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a0285828_9343263.jpg昨日知ったことなのですが、今、ブロードウェイでまさにキャロル・キングの初期のスタッフライター時代をテーマにしたミュージカルが行なわれているんですね。死ぬほど見てみたい。
一昨日聴いた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の第58回の中で、大瀧さんは「古い昔の曲をかけていっしょになつかしがりましょうというつもりは全くない」と話されていました。僕もここに「カナリア諸島にて」とキャロル・キングのことを書きながら、新しい発見をいくつもしています。こんなにキャロル・キングのことを好きになったのははじめてというくらい、彼女の、特にスタッフライター時代の曲にはまってしまっています。たぶん、今、行なわれているミュージカルを見て、もちろん昔をなつかしがる人が何人もいると思いますが、そこから新しい何かを発見する若い世代もたくさんいるんじゃないかと思っています。

そういえば昨日、ずっと前に買って一回見たきりで、もう10年以上も見ていない、キャロル・キングのいたアルドン・ミュージックのあったブリルビルディングに関わっていた人たちのドキュメンタリーである『The Songmakes collection』というDVDを見ました。字幕もないので、何を言っているのかほとんどわからないのですが、でも映像を見るだけでもわくわくします。貴重な映像満載。
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例えば、これはバリー・マン、シンシア・ワイル、キャロル・キング、ジェリー・ゴフィン(Gerryを大瀧さんはゲリーと発音していましたが、ジェリーが正しい発音のようです)が一堂に会して昔の思い出話をしている場面。 キャロル・キングとジェリー・ゴフィンは離婚して何年も経っているのですが、普通に話しています。
このDVDで最も興奮するのは、なんといってもキャロル・キングが、アルドン・ミュージックの小さな部屋でピアノを弾きながらジェリー・ゴフィンと曲作りをしている映像。まだ詞のついていない曲をかなり大きな声で歌っています。作詞家であるジェリー・ゴフィンもいくつかアドバイスをしたり。
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でも、こんな大きな声で、たぶん壁の薄かった部屋で曲作りをしていたら、となりの部屋で曲作りをしている人に、相当影響を与えたでしょうね。そんな話しもしてます。

さて、日本で、キャロル・キングのスタッフライター時代の初期作品のことを語っているのは、結局、大瀧さんしかいなかったのかもしれません。
僕がはじめてキャロル・キングの音楽についての大瀧さんの言葉を読んだのは『レコードコレクターズ』という雑誌の1995年1月号。
ここではじめてキャロル・キングの特集が組まれたんですね。その中に大瀧さんは「日本のポップスの歴史と私のキャロル・キング」と題した相当長い文章を寄稿されていました。これは必読です(3年前に出たレコード・コレクターズ増刊『大滝詠一 Talks About Niagara』にも再録されています)。

実は正直にいうと、最初読んだときにはちんぷんかんぷん。その前に大瀧さんの分母分子論を読んでいたとはいえ、それを理解していたわけではありませんでしたから。でも、キャロル・キングの初期作品集のことを語るにはどうしても教条的にならざるを得ないようです。大瀧さんの捉え方の中では、キャロル・キングの音楽は、学校で教える「唱歌」と同じ位置づけのものでしたから、教条的な話になってしまう。有名な曲だけを並べて「いっしょになつかしがりましょう」とはしない。その目的ははっきりしています。
それをしないと、”自分の”音楽を”正しく”理解してもらえないから。
タイトルが「日本のポップスの歴史とキャロル・キング」ではなく「私の」が入っているところが最大のポイントですね。本当はここに書かれたことを全部引用したいのですが、さすがに大変なので、その長い前置きの後、最後のページに書かれていることを引用しておきます。
シンガー・ソングライターとして復活してからのキャロル・キング論は書かれるようになりましたが、60’sポップスの作家としての〈論〉の対象になるには、そのような時代背景からさらに時間がかかりました。75年6月にスタートした私のDJ番組「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の記念すべき第1回目は『キャロル・キング特集』でスタート、続いて他のポップスのライター達、ジェフ・バリー、エリー・グリーニッジ、バリー・マン、ニール・セダカ等も次々と特集しました。そして、もし成功しなかったら私の〈引退アルバム〉となっていたであろう『ロング・バケーション』(81年)は、彼らに育てられた証しを〈最後に〉作ろうと企画されたアルバムでした。中で一番最初に作った「カナリア諸島にて」で使用した、ジャズのスタンダードでよく耳にするところの、ポップスの黄金のコード進行に私がはじめて出会ったのはキャロル・キングの「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」(63年、歌=スティーヴ・ローレンス)でした、このコード進行から生まれた(使われている)スタンダード曲は世界中に星の数ほどありますが、日本でヒットした曲といえば、橋幸夫の「雨の中の二人」(66年)ぐらいしかありませんでした。「カナリア...」発表当時、それへの類似を書かれたこともありましたが、ポップス黄金律の中でも頻度の高いものを〈橋幸夫〉でしか体験したことのない非常に貧しいポップス体験の人でも〈ポップス〉を語れる状況になったのだな、と思ったものでした(蛇足ですが「カナリア...」には「ゴー・アウェイ...」からの〈直接〉の影響はありません)。
このコード進行はキャロル・キングお得意の路線で下が、「ゴー・アウェイ...」以前に彼女の名義で発表した”It Might As Well Rain Until September”で既に使っていたものです。このパターンは60年代初期のヒット・ソングでは石を投げると必ずぶつかるくらいのかなりの頻度で使われたものですが、現在では日本ポップスの黄金律の一つとなったようです。元々はジャズは〈発見した〉黄金律ですから、それを〈使うか、使わないか〉の問題ではなく、どう使うかが最大のポイントで、その料理の仕方、見事な使い方をしたものにのみ〈ポップス〉という名称が与えられる、というのが私の解釈です。

ここに書かれている「ポップスの黄金律」を(おそらくは意図的にわかりやすく)使って作ったのがまさに「カナリア諸島にて」と「Velvet Motel」と「君は天然色」、さらに付け加えるならば、大瀧さんがA面全曲を作曲・プロデュースした松田聖子の『風立ちぬ』の"1曲目"の「冬の妖精」でした。
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by hinaseno | 2014-01-31 09:39 | ナイアガラ | Comments(0)

昨日初めて聴いた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」で、ロジャー・ミラーの「Do-Wacka-Do」という曲がかかって、ああ、いいなと思ってしまいました。どうも最近は、こんな軽いカントリー・タッチの曲が自分のツボになっているようです。で、ちょっとロジャー・ミラーのことを調べたら、以前、この人の歌った曲をブログに貼ってました。例のボビー・ラッセルの曲をいくつか歌っているんですね。
大瀧さんの話によるとロジャー・ミラーという人は才人で、いろんな曲も作れるということで、いくつかロジャー・ミラーの作った曲を紹介されていました。「Do-Wacka-Do」もロジャー・ミラー自身の作った曲。

そういえば、と思ってちょっと前に、YouTubeにアップされていた大瀧さんが細野さんの番組に出たときのものを聴いていたら、やはり。
大瀧さん、例の「幸せな結末」を作るとき、そのリハビリをかねていろんな曲を歌っているのですが、どうやらそのとき、エルヴィスの「陽気に行こうぜ(リップ・イット・アップ)」とかファッツ・ドミノの「私の天竺(マイ・ブルー・ヘヴン)」とかといっしょにロジャー・ミラーの曲も歌ったみたいですね。歌ったのは「Do-Wacka-Do」でしょうか。
「陽気に行こうぜ」と「私の天竺」は「新春放談」で聴くことができましたが(ちゃんと録音してるんですね)、大瀧さんの歌うロジャー・ミラーの曲も聴いてみたかった。
大瀧さんは「新春放談」でかけたけど評判悪かったから、なんて言ってましたけど、僕はその2曲、大好きでした(ちなみに大瀧さんの歌う「私の天竺」は、その曲がかかった場所であるアゲインとともに、平川克美さんの『俺に似たひと』に出てきます)。

話がいつものようにそれてしまいましたが、一応つながりはあります。
昨日のブログの最後に貼ったキャロル・キング特集の曲目リスト、実は1曲だけキャロル・キングの作った曲でないものが含まれていたんですね。実際にはその曲の最初の方だけかかっただけなのですが、まさにその曲が今回、長々と書いている話のキモになるだろうと思います。その曲を作った人がまさにボビー・ラッセル。
僕が「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を初めて聴いてときに、最初に耳を留めたのはそこでした。

さて、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のキャロル・キング特集の第2回目に、いよいよスティーヴ・ローレンスの「Go Away Little Girl」がかかります。大瀧さんが書かれたものや話されたもので、「Go Away Little Girl」が大瀧さんにとって大切な曲であるということは知っていましたから、はたして「ゴー!ゴー!ナイアガラ」で、その曲をかけたときに大瀧さんがどんなふうに語られるのか? それが僕にとっての最大の興味でした。 
で、実際に語られた言葉はちょっと驚くようなもの。その後、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のいろんな特集を聴きましたが、そのときに語られた大瀧さんの言葉は、その語り口も含めて特別。

というわけで、スティーヴ・ローレンスの「Go Away Little Girl」を貼っておきます。一応、歌詞(訳詞)付きのものを。



曲が終わった後、大瀧さんはこう話し始めます。
僕はキャロル・キングの作品の中で、これが、なぜか一番好きなんですよ。この曲を初めて聴いたのは、イーディ・ゴーメが「恋はボサノバ」を出しまして、その裏面に、なぜか裏面になっていたんですが、「Go Away Little Girl」がカップリングされてまして。イーディ・ゴーメといいますと、たぶんみなさんご存知だと思いますが、スティーヴ・ローレンスの奥さんで、スティーヴ&イーディというコンビでも2曲ぐらいヒットがあります。この後からもかかりますけど、キャロル・キングの作品がほぼですけど。
この曲がなぜ好きかというと...、まあ...、何ていいますか、僕が一番好きなところは、”Please go away little girl before I beg you to stay”ていう、「僕がここにいてくれと頼む前に、どうか行ってくれ」っていう。「ここにいてくれ」って表現、ほんとは「いてくれ」って言いたいんだろうけれども、こういうふうに言ってしまう...。また、メロディと詞が、実にマッチングしてましてね。え〜....、これほんとに好きなんですよ。
ディオンが「Donna The Prima Donna」の裏面で「Go Away Little Girl」をカバーリングしてましたし、最近ではドニー・オズモンドがやっていましたけれど、ドニー・オズモンドじゃ、ちょっと”Go away little girl before I beg you to stay”って感じが全然出ないんですが...、出ませんでしたね。それは年齢的な部分でしょうがないと思いますけど、僕もなんか、こういう感じの、大人の歌みたいなのを歌いたいなと思っています。

好きなことがありすぎて、どこから語っていいのか、という感じなのですが、「詞」について語られていたとは。
そして、いうまでもなく、ずっと「こういう感じの、大人の歌みたいなのを歌いたいなと思って」いて、ようやく年齢的にも歌えると思って作ったのが、「カナリア諸島にて」だったんですね。
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by hinaseno | 2014-01-30 10:01 | ナイアガラ | Comments(0)

大瀧さんにとってキャロル・キングがいかに大切な存在であるかというのは、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の第1回目の放送が、キャロル・キング特集であったことからもわかります。
あるいはソロとしての第一弾のシングル「恋の汽車ポッポ」のイントロのドラムの連打も、キャロル・キングが作ったリトル・エヴァの「ロコモーション」からとっています。
消えちゃうかもしれませんが「恋の汽車ポッポ」を。



それからリトル・エヴァの「ロコモーション」。



大瀧さんが何か"重要なこと"を始めるときに、必ず最初に取り入れたのがキャロル・キングでした。
『A LONG VACATION』も、『レッツ・オンド・アゲン』でコロンビアとの契約が終了して、再スタートをきったときのもの。大瀧さんとしては、それが”最後”のつもりであったとしばしが語られていましたが。

それにしても、自分自身の新しい番組をもって、その第1回目が(2週続きます)キャロル・キングの特集であるということ、しかもシンガー・ソングライターとして彼女が再ブレークして以降のものは一切かけないで、職業作家として他人に提供した曲ばかりをかけるというのは、ちょっと普通では考えられません。
ごく単純に考えれば、例えばまず最初は大瀧さんのアイドルであり、当時日本にもファンがたくさんいたはずのエルヴィスの特集から初めてもよかったような気がします(エルヴィスの最初の特集は第13回目)。あるいは普通であれば、自分自身の自己紹介をして、私ははっぴいえんどというグループにいましたとか、 それまで自分が作ってきた曲の紹介であるとかしてもいいのに、そういうのも一切なし(番組を開始して最初に迎えた誕生日に近い第7回目の放送のときに、はじめて自作の紹介をしています)。

第一回目の放送はこんな言葉から始まります。
今週から始まりました「ゴー!ゴー!ナイアガラ」。わたくし、大瀧詠一の趣味の音楽だけをかける60分間です。第1回目は、アルドン、スクリーン・ジェムス系統のスタッフ・ライターの特集です。今週と来週はキャロル・キング作品集と題しまして、1960年から65年までのヒット・メイカー、ゲリー・ゴフィン=キャロル・キングの作品特集です。

「趣味の音楽」ではなく「趣味の音楽だけ」。「だけ」の部分を少し強調しています。「アルドン、スクリーン・ジェムス」なんて言葉を何の説明もなくさらっと言ってますが、この言葉を、その意味することも含めて聴き取れた人なんていたんでしょうか。
僕も大瀧さんに関心を持つようになって、大瀧さんに関する本で「アルドン、スクリーン・ジェムス」という言葉を見たときには、なんのこっちゃでした。
それだけでなく、その流れで書かれていたキャロル・キングすら、当時(83〜84年頃)全く知りませんでした。ビートルズの「Chains」がキャロル・キングの作った曲だと知ってびっくりしたり。でも、オリジナルのクッキーズが歌うものを聴いたのは何年も後。
今だったら、あふれるほどキャロル・キングの初期作品集は出ていますが、当時は全くありませんでした。初めて手にしたのはConnnoisseurという何と読むのかわからないレーベルから1989年に出た『GOFFIN & KING Songbook』。それから1991年に『The Dimension Dolls』が出ます。これが出たときには狂喜乱舞でした。さらに、日本のAサイドというレーベルから『Carole King Masterpiece Vol.1』が1993年に出て、初めてスティーヴ・ローレンスの「Go Away Little Girl」を聴くことができました。で、1994年にSequelというレーベルから『The Colpix-Dimension Story』が出て、その頃になってようやくキャロル・キングの初期の作品がきちんとした形でいろいろと聴けるようになったんですね。今では常識とされているような曲を僕が聴けたのは、ほんの20年くらい前のことでした。

話がそれてしまいました。
僕が「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のキャロル・キング特集を聴いたのは2年前。全部で40曲かかっているのですが、その中で知らなかったのは(つまり音源を持っていなかったのは)たった1曲だけ。なので、つい忘れてはいけないことを忘れてしまうんです。その放送は、1975年という年になされたものだということを。そしてかかった曲はすべて大瀧さん自身が集めたレコードだということを。
で、大瀧さんは「趣味の音楽だけ」と言いつつも、好きな曲だけをかけまくるわけではなく、”流れ”と”つながり”を考えて、特集、曲選びをしています。その最初に選んだのがキャロル・キング初期作品集だったと。

一応、キャロル・キング特集でかけられた曲を並べておきます。
キャロル・キング特集(1) 1975.06.10
1. Will You Love Me Tomorrow / The Shirelles
2. What A Sweet Thing That Was / The Shirelles
3. Some Kind of Wonderful / The Drifters
4. When My Little Girl is Smiling / The Drifters
5. Up On the Roof / The Drifters
6. Halfway To Paradise / Tony Orlando
7. How Many Tears(涙の思い出)/ Bobby Vee
8. Take Good Care Of My Baby(さよならベイビー)/ Bobby Vee
9. Waking’ With My Angel(かわいい天使)/ Bobby Vee
10. Sharing You(浮気なあの娘)/ Bobby Vee
11. Every Breath I Take / Gene Pitney
12. Crying in The Rain / The Everly Brothers
13. Crying in The Rain / Carole King
14. Her Royal Majesty / James Darren
15. I’ve Got Bonnie / Bobby Rydell
16. Keep Your Love Locked (Deep in Your Heart) / Paul Petersen
17. The Locomotion / Little Eva
18. Keep Your Hands Off My Baby(彼は私のものよ) / Little Eva
19. Old Smokey Locomotion / Little Eva
20. He Hit Me (It Felt Like A Kiss) / The Crystals
21. It Might As Well Rain Until September(泣きたい気持ち)/ Carole King

キャロル・キング特集(2) 1975.06.24
1. Point Of No Return / Gene McDaniels
2. Sure Gonna Miss Her / Gary lewis & The Playboy
3. Chains / The Cookies
4. Don't Say Nothin' Bad (About My Baby) / The Cookies
5. Will Power / The Cookies
6. Go Away Little Girl / Steve Lawrence
7. Poor Little Rich Girl / Steve Lawrence
8. I Want to Stay Here / Steve Lawrence & Eydie Gormé
9. Walking Proud / Steve Lawrence
10. One Fine Day / The Chiffons
11. This Little Girl / Dion
12. Hey Girl / Freddie Scott
13. I Can't Stay Mad At You / Skeeter Davis
14. The Old Crowd / Lesley Gore
15. I'm Into Something Good(朝からゴキゲン)/ Earl Jean
16. He’s In Town / The Tokens
17. Oh No, Not My Baby / Maxine Brown
18. Just Once In My Life / The Righteous Brothers
19. Is This What I Get For Loving You? / The Ronettes

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by hinaseno | 2014-01-29 10:34 | ナイアガラ | Comments(0)

こちらでは聴くことのできない細野さんのラジオ番組「Daisy Holiday」で、先日、2回にわたって放送された大瀧さんの追悼特集を録音したものをアゲインの石川さんに送っていただき、何度も何度も聴いています。
細野さんが抱いている気持ちはこの一言に集約されるのではないでしょうか。
「残念にも程がある」

昨年暮れに、細野さんは人を介して、大瀧さんに、僕が協力するからアルバムを作ろうよってメッセージを伝えていたようです。細野さんご自身がされたように、大瀧さんと青葉市子さんとデュエットをさせてみよう、なんてことを考えられていたのかなと思ってみたり。
番組の中で細野さんは、大瀧さんの言葉は心に残るものが多いとして、ファンにとっては有名ないくつかの言葉が語られたときのエピソードを紹介されていました。
まずは、初めて大瀧さんが細野さんの部屋にやってきたときの、大瀧さんの発した一言目の言葉。
「おっ、『Get Together』!」

細野さんがヤングブラッズの「Get Together」のレコードを立てかけておいて、それに大瀧さんが気づくかどうか試したんですね。それに気がついたことで、細野さんとしては合格だったんでしょうね。細野さんも言われてましたが、まさに「七人の侍」みたいな話。

この出来事のあった20年くらい後に、初めて細野さんの家を訪れたピチカート・ファイヴの小西さんが、最初に口にしたのがこの言葉。
「おっ、ロジャー・ニコルズ!」

細野さん、同じようなことをされ続けてるんですね。日本のロック界の志村喬みたいな人(ただし、青葉市子さんは目立つように何かをおいていても気づいてはくれなさそうですが)。

それからもうひとつ印象的な言葉は、細野さんが松本隆さんらと始めようとしていた新しいグループのことを考えはじめたときに、しばらくは音信のなかった大瀧さんからたまたま電話がかかってきて、あいさつもなしに大瀧さんが言った次の言葉。
「バッファローがわかった!」

この「バッファロー(バッファロー・スプリングフィールド)がわかった」という言葉の意味をここに書くと長くなるのでやめておきますが、この言葉を聞いた細野さんは、大瀧さんを新しく作るグループのメンバーにすることを即決します。言うまでもなく、それが後のはっぴいえんど。
バッファロー・スプリングフィールドという、4人もメンバーがいて、それぞれにいろいろな曲を作っているのに、それを「わかった」と強く宣言することのできた大瀧さんのすごさ。

それと同様に、おそらくある日、大瀧さんには自分自身に対して強く、こう宣言できる日がやってきたんでしょうね。
「キャロル・キングがわかった!」

中学校のときにアメリカン・ポップスに興味を持つようになって、中でも特にキャロル・キングの作る曲に惹かれるようになり、とりわけスティーヴ・ローレンスの「Go Away Little Girl」を好きになって、ずっとその理由を考え続けて、ある日、それがはっきりとわかったんでしょうね。
で、それを初めて自分自身の歌う曲として形にしたのが「カナリア諸島にて」だったと。
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by hinaseno | 2014-01-28 08:56 | ナイアガラ | Comments(1)

『A LONG VACATION』の中で最初にできたのが「カナリア諸島にて」。おそらくは1979年初頭。『A LONG VACATION』が発売される2年前のこと。
「カナリア諸島にて」ができたとき(もちろん、曲ができたときにはまだそんなタイトルもついていない)、大瀧さんは何か確かなものを、強く感じとったんでしょうね。すぐに音楽出版社の朝妻一郎さんのところに、こんな曲ができたって話しに行ったそうです。おそらくはこの路線で曲を作って(幸いなことに、というべきかコミック路線はその前年に作った『レッツ・オンド・アゲン』で出し切ったために、大瀧さんの中では完全に枯渇していたようです)アルバムを作りたいということを伝えたんでしょうね。1979年といえば村上春樹が『風の歌を聴け』でデビューした年でもあります。後の僕の人生に大きな影響を与えるものが生まれ始めた年といえるのかもしれません。

ところで、これも知っている人は知っていることなのですが、『A LONG VACATION』に収められた曲のほとんどは、1979年から1980年の始めにかけて作られた他人への提供曲(多くはボツになったもの)が母体になっています。
でも、「カナリア諸島にて」は自分用に作った曲。他人に歌ってもらうためではなく、自分が歌うために作られた曲。自分が歌いたいと思って作った曲。そして、そう考えたときにいちばん最初に作った曲。これはきちんとおさえておくべきことでしょうね。松本隆さんの詞がなくても、どこか内省的なものを感じるのはそのせいでしょうか。

実は大瀧さんの楽曲を貼ろうと思っているのですが、最近はYouTubeに大瀧さんの曲がアップされても、すぐに削除される状況になっているみたいで、おそらく貼ったものもすぐに削除されるように思うので、貼るのはやめておきます。もし、これを読まれている人で、まだ『A LONG VACATION』を聴いたことがないという人がいらっしゃれば、ぜひ買って聴いてみて下さい。できれば、歌の入っていないカラオケのボーナストラックを収めた「30周年記念盤」を。

さて、「カナリア諸島にて」といえば、しばしば元ネタとして語られるのがビーチ・ボーイズの「Please Let Me Wonder」。



これについては以前にも書きましたが、1984年1月12日に放送された、達郎さんとの記念すべき第一回目の新春放談でのこの会話。
山下「こないだシングルを出して、このところシングルのB面はビーチ・ボーイズのカバーなんです」
大瀧「ほ〜っ、て、知ってるけどね」
山下「こないだのシングルのB面は『Please Let Me Wonder』なんです」
大瀧「ああ、『カナリア諸島』ね」
山下「あっ!?『カナリア諸島』! そうかぁ...。でも、それだけじゃないんだよね」
大瀧「それだけじゃない。そのひとつ。20分のⅠです。20分のⅠの神話と言われています」

この日の放送をちょっと聴き返してみようと思ったら、面白くて全部聴いてしまいました。何百回聴いたかわからないけど、でも面白い。
さっき聴いていたら、大瀧さんが「ほとんど『ごろんぼ波止場』」なんて喩えをしていたのですが、達郎さんも何のことかわかっていない。何だろうと思って調べたら、昭和30年代の終わり頃に放送されていたコメディ番組なんですね。植木等の「だまって俺について来い」が主題歌に使われていたとのこと。
ウィキペディアで出演者を見ていたら横山アウトという人が出ています。そういえば大瀧さんは「ほとんど横山アウト」という喩えもしていました。大瀧さん、関西系のお笑いにも詳しいんですね。でも、こんな喩えがわかる人いるんでしょうか。

ところで、ビーチ・ボーイズの「Please Let Me Wonder」。サウンドは間違いなくそれを参考にしたんでしょうね。でも、メロディ的にはサビの部分が似ているという程度でしょうか。

さて、話はキャロル・キング、それから「Go Away Little Girl」のことへと進もうと思っていますが、今日の最後は”「カナリア諸島にて」の20分の1の神話”かもしれないという曲を一つ。
以前も書きましたが、『A LONG VACATION』には『TEENAGE TRIANGLE』のエッセンスがいくつも取り入れられている気がしているのですが、そこに収められているポール・ピーターセンの「Keep Your Love Locked (Deep In Your Heart)」。曲をかいたのはキャロル・キング。この曲の最初の部分が「カナリア諸島にて」の最初の「薄く切った」のメロディに、ほんの少しだけ似ているような気がずっとしているのですが、どうでしょうか。


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by hinaseno | 2014-01-27 10:55 | ナイアガラ | Comments(0)

ここ最近、ずっとジョン・フォードの映画を立て続けに観ているのですが、昨夜観終えたのは『捜索者』。先日触れたナタリー・ウッドが出ています。でも、映画の中で歌を歌って(ロビン・ワードがその吹き替えをして)いるわけではありません。これはかなりきついテーマの映画。ただ、最後はいつも泣けてしまうのですが。

この『捜索者』で、主演のジョン・ウェインが何度も口にするのがこの言葉。
That'll Be The Day!

ここに、確か映画の中で、ジョン・ウェインが最初にこのセリフを言う場面の映像がありました。



この言葉、わかる人にはわかりますね。もちろんバディ・ホリーのこの曲のタイトル。



ある日、バディ・ホリーとジェリー・アリソンが『捜索者』をいっしょに見ていて、ジョン・ウェインの話すその言葉を気に入って曲のタイトルにしたんですね。あのヘビーな映画をもとにして、こんな屈託のないポップソングが生まれていたとは。

このエピソードを知ったのは大瀧さんのアメリカン・ポップス伝。そしてバディ・ホリーというミュージシャンを知ったきっかけも、もちろん大瀧さん。「A面で恋をして」がらみの話で知ったと思います。「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でも、 ちょうどバディ・ホリーの命日にあたる2月3日ごろに、3週間にわたってバディ・ホリーを特集しています。

話はころっと変わるのですが、ずっとしたいと思いつつ、あまりも大きなテーマでどこから手をつけてよいやら、ということで先延ばしにしてきた話を。

ときどき、(ちょっと怖いもの見たさで)YouTube上にアップされている大瀧さんの曲のカバー、特にギターの弾き語りを見ます。
昨日も久しぶりに、20くらいある「カナリア諸島にて」を弾き語りした音源を全部見ちゃいました。演奏のうまい人は何人もいるのですが、残念ながらひとりも”それ”をやっている人はいませんでした。結論的に言えば、そこには大瀧さんが意識して取り入れたキャロル・キングが入っていない、と。

「カナリア諸島にて」は、「君は天然色」「Velvet Motel」に続く『A LONG VACATION』3曲目の曲。この3曲の素晴らしさは筆舌に尽し難いものがあります。野球の好きな大瀧さんが並べた最高の1番、2番、3番バッター。
さあ、この3人が塁に出て、いよいよ4番バッターの登場、というところで急にコミカルな「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」になるところが、いかにも大瀧さんらしいところ。

ところで、先日も触れた2002年1月13日に放送された「新春放談」の話。達郎さんの「『ロンバケ』聴いて、1曲目、2曲目、3曲目聴いて、大瀧さんってほんとにキャロル・キングが好きなんだなって、あのとき初めて分かった」という言葉に対して大瀧さんの言葉を引用しましたが、そのあとで改めてこんなやりとりが出てきます。
山下「僕、このあいだキャロル・キング特集を自分で3週間やってみて、何がいちばん面白かったかというと、いかに大瀧さんってのはキャロル・キングにね、とくに『ロンバケ』、ナチュラルにぱっとああいうふうに出したときに、いかにキャロル・キングを大瀧さんがよく取ってるかって、すごく取ってるかって思うけど、そうやって思うぐらいにキャロル・キングをよく知ってるんだなってことが、僕はよくわかって...」
大瀧「あっ、そう...」
山下「...だって、聴くとわかるんだもん」

大瀧「1、2、3は完璧にキャロル・キングですよね」

大瀧さん自身のこんな発言が10年以上も前になされていたにもかかわらず、「君は天然色」、「Velvet Motel」、そして「カナリア諸島にて」のことを語るときに、キャロル・キングに触れている人は、ネット上を見る限り一人もいないように思います。
と言いつつ、僕も「君は天然色」、「Velvet Motel」、「カナリア諸島にて」に含まれているキャロル・キングのことがわかったのはごく最近のことではあるのですが。でも、このことに触れずしてこれらの曲のことを語っても、あるいは”その部分”を無視して「カナリア諸島にて」をカバーしても、仏(になっているかどうかは別として)作って魂入れずってことになってしまいます。

先の長い話になりそうですが、とりあえずキャロル・キングが1961年に作ったこの曲を聴いてみて下さい。この曲が大瀧さんの何かの曲の元ネタになっているというわけでもないのですが(たぶん)、こんな曲を聴くと、きっと『ロンバケ』の1、2、3につながるものを感じるだろうと思います。


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by hinaseno | 2014-01-26 12:19 | ナイアガラ | Comments(0)

山の上ホテルの一夜


昨日、Yさんから、あることについて調べて欲しいと電話。それは本居宣長が師として仰いでいた賀茂真淵に出会う「松阪の一夜」という出来事についてのこと。恥ずかしいことに、そんなエピソードがあったことも、本居宣長が賀茂真淵を師と仰いでいたことも、あの有名な古事記の研究も賀茂真淵の助言をうけてのものであったということも全く知りませんでした。
ただ、その話は昔の尋常小学校の国語の教科書に載っていたんですね。ここにそれが貼られていました。
日頃から秘かに師と仰いでいた人に出会う話というものはいいものです。

ところで、最近は気持ち的に本が読めない状態が続いているのですが、ほんの少しだけ読めているのが安岡章太郎の『私の東京地図』。大瀧さんの亡くなられる前日に立ち寄った市内の古書店で買ったもの。「東京」という言葉に反応して買いました(この店、つい先日、店を閉じられました)。
『私の東京地図』は、東京のいろんな場所について、昔の記憶を辿りながら書かれたエッセイ。一昨夜に読んだのが「神田」。
「神田」といえば、神田神保町に古書街があることくらいしか認識がなかったのですが、読み始めたらちょっとはっとすることが。
神田は震災では焼けたが、第二次大戦の空襲ではかなりの部分が焼け残った。(中略)――お茶の水の駅を出てスルガ台の坂を下った方角――は、あっちこっちに焼け残った人家やビルが結構、昔のままに立っていた。坂の右手には明治大学、その裏手に山の上ホテル、...

ああ、山の上ホテル!
そうか山の上ホテルは神田にあったんだ、と。そしてそのすぐ後に出てくるのが、なんとニコライ堂!
あのニコライ堂が、あの山の上ホテルのすぐ近くにあったとは。ということは、以前、ブログで触れた小津安二郎の『麦秋』の、原節子が窓からニコライ堂を眺めた喫茶店もこの近くにあったということになるんですね。
なんだか大切なものが一つにつながった感じで、うれしくなってしまいました。

山の上ホテルといえば、忘れもしない2005年8月19日。こちらも「松阪の一夜」と同じく夏の夜の話。
それは石川さんにとっても、そして内田先生にとっても忘れることのできない日であったと同時に、僕にとっても大事なものがつながった、やはり忘れられない一日。
内田先生が雑誌の対談(例の『別冊文藝』に掲載されているもの。でも、本には対談の日が8月16日と誤って記載されてるんですね)で、初めて大瀧さんに会われた場所が山の上ホテル。そのとき内田先生は石川さんに同行を求めます。石川さん、最初は断られたそうです。
対談は午後3時に始まって、ホテルのレストランの営業時間が終了するまで、8時間半続いたそうです。ということは対談が終了したのは12時近くになっていたということ。

そういえば、Yさんから頼まれたのは、賀茂真淵が本居宣長と出会った「松阪の一夜」を描いた絵を探して欲しいというものでした。さきほどの教科書にも図があるのですが、Yさんに送ったのはこの図。
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なんとなくこの図に描かれた3人を見ながら、僕は大瀧さんと内田先生と石川さんの姿に重ねてしまいました。師に教えを乞う内田先生、二人の対談をそばで黙って書きとめている石川さん(でも、石川さんは、途中で何度か大瀧さんから話を振られているうちに、いつしかお二人の対談に加わられたそうですが)。

でも、この日の対談は「一夜」だけのものには終わらず、さらに平川さんを交えての対談をアゲインでされるようになるなんて、僕自身も信じられないことでした。

ちなみにこれは最初にアゲインで4人の方が対談されたときの写真。アゲインに飾られています。大瀧さんだけが立体感のない不思議な写真です。
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僕はもちろん大瀧さんの座られたこの場所に座って、石川さんに同じポーズをとっていただいて記念写真を撮りました。写真を撮っていただいたのは、ペットサウンズの森さん。なにもかも夢のような話。
僕が大瀧さんに最も近づいた日でした...。
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by hinaseno | 2014-01-25 08:38 | ナイアガラ | Comments(0)

ちょっと話がそれる、というわけでもないのですが、東京に行って、東京の町を歩いたり、あるいは電車に乗っているときにずっと聴いていたのはこのCDでした。マーティ・ロビンス&レイ・コニフの『The Story of My Life』(Bear Family)。東京に行く少し前に、気になり始めたのがミッチ・ミラーとマーティ・ロビンスのこと。で、こんなCDが出ているのがわかって注文して届いたのが東京に行く前日でした。
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マーティ・ロビンスやミッチ・ミラーや、このアルバムに収録されている「Just Married」という曲を作ったバリー・デヴォーゾンのことなど、いろいろ調べ始めたときの大瀧さんの訃報でした。もともときっかけは昨年の3月に放送されたアメリカン・ポップス伝パート3の第1夜でした。この日の放送については、ずっと以前にロイ・オービソンとジョー・メルソンのことでこのブログに書いたことがありますが、それとはまた別の部分で興味を持ってしまったということです。
アメリカン・ポップス伝はこの先放送されることはなくなりましたが、これまで放送されたものの中には、まだまだいくつもの発見できていない宝物が埋まっています。
さて、マーティ・ロビンスとミッチ・ミラーの音楽を考える上でかかせないのが、レイ・コニフという人でした。この人の作り出したサウンドが急にたまらなくよくなったんですね。ポップ・カントリーというジャンルの先駆けというべきものでしょうか。

で、話はジャッキー・ワード(=ロビン・ワード)のことに。
「恋するカレン」の最後のコーラスに注目して、B.J.トーマスの「Rock And Roll Lullaby」にクレジットされたコーラスの名前を調べていたときのこと。
ダーレン・ラヴのいるThe Blossoms、そしてThe DiamondsのDave Sommervilleの次に書かれていたのがRon Hicklin、Tom Bahler、Gene Morfordの3人。
この3人はロスアンジェルスを中心にして活動しているセッション・シンガー(レッキング・クルーですね)で、いろんなアーティスト(たとえばパートリッジ・ファミリー)のバックでコーラスを務めているようで、おそらくブライアンにコーラスをやってもらう予定でロスに行ったらブライアンがいなくなったんで急遽彼らにコーラスを頼んだのだろうと思います。
で、彼らの関わったものを調べたらレイ・コニフといっしょに仕事をしていることがわかって、何かあるかなと思ってYouTubeで”Ray Conniff Ron Hicklin”と入れてみたら、出てきたのがこの映像でした。男性4人、女性4人によるコーラス。指揮をしているのがおそらくレイ・コニフでしょうね。
歌っている曲はB.J.トーマスのヒット曲である「Another Somebody Done Somebody Wrong Song」(いい曲です)。



で、この画像の下の説明を読んでいたら、コーラスをしている人の名前が書かれています。先程の3人の他に、女性の名前も。
その最初に書かれていたのが”Jackie Ward”。

びっくりしました。
調べてみたら彼女はRon Hicklinたちといっしょに、たとえばパートリッジ・ファミリーの曲を歌っていることがわかりました。
ということは、例えばバリー・マンが作ったこの曲も彼らが歌っていて、おそらくこの女性の声の中にジャッキー・ワード(=ロビン・ワード)がいるんでしょうね。彼らがこんな高度なコーラス、できるわけないですから。でも、きっとレコードにはRon Hicklinの名前もJackie Wardの名前も書かれてはいないはず。



ところで、先程の映像。女性が4人いますが、一人いる黒人のシンガーがMarti McCallという人であることはわかるのですが、あとの3人の中でジャッキー・ワードはどれなんでしょう。実はわからないままなんです。
左端の一番背の高い女性かなと思いつつ、逆に一番背の低い、ちょっとシャイな感じな女性のような気もするし、一番右端の女性かもしれない。
やはり実際にジャッキー・ワードにお会いされた長門芳郎さんにうかがってみないとだめなのかもしれません。

ところで、ロビン・ワードのCD(レコードからの転載)の長門さんの書かれた解説の最後には、英語でこう書かれています。
Special Thanks to Miss Jackie(AKA-Robin)Ward and Mr. Niagara-Eiich Ohtaki.

長門さんがロビン・ワードのことを知ったのは、きっと大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」だったんでしょうね。

最後に、ロビン・ワードが歌ったビーチ・ボーイズ、というよりもブライアン・ウィルソンに捧げた、とびっきり素敵なこの曲を。「In My Room」のアンサー・ソングですね。
こんな詞が出てきます。
We drive along with our favorite song
On the radio



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by hinaseno | 2014-01-24 09:24 | ナイアガラ | Comments(1)

ジャッキー・ワード(=ロビン・ワード)は「Wonderful Summer」の曲を書いたペリー・ボトキンJrといっしょにずっと仕事をしていたそうで、ある日、いつものように彼の書いた曲のデモテープを録音することになります。
ペリー・ボトキンJrはピアノかなにかを演奏しながらジャッキー・ワード(=ロビン・ワード)の前で歌を歌います。彼のまるでブロードウェイのミュージカルで歌われるような、やや大げさな歌い方をするのを聴きながら、もちろん彼女もそんな風な歌い方をすることはできたはずですが、どこか違和感を覚えた彼女は、16歳の少女のような感じで歌った方がいいんじゃないって彼に提案してそんな歌い方をしたんですね。すでに死語になっているのかもしれませんが「ぶりっ子」して歌ったわけです。そこでどんなに声がよくて歌のうまい16歳の少女が歌っても絶対に不可能な声が生まれたんですね。
実際、かなり数多くのアメリカン・ポップスのガール・シンガーの曲を聴いてきてわかったのは、本当の16歳の子に、あの情感は出せないということ。逆に歌のうまい子は、実年齢よりも上の大人びた歌い方をしようとするんですね。

で、できたテープを聴いたペリー・ボトキンJrもジャッキー・ワード(=ロビン・ワード)自身も、そこに”魔法のようなもの”が起きていることを感じとります。そのままそれをレコードにすれば絶対に売れるという。
というわけで、ロビンという娘の、つまり若い女の子の名前をつけて(軽い気持ちだったんでしょうね)「Wonderful Summer」を発売。大ヒットということになります。

でも、もちろん困ったことが起こります。
彼女の声に恋をしたティーンエイジャーの男の子たちが彼女をほっておかないんですね。彼女にファンレターを出したり、あるいは彼女の住んでいる家を探そうとした男の子もいたのかもしれません。おかげで彼女はあんまり外出できなくなります。
もちろん「Wonderful Summer」を歌うロビン・ワードのイメージと、4歳の子供をもっている本当の自分との違いを彼女自身もよくわかっていたので、メディアには一切出ないようにしたそうです。数枚メディアに流された写真は、きっと彼女の10代のものだったんでしょうね。

それでも今だったらメディアも、あるいは熱狂的なファンもほっておかなかったでしょうけど、当時はそうすることができていたんですね。まあ、結局数枚のシングルと、1枚のアルバムを作って、ロビン・ワードとしての活動をやめたわけですが。

それと重なるのかどうかはわかりませんが、『A LONG VACATION』で大滝詠一というミュージシャンを知ったとき、当時何人かデビューしていたシティ・ポップを歌う新人のひとりだと思っていました。
「大滝詠一って”新人”、なかなかいいよ」って何人かの友人に言ったかもしれません。
それが30歳のときに作られたもので、それ以前に長いキャリアがあると知ったときには、へえ〜と思ったものでした。もちろん初めて雑誌かなんかで写真を見たときにも、へえ〜っと。
当時『ロンバケ』を聴いてファンになった女性の中には、抱いていたイメージとギャップがありすぎて、怒った人もかなりいたとかって、よく大瀧さん(と達郎さんは)笑い話のように話してましたね。ある年の「新春放談」で、声と顔のギャップについて二人で話をしていたときには(結構二人とも怒ってた)大笑いでした。

このロビン・ワードの「Wonderful Summer」の生まれた1963年は大瀧さんにとっても、アメリカン・ポップスにとっても最も重要な年で、実は大瀧さんのアメリカン・ポップス伝はこの1963年の12月まで行く予定だったんですね。そのあとはイギリスのポップスの話になっていくと。
前回にようやく1960年に達していたのですが、あと何回、あと何年でそこにたどりつくんだろうかと、僕ですら途方に暮れる思いでいました。

大瀧さんの1963年は中学3年生。で、1964年の1月にラジオで初めてビートルズの「抱きしめたい」を聴いて衝撃を受け、高校に入って以降はアメリカン・ポップスを離れてイギリスの音楽ばかり聴くようになります。つまりきちんと分かれているんですね。中学までの、15歳までがアメリカン・ポップス、高校から、つまり16歳からがブリティッシュ・ポップス。
で、どこかで大瀧さんが話していたように思うのですが、『A LONG VACATION』は中学校までの思い出を歌にしたもの、『EACH TIME』は高校時代の思い出。曲作りに関してもそうですが、歌い分けてもいるんですね。
『A LONG VACATION』というアルバムに、おそらく永遠に自分のまだイノセントだった時期の憧憬を感じとってしまうのは、まさにロビン・ワードのように、長年の経験で培った高度な歌唱法の中に、大瀧さん自身がアメリカン・ポップスが最も輝いていた時代の音楽をリアルタイムで聴いていたまだイノセントだった大瀧さんの中学時代の思い出がこめられているからなんですね。

動くロビン・ワードの映像の紹介までいきませんでした(探せた人、いるでしょうか?)。
最後に、大瀧さんが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかけたもう1つのロビン・ワードの曲を。タイトルは「I Will Love You」。この曲に関しては、話したいことたくさんあるのですが、この大好きな曲を「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかけていると知ったときは本当にうれしかったです。


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by hinaseno | 2014-01-23 09:22 | ナイアガラ | Comments(0)

動くロビン・ワード。
「恋するカレン」のことをいろいろ調べていたときに、YouTube上で偶然発見した映像。
ロビン・ワードといえば、1963年に生まれたアメリカン・ポップス史上奇跡の一曲、最高のガール・ポップスと言っても過言ではない、この「Wonderful Summer」を歌った人。



でも、YouTubeで、例えばロビン・ワード(Robin Ward)で検索しても、彼女が実際に歌っている姿を見つけることなんて絶対にできません。なぜなら彼女はその曲をレコードに吹き込んだだけで、人前で歌うことは決してしなかったのだから。それだけでなく、写真すらもほとんど存在しない。よく見かける顔が大きく写ったものは、たった1枚。この日本盤のシングルに写っている写真ですね(ネット上で見つけた画像。ほしくて仕方がないけど...)。
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ロビン・ワードという名前をどういう形で知ったのかはよく覚えていないのですが、大瀧さん経由でも達郎さん経由でもなかったように思います。たぶん1990年に彼女の唯一のアルバムがCD化されたときに、当時買っていた『レコード・コレクターズ』のレビューに「奇跡のCD化」とかといった言葉とともに絶賛されていたので(書かれていたのはペットサウンズの森さんかもしれません)購入したように思います。「Wonderful Summer」も一度も聴いたことがありませんでした。

そのCDの1曲目に収められていた「Wonderful Summer」を聴いたときの驚きといったら。もちろんその驚きは、すぐに大瀧さんの『A LONG VACATION』に収められたドリーミーな曲につながるものであるとわかったのですが。

スペクター・サウンドによる夏の曲。
この曲の作曲者でもあり、アレンジャーでもあったペリー・ボトキンJrが、ジャック・ニッチェのあとにスペクターの曲のアレンジをしている人だということが解説に書かれていて(解説を書かれているのは長門芳郎さん)、納得、...するほどにはまだスペクターを満足に聴いていなかった。スペクターのBoxが出たのはその翌年ですね。
ちなみにペリー・ボトキンjrのアレンジしたスペクターのプロデュースした曲の中で最も好きなのは、ロネッツのこの「I Wish I Never Saw The Sunshine」。バリー・マンが作った大作っぽいですが、実はジェフ&エリーの曲。66年という時代がそうさせたのでしょうか。でも、改めて聴くと「恋するカレン」に通じるものがありますね。



まあとにかく、このロビン・ワードのCDを手にして迎えた最初の夏は、こればかり聴いていました。もちろん、車で海に行くときも。
曲もいいしサウンドも抜群。でも、何より最高だったのがロビン・ワードの声。これほどに透明感あふれた可憐な声というのは、それまで聴いたこともありませんでした。本当に限られたティーンエイジャーしか持ちえない声。

大瀧さんもやはりロビン・ワードは大好きだったみたいで、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」では、めったに同じ曲を2度かけることのない大瀧さんが、「Wonderful Summer」を、そのシングルのB面に収められた「Dream Boy」という曲とともに、2度もかけていました。1枚のシングルのA面とB面の曲を、両方とも2度ずつかけているのは、おそらくこれだけのはず。きっと、これを聴くと大瀧さんにとって最高に素晴らしかった1963年の夏(大瀧さんが中学3年生のときの)に戻ることができたんでしょうね。
一応「Dream Boy」も貼っておきます(大瀧さんはアン・ルイスのために同名のとってもロマンチックな曲を作っています)。



ところで、実はロビン・ワードが「Wonderful Summer」という曲を歌ったのが彼女のティーンエイジャーの時ではなく、20歳を超えていて、しかもその時点ですでに4歳になる子供がいたというのを知ったのは、別に最近になってのことではなく、初めて「Wonderful Summer」を聴いたとき。CDの解説に書かれていたんですね。
でも、ポップスというのは、そんな事実というものを消し去ってしまう魔法があります。僕の中では、そして大瀧さんの心の中でも「Wonderful Summer」を歌っているのは、永遠に可憐な姿をしている16歳のままのロビン・ワード。

といいつつ、いくつかの事実の確認。
彼女の本名はジャッキー・ワード(Jackie Ward)。ロビンは彼女の娘さんの名前だったんですね。ロビンの方がティーンエイジャーっぽいってことでそうしたようです。
ジャッキー・ワードは、ずっと裏方のコーラスの仕事をしていて、ロビン・ワードとして活動していたのは(といってもあくまでレコードを吹き込むだけで、曲が大ヒットしてもテレビに出ることもなければもちろんツアーに出ることもない)、ほんの1年ほど。映画の中で歌われる歌の吹き替えもいくつかやったようで、特にナタリー・ウッド主演の映画でナタリー・ウッドによって歌われる部分は、たいていジャッキー・ワード(ロビン・ワード)だったそうです。
ここにその音源がまとめてあります。「Wonderful Summer」で聴かれるシュガー・ヴォイスとはちがいます。いろんな声を出せるシンガーだったということでしょうね。



彼女はデモテープを吹き込む仕事もしていたようで、そこで奇跡が起こります。
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by hinaseno | 2014-01-22 10:14 | ナイアガラ | Comments(0)