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今朝、起きてからいろんなものを聴いていました。
最初に聴いていたのはフォスターの楽曲集。先日、ここでちょこっと書いたら石川さんから、フォスター特集(とプラスアルファ)のCD-Rを早速送っていただきました。ざっと聴いて一番心に沁みたのは「Sweetly She Sleeps, My Alice Fair」という曲。収録されていたのはThomas Hampsonという人が歌ったもの。古い録音かと思ったら、20年程前に録音されたCDに収録されているとわかってびっくり。
YouTubeにはThomas Hampsonの歌ったものがなかったので、ビング・クロスビーの歌ったものを貼っておきます。本当に美しい曲。タイトルも素敵ですね。ただし、この曲の詞はフォスターが書いたものではないようです。



それからアイロンをあてながら聴いていたのが、この日のブログで紹介した「銀次の部屋」。
なんとラジオデイズから発売されたんですね。まさか聴けるようになるとは思っていなかったので、本当にうれしいです。ゲストは平川克美さん。同じ1950年生まれですが、まったく別の分野で仕事をされてきたお二人。会話の途中から次第に相手の言葉の中に自分の深い部分に通じるものを発見しながら話がはずんできて、さらに話がどんどん深まっていきます。それぞれの人のことを、それぞれの人よりは知っている僕が聴いていても楽しくて仕方ないですね。今朝聴いたのは全体の3分の1でしたが、いや面白かったです。
特に30分くらいから語られ始める創作に関する話は引き込まれました。
たまたま昨夜、久しぶりに読み返していた村上春樹の文章に書かれていたのと同じようなことを銀次さんが話されていたので、思わず「おおっ」となってしまいました。
昨夜読んだのは『村上春樹雑文集』に収められている「余白のある音楽は聴き飽きない」という、やや長いエッセイ。こんな言葉が出てきます。
ビーチボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンのつくった音楽世界には空白みたいなものがあるんです。空白や余白のある音楽って、聴けば聴くほど面白くなる。ベートーヴェンで言えば、みっちり書き込まれた中期の音楽より、後期の音楽のほうがより多く余白があって、そういうところが歳を取るとよりクリアに見えてきて、聴いていてのめり込んでしまう。余白が生きて、自由なイマジネーションを喚起していくんです。晩年の弦楽四重奏とか、「ハンマークラーヴィア・ソナタ」とかね。デューク・エリントンも余白の多い音楽家ですね。最近になってエリントンの凄さがだんだん心に沁みるようになってきたような気がします。とくに1930年代後半から40年代前半にかけて残した演奏が好きです。...

ブライアン・ウィルソンやベートーヴェンの弦楽四重奏の話が出てきます。僕も意識はしていませんでしたが、結局ずっと聴き続けているのは「余白のある音楽」であるように思います。その意味ではフォスターの曲も「余白のある音楽」と言えるように思います。

話は飛んでしまいましたが、銀次さんと平川さんの話、絶対に面白いのでぜひ聴いてみてください。ここで買えます。もちろん大瀧さんの話も出てきます。
そういえば平川さん、「銀次の部屋」で、銀次さんに隣町探偵団のバッジを渡されていましたが、どうやら大瀧さんにも渡されていたようです。
そのバッジを僕も持っているのが自慢です。
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by hinaseno | 2013-11-30 11:22 | 雑記 | Comments(0)

大人の童謡


小林旭の、特に狛林正一さんが手がけた楽曲を聴きながら、あるいは歌いながら思ったのは、これは大人の童謡だな、と。
子供よりは少しだけ足幅が広い歩みに合った、あるいは乗ったことはないけれどもゆっくりと歩く馬のスピードにあった音楽。そして、夕陽がよく似合う。
数ある西部劇の曲でも特に有名なこの「My Darling Clementine」という曲も大人の童謡って感じです。日本では歌詞がとんでもないものに変えられて「雪山讃歌」という山岳ソングになっちゃっていますが。



そういえば小林旭の歌った童謡の中で、一番気に入っているのは「月の沙漠」ではなくて「証城寺の狸囃子」です。もともと好きな曲ですが。旭のセリフも素晴らしいです。
作詞は野口雨情、作曲は中山晋平。そして編曲は狛林正一。最高の組み合わせですね。
この映像の4:17から曲が出てきます。



そういえば昨夜、野口雨情の名前をあっと驚くところで見かけました。ああ、また、つながったと思いました。それについては後日。
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by hinaseno | 2013-11-29 10:36 | 音楽 | Comments(0)

小林旭の曲、車の中でいっしょに歌うのも気持ちいいですが、映画を見ていたら当然、「ギターを持った渡り鳥」を、ギターを弾きながら歌いたくなってしまいます。
大瀧さんによれば、狛林正一さんはギターで曲を作られたとのこと。やはりギターの音色に合うんですね。で、ネットで調べたらだいたいのコードがわかったので、ちょっとした息抜きにポロポロとやっています。

悩ましいのはキーをどうするかということ。
ネット上にあったキーはC。
狛林さんもCをキーにして作られたんではないかと思います。でも、旭のキーはそれよりも高く、結局1音半高いEbをキーにしています。映画での旭の弾き語りシーンを見てもEbで弾いているのがわかります。Ebをキーにするとかなり難しくなるんですが、誰に見せ、誰に聴かせるわけではないけれど、Cを押さえるよりかは、あのあたりを押さえて歌った方がかっこいいなと。高音はちっとも声が出ないのですが。

ところで、西部劇でギターといえば何といっても、死ぬ程好きな『リオ・ブラボー』のこの曲です。



曲のタイトルは「My Rifle, My Pony And Me(邦題は「ライフルと愛馬」)」。
歌っているのはディーン・マーティンと若きリッキー・ネルソン。それにアメリカの笠智衆ことウォルター・ブレナンがハーモニカを入れています。
この場面、もう何度見たことか。

曲を作ったのはディミトリ・ティオムキン。
ほんとに素晴らしい曲なんですが、コードはCとFのたった2つだけ。声のキーも僕に合っているので、ギターで一番よく弾いているのはこの曲です。

ちなみに、リッキー・ネルソンが押さえているのはずっとCのコード。この頃はまだギター弾けなかったのかな。
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by hinaseno | 2013-11-28 11:24 | 音楽 | Comments(0)

昨夜、いくつかのニュースで、「日常」とはかけ離れた世界に生きている人や、そんな人たちによって「日常という静かな時間」を脅かされてしまうことになりかねないものごとが少しずつ進んでいるのを見て、改めて「日常」という言葉を考えました。
川本三郎さんの言葉を借りれば、「非情な出来事の不意打ちに耐えるためには、日常と呼ばれる静かな時間を鍛え直していく他ない」なと。

と言いながら、最近の僕の日常はというと、車の中で小林旭の歌に合わせて歌うこと。
これが「日常と呼ばれる静かな時間を鍛え直して」いることになっているのか、単なる日常からの逃避なのかはわかりませんが。まあ、逃避というのも「日常の呼ばれる静かな時間」の確かな過ごし方ですよね。

それにしても小林旭の歌に合わせて歌うというのは本当に気持ちがいいんです。
大瀧さんも「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の小林旭特集でこう語られています。
「なんと言っても旭の魅力というのはレコードに合わせていっしょに歌うと気持ちがいいんですね」

この言葉がよくわかりました。
ただ、残念ながら小林旭の脳天を突き抜けるような声は出ません。でも、なかなか日常生活であのような声を出す機会というのはそうあるものではないので、その意味では「日常と呼ばれる静かな時間を鍛え直して」いることになっているのかもしれません。

ふと思ったのは、大瀧さんの作った「君は天然色」のサビの部分は、小林旭的なものを意識されたのかなと。歌っていて似たような快感を覚えました。
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by hinaseno | 2013-11-27 10:22 | 雑記 | Comments(0)

今、久しぶりに岩阪恵子さんの随筆集『台所の詩人たち』を再読しています。
岩阪恵子さんは、もちろん、あの『木山捷平全詩集』をはじめとして、講談社文芸文庫から出ている木山さんの本のほとんどのあとがきを書かれている人。でも、昨年、講談社文芸文庫の『木山捷平全詩集』を買って、そのあとがきを書かれていた岩阪恵子という人が、『台所の詩人たち』という本を書かれていた人だと気づくのには時間がかかりました。気づいたのは、昨年暮れに文庫本になった『木山さん、捷平さん』の著者の年譜を見てだったでしょうか。

岩阪恵子さんの『台所の詩人たち』という本のことを知ったのは、今から10年程前。当時購読していた朝日新聞の夕刊に、確か月1回くらいで連載されていた川本三郎さんの『文芸21』と題された文芸時評。当時、川本さんの紹介した本の多くを買っていた僕は、同じ月に紹介されていたアニタ・シュリーヴの『パイロットの妻』とともに購入しました。もちろん川本さんが紹介していたものは何でもかんでも、というわけではなく、あくまでその紹介のされ方で僕の心に響いたものだけを買っていました。そうして買ったものに”はずれ”は一つもありませんでした。
岩阪さんの本の紹介のはじめに川本さんはこう書いています。
非情な死の不意打ちに耐えるためには、日常と呼ばれる静かな時間を鍛え直していく他ない。

そう、岩阪さんの『台所の詩人たち』には、岩阪さんの日常の一見何でもない風景が、静かに選びとられた言葉で描かれています。木山さんの話もちょこちょこと。でも、僕はもちろん、その頃には木山さんのことは何も入ってはきませんでした。
今回、再読していて心に響いた言葉。
そもそも日常という言葉にいちばんぴったりなのは、走ることでも泳ぐことでも自転車を乗りまわすことでもなく、歩くことではなかろうか。

後で川本さんの文章を読んだら、やはりこの言葉を引用していました。岩阪さんはこのあと「歩くイメージの作家はだれだろうと考えてみるとき、わたしなら真先に庄野氏を思い浮かべるだろう」と書かれています。庄野氏とは庄野潤三のこと。でも、もちろん僕が歩くイメージの作家として真先に思い浮かべるのは川本三郎さんです。

岩阪さんの本をぱらぱらとめくっていたら最後の方にウォーカー・エヴァンスとドロシア・ラングの写真のことが。
僕はこの2人の写真集を数年後に買っているのですが、そうか、きっかけは岩阪さんだったんだと今更のように気づきました。

というわけで、昨夜からドロシア・ラングの写真集を久しぶりに眺めています。豊かさとは反対の側で暮らす人たちの日常の風景をとらえたいくつもの写真に、何度見ても心打たれます。「日常と呼ばれる静かな時間を鍛え」た人たちの姿がそこにあります。

で、今朝、いつものように起きて最初に石川さんのブログを見たら、フォスターのことが紹介されていました。朝食をとりながら、ここで紹介されている曲をいろいろと聴いていたら、なんとなくドロシア・ラングの写真の風景と重なってきて、何ともいえないほど心に沁みてきました。いや、フォスターいいですね。
というわけで、ジェームス・テイラーの歌ったフォスターのこの「Hard Times Come Again No More」という曲を。



このメンバーは最高ですね。もちろんジェームス・テイラーも大好きですが、個人的にはこのメンバーでは最も無名かもしれないベースのエドガー・メイヤーという人の大ファンです。
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by hinaseno | 2013-11-26 11:18 | 雑記 | Comments(0)

小林信彦+大瀧詠一責任編集『小林旭読本』の大瀧さんが書かれていた「アキラ節の世界」を読んで気になることが。すでにどこかで語られたのかもしれませんが、重大なミスがあるような気がしました。
この本が出たのは10年以上も前。僕は当時、いくら大瀧さんが好きだとはいえ、小林旭にまで関心を持つには至らず、この本も、大瀧さんが企画・編集された『アキラ1』〜『アキラ4』も購入しませんでした。それらのCDも今は廃盤。僕は「ギターを持った渡り鳥」が収められた『アキラ3』だけ中古で買いました(中古でも結構高い)。
で、話は『小林旭読本』の「アキラ節の世界」のことですが、そこでは小林旭の歌ったジャンルや、曲を作った人ごとに項目を分けていて、もちろん狛林正一という項目もあります。
ところが、狛林正一さんの項目は「狛林正一 1」となっているのに「2」がない!
例えば「遠藤実」や「浜口庫之助」、「星野哲郎」には「1」があれば、その何ページか後には「2」が書かれています。「2」のない人には当然、名前の下に「1」は添えられていません。
狛林さんのことをまだよく知らなかった頃は気づかなかったのですが、あの曲もこの曲も狛林さんが作っていたり、あるいは編曲していることがわかってくると、どうかんがえても小林旭に関わったスタッフの中では最も長い文章を書かなければならない人だということがわかってきます。つまり「2」どころか「3」が書かれていてもおかしくはないんですね。でも、それはどこにもありません。「狛林正一 1」以外の項目で、狛林さんの名前は何度も出てきているにせよ、「〜節」やツイストなどのリズム歌謡を数多く作曲・編曲している狛林正一をまとめて語らないのは不自然すぎるというか、やはり何らかの原因(ミス?)でごっそりと落ちたのではないかと思います。

さて、小林旭の「〜節」やリズム歌謡は何度も耳にしていましたが、大瀧さんの書かれた「アキラ節の世界」で目を留めたのは「さすらい」という項目に書かれていた言葉でした。ちなみに「さすらい」は狛林正一さんが補作曲・編曲をしています。大瀧さんの言葉でいえば「さすらい」は「歌としても映画としても決定打中の決定打」。1978年6月26日に放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の小林旭特集でも「最後はやはりこの曲でしめたいと思います」とのことで「さすらい」がかかります。実は僕はこの曲を知らなかったのですが。
で、「さすらい」の項目で、大瀧さんはこう書かれています。びっくりどころではありませんでした。もちろん、”あの日”がなければ、たぶんこういうのは読み流していたんでしょうけど。
この原曲は詠み人知らずの兵隊愛唱歌『ギロハの浜辺』と呼ばれるもので、植内要という青年が採譜したものを西林爽と狛林が補作・改作した。(レコードが発売された頃はこの植内要というクレジットが見られたが、いつ頃からか削除されている)この歌は、多分無意識だと思うが『月の沙漠』のメロディーがもとになっていると感じる。(それを『アキラの童謡編』で狛林が証明している)

で、ページをめくると「童謡」という項目があって、『小林旭・童謡集』というアルバムが昭和36年6月に出されていることを知りました。このアルバム、大瀧さんはべた褒めしています。フィル・スペクターの『クリスマス・アルバム』に匹敵する、とも。
この『小林旭・童謡集』、2004年にCD化されていて、ぜひ手に入れたいと思ったのですが、唖然とする程の高値がついています。とても手が出ない。
と思ったら、大瀧さんが企画・編集した『アキラ2』に『童謡集』全10曲中6曲が収められていることがわかり、で、ラッキーなことに、その『アキラ2』だけ近所のレンタル屋さんに置かれていました。

『小林旭・童謡集』に収められた曲は、たぶん全曲アレンジが狛林正一。フィル・スペクターの『クリスマス・アルバム』になぞらえればジャック・ニッチェということになりますね。大瀧さんは「童謡」の最後でこう書かれています。
...そして『月の沙漠』。今回の再発CDで”一曲”をあげろといわれれば、私は迷わずこれを推す。初めて聴いた時は背筋がゾクゾクした。狛林アレンジは『さすらい』の元にはこの曲があることを我々に伝えてくれている。『月の沙漠』のベスト・ボーカルは今まで”森繁節”だったが、今回、その座は”アキラ節”が奪った。

この「月の沙漠」(この本やネット上で多く書かれているのは「砂漠」となっているのですが、正しくは「沙漠」)、作曲者は佐々木すぐる。
この日のブログで書いていますが、佐々木すぐるは僕が昭和2年の木山捷平の、「たつた一人の友」大西重利を探す過程でたまたま出会った人。大西重利と同じ印南郡(現高砂市)阿弥陀町の魚橋という場所で生まれています。大西重利の8歳上。
考えてみるとこの日、実際には大西重利の家とは全く違う方向であった魚橋まで歩いていかなければ、その後のいくつもの発見はなかっただろうと思っています。変な言い方ですが「呼ばれた」としか思えない。
そんな中で出会った佐々木すぐるという人が、また、こんな形でつながってくるなんて信じられない気持ち。

ちなみに佐々木すぐるは木山捷平と同じ姫路師範学校を出ています。姫路師範学校ができて間もない時期にそこで学んでいることになります。校長はもちろん初代校長の野口援太郎。『木山捷平 父の手紙』にも出てくる野口校長です。
いわゆる師範学校とはまったく異なる教育をめざしていた野口援太郎。その創立当初に姫路師範学校で学んだのが、木山捷平の昭和2年の「たつた一人の友」であった大西重利と同じ印南郡阿弥陀町で生まれた佐々木すぐる。彼の作った「月の沙漠」をもとにして狛林正一が「さすらい」を作り、そして小林旭がそれを歌う。さらに、そんな「さすらい」のエッセンスも取り入れながら大瀧さんが小林旭に「熱き心に」を作る...。

大瀧さんの「スピーチ・バルーン」というラジオ番組の小林旭特集は、僕は最初の方ばかり聴いていたのですが、昨日久しぶりに全部聴き終えたら、なんと最後が「月の沙漠」。
「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の小林旭特集の最後が「さすらい」で、「スピーチ・バルーン」の小林旭特集の最後が「月の沙漠」。大瀧さんの意図がわかりますね。
というわけで最後に、その小林旭の「月の沙漠」を貼っておきます。これを聴くと「沙漠」が西部の荒野に重なってきます。



ついでに、「さすらい」も貼っておこうと思ったのですが、YouTubeに狛林さんのアレンジしたものが見当たりません。ほとんど後の再録音ですね。

というわけで、『アキラ2』の歌詞カードに載っていた「月の沙漠」のクレジットを貼っておきます。
「作曲:佐々木すぐる/編曲:狛林正一」と、二人の名前が並んでいるのがたまらないです。
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by hinaseno | 2013-11-25 09:57 | 音楽 | Comments(0)

いきなりですが、つい最近、こんなCDを作りました。
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これを車でずっと聴いています。
題して『小林旭、狛林正一を歌う』。ジャケットに使った写真は小林旭が主演した映画『渡り鳥北へ帰る』のワンシーン。とにかく今、小林旭なんです。そして狛林正一という人も。

なぜ今、小林旭かというと、理由は単純。この2か月間、NHK-BSで放送されていた小林旭の渡り鳥シリーズといわれる映画をずっと観ていたから。前から観たいとは思っていたのですが、なかなか観る機会がなく、かといってレンタルしてみる程のものでもないか、と思っていたのですが、いや、面白かったです。

もともと僕は映画のジャンルで最も好きなのが西部劇なのですが、完全にそれを模して作られているんですね。理屈抜きに楽しめます。基本的には日本人にもっとも馴染のある西部劇『シェーン』が母体にして作られているので、たいていは幼い子供が出てきます。その子供役をしているのが小津安二郎の映画に何度も出てくる島津雅彦。面白いことに、悪役グループの中に『生まれてはみたけれど』など、戦前の小津の映画の代表的な子役である突貫小僧こと青木富夫が出ているから笑えます。

それはさておき、この渡り鳥シリーズは映画も楽しめるのですが、何といってもたまらないのがそこで歌われる音楽。とりわけ、シリーズを通してのテーマソングである「ギターを持った渡り鳥」が最高です。
「ギターを持った渡り鳥」は映画の中で使われているものも含めていろんなバージョンが存在しているのですが、YouTubeにオリジナル・バージョンが見当たらないので、これを貼っておきます。これは多分、かなり後で録り直されたもののはず。



「ギターを持った渡り鳥」で一番いいのは映画の中で小林旭が弾き語りしているものですね。シリーズの最初の方ではよく見ていなかったのですが、後半の方の弾き語りでは、ちゃんとコードを押さえて弾いているように思いました。

さて、この「ギターを持った渡り鳥」という曲を作曲したのが狛林正一という人。編曲も狛林さんです。この曲が狛林さんが小林旭に作った最初の作品とのこと。先日紹介した小林信彦+大瀧詠一責任編集『小林旭読本』に収められた大瀧さんの書かれた「アキラ節の世界」によると、プロデューサーの人が「とにかくシェーンで」と曲が依頼され、"ギターなら狛林"ということで、狛林さんがアキラ・スタッフに参加したとのこと。
「ギターを持った渡り鳥」は『シェーン』のテーマソングであるこの「遥かなる山の呼び声」を下敷きにして作られています。映画だけでなくテーマソングも『シェーン』だったんですね。



「遥かなる山の呼び声」の作曲者はビクター・ヤング。この曲と狛林さんの「ギターを持った渡り鳥」を聴き比べをしてみると、いくつかメロディラインの類似はありますが、どっちも本当に素晴らしい。「名曲を下敷きにすると名曲ができる」という大瀧さんの言葉を思い出します。単なるパクリではありません。狛林正一という人の、洋楽に対する深い知識と理解と、それを作品化する優れた才能を感じさせます。
狛林さんはこの「ギターを持った渡り鳥」のラインで、「夕やけは赤い幌馬車」や「口笛が流れる港町」という曲を作っています。どちらも僕のツボです。

さて、西部劇ソングといえば、この日のブログでも紹介した「落日のシャイアン」。ギターはアル・カイオラですね。この曲を小林旭がカバーしていて、これがもう最高なんです。この音源の3曲目、6:42あたりから出てくる曲です。



この小林旭の歌った「落日のシャイアン」の編曲をしているのが狛林正一さん。アル・カイオラのあのギターを、その響きとともにそのまま取り入れています。洋楽のカバーというと、原曲とは似ても似つかぬアレンジでずっこけてしまうことがしばしばあるのですが狛林さんは違います。
昨年聴いた大瀧さんの「スピーチ・バルーン」というラジオ番組の小林旭特集(それは実質的には狛林正一特集でもあったのですが)で、この小林旭の「落日のシャイアン」がかかったあとに大瀧さんは、あの「熱き心に」はこの曲の路線にあるということを確認されていました。無意識に下敷きにされていたんですね。

ところで、大瀧さんも先程紹介した文章に書かれていますが、狛林さんという人はあまり人付き合いをしないタイプだったそうで、彼の「詳細は全く不明」とのこと。大瀧さんの調査力を持ってしても、調べきれなかったようです。実際、ウィキペディアにも狛林正一の項目は作成中のものすらありませんし、ネット上のどこを探しても全くデータがありません。 出身県すらわからないですね。本名かどうなのかも怪しいです。
「狛林正一を探して」という作業、だれかやってくれないでしょうか。僕の持っているCDでは、美空ひばりさんに数曲、作曲と編曲を提供されています。狛林さん作曲・編曲の、ちょっとハワイアン調の「星影の浜辺」なんて最高に素晴らしいです。

さて、僕の作った『小林旭、狛林正一を歌う』には、ウェスタン調の曲だけを収めようと思っていたのですが、大瀧さんの文章を読んでいたら、他にも興味深い曲が見つかってそれらも収めることにしました。
大瀧さんは2002年に出た小林旭の再発CD(『アキラ1〜4』)の企画・監修をされていて、そのライナーノートの代わりに書かれたのが、小林信彦+大瀧詠一責任編集『小林旭読本』に収められた文章なのですが、そこで「今回の再発CDで”一曲”をあげろといわれれば、私は迷わずこれを推す」と書かれている1曲があって、それが、なんと以前このブログで書いた"あの曲”のカバーなんですね。あの"奇跡の一日”で出会った"あの曲”です。その編曲をしているのが狛林正一さん。狛林さんの編曲があってこそ名曲になり得たんですね。
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by hinaseno | 2013-11-24 11:36 | 音楽 | Comments(0)

小林旭の話にいくつもりでいましたが、うれしい発見があったのでそちらを書くことに。

大瀧さん、やはり小林信彦さんの『うらなり』を読んでいたことがわかりました。
ここのスタジオジブリのサイトに載っている亀渕昭信さんとの対談。ジブリの『熱風』という冊子に収録されたものでしょうか。対談が行われたのは2011年11月25日。ちょうど2年前ですね。
僕は『熱風』を入手できなかったので、この対談はブックマークの「お気に入り」のトップに置いています。その最初の方で、大瀧さんの口から『うらなり』のことが出てきます。何度か読んでいたのに、覚えていませんでした。そこの部分を引用します。
これは要するに「視点」の話なんですね。結局、クリエイティビティとか言っても、じつは視点の持ち方だったりするわけです。音楽も、オリジナルよりもカバーのほうがわかりやすいことがある。カバーって結局、どの視点で再構築するのかということだから。音楽以外でも例えば小林信彦さんが『坊っちゃん』を「うらなり」の側から書くというのも視点だし(『うらなり』)、サリエリを主人公にしてモーツァルトを描いた映画『アマデウス』とかも視点の話。大事なのはじつは視点であって、...

そう、大事なのは「視点」です。僕はいつも大瀧さんの「視点」に驚かされ続けているのですが。
ここを読む限り、大瀧さんは小林信彦さんの『うらなり』を興味深く読まれたことがよくわかります。大瀧さんのことだから、もしかしたら本を読みながら、大正末期や昭和初期の姫路の地図を眺められたかもしれません。そしてきっとその「視点」のもとで書かれたものが、綿密な調査に裏付けられていることを確かめられていただろうと思います。

さて、それぞれが豊富な知識と、とびぬけた調査、分析能力を持ち、しかも最高のクリエイターである小林信彦さんと大瀧さんが対談されるとなると、面白くないはずがありません。
僕が最初に読んだお二人の対談は、大好きな映画である『バック・トゥ・ザ・フューチャー』についてのもの。これはもう最高です。何度読んだことやら。へえ〜っの連続。
対談が行われたのは1985年。映画が公開された年です。当然、ビデオも出ていなければDVDなんてものも存在しない時代です。それなのに、...という話ばかり。
個人的にはボーンズ・ハウとヒューイ・ルイスの話が驚きでした。それから映画の冒頭の時計のシーンに出てくる「伏線」のことも、何十回も観ているのに気がつきませんでした。
この対談、最初は『キネマ旬報』に載って、その後、小林信彦さんの『映画につれてって』という本に収録されています。小林信彦さんと和田誠さんの対談もあって、とっても楽しい本。もちろん表紙デザインは和田誠さん。でも、現在は廃刊になっています。

前にも貼ったこのシーンで歌う「アース・エンジェル」のスーパーバイザーがボーンズ・ハウなんですね。



ああ、また『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が観たくなりました。
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by hinaseno | 2013-11-23 08:38 | 文学 | Comments(0)

小林信彦の『うらなり』の主人公であるうらなり(正式な名字は古賀)は、英語教師として姫路にやってきます。こんな文章が出てきます。
二年後、仲介する人があって、姫路市の商業学校の教師になった。すぐに役立つ商業人の養成をめざす学校で、算術、簿記とならんで英語も重点的な科目であった。

うらなりが勤務した学校は姫路商業学校。現在の姫路商業高校です。
姫路商業高校が現在どこにあるかというと、なんとあの木山捷平が昭和2年に勤務していた荒川小学校と目と鼻の先。わおっ、でしたが、実は姫路商業学校の校舎がそこに建てられたのはずっと後の昭和36年。最初に建てられた場所は姫路駅近くの北条口というところ。大西重利が勤務していた城陽小学校の近くです。

ところで、姫路商業学校が設立されたのは明治44年。さて、いったいうらなりはいつ姫路にやってきたんだろうと思って読んでいたら、こんなことが書かれてあります。
姫路城は修理中であったが、...

現在、姫路城は平成の大修理の真っ最中ですが、明治時代にも大修理をしています。始まったのは明治43年、で、修理は2年ぐらい続いて大正元年に終ったようです。
ということは、うらなりは姫路商業学校ができた年にやってきたんですね。小林信彦さん、このあたり、きちんと調べられています。

さて、姫路商業学校はその後何度か移転することになるのですが、設立の3年後の大正3年に「姫路市福沢町」に移転します。いわゆる船場と呼ばれる地域。そう、あの船場川の船場です。
木山さんのことやら船場川のことやら長畝川のことやらで、何度も貼ってきた大正15年の地図を改めて貼っておきます。
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姫路商業学校は木山さんが昭和2年の秋頃から住むようになり、あの「大西重利に」の言葉を添えた「秋」という詩を書いた家のあった千代田町の目と鼻の先にあります。
うらなりは姫路のことを寺や神社が多かったと語っていますが、船場地区には本徳寺を初めとして寺が多いのがわかります。姫路の神社の名前もいくつか出てきて、あの船場川が長畝川に分流する辺りにある十二所神社まで書かれています。 小林信彦さんは、間違いなく僕が何度も見た大正時代や昭和初期の姫路の地図をそばにおいて小説を書いていったことがわかります。
うらなりは姫路で何度か映画を観ているのですが、観た映画館は名前は書かれていませんが、それはおそらく山陽座。 木山さんは一度でもそこで映画を観たんでしょうか。で、その山陽座の北にあった姫路の城南練兵場も出てきます。その近くには、木山さんの昭和3年の友人である坂本遼が入営していた姫路聯隊があって、木山さんも何度か訪ねて行っています。
昭和2年から3年にかけて、木山さんとうらなりは姫路近辺のいろんな場所で出会っている可能性が高い。
『うらなり』には他にも興味深い話が出てきます。うらなりがある時期から随筆のようなものを書くようになり、姫路の町の中で「随筆を書く人として、狭い範囲内で知られ」るようになるんですね。で、大正15年に大阪でラジオの本放送が始まったときに、ラジオに出演することになります。そのときのうらなりの話のテーマが「姫路の秋」。
話ができすぎていて、ちょっと怖い気がします。
姫路で、少ないながらも文学に対する関心を持ち、何らかの文章を書いていた人との交流を求めていた木山さんが、うらなりと出会わなかったはずはないですね。もちろん、それはあくまで現実と空想の混ざり合った物語。でも、実際に彼らが会っていたような気がしてなりません。それもこれも『うらなり』が、小林信彦さんの綿密な調査によって書かれたものであったからこそ。
夏目漱石の登場人物であるうらなりと、文学者への志を抱きながらも小学校の教師をしていた木山捷平が姫路で出会う。なんて甘美な話。
小林信彦の『うらなり』に関する詳細な報告は近いうちにYさんにうかがう予定です。

次回からは、その小林信彦さんと、調査力においてはさらにその上をいかれるはずの大瀧詠一さんが語り合った小林旭の話になります。ここでも、ちょっとだけびっくりするようなうれしい”つながり”の発見がありました。
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by hinaseno | 2013-11-22 09:12 | 木山捷平 | Comments(0)

「あなたが木山で調べたようなことを私もやっているんですよ」
と先日、Yさんからの電話。Yさんとは、木山捷平という作家のことを教えてくれて、姫路の木山捷平と大西重利のことをまとめたものを最初に読んでいただいた人。
「ある有名な作家の、ある有名な小説が、姫路と関わっているんですよ」と。
でも、どこかなぞかけのような口ぶりでなかなか教えてくれません。ただ、どうやら、明治の終わりから昭和の初め頃にかけての姫路のことがいろいろと出てくるらしい。
いくつかなぞかけのような話が続いた後、びっくりするような名前が出てきます。
「夏目漱石なんですよ。夏目漱石の有名な小説っていったら何ですか?」
もちろんその時僕の頭にぱっと浮んだのは、やはり『坊っちゃん』。でも、『坊っちゃん』は何度か読んでいて、そこに姫路が出てきたなんて記憶がありません。
『我が輩は猫である』とか、2、3並べてみましたが、どれもはずれ。
「だれもが、夏目漱石で最初に思い浮かべるものといったら何ですか?」と、楽しそうに繰り返される。
僕が「『坊っちゃん』?」と言うと、「そうなんですよ」と。
すると、次にこんな質問。
「『坊っちゃん』の中の登場人物の名前を覚えていますか?」
「え〜と、赤シャツ、山嵐、野だいこ...」
ここまで出てきて、あとが出ません。
「うらなりという人が出てくるんですが覚えていますか?」
「そういえば、いたような...」あまり記憶が定かでない。
「マドンナの婚約者だったんですが、最後には延岡に転勤させられてしまう人」
「はあ......」
「そのうらなりを主人公にして小説を書いている人がいて、うらなりが延岡の後に姫路に来るようになっているんですよ」
「へ〜っ、その作家ってだれですか?」
「小林信彦」

それを聞いてびっくり。実は僕はその前日に小林信彦が関わった別の本の存在を知って、それが廃刊になっているとわかったので、ネットの中古本を注文したところでした。
Yさんとの電話の後、すぐにJ堂に行きましたが、文庫本で出ているはずの『うらなり』はなかったので、せっかくだから廃刊になっている単行本の『うらなり』を注文しました。この2冊の小林信彦の本は結局同じ日に届くことに。本当はもう一冊の方のことを先に書くつもりでいましたが、『うらなり』の方を先に読み終えました。

『うらなり』が書かれたのは2006年。今から7年前ですね。
正直、びっくりの連続でした。小林信彦さんは、明治の終わりから昭和の初め頃にかけての姫路のことを相当詳しく調べられていることがわかりました。実際に姫路に足を運ばれたわけではないと思いますが、おそらく僕が木山さんの姫路での日々を説明するために使った大正末期から、昭和初期にかけての地図を何度も見られたにちがいありません。

冒頭からびっくりです。小林さん、僕のブログを見たの? と言いたくなるような話から始まります。もちろん『うらなり』の方が先に書かれているのですが。
物語は姫路に住んでいるうらなりが、東京に出てきて何年ぶりかで山嵐に会うシーンから始まります。二人が待ち合わせした場所は、あの服部時計台が見える銀座4丁目の角。
時代は昭和9年。服部時計台ができたのは昭和7年。
この日のブログでも書いていますが、昭和9年の荷風の『断腸亭日乗』にも、服部時計台のことが出てきます。うらなりはもしかしたら、その日銀座で荷風にも会っていたかもしれません。
荷風はこの10年後に、まさにその服部時計台に使われた石の原産地の岡山の万成のすぐ近くに滞在することになるのですが。

さて、小林信彦の『うらなり』の主人公のうらなりが延岡から姫路にやってくる年は、小説には書かれていませんが、はっきりと特定することができます。もちろん小林信彦さんはその年をきちっと限定して、いろいろと調べられた上で小説を書いています。マニアックすぎる。
その年とは明治44年。
そして、姫路でのうらなりは木山さんに大接近することになります。

ちょっとだけ話はそれますが、僕の三石での『早春』の研究や姫路での木山捷平の研究は、大瀧詠一さんの成瀬・小津研究の影響を強く受けてはじめたものです。
その大瀧さんの『成瀬研究』が始まったのが、小林信彦さんの『うらなり』が書かれた翌年の2007年。大瀧さんが『成瀬研究』をはじめる直前に『うらなり』を読んでいた可能性は十分に考えられます。
なぜなら大瀧さんと小林信彦さんは映画に関する話を長年にわたってずっとされてきた間柄ですから。

僕が『うらなり』と同じ日に手に入れたというのは、小林信彦+大瀧詠一責任編集の『小林旭読本』でした。ここまでいろんなものがつながってしまうと笑わざるを得ません。
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by hinaseno | 2013-11-21 09:03 | 木山捷平 | Comments(0)