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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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高橋和枝さんのイベントに来られていたのは、予想はしていたとはいえほとんどが女性。正直にいえば、僕も『くまくまちゃん』(ポプラ社 2001年)に関しては、ぱらぱらと絵を眺めていただけ。ただ、今回高橋さんにお会いできるということで、廃刊になっている『くまくまちゃん』を入手して読んだら、高橋さんが書かれた文も含めて素晴らしいんですね。大人の男が読んでもちっとも悪くない。
で、ふっと思ったのは、星野道夫がこれを読んだら喜んだだろうなということ。きっとくまくまちゃんのファンになっていたに違いないだろうと。
ただ、星野道夫は『くまくまちゃん』が出版される5年前に亡くなっていました。キャンプしていたときに、クマに……。

星野道夫という写真家、随筆家のことを知ったのは1996年の5月。ちょうど20年前ですね。
5月のよく晴れた日の朝、爽やかな風が部屋の中を吹き抜ける中、アルマンド・トロヴァヨーリを聞きながら僕は出たばかりの池澤夏樹の『未来圏からの風』という本を読んでいました。まさに、未来圏の風を感じながら。
この本では池澤さんがいろんな人にインタビューをしていて、その中のひとりが星野道夫でした。池澤さんはアラスカにある彼の家まで行ってインタビューをしたんですね。
僕はこれを読んで星野道夫という人に近しいものを感じ、いっぺんに彼のファンになり、当時出ていた星野の本や写真集をすべて買い集めました。といっても1996年の5月の段階で、星野道夫に関する本はまだそんなには出ていなかったけど。

そのインタビューで星野はこんなことを言っていました。

「まだ日本にいた頃、北海道のクマのことをすごく気にしていた時期がありました。自分はこうして東京で暮らしていて、それと同じ時に北海道にクマが生きている。クマは昔とまるで違わない生きかたをしている。そのことがものすごく不思議に思えたんです。それを見てみたい、クマから見えないようにこちらから一方的に見たいっていう憧れのような気持ちがあって、…」

星野の本の中でいちばんいいのは『旅をする木』というエッセイ集。いくつも好きな話があって、特にその中の「十六歳のとき」はコピーして15歳になった少年少女たちに読ませたものでした(そのうちのひとりがのちに大学でアラスカの研究をして卒論を書くためにアラスカまで行ったのにはびっくりしました。15歳の頃の彼はサッカーに夢中で、本なんか手に取るような子ではなかったけれど、読書感想文か何かを書くために星野道夫の本が読みたいと言ってきたので、僕は彼に『旅をする木』を貸していたんですね。そんな、すっかり忘れていたことを彼から聞いてすごくうれしくなって、僕は彼に持っていた星野の写真集の全てをプレゼントしました)。

『旅をする木』の中で一番好きなのが「もうひとつの時間」と題されたエッセイ。先程のインタビューで答えていたような話が出てきます。

...やがてぼくは北海道の自然に強く魅かれていった。その当時、北海道は自分にとって遠い存在だった。多くの本を読みながら、いつしかひとつのことがどうしようもなく気にかかり始めていた。それはヒグマのことだった。大都会の東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人込みにもまれている時、ふっと北海道のヒグマが頭をかすめるのである。ぼくが東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが日々を生き、呼吸をしている……確実にこの今、どこかの山で、一頭のヒグマが樹木を乗り越えながら力強く進んでいる……そのことがどうにも不思議でならなかった。

高橋さんの『くまくまちゃん』はまさにこれを絵本にしたような話だったんですね。語り手は「ぼく」。つまり男の子(いや、大人の男であってもちっともかまわない)。
こんな言葉から始まります。

ぼくの大好きなくまくまちゃんは、
山奥の小さな一軒家に住んでいる。

遠くて少し不便な場所だ。

ぼくは時々考える。
今頃、くまくまちゃんは何をしているかな。

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星野道夫が亡くなったのは、彼のことを知った3か月後のこと。新聞でその死を知らせるニュースを見たときには本当に驚きました。
その頃、本好きの人が集う場所にときどき行っていましたが、星野道夫のことを知っている人は誰ひとりいなくて、ずいぶんさみしい思いをしたことを覚えています。
でも、その後、星野道夫はそのあまりにも神話的な亡くなり方もあってか、次第に名前が広まっていって、本や写真集もあふれるほどに出て、今では小学校や中学校の教科書に彼の文章が載るようにまでなりました。
複雑な気持ちを抱きつつ、でも、ある時期までは出るものはすべて買ったかな、

そういえば星野道夫には『クマよ』(「たくさんのふしぎ」1998年3月号)という写真絵本があります。
亡くなった後に出版されたものですが、確か亡くなる前に企画されていたものだったように思います。今、読み返したら、これもやはり先程引用したのと同じような言葉から始まります。あの不思議な体験が星野道夫の原点になっているんですね。
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あまりにも日々の暮らしに忙殺されていると、自分が暮らしている同じ瞬間に、ほかの人が(ときにはよく知った人のことですら)別の場所で日々を生き、呼吸をしているってことを忘れてしまいがちになりますが、でも、人だけでなくていろんな動物たちもやはりいろんな場所で日々を生き、呼吸をしているってことを想像するのはいいものです。
高橋さんの『くまくまちゃん』を読んで、そんな大切なことを改めて気づかせてもらいました。
ほとんど星野道夫の話になっちゃったけれど。

今頃、高橋さんは何をしているかな。

そういえば、高橋さんのイベントの日に買った夏葉社の『ガケ書房の頃』で、著者の山下賢二さんがこんなことを書いていました。いい言葉だなと。

僕は、〈少しだけ不便〉ということの可能性を再確認した。

くまくまちゃんも「遠くて少し不便な場所」に住んでいます。
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by hinaseno | 2016-04-30 15:13 | Comments(0)

Copic Loves Me


夏葉社のことを知るきっかけになったのは何度も書いている通り『レンブラントの帽子』に描かれた和田誠さんの絵。その和田誠さんを意識するきっかけになったのが和田誠さんが監督した映画『快盗ルビイ』でした。主演は小泉今日子さん。主題歌を歌ったのも小泉今日子さん。
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その主題歌「快盗ルビイ」の曲を書いたのが大瀧さんだったんですね。作詞は監督の和田誠さん。

そういえば、大瀧さんが他人に提供した曲を自分で歌った曲を集めた『DEBUT AGAIN』で、「Tシャツに口紅」の次に気に入っているのは「快盗ルビイ」だといいましたが、それがYouTubeにアップされていました。一応貼っておきますが、きっとすぐに削除されるでしょうね。ぜひCDを買ってください。



「『快盗ルビイ』のヒミツ」と題したこの日のブログでも書いた通り、大瀧さんが「快盗ルビイ」の下敷きにしたのは大瀧さんも僕も大好きな(大好きな中でも特に大好きな)シェリー・フェブレーの「Johnny Loves Me」。レーペルはコルピックス(Colpix)。



曲を書いたのはバリー・マンとシンシア・ワイル。プロデュース&アレンジはステュ・フィリップス。歌を歌っているシェリー・フェブレーのかわいらしさを含めて、この曲には大好きなものがいっぱいつまっています。そしてコルピックスというレーベル名が曲のかわいらしさにぴったりなので、シェリー・フェブレーといえばコルピックス、コルピックスといえばシェリー・フェブレーということになっています。

さて、話はころっと変わって、先日、夏葉社の『さよならのあとで』の絵を描かれた高橋和枝さんにお会いしてきました。
場所はおひさまゆうびん舎。
高橋さんがおひさまゆうびん舎に来られたのはたぶん3度目。1度目はたしか突然の訪問。2度目のときはイベントが行なわれたけど、時間が合わず行けませんでした。
3度目の正直でようやく。今回は「くまくまちゃんを描こう♪」というイベント。高橋さんにくまくまちゃんの描き方を教えてもらうというワークショップ。

窪田さんからはいろいろとうかがっていましたが、初めてお会いする高橋さんは窪田さんからうかがった通りの本当に素敵な人。声のトーンもとっても心地いいものでした。
その日のお客さんは先日の5周年のイベントに来られていた方とそうでない方が半々くらい。でも、前回のイベントとはまた別の、ほのぼのとした空気に包まれていました。

ちょっと日が経ってしまったので、その日高橋さんが話されたことをかなり忘れかけていますが、まずは高橋さんが絵を描くときに使われている画材の話から始まりました。
興味深かったのは高橋さんが画材を選ぶというのではなく画材が高橋さんを選んでいるかのような表現をされていたこと。まるで画材が人間のように。でも、そういうの、なんとなくわかります。自分が選んでいるはずだけど、相手が自分を選んでいるという感覚。

『月夜とめがね』は岩絵の具というものを使っているそうです。この日のブログで紹介した箱のきらきらは絵の具に含まれている鉱物が光に反射していたんですね。そのため、昼の光と夜の電気の光では色の印象はかなり違うようで、夜描いたものを昼に描き直されたこともあるとか。絵の具もかなり高いそうです。

もうひとつ高橋さんがこよなく愛されている画材があって、くまくまちゃんはそれを使って描いていたんですね。
ちなみにこれがくまくまちゃん。
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普通の水彩画かなと思っていたんですが、ちがっていました。
画材の名はコピック。

コピック!

その名前だけで胸がきゅんとなってしまいました。くまくまちゃんにぴったりのかわいらしい名前。まるでコルピックスみたい。ということで、僕の頭の中にはシェリー・フェブレーの曲が流れ始めました。実はそのときに店内に流れていたのは僕が5周年のときに窪田さんにプレゼントした自選のCDだったけど、脳内プレーヤーはシェリー・フェブレー。

このコピックと高橋さんの関係の話がまたおもしろいんですね。まるで高橋さんとコピックが恋のかけひきをしている感じ。コピックが高橋さんのことを愛していて、もちろん高橋さんもコピックのことを愛していることがわかっているのに、高橋さんはあえてコピックを使うの遠ざけたりしていたとか。

そのコピックを使っていよいよくまくまちゃんを描くワークショップが始まります。
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by hinaseno | 2016-04-29 14:14 | 雑記 | Comments(0)

夏葉社の本をいくつか手に取って最初に思い浮かべたのは『レイモンド・カーヴァー全集』(村上春樹訳)でした。もちろん夏葉社の1作目の『レンブラントの帽子』の表紙の絵を描かれたのが『レイモンド・カーヴァー全集』と同じ和田誠さんだったということもありますが、その後の『昔日の客』『星を撒いた街』『さよならのあとで』も含めて本の肌触りがとても似ているように感じました。
ちなみに『レイモンド・カーヴァー全集』は村上さんが大好きな『チェーホフ全集』(中央公論社)をもとにして作られています。サイズも肌触りもほぼ同じ。
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そういうつながりもあったせいか、『さよならのあとで』の詩を最初に読んだときに、僕は『レイモンド・カーヴァー全集』の第6巻「象 / 滝への新しい小径」の村上さんが書かれた「解題」に引用された「物事を崩さぬために」という詩のことを思い出しました。

村上さんがこの詩に出会ったのはレイモンド・カーヴァーの自宅。村上さんがカーヴァーの家を訪ねて行ったのはこれが2度目。ただしカーヴァーは3年前に亡くなっていました。カーヴァーの墓参りと奥さんのテスに再会するのが目的。
この日、村上さんはカーヴァーの書斎に通されて、カーヴァーが座っていた机の前に座ってしばらくひとりだけの時間を過ごします。窓の外に広がる海を眺めたり、カーヴァーが使っていた鉛筆を手に取ったり。
ふと村上さんは部屋の本棚にあった1冊の詩集に目を留めそれを取り出します。「半径3メートル」のなかにあった本ですね。

部屋の本棚から分厚いペーパーバックのアメリカ現代詩のアンソロジーを一冊取り出してぱらぱらとあてもなくページをめくっていると、マーク・ストランドの短い詩がふと目にとまった。どうしてたくさんある詩の中からわざわざその詩を選んで読むことになったのか、自分でもよくわからない。でもとにかくその詩は、不思議に僕の心を打った。そのときにその部屋の中で僕の心の底でもやもやと感じたまま、どうしてもうまく形にすることができずにいた気持ちを、それは驚くくらいぴったりと表していたので。僕はその全文を手帳にボールペンでメモした。こういう詩だ。

 物事を崩さぬために

野原の中で
僕のぶんだけ
野原が欠けている
いつだって
そうなんだ
どこにいても
僕はその欠けた部分。

歩いていると
僕は空気を分かつのだけれど
いつも決まって
空気がさっと動いて
僕がそれまでいた空間を
塞いでいく

僕らはみんな動くための
理由をもっている
僕が動くのは
物事を崩さぬため。

原題は「Keeping Things Whole」。
この詩を初めて読んだときになぜか僕も心を打たれて(その頃なにかあったんでしょうね)、すぐにマーク・ストランドという人の詩集を買いました。今、読んでもいい詩です。
これがその原詩。
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改めて考えてみると、この「物事を崩さぬために」という詩は、『さよならのあとで』の詩よりもむしろその詩に添えられた高橋和枝さんの絵そのもののような気がします。
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by hinaseno | 2016-04-28 11:49 | 雑記 | Comments(0)

自宅に戻った僕は高橋和枝さんについて少し調べ、高橋さんが絵本関係の本をいくつも出されていることを知りました。表紙だけしか確認しなかったのですが、どちらかといえば動物のかわいらしい絵が並んでいて(その中にくまくまちゃんももちろんいたんですね)、『さよならのあとで』に描かたような絵はちょっと特別なものだったのかもしれないと感じました。

パソコンでそれらの絵を眺めながらはっと思いついたのは、もしかしたらおひさまゆうびん舎の窪田さんは高橋和枝さんのことを知っているかもしれないということでした。
高橋さんのことがきっかけになるかもしれないと。

窪田さんが『さよならのあとで』に描かれた高橋さんの絵のことを僕と同じくらいに好きになってくれて、夏葉社のことや、島田さんのことを好きになってくれたら、おひさまゆうびん舎に夏葉社の本を置いてもらえるかもしれないという気持ちが僕の中で大きく膨らんできました。

数日後、すごく勝手なことがわかっていながら、ひとり出版社である夏葉社の特別な営業マンとなって(といっても島田さんが初めて高橋さんに会われたときようなスーツを着ることもなく、いつもの普段着で)おひさまゆうびん舎に向かいました。

話を切り出すときの言葉は決めていました。
「高橋和枝さんという人を知っていますか?」

おひさまゆうびん舎へはたいてい自転車で行っていたので、自転車をこぎながら「高橋和枝」という名前を忘れないように頭の中で何度も「高橋和枝」という言葉を繰り返していました。いつもはイヤホンを付けて音楽を聴きながら行くけれど、その日だけは音楽も聴かず、ただひたすら「高橋和枝、高橋和枝」と。

窪田さんはもちろん高橋和枝さんのことを知っていました。で、僕はカバンの中から『さよならのあとで』を取り出します。
夏葉社という出版社のこと、島田さんのこと、『さよならのあとで』という本のこと、そしてその本に添えられた高橋さんの絵を僕がとても気に入っていることを伝えました。大げさ過ぎず、とにかく正直な言葉で。
窪田さんは『さよならのあとで』に描かれていた高橋さんの絵が、それまで窪田さんが持っている高橋さんの絵のイメージとは違っていると言われました。でも、とても素敵な絵だと。
そして実は夏葉社の本を姫路で売っている店がないのでおひさまゆびん舎で取り扱ってもらえませんかと伝えました。すぐに返事はしていただかなくていいので、よかったら考えてみてくださいと。その日は夏葉社の本を預けて家に帰りました。

窪田さんからやってみますとの返事をいただいたのはたぶん翌日のことだったと思います。いろんなリスクがあることを知らないわけではなかったので、その決断の早さに驚きました。
すぐに僕は夏葉社の島田さんに連絡して、おひさまゆうびん舎という店のことを紹介して(窪田さんや小山清展をされたことなど)、おひさまゆうびん舎で夏葉社の本を取り扱えるようにしていただけますかとお願いしました。

数日後(2012年2月21日)、島田さんからこんな返事が返ってきました(これまでずっと窪田さんにも内緒にしていたけど、一応その日のメールをここに貼っておきます。勝手に貼ってすみません、島田さん)。

メール、ありがとうございます。
島田です。
現在4月に出す新刊の準備でバタバタしております……。

おひさまゆうびん舎さま、恥ずかしながら、存じ上げませんでした。
小山清好きというだけで、もう、という感じです。
小山清展の様子もすばらしく、こちらから、ぜひ置いてほしいと
お願いしたくなるお店です。
そういうお店は、日本全国見回しても、なかなかないのです。
お知らせいただいた上に、ご紹介までいただき、心から感謝申し上げます。
来週月曜日にでも、さっそく、お電話申し上げたく存じます。
また、関西に営業に行った折は、足をのばして、姫路を訪ねようと思います。

このメールをいただいてすぐに窪田さんに、島田さんから了解をいただいたこと、たぶん数日後に島田さんから電話があることを伝えました。

そして3月の初めにおひさまゆうびん舎に夏葉社の本が並びます。
並んだその翌日くらいに窪田さんから夏葉社の本購入第1号の連絡が来ました。
その方が購入されたのは関口良雄著『昔日の客』。「これは本当に素晴らしい本だ」と絶賛されていたと。それがたつののYさんでした。

 *        *        *        *

ここまでの話を、あたかも僕が自分の手柄話のように書いていると思われたとしたら、それはもう残念というしかありません。
ときどき窪田さんや店の常連の方から、僕のおかげで、と言われることもあるのですが、それは違うんですということを伝えたいために、あえてこんな話を書いてきました。

僕は島田さんの「半径3メートル」のなかにあった『ノーラ、12歳の秋』から始まった奇跡のような物語の中にほんのちょっとだけかかわっただけだったんだと。何度も書いてきたように「たまたま」そういう役割を与えられるようになったというだけのこと。

全国には僕のような人間が何人もいたにちがいありません。
まちがいなく。絶対に。
それは島田さんだけが知っているはずです。
それくらい島田さんという人はすごいものを持っているんですね。いくつもの「たまたま」を引き寄せる力を。

それからやはり窪田さんという人も本当にすごい人だなと。
あの日僕は、窪田さんが『さよならのあとで』に描かれた高橋さんの絵のことを僕と同じくらいに好きになってくれて、夏葉社のことや、島田さんのことも好きになってくれたらと願いながらおひさまゆうびん舎に向かったのですが、窪田さんは(ご存知のように)僕の100倍、1000倍くらいに高橋さんや島田さんや夏葉社のことを好きになってくれたんですね。
僕も何かをすごく好きになることができる人間だとは思っていますが、窪田さんには負けてしまいます。勝ち負けの問題ではないけれど。

5周年のイベントのときにプレゼントされた『泰子の時間』に描かれている高橋さんのマンガの一部を載せておきます。窪田さんという人がよく出ていて笑えます。
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ところで島田さんの家の「半径3メートル」のなかにあった『ノーラ、12歳の秋』から始まる物語にはいくつも奇跡のような話があって、これからもいろんなことが起こっていきそうな気がしますが、実は先日、またひとつそういうのがありました。
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by hinaseno | 2016-04-27 12:03 | 雑記 | Comments(0)

あの十二月の雪の日から1週間経つか経たないかの、年が明けて間もない日にまたまたツリーハウスとおひさまゆうびん舎に行きました。買いたいと思う本があるなしにかかわらず、そこがとても居心地のいい場所であることを知ったので。

たぶんその日に買った絵本がこれです。
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新美南吉の『手ぶくろを買いに』。
小川洋子さんが大好きな絵本として紹介していて読んでみたいと思っていたらお店にあったんですね。黒井健さんの絵もすばらしいです(考えたらそこに描かれているのは雪の風景)。
この本を読んで以来、帽子屋さんにすごく惹かれるようになりました。

年明けにたずねたときに、少し前にツリーハウスで小山清展が開かれていたことを聞きました。はずかしながら小山清という作家の名前を聞いたのはそのときがはじめて。展示会のときにつくられた冊子もいただいて、ツリーハウスの清水さんよりもおひさまゆうびん舎の窪田さんのほうが小山清のことを愛されていて、その展示会も窪田さんの強い意向で実現したことを知りました。
絵本だけでなく、文学ももたれているんだなと。

改めて言うほどのことではありませんが、僕は文学が上で絵本が下とかといった気持ちはさらさら持っていません。絵本の中には大人が読んでも心を震わせるような上質なものがあることも知っていますし、好きな絵本もいっぱいあります。児童文学というジャンルでくくられるものもいくつも読んでいました。
それから僕自身、ごく数人の好きな作家はいても、とても文学にくわしいとはいえません。たぶん文学の世界では常識に属しているような作家でも知らない人が多いし、太宰治もろくに読んでいません。常識的な知識を持っていなくて唖然とされたことも何度も。
だから、文学に関する知識が豊富なことよりも、たったひとりであれ大好きな作家がいるということのほうが僕にとって近しいように思いました。
そして、今振り返れば、窪田さんが小山清展をされていたというのはとても大きなことでした。

さて、『さよならのあとで』が発売されましたが、僕はそれをどこで買うべきか悩んでしまい、結局、夏葉社の島田さんにどこで買ったらいいかを聞きました。島田さんから教えてもらったのが倉敷の蟲文庫。
たぶん何かで蟲文庫や店主の田中美穂さんのことは目にしていたような気がしますが、行ったことはありませんでした。
お店に行ったのは2月12日。記録が残っていました。
美観地区から一本北の通りに店があることを確認して店に向かいました。
驚いたのは蟲文庫のすぐ近くに、まるで『手ぶくろを買いに』の絵本そのままのメルヘンチックな帽子屋さんがあったこと。
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僕は思わず、あの子狐のように扉から手を差し伸べようかと思いましたが、休日の店内には人がいっぱいだったのでやめました。

蟲文庫では取り置きをお願いしていた『さよならのあとで』と田中美穂さんの出されたばかりの本『わたしの小さな古本屋』を買いました。興味深いのは田中さんの本の中に小山清の『落穂拾い』の話や木山捷平の話が出て来るんですね。田中さんは木山さんの大ファンでいらっしゃったのですが、そのときには僕はまだ木山捷平とは出会っていませんでした。でも、ここにも不思議な縁がいっぱい。

僕は美観地区の一画にあった喫茶店に立ち寄って『さよならのあとで』を読むことにしました。
でも、途中から胸がいっぱいになってきて読むのを中断。店内は人でいっぱいだったので涙を流すわけにはいかなかったし、言葉をゆっくりとひろうには少し賑やかすぎたので。

で、言葉は読まずにところどころに添えられた絵をひとつひとつ見ることにしました。そして、そのモノクロで描いた静謐な絵にも激しく心を打たれました。
そこに描かれていたのは、さりげない日常の風景ばかり。どれも一見、死とはかけはなれた世界のように見えます。
でも、よく見るとひとつひとつの絵に「不在」を感じさせる。決定的な不在というよりも、ふっといなくなって何かがあればそこに戻って来きてくれるような不思議な不在感。
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本を閉じて改めて絵を描いた人の名前を確認しました。

高橋和枝

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by hinaseno | 2016-04-26 13:16 | 雑記 | Comments(0)

とりあえずこの写真から。早速準備しました。
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描こうと思っているのは、くまくまちゃんのコーラス隊。名づけて「くまくまトーンズ」。ジャック・トーンズとカメカメ合唱団という大瀧さんが作った(?)2つのコーラス隊にちなんでいます。
イメージはできているけど、さて、いつ描き上がることやら。
 
 *        *        *        *

夏葉社の第1作目の『レンブラントの帽子』は新聞の書評で見たその日に、たぶん姫路のジュンク堂で買ったはず。
2作目の関口良雄著『昔日の客』、3作目の上林暁著『星を撒いた街』は、今はもうなくなった岡山の万歩書店(平井店)で買いました。姫路では売られているお店がなかったんですね。

『さよならのあとで』が出版される情報が入って来た頃から、姫路のどこかの店で買えるようにならないのかなとぼんやりと考えるようになりました。
その頃に出会ったのが、ツリーハウスとおひさまゆうびん舎という2軒並びの書店でした。ツリーハウスは文学が中心、おひさまゆうびん舎は絵本が中心。
最初に店に行ったときに、僕の最初の言葉は「小沼丹の本がありますか?」でした。その頃、買ったばかりのクラフトエヴィング商會の『おかしな本棚』で紹介されていた小沼丹の3冊の本、『黒いハンカチ』、『小さな手袋』、そして『汽船』を探していたんですね。
残念ながら小沼丹の本はどちらの店にもなかったのですが、このときに小沼丹の本を探していたというのがYさんとの出会い、さらには”姫路の”木山捷平との出会いにつながっていくことになるので、何度も書きますが縁というのは本当に不思議です。
でも、小沼丹はなかったけど、その時期に探していた小川洋子さんの本がおひさまゆうびん舎に置かれていたんですね。実はその少し前に岡山県出身の作家小川洋子さんと結構深い縁があることがわかったので、彼女の廃刊になった単行本を集めるようになっていて、その見つからなかった本がお店のいちばん目立つところに3冊も。これもやっぱり縁です。

ツリーハウスとおひさまゆうびん舎との最初の思い出で最も強く心に残っているのは2011年の暮れの押し迫った日のこと。店を見つけてから1週間くらい経った日だったと思います。
その日はとてつもなく寒く、しかも店に着いてからかなり激しい雪が降ってきました。
実はその日にツリーハウスの当時の店長の清水さんに夏葉社の本を置いてもらえないかという話を用意していました。一度来たときに少し話をしてここだったら置いてもらえそうだと、いや、正しくはここに置いてもらえたら気軽に本が買えそうな気がしたんですね。
雪がはげしく降りしきる中、さすがに客足は途絶えてしまって、清水さんの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、二人でいろんな話をしました。
で、話が途切れて僕が”その話”を切り出そうとしたときに清水さんは何かを察知されたのか、実は間もなくツリーハウスを閉めるんですと言われたんですね。あまりにびっくりで言葉を失いました。ようやく理想的な店を見つけた矢先のことだったので、すっかり気持ちは落ち込んでしまいました。

そんなときにお店の中に入って来たのがとなりのおひさまゆうびん舎の窪田さんでした。はげしく降る雪と、僕の沈んだ気持ちを吹き飛ばすような、まさにお日様そのもののような明るさで。
どうやら窪田さんのお店にもお客は来なくなったみたいで、窪田さんも清水さんと話をしに来たようでした。
初めておひさまゆうびん舎に足を運んだときには窪田さんとは話らしい話はできませんでしたが、すでにちょっと打ち解けた関係になっていた清水さんもいたので、すぐに打ち解けた話ができるようになり、窪田さんの素晴らしい人柄に触れることもできました。
おひさまゆうびん舎とのつながりを考えるときには、この12月の雪の日のことが大きかったように思います。雪が降っていたという童話的なシチュエーションを用意してくれたというのもちょっとできすぎていました。

ただ、夏葉社のことに関していえば、それまでの三作が文学色の強いものだったので、おひさまゆうびん舎に置いてもらうことはそのときには思い浮かびませんでした。

そして翌年の1月末に『さよならのあとで』が発売されます。
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by hinaseno | 2016-04-25 13:03 | 雑記 | Comments(0)

「かわいい」
「かわいい」
「かわいい」

この声があちこちで飛び交う中にいるのは(想像はしていたけれど)やはり照れくさいものがありました。もちろんかわいいのは僕ではなくてくまくまちゃんだけど(あたりまえだ)。
この話はまた改めて。こんなのばっかり。あったことを言葉にするのは時間がかかります。

さて、自宅の「半径3メートル」のなかの本棚から見つけた『ノーラ、12歳の秋』を手にした島田さん。

久しぶりにページをひらくと、物語の筋よりも、挿絵のほうに記憶が刺激された。高橋和枝さんというイラストレーターによる、自信なさげで、けれど、強い意志を感じるモノクロームの挿画は、ぼくが探している絵とかなり似ていた。

島田さんは高橋さんのことを調べ始めます。図書館で高橋さんが別の本に描かれた絵を見て「まさにぼくが求めていた絵」だと確信。
高橋さんのイラストをコピーし、そこにプリントアウトして切り抜いた詩の言葉を糊でひとつずつ貼ってみる。

とてもよかった。
言葉とイラストが響き合っていた。

この日から、のちに『さよならのあとで』という本の形になるまで3年近い日々がかかることになります。その間、島田さんにも高橋さんにもいろんなことがあり、何よりも東日本大震災という未曾有の出来事がありました。

島田さんの『あしたから出版社』でもっとも強い関心を持って読んだのはこの『さよならのあとで』に関する話。特にイラストを描かれた高橋和枝さんとの話はなんだか自分のことのように読んでしまいます。

島田さんは高橋さんにどうやって絵の依頼をしたらいいかを考えます。

本を一冊も刊行していない、純粋な意味で「無名」の出版社の仕事を高橋さんが引き受けてくれるかどうか、自信がなかった。

とにかく「本当のこと」を書いたメールを送ることにします。2日後に高橋さんから「検討します」との返事が帰ってくる。「まずはお会いしてお話を聞かせてください」と。

そして打ち合わせの日、スーツを着た島田さんは約束の場所に。作りたい本のことを一所懸命に話します。高橋さんは言葉をはさむことなく真剣に聞く。
そして、「自信はないけど、やってみます」と。

ただ、どうやら高橋さんはなかなか絵が描けなかったようです。確かに、あの詩にどんな絵を付けたらいいのか、その難しさは素人の僕でも理解できます。
島田さんは(資金の問題もあって)絵ができあがるのを待つことができなくて、文芸書の復刊を思いつきます。それがバーナード・マラマッドの『レンブラントの帽子』。表紙の絵を描かれたのは和田誠さん。
島田さんにとっては予定外のことだったかもしれませんが、僕にとってはこの本がまさに夏葉社に出会うきっかけになったんですね。新聞に載った和田誠さんの絵に目をとめたわけです。
もしもかりに新聞に『さよならのあとで』が写真付きで載ったとしても、僕は何も気づかなかった可能性が高い。縁というのは不思議なものです。

さて、高橋さんはやはり描きあぐねている状態が続いていたようですが、『レンブラントの帽子』が発売になるひと月ほど前にようやくすべての詩の言葉にあわせたイラストを島田さんのところに作ってきます。

 それは、オレンジと水色で描かれた、ある町の一日であった。雨が降り、夜が来て、人びとは、物思いにふけっていたり、ピアノを弾いたり、雨上がりの町を歩いたりしていた。
 一読して涙がこぼれた。

このオレンジと水色で描かれたイラストは後におひさまゆうびん舎で開かれた『さよならのあとで』原画展で見ましたが、本当に素晴らしいものでした。
特に雨上がりの町を歩く場面を描いた絵はすごく気に入って、買う絵を決めるときに最後まで悩みました。

ところが、島田さんはデザイナーの方がレイアウトした本を見ているうちに「なにかが違う」と感じる。もう少し「かなしみ」のようなものが欲しいと。
で、あらためて高橋さんに、モノクロであたらしいイラストを描いてくださいと頼むんですね。
高橋さんは相当困惑されたようです。「なにを描いたらいいかよくわからない」と。そして高橋さんから届いたのは「すこし時間をおいて考えさせてください」とのメール。

 高橋さんから、そういった内容のメールが届いたとき、ぼくはすっかり信頼を失ってしまったと思った。
 次に来るメールは、正式なお断りのメールかもしれないと思った。

しばらくして高橋さんからあたらしく描かれたモノクロのすばらしいイラストが届く。

ようやく形が見え始めてこの方向でとなってきたときに東日本大震災が起こる。『さよならのあとで』はストップしてしまう。

 ぼくは、従兄ひとりの死に自分の感覚を集中させて、この本をつくろうとしてきたが、三月十一日を境に、一万八〇〇〇人以上の人がいなくなってしまうと、自分がなにかをつくっているのか、さっぱりわからなくなってきた。自分が見ていた『さよならのあとで』の世界が、急に安っぽく見えた。

で、島田さんは被災地に足を運ぶ。

 ぼくには、自分のかなしみのことはわかるけど、ほかの人のかなしみのことはわからなかった。そう理解できたことが、いってみれば、被災地を見てまわり、いろんな人の話を聞いて、ぼくが学んだことであった。
 ぼくが従兄を亡くしてかなしんでいるということと同じように、たくさんの人がかなしんでいる。
 それらのかなしみは、とても似ているもののように思えるけれど、10万人の人がかなしんでいれば、10万人のかなしみは、すべて、それぞれ、違う。いつまでも、同じものにはならない。
(中略)
 ぼくは、その個別のかなしみに寄り添えるような本を、つくりたいのだった。

高橋さんもやはり震災の影響で描けなくなっていたようですが、『さよならのあとで』が出版されることになったことを紹介されたこの日の高橋さんのブログで高橋さんはこんなことを書かれています。

昨年の震災後、気持ちがふわふわと落ち着かなかったとき、
『さよならのあとで』のイラストを描くことから
まず始めました。
絵を描くと、そして紙にむかって手を動かすと、
気持ちがしゃんとする
というか、
地に足がついた感がすこし戻ってきました。

紆余曲折をへて2012年の1月、『さよならのあとで』の見本が届く。
それを見た島田さんが感じたのは満足ではなくて強い不安。さらに先程の高橋さんの複雑な心境を書かれたブログを読んで「胸が痛くなっ」てしまう。
島田さんは高橋さんから送られてきた100枚ほどのイラストの中から自分が選びとったものが果たして正解だったのかに強い不安を覚えたようです。
でも、正解なんてわからないですね。
確かなことは島田さんも高橋さんもこの本のために精一杯のことをされたということ、そして、僕をはじめ多くの人がその本に強く心をうたれたということ。
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by hinaseno | 2016-04-24 11:41 | 雑記 | Comments(0)

原節子さんを主演にした小津の『晩春』ではラストの方で面白い話が出てきます。原節子さんが結婚する相手の名前に関する話。
紀子三部作で原節子さんが結婚する(した)相手といえば、『東京物語』は「しょうじ(昌二)」、『麦秋』は兄「しょうじ(省二)」の友人である謙吉と「しょうじ」つながりになっているのですが『晩春』では「しょうじ」とは何の関係もない名前。
なんと「佐竹熊太郎(くまたろう)」。

『晩春』の原作は広津和郎の「父と娘」という作品なので、その作品に「熊太郎」の名が出てくるのかどうかはわかりませんが、これはたぶん脚本を書いた小津と野田高梧が考えたギャグのような気がします。
ちなみに熊太郎は、名前は辺ですが顔はゲーリー・クーパーに似ているとのこと。「こないだ野球映画に出ていた」と杉村春子が話していたので、何の映画だろうと調べたらどうやらこの『打撃王』という映画のようです。これですね。
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僕はゲーリー・クーパーといえば何といっても西部劇の『真昼の決闘』。でも、『晩春』のときにはまだ公開されていなかったようです。

原節子演じる紀子はおばの杉村春子のすすめで熊太郎と見合いをすることになります。見合いの後、数日経っても紀子はいいともだめだとも返事をしない。父親の笠智衆(周吉)とおばの杉村春子(まさ)は気をもんでこんな会話をします。

まさ「あれで、紀ちゃん、つまんないことを気にしてんじゃないかしら」
周吉「何?」
まさ「名前、佐竹さんの」
周吉「佐竹熊太郎か」
まさ「うん、熊太郎……」
周吉「いいじゃないか熊太郎、強そうで……そりゃお前の方がよっぽど旧式だよ。そんなこと気にしてやいないよ」
まさ「だって、熊太郎なんて、なんとなくこの辺(と胸のあたりをさして)モジャモジャ毛が生えてるみたいじゃないの。若い人って案外そんなこと気にするもんよ。それに、紀ちゃんが行くでしょう? そしたら、あたし、なんて呼んだらいいの? 熊太郎さんなんて、まるで山賊呼んでるみたいだし、熊さんて言や八さんみたいだし、だからって、熊ちゃんとも呼べないじゃないの?」
周吉「うん。でも、なんとか言って呼ばなきゃ仕様がないだろう」
まさ「そうなのよ。だからあたし、クーちゃんて言おうと思ってるんだけど」
周吉「クーちゃん?」


この「クーちゃん」というときの笠智衆の顔が何ともおかしいんですね。どこまでまじめでどこまでギャグなのやら。

さて、話はころっと変わって(実は少しだけつながっているけど)、先日読んだのがこの『ノーラ、12歳の秋』という本。
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12歳の少女が主人公の物語。作者はアニカ・トールという人。
この本を手に取ったきっかけは高橋和枝さん。先日紹介したように、今、姫路のおひさまゆうびん舎で「くまくまちゃん」の原画展を開催中です。最初の話は「くまちゃん」つながりでした。

先日、高橋和枝の作品をチェックしていたときに、ぱっと目にとまったのがこの『ノーラ、12歳の秋』でした。表紙の絵と挿絵を高橋さんが描いています。
高橋さんの絵はどれも繊細な優しさにあふれているのですが、作風はかなり幅があります。そんな中で一番惹かれた表紙がこれでした。
ちなみにこれが裏表紙。
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小学校の秋の風景。これだけで切ない気持ちになってしまいます。淡い茶系で統一された色もいいですね。以前紹介した「月夜とめがね」もそうですが、高橋さんの作り出す色は本当に素晴らしい。

で、物語を読みながら挿絵を見ていたら、あることに気がついたんですね。もしや、これって、と。
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で、確認したらやはり。

確認したのは夏葉社の島田潤一郎さんが書かれた『あしたから出版社』。
『あしたから出版社』は島田さんが大好きだった従兄が事故で亡くなりそうだという連絡が入る場面から始まります。

その頃島田さんは就職活動というか転職活動をいろいろとされていました。でも、うまくいかないことばかり。そんな中、ある一編の詩に出会います。ヘンリー・スコット・ホランドという神学者が書いた詩。この詩が従兄を亡くした島田さんの喪失感をなぐさめてくれたんですね。
ある日、叔父と叔母のためにその詩で本をつくることを思いつきます。それを手がかりにして未来を切り拓いていこうと。もちろんそのためには「いい本」をつくらなければならない。そして島田さんは「いい本」をつくるために出版社をつくる決心をします。それが夏葉社ですね。始めたのは2009年9月1日。
ちなみに僕も何か大きなことをスタートさせたのはたいてい9月1日。

さて、一編の詩から本をつくるとはいっても一体どうすればと悩み、作業は難航します。何かイラストをつけてみようかと。
で、何か参考になるような本がないかと自宅の本棚を探します。宮崎駿監督がテレビでいっていた「求めているものが見つからないときは、『半径3メートル』のなかで探すのがいい」という言葉を信じて。
で、見つけたのが『ノーラ、12歳の秋』だったんですね。
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by hinaseno | 2016-04-22 15:00 | 雑記 | Comments(0)

尾道でもう一つ、ぜひ見つけたかったのはこのラストシーンを撮影した場所。
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この汽車に乗って東京に戻る原節子さんを義妹の香川京子さんが小学校の教室の窓から見送っているんですね。バックに流れているのはフォスターの「ゆうべのかね」。
これが見送っている香川京子さん。本当に素敵です。
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その前に映るのがこの小学校。
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当時の筒湯小学校。既に廃校になっていることは知っていましたが、浄土寺の後にそこを訪ねることにしていました。

香川京子さんがいる教室はおそらくセット。
ところで僕はずっと香川京子さんは尾道には来ていないと思っていました。香川京子さんは尾道で暮らしていることになっているのですが、明らかに尾道の町といえる場所に出たシーンがないんですね。
唯一、町を歩くシーンとして2度ほど出てくるのがこの場面。
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香川京子さんらしき女性は自宅を出た後、いつも後ろ姿しか映らないので別の女優を使っているんではないかと思っていました。
でも、調べたら香川京子さんも尾道に来ていたようでした。証拠と言えるのがこの写真。たぶん浄土寺の境内で撮ったと思われる原節子さんとのツーショット。
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もしかしたら尾道の町で香川京子さんをもう少し撮っていたのかもしれません。

さて、上のラストシーンを撮った場所、正直皆目見当がつきませんでした。筒湯小学校のあったあたりから見えるのかなと思いつつ、三石での経験もあって、たぶん違う場所から撮っているだろうと思っていました。

でも、あっさりとその場所が見つかったんですね。昨日、紹介したシーンを探すために、浄土寺の東側を歩いていたときに、おや?となったんですね。ちょっと海側を見たときに、ほとんどそれに近い風景がそこにあったんです。危険なので立ち入らないようにとの小さな板が置かれていた小さな空地があって、そこに入ったらこんな風景が。
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持っていた写真と見比べてみたら、ラストシーンを撮ったのはもう少し東にいったあたりだろうなと。ただ、映画の別のシーンを写した写真を見たらおっ!でした。
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これはまさにこの場所あたりでとられたはず。
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ちょっとした櫓を作ってその上から撮ったものなのかもしれません。小津はちょっとした風景をとらえるにしても、普通の目の高さにはしないんですね。

で、例のシーンはこのあたりから撮ったのかな、と。
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手前にはかなりじゃまな木が生えていましたが、このあたりに櫓を建てて撮ったんだろうと思います。

ところで筒湯小学校。場所は浄土寺のすぐ近く。山門を出て西に歩いて、少し山を上った所。校舎は崖からかなり離れたところに移されていていました。
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でも崖の部分はそのまま。
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昔の校舎があったと思われる場所には入れませんでしたが、校舎からは結構いい風景が眺められたのではないかと思います。山陽線を走る列車も見ることもできたはず。でも、映画で使うには遠すぎたんでしょうね。

これは校門があったと思われる場所から見た風景。
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by hinaseno | 2016-04-21 13:07 | 映画 | Comments(0)

小津の『東京物語』を最初に観たのは、たぶん1990年代の初め頃。それから小津の映画を集中的に観るようになったのは1995年以降。もしかしたらそのきっかけのひとつには阪神大震災があったのかもしれません。大きな震災は気づかない形で小さな種を蒔いてくれているようです。

はじめて『東京物語』を観たときに一番驚いたのはこのシーンでした。
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妻の葬儀も終わり、戦争で亡くなった二男(しょうじ)の妻である原節子を除いて子供たちはみな東京や大阪に戻ってしまったあと、日常の生活を取り戻した笠智衆が家の庭で野菜の手入れをしている場面。映るのはほんの数秒です。

笠智衆の背後に見えるのは浄土寺の多宝塔。
僕の大好きな塔が映っていたということで『東京物語』はぐっと身近に感じられるものになりました。
というわけで、僕にとっての『東京物語』はなんといってもこのシーンだったので、まずはこの場所を探しに行きました。

場所のだいたいの予想はついていました。境内の東側。山門に登って行く石段の途中で横道に逸れたのはその場所を探すため。
でも、そこはちょっとびっくりするような場所でした。
浄土寺は崖のせり出した部分にあって、東側にあったのは崖に沿うように建てられたいくつもの家。映画に映っている家はなくなっていました。そのあたり、道と呼べるようなものはなく個人の家の通路のような小さな路地があるだけ。正直入りづらくてそそくさとその場所を立ち去りました。
それでも一応、ここかなと思う場所を撮らせてもらいました。いずれもちょっと違います。
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で、笠智衆が手入れをしていた庭があった可能性が一番高いのは、この向う側あたり。でも、さすがにここに入っていくことはできませんでした。
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ちなみにこれは寺の東側の塀に沿っている道から撮ったもの。
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道の端は崖です。ここの5メートルくらい東の場所から撮られたはず。でも、そこにあんな庭があったとはとても思えない。だって、こうなので。
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そういえばこのあたりに来てはっと気がついたことがありました。この風景。
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これって、映画の冒頭で映ったこのシーンの場所でした。
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このシーン、尾道のどこなんだろうとずっと思っていたのですが、まさか浄土寺だとは思いませんでした。
どうやらこのショットも笠智衆が庭仕事をしている場面を撮ったのと同じ場所から撮ったようです。右端に見えていたのは多宝塔の下層の屋根だったんですね。

ところで、多宝塔のあたりには何本か石塔が立っているのですが、ほとんどが映画が撮影された頃とは違う場所に移されているようでした。
これが映画のワンシーン。
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で、これが多宝塔の近くの塀の側に現在立っている石塔。
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by hinaseno | 2016-04-20 15:30 | 映画 | Comments(0)