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海文堂書店の9月30日


たった今、海文堂書店の平野さんの書かれた”最後の”ブログを読み終えたところ。とにかく毎朝、これを読むのを楽しみにしていたので、明日からその日課がひとつ消えてしまうと思うと、やはりさびしいと言うしかありません。もちろん今日で店がなくなってしまうということもなおさら。
昨日は閉店後にお客さんたちが店の前で「海文堂コール」をされていたとのこと。僕がその場にいたらどうしてたんだろうと思いつつ、でも本当に素敵な言葉は普通の、中くらいの声で出されるもの。ときには聴き取れないくらいの小さな声で。
僕は以前、海文堂で、かなり高齢の男性によってたかなり小さな声で発せられた、とびっきり素敵な言葉を思い出そうとしていたのですが、結局思い出せませんでした。
たぶん何かの本を探してもらっていて、それはかなりおぼつかない言葉で、タイトルもはっきりしない。でも、書店員の人はいらいらすることもなく、いくつもの手がかりのある言葉をゆっくりとひとつひとつ聴き取って、で、この本ではないですかと差し出す。
「ああ、それそれ」という男性の喜びの声。それからその後で何かひとこと言ったんですね。それはあまりにも普通の言葉で、海文堂の中ではちっとも特別なものではなかったんでしょうけど、僕はひどく感動して、その後に立ち寄った喫茶店ですぐに書きとめたのですが、書きとめたものは結局見当たりませんでした。
ネット社会では絶対に聴くことのできない言葉。もちろんその男性はネット社会と関わりを持っていないはずの人。そういう人たちの小さな声で語られる言葉をいつ行っても耳にすることができました。

さて、今朝のブログは最後に松浦弥太郎さんの『さよならは小さい声で』を紹介されていました。
そういえば、先日伺ったとき、「さよなら」に関する本を集めたコーナーが作られていました。もしかしたら、松浦さんの本はそのコーナーに置かれていたのかもしれませんが、さよならは言うのも聴くのも、そしてその言葉を見るのもつらいもの。その日はいろんな棚をじっくり見たのですが、そこだけはあまり目に入れないように通り過ぎました。

平野さんが最後に書かれた言葉。
私は還暦のじいさんなので、松浦弥太郎さんのようにはいかない。
普通の大きさの声で申し上げます。
では、皆さん、さようなら。ありがとう。

「普通の大きさの声で」というのが心に響きます。いや、「普通の大きさの声」だからこそ、たまらない気持ちになります。

...そうだ、僕が閉店後の「海文堂コール」をしている人たちのいる場所にいたら、たぶんこう言っただろうと思います。もちろん中くらいの声で。
神戸の馬鹿やろう

と。


海文堂は船にあふれていました。
僕はこれから先、シャッターで閉じられた海文堂も、そのあとに作られるはずの別の店も見ることはないと思います。元町商店街をあの場所まで西に行くのは、そこに海文堂があったからでしたから。
ですから閉店というものを、具体的な形で見ることはありません。
というわけなので、個人的には海文堂という小さな帆船(あるいはスローボート)は神戸の港から出航したのだと考えることにします。また、いつの日かどこかの港にふっとやってきて新たな店が作られることを願っています。
その時まで、とりあえず、小さな声でさよならを。

最後に一曲。

村上春樹の『1973年のピンボール』にこんな言葉があります。
ある日、何かが僕たちの心を捉える。なんでもいい、些細なことだ。バラの蕾、失くした帽子、子供の頃に気に入っていたセーター、古いジーン・ピットニーのレコード……、もはやどこにも行き場所のないささやかなものたちの羅列だ。二日か三日ばかり、その何かは僕たちの心を彷徨い、そしてもとの場所に戻っていく。

『1973年のピンボール』にはジーン・ピットニーの"作った"曲は2曲出てくるのですが(1960年と1961年を代表する曲)、ジーン・ピットニーの歌った曲は出てきません。
というわけなので、 古いジーン・ピットニーのレコードの中の1曲。
タイトルは「The Ship True Love Goodbye」。全然有名な曲ではないのですが(ベストもののCDには絶対に入っていません)、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のジーン・ピットニー特集で知った最高に素敵な曲です。

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by hinaseno | 2013-09-30 10:08 | 雑記 | Comments(0)

昨日、佐々木マキさんのことを書いたあとで、そういえばと思って調べたら、やはり、でした。
僕が『佐々木マキ作品集』という本の存在を知ったのは、2年前に出たクラフト・エヴィング商會の『おかしな本棚』に載っていたからだったのですが、そのページを開いてみたら...
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『佐々木マキ作品集』にもたれかかるように置かれている2冊の本。実はそれらは林喜芳という人の『兵庫神戸のなんどいや』と『わいらの新開地』なのですが、この『おかしな本棚』に載っている数多くの本の中で、この2冊だけブックカバーがかかっているんですね。もちろん海文堂書店のカバー。吉田篤弘さんはこの本を海文堂の神戸の本のコーナーで買われたんでしょうね。
僕は海文堂の常連ではありませんが、このことを知らせたくて『おかしな本棚』を購入した数日後に海文堂に行ったら、ちゃんとこの本が立てかけられていて海文堂のことが載っていますと書かれたポップも添えられていました。ちゃんとご存知だったんですね。
で、見たら僕の持ていなかったクラフト・エヴィング商會関係の本が並んでいたので、たぶん4〜5冊買って帰ったような気がします。

今、改めて『おかしな本棚』のそのページの写真を見ると、海文堂のブックカバーの付けられた本の左側にあるのは妹尾河童の本。妹尾河童さんも佐々木マキさんと同じく神戸の長田の出身。吉田さん、そういったことを意識して並べられていたんですね。
ちなみにその少し右には堀江敏幸さんの『郊外へ』も。
僕が堀江さんのファンになったときにはこの単行本は絶版になっていたのですが、たぶん海文堂の後に立ち寄った神戸の古書店で見つけました。

ところで『ドリトル先生航海記』のこと。
『ドリトル先生航海記』を買ったのは、この日ブログに書いたことがあったからです。今、現在出ているのは岩波少年文庫だけということがわかったので、児童書のコーナーに生きました。
海文堂の児童書を置いてあるスペースもいいんですね。海文堂の中でも少しだけ違う空気が流れています。でも、ことさらに子供子供した部屋になているわけでもありません。ここで発見した素敵な本もいくつもありました。

『海文堂書店の8月7日と8月17日』を見ていたら、例のブックフェアの予定を書いた用紙の8月の欄にこんなことが書かれていました。「いっそこのさい 好きな本ばっかり!」の上ですね。実質的には最後のブックフェアだったといえるのかもしれません。
「読書が選ぶこの1冊 岩波少年文庫フェア」

そのフェアの様子の写真がこのページに貼られています。
よく見ると左下の方に『ドリトル先生航海記』があります。僕が買ったのは多分このときに並べられていた本の一冊だったんでしょうね。うれしい偶然でした。

9月25日に海文堂へ行ったときには『ドリトル先生航海記』は児童書の棚に2冊あったので、もう一冊買って、先日うかがったった町坪の人(木山捷平が荒川小学校に勤めるようになったときに、最初に木山さんに下宿する部屋を貸された方の親族ですね)にプレゼントしてもいいかなとは思ったのですが、目を悪くされていてもう本は読めないということを思い出してやめました。
今度うかがったときには、その方と『ドリトル先生』の話をしようかと思います。

ところで、ドリトルの英語の綴りはDolittle。
"dolittle"とは「怠け者」とのことなんですね。
"do little"、つまり「ほとんど何もしない」てことから来てるんでしょうか。「ささやかな、目立たないことをする」と訳すこともできますね。

Today's Song: Goodbye Mr. Chips by Petula Clark
秋になると聴きたくなる曲です。単純に「先生」つながりということで。職業的にはちょっとちがう「先生」ですが。
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by hinaseno | 2013-09-29 09:17 | 雑記 | Comments(0)

先日、9月25日に海文堂で夏葉社の写真集以外に買った本のことを。

海文堂で最後に買う本になるので、何がいいだろうかといろいろ考えて、やっぱり「海」に関する本を買うことに。
で、ぱっと目に入ったのは、先日触れた大瀧さんの本があった棚のすぐ横に重ねられていた佐々木マキさんの『うみべのまち』。こんな本が出てたんですね。佐々木マキさんのことを知ったのはもちろん村上春樹のこれら本で。僕にとっては永遠の「神戸」の本です。
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『うみべのまち』の帯をみると、やはり村上さんの言葉がありました。
 佐々木マキさんの絵を初めて目にしたのは、1960年代の後半のことだ。僕はまだ高校生で、神戸に住んでいた。その時代にはいろんな新しいコミックのスタイルが現れて、僕らはそのひとつひとつに興奮したものだけれど、中でも佐々木マキさんの繰り広げる世界は圧倒的に新鮮で、そしてオリジナルだった。「ガロ」の新刊を手にして、マキさんの新しい作品を目にするたびに、自分がひとつ違う世界の扉を開けたような気がしたものだ。その扉を開けると、どこだかはわからないどこかから、新しい特別な風がさっと吹き込んできて、肺がその空気に満たされ、新しい血が身体中に巡っていくような気持ちになったものだった。
 だから僕が『風の歌を聴け』という最初の小説を書いて、それが単行本になると決まったとき、その表紙はどうしても佐々木マキさんの絵でなくてはならなかった。本ができあがって、書店に並んだとき、とても幸福だった。僕が小説家になれたというだけではなく、佐々木マキさんの絵が、僕の最初の本のカバーを飾ってくれたということで。僕は今でもそのときのわくわくとした心持ちを思い出すことができる。そしてその心持ちはいつまでも消えることはないだろう。

村上さんが「ガロ」時代の佐々木マキさんのファンだったことは前から知っていたので、『佐々木マキ作品集』をずっと前から探していて、昨年、ようやくある古本屋で見つけたけど、とても高くて手が出せませんでした。海文堂で出会えたことは本当に幸運。

そういえばこれを手にしてちょっと佐々木マキさんのことを調べてみたら、びっくりしたこと2つ。ひとつは佐々木マキさんが神戸市長田の出身であること。震災による火災でで最もひどい被害を受けた場所ですね。
そしてもうひとつ。佐々木マキというのはペンネームで、本名を見ると、なんと男性だったんですね。僕はず〜っと女性だと思っていました。いや、びっくり。
いずれにしても村上さんのこの2冊の本に描かれた絵は、まさに神戸で生れ育った人の描かれたものだったんですね。まあ、小説の舞台は芦屋に近い方になってはいるのですが。まあ僕にとってはそのあたりを含めて神戸でした。

さて、海文堂で9月25日に買ったもう一冊の「海の本」。それは岩波少年文庫の『ドリトル先生航海記』でした。それについてはまた明日に。
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by hinaseno | 2013-09-28 09:09 | 雑記 | Comments(0)

夏葉社から発売された『海文堂書店の8月7日と8月17日』という写真集の話をもう少しだけ。
僕はこの本を予約していましたので、2時間くらい店にいた後、帰り際に中央カウンターで本を受けとりました。店の写真を記念に撮ろうかと思いましたが、やめました。

写真集を開いたのは帰りの電車の中。最後の方に収められたブックフェアのスケジュールを書き込んだボードの写真の、空白(永遠の空白...)になった10月の部分を見たときにはさすがにたまらない気持ちになりました。
閉店がきまった後の9月のブックフェア名にはこう書かれています。
いっそこのさい 好きな本ばっかり!

さて、僕が海文堂に行くと、かなり長時間いる場所は、2階の「元町・古本波止場」。新刊書店の中に古本を集めたコーナーがあるんですね。古い地図を買ったのはここです。
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この写真の、人が立っているあたりに地図が置かれています。一昨日も、ここで古い地図を一つ買いました。またいずれ。

『海文堂書店の8月7日と8月17日』の中で最もうれしかったのは、いや、うれしかったという言葉は適切ではないですね。このような写真集がこのような形で出るということは、出してくれた夏葉社の島田さんに心から感謝したい気持ちの一方で、複雑な気持ちはぬぐいきれないのは事実ですから。
でも、とにかくこの写真。
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音楽関連の棚(この裏側が映画関連の棚、大好きな棚です)をとらえたこの写真のフォーカスのあたっている部分にとらえられている本は...。

そう、大瀧さん関連の本なんですね。
何度もこのブログで紹介している『文藝別冊 増補新版大瀧詠一』、そして僕の持っているものはもうぼろぼろの、バラバラになっている『All About Niagara』。
この本、一昨日もまだ置いてあって、『All About Niagara』は手にとってぱらぱらと眺めてきました。

実は後で気がついたのですが、この写真集が発売されたとき、夏葉社のブログで紹介していた写真が、まさにこのページでした。大瀧さんの本が思いっきり大きく写り込んでいるのにね。

この写真集に収められた写真はどれも素晴らしいものばかりなのですが、僕の心を最もゆさぶったのは、外商担当の人と、その部屋をとらえた写真でした。絶対に見ることのできない部屋の写真ですね。

この部屋にはいろんなものが置かれています。
おそらくは外商の人がかぶるためのヘルメット。水筒。水色のタオル。ビニール袋に入ったままのYonda?のぬいぐるみ。もう一つ、ビニール袋に入った棚から落ちかけているぬいぐるみ。そして、僕の心を最もとらえたのは、その横の窓際に置かれた大きなパネル。
ジョン・レノンの顔が大きく写っているモノクロの写真。

このページに写っている外商の人が置いたものなのか、あるいは別のだれかがあるとき置いたものがそのままになっているのか。
でも、確かなことは、ジョンがこの部屋全体を見つめ続けていたということ。ジョンが見つめられ続けていたかどうかはわからないけど。

このページの写真をここに貼ろうかと思いましたがやめておきます。
代わりにジョンのこの曲を。

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by hinaseno | 2013-09-27 09:40 | 雑記 | Comments(0)

昨日のブログは時間がない中でバタバタと書いてしまって、 村上春樹編訳の『恋しくて』の話をすることができませんでした。副題が「Ten Selected Love Stories」となっているように、本当に素敵なラブ・ストーリーが並んでいます。どれもわりと最近書かれたものばかり。

昨日読んだのは「二人の少年と、一人の少女」。途中にこんな文章が出てきて思わずにっこり。
彼女はフォークソングのレコードをプレーヤーに載せ、じっと目を閉じてそれを聴いていた。ロイ・オービソンとフリートウッズとレイ・チャールズが好きだった。

ロイ・オービソンとフリートウッズが好きな17、8歳の女の子なんて最高ですね。

さて、ロイ・オービソンとフリートウッズといえば「ブルー」。「ブルー」といえば「海」。
というわけで、昨日は神戸の海文堂書店に行ってきました。
夏葉社から今月20日に急遽発売されることになった『海文堂書店の8月7日と8月17日』という写真集を買うためでもありました。
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写真を撮影されたのは、同じ夏葉社から出たばかりの『本屋図鑑』のイラストを描いている得地さんの旦那さんであるカメラマンのキッチンミノルという方。『多摩川な人々』という写真集を出されているんですね。多摩川は大田区のそばを流れている川。『早春』にも出てきて、僕にとっては縁の深い川です。機会があれば見たいですね。

さて、タイトルの8月7日と8月17日という日付は、この写真集に収められた写真が撮られた日。
この写真を撮った経緯については、ここに夏葉社の島田さんがとても素晴らしい文章を書かれています。読んでいて、ぐっときます。こちらの方の人ではない島田さんが、こんなにも海文堂のことを愛していたなんて、うれしいですね。でも、そういう本屋です。いや本屋の中の本屋です。

コミックはない。扇動的な言葉が並ぶ週刊誌もない。
考えたら、扇動的なタイトルの多い(現在の)経済や政治に関する本も置かれていなかった気がします。僕がその棚へ行ったことがないだけなのかもしれませんが。音楽も流れていない。こういう書店であり続けたのは僕の知る限り海文堂しかありません。

実は僕は、この2つの日付の間の8月15日に海文堂に行っていました。そのときにはもちろんこんなタイトルの写真集が出るなんて知る由もなく(知る訳ないですね)。
一番気になったのは、あの棚の写真が載っているかどうか。もちろんありました。この写真。
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関西にゆかりのある小さな出版社の本が多く置かれている棚です。特に鶴見俊輔の本を多く出している「Sure」という出版社の本が好きで、海文堂に来ると必ずここに立ち寄って、気に入ったものがあれば買っていました。この写真の上段に鶴見俊輔の本が並んでいます。8月15日に行ったときも、この棚で鶴見俊輔の『もうろく帖』という本を買いました。でも、この棚にその本はありません。僕が買ったときにもたった一冊しかありませんでしたから(「か 鶴見俊輔」とだけ見えるのは、『日本人は状況から何をまなぶか』ですね)。
つまりこれは僕が行った後、8月17日に撮られた写真ですね。下の「8月末で販売終了いたします。」と書かれた張り紙も8月15日にはありませんでした。
で、昨日行って見たら、そこの棚の本はすっかりなくなっていました。一冊も本がなくなっている棚はここだけでした。なくなることがわかっていれば、あれも、これも買っておけばよかった...。

その棚で僕が最後に買った『もうろく帖』に書かれている言葉をいくつか引用しておきます。鶴見俊輔が最近読んだ本や新聞の中から気に入った言葉を集めています。ところどころ鶴見俊輔自身の言葉も。いくつか引用します。名前がないのは鶴見俊輔自身の言葉。
土地と疎遠になった想像力は、すぐ理論の毒にやられる。
                       フラナリー・オコナー

わが宿のいささむら竹吹く風の
音のかそけきこの夕べかも
                       大伴家持

とどかないと知ってとどくにかける

戦争の話をするまで死ねないと祖父がいうので私は聞かない
                       高三・江夏祥子

横むいて志をおなじくする仲間

  (ふと浮ぶ)

で、最後のあとがきに書かれている最も新しい言葉(2010年2月27日)。
非凡に心をうばわれず、
平凡の偉大さを信じる

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by hinaseno | 2013-09-26 09:34 | 雑記 | Comments(0)

ネコと夢二


先日紹介した、中山晋平の特集番組、録画していたものを昨日見ました。実は実家で少し見ていて、演歌系の歌手(ひとくくりにしてはいけないですけど)がずらっと並んで歌っているのを見て、う〜ん、ちょっと違うなと思ってしまいました。前にも少し書きましたが、童謡って残念ながら現代のサウンド、アレンジには合わないし、歌唱力のある人が歌えばいいというわけでもない。どうしようかと思いましたが、一応全部見ました。
耳に馴染んだ曲はどうしても違和感があったので、初めて聴くような曲の方が新鮮に聴けました。一番よかったのは田川寿美さんが歌った「紅屋の娘」でしょうか。
でも由紀さおりさんはさすがだなと思わせるものがありました。途中のコーナーで由紀さんが童謡を歌うときの注意点を語られていたのですが、例えば、歌手の歌いやすいようにキーを合わせるのではなく、中山晋平が設定したキー(つまり子供の女の子の声のキーなんでしょうね)で歌うようにしているとか(だからキーがかなり高い)、あるいは鼻濁音を使うこととかは、なるほどなと思いました。

ところで、歌の合間合間に中山晋平に関する話が挿入されていたのですが、へえ〜っと思ったのは、中山晋平の楽譜のほとんどの装画を描いていたのが竹久夢二だったということ。パソコンで「竹久夢二、中山晋平」と入力して画像検索するとずらっと出てきます。値段はどれも高いですね。

実はこの番組を録画セットするときに、その番組の前に「世界ネコ歩き〜坂本美雨とともに@瀬戸内海」なんて番組が目に入ったのでついでに録画しました。
瀬戸内海の小さな島にいるネコをとらえたものなのですが、これがなんともゆる〜くてよかったんですね。NHKはときどきこういうゆる〜い番組をやっていることがあって、たまに目にとめると見入ってしまうことがあります。

撮影地は香川県の左柳島。地図で確認したら昨日貼った岡山県地図の笠岡市の南にあります。岡山と香川の中間ですね。もう少し北の白石島には昔海水浴で行ったことがあります。木山捷平なんてちっとも知らない頃の話。
それにしても最近はネコブームです。やはり内田百閒の「ノラや」を読んだ影響が大きすぎます。

さて、先程の夢二の画像の中にもあるのですが、夢二にはネコを描いたものが多いんですね。最近知りました。
前に瀬戸内市の(母親の生まれ故郷の)夢二郷土美術館に行ったとき、ネコの絵が多いことを知って、それをデザインし一筆箋を二つほど買ってきてました。

そのあとで、荷風と夢二の関係を調べていた頃、荷風が夢二に手紙を書いているのを知りました。書かれたのは明治45年。夢二から荷風に絵が贈られてきて、そのお礼の手紙ですね。その手紙の中にこんなことが書かれています。
小生だけの趣味にては篇中にて炬燵に猫の居る處と、土塀のかげに子供の群の人買を見て逃げ行く図ことに面白く拝見...

この「炬燵の猫の居る處」を描いた絵は、ちょうど郷土美術館で買ってきたものでした。といっても、似たものがいくつかあるのかもしれませんが。
後に荷風は夢二に自分の本の表紙の装画を描いてもらいたいという希望をもっていたようですが、結局実現しませんでした。もし、実現していれば「炬燵の猫の居る處」を描いた絵が使われたのかもしれません。

ネコ好きと言えば何といっても村上春樹が有名ですが、先日、村上春樹編訳の『恋しくて』という新刊が出ましたが、表紙になんと夢二のネコの絵が使われていました。村上さんの希望だったかどうかはわかりませんが、とてもうれしかったです。
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by hinaseno | 2013-09-25 13:13 | 雑記 | Comments(0)

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荒川小学校に勤めていた頃の、つまり昭和2年4月から昭和3年の木山捷平が暮らしていた場所を改めて地図で確認します。
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これは前に紹介した大正十五年発行の地図を拡大したもの。荒川小学校は、地図記号では道の右側になっていますが、実際は道の左側、オレンジで囲んだ場所にあります。学校のすぐ南にある○記号の役場は、この大正4年の写真(一番上のタイトル画像)の左端に写っている大きな建物。

さて、木山さんが最初に荒川小学校にやってきたときに下宿した家があったのは学校の南の町坪(ちょうのつぼ)にあった家。確実なことは言えませんが、おそらく赤丸をつけた線路沿いにあった家(考えたら木山さんはいつも線路のすぐ近くに家を見つけます)。で、この町坪に住んでいた時期に発行していた『野人』の第一輯から第三輯に記載されている木山さんの住所は姫路駅近くの南畝町、謎に満ちた南畝町です。

木山さんが町坪にいたのはおそらく9月くらいまで。10月の初めには市街地に近い千代田町に移っています。すぐそばには船場川が流れています(地図の水色で示したもの)。

木山さんがいつ頃どこに住んでいたかを知る唯一の手がかりは『木山捷平 父の手紙』に収められた父静太から木山さんに送られた手紙、および静太の日記です。この中に町坪の地名も出てきます。
昭和2年10月20日の静太の手紙にはこんなふうに書かれています。この前の日に軍隊を慰問するために村(岡山県小田郡新山村)を代表して姫路にやってきたんですね。ちなみにこれは大阪毎日新聞が昭和2年に発行した岡山県地図(この地図も神戸の海文堂書店で手に入れました)。岡山と広島の県境の笠岡から北に登ったところに新山村があります。赤の四角で囲んだ山口という場所に木山さんの生家があります。
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この日、静太は井笠鉄道の新山駅で軽便鉄道(!)に乗って笠岡に行き、そこで山陽本線に乗り換えて姫路までやってきています。4時間半ほど。静太は山陽本線の車窓から荒川小学校を眺めています。当時は線路から小学校まで視界を遮るようなものは何もなく、はっきりと小学校を見ることができたようです。その日はたまたま荒川小学校の運動会の日。
昨日行きしなの車窓、運動会はよく見えた。何をして居るのかそれは観えるものではない。学校が見える間はよく見えたので町の坪は見えなんだ。英賀保の小学校にも高く網を張つたり旗が立つたりして居た。

荒川小学校は姫路へ向かう汽車の進行方向からすると左側、そちら側を静太はずっと見ていたので、反対側の町坪は目に入らなかったんですね。ただし、この少し前に木山さんは町坪ではなく千代田町に移り住んでいたのですが、ずっと町坪宛の手紙を書いていたので、町坪がどんなところなのか気になっていたんでしょうね。
ちなみに英賀保(あがほ)は姫路の一つ手前の駅。町坪からだと、姫路駅より英賀保駅の方が近いので、静太は何度か英賀保駅に捷平宛の荷物を送っています。そこもこの日運動会だったみたいですね。調べたらその日は水曜日。

ところで、これは現在の町坪の交差点辺りの写真。
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左に曲がるとすぐに荒川小学校。町坪など、線路の南側に住んでいる子供たちは線路と線路沿いの県道をまたぐ大きな歩道橋を渡って学校に向かいます。で、右手前にある、今は営業をしていない「よこうち」というお店のあった場所に昔木山さんが住んだ家があったように思われます。
現在の町坪はというと、こんな風に大きなマンションも建ってはいますが、家がぎっしりと建ち並んでいるわけではなく、一歩、県道からはなれるとこんなふうに昔ながらの家が残っている場所もあります。
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もう少し離れると田圃がまだあちこちに残っています。
このあたりは空襲を受けることもありませんでした。

近年、ひとつだけ、大きな変化があったとすれば、阪神淡路大震災のとき、町坪の南の玉手という場所に田圃を埋め立ててかなり大規模な仮設住宅が建設されたこと。神戸から最も遠い場所に作られた仮設住宅でした。今調べたら300戸近く。たぶんあまり埋まらなかったような気がします。あるいは神戸から遠すぎたためにちょっと住んで、すぐに出て行った人が多かったんでしょうね。でも、何人かの子供たちは町坪を通って荒川小学校に通ったはず。少しはいい思い出を作ってくれたでしょうか。

ところで、昭和2年10月20日の手紙。前日のいろんな思い出を書いていますが、結局木山さんには会っていないんですね。村を代表しての公式な行事だったので、そんな時間はとれなかったようです。帰りの汽車の話で、三石のことが少し出てきます。
昨日は忙しくて四時十五分の列車の乗り、弁当を買ひ、荒川あたりで食つたのだ。それまで何一つ口に入れなんだ。茶一杯飲まなんだ。姫路の弁当だけでは足らなんだ。上郡で鮎ずしを買つて食つた。鮎ではなくてニセモノだ、うまくなかつた。上郡の鮎鮓、三石の弁当、これが兵庫県西端、岡山県の東端の背中合わせの二大名物として珍とするに足るのであらう。

静太の書いている「三石の弁当」なんて、もちろん今はもうなくなっているはず。一体どんなものが入っていたんでしょうか。
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by hinaseno | 2013-09-24 11:14 | 木山捷平 | Comments(0)

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再び、「荒川小学校の木山さん」です。もう少しだけ書いておきたいことがあります。
その前に、今日もテレビ番組の紹介を。
今夜7:30からBSプレミアムでこのブログでも何度か紹介した作曲家中山晋平の特集が放送されます。なんと一時間半も。
中山晋平は野口雨情とのコンビでいくつも童謡をかいています。そんな童謡の話、それからもちろん「船頭小唄」の話も出てくるはず。

そういえば中山晋平は姫路のお隣のたつの市の「龍野小唄」という民謡をかいたことを以前かきましたが(作詞は西條八十)、残念ながらオリジナルはいまだに聴けていません。調べてみると「龍野小唄」には(一)と(二)があるそうで、いずれもタイヘイ・レコードからSP盤が出ています。M盤と呼ばれるものみたいですね。番号がM1636(X3382)とM1636(X3383)なのでA面に(一)、B面に(二)が録音されているんでしょうか。
歌っている人は喜久丸。編曲は山田喜四郎。

ところで「荒川小学校八十周年記念誌」に載っている卒業生の思い出を読んでいたら興味深い話がありました。大正2年に入学された苫編の八木さんの話。八木さんは大正8年卒で、木山捷平が荒川小学校にやって来るのはその10年ほどあとになるので、木山さんとは直接関わりをもっていません。ただ、この八木さんの過ごされた荒川小学校の風景、あるいは子供たちの生活の様子は木山さんがいた頃とそんなには変わっていなかっただろうと思います。
八木さんはかなり長い思い出話を書かれていて、そのどれもが興味深いものばかりなのですが(もちろんポプラの話も出てきます)、その中にこんな話が出てきます。
松井須磨子演ずる復活の主題歌「カチューシャ可愛いや別れのつらさ」の歌とか、卒業前、船頭小唄「おれは河原の枯れすすき」の哀調をおびた歌が全国に流行し、幼い私共も聞きなれて登下校の途中、上級生とともによく歌った。

松井須磨子が『復活』という劇の中で歌った曲のタイトルは「カチューシャの歌」。歌詞の中の「カチューシャ可愛いや別れのつらさ」は流行語にもなっているんですね。

作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。曲が作られたのは大正3年。

それからもう1曲は例の「船頭小唄」。やはり中山晋平の曲。曲が作られたのは大正10年(最初は「枯れすすき」というタイトル)。レコードになったのは大正12年。八木さんは小学校の卒業前に歌ったと書かれていますが、ちょっと年代にずれが...。
でも、荒川小学校という姫路の外れの村の学校に通っていた大正時代の子供たちが登下校時に、当時流行していた中山晋平の歌謡曲を歌っていたというのはとても興味深い話です。
きっとこの数年後、つまり木山さんが荒川小学校にやってきた頃の子供たちはきっと
「シャボン玉」(大正11年)とか「黄金虫」(大正11年)とか「兎のダンス」(大正13年)とか「証城寺の狸囃子」(大正14年)とかといった野口雨情と中山晋平が作った童謡を登下校時に歌っていたにちがいありません。

これは「荒川小学校八十周年記念誌」に載っている大正12年卒の塚原さんの四・五年の頃の写真です。木山さんがいた頃の子供たちもだいたいこんな感じの服装だったんでしょうね。
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この方はのちに新聞社に勤められたようで、やはりとても興味深い話をいくつも書かれています。一番興味深いのは木山さんと同時期に荒川小学校にいた田村顕二先生(タムケンですね)と鶴見幾二先生の話が出てくること。お二人とも荒川小学校に長く勤められていたので、思い出話を書かれている方が多いのですが、熊見先生は特に多いですね。スポ―ツマンでかっこよかったみたいです。こんな話も。
熊見先生は、私が高等科一年のときの担任で、師範学校を卒業したての新進気鋭であったと思う。スポーツが好きで、体操(今の体育)の時間には、当時ようやく流行しはじめたランニングシャツにランニングパンツ姿で、飛魚のように動き回っておられた。その若さと斬新さ、男らしさに、高等一年の女子の中には、師弟の感情を越えた感情をもつものもあって、時にはクラスの中に話題をにぎわすこともあった。

果して木山先生は?
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by hinaseno | 2013-09-22 10:18 | 木山捷平 | Comments(0)

昨日、木山捷平が昭和2年に書いた「男の子と女の子」という詩を紹介しました。
明るい月の光のもと、幼い男の子と女の子がいっしょにおしっこをするユーモラスな詩。改めてもう一度引用します。
そら
ええか
一、二、三……

わしと
とみちゃん
石崖の鼻にならんで
ふるへながら小便ひつた。

わしの小便と
とみちゃんの小便
二本ならんで
芋の葉つぱへぱりぱり落ちた。

「とみちやん、わしの方がちつとよけい飛んだぞ!」
「そら、あんたのはちつと突き出とるもん」

山も
野も
あかるいあかるい月夜であつた。

さて、昨日、月の曲をチェックしていたら、まさにこの詩のためにあるようなタイトルの曲を見つけました。

「A Little Girl, A Little Boy, A Little Moon」。

曲を作ったのはハリー・ウォーレン、詞をかいたのはロバート・キング。ハリー・ウォーレンの詞を書いている人といえば、マック・ゴードンかアル・デュービンがほとんどで、ロバート・キングが詞を書いているのはこの曲だけ。

「A Little Girl, A Little Boy, A Little Moon」という曲は、以前石川さんに送っていただいたハリー・ウォーレンのコンピレーションCD(Harry Warren Songbook Vol.3)に収められていました。ただ、それはハル・ケンプという人がリーダーを務めるジャズ・バンドが演奏したものでしたので、だれか歌ったものはないかと調べたら、ダイアナ・パントンという人が歌っているものがありました。この曲です。これが素晴らしくって。

この曲は彼女の2010年に出た『If The Moon Turns Green...(邦題は「ムーンライト・セレナーデ〜月と星の歌」)』というアルバムに収められています。実は、これ、以前、知人に借りて録音してCD-ROMに落としていました。でも、作曲者のチェックはしてなかったんですね。
月と星に関する曲ばかりを収めているとても素敵なアルバム。ダイアナ・パントンという女性の声がまた魅力的なんですね。「星の王子様」をイメージしたアルバムのジャケットもいいですね。一時期、本当によく聴いていました。「A Little Girl, A Little Boy, A Little Moon」も何度も聴いてたんです。

この曲、調べたら森山良子さんも最近出したアルバムで歌っているようです(共同プロデューサーは鈴木慶一)。どうやらダイアナ・パントンの歌ったものを気に入っただれかが(鈴木慶一さんでしょうか)、森山さんに歌ってみてはと提案したようですね。

と書きつつ、ダイアナ・パントンのこと、それから森山良子がカバーしたものがあること、以前、石川さんと電話でハリー・ウォーレンの話をしていたときに、石川さんが教えてくださっていたような気が...。

昔の人でこの曲を歌っている人はだれかいないのか気になります。パソコンで探してみましたがどうも見当たりません。

いずれにしてもこの曲がハリー・ウォーレンが作ったものだと知って、昨日からずっと聴き続けています。木山さんの「男の子と女の子」にもつながっていますからね。
ただ、こちらの A Little GirlとA Little Boyは彼らよりはもう少しだけ年齢が上。曲も素敵ですが、詞がなんともロマンチック。“A little〜”のついた言葉がいくつも出てきます。” A little"No", a little"Yes"”なんて言葉にはぐっときますね。
歌詞を日本語に訳してみようと思ったのですが、うまく訳せそうにないのでそのまま歌詞を載せておきます。
Scene, a park, after dark

'Neath the moonlight mellow

Just a glance, then romance

What a lucky fellow


A little girl, a little boy, a little moon

A little nook, a little brook, a night in June

While the little stars are gleaming

They're dreaming and scheming


A little walk, a little talk, a little bliss

A little"No", a little"Yes", a little kiss

And very soon, a little church, a wedding tune

A little girl, a little boy, a little moon



Time, a year, June is here
Park is left behind them

Happy he, happy she

This is where you'll find them



A little lane, a little house upon a hill

A little Jack, who hurries back to meet his Jill

At the little door they're kissing

But someone is missing



A little ma, a little pa creep up the stair

A little lad who looks like dad is sleeping there

And through the trees, they hear the breeze

It seems to croon

A little girl, a little boy, a little moon

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by hinaseno | 2013-09-21 10:32 | 木山捷平 | Comments(0)

昨夜もきれいな月が出ていたので、船場川にかかる橋から月の写真を、と思ったのですが、月の角度が高すぎて、川といっしょにとらえることができませんでした。これではどこで撮ったのやら、ですね。でも、ちゃんと船場川にかかる橋から撮ったことだけは確かです。
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ところで、中秋の名月というのは、必ずしも満月というわけではないということを、昨日初めて知りました。でも昨夜は満月。そういうのはめずらしいそうですね。

さて、家に戻って録画していた平川さんの出演された「ハートネットTV」を見ました。これまでパソコンの画面では何度も平川さんの姿を見ていましたが、テレビで見るのははじめて。感激しました。もちろん話されている言葉の一つ一つもすばらしいものでしたが(いつもながら、なんて文学的に、詩的に語られるんだろうと思います)、商店街を歩かれている平川さんの姿にはしびれました。その時の平川さんは隣町探偵をされているときの表情なんですね。それから蒲田近くのトンカツ屋でトンカツを食べている場面もよかったです。
考えてみたら今年は内田先生も、石川さんも、そして平川さんもテレビに出演されました。それぞれの方が、今の時代に必要とされる存在になられていることを痛感する日々です。

さて、昨日、木山さんには月夜をテーマにした詩がいくつもあるということを書きましたが、木山さんの第一詩集である『野』にはこんな、ちょっと不思議な詩が収められています。感嘆符のついた4つの言葉が、三カ所出てくるのが印象的。そして、最後に「姫路」という言葉が出てきます。
  夜刈り

月が明るいので
わしら田園へ出て稲刈つた。
おやぢ!
おかあ!
わし!
妹!
四人ならんで米のなる木刈つた。

米のなる木は刈つたとて
麦のごはんに漬菜のおかず
わしらすぐ腹がぺこぺこになつた

寒い!
ふるへる!
からくり!
搾取!

月が沈んだ。
わしら暗い畷道通つて帰つた。
寂寥!
憤怒!
自棄!
破壊!
姫路の空があかかつた。

詩が書かれたのは昭和3年。
木山さんは昭和3年4月から姫路の北の菅生小学校に勤務しているので、内容から荒川小学校に勤めていた頃に書かれたものではなさそうです。
それにしても不思議な詩。前半はおそらく木山さんの故郷の笠岡での家族揃っての収穫の風景を描いています。

でも、「 寒い! ふるへる! からくり! 搾取!」の「からくり!」から詩の表情が一変。家族と一緒に家に帰っているはずなのに、その幸福感からはかけ離れたきつい言葉が4つ続けられます。「 寂寥! 憤怒! 自棄! 破壊!」。
そしてそのあと、あまりにも唐突に姫路が出てきます。
姫路の空があかかつた。

「あかるかつた」ではなく「あかかつた」なんですね。木山さんが姫路にいるときに抱き続けていた”きつい”気持ちが表れていることは確かなんですが、でも不思議な詩です。

実は、『野』はこの詩が収められている前後は連作のようになっています。
この「夜刈り」の前に収められた、同じ昭和3年に書かれた「男の子と女の子」という詩にも月夜の風景が出てきます。こちらは木山さんの幼い頃の風景を描いた、ほのぼのとした詩です。
  男の子と女の子

そら
ええか
一、二、三……

わしと
とみちゃん
石崖の鼻にならんで
ふるへながら小便ひつた。

わしの小便と
とみちゃんの小便
二本ならんで
芋の葉つぱへぱりぱり落ちた。

「とみちやん、わしの方がちつとよけい飛んだぞ!」
「そら、あんたのはちつと突き出とるもん」

山も
野も
あかるいあかるい月夜であつた。

「ぱりぱり」という音がさすが木山さん。「突き出とる」という言葉は「月出とる」と掛けているようにも思えます。

で、この詩の後に、「月が明るいので」という言葉で次の「夜刈り」の詩が始まります。
そして「夜刈り」に続くのが「白壁」という詩。これも昭和3年に書かれた詩。再び子供の頃の風景に戻るのですが、「夜刈り」の最後に出てきた「寂寥」という言葉が二度使われています。
  白壁

子供の時分
ぬりかへたばかりのお寺の白壁に
大きな落書きをして
和尚にひどく叱られたが――。

あれは愉快な悪戯であつた。
あれは美しい意欲であつた。

この頃
俺等をとりまく大きな寂寥!

神様!
この寂寥をどうしてくれる?
あのやうな白壁を
俺等の前にさしひろげてくれ!


この次の詩には「夜刈り」の詩の最後に出てきた「憤怒」という言葉が何度も出てきます。タイトルは「積つた憤怒」。やはり昭和3年に書かれています。
  積つた憤怒

積り
積り
積り
積もり積つたこの憤怒!

この憤怒はどこて捨つべきか?
この憤怒はどうしたらはらせるか?
いきなり嬶(かかあ)のどてつぱらをけりとばしてやらうか?
否!
丼を皆んなぶつけてわつてやらうか?
否!
酒をたらふく飲んであばれてやらうか?
否!

否!
否!
否!


そしてこの詩の次の次に、昨日触れた「月夜の時雨」が出てきます。
  月夜の時雨

いい月夜だ。

ぱらぱらと
しぐれが過ぎて行つた。

さびしいか?
否!

ひえびえと
しかもまつすぐに
葉の落ちたポプラは立つてゐる。

子供たちが一緒にした小便の音の「ぱりぱり」と時雨の音の「ぱらぱら」が響き合っています。
姫路にいたときの木山さんが絶望に近い葛藤の中にいたことは容易に想像できます。でも、そんなきつい気持ちの中でもユーモアをどこかにしのばせているんですね。

最後に、昭和2年に書かれた木山さんの詩で僕の好きな「朝景色」という詩を載せておきます。「未発表詩篇」の一つ。「船場川」と同じ時期に書かれたものだと思います。もちろん荒川小学校に勤めていた頃に書かれた詩。千代田町辺りから荒川小学校へ登校するときの風景を描いているのかもしれません。
  朝景色

あんなに沢山ふつてゐた雨が
からりとはれて
しづかなそしてきよらかなこの朝景色、
歯をみがきながら
大根畑のなかを歩いてゐると
自分が貧乏なことも
からだが弱いことも
すつかり忘れてしまうてゐた、
それだからああ
こんなきれいな朝がこの世にはあるから
ぼくはまだ生きてゐたいのだつた。


今日のブログのタイトルは、「 荒川小学校の木山さん(7)」にするつもりでしたが、この詩の中の、とびきり素敵な言葉をタイトルに使いました。
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by hinaseno | 2013-09-20 09:46 | 木山捷平 | Comments(0)