二郎――キャメラマン厚田雄春の視』に掲載されていたこの写真でした。厚田さんが持っていた手帳の1ページを写したもの。
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右のページには大きく「福善寺墓地」という文字と福善寺境内の絵。そこには墓地をどういうアングルで撮影したかが詳しく記されています。そして左のページには福善寺周辺の地図…。
とはいうものの映画資料館では「福善寺墓地」という言葉を確認しただけで、戻ってから図書館ででも借りてじっくり見てみようと考えて、たいして見ないままページを閉じました。
で、数日後にそれを手に入れてじっくり見たら、そこには驚くべき言葉が。

その前にまず右のページの図を。
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そこには本堂の端の部分と背後の墓地が描かれていて、その中にA〜Dのアルファベットを添えた矢印、あるいはカメラの絵が記されています。もちろんそれは映画で使われた4つのカットを撮影した場所と、撮影した方向を示していたもの。
でも、これ、行く前に見ていてもどこがどこやらわからないでしょうね。行った後だからわかりますが。

AからDを順番に説明しておきます。確かこの順番で映画に映ったはず。
まずAで撮影したのがこのカット。
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そしてこれがBで撮影したカット。
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で、これがCで撮影したカット。
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ここまでは全部境内から墓地を見上げる同じ方向から撮っています。
でも、問題はD。ここで撮影したのがこのカット。
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このカットだけ撮った方向が違うんですね。しかも他の場所からはかなり離れていて、境内からここに映る墓を見ることはできません。墓地のある丘に登る道はれんが坂につながる北の端(図では左の端)にあるので、このDの場所まではかなりの距離。僕はなかなか見つからなくて諦めて戻りかけた時に見つけたのですが、小津たちもたぶん墓の南の端(図では右端)まで行って、そこから戻ろうとした時にこの風景を見つけたのではないかと思います。
境内からは見ることのできないこのカットをあえて入れているのが興味深いですね。この日のブログで僕は「とみ」と「しょうじ」はこの場所の墓に眠っているような気がすると書きましたが、それは小津の意識の中でも同じだったんではないかと思えてきました。

さて、問題は左のページに描かれた福善寺周辺の地図。
そこには赤く塗られた四角、そして「平山家」の文字。

福善寺のそばに平山家!?
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by hinaseno | 2016-09-27 13:18 | 映画 | Comments(0)

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『東京物語』の尾道でのロケを考えるとき、最も重要だったのは昭和28年6月30日のロケハンでした。改めてこの日の厚田さんの撮影日程表を。
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最初は書かれている字も含めてわからないことだらけだったのですが、いろいろ調べてどうにかこの日小津たちが歩いた場所がわかりました。
その歩いた道を図示したのがこの地図。
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本当は昭和28年ごろの大きな地図があれば一番よかったのですが、現段階では手に入らなかったのでネット上にあった昭和3年のこの地図を。ちょっと古いですが、後の地図には記されていないはずの貴重な地名が書かれているので。

赤の矢印で示したのが、この日小津たちが浄土寺から歩いた道。青丸が『東京物語』に登場するシーンのロケ地。
この日に小津たちが歩いたり、行ったりしたのは、映画のシーンには出てはこないけど興味深い場所ばかり。もし、この先『東京物語』の尾道ロケの写真がいろいろと出てくることがあったら、このコースのどこかであることは間違いありません。今度尾道に行ったら絶対にこのルートで歩いてみようと思っています。紅葉が始まっていて、気持ちのよい青空の広がった(鱗雲か鰯雲が出ていてもいいですね)秋の日に行けたらなと。

地図の1番の浄土寺周辺では映画のたくさんのカットが撮影されたのでここでは省略。
2番が筒湯小学校。このカットですね。
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撮影日程表では筒湯小学校の記載はありませんが、この日間違いなく小津たちはこの学校の前を通っています。尾道をロケするときにはおそらく地元の地理に詳しい案内人がいたはずで、最初に紹介されたのが土堂小学校だったはず。でも、小津はこっちにしたんですね。建物としてははるかに土堂小学校の方が魅力的だったはずですが。

3番は昨日紹介したこのカットが撮られた場所。
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なぜこの日にここを通ったかがわかったかといえば、ポイントは撮影日程表に書かれていた「保ケン病院」という言葉でした。昭和3年の地図の3番の近くに診療院というのがあります。これがなんとなくにおったんですね。
で、その後で手に入れたこの地図。
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昭和45年の地図ですが、診療院のあった場所には保健所の文字。その右下には市民病院。「保ケン病院」とメモされた言葉はここの「保健所」と「市民病院」に違いありません。『東京物語』では病院のシーンは出てきませんでしたが、長男の幸一は尾道の病院で働いていて、のちに東京で個人の病院を開業したような感じなので、幸一が働いていた病院としてここを見に行ったのもしれません。
とみが危篤の状態になったときに地元の医者がやってきますが、幸一とかなり細かいやりとりをしていることから2人はもしかしたら尾道の病院で先輩後輩の関係にあった可能性もあります。
ちなみに地元の医者と幸一のやりとりはシナリオではこうなっていました。映画では何を言っているのか聞き取れませんでした。

医者「アーデルラッスしてブルートドルックは下がったんですが、どうもコーマが取れませんので……」
幸一「あゝ、さうですか。レアクチオンが弱いですね」
医者「はあ」


これはかなりの専門用語のはず。お互いに相手が専門医であることを知っていなければできない会話ですね。というわけで、なんらかの形で映画に使う可能性も考えてここにロケハンに行ったような気がします。結果的には病院は使わなかったけれども、そこでたまたま通った路地を映画に使ったんですね。
ところで、昭和45年で市民病院と書かれている場所には現在、尾道市立中央図書館が建っているようです(「なかよし号」という名の移動図書館も走っているみたいですね)。今度尾道に行ったときには、ここに立ち寄ってぜひ調べてみたいことがあります。
このあたりでぜひ立ち寄ってみたいといえば、以前紹介した久保小学校。そして何よりも見てみたいのが西郷寺。
この寺、ネットで調べたら素晴らしいんですね。特に寄棟造りの本堂の美しいこと。しかもこのお寺、個人的に大好きな一遍さんが開いた時宗。あとでわかったことですが尾道には時宗の寺が多いんですね。その中でもこの西郷寺は最高です。

さて、ここからは道順は少しわからないものの次に行ったのは「れんが坂」と呼ばれる坂。厚田さんの日程表の字は「練瓦坂」だったんですね。「れんが」の正しい漢字は「煉瓦」ですが厚田さんらしい当て字。ただ「煉瓦坂」というのが正しい表記でもないようです。
ネットで調べてれんが坂がどのあたりにあるのかはわかりましたが、昭和3年の地図を見ると同じ場所に変な漢字の坂が。文字を縦向きにして拡大するとこうなります。
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最初の字は木へんに「電」。こんな字、存在しないんですね。どうやら「でんぎ坂」と読むようです。これが訛ったのかどうかはわかりませんが「れんが坂」になったということがネットに書かれていました。
このれんが坂のことがわかったのもつい先日。ここを少しだけ歩いていたこともわかりました。ストリートビューを使ってれんが坂をこの方向に歩いていると、突然、こんな風景が飛び込んできます。
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景色が開けた瞬間に、あの福善寺の墓地が現れてくるんです。福善寺の墓地かられんが坂に入れるようになっているので、映画に映った墓地を探していたときにここまできていたんですね。
それにしてもれんが坂を歩いていて、突然この風景に出会ったら、かなり感動するのではないかと思います。小津たちが福善寺の墓地を見つけたのは、たまたまこのれんが坂を通っていたからではないかなと。
実はこのとき小津たちが向かっていたのは御袖天満宮。厚田さんの撮影日程表に書かれていた「天満宮」ってどこだろうと思っていたんですが、尾道には天満宮はここしかなかったんですね。場所は福善寺のすぐそば。もっと早くわかっていれば行ってたのに、でした。小津たちがれんが坂を通ったのは、市民病院のあったあたりから一番の近道だったからだと思います。
ストリートビューで見たこの神社の境内からの風景がこれ。
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この風景を見て思ったのは、ここがこのシーンを撮影する候補地だったのではないかということ。
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シナリオを見るとこのシーンのト書きはこうなっています。
街と海を見下ろす崖上の空き地。

結果的には浄土寺の境内で撮影されることになったわけですが、このロケハンをしているときにはまだ平山家をどこにするかは決まっていなかったはずなので、街と海の見下ろすことのできる空き地(一応境内は想定したはず)を同行したはずの人に訊いて連れてきてもらったのがこの場所だったのかもしれません。ただ、あのシーンを撮るには塀とかが邪魔な感じがします。と言っても今は浄土寺の境内のあの場所にも塀が作られてしまっているのですが。
そういえば上に貼った昭和45年の地図についていたガイドブックに浄土寺のこんな写真が載っていました。
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まだ、鐘楼も塀も建てられていない、『東京物語』が撮影された時のままのあの場所を見ることができます。

さて、御袖天満宮の次は4番目の福善寺。このカットをはじめ墓地のいろんな写真が撮られた重要な場所ですね。
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この場所もト書きに書かれている、向こうに海の見える墓地がある寺として連れてきてもらったのかもしれませんが、御袖天満宮に向かう途中でたまたま発見したような気もします。その方が面白いですね。

その次に行ったのが「丹花町」(ピンクで丸をした場所)。そこに何かがあるというわけではなさそうですが、何かがあったんでロケハンをしたんですね。ただ通っただけの町を書き留めていたらきりがないはずですから。
福善寺の方から山陽本線と国道を渡ってこの丹花町に入る場所をストリートビューで見るとこうなっています。
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歩道からすぐに石段があって、石段に上るそばには「丹花小路」と書かれた石柱。この前の歩道は2往復くらいしていたんですが気付きませんでした。昭和3年の地図を見てもわかるように、このあたりの路地は「○○小路」という名前がついているところが多いんですね。たぶん地図に載っていないものもいくつもあるはず。

この丹花小路はとても気になるのですが、残念ながらストリートビューで入ることができません。ネットにいくつか写真が上がっていますが、なんとも雰囲気のある路地。映画ではこの路地の風景は何も使われなかったわけですが、いったい小津たちはここで何を見ていたのか。これが今回の謎でした。でもその答えが見つかったんですね。それは次回に。

この丹花小路を抜けてまっすぐ南に下った5番目の場所がこのカットが撮影された米揚町(または米場町)。
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ちなみに小津たちが泊まった竹村旅館は海沿いの赤丸の場所。そこを囲むように歩いたことがよくわかります。

ところで、地図には丹花小路からは東に100mほど行った場所に黄色で☆印をつけています。ここには昔病院があったようです。この場所のことについてはまた改めて。
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by hinaseno | 2016-09-26 13:17 | 映画 | Comments(0)

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ということで、後で予定していることの時間を気にしながら、香川京子さんが歩いた場所を探しに行きました。改めてそのシーンを。
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ところで家に戻ってから見つけた蓮實重彦著『監督 小津安二郎』の付録の厚田さんの昭和28年撮影記録の8月17日のところにはこんな記述が。
西国寺通り路地香川の歩き

ここの「西国寺」はおそらく「西郷寺」の間違いのはず。西国寺はロケされたはずの場所からはかなり離れているし、西国寺に行く道からも外れています。
ちなみに同じ日にはこんな記述もあります。
善光寺の墓地

善光寺? 尾道にそんなお寺はありません。もちろんこれは「福善寺」の間違い。厚田さんか、それを書き写した人か(蓮見さん?)、あるいは活字化した人の誰かが間違えたんでしょうね。

映画資料館ではあのシーンをロケした場所が久保小学校と西郷寺の近くであることが確認できたのですぐにわかるだろうと思って、とにかく行ってみることにしました。
でも、その前に6時から予定していたことが行われる場所を確認しておく必要があると思って、行く途中で(行く途中にある場所だったんですね)にその場所を見に行きました。
そこは奥まった路地の中の、かなり見つけにくい所だとは知っていましたが、確かにそうでした。地図を見ながら行ったものの、結果的にはいちばん分かりにくい路地から入ったためにちょっと不安になりかけていたのですが、そのときに聴き慣れた歌が聴こえてきました。

いい歳をしてオレンジジュースを飲みながら
藤子不二雄の漫画本を読んでいる
ふふふふ ふふふふ

ああ、ここだ。ちょうどリハーサル中。
あまりにもその路地の昭和の風景に似つかわしい歌だったので、そこにいて彼の歌声をずっと聴いていようかと思いましたが、ぐっと我慢して、今日の最後の目的の場所に向かいました。

ってことで、そこから歩いて10分ちょっとで久保小学校のあたりに到着。でも、そのあたりをいろいろ歩き回ったけど映画のあのシーンの場所は見当たらない。街並みはかなり新しくなっていて、どうやら当時とはかなり変わっていることがわかりました。家も、道も。
仕方なく近くの食料品店に立ち寄ってレジに立っていた30代くらいの女性に訊いてみました。写真を見せたけど残念ながら『東京物語』のことも知らない。どうやら結婚してこの町に来たようで、そのご主人と思われる40代後半くらいの男性を呼んでくる。ご主人はこの辺りに昔から住んでいるとのこと。ただ、写真をしばらく眺めても首をかしげたまま。
困ったなと思ったら、もしかしたらあそこかもしれないということで、そこへ行く道を教えてもらう。西郷寺の山門へ向かう道の途中に一本の路地が横切っている。そこではないかと。結果的にはそれが当たっていたんですね。もしもその人がいなければ、でした。

路地の角には塀も含めて雰囲気のいい家が一軒建っていました。その家があの映画にちらっと写っている壁の家のような気もする。でも、道は映画に映っている路地とは違ってかなり広くなっている。
そうしたらたまたまその家に住んでいる年配の女性が帰ってくました。訊いてみたら確かにその家の前の路地で『東京物語』が撮影されたと。そのあたりにあった家はほぼ全て取り払われて道を倍くらいに広げらたので街並みはすっかり変わったと。
ということで、その家の横で撮影したものがこれ。
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間違いはない、とは思うけど確信が持てませんでした。何も知らずにここを通ったら絶対に気付くことはできなかったでしょうね。

ところで映画資料館に展示されていた『キネマ旬報』のページに掲載されていた驚きの写真というのがこれでした。
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路地を歩く香川京子さんを正面からとらえたもの。もちろんこんな写真を見たのは初めて。本を手に入れて確かめたら、展示されていたものを見たときにはわからなかったことがいろいろとわかりました。もちろん行ったからわかること。
ポイントは後方に写っている2階建ての家。よく見たら4人くらいの女性が見学しています。この家がまさに僕がいろいろと話を伺った女性の家だったんですね。もしかしたらその女性もそこに写っているのかもしれません。

一応確認のためにグーグルマップのストリートビューの画像を。
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間違いない。2階建ての家はそのままですね。これでようやく確証が得られました。

それにしても、小津は尾道の数ある路地の中でなぜこの場所を選んだんでしょうか。さらに言えばなぜ福善寺の墓地を選んだんでしょうか。
それを解明するためには昭和28年6月30日の足取りを追わなければなりません。
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by hinaseno | 2016-09-24 12:42 | 映画 | Comments(0)

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尾道を歩いていた時に、偶然出くわすことができればいいと思っていたのは、尾道の路地で映したはずのこの2つのカットでした。
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上は香川京子さんが尾道の平山家を出て歩いている場面。こちらは目印というべきものが何もありません。下は大きな建物のそばを子供達が登校あるいは下校する場面。建物には「栗吉材木店」と大きく書かれた看板があるので、こちらはネットを調べればすぐにわかるだろうと思いましたがそれではおもしろくないので。

でも、この日かなりの距離を歩いたにもかかわらず、それらしい風景に出会うこともなく、ロケ地探しもとりあえずは終わりと思って映画資料館に入ったら、すぐ正面に作られたパネルに、大きな地図と『東京物語』に映ったシーンの写真が貼られていました。もちろんこの2枚の写真も。
驚いたのは下の写真が映画資料館を出てすぐ左の場所だということ。嘘みたいな話。何度も通っていた場所でした。すぐに出て見に行こうかと思いましたが、そういうわけにもいかないので、展示されたものを見た後で行きました。
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映画に映っている風景は跡形もありませんね。
これではつまらないので、何かこの建物が映っている昔の写真はないかとネットで探したら、魚信という旅館のサイトにおっと思う写真がありました。魚信は尾道の市役所から少し東の海沿いの旅館。上に貼った写真の右手の少し奥に行ったところに緑色に茂った木が見えるのが魚信の場所。
その魚信のサイトに貼られていたのがこの写真。大正末期とのこと。
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帆船の泊まっているあたりが魚信。その左の方の道をはさんで向こう側に気になる二つの建物が写っています。小津が撮影したのはこの写真の30年後くらいなので、多少建物の外観は変わっているように見えますが、上の方の窓とか屋根の感じから、おそらく同じ建物のはず。
ところで、魚信のサイトでは、この写真の帆船が北前船ではないかと書かれています。北前船というのは江戸時代から明治にかけて米などを運んでいた船。この船がこのあたりに寄港して米などを荷揚げしたので米揚町という名がついたのでは、と推測していたら、このあたりは「揚」ではなく「場」の米場町(こめばちょう)という名で現在も呼ばれていることがネットに書かれているのを発見しました。厚田さんは「こめあげ」町と、多分町を案内した人に聞いたので「米アゲ」町と表記したはずですが。果たしてどちらが正しいんでしょうか。

さて、気になっていたもう一枚のカットが撮影された場所もパネルに記されていました。場所は久保小学校の近く。
ただ、パネルの地図はかなり大雑把なものだったので、すぐにはわかりそうもなく、後の予定のこともあったので、そこに行くべきかどうしようかと考えながら、資料館に展示されたものを見て回りました。
正直、そんなにあっと驚くようなすごいものがあるとは期待もせず見て回っていたら、あったんですね。僕としてはすごすぎるものが。
一つは展示されていた『キネマ旬報』に掲載された『東京物語』のロケの様子を捕えた写真。見たこともない写真が並ぶ中に驚きの一枚が。これを見てやはり香川京子さんが歩いた場所に行かなければと思いました。本当はそこに展示されていたものの写真を撮影しておきたかったのですが、そういうわけにもいかないので戻ってから入手しました。いやはやすごい。
それからもう一つは資料館の2階に置かれていて本に掲載された一枚の写真。その場で見たときにはそれほど驚きはしなかったのですが、後でそれを入手してよく見たら、腰が抜けるほどびっくりなことが。今回の一番の発見でした。その場で気が付いていたらそちらも歩いていたのに、でした。

というわけで、映画資料館を出て、隣の建物のあたりを撮影してから、久保小学校の方に向かいました。
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by hinaseno | 2016-09-23 13:34 | 映画 | Comments(0)

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福善寺でこの日の大きな目的を果たしたので、その後どうしようかと考えて、前回見つけていたけど入らなかった映画資料館に行きました。場所は福善寺からほぼ真南に下った海沿いの通り。尾道市役所の向かいですね。そういえば笠智衆演じる平山周吉は以前は市の教育課長だったという設定なので、この市役所に勤めていたことになります。

映画資料館には尾道でロケされた数々の映画に関するものが展示されています。メインはやはり入ってすぐのところに大きくスペースを取って展示されている『東京物語』。尾道でロケされた映画については川本三郎さんの『日本映画を行く』に『東京物語』以外にもいくつか紹介されていて知っていましたが、知らない映画もたくさん。驚きました。
ちなみに川本さんの本で紹介されているものを列挙すると、
南田洋子主演『素足の娘』(57年)
京マチ子『女の声』(57年)
佐田啓二、岡田茉莉子主演『集金旅行』(57年)
池部良、山本富士子主演『暗夜行路』(59年)
石原裕次郎、浅丘ルリ子主演『憎いあンちくしょう』(62年)
吉永小百合主演『うず潮』(64年)

この中で見たことがあるのは今もYouTubeで見れる『集金旅行』だけ。これは大好きな映画。原作は井伏鱒二。主演も佐田啓二、岡田茉莉子。悪いわけがありません。そういえば『東京物語』で、小津が当初、平山家の三男として予定していたのは佐田啓二。でも、どうしても都合が合わなかったんですね。小津は俳優を決めて脚本を書くので、もしあの三男が大坂志郎ではなく佐田啓二であれば、もう少し(いや、かなり)違った映画になっていたのかもしれません。佐田啓二であればあの墓地を前にどんな表情をしたんでしょうか。

見たことのない映画の中で一番気になるのは最初にあげられている『素足の娘』。実は先日、とある古本屋でこの原作の本を見つけたばかりでした。作者は佐多稲子。
この本は前々から読んでみようと思いながら、出会うことのないまま忘れてしまっていたらひょこっと。映画資料館にも『素足の娘』の展示を見てあっと思ったんですね。
佐多稲子の『素足の娘』のことを知ったのは、姫路に木山捷平という作家がいたことを教えてもらったときに紹介された橘川真一著『播磨文学紀行』でした。この本の中に佐多稲子の『素足の娘』がありました。佐多稲子は子供の頃、相生に住んでいて、彼女の自伝的な作品である『素足の娘』に、その相生を舞台にした場面が出てくるんですね。でも、この作品に尾道は出てくるんでしょうか。もしかしたら相生の場面を尾道で撮ったのかもしれません。とろあえず小説を読んでみますが、映画もぜひ見てみたい。
ちなみに『播磨文学紀行』には志賀直哉の『暗夜行路』も紹介されています。主人公の謙作は尾道を去って東京に戻る途中で姫路に立ち寄るんですね。これも最初読んだときは結構びっくりでした。志賀直哉は姫路に来たことがあって、それで本の数行ですが『暗夜行路』に姫路を入れたんですね。
池部良主演の『暗夜行路』には姫路に立ち寄るシーンがあるんでしょうか。これも一度ぜひ見てみたい。

ところで尾道でのロケの最終日である昭和28年6月30日、小津たちは福善寺を出た後、丹花の町を通って米アゲ町という場所に行っています。
と、今ではこうすらっと説明できますが、厚田さんの日程表では福善寺の「善」という字も読みづらいばかりか、その後の「丹花米アゲ町」と書かれた部分も実際にはどこで言葉が切れるのかわからない。「花」と「米」の間には読点ではなくハイフンのようなものも見えるし、かたかなで書かれた「ケ」に濁点が付いているのかどうかも微妙。最後の字も本当に「町」なのかどうかもあやしい。最初にこれを見たときには福善寺で丹花の米をアゲものにでもして食べたのかなと思ったくらい(なんのこっちゃですが)。でも、この日の撮影日程表の右下には赤字で「ロケハ」と書いているので、ここに記載されているのがこの日ロケハンをした場所であることは疑いのないこと。

尾道から戻ってから気がついた蓮實重彦著『監督 小津安二郎』のこの日の日記を見たら実際には付いていない読点を振って(この読点を振ったり振らなかったりすることに関してはかなりいい加減)「福善寺、丹花、米アゲ町」との記載。言葉の分け方としてはこうだろうと考えて僕も「米アゲ町」についていろいろと調べました。でも、「米アゲ町」は今は存在していないようですし、昔の地図をいくつか見ても「米アゲ町」は見当たらない。「アゲ」にあたる漢字をいくつか推測してネットで検索しても何もヒットしませんでした。ということで「米アゲ町」という町と読むのは間違いなのかと考えていました。
ところが、『監督 小津安二郎』を読んで8月にロケに来ていることがわかって、その日程表を見たら8月18日のところに「米揚町」の文字。これにはびっくり。やはり米揚(こめあげ)町は存在したんですね。で、改めてネットでいろいろ調べていたら、このページに貼られている昭和26年(『東京物語』のロケの2年前)の尾道の地図に「米揚町」という文字を発見。かなり見づらいですが。
場所はまさに市役所の前。つまり映画資料館のある場所あたり。
もちろん映画資料館に行ったときには、そこが撮影日程表に書かれている「米揚町」だとは知る由もありませんでした。

さて、映画資料館に入った正面に貼られたパネルには『東京物語』のロケ地が映画の撮影シーンの写真とともに紹介されていたんですが、驚いたことに映画資料館のすぐそばであるシーンが撮影されていることがわかったんですね。どこか歩いているときにその場所に出会えればと考えていたんですが、まさかこんな形でその場所がわかるとはでした。
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by hinaseno | 2016-09-22 11:32 | 映画 | Comments(0)

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改めて昭和28年6月30日の撮影日程表を。
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2行目の「浄土寺」のあとの「保ケン病院」から4行目にかけては、判別しづらい言葉が並んでいて(最後の行は言葉の切れ目すらわかりにくい)、尾道に行く前にいろいろと調べてはいましたがほとんどわからないまま。でも行ってみて、いくつもの手がかりをつかむことができて、今朝ようやく(ほぼ)全容解明できました。これについては後日。

さて、今回の目的はお墓探しということだったので、小津が尾道でロケハンしたときに最後に行った寺、「福善寺」に向かいました。ロケ地巡りとしてはこの日最後に予定していた場所。
ところで、日程表の「福善寺」も読みづらいですね。蓮實重彦『監督 小津安二郎』(文庫本)では28日と同様に「福ゼ寺」と表記していますが、真ん中の字はいくらなんでも「ゼ」とは読めません。僕は最初「福寿寺」と読んでいました。でも、尾道には福寿寺という寺はなく「福」の字で始まる寺は前にも書いたように福善寺だけ。
ポイントになったのはその次に書かれた「丹花」という言葉。「丹花」だけで調べたときには「紅い花」という意味だったので、「?」だったんですが、「福善寺 丹花」で調べたらわかりました。福善寺あたりの古い地名が丹花だったんですね。昭和3年の地図を見ると福善寺の西に「西丹花」、南に「丹花町」という言葉を見ることができます。どうやら小津たちは福善寺のあとに南に下って丹花町の方に行ったようです。
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これが福善寺の山門。
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実は僕は境内の西側にあるこの山門から入ったのではなく、線路のすぐそばのかなり険しい坂を登って福善寺の南側から境内に入りました。
そして縦に長い境内を北に向かって歩き、山門前の本堂を通りすぎたときにこの風景が目に飛び込んできました。
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そこにはまさに『東京物語』の「とみ」の葬儀のときに映し出されたこのカットの風景がありました。
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ようやく「とみ」と「しょうじ」が眠る墓地にたどり着くことができて、正直、涙が出そうなくらいに感動してしまいました。というわけで、この廊下に座ってかなり長い間墓を眺めていました。ちょうど『東京物語』で「とみ」の葬儀が行なわれている最中に本堂から抜け出して廊下に座って墓を見上げていた三男の敬三と同じように。
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一息ついてから墓地をとらえた3つのカットの場所を探しました。まず一つめはこのシーン。
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これはすぐにわかりました。本堂からもう少し横に行った場所。手前に写っている屋根が邪魔していたので同じアングルは無理でした。
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で、この写真に写っている山の頂上あたりでこのカットの場所が見つかりました。
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ここですね。
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ここまではすんなりと。でも、もうひとつのこのカットの場所を見つけるのが大変でした。
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このずらりと立ち並んだ墓地の中をかなりの時間歩き回りました。
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墓地を歩いて墓を探すといえば、ちょうど3年前の9月に木山捷平の姫路でのたったひとりの友である大西重利さんの墓を探して墓地の中に入り込んだことがありますが、あのときに入った墓地はあちこちからいろんなものが出てきそうで気持ち悪くてどうしようもなかったのですが、こちらの墓地は向こうに海も見えて開放的。いつまでもここにいたいような気持ちにさせられました。死んだときにはここに埋めてもらおうかと思ったくらい。
で、一時間くらい探しまわって、少し諦めかけていたときにようやくその場所を見つけることができました。
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すぐ手前に見える没年が昭和2年と昭和15年の2つの墓も石垣の上に見える2つの墓もほぼそのまま。平山とみと平山昌二の墓もこのあたりにあるような気がして二人の名前が刻まれた墓をちょっと探してしまいました。もしかしたら「紅い花」が供えられているのではないかと...。

というわけでこれで今回の尾道行きの大きな目的は果たすことができたので、あとは時間つぶしでもしようと思ってある場所に向かいました。でも、驚いたことにそこはまさに6月30日の撮影日程表の最後に書かれている「米アゲ町」だったことに一昨日に気づきました。尾道に行く前に調べたときには何の手がかりも得られなかったのに。
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by hinaseno | 2016-09-20 14:27 | 映画 | Comments(0)

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厚田さんの昭和28年6月30日の撮影日程表。
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この日が尾道でのロケハンの最終日。蓮實重彦の『監督 小津安二郎』付録の日程表に気づくまでは、この日に映画の重要なシーンが撮影されたものとばかり思っていました。ただ、筒湯小学校の記載がなかったので変だとは思いましたが。

6月30日の撮影日程表に記された厚田さんの字もかなり読みづらく、尾道のことを知らない人間にとっては何のことかわからない言葉が続いています。『監督小津安二郎』の、再び俳優たちを連れてやってきた8月の日程表を見てようやく理解できたものもありましたが、それはあとのこと。
一行目と 二行目に記載されているのはこんな言葉。

 午前雨天待機 午后出発 尾道町の三宅氏
 物干台、浄土寺 保ケン病院


一行目の「尾道町」というのは浄土寺のある「尾崎町」の間違いでしょうね。「三宅氏」って、いったいだれ? ですが、おそらくこの「三宅氏」は二行目の最初の「物干台」は続いているはず。
その次に「浄土寺」が続いているので「三宅氏物干台」は浄土寺近くにありそうだなと。で、ふと浮んだのはこのシーンが撮られた場所。
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この日のブログでも書いているように、前回、尾道に行ったときに一番確認したかったのがこのシーンが撮られた場所。尾道の平山家があった場所ですね。ここでGoogleマップで現在の浄土寺近辺の地図を。
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尾道の平山家があった場所は赤丸をしたあたり。ちなみに笠智衆と原節子が夜明けの太陽を見つめていたのは青丸のあたり。

この日のブログに並べて貼っている写真を見ればわかるように、現在の家と当時の家は違っているにせよ、この場所に来たときに、映画と同じアングルを撮影するにはどこかの家のベランダか屋根の上で撮らなければは無理なのではないかと考えました。櫓を組むのは絶対に無理そうな場所だったので。で、戻ってから『東京人』の撮影日程表を発見して、「三宅氏」「物干台」の文字を見て、こここそが尾道の平山家のあった場所ではないかと考えました。
実は今回も時間があれば、このあたりに行って「三宅」という名前の人が今も住んでいないかと思っていましたが、残念ながら行けませんでした。

ところで8月に尾道にやってきたときの日程表を見てみると、8月14日に「笠、香川着」とあり、翌15日に浄土寺付近撮影の後「午后15時市内の三宅氏物干台 天候不良中止」との文字。さらに翌16日に「浄土寺境内SN150笠、原ライト使用 撮開前5時」の後、「浄土寺より情景」「浄土寺附近」「汽車走り」「物干台」の言葉が続いています。どうやらこの日にあの浄土寺周辺での重要なシーンが撮影されたようですが、翌17日も同じ早朝に「浄土寺境内 ライト使用 撮開前5時半 SN149原、笠 7時終り」とあるので、念のために二度撮ったんでしょうか。いずれにしても「三宅氏物干台」が浄土寺のすぐ近くにあって、そこで何らかの映画のシーンが撮影されたはず。

笠智衆が浄土寺の多宝塔をバックにして庭いじりをしているシーンは影の向きから午前中に撮影したものであることがわかります。とすると8月16日に原節子との夜明けのシーンを撮った後に、ここに来て撮影した可能性が高いですね。

ちなみに16日の日程表は「物干台」のあとに「午后筒井小学校」と続きます。「筒井小学校」というのはもちろん「筒湯小学校」のこと。厚田さんの撮影日程表が載った『東京人』には厚田さんの手帳に描かれた絵が2点ほど載っているのですが、そのうちのひとつがこれ。
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描かれているのは「筒井学校」近辺の地図。2カ所書かれた「筒井」という文字には「ツツユ」というルビがふられています。厚田さんは筒湯小学校を筒井小学校と記していたんですね。これを見ても厚田さんがいかに当て字が多いかがわかります。それもかなりとんでもない当て字。

それはさておき、この手帳の前のページくらいには浄土寺近辺の地図とともに平山家の位置が記された図が描かれているはず。何かの本に載っていないのかな。
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by hinaseno | 2016-09-19 12:15 | Comments(0)

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志賀直哉の旧居から坂道を下って(まっすぐ旧居へ行ける道があったんですね)、福土寺と間違って記載されたかもしれない宝土寺に立ち寄り、次に向かったのが撮影日程表の6月28日のところに書かれている「中央波止場」と「住吉神社」。これを見たときに、すぐにあのカットが撮られた場所だと思いました。
それは『東京物語』で最初に映し出されるこのカット。
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行ってみたらやはり予想通り。
土堂住吉神社にある石塔、右下に見える桟橋。あのシーンがそのまま残っていたんですから、やっぱりうれしいですね。
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ただ、映画のカットと同じようなアングルにしようと思ったら2mほど上に上がって撮らないといけないことがわかりました。

で、これが中央波止場の桟橋。U字型の屋根もそのままです。
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残念ながら勝手に中に入ることができませんでした(だれかにたのんで入れてもらえるチャンスを待っていたんですが)。おそらく赤で○をしたあたりに行って西の方を撮ったんですね。

さて、このあと海沿いの道を東に向かって行ったのは小津たちが滞在した竹村旅館です。この建物も当時のまま。
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これが旅館の脇から海を望んだもの。
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とみの葬儀の後、食事をするシーンで映し出されたこのカットはおそらく竹村旅館で撮られたのではないかと思っています。
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実は、可能ならばこの竹村旅館で食事をして、当時の話とかを伺おうと思ったのですが予約がないとダメとのことでした。残念。小津や原節子さん、笠智衆、香川京子さんが泊った部屋や当時の貴重な写真などは宿泊すれば見せてもらえるとのこと。
ってことで、近くで食事をして、次に向かったのが撮影日程表の6月30日のところに書かれていた福善寺。日程表の一番最後に書かれていた寺でした。映画で写った墓があるとすれば、もうそこしか考えられませんでした。
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by hinaseno | 2016-09-18 11:09 | 映画 | Comments(0)