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昨日の話の流れで。
「Girl From〜」というタイトルの曲にはいい曲が多いのでいくつか並べてみます。ついでに「Boy From〜」の曲もいくつか。
まずは昨日紹介したボブ・ディランの「Girl From The North Country」。邦題は「北国の少女」。YouTubeには別テイクしかありませんでした。



「Girl From〜」というタイトルのついた曲で一番有名なのはたぶんアストラッド・ジルベルト&ジョアン・ジルベルト&スタン・ゲッツの「The Girl From Ipanema」。邦題は「イパネマの少女」。 考えてみたら邦題は「girl from〜」なのに「〜の少女」となっているのが多いですね(大瀧さんの「リアスの少年」の英題は「RIAS」ですが、正しくは「The Boy From Rias」のはず)。



で、こういう有名な曲って、必ずgirlをboyに入れ換えた曲が作られます。



ボサノバの流れでポール・デスモントの「The Girl From East 9th Street」を。昨日紹介したボブ・ディランの『フリーホイーリン』のジャケットに写っているのはニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの西4番ストリートですが、この曲は東9番ストリートです。



次は渋谷系、サバービア系のほんで必ず紹介される「The Girl From U.N.C.L.E.」。音楽を手がけたのはあのテディ・ランダッツォ。



次はチェット・ベイカーの「The Girl From Greenland」。曲をかいたのは、やはりサバービア系に人気のあるリチャード・ツワージク。

さて、やっぱりビーチ・ボーイズのこの曲を紹介しないわけにはいきません。「The Girl From New York City」。



これはアド・リブズが歌ったこの「The Boy From New York City」のアンサー・ソングですね。プロデューサーはリーバー=ストーラー。ビーチ・ボーイズの「The Girl From New York City」よりこっちの方が好きです。



アド・リブズの「The Boy From New York City」はリーバー=ストーラーのつくったBlue Catレーベル。同じくリーバー=ストーラーがつくったRed Birdの傍系のレーベルですね。というわけでRed Birdレーベルのこの曲を。
トレイドウィンズの「The Girl From Greenwich Village」。曲を書いたのは大好きなアンダース&ポンシア。「Girl From〜」の中ではいちばん好きな曲、かな。



そういえばこの日のブログで紹介した「The Boy From Chelsea」もすごくいい曲。曲を書いたのはキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン。



最後に女の子もいずれは年老いてしまうので、ということでジャン&ディーンの「The Little Old Lady From Pasadena」を。邦題は「パサデナのおばあちゃん」。


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by hinaseno | 2015-11-29 12:28 | 音楽 | Comments(0)

Girl From The South Country



「これ世田谷ピンポンズでしょ?」
「そう」と私は言った。世田谷ピンポンズは『南の国から来た女の子』を唄っていた。何年経っても良い唄というのは良い唄なのだ。
「世田谷ピンポンズって少し聴くとすぐにわかるんです」と彼女は言った。
「口笛がビリー・ジョエルよりも下手だから?」
 彼女は笑った。彼女を笑わせるのはとても楽しかった。私にだってまだ女の子を笑わせることはできるのだ。
「そうじゃなくて声がとくべつなの」と彼女は言った。「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」

なんてやりとりが、たまたま僕のカーステから流れたピンポンズさんの曲を聴いた若い女の子との間で実際にあったら素敵ですね。
でも、実はこれは村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のある部分の話をちょっとだけ変えたもの。実際の話はこうです。

「これボブ・ディランでしょ?」
「そう」と私は言った。ボブ・ディランは『ポジティヴ・フォース・ストリート』を唄っていた。二十年経っても良い唄というのは良い唄なのだ。
「ボブ・ディランって少し聴くとすぐにわかるんです」と彼女は言った。
「ハーモニカがスティーヴィー・ワンダーよりも下手だから?」
 彼女は笑った。彼女を笑わせるのはとても楽しかった。私にだってまだ女の子を笑わせることはできるのだ。
「そうじゃなくて声がとくべつなの」と彼女は言った。「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」


村上春樹の小説の中にはボブ・ディランがよく出て来ます。とりわけ多いのが『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。この作品の影響で僕はボブ・ディランを聴くようになりました。特にこの場面のレンタカーの代理店の女の子とのやりとりは大好きで、文庫本のこのページには栞をはさんだまま。最後の「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」という表現が素晴らしすぎます。これ以上ない適切な表現。
で、この「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声」というのはピンポンズさんの声にもあてはまるように思いました。声質はボブ・ディランとよく似ています。
そしてピンポンズの曲を聴いてみてもボブ・ディランの影響を強く受けていることがわかります。

ボブ・ディランの数あるアルバム(全部持っているわけではないけど)でいちばんよく聴いたのは『フリーホイーリン』。ジャケットも最高です。
1曲目はディランの曲で一番有名な「風に吹かれて」。そして2曲目に収められているのが「Girl From The North Country」。「北国の少女」との邦題がついているようですが正確に訳すと「北の国から来た女の子」。
さて、先日紹介した「ホテルリバーサイド」の収められた世田谷ピンポンズさんの『天井の染みを数えている間に』というアルバムには「南の国から来た女の子」というタイトルの曲が収録されています。これもお気に入りの一曲。
タイトルはもちろんボブ・ディランの「Girl From The North Country」をもとにしているはず。曲もそれっぽい感じです。で、イントロはもろに「風に吹かれて」。ディランの『フリーホイーリン』を好きなことがよくわかります。
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ということで最近は久しぶりにディランを聴いています。先日、例のブートレッグ・シリーズのすごいものが発売されたみたいですね。少し心が動いています。

ところでおひさまゆうびん舎のライブの日に買ったピンポンズさんの覆面本。正直、表紙を見たときに読めそうにないなと思っていましたが結構面白くて、1冊目に収められた4つの作品のうち3つ読みました。
少しだけ画像を。そう、マンガ、しかも少女マンガです。
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by hinaseno | 2015-11-28 11:51 | 音楽 | Comments(0)

小津の映画の話の中で、このブログでも何度も触れてきた原節子さんが亡くなられていたとのニュースが流れました。 亡くなられたのは9月5日とのこと。95歳だったそうです。

9月5日にブログに何を書いただろうかと確認したら、ちょっとびっくり。その日のブログで書いていたことを訂正しなければと思っていたところでした。
9月5日のブログで書いていたのは『ナイアガラ・ムーン』の40周年盤に収録された95年リミックス音源のこと。ちょっとびっくりしたのは「95」つながりになっていたこと。

この日のブログで僕はこんなことを書きました。

その40周年盤に収録された95年リミックス音源で一番びっくりしたのは、「楽しい夜更し」でした。なんとオリジナルと歌詞が違ってるんですね。というか、オリジナルの歌を一部差し替えていました。そこに入れられたのはまぎれもなく1995年の大瀧さんの声。

「楽しい夜更し」という曲は本来であれば「すぐに始まる麻雀」となるのに95年リミックス音源では「すぐに始まる双六」と歌われていたんですね。一応、「すぐに始まる双六バージョン」と表現することにします。

さて、この一部差し替えられた声、実はこれが95年の大瀧さんの声でないことがわかったんです。つい先日聞いた『ゴー!ゴー!ナイアガラ』でかかったんですね。「すぐに始まる双六バージョン」が。びっくりでした。かかったのは1978年6月5日に放送の第156回目の『ゴー!ゴー!ナイアガラ』。聞いたのはもちろん始めて。
この日はリスナーからの葉書を読む特集の日で、先日テレビで「楽しい夜更し」がかかったけど、歌詞が違っているというという内容の葉書がいくつか来ていて、それに答える形でかけたのが「楽しい夜更し テレビ・バージョン」と呼ばれるもの。で、この歌詞がまさに「すぐに始まる双六バージョン」。声も歌い方も『ナイアガラ・ムーン』の40周年盤に収録された95年リミックス音源と全く同じでした。

大瀧さんの話によれば、4月の後半に「とある東京の地方局のテレビ」に1週間ばらり1分半ぐらいの番組に帯で出演したそうで、そこで流したのが「楽しい夜更し テレビ・バージョン」だったようです。生で歌ったわけではなさそうですが、映像とともに曲が流れたようです。

では、なぜテレビ・バージョン、つまり「麻雀」ではなく「双六」にしたのかというと、こんな事情。
1分20秒ほどのテレビ番組だったので、この番組でかけた曲はすべてテレビ用に再編集したとのこと。で、「楽しい夜更し」の歌詞を変えたのは「スポンサーの関係」。曲に合わせて麻雀のシーンを撮ろうとしたけれども、麻雀はギャンブルなので番組の主旨に合わないということになって、急遽、双六と福笑いのシーンを撮ってそれを歌詞にしたそうです。

ということで『ナイアガラ・ムーン』の40周年盤収録の「楽しい夜更し」の95年リミックス音源に聞かれる「双六」は1995年ではなく1978年の大瀧さんの声。おそらく『多羅尾伴内楽団Vol.2』を録音していた3月か4月頃に歌入れをしたんだろうと思います。
ちなみに『文藝別冊 KAWADE夢ムック 増補新版 大瀧詠一』の最後に収録されている「ラジオ『ゴー!ゴー!ナイアガラ』全放送曲目リスト」の「156 おハガキ」の回の2曲目に載っている「楽しい夜更かし(TV Ver.)」となっているのですが、それがまさに40周年盤の95年リミックス音源の「楽しい夜更し」(「すぐに始まる双六バージョン」)でした。
ところで「楽しい夜更し」は、しばしば「楽しい夜更かし」と「か」が入って記載されているのですが、正しくは「か」が入りません。ご注意ください。
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by hinaseno | 2015-11-27 11:53 | ナイアガラ | Comments(0)

覆面本の作家の名は...


先日の(といってももう20日ほど経ってしまいました)おひさまゆうびん舎で開かれた世田谷ピンポンズさんのライブで購入したピンポンズさんの覆面本、この表紙の絵の謎が解けました。
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他の覆面本にはいろいろと言葉が添えられていたのに、これは絵だけ。
一番左に川が描かれていて、川には橋がかかっていて、その川の右、つまり方角で言えば東に当たる可能性の高い側(荷風好きなのですぐに隅田川の東の「濹東」を思い浮かべてしまいました)には花の咲く場所ともう一つ何かが吹き出しているような施設。この施設が何だかよくわからなくて、きっと本を読んでみなければ答えは見つからないだろうと思っていたら、ぱっと答えがわかったんですね。
三つに並んだひとつひとつの絵が本の作者の名前の漢字を表したものだったんです。ただ、僕はその作者の名前を知らなかったので、そう説明されていても気づくことは出来なかったはず。昨日、作者の名前をキーボードで打ち込んでいたときに気がつきました。

答えと本の画像はおひさまゆうびん舎へ送ったので、後日おひさまゆうびん舎のブログで明らかにされるだろうと思います。

ところで、おひさまゆうびん舎のライブで「季刊ピンポン」というものをいただきました。「特別号 〜上林暁特集〜」となっていて、ピンポンズさんの上林さんへの思いが綴られています。『紅い花』に引用された「星を撒いた街」の話も出てきます。ピンポンズさん、いい文章書かれます。
「季刊ピンポン」でおっと思ったことがひとつ。
最後に「好きな上林暁作品」が8つあげられていたのですが、その最初に書かれていたのがあの「夏暦」。
僕のいちばん好きな上林作品なのでうれしかったです。

好みがいっしょだとわかったので、さてあの覆面本は読むことが出来るでしょうか。
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by hinaseno | 2015-11-25 14:22 | 文学 | Comments(0)

シェリー・フェブレーと並んで最も好きなガール・シンガーである(本当はガールではなかったけど)ロビン・ワードのアルバムがようやく復刻。ということで、喜び勇んで手に入れたのですが...。
復刻の情報を知ったときは当然ワーナー・レーベルからだろうと思いっていたのですが、Oldays Recordsという最近、オールディーズのアルバムを積極的に復刻している日本のレーベルからのもの。紙ジャケでの復刻とのことなのにオリジナルのDotのものではありませんでした。使っているイラストは同じですが。

左はオリジナルのジャケットを使ったCD。右が今回復刻されたもの。一見同じようですがかなりちがいます。
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解説もかなり淋しいもの。前回のCDで解説を書かれた長門芳郎さんが、前回の解説も残しつつ新たにわかったことを書き加えていただけるのが一番と思っていたら、別の人でした。

ボーナストラックとしてビーチ・ボーイズの「In My Room」のアンサー・ソングである「In His Car」が入っていたものの、できればそのB面であるCD未収録の「Wishing」も入れてほしかった。



というわけでいくつもの残念が残ることになったので、改めてワーナーから世界初CD化となる「Wishing」も入れて出して下さい。解説は長門さんで。

そういえばステュ・フィリップスの自伝を読んでいたらロビン・ワードの本名であるジャッキー・ワードの名前が出てきました。
ステュ・フィリップス名義のアルバムとして彼自身が最も気に入っているのが1965年に出た『Feels Like Lovin’』というアルバムとのこと。ホリーリッジ・ストリングスと並行して製作したようです。このコーラスをしていた女性のひとりがジェッキー・ワード(=ロビン・ワード)だったそうです。アルバムに彼女の名はクレジットされているんでしょうか。
このアルバム、ありがたいことにYouTubeに全曲アップされていました。



聴いてみたらいい曲をカバーしています。特にゲイリー・ルイス&プレイボーイズの「Count Me In」(23:10〜)と、キャロル・キング作曲の「I’m Into Something Good」(28:40〜)がいいですね。「I’m Into Something Good」では素敵な女性の声も聴かれます。少女ぶっていないジャッキー・ワード本来の声でしょうね。
考えてみたらジャッキー・ワードがロビン・ワードとして活動していたのは1963年から1964年にかけてのこと。このアルバムに聴かれるのはロビン・ワードとしての活動をやめた直後の彼女の声ということになります。
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by hinaseno | 2015-11-24 12:00 | 音楽 | Comments(0)

ステュ・フィリップスの自伝『“Stu Who?”』のカバーの表紙の周りには彼の写真を囲むように彼が手がけた代表的なアーティスト、曲、テレビ番組、映画の名前がぐるっと並んでいます。
上から順に見ると、
♪Goodbye Cruel World (James Darren)♪Blue Moon(the Marcels)♪Johnny Angel(Shelley Fabares)♪My Dad(Paul Petersen)♪The Hollyridge Strings...
『ティーンエイジ・トライアングル』の3人(シェリー・フェブレー、ジェイムス・ダーレン、ポール・ピーターセン)、マーセルズ、そしてホリーリッジ・ストリングス。
大瀧さんに大きく影響を与えた音楽が並んでいますね。

ステュ・フィリップスが日本にやって来たのは1954年のこと。彼が24歳のときですね。ジャズを演奏する楽団の中心メンバーとして、戦後はアメリカ各地のアメリカ軍のキャンプをまわって演奏していました。
そんなある日、彼に日本の駐留軍のキャンプに行くことが言い渡されます。
ステュ・フィリップスは子供の頃からよく新聞を読んでいて、戦時中に日本軍が行なった卑劣な行動に強い嫌悪感を抱いていたので、絶対に日本へは行きたくないと思ってその気持ちを伝えたものの、彼の願いはかなわず、結局日本へと行くことになります。
最初にやって来たのは北海道の札幌。1954年の5月のことでした。5月といえば更科源蔵が北海道に来るのならば5月に来るのが一番いいと言っていた月ですね。でも、ステュ・フィリップスにとっては美しい自然なんて関係ありませんでした。そこは”asshole of the world”だったと書いています。
札幌にいた何か月かは仕事がまったくない状態で、ときどき札幌の町を歩いたそうですが、町に漂っているくさい匂いに耐えられなかったとのこと。
そして数ヶ月後のある日、仙台にある進駐軍のキャンプに行くことが決まります。場所は「キャンプ・シンメルフェニヒ」(Camp Schimmelpfennig)、別名苦竹キャンプとよばれる所のようです。
ステュ・フィリップス一行は札幌から汽車で仙台に向かいます。乗ったのはもちろん函館本線ですね。そして函館に到着して青函連絡船に乗って青森へ。
この時の津軽海峡はかなりの時化だったようで、ステュ・フィリップスは身に強い危険を感じたものの幸いにもどうにか青森に到着。で、再び汽車に乗って仙台へ。仙台に着いたのは船で渡った翌日でしょうか。
仙台駅に到着したときにプラットフォームで新聞を読んでいた人たちが興奮して騒いでいるのを不思議に思って、英語が喋れる人を見つけて何が起きたのか訊いたら、前日、津軽海峡で連絡船が沈没する事故が起こったんだと。

調べたら日本の海難史上最大の惨事といわれる洞爺丸事故だったようです。事故が起きたのは1954年9月26日。洞爺丸事故といえば、内田吐夢監督の『飢餓海峡』ですね。あの岩内線が映る映画なので何度か見ました。岩内線が映っているということはもちろん川本さんの本で知りました。
ステュ・フィリップスによれ、沈没した洞爺丸はステュ・フィリップスが乗った船の”次”の船、ほんの6時間後に北海道を出航した船だったようです。
「神が見守ってくれていた」と。

この日の様子を詳しく書いているこの記事を読むとステュ・フィリップスが乗った船は8時15分出航の羊蹄丸か11時出航の渡鳥丸のどちらかでしょうか。
洞爺丸が本当に”次”の船だったかどうかはわかりませんが、でも、もしステュ・フィリップスが乗ったのが洞爺丸であればおそらく彼は事故で亡くなっていたはず。そうなっていたらシェリー・フェブレーのいくつもの素敵な曲も、『ティーンエイジ・トライアングル』も、『ホリーリッジ・ストリングス』もこの世には存在していませんでした。そしてそうなると...。

ステュ・フィリップスが汽車で岩手県を通りすぎていた1954年の秋、大瀧さんはまだ小学校に入る前で江刺市の梁川で暮らしていました。音楽に興味を少しずつ持ち始めた頃でしょうか。
これはステュ・フィリップスが仙台のキャンプで演奏している写真。
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ステュ・フィリップスは東京にも訪れています。これは彼が友人と東京観光をしている写真。たぶん右がステュ・フィリップス。背後に映っているビルの屋上には「トウランプ」の文字。これで場所がどこかわかるでしょうか。
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ステュ・フィリップスは札幌の町は死ぬほど嫌だったようですが東京はとても気に入ったようです。そしていろんな場所で出会った日本人の様々な形での心遣いにも心を打たれたようで、彼がずっと抱いていた日本人に対する憎しみは”ほんの少し”和らいだそうです。
そして翌1955年、彼は本国に戻ります。

ところで『“Stu Who?”』には他にも結構貴重な写真が載っています。
これは一度も使われたことがないというホリーリッジ・ストリングスの写真。真ん中で椅子を手に立っているのがステュ・フィリップス。
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そしてこれは『ティーンエイジ・トライアングル』を録音している時の写真。たぶんジェイムス・ダーレンに何かを言われて大笑いしているシェリー・フェブレーのかわいいこと。
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by hinaseno | 2015-11-23 11:59 | 音楽 | Comments(0)

「しょうへい」の時代到来!

のような気がしました。
「しょうへい」は「しょうへい」でも、木山捷平ではなくて大谷翔平。一昨日の韓国戦でのピッチングは本当にすごかった。彼のポテンシャルは計り知れないものがあります。これから10年くらいは彼に注目することになりそうです。
ということで、今日は前から続いている北海道と、大谷君や大瀧さんの生まれた岩手県につながる話を。

今、読んでいるのが、この『“Stu Who?”』という本。
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ステュ・フィリップスの自伝ですね。
といっても、まさにこの本のタイトル通り”ステュ・フィリップスってだれ?”って思われるでしょうけど。日本人であればなおさら。
ふた月ほど前にマーセルズの「ブルー・ムーン」という曲のことを書いたときに、そのプロデューサーがステュ・フィリップスだと知って、一度この人のことをいろいろと調べておきたいなと思って見つけたのがこの本。もちろん洋書です。ステュ・フィリップスの自伝なんて邦訳される可能性はまずありません。出版されたのは2003年。もちろん中古本。
表紙を開いたらステュ・フィリップスのサインといくつかの言葉、そして2小節の手描きの楽譜。最初は印刷かと思いましたが、ボールペンで書いた直筆(のはず)。
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For〜として女性の名前が書かれていて、’My All Time favorite ‘ex” actress’となっています。ネットで調べたらこの人かなと思える女優が見当たりました。現在もご存命ですが、その元女優の方、この本を手放したんですね。
でも、おかげでステュ・フィリップス直筆のサインが手に入りました。

大瀧さんが亡くなられてから、未完に終わってしまったアメリカン・ポップス伝のことを考えつつ、大瀧さんに関する文章を読んだり、あるいは過去に放送されたものの音源を聞き返したりする中で、ステュ・フィリップスという人の存在は見逃すことができないと思うようになりました。
大瀧さんはとにかくアイデアの人なんですが、そのアイデアの元にはステュ・フィリップスがいたように思います。
何よりも先ず思い浮かぶのは『ナイアガラ・トライアングル』。3人のアーティストの曲を集めて一枚のアルバムにするというのは、ステュ・フィリップスのプロデュースによって作られた『ティーンエイジ・トライアングル』のアイデアをもとにしています。
それから『ナイアガラ・ソングブック』。こちらもやはりステュ・フィリップスがプロデュースしたホリーリッジ・ストリングスがもとにあります。

『レコードコレクターズ』の『ナイアガラ・ソングブック』特集で大瀧さんはこんなことを話しています。
「(アレンジャーの井上鑑に)ステュ・フィリップスのレコードを聴かせて、こういうふうにやってと言ったら、鑑は飲み込みが早いからすぐにああやって作ってきてくれて、よく出来たと思いますよ」

「ステュ・フィリップスのレコード」というのはもちろんホリーリッジ・ストリングスのレコード。おそらくはビーチ・ボーイズの曲をカバーした『ビーチ・ボーイズ・ソングブック』。

ステュ・フィリップスの影響ということで言えばステュ・フィリップスのカバーのセンスも挙げられると思います。マーセルズの「ブルー・ムーン」やシェリー・フェブレーの「The Things We Did Last Summer」などに見られるように、スタンダード・ソングを魅力的なアメリカン・ポップスに作りかえるステュ・フィリップスの奇抜ともいえるセンスは大瀧さんも大きく影響を受けたはず。
松田聖子の「風立ちぬ」や小泉今日子の「快盗ルビイ」の曲を書くときにも、一番参考にしたのがステュ・フィリップスがプロデュースしたシェリー・フェブレーの曲だったことは言うまでもありません。

さて、そのフィル・フィリップス、戦後間もない時期に日本にやって来ていたんですね。最初に来たのは北海道。そしてその後東北へと向かいます。大瀧さんがこの本を読んでいたら(読んでいたはず)、きっと、おお!っと思ったでしょうね。
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by hinaseno | 2015-11-21 12:19 | 音楽 | Comments(0)

北海道のことをいろいろと考えていたら、数年前、深夜に放送された『Small Trip ちいさな荷物で週末旅』という番組のことを思い出しました。ナビゲーターは元ピチカート・ファイヴの野宮真貴さん。
この番組、本当にたまたま、たった一度見たきりで、しかもどうやらその日が最終回。見ていない回も含めてもう一度放送してもらえたらと思ってときどきチェックはしていましたが、願いは叶わないまま。

で、久しぶりにチェックしてみたらdailymotionというサイトで動画がアップされていました。これにはびっくり。
アップされていたのは6回分。「札幌編」、「旭川編」、「函館編」、「十勝編」、「稚内編」、そして「小樽〜ニセコ編」。どうやらこれが全放送。以前に一度だけ見たのはたぶん「札幌編」。
というわけで早速、2つほど見ました。見たのはもちろん「小樽〜ニセコ編」と「函館編」。岩井俊二の『ラブレター』にも出てきたあの可愛らしい緑色の函館本線も出てくるし、大好きな駒ヶ岳も写ります。

野宮真貴さんがナビゲーターを務めていることもあって番組はとにかくオシャレな雰囲気。でも、深夜に見るにはなんともいい感じです。北海道の風景も素敵ですが、野宮さんが立ち寄る店、紹介する音楽や本など心惹かれるものがいくつも出てきます。
というわけで、たぶん第一回目の放送だった「小樽〜ニセコ編」を貼ろうと思いましたが、YouTubeと違うのでうまくいかなかったのでこちらをクリックして下さい。

ところで、野宮真貴さんといえば最近新しいアルバムを出されたんですね。タイトルは『世界は愛を求めてる。 What The World Needs Now Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う』。
ウィキペディアで「渋谷系」を調べたら、具体的なアーティストのトップに紹介されているのがピチカート・ファイヴ。そういえば「渋谷系」の音楽のメッカになっていたHMVの渋谷店が復活したというニュースを先日していましたね。

ピチカート・ファイヴといえば、おひさまゆうびん舎ではじめて世田谷ピンポンズさんにお会いしたときに、その独特のヘアースタイルと眼鏡から一瞬ピチカート・ファイヴの小西康陽さんを思い浮かべました。でも、その音楽は「渋谷系」とは全然違っていたのですが。

新しくなったHMVの棚に世田谷ピンポンズさんの「船場川」のCDが置かれるような日がやってくればと思いつつ、でもやっぱりピンポンズさんは渋谷には似合わないですね。
ところでこの「ターミナル駅」の映像に映る場所はどこなんでしょう。渋谷じゃないですよね。



というわけで、世田谷ピンポンズさんのライブの日にいただいたピンポンズさんの栞とピチカート・ファイヴのお二人の写真を並べておきます。
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by hinaseno | 2015-11-19 12:47 | 雑記 | Comments(0)

ホテルリバーサイドのそばを流れる西川に沿って少し北に行くとすぐに路面電車の走る駅前の大通りに出ます。その大通りを渡ったところにあるビルの中になかなかいい書店があります。ここに本屋ができているのを知ったのは昨年のこと。中規模ながらも種類は豊富。特に鉄道関係の書物が充実しています。
この書店の一画に中古本のコーナーがあってときどき覗くのですが、先日行ったら、その中古本のコーナーが拡張されていました。
雑誌類が大量に積み重ねられている中で目にとまったのが『サライ』という雑誌。表紙に「東京下町散歩」と書かれていて、もしやと思って開いたら、やはり巻頭に川本三郎さんのエッセイがありました。しかもカラーの写真が満載。エッセイは単行本に収録されているかもしれませんがたいていは写真はカットされているので、最近は雑誌で川本さんの記事を見つけたら買うようにしています。

で、もう少し別の『サライ』を見ていたら「列車で訪ねる日本の秋」という特集のあるものを発見。中を見るとやはり川本さんの「鉄道映画の名シーンを訪ねる」と題されたエッセイ。こちらも写真満載。しかも舞台は北海道の道南の鉄道。函館本線、留萌本線、そして昭和42年に木山捷平が乗った岩内線。これは最高。最初に紹介されいたのは観終えたばかりの『駅 STATION』。あの映画、増毛だけかと思ったら留萌でロケもされていたんですね。
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この「鉄道映画の名シーンを訪ねる」にはうれしい写真がいっぱい。
これは小樽の廃線跡を歩いている川本さんの写真。
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それはこれはこの日のブログで紹介した蘭島駅。
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紹介されている映画は岩井俊二監督の『ラブレター』ではなく山田洋次監督の『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』。川本さんはもちろん『ラブレター』を見られているはずですが、一瞬だけ写った蘭島駅には気づかれなかったでしょうか。

何よりもうれしかった写真はこれ。
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この日この日のブログで紹介した、あの岩内線の始発駅である小沢駅で使われなくなった駅舎の絵を描いていた少女の写真。あの話では写生していた少女はひとりだけのような気がしたのですが、実際には二人でした。川本さんに「おじさん? 昨日、お母さんと線路見つけたよ」と電話してきたのはどちらの少女なんでしょうか。

ということで、ちょっと幸せな気分になって、そのビルの裏の商店街から、さらに線路を渡って岡山市内でいちばん好きな奉還町商店街をぶらぶらと歩いて、その商店街の中程にあるカフェでコーヒーを飲みながら『サライ』を読みました。
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ちなみにこの商店街を西に抜けたところが昭和20年に永井荷風が岡山で空襲を受けた後に滞在するようになった三門の町。荷風は何度か三門から岡山駅まで歩いているので、きっとこの商店街を通ったはず。ただし空襲で焼け野原になってしまっていました。
考えてみたら奉還町の商店街を通って三門の町に歩いて行ったことはなかったので、ちょっと行ってみようかと思いましたが、日が暮れてしまいそうなのでやめました。また改めて。

「東京下町散歩」特集の『サライ』には、特集記事とは別のページに「『町歩きの達人』の下町散歩術」なんてエッセイも川本さんが書かれていました。川本さんが見知らぬ町に足を踏み出すときには次の4つのことを心がけるようにしているとのこと。

一、映画や文学で予習する
二、商店街をぶらぶら歩く
三、地元の居酒屋で寛ぐ
四、「自我」を消し去る

一と二はよくやっていますが、三番目に書かれている「地元の居酒屋で寛ぐ」は、昔、金沢で一度やったきり。結構、勇気がいります。
というわけで、この日も居酒屋に立ち寄ることなく家に帰りました。

ところで川本さんは1999年に岡山に来て荷風の滞在した三門の家を訪ねた後、再び岡山市内に戻って夜のネオン街を歩き、「成田屋」という大衆居酒屋に寄っています。

 ネオン街をぶらぶら歩いて成田屋という大衆居酒屋に入った。チェーン店だから期待しなかったのだが、ここは素晴らしかった。カウンターがあってひとり静かに酒を飲むのが好きな男たちが桃源郷にひたっている。品書きに名物のママカリはじめ湯豆腐、天ぷら、焼鳥、刺身なんでもある。しかも安い。なんと荒煮が百六十円、湯豆腐は百九十円。あとは推して知るべし。しかも鳥でだしを取ったという湯豆腐のうまいこと。あとで岡山ではいちばん愛されている店だと知った。
 ビール二本ですっかりいい気分になって電車通りをその夜のホテルまで歩いた。がらんとした電車がごとごととそばを走り抜け、駅に帰っていった。
(川本三郎「百閒と荷風の面影を訪ねて 『岡山電気軌道』」『旅先でビール』所収)

成田屋は市内のあちこちにあるみたいですが、川本さんが立ち寄ったのはもしかしたらホテルリバーサイド近くの成田屋かもしれません。

そういえばピンポンズさんの「ホテルリバーサイド」の歌詞の最後はこんな言葉でしたね。
岡山 夜の街 ネオンの海

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by hinaseno | 2015-11-18 10:54 | 雑記 | Comments(0)

ここ最近、またまた気持ちは北海道にとんでいます。北海道といっても函館本線と留萌本線、そして岩内線が走っている(走っていた)道南と呼ばれるあたり。

つい先日、ずっと見たいと思っていた高倉健主演の映画『駅 STATION』がBSで放送されたので、録画してゆっくりと見ています。「ゆっくりと」というのは気になる場所が出てきたらその都度再生をストップして地図などで調べたりしているため。
『駅 STATION』では留萌本線の留萌〜増毛間の風景と増毛の町が出てきます。この路線は来年に廃止されるのが決まったんですね。

それから毎週見ている『ブラタモリ』、一昨日の土曜日に放送されたのは小樽でした。正直言えば『ブラタモリ』は、以前放送されていたように東京の町を歩いてほしいのですが、でも、北海道の町はやはりうれしいですね。特に小樽は昔から大好きな町なので放送を楽しみにしていました。
小樽といえば世田谷ピンポンズさんの作られた「ホテル稲穂」。小樽の駅に近い場所にあることは調べていたので、『ブラタモリ』でタモリさんが駅のあたりを歩いていると、つい「ホテル稲穂」を探してしまいます。
「ホテル稲穂」ももう一度聴いてみたいですね。アルバムに収録するかどうかは反応を見てからでしたっけ? 僕からはぜひお願いします。

そういえば、やはりピンポンズさんの歌になった岡山市内の西川沿いにあるホテルリバーサイド。
行ってきました(泊ってはいません)。
西川のすぐそばのいい場所にありました。
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by hinaseno | 2015-11-16 12:58 | 雑記 | Comments(0)