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「ブルー」なものに出会うことの多い日々。別に気分が落ち込むことに多く出会っているわけではなく(ないわけじゃないけど)、あくまで空色のブルー。

昨日、ふと、「ブルー」がタイトルに付く曲を集めて、ジャケットに松本竣介の青の時代の絵を使ったCDを作ろうと思い立ちました。まだ、選曲段階で止まっているのですが。

とりあえず、まず大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「ブルー」特集でかかった曲は全曲入れるとして、それから「ブルー」特集以外で「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかかった「ブルー」がタイトルに付く曲も入れて(結構多い)、次に大瀧さんのいくつかの曲も入れて(「青」、「空いろ」も「ブルー」にすべきかどうか悩んだり)、さて、次はということで、パソコンのiTunesに入っている曲を調べていたときのこと。

ちなみにパソコンに入れている曲で「blue」というキーワードを入れると、なんと600余りの曲が出てきました。ただし、いくつかはアルバムのタイトルに「blue」が付いていて、曲には付いていないものがあったり、あるいは「blues」もかなり多くて、実際にタイトルに「ブルー」が付くのは半分くらい。それでもかなりの数。それらを頭の方だけ聴きながらいいなと思う曲をセレクトしていきました。よく知った曲もあれば、パソコンに入っているだけでほとんど聴いたことのない曲もある。
そんな中で耳に飛び込んできた曲がひとつありました。
耳に飛び込んできたのはこのフレーズ。
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ...

CDも持ってるけど、たぶん1回も聴いたことがなかったはず。パソコンに入れただけ。
昨日はその曲のことを調べるだけで一日が終わってしまいました。とても幸福な一日。

その曲はデモしか録音が残っていなくて、公式には発表されていません。YouTubeにも音源はなし。
でも、そのデモがとにかく素晴らしい。タイトルは「ブルー・バルーン」。タイトルも曲も、そして詞も最高です。
なぜかネットには歌詞があったので、日本語に訳したものを載せておきます。
昔、青い風船を持って遊んでいた青い目をした少年がいた
いたるところの人たちが立ち止って、青い風船を持ったその少年を見つめていた
なぜならそれはこんなふうに歌っていたのだから
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ダイ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ダイ

青空の下、ここの公園で
青い風船を持った少年を
君は見たことがあるよね
君がそこにいたらってことだけど
よく晴れた午後に
こっちを走ったり、あっちを走ったり
若くて自由で、心配事なんて何もない
幼い少年と、青い風船
それはこんなふうに歌っている
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ダイ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ダイ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ダイ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ・ダイ
ダン・ダン・ドゥビ・ドゥビ...

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by hinaseno | 2014-06-30 11:55 | 音楽 | Comments(0)

Blue On Blue


昨日は、すごいものに出会ってきました。感動のあまり涙が出そうになったくらいのもの。
まあ、それくらいのことくらい、前もって調べておけと言われてしまうような話ではあるのですが。
でも、荷風さんもこう言っています。
「偶然のよろこびは期待した喜びにまさることは、わたくしばかりではなく誰も皆そうであろう」

『元八まん』という随筆の書き出しですね。 荷風が地図も持たずに歩いていたときに「全く偶然」に元八幡宮の古祠を見つけた話。荷風の随筆の中で一番好きかもしれません。何度読んだかわからない。次の言葉ほど共感を覚えるものはありません。
「始めからこれを尋ねようと思立って杖を曳いたのではない。漫歩の途次、思いかけずその処に行き当ったので、不意のよろこびと、突然の印象とは思立って尋ねたよりも遥に深刻であった」

さて、そんな出来事があった昨日の話。
かなり前から行こうと思っていた倉敷の大原美術館についに行ってきました。といっても、大原美術館へは過去に3度くらいは行っています。何十年も前ですが。3年ほど前にも倉敷に行きましたが、そのときには大原美術館には立ち寄らず。

なぜ、大原美術館に行ったかというと、一つの絵を見たかったからです。
入場券を買って、とてつもない名画がいくつもあるギリシャ神殿風の本館を横目に通り過ぎて、向かったのは分館。たぶんそんな人はあまりいないでしょうね。本館に行くだけで分館に行かない人も多いはずですから。でも、今回のお目当ての絵は分館にありました。

小出楢重の「Nの家族」。木山捷平に関する本を書かれた岩阪恵子さんの『画家 小出楢重の肖像』を読んだのがきっかけでした。岩阪さんの評伝は、その対象となっている人物への寄り添い方に何ともいえない愛情があって、いつしかその人を好きになってしまうんですね。この本を読むまで、恥ずかしながら小出楢重という画家なんて知りませんでした。
で、この本の最初のページに載っていたのが「Nの家族」の写真。
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そして岩阪さんの本は、まず大原美術館の分館にある「Nの家族」を訪ねるところから始まります。岩阪さんが訪ねられたのは1990年。

小出楢重に興味を持ったのは、岩阪さんの本の素晴らしさとともに、いくつも引用されている小出楢重の文章の面白さ、それからやはりいくつか載っている絵日記に添えられた絵の楽しさ。大阪の道頓堀川を描いたこの絵なんか最高です。ここにプールを作ろうなんて言っている○○な人もいますが。
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そしてもうひとつ、というかこれが一番大きなことだったのですが、小出楢重が大正15年に芦屋に住み始めたということも僕にとっては強く「縁」を感じさせることでした。
大正15年、芦屋というと、僕がずっと調べていた姫路の木山捷平をいろんな形で手助けしていた大西重利さんが、まさに大正15年に芦屋で活動されていました。岩阪さんの『画家 小出楢重の肖像』を読んだのが、まさに芦屋時代の大西重利さんのことをいろいろと調べている時だったので、大正末期から昭和にかけての芦屋を知る上でも、小出楢重という画家をきちんと調べてみたいと。その第一歩が大原美術館の「Nの家族」を見ることでした。ずいぶん時間が経ってしまいましたが。

「Nの家族」は最初に入った部屋のほぼ正面に飾られていました。 やはり実物をみると違いますね。描かれた人物の顔はほぼ実物と同じ大きさ。絵の中に描かれている小出楢重の家族3人のそれぞれの、あまり幸福とはいえないかもしれない様々な想いが伝わってくるかのよう。隣にもうひとつ、小出楢重の裸婦を描いた絵もありました。

小出楢重の絵を見終えて、この日の目的は一応達したので、(超有名な日本画家の絵がいくつもありましたが)さ〜っと見流して分館を出ようとしつつ、分館の2つめの部屋に入ったときに、目に飛び込んできたのが、まさに「青」でした。画集で何度も見ていた青い絵。

松本竣介の「都会」。
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まさかこの絵がこんな場所にあるなんて思ってもみませんでした。信じられない気持ちと感動でしばらくの間その場に放心状態で立ち尽くしてしまいました(後で確認したら、僕の持っている画集には絵の横にきちんと「大原美術館」と記載されていました…)。

それにしても松本竣介の青の美しさは特別ですね。
青の上に違う濃さの青が重なっていて、その青の美しさに圧倒されてしまいました。
絵のサイズもかなり大きなもので画集ではよく見えなかった細部に描き込まれた黒い線画もよく見えました。建物の窓の一つには人の顔が描かれていたとは。

というわけで、この段階で、正直、小出楢重には申し訳ないけど、小出楢重の「Nの家族」を見た感動はふっとんでしまいました(この文章もふっとんだ状態で書いています)。結局30分くらいは松本竣介の絵の前に立っていたように思います。何人かの来館者(といっても5人くらい)が僕の後に来ましたが、だれも立ち止まることはしません。

この後、久しぶりに本館に行き、数々の最高級の名画を見ましたが、どれも松本竣介の絵を見た感動には遠く及びませんでした。

そういえば、この日、僕はずっと「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかかったボビー・ヴィントンの曲を聴いていました。いくつもの「ブルー」の曲の中で、昔からやはり一番好きなのは、バカラックが曲をかいた「Blue On Blue」。



詞はもちろんハル・デイヴィッド。この歌詞のブルーは色のことではなく心が沈んだ状態を意味するブルー。哀しみの上にさらに哀しみが重なるという意味ですね。
でも、僕はこれからおそらく松本竣介のいくつものブルーが重なった青の時代の絵を見るたびに、ボビー・ヴィントンの「Blue On Blue」が頭の中に流れてきそうな気がします。

大瀧さんもこの「Blue On Blue」が大好きなようで(「非常に大好きな曲」と言ってます)、タイトルに「ブルー」がつく特集の1曲目にもこの曲をかけています。
「ゴー!ゴー!ナイアガラ」では数少ない、2度かけた曲のひとつですね。

というわけで、大原美術館ではこの2枚のポストカードを買いました。
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by hinaseno | 2014-06-29 09:53 | 雑記 | Comments(0)

ブルーがピッタリの歌声


1976年の4月に放送された『ゴー!ゴー!ナイアガラ』のリッチー・フューレイ特集で、「Sad Memory」と「First Love」の2曲のバラードをかけた後の大瀧さんの言葉。
なんとも、いいバラードですね。こういうバラードというのは歌がうまい人でないと歌えないんです。
で、今、ちらっと思ったんだけど、ボビー・ヴィントンを思い起こしましたね。こういうラブ・バラードを聴いていると、ああいう感じを思い起こしますね。近いうちにボビー・ヴィントンの特集をしたくなりましたので、6月頃には...。

リッチー・フューレイがボビー・ヴィントンにつながるなんて、ちょっとびっくり。大瀧さんの感覚には驚かされます。

というわけで、まだ聴いていなかった『ゴー!ゴー!ナイアガラ』のボビー・ヴィントンの特集を聴きました。
6月頃にはと語られていましたが、実際にボビー・ヴィントンの特集が組まれたのは翌1977年の4月。リッチー・フューレイ特集からはほぼ1年が経っていました。大瀧さんもリッチー・フューレイの特集のときに近いうちにボビー・ヴィントンの特集をしたいって言ったことも忘れてしまった感じ。でも、興味深い話がいくつも。かけられた曲は1962年から64年ということで、大瀧さんの中2から高1にかけての思い出にもつながっています。当時、ボビー・ヴィントンもよく聴いていたんですね。「ボビー・ヴィントンの歌声は女の子よりも男の子にピッタリ」と言ってたので、もしかしたら女の子に聴かせたけど、あまり反応がよくなかったのかもしれませんね。

興味深いのは、ボビー・ヴィントンの曲のタイトルには「ブルー」が付いたものが多いこと。この日の特集でも「Blue On Blue(ブルー・オン・ブルー)」、「Blue Velvet(ブルー・ヴェルヴェット)」、それから原題は「ブルー」が付かないのになぜか邦題には「ブルー」が付けられている「There! I've Said It Again」(邦題は「ブルー・ファイア」)、「My Heart Belongs To Only You」(邦題は「ブルー・ハート」)と4曲の「ブルー」の付く曲がかかっています。こういうのって輸入盤しか買っていないと気づかないですね。それからこの日の特集ではかかっていませんが「Blue Velvet」のB面は「Mr. Blue(ミスター・ブルー)」とのこと。シングル盤のピクチャー・スリーヴもブルーですね。ブルーでいっぱい。
で、大瀧さんはこんな話を。
こういうブルーって感じ、いわゆるティーンエイジャーの男性の感傷って感じで、この「ブルー・オン・ブルー」がヒットして、わりとブルーのタイトルが付くのが多くて、日本では原題が全然ブルーが付いていないのに全部ブルー付けたりしてね。
ブルーっていう淡い色がピッタリの歌声でしたけどね。

「ブルーっていう淡い色がピッタリの歌声」、大瀧さんがリッチー・フューレイの歌声を聴いてボビー・ヴィントンを思い浮かべたのはこの感覚だったんじゃないかと。で、言うまでもなく、大瀧さんも「ブルーっていう淡い色がピッタリの歌声」だと。

さて、この特集を聴いていちばん気に入ったのは「There! I've Said It Again(ブルー・ファイア)」。途中で、大瀧さんの曲でもよく聴かれるフレーズが出てきます。
それにしても、なんでこんなタイトルになったんだろうかと思って歌詞を調べたら”burning”という言葉があったので、「燃える=火」という連想から「ファイア」が出てきたんでしょうね。それに、ボビー・ヴィントンといえば「ブルー」ってことで「ブルー・ファイア」。アラジンのストーブみたいですね。どこまで真剣に考えたんだか。
というわけで、その「ブルー・ファイア」を。「ファイアー」じゃないのも笑えます。原題は「ほら、僕はそれを繰り返し言っただろう」ってことですね。アレンジはスタン・アップルバウム。


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by hinaseno | 2014-06-28 09:33 | 音楽 | Comments(0)

音楽ではペダル・スティール・ギター、映画ではアドバルーンのある風景。現在のマイブームです。どちらも空気感は似てますね。青空にとてもよく似合う。

ペダル・スティール・ギターの聴こえる音楽はわりとすぐに見つかったり、あるいはいろいろと送っていただいたりしているのですが、アドバルーンはなかなか見つかりません。
でも、ようやくひとつ。しかも、なんと小津の映画で。
『早春』で「あゝそれなのに」が歌われていたので、絶対に小津の何かの映画でアドバルーンが出てくるだろうと思っていましたが、意外にも、もう何度も観ている映画でした。
映画は『秋日和』。1960年(昭和35)の映画。『早春』から4年後の映画。

この映画を観たのは、やはり”たまたま”。
つい先日、内田樹先生が、例のセクハラ発言をした議員はこの映画を一日一回観てセリフをすべて暗記すべきといったツイートを見て、思わず笑ってしまって、別にセクハラ発言をしてはいないけど(たぶん)、久しぶりに『秋日和』を観たら(例の議員さんたちは絶対に観ないでしょうけど)、なんとアドバルーンが出てたんですね。禍転じて福というか、何というか。

アドバルーンが見えたのは、会社の同僚である司葉子さんと岡田茉莉子さんが、会社のあるビルの屋上から、結婚式を終えた友人が電車で行くのを見送るシーン。2つのアドバルーンが、まるで2人に寄り添うかのように入り込んでいます。
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小津の映画の場合に”たまたま”背景にアドバルーンが映っていたというのは絶対にあり得ないこと。その2つのアドバルーンが2人の女性とどれくらいの高さで重なり合うようになるかをきっちりと計算して、最適の場所を見つけて撮影したにちがいありません。

それにしてもこのシーン、2人の女性は結婚する親友の女性をちょっと恨みがましく思っています。その2人の背後にアドバルーンというと、当然、美ち奴さんの「あゝそれなのに」の歌詞が、この映画では”歌われてはないけれど”、映画を当時、観た人の心の中には流れることを想定していたのではないかと思います。結婚なんて、つまんないぞって。
  空にゃ今日もアドバルーン
  さぞかし会社で今頃は
  おいそがしいと思うたに
  あゝそれなのに それなのに
  ねえ おこるのは おこるのは
  あたりまえでしょう

  どこで何しているかしら
  何か悲しい日暮どき
  想うはあなたのことばかり
  あゝそれなのに それなのに
  ねえ おこるのは おこるのは
  あたりまえでしょう

  ひとり出ているお月様
  窓で見ているこのわたし
  とぎれとぎれの針仕事
  あゝそれなのに それなのに
  ねえ おこるのは おこるのは
  あたりまえでしょう

  夜更けに聞える 足の音
  耳をすませば 胸が鳴る
  帰って来たかと 立ち上る
  あゝそれなのに それなのに
  ねえ おこるのは おこるのは
  あたりまえでしょう

ところで、アドバルーンのある風景とは別に、同じシーンで彼女たちがビルの屋上から見下ろした鉄道の風景がこれ。
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鉄道の風景もやはり気になります。
奥に見える緑とオレンジの電車は国鉄ですね。気になるのは手前の2両ほどの茶色い電車。もしかしたら東急の電車ではないかと思ってみたり。
こういうの、昔から東京に住んでいる人であれば、すぐにどこの駅かはわかるんでしょうね。蒲田、あるいは五反田? もしおわかりの方がいたら教えて下さい。

そういえば『秋日和』を観ながら思ったのですが、僕はますます佐分利信という俳優に惹かれるようになっていることがわかりました。映画の中では、今であれば結構セクハラととられても仕方がないような発言をいくつもしているのですが、何ともいえない人徳が感じられます。
例の議員さんたちと決定的に違うのは”大人”だということ。”おやじ”ではなく。
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by hinaseno | 2014-06-27 10:00 | 映画 | Comments(0)

ニコニコからポコへ


「朝からゴキゲン」という言葉が、大瀧さんの「ニコニコ笑って」という曲の中に出てくると書いたので、その話の続き。
「ニコニコ笑って」は、アルバム『ゴー!ゴー!ナイアガラ』に収められた曲。久しぶりに『レコード・コレクターズ増刊 大瀧詠一 Talks About Niagara』の『ゴー!ゴー!ナイアガラ』に関するインタビューを読んでみたら、ちょっと興味深いことが。
質問者は湯浅学さん。
湯浅:「ニコニコ笑って」はわりと中間色のものですよね。
大瀧:そうそう。B面の2曲目は中間色。「It’s So Hard To Wait」ね。『Last Time Around』(バッファロー・スプリングフィールド)の。B-2っていうのはいつも考えてる。「スピーチ・バルーン」もそうだけど。
湯浅:ファーストの「朝寝坊」も。
大瀧:そうそうそう。B-2に関してはいつも中間的なもの。

またしてもB-2の話。「ニコニコ笑って」もレコードではB面2曲目だったんですね。このアルバムもCDしか持っていないので気づきませんでした。B面の最初に「ジングル:月曜の夜の恋人に」がありますが、これは曲数にはカウントしてないようです。

さて、大瀧さんのいたはっぴいえんどに最も大きな影響を与えたバンドであるバッファロー・スプリングフィールドの『Last Time Around』に収められた「It’s So Hard To Wait」、調べたらアルバムではA面の2曲目ですね。大瀧さんの勘違い?
バッファロー・スプリングフィールドもそれなりには聴いてきましたが、「It’s So Hard To Wait」と言われてもピンと来なくてちょっと聴いてみることに。



確かに中間色、つまりそれ程強く個性を主張するような曲ではありません。でも、味わい深いものがあって、何度か聴いているうちにだんだん好きになってくるタイプの曲。実際、昨日からずっと聴いていたらとても好きな曲になりました。
曲はリッチー・フューレイとニール・ヤングの共作。もしやと思って調べたら、やはり(ラジオの方の)『ゴー!ゴー!ナイアガラ』のリッチー・フューレイ特集でかかっていました。僕はバッファロー・スプリングフィールド関係では、ジム・メッシーナとスティーヴン・スティルスの特集だけ聴いていて、ニール・ヤングとリッチー・フューレイの特集はいずれまた、と思ってそのままになっていました。

というわけで、リッチー・フューレイ特集を聴いてみたら...、これがよかったですね。特にびっくりしたのが3曲目にかかった「First Love」という曲。初めて聴く曲でした。バッファロー・スプリングフィールドにこんな曲あったっけ、と思って調べてみたら、バッファローが解散した後にリッチー・フューレイが作ったポコというバンドのファーストアルバムに収められている曲でした。
とにかく今の僕にとってはドツボの曲。なぜならば、ペダル・スティール・ギターのなんとも心地よい音色が聴こえてくる曲だから。ペダル・スティール・ギターを使った曲では、まさにこういうタイプの曲が一番好きだと言える、その典型のような曲。また、リッチー・フューレイの歌もよくって。大瀧さんは「艶っぽい」と表現していました。

この曲のペダル・スティール・ギターを弾いているのはラスティ・ヤングという人。『Last Time Around』に収められた、やはりリッチー・フューレイの作った名曲「Kind Woman」でペダル・スティール・ギターを弾いているのもラスティ・ヤング。この人がポコに入ったんですね。ペダル・スティール・ギターにはまりつつある僕としては覚えておかなくてはならない人になりました。

ところで、大瀧さんは、はっぴいえんど時代、アメリカでレコーディングをしていたときにポコに会いにいってるんですね。年譜を見ると1972年10月16日。銀次さんのこの日のブログにそのときの写真が載っていました。すごいメンバーです。どこにだれがいるかは銀次さんのブログを読んで下さい。写真がちょっと小さいので拡大したものを貼っておきます。
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ところで写真では一番右端にいるリッチー・フューレイさん、サングラスをかけていて顔がよくわかりませんが、ややいかつい顔の多いバッファローの中では、何とも穏やかな顔をした、ちょっとはにかみ屋の好青年なんですね。もちろん今はかなりのお年ですが。人柄もすごくよさそうです。他のメンバーに比べてみてってことではありません。
僕の持っているライノからでたボックスのブックレットには、それぞれのメンバーの好きなものが載っていて、リッチー・フューレイさんのがいいんですね。人柄がよく出ています。
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好きなものの一番目に書かれているのは「easygoing」。あくせくしない、のんびりと、って感じの意味ですね。
それから「summer breeze」とか「afternoon」とか「orange」とか。
夏の午後、オレンジなんかをかじりながら海辺に寝ころんでのんびり過ごしているリッチーさんの絵が浮びます。また、そんな風景にペダル・スティール・ギターの音色が合いそうですね。
ところで、そのブックレットに載っているリッチーさんのプロフィールを見てちょっとびっくりしたこと。なんと生まれが「Dayton, Ohio(オハイオ州デイトン)」。ウィキペディアでは「Yellow Springs, Ohio」となっていますが、ブックレットでは好きなこと(もの)のところに「Yellow Springs, Ohio」が書かれています。僕としては彼の生まれた場所は オハイオ州デイトンであってほしいなと。

というわけで、今まではあまり意識することのなかったリッチー・フューレイさんのことが大好きになってしまいました。
とりあえず、ポコのファースト・アルバム「Pickin’ Up The Pieces」を聴かなくては。

今日の最後に、そのアルバムに収められたリッチー・フューレイさんの作った「First Love」を貼っておきます。


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by hinaseno | 2014-06-26 08:25 | 音楽 | Comments(0)

朝からゴキゲン


後追いで、しかもたいていは輸入盤を買って過去の音楽を聴くようになったので、一番知らないのが邦題。もちろん、いくつか日本盤も買ってはいましたが、別に邦題は知らなくてもいいかって感じでずっと過ごしてきました。邦題をチェックしていたのはエルヴィスの曲くらいでしょうか。

邦題に関心を持つようになったのは、大瀧さんの『ゴー!ゴー!ナイアガラ』を聴くようになってから。大瀧さんが曲を紹介するときに邦題も言われて、へえ〜っと思うことがいくつもあって、邦題の楽しさをちょっとずつ知るようになりました。もちろん石川さんの影響も大きいです。

一昨日、久しぶりに、まだ聴いていなかった『ゴー!ゴー!ナイアガラ』を聴きました。第20回目の「御葉書&リクエスト特集」。もちろん、あらかじめかかった曲を調べることはしないで。
で、この日の4曲目にかかったのがハーマンズ・ハーミッツの「朝からゴキゲン」。



原題は「I’m Into Something Good」。オリジナルは数日前に紹介したアール・ジーンが歌ったもの。曲を書いたのはもちろんキャロル・キングとジェリー・ゴフィン。大瀧さんも曲をかけるときにオリジナルがアール・ジーンであること、で、その曲は第2回目のキャロル・キング特集でかけていたことを言われていました。

それにしても「I’m Into Something Good」の邦題が「朝からゴキゲン」だったとはちょっと驚き。もうひとつ、ハーマンズ・ハーミッツが歌った「I’m Into Something Good」も初めて聴いたということも。僕の持っているキャロル・キングとジェリー・ゴフィンの作品集には、どれにも入っていないこともわかりました。ちなみに僕はハーマンズ・ハーミッツのレコードもCDも一枚も持っていません。
でも、ハーマンズ・ハーミッツの「I’m Into Something Good」は1964年の大ヒット。アール・ジーンの歌ったものはおそらく日本盤は出ていないはずなので、ハーマンズ・ハーミッツの歌ったものに「朝からゴキゲン」という邦題が付けられているんですね。ですからリアル・タイムで音楽を聴かれていた人は「I’m Into Something Good」といえばハーマンズ・ハーミッツということになるんでしょうね。でも、僕が聴いたのは一昨日がはじめて(たぶん)。しかも、その邦題が「朝からゴキゲン」だったということを知ったのも。

ただ、先日、「I’m Into Something Good」の歌詞を訳したので、なぜ、邦題が「朝からゴキゲン」になったのかはすぐにわかりました。
曲の最初のフレーズ” Woke up this morning, feeling fine”を訳したものをタイトルにしているんですね。僕は「今朝、目が覚めたら、とってもいい気分」と訳しましたが。

大瀧さんは、邦題について、よく感想を言ってましたが、この「朝からゴキゲン」は相当にお気に入りの部類に入っていたのではないかと思います。
『Niagara Moon 30th Anniversary』には、まさに「朝からゴキゲン」というタイトルの未発表作品も収められています。「I’m Into Something Good」とは似ても似つかぬ曲ですが。それから僕の大好きな「ニコニコ笑って」の一番の歌詞にも「朝からゴキゲン」という言葉が出てきます。
ちょっとちょっと こっち向いて
そんなそんな 無視せず
たまにゃたまにゃ 相手して
ちょっとちょっと いいじゃないの
君が僕の顔 ちらっと覗き込むだけで
ハートがドキドキ 朝からゴキゲン
だからだから こっち向いて
ニコニコ笑ってよ

いろんなものが一気につながって、今日は朝からゴキゲンです。

ところで、「I’m Into Something Good」といえば一曲、素敵なカバーがあるので、それを最後に紹介しておきます。『The Langley Schools Music Project』というアルバムに収められたもの。
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歌っているのはアメリカの小学校の子供たちなのですが、このアルバムで歌っている曲のマニアックなこと。ビーチ・ボーイズの「You’re So Good To Me」なんて歌ってんですから。

歌詞を聴くと、原曲の”Last night I met a new boy”の部分のboyがkidに。途中もかなり歌詞を子供向けにしています。ちなみにハーマンズ・ハーミッツはboyをgirlにというよくあるパターン。
というわけで、1970年代中頃のアメリカの小学生たちが歌った「I’m Into Something Good」を。


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by hinaseno | 2014-06-25 11:20 | 音楽 | Comments(0)

This is not Gerry Goffin.


これを書いている4時間ほど前にキャロル・キングがこんな写真を添えたツイートをしていました。
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上の写真には”This is not Gerry Goffin.”、そして下の写真には”THIS is Gerry Goffin!”という言葉を添えて。

ジェリー・ゴフィンの訃報をネットで知ったときに、海外のかなり主要なメディアで上の写真が使われていて本当にびっくりでした。上の写真の男の方だけを切り取ったものもあったりして。

下の写真は昨日紹介したものですね。上の写真もキャロル・キングの服装を見ればわかるように、やはり1959年6月9日に撮られたもの。でも、男の方はジェリー・ゴフィンとぜんぜん違っています。顔も濃いし、体つきもかなりマッチョ。何よりこの日ジェリー・ゴフィンが着ていたのは縦のストライプの半袖のボタンダウンのシャツ。きちんと確かめる人がいないというのは怖いですね。

ところで話はころっと変わりますが、昨日、買い物でちょこっと外出したときに、なにげなくはおっていたのが、まさに縦のストライプの半袖のボタンダウンのシャツでした。よく着ているシャツだけど、お店で気がついて思わず苦笑い。でも、僕のことをジェリー・ゴフィンだと勘違いする人もいなければ、僕の写真を撮ったりする人もいませんでした。

それはさておき、上に写っている一見、キャロル・キングに歌唱指導をしているように見えるマッチョな男はいったいだれなんだろう。
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by hinaseno | 2014-06-24 08:11 | 音楽 | Comments(2)

1959年6月9日のレコーディングの日、キャロル・キングはこんな格好でニューヨークにあるRCAのスタジオにやって来ます。
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半袖のシャツも、膝の出るショートパンツも、そして靴下もおそらくはすべて黒色。髪はかなりのショート。よく似合っています。とにかく可愛いですね。
彼女がこの服を着ているときの写真をある時期から気に留めるようになりました。というよりも素敵な写真だなと思ったら、この服を着ていることに気づくことが多かったということ。それらの写真が同じ日に撮られたものであることは間違いないはず。ヘア・スタイルも全く同じですから。
というわけで調べてみたら、それが1959年6月9日に「Short Mort」と「Queen Of The Beach」を録音したニューヨークのRCAのスタジオBで撮られていたものだということがわかりました。
ここにずらっとそこで撮られた写真がならんでいます。最初に紹介した椅子に座ったキャロル・キングの写真もあります。その他にも雑誌やCDのブックレットなどで見かけた写真もいくつか。

興味深いのはそこに写り込んでいる人々。
なんといってもサイモン&ガーファンクルのポール・サイモンがいること。チェックのシャツを着ている人ですね。キャロル・キングは彼とやはりクイーンズ・カレッジで知り合って、デモテープの作り方なんかを教えてもらっていました。このときポール・サイモンはすでにアート・ガーファンクルとトム&ジェリーという名義のグループでヒット曲も出していました。この日のレコーディングではギターを弾いていたんですね。
カメラマンはおそらくポール・サイモンのことをよく知っていたようで、この日の主役であるキャロル・キングのいろんな写真を撮る中で、ポール・サイモンといっしょにいる写真を何枚も撮っています。

それからこの場に、すでにアルドン・ミュージックの社長のアル・ネヴィンスもいたんですね。キャロル・キングとジェリー・ゴフィンがアルドンとソングライター契約をしたのは、半年後に録音された「Oh Neil」(ニール・セダカの「Oh Carol」のアンサーソングですね)をもう一人の社長のドン・カーシュナーが聴いてからのこと。
でも、ネヴィンスさんはおそらくこの日はキャロル・キングを見に、ちょこっと覗いてみただけなのかもしれません。曲もたいしたものではないと判断しただろうと思います。ましてや、キャロル・キングのそばにずっとくっついている男がだれかなんて、全く気にとめていなかったかもしれません。

さて、この日、キャロル・キングのそばにずっとくっついていたはずのジェリー・ゴフィン。この日は縦のストライプの半袖のボタンダウンのシャツを着ています。シャツも外に出していて、この日、えらい人に会うなんて考えてもいなかったことがよくわかります。
もちろんカメラマンがこの男がだれかなんて知るはずもありません。まあ、これだけべたべたとくっついていれば、彼がキャロル・キングの恋人であることくらいは紹介されなくてもわかったはず。
でも、おそらくカメラマンはファインダー越しにすぐに気が付いただろうと思います。その男(ジェリー・ゴフィン)と見つめ合っているときにキャロル・キングが最高に素敵な表情をするってことを。
というわけで、彼はキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが見つめ合っている写真も何枚か撮ることにします。場合によっては男の部分をカットして使えばいいわけですから。
幸か不幸か、キャロル・キングはこの段階では歌手として失敗に終わったので、ここで撮られた写真がレコードのジャケットなどに使われることもなく終わります。
ただ、この1年後にキャロル・キングとジェリー・ゴフィンがシレルズに書いた「Will You Love Me Tomorrow」がナンバーワンヒット。2人は一躍、超売れっ子のソングライター・チームになるわけです。

で、何年か経って、CDの時代になって、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングの作った楽曲を集めたものが作られるときには、おそらくはカメラマンがたまたま撮ったはずの2人の写真が使われるようになるんですね。
現在、イギリスのACEから出ている『GOFFIN & KING: A GERRY GOFFIN & COROLE KING SONG COLLECTION 1961-1967』というCDのジャケットの写真も、まさにこの日に撮られたもの。
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CDのタイトルは1961年からの作品となっていますが、写真は1959年というのが面白いですね。
この写真は2人のコンピレーションCDでは最もよく使われているもの。きっとカメラマンが、レコーディングが終わったときにせっかくだからいっしょに撮ってあげるよって言って”たまたま”撮った写真じゃないかと思っています。本当に2人とも最高に幸せそうないい写真です。2人はこのあと間もなく結婚します。キャロル・キングはこのときにはもう妊娠していたのかな。

この日撮られたいくつかの”アウトテイク”も、近年、いろんなCDのブックレットで使われるようになります。キャロル・キングが1959年に録音した曲が大ヒットして、彼女がソロで活躍していたら、ジェリー・ゴフィンの写った部分は切り取られて使われることになったかもしれない写真。2枚紹介しておきます。
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というわけで、今日はこの日録音された「Queen Of The Beach」を貼っておきます。



こういうのが大ヒットしてたら、キャロル・キングもアネットみたいに水着を着せられて、ビーチ・ムーヴィーなんかにも出ることになっていたかもしれませんね。まさにそういう時代でしたから。

幸せと希望に満ちたこの日のレコーディングは、結果的にはキャロル・キングにとっては大きな挫折を経験することになってしまうのですが、その後のことを考えると人の人生はわからないものです。というか、彼女がここで挫折してソングライターの道を歩まなければアメリカン・ポップスの歴史はどうなっていたのかと思います。いや、それだけではなく...。
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by hinaseno | 2014-06-23 11:09 | 音楽 | Comments(0)

1959年のコンピレーションCDを作るときに、まず確認したのは大瀧さんのアメリカン・ポップス伝でかかった1959年の曲。それから好きなアーティストごとに1959年にレコーディング、あるいはシングルとして発売された曲を調べていきました。もちろんキャロル・キングの曲。1959年といえば、彼女がまだ17歳。この年、彼女は2枚のシングルを出しています。

彼女がデビューしたのは前年の1958年のこと。記念すべきファースト・シングルは「The Right Girl / Goin' Wild」。発売は1958年5月。で、翌年の春にセカンド・シングル「Baby Sittin' / Under The Stars」を発売。この2枚のシングルを発売したのはABCパラマウント。プロデューサーはドン・コスタ。ということは、もしかしたらギターを弾いている人の中にアル・カイオラがいるかもしれませんね。でも、全くヒットせず。はっきり言ってヒットしなくても仕方がないような曲です。
彼女はこの間ハイスクールを卒業してクイーンズ・カレッジに進学します。そこで、のちに公私ともにパートナーとなるジェリー・ゴフィンと出会います。出会ったのは1958年の秋。
最初の2枚のシングルに収められた曲は詞も曲もすべてキャロル・キングがひとりで書いていましたが、詞を書くことに自信のない彼女はジェリーが詞を書けることを知り、彼に詞を書いてもらうように頼みます。もちろんその時点で2人は恋に落ちているのですが。

そのジェリー・ゴフィンがキャロル・キングのために初めて詞を書いた、キャロル・キングにとって3枚目のシングルが作られることになります。A面が「Short Mort」、B面が「Queen Of The Beach」。録音されたのが1959年6月9日。場所はニューヨークのRCAのスタジオB。
ABCパラマウントでヒットが出なかった彼女は、あこがれのニール・セダカのいるRCAと契約したんですね。ただし、このとき、まだニール・セダカは大きなヒット曲が出なくていろいろと模索していた時期。彼がキャロル・キングのことを歌った「Oh Carol」を録音するのはその翌月の7月のこと。録音したスタジオはニューヨークのRCAのスタジオA。キャロル・キングが録音したスタジオBはスタジオAよりは小さいようです。

さて、1959年6月9日に録音された「Short Mort」と「Queen Of The Beach」も、はっきり言ってたいした曲ではありません。大瀧さんのゴー!ゴー!ナイアガラの夏の特集でもかかったB面の「Queen Of The Beach」の方が少しましかなという感じ。A面の「Short Mort」は、アメリカン・ポップス伝Part 4の最終日の最後の方にかかったアネットの「Tall Paul」のパロディ・ソング(アンサー・ソングなのかな?)。のっぽのポールに対してちびのモート。というわけで、当然ながらヒットせず。
1959年のコンピレーションを作るときに、アネットの「Tall Paul」に続けて「Short Mort」を入れようかと考えましたが、結局はどれも入れないことにしました。

ただし、曲は入れなかったものの、1959年の、というよりも「Short Mort」と「Queen Of The Beach」を録音した1959年6月9日のキャロル・キングとジェリー・ゴフィンのことでちょっと大切なことがわかったので、それを書こうと思っていましたが、ここまでの話が長くなりすぎましたので、それはまた次回に。

というわけで、一応「Short Mort」を貼っておきます。


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by hinaseno | 2014-06-22 14:58 | 音楽 | Comments(0)

今日は、昨日、6月20日がブライアン・ウィルソンの誕生日だったことに少し触れて、昨日の本の話の続きを書くつもりでいましたが、やはりこのことに触れないわけにはいきません。

昨夜眠りにつくときに、おやっと思うものを見ていたのですが、今朝起きてジェリー・ゴフィンが2日前の6月19日に亡くなられていたことを知りました。近年の映像を見たときに、体がかなり悪そうな感じはあったのですが、それにしても...。

ジェリー・ゴフィンさんのこともこのブログでいろいろ書いてきました。
先日、1959年と1964年のコンピレーションCDを作ったときに書かなかった話を少し。
コンピレーションCDに収める曲を選ぶときに、同じアーティストの曲は1曲だけ、というルールを作りましたが、ただし、同じ作家が作った曲はいくつか選んでもいいということだけは許すことにしました。
というわけで、1964年の方にはキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが作った曲を2曲入れました。1曲目のビーチ・ボーイズの「All Summer Long」の次に2曲続けて。
2曲目がアール・ジーンの「I'm Into Something Good」。いかにもA2らしい曲ですよね。
で、3曲目がマキシン・ブラウンの「Oh No, Not My Baby」。

どちらも大好きな曲。他にもコニー・スティーヴンスの歌った「They're Jealous Of Me」とか、アール・ジーンの歌った「We Love And Learn」とか、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンが1964年に作った曲にはいい曲がたくさんあります。でも、ぐっと我慢して2曲だけにしました。

ところで1964年のコンピレーションCDに収めた曲を作家という観点でチェックしてみたら一番多かったのはボブ・クルーの3曲でした。石川さんが出演された1964年を特集したラジオ番組の最後の最後にかけられたフォー・シーズンズの「ラグ・ドール」もボブ・クルーの曲。1964年はボブ・クルーの年といえるのかもしれません。それくらいに1964年にボブ・クルーが作った曲はどれも素晴らしすぎます。いつか「1964年のボブ・クルー」というタイトルで特集を組もうかな。どれくらいの人が関心を抱いてくれるかわからないけど。

話がジェリー・ゴフィンからそれてしまいました。
実は1959年のコンピレーションの方に、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンが作った曲でキャロル・キングが歌った曲を入れるかどうか、かなり悩んだのですが、結局入れませんでした。ただ、1959年のキャロル・キングとジェリー・ゴフィンには興味深い話があるので、明日にでも。

というわけで、ジェリー・ゴフィンを偲んで、彼が書いた「I'm Into Something Good」の歌詞を訳してみました。かなり強引に訳したところもありますが、そこらへんは目を瞑って下さい。
今朝目が覚めたら、最高の気分
だって私の心の中に何か特別なことが入り込んでいたのだから
昨日の夜、近所に初めてやって来た男の子に出会ったのよ、わおっ

何かが私にささやくの
私は何か素敵なことに入り込んでいるって
(私は何か素敵なことに入り込んでいる)

彼はどちらかといえばおとなしいけど、そんなに恥ずかしがり屋ってことでもない
だから私のタイプの男の子って言えるかもね
彼は私とスローなダンスばかり踊った
まさに私が望んでいた通りに
(彼は私の望んでいた通りに私と踊ってくれた)

何かが私にささやくの
私は何か素敵なことに入り込んでいるって
(私は何か素敵なことに入り込んでいる)

ほんの2、3分話をしただけで
前からずっと彼のことを知ってるって気がしたの
彼が恋をしてるかどうかはわからないけど
(でも、彼は私がずっと夢見てきたまさにそのままの男の子
 私がずっと夢見てきたまさにそのままの男の子)

彼は歩いて私を家に連れて帰ってくれて、私の手を握ってくれた
私はそれが一夜限りの出来事だけにならないはずだとわかったわ
だって彼は私に来週も会おうねって言ってくれたから
で、私は彼にきっとよって言ったの
(彼は私に会おうねって言ってくれて、私は彼にきっとよって言った)

何かが私にささやくの
私は何か素敵なことに入り込んでいるって
(私は何か素敵なことに入り込んでいる)

曲も貼っておきます。
プロデューサーはジェリー・ゴフィン。前にも言いましたが、『ロンバケ』のA面2曲目の「Velvet Motel」はジェリー・ゴフィン・サウンドを下敷きにして大瀧さんが作り上げたものだと固く信じています。


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by hinaseno | 2014-06-21 11:35 | 音楽 | Comments(0)