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世田谷ピンポンズさんの新しいアルバム、『僕は持て余した大きなそれを、』の予約注文がアマゾンで始まっています。近所に、あるいは「遠くて、少し不便な場所」にも買えるお店がない人はそちらでポチしてください。

発売日は7月7日。

いい日です。この日のブログで書いている通り(実は書いていないこともあるけど)、僕にとって7月7日は大切な日。

そういえば、昨日気がついたのですが、タイトルの「僕は持て余した大きなそれを、」という言葉は、あの小樽で作られた「ホテル稲穂」の歌詞の中から取られていました。この曲はアルバムに収録されるようです。
「ホテル稲穂」は特に詞が素晴らしいですね。ここにYouTubeの音源があるので聴いてみてください。



ちなみにこれはデモバージョンで、アルバムバージョンは違うはず。同じくたぶんアルバムに収録されるはずの「早春」とともに、アルバムバージョンとデモバージョンがどう違うのかも楽しみのひとつ。

楽しみといえば、まだアマゾンの方にはアップされていませんが、そのアルバムジャケットがどんなふうになるのかもとても楽しみです。
ピンポンズさんのことを知って、こちらのサイトでディスコグラフィーを調べていたときに、まず目を奪われたのが、それぞれのアルバムのジャケットに描かれた独特の情感あふれる絵でした。
ちなみに僕が今持っているのはこれだけですが、廃盤になった作品の中にはジャケットだけでもほしくなるものがあります。
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描かれているのは輪佳(waca)さんという方。
ピンポンズさんの歌詞が私小説のような抒情詩ならば、輪佳さんの絵は抒情絵と言ってもいいのかもしれません。今の主流の絵というのがどういうものなのかはわかりませんが、輪佳さんが描かれているのは、それらとは明らかに違う、どこか懐かしさを感じさせる絵。世田谷ピンポンズさんの作品と輪佳さんの絵(アート)は切り離すことはできない関係になっています。ピンポンズさんの曲よりも輪佳さんの絵の方がいいという人もいるとか。

先日のおひさまゆうびん舎でのピンポンズさんのライブでは、くまくまちゃんに変わってバックコーラスをしていたのは輪佳さんによって描かれた女性たち。現代を生きているのか過去を生きているのか未来を生きているのか、あるいはこの世界を生きているのかわからないような、ちょっと不思議な女性ばかり。
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ところで輪佳さんはピンポンズさん関連のグッズのデザイン&製作もされていますが、その中から例によってレアなものを2つほど。
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左は「初版」とデザインされたトートバッグ。
持っている人も多いので「どこがレア?」と思われるかもしれませんが、実はこのバッグ、「初版」の「初」の印刷がちょっとかすれているんですね。印刷ミスということで輪佳さんがおひさまさんにプレゼントされたようですが、それをおひさまさんからプレゼントしてもらいました。確かバッグを買おうと思ったら品切れ状態になっていて、それではということでしまわれていたものをいただいたんですね。

それから右の「私小説」と書かれた巾着(のようなもの)は、別の場所でのライブの特典だったようですが、僕がおひさまさんにあれがほしいなと言っていたら、おひさまさんから輪佳さんに話が伝わったようで、限定で、もういくつか作ってくれたんですね。この中に木山捷平や上林暁や尾崎一雄などの私小説作家の文庫本を入れてもよしですが、ちっとも私小説ではない作家の作品を入れてもよしです。

ところで限定といえば、輪佳さんは限定200部の『印象』という本を出されています。これももう絶版でしょうか。
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ここには輪佳さんの絵とピンポンズさんの詩(の一部)が交互に収められていて、輪佳さんの画集としても、ピンポンズさんの詩集としても楽しむことができます。

お気に入りの絵はいくつもありますが、例えばこの絵。
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ピンポンズさんの「マイリトルトーキョー」の前に添えられています。詞もいいですね。
この画集(&詩集)、少なくとも1000人ぐらいの人に手に取ってもらいたいと思える一冊です。
ちなみに僕が持っているのは(58/200)というシリアル番号が記されています。

その『印象』の最後のページに収められたこの言葉。
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「ノスタルジーですって?」

この反語的な言葉に輪佳さんの強いメッセージを感じます。とても温和で、そばにいるだけでほんわりと温かい気持ちになる方なんですが。

僕は言うまでもなく”古い”ものに心をひかれる、基本的にはノスタルジックな人間ですが、でも川本三郎さんがよく書かれているように、「単なるノスタルジー」みたいな定型句で何かを語ったり、批判したりするのを見聞きすると、ちょっと待てよと思いたくなります。
そんなときには「ノスタルジーですって?」と一言つぶやこう。

おひさまゆうびん舎での輪佳さんの作品展は今日が最後です。お近くの方、あるいは「遠くて、少し不便な場所」に住んでいる方も、ぜひ行ってみてください。
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by hinaseno | 2016-05-31 13:00 | 雑記 | Comments(0)

昨日は世田谷ピンポンズさんは高知の、上林暁の郷里で歌われたんですね。夏葉社の上林暁の小説集と随筆集を編集された善行堂の山本善行さんの講演の後に歌ったようです。
今日は善行さんと一緒に愛媛に行かれるのかな。

そういえばその善行さんから「古本の神様」と呼ばれているという方に、先日のおひさまゆうびん舎でのピンポンズさんのライブでお会いして、少しだけお話しさせていただくことができました。

実は、この日から何回かブログに書いた村井武生という詩人を調べていたときに、たまたまその方が村井武生について書かれていたものをネット上で見つけて、しかも驚いたことにおひさまゆうびん舎さんとつながりがあることもわかったので、店主の窪田さんに連絡してその方のことを少し伺っていた人でした。
その方は一昨年の小山清展のときにはじめておひさまゆうびん舎に見えられて、それ以来、何度かおひさまに来られるようになったとのこと。今では窪田さんがお父さんのように慕う存在になっています。で、その方もピンポンズさんの熱心なファンになられたようで、以前僕が行ったライブのときにもいらっしゃっていたこともわかりました。

今回、もしかしたらお会いできるかなと思っていたら、やはりいらっしゃっていて窪田さんに紹介していただきました。僕がいきなり村井武生の詩集を二冊も出したので、かなり驚かれていました。

それにしても、木山捷平の本を読む中で知った、全く無名といっていいような戦前の詩人のことをご存知で、その詩人の詩を愛されている方とお会いできるというのもなんだか奇跡のような気がします。その日その場で、村井武生の詩の影響を強く受けた木山捷平の「朝景色」という詩に曲をつけた世田谷ピンポンズさんの歌をいっしょに聴くことができていたということも。

おひさまゆうびん舎ってすごいですね。夏葉社の島田さんの「半径3メートル」のなかにあった本から始まった物語というのはいったいどこまで奇跡のような話を用意してくれるのやら。

ところで、木山捷平と村井武生のつながりについては、前回いろいろと書いたあとにもう少しだけ調べていました。

まずは『酔いざめ日記』。
前回は昭和7年11月20日の日記に書かれた「村井武生来訪。共に野長瀬君をホタルアパートに訪う、留守」という記述を見つけたことだけを書きましたが、例の”検索”によってもうひとつ、昭和8年7月18日の日記にも「村井」の名前を見つけました。これもおそらく村井武生のはず。

「終日無為。夜塩月と共に大鹿君のところへ行く、「海豹」八月号の編集をなす。小説――石浜、神戸、二瓶、岩波、ホンヤク新庄。同人会費、及八月同人会について其他のこと。帰途エルテルにより八月五日会の会場を借る。塩月君と二人お茶をのみ駅にくると、村井がいて、島村龍三、上野壮夫に紹介された。電車の中で長田にあう。今、安藤一郎、月原橙一郎と分れて来たばかりの由」

ここに登場する人も最初に読んだときにはだれがだれやらでしたが、今ではかなりどういう人物かわかるようになりました。

それからもう一つ。こちらは『木山捷平全詩集』の「未発表詩篇」に収められた「みぞれの話」という詩。昭和6年に書かれたものですが、ここに出てくる「金沢に降るみぞれの話」を聞かせてくれた「君」もおそらく村井武生のはず。村井武生は石川県の美川町(現在は白山市)に生まれましたが、8歳のときから金沢に住むようになりました。木山さんが詩に書くような友人で、金沢出身の人物と言えば村井武生しか考えられません。
ということでその詩を引用しておきます。

 みぞれの話

渋谷の松友館の二階で
僕ははじめて君に逢つた。

君は立つて窓をあけた。
窓の向うに黒い屋根があつて、
屋根の上で白い鳩があそんでゐた。
ヨチヨチと歩きながら――。
ホロホロと鳴きながら――。

屋根の向うに欅の古木が見えてゐた。
古木は新芽をふいてゐた。
新芽は風になびいてゐた。

さて、君は
ドテンと部屋のまん中に坐つて
濃い番茶を僕にすすめてくれながら
金沢に降るみぞれの話をきかせてくれた。

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by hinaseno | 2016-05-30 12:54 | 雑記 | Comments(0)

吉田拓郎がA面全曲をかいた太田裕美の『背中あわせのランデブー』を何度か聴きましたが、久しぶりに何度か聴いて気がついたのは、僕はある時期から1曲目の「失恋魔術師」よりも2曲目の「花吹雪」という曲の方が好きになっていたなと。軽いシャッフルビートのポップな曲。何も知らなければとても吉田拓郎の曲とは思えない(といえるほどに拓郎の曲を聴いてきたわけではないけど)。松本隆の詞もとてもいいです。
YouTubeに音源があったので貼っておきます。



さて、吉田拓郎についてびっくりしたことの3つめの話。大瀧さんにまつわる不思議な縁の話です。といっても大瀧さんと拓郎が直接につながったという話ではなく、もしも拓郎がいなければという話。

大瀧さんのソロの活動が実質的に始まるのは1973年1月。前年のまだ、はっぴいえんどに在籍していたときにソロアルバムを出していましたが、それはあくまで「話があったから」作っただけのこと。別にソロ活動を開始する意図があったわけではありませんでした。
そのはっぴいえんどが正式に解散したのは1972年の暮れ。
翌年1月に福生に引越し。その1月に、大瀧さんの言葉をそのまま使えば「大瀧詠一史的には大事件が起こ」ります。それが三ツ矢サイダーのCMの依頼。

今でこそ大瀧さんの曲は毎年何かの曲がCMに使われていますが、最近のCMで流れている曲はすべてある楽曲の一部を使ったもの。でも、昔はCM用に曲を書いていて、その曲を集めたレコードも出してもいます。
大瀧さんにCMの依頼が来た当時というのはCMの曲を専門につくる作曲家(三木トリローとか小林亜星とか)がほとんどのCMソングを作っていた時代なので、シンガーソングライターとしての活動をしているアーティストにCMの依頼がくるのはかなりめずらしいこと。大瀧さんのところにその話を持ち込んできたのが、当時まだできたばかりのONアソシエイツというCM制作会社。

その社長の大森昭男さんとサイダーなどのCMの作詞を手がけた伊藤アキラさんと音楽プロデューサー(当時は六文銭を担当)でONアソシエイツとも接点のあった牧村憲一さんの3人を招いての「Niagara CM Special」という特集が放送された1977年3月22日の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を昨年初めて聴いたのですが、これが興味深い話の連続で、その特集の冒頭、牧村さんの話の最初の最初に飛び出したのが吉田拓郎の名前でした。

「あの、吉田拓郎選手がフジカラーをやったでしょ。『Have A Nice Day』ね。その頃に、当時はっぴいえんどというグループがあって、そのときマネージャーだった石浦先生(石浦信三のこと)がいて。今、慶応でしょ? その方が「吉田拓郎がフジカラーなら、はっぴいえんどはサクラカラーをやりたい」という趣旨のことを言ったんですよ」

この話は大瀧さんも初耳だったようで「石浦が最初に言ったんですか?」と聴き返していました。かなりびっくりしたようです。
牧村さんの話はさらに続きます。


「それを僕は石浦さんから聴いたんですよ。なかなか面白いと。吉田拓郎は当時かなり人気が出ちゃって、はっぴいえんどは知る人ぞ知るという感じでしょ。で、ぜひ、これをやりたいと思ったんですよ。次に大森さんと知り合ったから資生堂のCMではっぴいえんどはないかなって言ったんですよ。資生堂ではっぴいえんどでやったら面白いんではないかと思って大森さんに話をかけて、それが資生堂ではなくサイダーに変わった。そのサイダーを持ち込むところが、ちょうどはっぴいえんどの解散とぶつかって...そういう噂が出て、大瀧氏がソロアルバムをちょうど作り上げた頃なんですよね。すごい面白い録音があるから大森さん聴いてくれと。確かテスト盤の段階で持ち込んだんですね」

ここで大森さんの話。

「はっぴいえんどというのはね、僕、噂に聞いてたの。あれは絶対聴くべきだと言われてたわけね。それとちょうどタイミングが合ったわけです」

それから再び牧村さんの話。

「今だから話せることだけど、(はっぴいえんどには)おもにライターが二人いるってことがわかったわけですよ。クレジットを見ると細野晴臣、大瀧詠一っていうのがだいたい作曲のメインになっていると。私はたいへん恥ずべきことだけど、当時、だれがだれだかわからない。まだ知識としては。曲と名前が一致しなかった。どういうタッチなのか全然わからなかったんですよ。それぞれの特徴として。そっからはっぴいえんどを全部さかさまに「3」「2」「1」と聴いて、なるほどと。それなりの差別というか違いがわかるようになった。そのときに折よく大瀧氏のアルバムが出たのでこれほどポップなことをできる人はいないから、プロモーションできるだろうと。それで大森さんにそのレコードはともかく、はっぴいえんどだけではスポンサー側に迷いが出るから、これを一緒に聴いてくれと。で、この段階で大瀧詠一選手にしようと。つまりはっぴいえんどはないんだから大瀧詠一さんに頼もうじゃないかということだったんです」

大瀧さんの音楽活動の歴史で絶対に無視することのできないCM活動のそもそものきっかけにあったのは吉田拓郎だったわけです。でも、ここにもいろんな偶然、たまたまがありますね。
というわけで、僕が先日作った『EIICHI OHTAKI Tracks』には大瀧さんが最初のサイダーのCMから10年後に作った最後のCMのための曲「CIder ‘83」と、『Niagara
CM Special Vol.2』のテーマ曲を入れました。

ところでこの日の特集では途中で大森さんの口からちょっと面白い話が。
大瀧さんの場合はスタジオで決められた時間内には曲をレコーディングできなかったという話になって、大森さんとしてはコマーシャルソングでもこだわり抜いていたということに敬服していたようですが、ただ周りの人は大変だったねということで、こんな話が出てきます。

「僕も会社、ONというのを始めたばかりで、そこにアシスタントディレクターと言うね、関口という若者が...」

この瞬間、全員が大爆笑。よほど大変なめにあっていたということをみんな知っているんですね。

「...若者がいるわけなんだけれども、で、彼、この仕事、入ってもらったはいいけどね、こんなに地獄攻めしてね、逃げ出しはしないかと心配したけれども。しかし頼まれていることで、スポンサーのためにやっているんだけど、そこから生まれてくる空気の中でさ、やっぱり自分自身が楽しかったしね、そういうことあったと思うのね」

この「関口という若者」についてこのあと、大瀧さんの口からシリア・ポールにからんだ関口さんとの不思議な縁のこと、例の関口さん作曲の「海の底でうたう唄」が紹介されます。

もちろんこの「関口という若者」というのはあの関口直人さんのこと。『昔日の客』の著者の関口良雄さんの息子さんですね。
僕もこれまでいろんな「縁」で驚いてきましたが、これを知ったとき程驚いたことはありませんでした。
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by hinaseno | 2016-05-29 12:41 | 音楽 | Comments(0)

自分のブログを検索したら、これまで吉田拓郎のことについて2度触れていました。
最初はこの日
大瀧さんがプロデュースした渡辺満里奈の『Ring-a-Bell』に収録された「約束の場所まで」という曲の作曲者、平井夏美に触れる中でこんなことを書いています。

今日も平井夏美(=川原伸司)さんの話です。今日は川原さんと井上陽水のつながりについて。
その前に、僕は中学校になって、歌謡曲とは違う音楽で最初に触れたのが井上陽水でした。クラスには吉田拓郎派もいましたが、僕は断然井上陽水でした。中1の正月に、お年玉代わりに父にギターを買ってもらって、最初に買った楽譜も井上陽水でした。

この日のブログを読むと、最後に例のJack Tonesの話が出てきていますね。この10日くらいあとから大瀧さんの一人多重コーラスの話を書いています。
それはさておき、上に引用した言葉にもあるように、僕は吉田拓郎派ではなくて井上陽水派でした。なんて言ってもわからないでしょうけど、当時はそういうのがあったんです。
でも、拓郎で唯一買ったLPがあって、それが「ペニーレインでバーボン」の入った『今はまだ人生を語らず』でした。拓郎派の友人に「ペニーレインでバーボン」を聴かせてもらって気に入ったんですね。

2度目に拓郎に触れた話を書いたのは、世田谷ピンポンズさんのCDをはじめて聴いたときの感想を書いたこの日のブログ。ピンポンズさんの字余りソングを聴いていたら「ペニーレインでバーボン」を思い出したという話ですね。はずれてはいなかったようです。

基本的に僕は昔からポップな曲が好きだったようで「フォーク」には全くといっていいほど触れませんでした。もちろんあとで岡林信康とか高田渡にはっぴいえんどが関わっていたことを知ってびっくりするのですが。

びっくりしたといえば、吉田拓郎に関して”3度”びっくりしたことがありました。
その1度目は太田裕美に関して。

太田裕美についてはデビュー曲の「雨だれ」から聴いていて、彼女の曲のほとんどを書いていた筒美京平という作曲家の名前も早くから知っていました。ほとんどの曲の作詞をしていた松本隆という人がどういう人なのかを知るのは『A LONG VACATION』以降。
その太田裕美のアルバムはだいたい出ると買っていました(正確には買ってもらっていました)が、彼女の1978年のアルバム『背中あわせのランデブー』のA面の1曲目に収められた曲がすごく気に入ったんです。
曲のタイトルは「失恋魔術師」。とってもポップな曲で大好きになりました。
当時はまだ作曲家はだれかなんて逐一チェックをしてはいなかったので(そういうのをするようになったのは松田聖子から)、当然これまで通り筒美京平だと思っていました。
でも、ある日、そのアルバムからシングルカットされた「失恋魔術師」をテレビで歌っているのを見たときに作曲家の名前が出てびっくりしたんですね。こんな感じに。



「吉田拓郎・作曲」

吉田拓郎ってこんなポップな曲が作れるんだとびっくりしました。しかもちっとも字余りでない。ちなみに作詞は松本隆。詞先だったのか曲先だったのか。

ところで何十年かぶりに太田裕美の『背中合わせのランデブー』を手に取ってみたら、いろいろと興味深いことに気づきました。
まずは収録曲。A面は全部吉田拓郎の曲。1曲目から3曲目の詞を書いているのは松本隆。編曲はすべてはっぴいえんどのメンバーの鈴木茂。
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これって、松田聖子の『風立ちぬ』の似ていますね。『風立ちぬ』のA面は大瀧さんがすべて曲を書いていて、詞も全曲松本隆。A面の編曲は大瀧さん自身ですが、『風立ちぬ』のB面の編曲はシングルの「白いパラソル」以外はすべて鈴木茂。
なんだか、合わせ鏡のよう。

ウィキペディアを見たらもう一つ面白いことが書かれていました。
「1977年12月発売予定だったが、本人の喉の調子が悪く、レコーディングと発売が延期された。」と。

松田聖子の「風立ちぬ」をレコーディングしていたときにも松田聖子は喉をこわしていていました。しかも歌うのがとても難しい曲だったのでレコーディングが大変だったんですね。

ってことで今日は吉田拓郎についてびっくりした1つめのことだけを書いておこうと思いましたが、ついでに2つめのことも書いておきます。

今から21年前の1985年にはっぴいえんどが再結成されてライブで歌ったのですが、そのときの司会がなんと吉田拓郎。再結成も超びっくりでしたが拓郎が司会というのもびっくりでした。
ここにその映像があります。



音源でしか知らなかったこの映像を見たときにも超びっくりでした。この11:30あたりから司会の吉田拓郎が登場します。
拓郎はもっぱら鈴木茂と話ばかりしていますね。たぶん太田裕美のアルバムだけでなく、拓郎自身のアルバムのアレンジを何度も鈴木茂にしてもらっていたんだろうと思います。
松本隆とも何曲も共作をしているので「ドラムもうまいね」とか言ってからかっています。

ただ、細野さんや大瀧さんとはそれほど顔なじみではなかったでしょうね。音楽的に接点がなさすぎるので。
メンバー紹介で吉田拓郎の口から「大瀧詠一」という言葉が出るのがなんとも不思議な気がしたものでした。

ただ、拓郎と大瀧さんには大きな接点があったことを後に知ります。もしも拓郎がいなければという話。
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by hinaseno | 2016-05-28 14:12 | 音楽 | Comments(0)

世田谷ピンポンズさんの「COME BACK FOLKツアー」、昨日は岡山。残念ながら行けませんでしたが、次に岡山であるときにはぜひ行ってみようと思っています(曜日と時間の都合が大きいけど)。
ピンポンズさん、岡山でいったいどんな歌を歌われたんでしょうか。
木山捷平3部作、それから歌詞に岡山が出てくる「ホテルリバーサイド」。

「ホテルリバーサイド」といえば、昨日ちょっとびっくりするようなことに気づきました。ピンポンズさんのツイートで知ったのですが、なんとも迂闊でした。

例の「ホテルリバーサイド」を見てきたことを書いたこの日のブログで、僕はこんなことを書いています。

ホテルリバーサイドのそばを流れる西川に沿って少し北に行くとすぐに路面電車の走る駅前の大通りに出ます。その大通りを渡ったところにあるビルの中になかなかいい書店があります。ここに本屋ができているのを知ったのは昨年のこと。中規模ながらも種類は豊富。特に鉄道関係の書物が充実しています。


この日僕はその書店内にある中古本コーナーで、川本三郎さんの記事が載った『サライ』を2冊程見つけて、ほくほくした気分になったのですが、この書店のあるビルの名前が「ドレミの街」。
そして、その隣りにあるのが「ビッグカメラ」。
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「ビッグカメラ」、「ドレミの街」といえば...。
そうなんです、世田谷ピンポンズさんの「どれみの街」というのは、まさにこの岡山駅前の風景を歌にしていたんですね。

ちなみに「どれみの街」の冒頭の歌詞はこうなっています。

駅前マック23:00 マックはどこでも同じ顔
どんなに見知らぬ街に来ても
一歩入ればいつも同じ顔でそこにいる
ビッグカメラ どれみの街 ビッグカメラ どれみの街

とすると、このマックは岡山駅前店。
僕が人生ではじめてマクドナルドのハンバーガーを食べた場所です。
ところが、調べてみたら、今はもうそこにマクドナルドがなくなっていました。どうやら駅前の再開発で2年前に閉店したようです。ここにその閉店時の映像がありました。



ここから路面電車の走る駅前大通りの反対側に「ビッグカメラ」と「ドレミの街」があります。マックから見えたんでしょうね。

ちなみに「どれみの街」は僕が最初に買ったピンポンズさんのアルバム『紅い花』に収録されています。考えたら僕がおひさまゆうびん舎で最初に観たピンポンズさんのライブでこの「どれみの街」が歌われたような気も。たぶん僕のことを考えて歌ってくれたのではないかと思いますが、いやはやなんとも。
ということで、昨日からずっと「どれみの街」を聴いていました。

この曲、ピンポンズさんのボーカルが結構面白いんですね。
たとえば「駅前マック」の「駅」の部分は、「えっ」と発した後。「き」は小さく声がもれるだけ。「マックはどこでも」の「マック」の部分も「まっ」と発した後、「く」は小さなもれるような声。
それから「ビッグカメラ どれみの街」の最初の「ビ」は「ぶい」と発音。
さらにサビの「何処の街でも同じさ」の「さ」は、何度聴いても「さ」には聴こえない発声をしています。しいていえば「ぱ」に近い音。

今度何かの都合で岡山に来ることがあったら、ぜひ「ビッグカメラ」と「ドレミの街」を見てください。まあ、どこの街の駅前にもあるような何の変哲もない風景ですが。
でも、 旅情だけは別の顔をしています。

拓郎の話にいきませんでした。
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by hinaseno | 2016-05-27 12:15 | 音楽 | Comments(0)

今回の世田谷ピンポンズさんのライブでうれしかったのは生で「パラダイスキス」を聴けたこと。特に口笛が最高でした。ピンポンズさん、自分で口笛を吹きながら、吹き出しそうになっていましたね。

ところでピンポンズさんのライブでの特典としていただいた「ピンポンズ ミュージック ポートレイトVol.1」というCDを聴きました。ピンポンズさんが選んだ「人生の10曲+α」(合計11曲)が収められています。アイデアのもとになっているのはNHKの『ミュージックポートレイト』という番組とのこと。CDの「前書き」を読むと「僕はこの番組がとても好きで、いつか出てみたいです」と。でも、それを待っていては...ということで作られたんですね。
実は先日テレビをつけたらちょっと面白そうだったので最後まで見てしまった番組がその『ミュージックポートレイト』だったようです。妻夫木聡さんと満島ひかりさんが出演されていたときのもの。満島さんが紹介していた彼女の郷里の沖縄の民謡に心惹かれました。

それはさておき、ピンポンズさんが選ばれた全11曲、「皆さんも知っている曲が沢山あるかと思います」とのことですが、僕の知った曲は1曲もありませんでした。ここ20年ほど、いわゆる”最近の””最新の””ヒット曲”とよばれるような音楽を全く聴いてこなかったので、ピンポンズさんが選んだ曲がすごく有名な曲なのかマイナーな曲なのかすらわかりません。でも、フォークだけでなくここに収められた様々な音楽を聴かれてきていたからこそ「パラダイスキス」のような曲があるんでしょうね。

そういえばピンポンズさんに会ったときに訊いてみようと思っていたことがあったけど、すっかり忘れていました。これもいつものことですが。
それは松本隆さんのこと。

先日紹介した『EIICHI OHTAKI Tracks』というカラオケ集に収められた20曲にはもちろん詞がついているのですが、そのうちの15曲の詞を書いているのが松本隆さん。僕のこれまでの音楽ヒストリーを考えると、松本隆さんが詞を書いた曲をもっともよく聴いていたことは間違いありません。のべで数えればダントツでしょうね。
だからもし僕が「人生の10曲」を選んだら、半数くらいは松本さんが詞を書いた曲になるような気がします。

その松本さんはずっと神戸に住まれていて、きっとどこかですれ違っていたのではと思っていたのですが、最近になって京都に住まれるようになったようです。
で、先日、例のガケ書房の山下さんが始められたホホホ座で松本隆さんを招いてのイベントがあった日にピンポンズさんもホホホ座に行かれていたような情報が、僕の検索システムにひっかかっていたのですが、どうだったんでしょう。

その松本隆さん、実は吉田拓郎の曲に詞を書いていたことがあるんですね。
それは、また次回に。

ところで「ピンポンズミュージックポートレイト」で一番気に入ったのはMr. Childrenの「くるみ」でした。ちょっとナイアガラ、というかナイアガラサウンドの影響を受けたサザンの曲っぽいですね。



「ピンポンズミュージックポートレイト」がVol.2、Vol.3とたまっていくことを願っています。
そしていつの日か、NHKの『ミュージックポートレイト』に出演する日が来ることを。
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by hinaseno | 2016-05-26 14:08 | 音楽 | Comments(0)

COME BACK FOLK


ネット上の小さな文字をスマホなんかで見たときには、濁点なのか半濁点なのか、あるいはそれが付いているのか付いていないのか判断しづらいですね。
ピンポンズ、ビンボンズ、ピンホンズ....、区別つくでしょうか?
今日はピンホンズ、いやピンポンズさんの話。

先日、おひさまゆうびん舎での世田谷ピンポンズさんのライブに行ってきましたが、そのライブでピンポンズさんによって披露されたのがこの「ピンホンズ事件」。会場は爆笑の渦。後で確認したら確かに、でした。
もちろんピンポンズさんはだれかを責めていたわけではありません。ただ、「ピンホンズ」だと、ピンポンズさん独自の高度な(?)”検索システム”にひっからないのが難点だと。

この「ピンホンズ事件」についてはまたおひさまゆうびん舎の窪田さんに訊いてみてください。

この日の昼の部のライブで、ピンポンズさんはこんな姿で登場しました。
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学生帽に黒いサングラス。
かなりいかついですね。

そのいかつい姿とは不釣り合いすぎて笑ってしまうほどに優しい空気にあふれた曲からライブはスタート。窪田さんの大好きな小山清の「春」というエッセイをもとにしてかかれた「早春」という曲。前回のライブのときに初披露された曲ですが、これが本当にいい曲なんです。

ライブの特典としていただいたのがこの曲のデモ音源だったので、ライブの帰りの車の中ではずっとこればっかり聴いていました。今、一番気に入っている曲。どうやらこの曲は7月に発売される新しいアルバム(『僕は持て余した大きなそれに、』というかなり深い意味がありそうなタイトル)に収録されるようなので、ぜひ手に取って聴いてみてください。
でもやっぱりライブで聴いた方が1.5倍くらいいい(かな)です。

ピンポンズさんは現在、『COME BACK FOLKツアー』というのをスタートされたばかり。その最初のライブを僕は見て来たわけです。
おひさまゆうびん舎のライブの翌日、ピンポンズさんはこんな言葉をツイートされていました。

カムバックフォークというタイトルは最初、フォークをリバイバルさせたいとかそういう意味でつけてみたけれど、昨日、ライブで歌っている途中、そうじゃないことに気づきました。 自分の中でもっと大切な意味に変わりました。 これについてはライブで話すので、お時間会いましたら観に来てください。

僕が見たライブでは「COME BACK FOLK」という言葉について少し触れられましたが、たぶん、ピンポンズさんが気がついたという「自分の中でもっと大切な意味」については語られなかったような気がします。
この日のライブでピンポンズさん自身の、わが内なるフォークを発見、あるいは再発見をされたのではないかと思います。そう考えると、ひとりのアーティストの「大切な意味」の発見に立ち会えていた(かもしれない)というのは幸運なことでした。

この日(昼の部)のセットリストを載せておきます。

1 早春
2 カレーライス
3 グッドモーニング
4 鴨川慕情
5 チンチン電車の走る街で
6 五月
7 船場川
8 朝景色
9 鳴るは風鈴
10 葬式
11 木漏れ日拾い
12 かぜのたより
13 ホテル稲穂
14 流星
15 グッドバイ
16 マイリトル東京
17 林檎の木の下で

アンコール
18 わが町
19 パラダイスキス


実はアンコールの曲はメモしてなかったので、そこは記憶。ちがってたら誰か教えてください。
5〜11あたりは僕に向けて歌ってくれたと思えるような曲が続きます。特に7〜9の”木山捷平3部作”から「木漏れ日拾い」に続く流れにはぐっとくるものがありました(「鳴るは風鈴」を聴くのは初めて。タイトルは木山捷平の小説からとっていますが、詞の中身は作品と関係がないようです)。

3部作と言えばピンポンズさんのおじいさんに捧げた「3部作」(「じじい3部作」と言ってましたね)があるそうで、「鳴るは風鈴」「 木漏れ日拾い」がそれにあたるとのこと。その4部作目として今回初披露されたのが「葬式」という曲。

この日の歌われた何曲かは「僕に向けて歌ってくれたと思えるような曲」だったと書きましたが、きっとこの日参加された方は、それぞれにそう思える曲がいくつもあったはず。
僕に限らずライブに参加された人たちの情報(というほど大げさなものではありませんが)はおひさまゆうびん舎の窪田さんを通じてピンポンズさんのもとに入っていたようです。
例えば、この人はこんな曲が好きだとか、最近この人にはこんなことがあったとか、どこに住んでいてどういう仕事をしている...などなど。そういうのを頭に入れてピンポンズさんは歌う曲を選ばれているようです。

ということなので、ほかの会場でライブに行かれる方は、そのお店の人経由か、あるいは何らかの方法でピンポンズさんに直接、ちょっとだけ何かの情報を伝えていたら、まるで自分のために曲をプレゼントされたかのような瞬間に出会えるのではと思います。

で、実は別の人に用意していた曲に、それがまるで自分のためだけに歌ってくれているような気持ちになって心を震わせることもあるんだろうなと。
それがライブですね。

そういえば今回のライブではピンポンズさんの誕生月である5月を歌った「五月」という新曲も初披露されました。吉田拓郎の「ペニーレインでバーボン」調の字余りソング。これもいい曲でした。何度か繰り返された言葉が印象的。

吉田拓郎といえば14曲目の「流星」という曲が吉田拓郎のカバー。ピンポンズさんにとって「フォーク」の原点にあるのが拓郎なんですね。
ということで、次回は吉田拓郎の話をすることになりそうです。

ちなみにピンポンズさんが最初に登場してきたときの学生帽(このライブのために急遽ネットで購入して宿泊先のホテルに届けてもらったようです)は、拓郎の「ペニーレインでバーボン」が収録されたアルバムのジャケットの写真のまねをされたとのこと。
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というわけで、拓郎の「ペニーレインでバーボン」を貼っておきます。


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by hinaseno | 2016-05-25 14:36 | 音楽 | Comments(0)

『 EIICHI OHTAKI Tracks』に収録した曲はこうなっています。

 1. CM Special Vol. 2
 2. 君は天然色
 3. Velvet Motel
 4. カナリア諸島にて
 5. オリーブの午后
 6. 夏のペーパーバック
 7. 恋するカレン
 8. 白い港
 9. ペパーミント・ブルー
 10. 雨のウェンズデイ
 11. Water Color
 12. 銀色のジェット
 13. スピーチ・バルーン
 14. ガラス壜の中の船
 15. 木の葉のスケッチ
 16. Cider '83
 17. 幸せな結末
 18. 恋するふたり
 19. 風立ちぬ
 20. 夢で逢えたら

2〜4は『A LONG VACATION』のA面1曲目から3曲目。不滅の3曲です。
ちなみにこの3曲はいずれもオケ先ではなく曲先。『A LONG VACATION』に収録されていた曲の多くは、他人に提供した曲がボツになって戻ってきたものばかりなので、曲先がほとんどと言えるのかもしれません。ここに収めたもので言えば「雨のウェンズデイ」がオケ先だったでしょうか。

4〜6、7〜9、10〜12は『B-each T-ime L-ong』に収録された順。大瀧さんは意図的に同タイプの曲を作っているんですね。本当はその間に松田聖子の『風立ちぬ』に収録された「風立ちぬ」と「一千一秒物語」と「ガラスの入江」のカラオケをはさんだ方が、より大瀧さんの意図が明確になるように思いましたが、残念ながら「一千一秒物語」と「ガラスの入江」は公には発表されていません。絶対に存在しているはずなので、いつか『風立ちぬ』のA面に収められた全曲のオケが公式に発表されるのを気長に待ちたいと思います。
ちなみに「風立ちぬ」はカラオケが公になっていますが、あえて曲順をずらしました。

13〜14も大瀧さんが同タイプの曲として意識して作ったはず。
15は太田裕美さんの「恋のハーフ・ムーン」の流れで作ったようですが、そのオケも公になっていません。これもオケを聴きたいですね。

さて、今回こんなコンピレーションを作ってみようと思ったのは18曲目に入れた「恋するふたり」のオケをこの春に何度も聴いていたから。

「恋するふたり」は秋の歌である「風立ちぬ」をもとにして春の曲として作られて、当初は「春立ちぬ」というタイトルだったということは前にも書きましたが、実際には部分部分で似た感じのフレーズはあっても、それほどには似ていないかなと思っていました。
でも、「恋するふたり」のオケを最近になって何度か聴くようになってびっくり。「恋するふたり」のサビの部分のオケは「風立ちぬ」のサビの部分のオケとほとんど同じ。「恋するふたり」のオケで何の違和感もなくふつうに「風立ちぬ今は秋 今日から私は〜」と歌えます。

で、もしかしたらと思ったのは、大瀧さんが「恋するふたり」を「風立ちぬ」の流れで作ったというのは、実は「風立ちぬ」のオケを聴きながら新しいメロディを考えたのではないかと。「風立ちぬ」のサビの部分を何度も流しながら新しいメロディが浮んで来るのを待って、それが生まれてきて新しい曲作りを開始したんだろうと。
あるいはもしかしたら当初は「風立ちぬ」のオケをそのまま全部使って曲を作ろうとしたのかもしれません。半分は遊び心で。でも、結果的にはいろんな要素が付加されていってかなり大きな曲になりました。

というわけで「恋するふたり」を。
確かキムタクと松たか子さんが主演したドラマの主題歌ですね。ドラマは観なかったけど。



そして「風立ちぬ」を。だれかが勝手に大瀧さんとのミックスバージョンを作っていました。



僕がこの春最も多く聴いたのは「恋するふたり」でしたが、来年の春はきっと世田谷ピンポンズさんの「早春」になるような気がします。
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by hinaseno | 2016-05-23 12:07 | ナイアガラ | Comments(0)

今日は昨日のあの話を、と思ったけど、例によって言葉にするのは時間がかかるので別の話、久しぶりに大瀧さんの話を書くことにします。実は大瀧さんの『DEBUT AGAIN』について書こうと思っている話がありながら、それも書けないままでいます。
今日書くのは今、車の中で聴いているCDの話。いくつかの願いを含めての話です。ここで書いたことは、結構実現しているので、その期待を込めて(「期待は失望の母である」というのは大瀧さんの名言ですが)。

車の中で聴いているのはこのCD。
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タイトルは『EIICHI OHTAKI Tracks』。大瀧さんの曲のカラオケ音源を集めたもの。もちろん僕がつくったCDです。
『A LONG VACATION』、『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』、『EACH TIME』はそれぞれの30周年盤にカラオケ音源が収められていて、それを全部入れても、とても1枚のCDには収まらないので、いろんなカラオケ音源の中から20曲をセレクトしました。

カラオケというとそれに合わせて歌うのが一番の目的ですが、それはもうさんざんやったので今回は別の目的。
この日のブログで書いたように、大瀧さんは詞先でも曲先でもなくオケ先。オケを先に作って、そこからメロディを作るということを特に『ロンバケ』以降はやっているんですね。仮に詞があってもオケに合うように詞をあてはめてメロディを作っていく。

先日紹介した大貫妙子さんの「3びきのくま」の話の中で、大貫さんはこんなことを言っていました。

「あるメロディに歌詞をつけるということは、100の可能性のひとつを選択することです。100パターンの歌詞が書けるかもしれないのに、ひとつだけ選んで99のパターンを捨ててしまう。もちろん実際には100のパターンを考えはしませんが、それでもどういう歌詞を乗せるべきかということは常に考えます。そのために曲は何度も聴きます。何度も何度も聴いているうちにそのメロディが呼んでいる言葉や、いまの時代、聴いてくださる方の気持ちといったものがひとつの方向となって指し示されて歌詞ができていく」

これは大瀧さんがオケに合わせてメロディを作っていく作業と同じですね。。あるオケにメロディをつけることは、100の可能性のひとつを選択すること。いや、大瀧さんのオケは100どころではなく無限のメロディの可能性を感じさせます。そのなかからひとつだけを選ぶ。

これはやっぱり大変な作業だと思います。大瀧さんはオケを作るのは楽しいけど、メロディを作るのは大変だというようなことを何度かはなされていたように思います。ひとつのメロディを選びとることのできなかったオケがいくつも存在するんですね。

『EIICHI OHTAKI Tracks』を作った目的は、オケを聴きながら大瀧さんが選びとらなかったメロディのことを思い描くことでした。

1曲目に入れたのはこの曲のオケ。

大瀧さんの一人多重コーラスである”くまくまトーンズ”、いや”ジャック・トーンズ”の最高のコーラスが聴けるので。
これに合わせて、裏声で歌うことはさすがにできません。
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by hinaseno | 2016-05-22 12:11 | ナイアガラ | Comments(0)

iPhoneに入れている『酔いざめ日記』を「荷風」で検索した結果の話の続き。
次に出てくるのは荷風が亡くなった日の昭和34年4月30日の日記。かなり長い記述の後、最後にこう書いています。

「明治12年、己卯の生れで、小生の父と同年であったことで感慨無量であった」

その次は昭和37年11月4日の日記。
この日、荷風が何度も足を運んだ浄閑寺に荷風の碑を立てるという話が出てきて、その中にこんな記述が。

「荷風日記昭和12年6月22日、『この寺を訪ねたときほどいれしかったことはない』と記している」

なんと荷風の日記のことが。
やはり木山さんは『断腸亭日乗』を持っていて、それを読んでいたようです。
ちなみにこの日の日記の最後はこんな言葉。

「先日死去した正宗白鳥、又永井荷風氏共に明治十二年生れである。つくづく感慨深し。同年生の我父を比べるのは失礼ではあるが」

何かのエッセイに荷風のことを書いていないかな。
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by hinaseno | 2016-05-21 08:24 | 文学 | Comments(0)