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最初に1枚の写真を紹介。
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大瀧さんがはっぴいえんど在籍時の1972年に発表したファースト・アルバム『大瀧詠一』の中袋に載せられた大瀧さんの子供の頃の写真。撮影したのは大瀧さんのお母さん。写真の右下に”PHOTO BY YAYOI OHTAKI”と記載されています。
撮影されたのは昭和26(1951)年3月21日。大瀧さんが、まだ2歳のときですね。手にしているのは、どうやら2歳のときの誕生日プレゼントのハーモニカ。
この2歳のときが大瀧さんの音楽のスタートだったようです。ちなみに昨日貼ったちらしの一番右に貼られた写真(『ナイアガラ・カレンダー』のジャケットの10月にも貼られています)もどうやら同じ日の同じ場所で撮られているようです。おそらくはどこかの小学校でしょうね。

さて、 大瀧さんの幼少期に関わる話、あるいは宮沢賢治につながる話を拾い集める日々。 昨日見つけた言葉をいくつか。
まずは2005年8月19日に山の上ホテルで行なわれた内田樹先生との対談(『KAWADE 夢ムック 大瀧詠一』所収)のこの言葉。
僕は宮沢賢治を読んだこともないし読むつもりもないけど、全部わかったつもりでいる。そういうことってあるよね。

全く読んでいないってことはないとは思いますが、あまり読んではいなかったということですね。でもポイントはその後の言葉。「全部わかったつもりでいる」

それから『レコード・コレクターズ増刊 大瀧詠一 Talks About Niagara』の『ナイアガラ・ソングブック』に関するインタビューでの次の言葉。インタビューは2013年2月8日。
(小学1年から中学3年)までの9年間、学芸会の主役なんだよ。さっきも言ったように、最後の年(中学3年)は2本も主役をやって。小学校1年の〈こぶとりじいさん〉に始まって、〈真夏の夜の夢〉のパックも、ジャン・バルジャンも、宮沢賢治の〈貝と火〉のホモイもやってる。

さらには最初に貼った写真にからめた話でこんな言葉も。
母親はよく写真の後ろに日付なんかを書いてあるんだよ。種山高原にて、とか。このときから日付を大事にするっていうようなことを、写真の裏で言われていたってことなのかね。

「風の又三郎」の舞台の種山高原。以前読んだときには気づきませんでした。

ところで、昨日、こんな言葉を引用しました。船村徹さんとの対談の中の言葉。
「はっぴいえんど」時代は、オリジナルなもの、自分にしか出来ないものは何かと考えて、宮沢賢治とかイーハトーブの世界を意識したことはありましたね。

大瀧さんが「宮沢賢治とかイーハトーブ(イーハトヴ)の世界を意識」した作品を作ろうとしたのはおそらくは2枚目の『風街ろまん』から。
このアルバムの中に大瀧さんが詞を書いたものに「颱風」という曲があります。この詞もきちんと読んだのは今回がはじめてのこと。これは明らかに『風の又三郎』へのオマージュですね。「風」が吹いている場所は「街」ですが、 大瀧さんが持っている「イーハトヴ」の世界を、松本隆さんが『風街ろまん』で作り上げようとした「風街」に融合させようとしていて実に興味深いものがあります。
なんといっても最後のこの部分の歌詞。
どどどどどっど――
どどどどどっと―― みんな吹きとばせ

これは『風の又三郎』の有名な書き出しを意識して書かれたことは間違いありません。この言葉ですね。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

ただ、大瀧さんは基本的には作曲家。作曲家として、宮沢賢治、あるいはイーハトヴの世界をどう表現したのか。その答えを昨夜放送された「名盤ドキュメント3  はっぴいえんど『風街ろまん』」で見つけることができました。僕なりに推測していたことは間違いはなかったなと。
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by hinaseno | 2014-12-31 11:28 | 雑記 | Comments(0)

はじめにいくつか紹介を。まずはこれ。
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大瀧さんが生まれ育った奥州市江刺区にあるえさし郷土文化館で、今、『夢で逢えたら ―大瀧詠一さんを偲んで―』という企画展が開かれているそうです。行ってみたい。

それからこのサイトはずっと紹介しようと思っていたもの。大瀧さんと作曲家の船村徹さんが2005年に行なった対談が掲載されています。この中で大瀧さんは岩手のこと、そして宮沢賢治に関する興味深い話をいくつもされています。
例えばこんな言葉。
「はっぴいえんど」時代は、オリジナルなもの、自分にしか出来ないものは何かと考えて、宮沢賢治とかイーハトーブの世界を意識したことはありましたね。

はっぴいえんどといえばなんといっても松本隆さんが作り上げた「風街」の世界。そこにあるのは路面電車の走る東京の風景。ただ、それは細野さんや鈴木茂さんが作った曲のこと。大瀧さんが作った曲に描かれたのは、田舎の草原に風の吹き抜けるイーハトヴの世界。
もしかしたら『風街ろまん』を製作する前に、松本隆さんに宮沢賢治の『春と修羅』を渡したのは大瀧さんだったのかもしれません。ちなみに『春と修羅』には「イーハトヴの氷霧」という詩も収められています(上のインタビューでは「イーハトーブ」と記載されていますが、大瀧さんはきっと「イーハトヴ」と言ったはず)。
いずれにしても今日BSで放送される『風街ろまん』の特集は見逃せません。「抱きしめたい」にまつわる秘話が松本さんから披露されるかもしれません。

さて、大瀧さんが幼少期を過ごしていた風景を探っていたときに出会ったのがこの絵葉書でした。
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鉄橋を渡る汽車の写真。走っているのは岩手軽便鉄道。毎朝読んでいる林哲夫さんのこの日のブログで紹介されていました。この日の林さんのブログのタイトルは「銀河鉄道」。 ちょうど大瀧さんの幼少期のこと、宮沢賢治とのつながりのこと、そして銀河鉄道のことを考えていた矢先でしたので、なんというグッドタイミングだろうと思ってしまいました。
林さんが紹介されていたのは『ひととき』(ウェッジ)という雑誌の12月号に掲載されていた内堀弘さんのエッセイ。内堀さんが先輩の古本屋に行ったときに、店主から『岩手軽便鉄道沿線名所図絵』というのを差し出されます。
机の上で開くと折りたたまれた絵地図がパノラマのように長く広がって、最後に絵はがきが一枚、パラッと床に落ちた。そこに、小さな蒸気機関車が客車を引いて鉄橋を渡っている写真がある。「これが銀河鉄道か」、私は眼を近づけた。

林さんはこの内堀さんの文章を引用した後、「小生も思わず眼を近づけた」と書いています。そしてもちろん僕も林さんが貼っていたその写真に目を近づけました。「これが銀河鉄道か」と。

というわけで僕も『ひととき』を入手。ページを開くと、隣のページに東京の上空を泳ぐ「空飛ぶくじら」の広告があってびっくり。
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さらに内堀さんの文章は御茶ノ水から中央線に乗る話から始まっていて、最近入手することのできた木山捷平の「御茶の水」という小説を紹介しなければと思っていたときだったので、おいおい、世の中どうなってんだろうと思ってしまいました。
ちなみに内堀さんの文章に貼られている岩手軽便鉄道の写真は絵葉書の一部分。僕の持っている『日本の軽便鉄道』(立風書房 1974年)の岩手軽便鉄道のページを開いたら、なんと遠野駅の入場切符の下に全く同じ絵葉書の写真が貼られていました。
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ただ、これは白黒。最初に貼ったのはネットから拝借しました。

さて、この絵葉書の岩手軽便鉄道の写真の下には「達曽部川橋梁」という文字が書かれていました。このあたりの鉄橋を走る岩手軽便鉄道を見上げて宮沢賢治は銀河鉄道のイメージを作り上げていったようです。ちなみに『春と修羅』には「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」と「岩手軽便鉄道の一月」という2つの詩が収められています。また、前に紹介した「冬と銀河ステーシヨン」には「冬の銀河軽便鉄道」という言葉も。
銀河鉄道は軽便鉄道だったんですね。

ところで、前に大瀧さんが小学校のときに見た映画『風の又三郎』は昭和15(1940)年公開の島耕二監督のものだろうと書きましたが、そうではなく昭和32(1957)年公開の村山新治監督のものでした。こちらの作品が宮沢賢治にゆかりのある場所でロケされていたんですね。おそらく大瀧さんが小学校で映画を見たのは公開されたその年か翌年、つまり小学校3年生か4年生のときだったことになります。

大瀧さんの生まれ育った江刺市梁川に一番近い映画のロケ地が種山高原(種山ケ原)。『春と修羅』にも「種山ケ原」という詩がある他、いくつもの作品で「種山」が出てきます。

というわけで、大瀧さんが生まれ10歳まで過ごした江刺梁川と11歳のときに転校していった遠野市綾織、それから「風の又三郎」の原風景である種山高原と「銀河鉄道の夜」の原風景である達曽部川橋梁の場所を記した地図を貼っておきます。
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こうみると大瀧さんが幼少期を過ごした場所は、まさに宮沢賢治のイーハトヴの世界であったことがわかります。

ところで大瀧さんが小学校ではじめて見た映画である昭和32公開の『風の又三郎』はDVDになっていることがわかりました。
現在注文中。観るのがとても楽しみです。そこには大瀧さんが幼少期を過ごしていたときの風景がそのまま写っているわけですから。
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by hinaseno | 2014-12-30 11:28 | 雑記 | Comments(0)

ここでちょっとはっぴいえんど結成、というか細野さんと出会うまでの大瀧さんの歩みを簡単に紹介しておきます。
本名は大瀧榮一。1948(昭和23)年7月28日に岩手県江刺市梁川(現在の奥州市江刺区梁川)で生まれました。江刺市梁川は北上川中流域の左岸(東岸)に位置しています。ちなみに宮沢賢治の生まれた場所(現在の花巻市)はその北上川の右岸(西岸)。
大瀧さんが梁川に住んでいたのは10歳まで。母子家庭だった大瀧さんは小学校の教師だったお母さんの転勤のたびに岩手県内を何度も転校することになります。「友達はいませんでした」って後に語っていたのは本当かどうかはわかりませんが、やはり最初の転校は寂しい思いがしたでしょうね。なんたってまだ小学生ですから。
小学5年になったとき、はじめて転校していった場所が、有名な『遠野物語』の舞台である遠野市(綾織)。
1959年、11歳になったばかりの夏に大瀧さんは運命の出会いをするんですね。夏休みに親戚の家に行ったときに、そこに電蓄と6枚のシングル・レコードがあるのに気づきました。最初はその6枚のレコードを交互にかけていましたが、その中の1枚だけが気に入って毎日聴き続けるようになったようです。それがこのレコード。
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コニー・フランシスの「カラーに口紅」。6枚のレコードの中にただ1枚だけあったアメリカン・ポップスでした。僕の持っているレコードには1959年8月に発売されたと記載されているので、親戚の人は発売されてすぐに買っていたんですね。そして、まさに大瀧さんはリアルタイムで聴いたわけです。

最初はA面の「カラーに口紅」ばかりを聴いていたに違いありませんが、B面に収められた「フランキー」というバラードも大瀧さんの心をとらえたに違いありません。この「フランキー」の作曲者がニール・セダカ。
この1枚のレコードとの運命的な出会いから大瀧さんはアメリカン・ポップスの世界にどっぷりとはまりこむことになります。おそらくお母さんねだって、まもなくレコード・プレイヤーを買ってもらったんでしょうか。

中学に入学するとラジオ・クラブに入ってラジオを自分で作るんですね。それで日本のポップスの番組とともに、FENを聴くようになります。さらに中学2年から中学3年にかけてレコード収集を本格的に始めたようです。1962年から1963年のこと。まさにアメリカン・ポップスが黄金期。この間、釜石に転校しています。
で、翌1964年の1月、FENでビートルズの「抱きしめたい」を聴き衝撃を受け、ここからブリティッシュ・ポップスを聴き始めます。
そして1964年4月に釜石南高校に入学。高校2年のときにバンドを結成。大瀧さんが担当した楽器はドラムスでした。ギターを弾き始めたのは高3になってからのようです。

1967年、大瀧さんは大学受験に失敗。でも、合格不合格に関わらず上京することは決めていたようで3月に上京し、小岩の製鉄会社に入社します。でも、ほとんど会社へは出勤せず、3カ月でやめちゃうんですが。
夏頃から、おそらく音楽的な活動をしている場所に足を運び始めたようで、そこで出会ったのが布谷文夫さん。布谷さんとタブーというバンドを結成します。やはり大瀧さんが担当したのはドラムス。ボーカルはもちろん布谷さんだったんでしょうね。
その布谷さんを通じて知り合ったのが当時立教大学に通っていた中田佳彦さん。あの有名な作曲家中田喜直(「ちいさいさい秋みつけた」「夏の思い出」などなど)の甥。大瀧さんのファースト・アルバムの1曲目に収められた大瀧さんの一人多重コーラスによるアカペラの曲「おもい」のボーカル・アレンジをしたのが中田佳彦さん。

大瀧さんが中田さんに出会った頃、中田さんは同じ大学の同級生と親しくなっていろんな音楽の話をするようになっていました。それが細野晴臣さん。大瀧さんは中田さんを通じて細野さんと知り合うことになります。
大瀧さんが細野さんと出会ったのは1968年4月。この4月に大瀧さんは早稲田大学第二文学部に入学していました。ちなみに大瀧さんと学年は同じである村上春樹さんも1年浪人してこの1968年4月に早稲田大学第一文学部に入学しています。

ところで「カラーに口紅」って、小学5年が聴くのにはかなり”おとな”の曲なんですね。カラーというのはシャツの襟のこと。ちょっと浮気した男性のシャツのカラーに口紅がついていたという話。親戚の親はこの曲ばかり聴いていた大瀧さんから、このレコードを取り上げます。きっと子供に聴かせるべき曲ではないと考えたんでしょうね。

レコードのジャケットの裏に記載された歌詞の日本語訳はこうなっています。
貴方のカラーの口紅が
貴方の仕業を物語ってた
カラーについた口紅が
貴方の裏切りを教へてくれた
もう絶対に間違いなしに
貴方と私はこれまでよ



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by hinaseno | 2014-12-29 12:31 | Comments(0)

今日ははっぴいえんどの1枚目のアルバム『はっぴいえんど(通称ゆでめん)』に収められた「かくれんぼ」という曲のことについて。作詞はもちろん松本隆さん。作曲は大瀧さん、ボーカルも大瀧さん。
曇った空の浅い夕暮れ
雲を浮かべて烟草をふかす風はすっかり
凪いでしまった私は熱いお茶を飲んでる
「きみが欲しい」なんて言ってみて
うらでそおっと滑り落とす
吐息のような嘘が一片
私は熱いお茶を飲んでる
雪融けなんぞはなかったのです
歪にゆがんだ珈琲茶碗に余った
瞬間が悸いている
私は熱いお茶を飲んでる

もう何も喋らないで そう黙っててくれ
ればいいんだ 君の言葉が聞こえないから
雪景色は外なのです 
なかでふたりは隠れん坊
絵に描いたような顔が笑う
私が熱いお茶を飲んでる

「かくれんぼ」はこの最終的な詞ができあがったのは歌入れのその日。さらに言えば、もともと松本さんが書いていたのは「曇った空の」ではなくて「曇った冬の」だったそうです。大瀧さんが勝手に変えちゃった、というよりも、うろ覚えで歌ったらこうなったんでしょうね。こういうのは結構あったようです。歌入れも終えて、トラックダウンも終わって聴き直してみたら気がついたとのこと。

実は「かくれんぼ」という詞ができあがる前、何度か別の詞が作られていました。曲のメロディはすでにできあがっていたようです。
最初に書かれたのが「あしあと」と題された詞。
すすけた空に眠っていた鳩が 
めをさまして飛び立つ頃
まちの汚い道ばたに座って 
朝の通りをみていたんだ
機械みたいにわきめもふらず 
人の群れは駅をめざす
そこまで行くにもおきまりのコース 
自分で選んで歩いているの?
機械みたいにわきめもふらず 
人の群れは駅をめざす

この詞を手渡された大瀧さんは「かくれんぼ」のメロディでギターを弾きながら、松本さんともう一人別の人の前で歌ってみたそうです。そのときの様子を大瀧さんはこんなふうに語っています。
歌い終わったらみんな下向いてずーっと沈黙が流れて、あのときくらい悪いことをしたような気になったことはないね。

で、次に松本さんが書いてきたのが「ちっちゃな田舎のコーヒー店」という詞。詞の舞台が「あしあと」では都会だったのに、「ちっちゃな田舎のコーヒー店」では雪の積もる田舎に変わっています。
くもった冬の夕焼け空に 
雲をうかべて煙草を喫ってる
風はすっかり凪いでしまった
私は熱いお茶を飲んでる
雪景色は外 汽車がはしる 
こころは決まらず影はしずむ

ほぼ「かくれんぼ」の原型ができあがっていますが、最後の部分はまだ「みんな下向いて」しまいそうな感じが残っています。この詞が手直しされて「かくれんぼ」の最終的な形になったんですね。やはり「曇った空の」ではなくて「くもった冬の」だったようです。
この「ちっちゃな田舎のコーヒー店」の一番興味深いのは「雪景色は外 汽車がはしる」の部分。外の雪景色の中には汽車が走っていたんですね。でも、「かくれんぼ」ではカットされてしまいます。
ただし、冬の雪景色の中を汽車が走る風景は、宮沢賢治的な言葉をいくつも取り入れて「抱きしめたい」で復活することになります。

「あしあと」や「ちっちゃな田舎のコーヒー店」などを読んでわかるのは、『はっぴいえんど』期の松本さんの書いた詞には心情吐露の部分が結構多かったということ。あるいはその心情を風景に託すにしても、ややべたな、あるいは油絵的といってもいいようなこってりした表現が多かったかなと。後の松本さんらしい水彩画的な心の風景の詞が書かれてくるのは『風街ろまん』からでしょうか。
なんとなく松本さんが宮沢賢治の『春と修羅』を読んだのは、1枚目の『はっぴいえんど』を作った後だったような気がします。
そういえば『春と修羅』の第一集の正式なタイトルは『心象スケッチ 春と修羅』でした。松本さんが「心象風景」という言葉をよく使ったことも含めて、宮沢賢治の詩からの影響は大きかったようですね。

それはさておき、「かくれんぼ」という詞も今回はじめてじっくりと読んでみたのですが、一番好きなのはこの部分。
雪融けなんぞはなかったのです

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by hinaseno | 2014-12-28 11:30 | 雑記 | Comments(0)

久しぶりに宮沢賢治の『春と修羅』を読み返しました。すると、すると...。

と、その前に、僕はこれまで何度か宮沢賢治にはまったことがあります。童話で最初に好きになったのは「セロ弾きのゴーシュ」、そしてなんといっても「銀河鉄道の夜」。
岩井俊二のとりわけ好きな『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』に「銀河鉄道の夜」の要素をいくつも取り入れていると知ったときには、おおっ!でした。

『春と修羅』を初めて読んだきっかけは池澤夏樹さんの『未来圏からの風』でした。1996年5月の発行となっています。池澤さんの大ファンだったので発売された日に本を買いました。で、5月のさわやかな風が部屋の中を吹き抜けるのを感じながら、この本を読み続けました。星野道夫と出会ったのもこの本。
この本、何よりもタイトルが素晴らしいんですね。
『未来圏からの風』。
なんとも池澤さんらしいタイトル。
で、最初の部分を読んで、このタイトルが宮沢賢治の詩からとられていることを知りました。「生徒諸君に寄せる」という詩の中の次の部分の言葉ですね。

諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか

この詩を紹介した後で池澤さんはもう一つ、「未来圏」という言葉が出てくる詩を紹介しています。それが『春と修羅』に収められている「未来圏からの影」という詩。

吹雪(フキ)はひどいし
けふもすさまじい落磐
  ……どうしてあんなにひっきりなし
    凍った汽笛(フエ)を鳴らすのか……
影や恐ろしいけむりのなかから
蒼ざめてひとがよろよろあらはれる
それは氷の未来圏からなげられた
戦慄すべきおれの影だ

池澤さんは詩としてはこちらの方が優れているとしながらも、結局、本のタイトルは「影」ではなく「風」を選びます。やはり「風」の方が本の表紙の写真にもあっていますね。

でも、「未来圏からの影」の詩には惹かれるものを感じて『春と修羅』の収められた『宮沢賢治詩集』を購入しました。
さて、それからほぼ20年。久しぶりに『春と修羅』を読んでみたらびっくりでした。松本隆さんが書いた「抱きしめたい」に結びつく言葉があちこちにちりばめられているではないですか。松本さんは『銀河鉄道の夜』ではなく、『春と修羅』を下敷きにして「抱きしめたい」の詞を書いたのは間違いありません。20年前には気づくことができませんでした。まあ、「抱きしめたい」の詞をきちんと読んだのはつい最近のことでしたから、気づけるはずもありませんでした。
改めて「抱きしめたい」の詞を。

淡い光が吹き込む窓を
遠い田舎が飛んでゆきます
ぼくは烟草をくわえ
一服すると
きみのことを考えるんです

黝い煙を吐き出しながら
白い曠地を切り裂いて
冬の機関車は
走ります
きみの街はもうすぐなんです
ゴオ ゴオ ゴオ と
雪の銀河をぼくは
まっしぐらなんです

飴いろの雲に着いたら
浮かぶ驛の沈むホームに
とても素速く
飛び降りるので
きみを燃やしてしまうかもしれません

で、「抱きしめたい」に影響を与えたにちがいない詩をいくつか紹介しておきます。まずは何といっても「冬と銀河ステーション」。

そらにはちりのやうに小鳥がとび

かげらふや青いギリシヤ文字は

せはしく野はらの雪に燃えます

パッセン大街道のひのきからは

凍つたしづくが燦々と降り

銀河ステーシヨンの遠方シグナルも

けさはまつ赤に澱んでゐます

川はどんどん氷(ザエ)を流してゐるのに

みんなは生ゴムの長靴をはき

狐や犬の毛皮を着て

陶器の露店をひやかしたり

ぶらさがった章魚を品さだめしたりする

あのにぎやかな土澤の冬の市日です

(はんの木とまばゆい雲のアルコホル

 あすこにやどりぎの黄金のゴールが

 さめざめとしてひかつてもいい)

あゝ Josef Pasternackの指揮する

この冬の銀河輕便鐡道は

幾重のあえかな氷をくぐり

(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)

にせものの金のメタルをぶらさげて

茶いろの瞳をりんと張り

つめたく青らむ天椀の下

うららかな雪の臺地を急ぐもの

(窓のガラスの氷の羊齒は

 だんだん白い湯気にかはる)

パッセン大街道のひのきから

しづくは燃えていちめんに降り

はねあがる青い枝や
紅玉やトパーズまたいろいろのスペクトルや

もうまるで市場のやうな盛んな取引です

まさに雪の銀河鉄道に汽車が走る風景。しかも「です・ます」調。「きみを燃やしてしまうかもしれません」という言葉も『よだかの星』ではなくこの詩からきていたようです。
それにしても「銀河輕便鐡道」という言葉なんて、軽便鉄道好きにはたまりません。

『春と修羅』には、銀河鉄道のモデルと言われる岩手軽便鉄道を題材にした詩がいくつも収められています。「未来圏の影」の「汽笛」を鳴らしていたのも岩手軽便鉄道だったのかもしれません。
「三六九  岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」と題された詩にはこんな言葉が。

とび乗りのできないやつは乗せないし
とび降りぐらゐやれないものは
もうどこまででも連れて行って

「抱きしめたい」の最後の「浮かぶ驛の沈むホームに とても素速く 飛び降りるので」という言葉と重なります。
他にも「淡い光」「飴色」「黝い」という言葉が使われた詩も見つかりました。

で、これまた久しぶりに松本隆さんの『風のくわるてつと』を開いてみたら、そこに「冬の機関車に乗って」と題された短い物語が収められていました。小説の形をしているけれども、おそらくは実話。舞台は青森から東京へ帰る汽車の食堂車。主人公の「ロック・グループのドラマー」である「彼」は明らかに松本さん自身ですね。
こんな話が出てきます。

 彼は去年作った詩を思い出した。それは、今と同じように、青森から帰る車中で出来た詩だ。雪景色を見ているうちに、それまで書けなかった詩が、いきなり浮かんできた。彼は急いで食卓の上の紙ナプキンに、それをなぐり書きした。その詩は、ボーカルの友人によって曲をつけられて、去年から今年にかけて彼らのグループに、ステージの上で恐らく何十回も演奏されてきたのである。
 去年と今年の間には、ずいぶんいろんなことがあった。紙ナプキンに汚ない字でなぐり書かれた詩はもうレコードにさえなっている。
 彼は時間の流れは暖かいな、と思った。それは、こんな詩だった。

で、「抱きしめたい」の詩が引用されます。

この「冬の機関車に乗って」の最後はこんな言葉で結ばれています。
冬の機関車は、そんな十二月の優しい風景の中を飛んでいた。

この言葉を読むと、「さらばシベリア鉄道」のことを思い浮かべないわけにはいきません。松本さんとしては「さらばシベリア鉄道」は「抱きしめたい」の続編だったようです。
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ところで「冬と銀河ステーション」に出てくるJosef Pasternackという人が気になって調べたら、指揮者のようですね。YouTubeに彼の指揮したベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の第4楽章があったので貼っておきます。
どうやら宮沢賢治はこの曲を愛聴していたようです。


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by hinaseno | 2014-12-27 12:01 | 雑記 | Comments(0)

「風の又三郎は僕だ」


川本三郎さんからの素敵なクリスマスプレゼントが届きました。こんな本が出るのを待っていました。『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)。
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時間があまりなくて今は50ページほど読んだあたり。読めば読むほどに思うことは、川本さんが取り上げた映画で観てみたいと思うものがほとんどDVDになっていないということ。例えば昨日読んだところに出てきた『愉しき哉人生』(昭和19年公開)。近年テレビ放送されたとのことですが、だれか録画などしていないんでしょうか。
成瀬のDVD化されていない映画といえば、なんといっても『秋立ちぬ』ですね。映画のワンシーンをとらえたこの写真には心ときめいてしまいました。あの少年と少女が手をつないで線路を歩くシーン。こんな素敵なシーンがあったなんて。
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そして『秋立ちぬ』に触れた話には、やはり大瀧さんのことが書かれています。大瀧さんの『秋立ちぬ』研究は川本さんの『銀幕の東京』がきっかけだったわけですが、大瀧さんによって『秋立ちぬ』はメディアでいろいろと取り上げられるようになったのは間違いのないはず。それなのに、なんでDVD化されないんだろう。個人的には『秋立ちぬ』と『愉しき哉人生』という2つの小品を2in1で出してもらえたらと考えていますが、正直、もう待ちくたびれてしまいました。「待てば海路の日和あり」を座右の銘にしているとはいえ、どうにかしてという感じです。

ところで『愉しき哉人生』を紹介した話の中で、川本さんが「宮沢賢治の『風の又三郎』を思わせる」と書かれていて、思わずおっと思ってしまいました。実は今、宮沢賢治のこと、正確にいえば、大瀧さんと宮沢賢治のことを考える日々が続いているので。

話は前回の「抱きしめたい」について。大瀧さんがはっぴいえんど時代にかいた曲ですね。詞は松本隆さん。詞を読めばその中に宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のイメージが入り込んでいるのがすぐにわかります。あるいは最後の「きみを燃やしてしまうかもしれません」というのは『よだかの星』のイメージが入っているのかもしれません。 東北に向かう列車の中で、松本さんが大瀧さんの書いた曲に詞を付けようとしたときに、心の中に浮かんできたのは宮沢賢治の風景だったようです。

大瀧さんの作る曲にそれ以前のポップスの(あるいはポピュラー音楽やジャズ、民謡)いろんなエッセンスが詰め込まれているように、松本隆さんが書いた詞には、いろんな文学(のイメージであったりタイトルであったり)を取り入れています。
東北に向かう列車の中だったから、ということもあったにはちがいませんが、何よりも松本さんは大瀧さんの中に宮沢賢治的なものを見ていたのかもしれません。

宮澤賢治は大瀧さんと同じ岩手県出身。大瀧さんが折りに触れて同郷の宮澤賢治の話をしていることは気がついていましたが、最近になって、大瀧さんの心の中にはかなり深く宮澤賢治が入りこんでいたことがわかってきました。
小学校のときに大瀧さんが初めて見た映画が『風の又三郎』。おそらく昭和15年公開の島耕二監督のものでしょうね。
その風景の中に、大瀧さんがよく知っている風景がいくつも出てきたそうです。大瀧さんが生まれたのが岩手県の江刺。『風の又三郎』はまざにその江刺を舞台にした物語だったようで、映画もそのあたりでロケされたようです。で、映画を見ていた少年の大瀧さんは現実とフィクションの区別がつかなくなってしまいます。で、こう思ったんですね。
風の又三郎は僕だ。

映画を見ていた何人かの少年たちが同じ気持ちを抱いただろうとは思いますが、大瀧さんは大人になってもこの気持ちがなくなることはありませんでした。

ところで、大瀧さんが松田聖子にかいた『風立ちぬ』について。歌詞は松本隆さん。タイトルは堀辰雄の『風立ちぬ』から来ていたようですが(確かタイトルははじめから用意されていたはず)、でも、大瀧さんと、そして大瀧さんのかいた曲に詞をつけた松本さんの中にあったのは堀辰雄の『風立ちぬ』ではなく、宮沢賢治の『風の又三郎』だったんではないかとちょっと考えたりもしています。はっぴいえんどは「風」に関係の深い人たちではありますが。
そして「風立ちぬ」は数年後に大瀧さんを「秋立ちぬ」に向かわせます。

「風立ちぬ、今は秋」
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by hinaseno | 2014-12-25 11:44 | 雑記 | Comments(0)

もうまもなくはっぴいえんどのすごいもの(『はっぴいえんどマスターピース』)が発売され、BSでも特集が組まれるようです。
正直言えば、僕ははっぴいえんどというグループの強烈なファンというわけではありません。アルバムも持っているのは『風街ろまん』だけ。あとはベストが一枚。だから、今度発売されるものを買うかどうかといえば...。

ただ、最近、ある関心から、はっぴいえんど時代の大瀧さんの曲をいろいろと聴いています。で、今、最もよく聴いているのが『風街ろまん』の1曲目に収められた「抱きしめたい」という曲。
特に松本隆さんの書いた詞に惹かれています。詞をじっくりと読んだのははじめてのこと。こんなに素敵な詞だとは気づきませんでした。「抱きしめたい」という曲を聴いたこともない人が、この詞を読んだらどんなふうに思うんだろうと考えています。松本さんはこの詞を東北へのツアーに向かう列車の中で書いたそうです。書き記したのは食堂車の紙ナプキンだったとのこと。
淡い光が吹き込む窓を
遠い田舎が飛んでゆきます
ぼくは烟草をくわえ
一服すると
きみのことを考えるんです

黝い煙を吐き出しながら
白い曠地を切り裂いて
冬の機関車は
走ります
きみの街はもうすぐなんです
ゴオ ゴオ ゴオ と
雪の銀河をぼくは
まっしぐらなんです

飴いろの雲に着いたら
浮かぶ驛の沈むホームに
とても素速く
飛び降りるので
きみを燃やしてしまうかもしれません

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by hinaseno | 2014-12-23 09:33 | 音楽 | Comments(0)

混沌状態に陥っていた部屋をようやく片付けました。買ったり送ってもらったりしたものがどこにいったかわけがわからなくなっていたのですが、とりあえず目が届きやすい状態になりました。
ああ、こんなところにこんなものがというのがいくつも。先月、倉敷の蟲文庫で見つけた『桑原甲子雄写真展:東京・昭和モダン』も埋もれてしまってすっかり忘れた存在になっていました。片付けの途中で思わず見入ってしまう。やはり昭和10年頃の東京の風景に引き込まれてしまいます。
今からちょうど30年前の1984年に撮影された「港区南青山5丁目」に長門芳郎さんのパイドパイパー・ハウスが写っている写真にはにっこりしてしまいました。『レコード・コレクターズ』に載っていたパイド・パイパー・ハウスの広告で、アマチュアの時期に山下達郎が友人たちと製作した『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』(大瀧さんと達郎さんが出会うきっかけとなったレコード)が復刻されたのを知り、通販で買ったのが1985年のこと。
で、ピチカート・ファイヴというグループがデビューすることを知ったのもやはり『レコード・コレクターズ』に載っていたパイド・パイパー・ハウスの広告でした。小西さんと高浪さんがパイド・パイパー・ハウスで出会ったんでしたね。

その『レコード・コレクターズ』の最新号、久しぶりに買ってきました。はっぴいえんどの特集とあっては買わないわけにはいきません。それだけではなく大瀧さんの特集、そして長門芳郎さんが「マジカル・コネクション」という新連載も開始(第1回目はアルゾです。もちろんcircustown.netの話も出てきます)。
と、読みどころがいっぱいある中、最も驚いたのはこのページ。
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なんと大瀧さんの家にあったジューク・ボックスの写真と、それに収められていたすべてのレコードのリストが掲載されていました。

大瀧さんのジュークボックスは全部で120曲(シングル盤で60枚)収録できるもののようですが、大瀧さんはそれをA〜Fの6つに分類していたんですね。
A列には主にガール・シンガー、B列は男性シンガー、C列は主にアメリカン・ポップスのグループ、D列はディーン・マーチンとナット・キング・コールを最初に収めてそれ以外は主にブリティッシュ・ポップス、E列は全曲エルヴィス、F列は主に日本のポップス。
C列の最初の曲がカスケーズ(Cascades)でD列の最初の曲がディーン・マーチン(Dean Martin)、そしてE列がエルヴィスというのはどうやらアーティストの頭文字につなげているようです。
A列の1曲目はジョニー・ソマーズの「Johnny Get Angry(内気なジョニー)」。今からおよそ40年前の1975年9月22日に放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のマイ・ジュークボックス特集の1曲目でかかったのもジョニー・ソマーズの「Johnny Get Angry」。
おそらくは何度もの入れ替えがなされたはずですが、ジョニー・ソマーズの「Johnny Get Angry」のシングルはA列の1枚目に収まり続けていたようです。
その日の放送でかかったもので、今回掲載されていた曲は他にポール&ポーラの「Young Lovers」とダイアン・リネイの「Navy Blue」、そしてリトル・ペギー・マーチの「The Impossible Happened」の3曲。
1975年9月22日のマイ・ジュークボックス特集でかけた曲はどうやらガール・シンガーの曲を収めたA列の曲だったようです。

おっと目がとまったのはB列にあったテディ・ランダッツォの「One More Chance/Don't Go Away」のシングル。A面B面ともにこのシングルはちょっと意外でした。でも、このシングルもおそらく1970年代の初めに大瀧さんがこのジューク・ボックスを手に入れてからずっと入っていたような気がします。あまり語られることはありませんでしたが、大瀧さんにとってテディ・ランダッツォがどれだけ大切な存在であったか、改めて知ることに。
そういえば、つい先日気がついたことですが、1975年に発売された『ナイアガラ・ムーン』のエレック盤の裏ジャケを(持っていないのでネットの画像で)見ていたら、寝ころんだ大瀧さんの頭に立てかけられた4枚のLPレコードの一番左にあったのが以前紹介したテディ・ランダッツォのレコード。
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ちなみに僕の持っている1976年発売のコロンビア盤の裏ジャケの中にあるエレック盤の裏ジャケをよ〜く見たらうっすらとテディ・ランダッツォの顔が。
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それからF列には1枚目がシュガー・ベイヴの「ダウンタウン/いつも通り」、2枚目が「幸せにさよなら/ドリーミング・デイ」と大瀧さんが自らのレーベル、ナイアガラで出した2枚のシングルが並んでいます。これもおそらくず〜っと入れられたままだったんでしょうね。

さて、いうまでもないことですが、大瀧さんのジューク・ボックスに入っていた曲を列ごとに順番に入れたプレイリストを作りました。こんなことをやっている暇はないのですが。

というわけで大瀧さんのジューク・ボックスに収録されていた、まさに今日のような日にぴったりのこの曲を。
カスケーズの「The Last Leaf」。邦題は「悲しき北風」。風がぴゅ〜ぴゅ〜と吹き荒れています。



それからもう1曲、久しぶりにアルゾを聴いていたので「You Know Me, I Know You」という曲を貼ろうと思いましたが、残念ながらYouTubeにはありませんでした。ピチカート・ファイヴの「連載小説」という素敵な曲を思い起こさせてくれる大好きな曲です。
せっかくなのでその「連載小説」を貼っておきます。


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by hinaseno | 2014-12-22 11:22 | 音楽 | Comments(0)

先日書店で見つけたこの本。イラストに描かれた女性と、まさに目と目がばっちりと合ってしまいました。で、手にとってみたら、とにかく素晴らしい本。
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タイトルは『イージー・トゥ・リメンバー アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代』。著者はウィリアム・ジンサー。 装幀はすぐにそれとわかる平賀甲賀。

原題の副題は”The Great American Songwriters ans Their Songs”。つまりアメリカのポピュラー音楽を、作家中心に取り上げたもの。
書かれている内容も充実していますが写真も豊富。楽譜の時代の音楽なので、美しい楽譜の写真もいっぱい。表紙に使われた、僕と目と目が合った女性のイラストも当時の楽譜に使われたものです。
とりあえず目次を。
 シグマンド・ロンバーグとヨーロッパ

 ジェローム・カーン、オスカー・ハマースタインと『ショウ・ボート』

 ジョージ&アイラ・ガーシュイン
 
初期のロジャース&ハート

 ポピュラー・ソングの解剖学

  1 ヴァース

  2 コーラス

  3 歌詞
 
ヴィンセント・ユーマンズ
デシルヴァ、ブラウン&ヘンダーソン

 ハロルド・アーレン そしてテッド・コーラー

 アーサー・シュワルツとハワード・ディーツ

 アンディ・ラザフとアフリカ

 楽譜
 
コール・ポーター

 『ポーギーとベス』

 フレッド・アステアのために

  1 アーヴィング・バーリン

  2 ドロシー・フィールズ

  3 ジョージ&アイラ・ガーシュイン

 デューク・エリントン そしてビリー・ストレイホーン
 
ホーギー・カーマイケル そしてミッチェル・パリッシュ
 
後期のロジャース&ハート

 ハリー・ウォーレン そしてアル・ドゥービン、マック・ゴードン
 
E・Y・ハーバーグと『オズの魔法使』
 
第二次世界大戦期の歌

 ジョニー・マーサー
 
メイド・イン・ハリウッド――「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」「ローラ」

 クルト・ヴァイル そしてアイラ・ガーシュイン、ヴァーノン・デューク

 ロジャース&ハマースタイン

 ポピュラー・ソングの歌い手

 アーヴィング・バーリンとシアター・ソング

 ジューリー・スタイン そしてサミー・カーン

 フランク・レッサー

 ベティ・コムデンとアドルフ・グリーン
 
スティーヴン・ソンドハイム そしてレナード・バーンスタイン

 ジミー・ヴァン・ヒューゼン そしてジョニー・バーク、サミー・カーン

 アラン・ジェイ・ラーナーとフレデリック・ロウ

 ジョン・カンダーとフレッド・エッブ そしてジェリー・ボックとシェルドン・ハーニック

名前を見ただけで心がときめいてしまうソングライターの名前がずらっと。一方で全く知らない人もたくさん。
有名なソングライター・チームでも正直どっちが作曲家でどっちが作詞家か知らなかったのも何組もありました。作詞家だと思っていた人でも曲も書ける人もいて、へえ〜の連続。
「ヴァース」という章があるのも、ヴァース好きにとってはたまりません。それから大好きなフレッド・アステアの章があるのもうれしい限り。
一番うれしかったのはやはりハリー・ウォーレンの章。この章を立ち読みして、内容の素晴らしさに感心して購入を決めました。おそらく現在、日本で発売されている本のうちで、ハリー・ウォーレンについてこれだけ書かれているものはないはず。

この本の一番の収穫は作詞家の存在の大事さに気づかされたことかもしれません。音楽はメロディ重視の聴き方をずっとしてきたので、どうしても作曲家の方に目がいってしまいがちだったのですが、名曲にあるには優れた作詞家の存在が欠かせないこともよくわかりました。
この本は作詞家だけを取り上げた章がいくつかあります。一番興味を持ったのはE. Y. ハーバーグという作詞家。
彼の作詞したもっとも有名な作品は「Over The Rainbow」。「Over The Rainbow」は昔から大好きな曲で「Over The Rainbow」が収められているってことだけでCDを買ったりしていました。作曲家のハロルド・アーレンのことはもちろんよく知っていましたが、E. Y. ハーバーグという作詞家については一度も意識したことがありませんでした。知れば知るほど興味深い人です。

「Over The Rainbow」を好きになったきっかけはマーティン・デニーの演奏したものを聴いて。ただしマーティン・デニーの演奏したものには歌詞がありませんが。この曲を聴きながら夢心地の気分になって昼寝をしたことも何度も。
それ以後、いろんな「Over The Rainbow」を集めてきました。
というわけでいくつか紹介を。まずはオリジナルのジュディ・ガーランド。ミュージカル映画『オズの魔法使い』で歌ったものですね。



それから細野さんが大瀧さんと声がそっくりだと言ったニルソン。



リヴィングストン・テイラーや羊毛とおはなというグループが歌ったものも大好きですが、残念ながらYouTubeにはありませんでした。
羊毛とおはなと同様に待ったりした気持ちになれるThe Innocence Missionのものを。カレン・ペリスさんの声がなんともいえません。



それからMelody Gardotという女性シンガー歌ったものも好きです。



実は一番好きな「Over The Rainbow」は、Hi-Fiレコードで製作された小西康陽さんの『これからの人生。2009』でかかったたもの。ただ残念ながら歌っているのがだれかはわかっていません。かなり古いレコードからの音源のようなので、おそらくは1930年代の末か1940年代の初頭。歌っているのは女性アーティスト。
なんでこれが好きかというと、この曲にはめずらしくヴァースが歌われているため。ヴァース付きの「Over The Rainbow」はこれで初めて知りました。で、久しぶりにYouTubeの音源を作ろうとしたのですが、なぜだか以前のようにうまくいきません。アップできればまた改めて貼ることにします。
というわけで、どなたかこのアーティストのことを知っていたら教えて下さい。あるいはこの「Over The Rainbow」がいいよというものがあれば。

最後は最近一番好きなシンガーになっているペリー・コモの歌ったものを。



一応ヴァース付きの歌詞も貼っておきます。
When all the world is a hopeless jumble

And the raindrops tumble all around

Heaven opens a magic lane

When all the cloud darken up the skyway
There's a rainbow highway to be found

Leading from your windowpane

To a place behind the sun

Just a step beyond the rain

Somewhere over the rainbow, way up high
There's a land that I've heard of once in a lullaby
Somewhere over the rainbow, skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true

Someday I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where troubles melt like lemon drops
High above the chimney tops
That's where you'll find me

Somewhere over the rainbow, blue birds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can't I?
If happy little bluebirds fly beyond the rainbow
Why, oh why can't I?

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by hinaseno | 2014-12-18 12:11 | 音楽 | Comments(0)

何かとせわしない日々。急な用事が入ったりとブログの更新がままならない状態が続いています。この状態がしばらくは続くだろうと思います。
そういえば、この写真も紹介するのをすっかり忘れていました。
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もう2か月以上前のこの日のブログで書いた話。川本三郎さんの小説集『青いお皿の特別料理』の「事務所開き」という短篇の最初の場面に描かれた風景。改めてその場面を引用。
 三階の窓から下を見ると、路面電車が交差点を大きく曲がって、旭川のほうに走ってゆく。それと入れ違うように、岡山駅に向かう電車が旭川を渡ってこちらに近づいてくる。
 五階建ての共同ビルは交差点に近い。十代のころ、この「おかでん」と呼ばれる路面電車に乗って学校に通っていた彼には、電車の通る道の近くに事務所を借りることが出来たのはうれしいことだった。高校時代に戻ってもう一度、新しい人生を始めるような元気が出てくる。

前回ブログで紹介した写真は撮った場所が間違いだったんですね。で、正しい場所に行ってきました。といってももうかなり前のこと。
前回貼った地図のB地点の場所。ここのビルの2階に(3階じゃないのが残念だったのですが)、路面電車が旭川にかかる京橋に向かって走る風景、あるいは京橋からこちらに路面電車が向かってくる風景を見ることのできるカフェ・レストランがあったんですね。入るまではちゃんと写真が撮れるか不安でしたが、閉めていたレースのカーテンを開けてもらって撮ることができました。
というわけで、旭川にかかる京橋から電車がこちらに向かって来る風景を順番に。
なんともいい風景です。
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ついでに京橋の上を走る路面電車の写真も。
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なくなってほしくない風景ばかり。
岡山の駅前にどでかいイオンができて人の流れがかなり変わってしまうんでしょうね。僕が写真を撮った場所から西にのびている新西大寺町の商店街はそれでなくてもかなりさびれてしまっていたので、相当な打撃をうけることになるんでしょうね。
それから、いつからか電車に企業のロゴや広告がでかでかと描かれるようになったのも残念なこと。見るに耐えない色柄やデザインも多く、写真を撮るときにもいくつかスルーしました。
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by hinaseno | 2014-12-15 14:17 | 雑記 | Comments(0)