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昨日引用した『KAWADE 夢ムック 増補新版 大瀧詠一』に収められているスペシャル・インタビューの「朝寝坊」に関する大瀧さんの話はもう少し続きます。
この曲は馬場こずえさんが気に入ってくれて、深夜ラジオのエンディング・テーマに使ってくれたりした。位置的にもB面2曲目で、『ロンバケ』の「スピーチ・バルーン」的な評価をされているかもしれない。いわゆる「B2の理論」だね。B面2曲目に小味の効いたものを配置できるかどうかで、アルバムの善し悪しが決まるという。

僕はアルバム『大瀧詠一』をCDでしか聴いたことがないので、それをB面2曲目の曲として意識して聴いたことはなかったのですが、改めてレコードのB面としてチェックしてみると、まず1曲目がノリのいい「あつさのせい」、2曲目がシャレた小品の「朝寝坊」、それから「水彩画の町」「乱れ髪」とメロディのきれいな、やや大柄なバラードが続きます。いい流れですね。

さて、「朝寝坊」。
『大瀧詠一』に収められた他の曲と大きく違うことがひとつあります。この曲だけは大瀧さん以外、本物のジャズ・ミュージシャンが演奏してるんですね。大瀧さんはCDのライナーで「ドキドキワクワクもののレコーディングで非常に緊張しました」と書いていますが、イントロから演奏している大瀧さんのギターはめちゃくちゃかっこいいですね。大瀧さん自身の口笛が聴けるのはこの曲だけ?

この曲で一番好きなのは「さあ 夢の続きに 又、忍び込もう」の地声と裏声がひっくり返るところ。
僕は何度も大瀧さんの裏声が好きだって書いてきましたが、もう少し正確に言えば地声と裏声のひっくり返りを聴くことのできる曲が好きなんだと思いました。「Velvet Motel」もまさにそうですね。
“地声と裏声のひっくり返り”ということでいえば、大瀧さんの大好きな平野愛子さんのことがすぐに浮びます。大瀧さんが彼女の曲をこの上なく愛されていることはずっと前にも書きましたが、とりわけ彼女の歌唱法、つまり“地声と裏声のひっくり返り”唱法が好きだったようです。きっと強く影響を受けているんでしょうね。
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by hinaseno | 2014-02-28 08:50 | ナイアガラ | Comments(0)

最近、一番よく聴いているのはロジャー・ミラー。
ひと月ほど前に聴いた1976年7月13日放送の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の御葉書特集でかかった「Do-Wacka-Do」を聴いてはまってしまいました。
そこで大瀧さんが紹介していた「King Of The Road」や「England Swings」など、彼が1960年代半ばに作った曲はどれもいい曲ばかり。カントリーとジャズが程よく融合された感じ。とにかくシャレていてかっこいい。
特にいいのがこの「Engine Engine #9」。



このコード感、たまらないです。
エヴァリー・ブラザーズの「Walk Right Back」にそっくりな部分も出てきますけど。歌もうまいですね。

と、ロジャー・ミラーな日々を送っていたときに、またひとつ、大瀧さんとロジャー・ミラーのつながりを見つけてしまいました。それはやはり例の『KAWADE 夢ムック 増補新版 大瀧詠一』に収められているスペシャル・インタビュー。
こんなやりとりがなされていました。

大瀧:「朝寝坊」はニルソンですよね。ニルソンなんだけど、本当はロジャー・ミラーなのね……これは誰も指摘しないか、ふっふっふ。
湯浅:それはわからなかったですねー。
大瀧:基本的にはニルソンなんだけど、ニルソン1本だとバレバレになるから、ニルソンのジャジーさにロジャー・ミラーの「 Engine Engine #9」なんかのジャジーな雰囲気を足したのだよ。これがロジャー・ミラーだとはお釈迦さまでも気がつくめえと思ったな。

聴いてみないと分からないものです。フィンガー・スナップを使っているところは「King Of The Road」の方を意識したのかもしれません。一応「King Of The Road」も貼っておきます。



「 Engine Engine #9」を聴いてみると、ロジャー・ミラーの声って一瞬ニルソンではないかと思うくらいに声が似ています。そして細野さんが指摘していたように大瀧さんの声もニルソンにそっくりに聴こえるところがあります。もちろん大瀧さんもそれをよくわかっていたはず。

ちなみに「朝寝坊」はアルバム『大瀧詠一』の中で一番好きな曲。
「朝寝坊」についてはまた改めて。
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by hinaseno | 2014-02-27 11:19 | ナイアガラ | Comments(0)

ようやく平熱に戻ったものの、味覚がなくなった状態が続いていて、食欲は戻ってきません。何より悲しいのは、朝起きたときと昼食後のコーヒーを楽しむことができない状態が続いていること。
このブログもコーヒーを飲みながら書くという習慣にしていたものなので、それがないと調子がどこか変。今はリンゴとヨーグルトを混ぜたものを食べながらこれを書いています。

ところで話は昨日の「こきりこ節」のことに。
ブログを書いたあとiTunes Storeでいい音源はないかと調べていました。
1つめにあったのは越中五箇山こきりこ節保存会の演奏したもの。2つめは山崎ハコさんがライブで歌ったもの。で、3つめにあったものを歌っていたのが...、
西六郷少年少女合唱団&鎌田典三郎。

西六郷!
そこはまさに小津安二郎の『早春』の池部良・淡島千景夫婦が住んでいた場所として設定されていた可能性が高いはずの、蒲田の西の多摩川に近い六郷地区にある場所。先日、東京に行ったときに歩いた場所です。

iTunesを見ると、 西六郷少年少女合唱団の歌ったものの音源は相当数あることが分かりました。レコードやCDが何枚も出てるんですね。

ってことでちょっと調べてみました。
西六郷少年少女合唱団を作ったのは、大田区の西六郷小学校に赴任してきた鎌田典三郎という音楽教師。東北、秋田の人ですね。当時来日していたウィーン少年合唱団に触発されて合唱団を結成したとのこと。最初は少年合唱団としてスタート、のちに卒業生や女子も加わって少年少女合唱団へとなったようです。
相当に厳しい指導がなされたようですが、その成果はめざましいものだったようで、1960年代の合唱コンクールの最優秀賞を総なめにし、NHKの音楽番組にもレギュラー出演したりと、”合唱の西六”の名を全国に轟かせたようです。

最も興味深かったのは結成された年。
なんと1955年。
まさにこの年、小津は六郷のあちこちを歩き回ってロケハンをし、そして『早春』の撮影をしていたわけですから。
1つの映画が撮影されていた、まさにそのすぐ近くにあった小学校で、新しい少年合唱の声が響き始めていたわけです。小津もきっと彼らの声を何度も耳にしていたような気がします。
個人的な思い出を書くと、僕も子供の頃にウィーン少年合唱団の映画を見て、強い憧れを抱いて合唱部に入りました。「こきりこ」を歌ったのは、その合唱部でのことだったのかもしれません。

西六郷少年少女合唱団が歌ったものでもっとも有名で、団歌として歌い続けられたのが「ぼくらの町は川っぷち」(作詞:峯陽、作曲:林光)という曲のようですね。川と工場に挟まれた風景を歌ったもの。iTunesで聴いてみたらとてもいい曲。遠い昔聴いた記憶があるような。
一番の歌詞だけ引用しておきます。
ぼくらの町は川っぷち
えんとつだらけの町なんだ
ふといえんとつ こんにちは
たかいえんとつ またあした
川のむこうに 日がのぼり
えんとつのけむりに 日がしずむ
そんな ぼくらの町なんだ

なんだか三石の町を歌ったもののようにも思えてしまいます。

最後に、『早春』のロケ・ハンのときに撮影されたスナップ写真を貼っておきます。1955年の、蒲田から六郷にかけてのどこかの風景のはず。
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by hinaseno | 2014-02-26 10:28 | 雑記 | Comments(0)

かなり久しぶりに風邪をひいてしまいました。熱がなかなか下がらず、食欲もなく、でも、インフルエンザではなかったので、日曜以外、仕事は続けていましたので、相当大変な日々を過ごしていました。
体、あるいは心の方がいろんなサインを出しているんだろうなと、それをきちんと受けとめるようにしていましたが。

昨日も仕事に行く前に体温を測ったら37度台の後半になっていたので、よっぽど休もうかと思いつつ、とりあえず仕事に向かいました。
最初はしんどくて一日体が持つのだろうかと思ってましたが、仕事の終わる2時間ほど前、ひとつだけ心の入れ替えをしたら、不思議に元気さが戻ってくるのを感じるようになりました。病は気からとはよく言ったもの。
家に戻ったらやはり38度近くの熱は続いていましたが、数字とは別の体の状態を感じていました。で、朝起きたら何日ぶりかで36度台に。
というわけで久しぶりにこれを書いているわけですが、まとまりのない文章になってますね。まだ文章を書くだけの集中力はもどってきません。

ところで、こういう状態のときには音楽も聴けなくなってしまって、なんとなくBS系で放送されている旅番組をいくつかぼんやりと見ていました。オリンピックではなく。
見たもののひとつが合掌造りの家が建ち並ぶ白川郷と五箇山を訪ねるもの。雪が深く降り積もった中に合掌造りの家が建ち並ぶ風景の何と感動的なこと。そこで暮らすことの大変さも理解しつつ。
いくつか、へえ〜っと思わされたことがあったのですが、一番驚いたのは五箇山(富山県)の保存会の人が演奏した「こきりこ節」という民謡。この五箇山の民謡だったんですね。
この演奏を聴きながら、僕はこの曲をいつ、どこで知ったんだろうかと考えました。
こきりこの竹は 七寸五分じゃ

って歌詞をかなり幼い頃に歌った記憶もあります。たぶん意味もよくわからずに。小学校の音楽の教科書に載っていたんしょうか。
もともと田楽から派生したものとのこと。田楽系の民謡はどこか心惹かれるものがあります。


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by hinaseno | 2014-02-25 11:42 | 雑記 | Comments(0)

ちょっと体調を崩してしまいました。
というわけで、本当は別のことを書く予定にしていたのですが、それはまた後日ということで、きのう紹介した居島一平さんをゲストに迎えての鼎談の映像がこちらに15分ほどアップされましたのでその紹介を。
僕の聴いていなかった部分でした。

この映像の後半で居島さんが日本の都道府県の名前を言われたら、即座にその都道府県にまつわる話をアドリブで繰り出すということで、平川さんが口にされた2つの県に思わずニッコリ。

それにしても居島さんの話芸って天才的ですね。でも、やはり公共の電波に乗せるには危なすぎますね。

居島さんには是非"一人『早春』"を全編やってもらいたいです。で、それをDVDにでもしてもらえたら僕は絶対に買います。あんまり売れないだろうけど…。
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by hinaseno | 2014-02-21 10:51 | 雑記 | Comments(0)

今、注目のお笑い芸人といえば、この日のブログでも触れた居島一平さん。
昨日、ラジオデイズで平川さんとの対談がネットで見られることを知り、ちょっと空いた時間を利用して、こっそりと最初の30分ほどだけ視聴。とにかく爆笑に次ぐ爆笑、といきたいところでしたが、笑い声を出すわけにもいかなかったので、ぐっと抑えて(抑えるのが大変)、作業をしながら見てました。
居島さんの話は僕にとってはツボのオンパレード。映画、とくに小津の映画、あるいは歴史に対する造詣が深いのも強く共感を覚えるところ。その小津映画に関しての平川さんとの話は最高でした。岡山に関するうれしい話や、ドキッとするような話もいくつか。音源がアップされるのを心待ちにしています。

さて、先日ちょこっと書いたように、今、時間を見ては新春放談をパソコンに取り込んでいます。他の作業をしつつやっているのですが、どこを聴いても面白くて、ついつい作業の手が止まってしまいます。冗談っぽく語られながらも、滋養にあふれた言葉の連続。

昨日聴いたのは2003年1月5日に放送された新春放談。「蒲田」という言葉が大瀧さんの口からとびだして思わず聴き入ってしまいました。大瀧さんはまだ、このときには映画研究には入っていないはず。健康のために歩くようになったとは語られていました。

2003年といえば、大瀧さんと達郎さんが出会ってちょうど30年。というわけで、その出会いの頃のことから話が進んでいきます。
山下:今年でついに大瀧さんと出会って30年なんですよ。
大瀧:なりましたね。73年の...5月か...。
山下:8月ですよ。夏の暑いときです。
大瀧:暑かったね。蝉が鳴いてたね。
山下:9.21のひと月ちょっとぐらい前。
大瀧:8月? ああ。
山下:7月の終わりか8月のあたま。
大瀧:いよいよ30年ね。
山下:30年ですよ。
大瀧:僕も福生スタジオ30年ですからね、ちょうどこれで。
山下:だからあのとき大瀧さん、25歳だったんですね。
大瀧:ですね。若かったんだけどねえ。
山下:すごく老成してましたね、その頃に。
大瀧:25で、前にも言いましたけどね、子供ができて、スタジオを持って、で、プロデュースやって。グループ2つあってね、当時は。
山下:くっくっく。
大瀧:で、エンジニアやりつつ...とか。
山下:エンジニアってのがすごかったですよね。
大瀧:...も、やりつついろんなことを一気に。で、ラジオを、DJ自分で編集して、ていうのも一気にやってたわけでしょう。
山下:完全家内制手工業ですね。
大瀧:まったくね。
山下:今から考えるとね。その...、システムとか企画とかじゃないですもんね。全部個人から出てきたものですからね。
大瀧:まったく。今の、あれですね、蒲田とか、あの辺の、鋳物産業のような。それでも世界のどっかが技術を買いにくるとか...。
山下:買ってくれるんでしょう?
大瀧:そういうような。
山下:結構、やっぱり、それも実は昔からあるんですよね。
大瀧:ああいうようなことはね。ローカリズムの極限の、ある種のグローバリズム、っていうもの。だから世の中どうなるかわからなくて...。
山下:わからないですけどね。
大瀧:長い間いろいろ話をして、僕の理想とする会社経営っていうようなことを言うと、「おっさんの発想は町工場だ」って、もう何度言われたかね。
山下:でも、もとは町工場ですからね。
大瀧:というふうに僕は思うんだけどね。
山下:町工場の何が悪いのかって...。
大瀧:っていうことで、であるはずだっていうふうに、ずっと思ってやってきましたけどね。

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by hinaseno | 2014-02-20 09:04 | ナイアガラ | Comments(0)

今日は久しぶりに本の話を。”あの日”以来、はじめて読み終えることのできた小説です。

その前に、昨夜の佐野元春さんの「元春レイディオ・ショー」のことを少し。
4週にわたって放送してきた大瀧さんの追悼特集の最後に、佐野さんはこう語られました。
「大瀧さんが亡くなられてから僕は二度泣きました。一度目はアシスタントの方から大瀧さんが亡くなられたという連絡を受けたとき、そして二度目は『カナリア諸島にて』を大瀧さんの歌にあわせていっしょに口ずさんでいたときでした」

で、特集の最後の最後にかけたのが「カナリア諸島にて」。
「カナリア諸島にて」がこんなにも哀しく聴こえたのは初めて。そして僕も小さな声で口ずさんでいたら、何度目かの...。
まだ全然気持ちを立て直すことができていないことがよくわかりました。

そんな気持ちの状態の中、読むことができ、読み終えることのできた小説が桜木紫乃さんの『氷平線』でした。そう、川本三郎さんの『そして、人生はつづく』に収められた「風景が、町が語る。」というエッセイの中で、大瀧さんの話の次に触れられていた人。
僕にとっては桜木紫乃さんは大瀧さんの隣にいます。大瀧さんは東北(岩手)の人、桜木紫乃さんは北海道(釧路)の人で、いずれも北国の人でもありますし。

この川本さんの本を読んだときには桜木紫乃さんのことは全く知りませんでした。昨年、彼女が直木賞をとったときにどこかで見たことのある名前と思って調べたら、川本さんの本の大瀧さんの隣にいた人だったんですね。こういう縁を僕は大切に思っています。

で、この日のブログでも書きましたが、何か読んでみなくては、と思って最初に探したのが『氷平線』。でも、今この日のブログの最後を見たら『起終着駅 ターミナル』をまず最初に読んでみたいと書いてありますね。

ところが書店に行くと(たぶん最初に探したのが神戸の海文堂書店)、なかなか彼女の本が見当たらないんですね。もともと書店におかれている数がそんなに多くなくて、で、賞をとってまとめ買いした人が多かったせいかもしれません(しかも読んでみてわかったのですが、彼女の本は一冊読むと、次から次へと読みたくなってしまう力があります)。
で、ようやく『氷平線』を書店で見つけたのは昨年の10月のはじめ。
最初に収められた「雪虫」を読んで圧倒されてしまいました。ただ、それを読んで、彼女の作品は冬に合っていると思い、その時期まだ真夏のような日々が続いていたので、「夏の稜線」と「海に帰る」という夏のイメージのある作品だけを読んで、ぐっと読みたい気持ちをがまんして、あとは冬にとっておくことにしました(後でわかったことですがこのブログでも紹介した夏葉社の『冬の本』でも『氷平線』を取り上げられている方がいました)。
でも、あの出来事があり、すっかり彼女の本のことも忘れた時期が続き、彼女の本もいつしか他の本の中に埋もれてしまっていました。

その本を思い出させたのはつい先日のこと。そのきっかけというのも僕にとっては縁とつながりを感じさせるものでした。数ヶ月前から、ある日本の女性シンガーのことが気になり始めて、その方のことをときどきチェックしていたら彼女が最近桜木紫乃さんにはまっていると書かれていたんですね。で、もうひとつびっくりしたのはその女性シンガーも夏葉社の『冬の本』に寄稿されていました。浜田真理子さんという女性シンガーなのですが。ちなみに彼女が『冬の本』で取り上げられているのはレーモン・クノーの『文体練習』(!)。島田さんは浜田さんとどういう形でつながったんでしょうか。

で、その日から『氷平線』の残りの作品を読み始めて、昨夜最後の表題作の「氷平線」を読み終えました。
この表題作はとりわけすごかった。
「すごかった」という表現しかできないのが情けないのですが、心の深い部分をものすごく強い力でつかまれてしまうような印象。ローラ・ニーロの曲を初めて聴いたときに近い。

彼女の小説世界は、今、ソチのオリンピックでわきたっている世界とも、あるいは何年後かに開催が決まった東京オリンピックとも、あまりにも遠い世界(過去には札幌で冬季オリンピックが開催された地ではありますが)。でも、僕にとっては彼女の描く世界の方がリアル。どの作品もすべて自然環境も、経済状態も過酷な北海道を舞台にしています。川本さんは「それでもなお、この場所、この土地に生きようとする市井の人々の必至さ、悲しみが迫ってきてどれも素晴らしい。この作家が北海道を愛しているのがよく分かる」と書かれていますが、まさにその通りの印象でした。
次に読む彼女の小説も、もうずっと前に買っています。

最後に浜田真理子さんの映像の中で、僕が特に気に入ったものを貼っておきます。
この曲の日本語の歌詞がこんなものだったと初めて知りました。ニューオーリンズが舞台の歌だったとは。
そういえばここ最近、大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のニューオーリンズ特集を聴き返しているところです。
その中で大瀧さん、ファッツ・ドミノのコンサートに行って感激したことを語られているんですが、そのときに大瀧さんといっしょに行かれたのが長門さんだったということを昨日知りました。


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by hinaseno | 2014-02-19 09:33 | 文学 | Comments(0)

"動く"ロビン・ワード!


10日ほど前のブログで、夢のような方から連絡をいただいた、ということを書きましたが、それについて。

連絡していただいたのは長門芳郎さん。僕にとってはレジェンドです。
このブログでも長門さんのことは何度も書いていますね。達郎さんのいたシュガー・ベイブ、あるいは小西さんのいたピチカート・ファイヴの結成に尽力された方、あるいは僕にとってはキャロル・キングとならんで大好きになったローラ・ニーロという女性シンガーソングライターの存在を教えてくれた方(CDの棚の一番上に2人は実際に並んでいます)、それから行ったことはありませんが一度だけ通販で利用したことのあるパイド・パイパー・ハウスという伝説のショップを経営されていた方…。

長門さんのこと、長門さんから受けた恩恵のことを語れば切りがないのですが、何よりも1973年の8月18日という日のことですね。大瀧さんと達郎さんが初めて出会う、ナイアガラ的にはこれ以上ないエポック・メイキングな日。
その日に至る話はこの日のブログでも書いていますが、達郎さんが大瀧さんの家を初めて訪問したその日に同行されたのが、当時シュガー・ベイブのマネージャーをされていた長門芳郎さん。
大瀧さんに初めて会うといっても、さすが(?)は達郎さん。「なめられちゃいけない」ということで、エリー・グリニッチのかなりレアなシングルを、挨拶代わりに持っていくんですね。最初からいろんな怪気炎をあげていたようです。大瀧さんも「エライのがきたな」と最初はびっくり。でも次第に二人は意気投合していくことになるんですね。その様子をその場で見られていたのが長門さんです。

さて、長門さんから連絡いただいたのは、ひと月近く前に紹介した「動くロビン・ワード」のこと。この映像ですね。



この中に、ロビン・ワードがいることはわかったのですが、でも、どの女性かわからなくて「実際にジャッキー・ワードにお会いされた長門芳郎さんに聴いてみないとだめなのかもしれません」と書いていたメッセージが長門さんに届いたようでした。ネットってすごいですね。

で、ロビン・ワード(本当はジャッキー・ワード)はどれかというと、やはり一番左で歌っている女性とのこと。この方です。これってやっぱり大発見、ですよね。
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ところで長門さんがロビン・ワードのことを知ったのは「ゴー!ゴー!ナイアガラ」ではなく、もっと前の60年代初頭のこと(リアル・タイムですね)。FENから流れてきた「Wonderful Summer」を聴いて一発で彼女のファンになられたとのことです。で、LPを再発されるときに、大瀧さんにオリジナル盤を借りて、そのジャケットを複写されたそうです。「Special Thanks to」にジャッキー・ワードと並んで大瀧さんの名前があるのはそのためだったようです。
ああ、昔、ロビン・ワードのLPはレコード・ショップでよく見かけていたのに、買っておけばよかった。でも、僕の持っている彼女のCDのジャケットもそれを複写されたものなのかな。
大瀧さんの持っていた原盤を複写したものをジャケットに使って日本で再発したものって他にもきっといくつかあるんでしょうね。

いずれにしてもロビン・ワードは前よりもさらに大切な存在になりました。
長門さん、ご連絡本当にありがとうございました。
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by hinaseno | 2014-02-18 09:44 | ナイアガラ | Comments(1)

やや気持ちが落ち着かない日々が続いていて、大事な大事な「新春放談」を録音していたMDを、またひとつ、うっかり消してしまいました(号泣)。こんなふうにぽろぽろと欠けていっています。
でも、まあたいていの会話は記憶されているのですが。
最後に残るべきは記憶ですね。

昨日、『ケトル』という雑誌を買いました。ほぼ半分、大瀧さんを特集しています。
特集のタイトルは「大瀧詠一が大好き!」。音楽専門誌ではないのですが、大瀧さんに対する愛にあふれていると思いました。
特集の巻頭インタビューは平川克美さん。いかにして自称”大瀧詠一の最後の弟子”となるに至ったかが、いくつかの興味深いエピソード(大瀧さんから来たメールの話など)とともに語られています。
平川さんが大瀧さんに対して「このおっさん、いったいだれなんだろう」状態から、大瀧さんの「希有な知性」に触れて、徐々に(ではなく”一気に”でしょうか)変化する姿を遠くから拝見(拝聴)していたので、まだまだ平川さんにはいろいろと語っていただけたらと思っています。
平川さんが語られているいくつかの印象的な言葉を書き抜いておきます。
「人は普通、努力をして知識を得ると、認められたい、偉くなりたいという欲が出てきますが、大瀧さんには肥大化した自我が感じられないのです。ありがちな教養主義的なものではない。そんなけちな根性から楽々と自由になって、”知”と遊んでいたんですね」

「多くの人は自分の意見を肯定するために、物事の一部分だけを見て判断するけれども、大瀧さんは全体を探ることによって文脈を理解しようとしていました」

インタビュー記事の下に載っている平川さんのプロフィールには、今年出版予定の小津安二郎研究の本のことに少し触れられていて、それについてこんな言葉が。
大瀧手法で研究したもので「大瀧さんに読んでほしい一心で書いた」


『ケトル』で興味深かったのは、「大瀧詠一の金言集」。僕の持っていない雑誌のインタビューからの言葉など、いくつか知らない言葉もありました。どれも大瀧さんらしい言葉。
「当たり前の正解なら、面白い失敗の方がいい」

なんて言葉、いいですね。
でも、実は言葉だけでは抜け落ちてしまうものがあるということも事実。やはり、大瀧さんの魅力は、その語り口だから。

達郎さんとの「新春放談」からの言葉もありました。
「火事が起こったらね…だいたいあの…丸焼けの…が1体(笑)。命をかけてレコーディングするってのは、こういうことなの」

この言葉も僕の中では、その語り口とともに、その前後のやりとりを含めて、すべて再生することができます。
このあと達郎さんは「言やあ言えるよね」と言って、大瀧さんは「何言ってるんだろうね、オレ」と会話が続きます。
大瀧さんの言葉には冗談と本気が混在しています。

それはさておき、また同じ失敗を繰り返さないためにも、今ある音源をちゃんとパソコンの中に取り込んでおかなくては。
「最後に残るべきは記憶」なんて格好のいいことを言ったけど。
大瀧さんとは比べものにならない"小さい"人間です。
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by hinaseno | 2014-02-17 09:12 | ナイアガラ | Comments(0)

ふと気がつくと、172回放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のうちで聴いたものが100回を超えていました。おそらくは120回分は聴いたでしょうか。新しいものを聴くのもいいですが、以前聴いたものを聴き返すのも楽しい。

で、昨日、これまでいろいろ聴いてきた中で、最も印象に残っている曲は何だろうと考えました。いろいろ思い浮かぶ中、やはりこの曲かなという1曲を紹介しておきます。

それはジーン・ピットニーの「The Ship True Love Goodbye」。
「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を聴いて初めて知った曲。

曲がかかったのは1977年10月3日に放送された第2回目のジーン・ピットニー特集。第1回目の特集と第2回目の前半にかかった曲はすべて知っている曲でしたが、後半に知らない曲が何曲かかかります。あまりヒットはしなかったけれど、大瀧さんが個人的に好きな曲、ということですね。

大瀧さんは、こんな言葉でこの曲を紹介します。
さて、この中期の充実ぶりをうかがわせる、全然ヒットしてないんですけども、非常に名曲でございます。

この言葉の後、曲が流れはじめます。
それがまさにキャロル・キングの影響を受けた、あのリバティ・サウンドの曲。いきなりあの黄金律(クリシェ)が聴こえてきて、わおっ、と思ったその瞬間。
急に音量が下がって、こんな声がかぶさってきました。
ここでハイジャック関係のニュースをお伝えします。先程、外務省に入った連絡によりますと、アルジェ空港の日航乗っ取り機に対し、11時42分、タラップ車と2台の車が近づきました。2台の車には食料が積み込まれている模様です。大使館員によりますと、空港周辺は平常通りということです。なお、総指揮はアルジェリアのシェベリ(?)国家警察局長が当たっているということです。ハイジャック関係のニュースをお伝えしました。

1977年9月28日に起きた、ダッカ日航機ハイジャック事件に関する臨時ニュース。
この間、約30秒、バックにはジーン・ピットニーの歌声が小さな音で流れ続けたまま。
曲が終わって大瀧さんはこの一言。
「The Ship True Love Goodbye」でした。非常にいい曲ですね。

どうやら途中に臨時ニュースが入ったことを知らないようです。この日は録音だったんでしょうか。

それはさておき、これは僕の好みのど真ん中の曲だったので、すぐにいろいろと調べました。何種類か持っているジーン・ピットニーのベストCDにはどれも入っていないので、この曲が収められたCDを購入。ついでに『KAWADE 夢ムック 増補新版 大瀧詠一』に収められていた「大瀧詠一コレクション 私の100枚」の25番目に紹介されていた『Gene Pitney’s Big Sixteen』というタイトルのLPも手に入れました(このLPは最高!。ちなみにこのアルバムについての大瀧さんのコメントは「恋に破れて才能枯れる」)。

「The Ship True Love Goodbye」の曲を書いたのはMark Barkan。
Hank Hunterとコニー・フランシスの「I'm Gonna Be Warm This Winter」(邦題は「想い出の冬休み」)を作った人ですが、Ben Raleighとのコンビで、レスリー・ゴーアなんかに数多くの素敵な曲をかいています。
ちなみにこの日のジーン・ピットニー特集で「The Ship True Love Goodbye」の前にかかった「Not Responsible」はMark BarkanとBen Raleighの共作。で、「The Ship True Love Goodbye」はMark BarkanとNeval Naderとの共作。そしてその次にかかった「Cry Your Eyes Out」はBen RaleighとJohn Gluck Jr.との共作。
大瀧さん、何の説明もされていませんが、Mark Barkan、Ben Raleighコンビの作品を並べているんですね。このコンビの作った曲も大好きなので、また機会があれば彼らの曲について書いてみたいと思っています。
ところでこの3曲は、『Gene Pitney’s Big Sixteen』にすべて収録。しかも「The Ship True Love Goodbye」が収められているのはA面の1曲目! そうこなくっちゃ、ですね。
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「The Ship True Love Goodbye」のアレンジャーはジェリー・ラガヴォイ。このブログでは久々の登場ですね。この人、ピーター・デ・アンジェリス・サウンドからリバティ・サウンドまで、いろんなサウンドを取り入れるのが見事です。本当に才能のある人。

というわけで、「The Ship True Love Goodbye」を。本当にいい曲です。タイトルもかなり意味深。
最初に聴かれるホーンの音色が船の出港を告げるよう。港にはどこか別れの気配があります。でも、そのあとに聴かれる、あの黄金律を取り入れたリバティ・サウンドには始まりの予感があります。
始まりが終わり、終わりが始まり。
ナイアガラ双六的な曲といってもいいのかもしれません。

ただ、この曲を聴くといつも、突然、臨時ニュースが入ってきそうで、ちょっとどきどきしてしまいます。あの黄金律が流れてきたまさにその瞬間の臨時ニュースだったので、皮肉といえば皮肉なのですが、生きるということは、臨時ニュースをいろんな形で聴くことでもあるという教訓を暗示しているのかもしれません。
ちなみに、このジーン・ピットニー特集のあとのいくつかの特集を聴く限り、大瀧さんは、この臨時ニュースが入って曲がきちんとかからなかったことに一度も触れていません。もちろん曲を改めてかけ直すことも。

大瀧さんらしい気がします。


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by hinaseno | 2014-02-15 08:33 | ナイアガラ | Comments(0)