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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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 昨夜の「小西康陽のこれからの人生。」。番組の冒頭、いつもの市川実和子さんの日本語のナレーションではなく、昨日書いた英語(とスペイン語)で語られたので、びっくりしました。語っていたのはマテオ・ストーンマンというミュージシャン。

 この人はCDは持っていないのですが、神戸に行くとよく立ち寄っているディスク・デシネで紹介されていたミュージシャンなので知っていました。小西さんが番組でアナログが出ていることを知ってレーベルに問い合わせた、というのがたぶんデシネのことだろうと思います。

a0285828_10414735.jpg 実はこのデシネという店のことを知ったのは小西さんの『ぼくは散歩と雑学が好きだった』という本で紹介されていたから。今、その本を見ると例えば06年2月14日の日記にはこんなことが書かれています。

 世の中に嫌いなものはたくさんあるけれども、その中のひとつにレコード屋が使う「糊付きビニール袋」がある。


 本当にその通り。僕も大嫌い。もちろんゴミやホコリが入るのを防いでいるのだとは思いますが、その糊の部分がレコードジャケットにくっついて悲しいことになってしまったことが何度か。で、小西さんはこのあとにこう続けています。

 外側ビニール袋ならディスクデシネなどで取り扱っているぴったりサイズのものが最上。(中略)オレはディスクデシネで100枚セットのぴったりサイズ袋を買っている。家で聴いて感動したレコードのジャケットをこのぴったりサイズ袋に入れる得の充実感。オレってモテなくて当然だと思う。


 ということなので、僕は初めてディスクデシネに行ったときに、この100枚セットのぴったりサイズ袋を買いました。この袋は本当に素晴らしくて、以前買っていたレコードの外袋もほとんどそれにとりかえました。今は二つめの100枚セットを使っているところ。

 さて、同じ年の2月28日の日記にはこんなことが書かれています。

日曜は神戸でレコード・ハンティング。
一軒めはハックルベリー。(ここで13枚レコードを買っています)
近いので「ちんき堂」へ。
「AZUMA」という店お茶。
高架下の「ワイルドハニーパイ」で2枚。
同じく高架下「FREA OUT」で1枚。
そしてディスクデシネでいろいろと教わる。(ここでレコードを5枚買っています)


 ハックルベリーは昔からよく行っている店、というよりもハックルベリーに行くために神戸(元町)に行っていました。小西さんは確か他の本でもハックルベリーを大好きな店として紹介していたと思います。
 「ちんき堂」は一度だけ行きました。「AZUMA」は知らないですね。
 それから元町の高架下には何軒か中古レコードの店が並んでいて名前をよく覚えていないのですが、昨年暮れに大瀧さんの『CM Special Vol.2』を買ったのは高架下の「ダイナマイト・レコード」というお店でした。

 というわけで、デシネへは小西さんは何度か来られてるんですね。

 そういえば、小西さんの『ぼくは散歩と雑学が好きだった』には姫路のことがちょっと出てきます。「鯛焼きのしっぽの話。」というエッセイの中に少し。
 この話の中で、恵比寿1丁目の通称たこ公園のすぐそばに出来たばかりの「ひいらぎ」という鯛焼き屋の話が出てきます。小西さんの仕事場に近いことから、時々買って食べているそうです。こんなふうに書かれています。

 この鯛焼きはいままで食べ慣れていたものと違って、皮の部分がカリッとしている。粉が違うのか、焼き方が違うのか、それとも両方とも違うのだろうか。中身のあんこはそれほど甘くないので、食べ始めたときはいつも「これなら二つはいけそうだ」と思うのだが、けっきょくひとつ食べ終わるとすっかり満腹してしまう。おいしいものとはそんなものだろう。この「ひいらぎ」、いま調べてみたところでは、姫路で人気のあった店が東京に初出店したのだという。
 これは意外だった。自分の頭の中ではすっかり鯛焼きとは東京の味である、というイメージが出来上がっていたのだ。だが東京の老舗の鯛焼きにはこのような新しい食感を思いつくことは出来なかったはずだ。

 この「ひいらぎ」、姫路では「遊示堂」という店で、その2号店は姫路駅近くのおみぞ筋商店街の一角にあって、よく通る場所なので、ときどき買ってた店だったんですね。先日も買おうと思って行ったら、人があまりに多く並んでいたのであきらめました。ここの鯛焼きを食べるようになってから他のが食べられなくなってしまいました。

 ああ、また話がすっかりそれてしまいました。
 マテオさんの音楽、とってもよかったですね。また、今度デシネに行って買いたいと思いました。やはりアナログの方を。

 それにしてもマテオさん、あのジャケットのイメージとはちがって、結構波瀾万丈の人生を送られていたんですね。何歳なんだろう。若く見えるのに60歳くらいの老人のようなしゃべり方をされていました。

 そういえばマテオさんは強く影響を受けた映画としてヴィム・ヴェンダーズの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のことを上げていました。この映画、見なくてはと思いながら、そのままになっていました。
 この映画のことは村上春樹の『村上ラヂオ』でも取りあげられています。「滋養のある音楽」というタイトルのエッセイ。引用しようかと思いましたが、ちょっと長いのでやめておきます。

 最新のハイファイ版「これからの人生。」の話をするつもりでしたが、そこまでいきませんでした。ちなみにハイファイ・レコードは糊付きビニール袋ではなくて、いつもぴったりサイズと大きいサイズの2重のビニール袋に入れられて送られてきます。
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by hinaseno | 2013-01-31 10:48 | 音楽 | Comments(0)

  これからの人生。


 今日は1月の最後の水曜日。月の最後の水曜日になると、必ず聴いているラジオ番組があります。NHK-FMの夜11時から放送されている「小西康陽のこれからの人生。」
 句点「。」がついているのがポイントでしょうか。番組が始まったのは2010年4月。まもなく4年目に入りますね。
 もともとは2007年暮れに、小西さんがあるレコードショップで年末のプレゼント用として作った「これからの人生。」というCDがもとになっています。おそらくは一部で好評になっているそのCDのことをNHKのラジオの関係者が聴かれて、ぜひということになったんでしょうね。

 前にも書きましたが小西さんは僕が最も影響を受けたミュージシャンのひとりです。といってもずっとその活動を追ってきたわけではありません。ですから「これからの人生。」というCDの存在を知ったのは2008年くらいだったように思います。
 このCDは、一般には売られていないもので、年末から年始のある時期にそれを制作したレコードショップのレコードを買った人だけに与えられるものなので、確か最初の2枚はネットのオークションで購入しました。
 レコードショップできちんとレコードを買ってCDをプレゼントとして送ってもらうようになったのは2009年の暮れくらいでしょうか。それからまもなくラジオの番組が始まりました。

 「これからの人生。」のCDを作っていたレコードショップは、初年度はJET SET、2年目以降はハイファイ・レコード。

 その一番最初のJET SET盤のおそらくはクリスマス・プレゼント用に作られたはずの「これからの人生。」の表のジャケットにはこんな英語の言葉が書かれています。

What are you doing the rest of your life?
North and south and east and west of your life
I have only one request of your life
That you spend it all with me


そしてこの下にはその日本語の訳が書かれています。

これからの人生、あなたはどうするのですか。
人生の北・南・西・東。
これからの人生で、わたしは一つだけお願いがあります。
これからの人生をわたしと過ごして欲しいのです。


 小西さんのラジオ番組を聴かれた方ならおわかりのように、この日本語の言葉は、ラジオの「これからの人生。」の最初に毎回市川実和子さんが語られている言葉ですね(ちなみに市川実和子さんは大瀧さんの作ったこんな曲を歌っています)。

 実はずっとこの言葉は小西さんが考えられたものだと思っていたのですが、そうではないことをさっき知りました。「What are you doing the rest of your life」というタイトルの曲があるんですね。さっきの英語はその歌詞の一部でした。いろんな人が歌っています。調べてみたら僕のパソコンのiTunesの中にも2曲。一応フランク・シナトラの歌ったものを貼っておきます。ちょっと長いヴァースの後に、上の歌詞の部分が出てきます。


 CD版「これからの人生。」の2007年盤の第1曲目はグレン・グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」。僕の愛してやまない音楽です。

 先程、久しぶりにラジオ版「これからの人生。」の初回の放送を聴いていたら、2曲目にAl Viola(アル・ヴィオラ、アル・ヴァイオラと表記されることもあります)のギターの曲(「Peaceful」)がかかっていてびっくり。アル・ヴィオラはアル・カイオラのことを調べているときに、何度も危うく見間違えてしまいそうになったギタリストです。このジュリー・ロンドンの大好きなアルバムのギターもアル・ヴィオラです。



 ところで昨日書いた「あるギタリスト」とは、もちろんアル・ヴィオラさんではありません。残念ながら(いつものように)前置きが長くなってしまって、そこまで話がいきませんでした。
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by hinaseno | 2013-01-30 11:05 | 音楽 | Comments(0)

今日はあるギタリストのことを書いてみようと思っていたのですが、いろいろ調べているうちに新たな「発見」もあったりして、結局きちんとまとめることができませんでした。僕が音楽をよく聴くようになってから(ということはきっかけは『ロンバケ』ですね)最近に至るまで、その人のギターをずっと聴き続け、その人の名前を何度も(本当に何度も何度も)目にしてきていたのに、気に留めることなく今日まできていたギタリストです。
(考えてみたらこんなことばかり)
あるものの準備ができれば、明日ぐらいに書きたいと思います。

ちょっと思わせぶりな文章になってしまいました。

その人はきっとこの曲でもギターを弾いているはず。
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by hinaseno | 2013-01-29 15:09 | 音楽 | Comments(0)

 川本三郎さんの『荷風と東京』を読み進めています。ただ、本文とは別に、後ろにもかなり詳細な補註が書かれていて、なかなかページは進みません。いろんな発見がありすぎます。
 そういえば昨日、その補註を見ていたら、ずっと先の章の補註に書かれている「エノケン、ロッパ」という言葉が目に飛び込んできました。何かに関心を持っていると、こういうことは往々にして起こるんですね。
 本文はまだ読んでいないので、どのような内容に対しての註なのかはわかりませんが、そこでは昨日触れた古川緑波の日記『古川ロッパ 昭和日記 戦前編』(晶文社 1987年)からの引用がなされていました。川本さん、ロッパの日記も読まれていたんですね。
 その引用の後、こんなふうに書かれています。

 
古川緑波は荷風の愛読者だった。戦後、昭和21年に扶桑書房から「断腸亭日乗」の短縮版というべき『荷風日乗』が出版されたときに直ちにこれを書評した。


 で、古川緑波の『劇書ノート』からの引用が続きます。ロッパは『断腸亭日乗』の中に「エノケン、ロッパ」という言葉が三度も出てきたことに驚いているんですね。もちろんすごくうれしかったんだろうと思います。

 それにしても川本さんはこの『荷風と東京』を書くために、何度『断腸亭日乗』を読み返したんだろうと思います。章ごとのテーマに関する記述を『断腸亭日乗』の中から(場合によっては荷風の小説や随筆からも)抜き出しています。僕が実際に『断腸亭日乗』を読んだときに新たな発見があるんだろうかと思うくらいに。

 そういえば、引用された荷風の日記の文章の書き出しには「晡下(ほか)」という言葉がいくつも出てきます。これも昔、川本さんの別の本で知った言葉です。今調べたら『あのエッセイ、この随筆』(2001年)の「きれいな見知らぬ言葉たち」という文章に出てきます。「晡下」とは「午後4時すぎ」という意味。広く「夕方」ととらえてもいいのかもしれません。荷風は本当にこの「晡下」という言葉をよく使っています。「晡下散歩」とか。
 川本さんは「『晡下』の意味を知っている人は、たいてい『断腸亭日乗』の読者と考えていい」と書かれています。川本さんが意味を調べた『大辞林』の「晡下」の用例も『断腸亭日乗』からのものなんですね。川本さんは「一度、自分の文章のなかで使ってみたいと思っているが、現代文のなかではどうしても違和感が生じて使えない」とも書かれています。
「きれいな見知らぬ言葉たち」ではこのあと「緩頬」という言葉についての興味深いエピソードが書かれています。「スマイル」のことですね。まあ、それは別の話。話がすぐにそれます。

 そういえば(と繰り返してしまいますが)昨日読んだ「鷗外への景仰」という章を読んでいたら「謦咳に接する」という言葉を見つけてあっと思いました。『断腸亭日乗』ではなく『書かでもの記』に書かれている文章。

 
われ森先生の謦咳に接せしはこの時を以て始めとす。


 川本さんにならって『大辞林』を引いてみると。「謦咳に接する」とは「尊敬する人の話を直接聞く」という意味。荷風がもっとも尊敬していたのが森鷗外だったんですね。
 実はこの「謦咳に接する」という言葉、少し前に辞書で引いていたんです。
 この日の文章で引用した、平川克美さんが大瀧さんにお会いされた後の感想を書かれたツイートの言葉にありました。

 
年一回師匠の謦咳に接することで、身を清められる。


 平川さんのこの言葉を読んだとき、恥ずかしながらこの「謦咳に接する」という言葉を知らなかったので辞書を引きました。たったこれだけで心からの尊敬を表すことができるんだと感心しました。知らない言葉が多いです。

 話はそれますが、最近はわからない言葉があると辞書よりもパソコンで調べることが多くなってしまいました。でも、それだときっと思わぬ発見がなくなるんでしょうね。さっきも「晡下」のことを書いた川本さんの文章を探すために、何冊か思いあたる本をめくっていたのですが、もし、本がデジタル化されたらすぐにそこに辿り着けるんだろうと思いつつ、でも手間をとっていたおかげで、「晡下」とは別に、先日から気になっていたことについて書かれた文章を見つけることができました。効率のよさだけを考えた世界では起こりえない幸福な瞬間です。
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by hinaseno | 2013-01-28 09:20 | 雑記 | Comments(0)

 前に木山捷平の話をしたときにも書いたかもしれませんが、僕は坂のある町が好きです。牛窓には坂のある路地があちこちにはりめぐらされています。そして少し坂をのぼると海が見える。最高ですね。
 坂の上にはたいていお寺か神社があります。というわけで牛窓にはたくさんのお寺や神社があります。小さな町なのに、一体いくつあるんだろうと思えるくらいにたくさん。
 川本さんも最初に牛窓に行かれたときに、7つも歩かれています。本蓮寺、牛窓天満宮、金比羅宮、五香宮、妙福寺、愛宕様、牛窓神社。
a0285828_10454189.jpg今回、僕が坂を上って行って見つけたのが荒神社という小さな神社でした。そんなには高くはなかったのですが、牛窓の町を見渡すのにはちょうどいい高さ。これがその荒神社から撮った写真。正面に本蓮寺の三重塔、その横にはリマーニの白い建物も見えます。
 この神社は海に向かって腰を下ろせるように作られていて、残念ながらここに上ったときには天気が崩れかけていたのですが、天気がよければきっといいすばらしい眺望が開けているのだろうと思いました。
 そういえばその座る場所には参拝に来た人が記帳するノートが置かれてあって、見るとほぼ毎日見えられている人もいました。きっとご近所の方なのかもしれませんが、毎朝、この場所にやって来て手を合わせて、それから海を見つめるという日々はなんて素敵なんだろうと思います。今度は天気のいいときにぜひ行ってみたいと思いました。

a0285828_1111050.jpg ところで、前回の最後に書いたあの風格のある建物。その1回の入り口の窓には内側からこんな絵が貼られていました。昔の映画人の似顔絵を描いたものですね。書かれた映画人はよく知った人もいれば、知らない人もいます。顔の横にはちょっとしたコメントも書かれています。現在ははもう一軒もないのですが、牛窓には以前は映画館が2軒ほどあったと聞きました。その映画館の関係者が描いたものなのでしょうか。

a0285828_1123580.jpg せっかくなのでいくつか絵を載せておきます。
 まずはど真ん中に描かれている原節子。ちょっと木枠に隠れていますが。『早春』には出ていませんが、小津のいくつもの映画に出ていますね。

a0285828_11251948.jpg 次は高峰秀子。僕は最近、高峰さんのことを大好きになってしまって、いくつものエッセイを読んでいます。この絵は「二十四の瞳」の頃の高峰さんではないようですね。

a0285828_1125413.jpg それから昨年亡くなられた山田五十鈴。小津の映画では『早春』の次の作品である『東京暮色』にだけ出演されています。この映画は先日初めて見ました。一言で言えば暗い映画。でも、とても心に残る映画でした。特に最後の電車の場面での、娘役の原節子が見送りにやってくるのを待つ山田五十鈴の演技は素晴らしいものだと思いました。正直、今まで山田五十鈴という女優を意識して映画を見ることはなかったのですが、これから、とくに黒澤明監督の映画などを見てみたいと思っています。

a0285828_11291584.jpg 最後は古川ロッパです。エノケン、ロッパのロッパですね。横にこんなコメントが。
 「古川ロッパは『尻とり唄』その他タクサン」
 ロッパが「尻とり唄」を歌っていたことは知りませんでした。でも、ロッパはエノケン同様、歌をたくさん歌っています。中には以前書いた古関裕而さんの作った曲も。「さくらんぼ道中」は大好きです。

a0285828_11441542.jpg そんなロッパの歌った曲を集めたCDを石川さんが出されています。これです。「尻とり唄」はないですね。それは即席で作ったものなんでしょうか。

 ロッパには荷風の『断腸亭日乗』にまさるともおとらない日記があるとのこと。石川さんに是非読んでくださいと言われています。いつか必ず読んでみたいと思っています。

 ところで、僕の持っている牛窓のことを書いた古いガイドブックを読んでいてあることを思い出しました。牛窓は「風待ち」「潮待ち」の港だったんですね。漁港ではなくて廻船の寄港地。以前牛窓にあった「風街(もしかしたら風待だったのかもしれません)」というカフェはこの「風待ち」とかけていたんですね。なんと僕好みのネーミング。
 「風待ち」っていいですね。
 そういえばこんなことわざがあります。

  待てば海路の日和あり

 僕の座右の銘でもあります。
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by hinaseno | 2013-01-27 11:51 | 雑記 | Comments(0)

a0285828_9124499.jpg 昨日は牛窓の海岸通のことを書きましたが、実は牛窓で魅力的なのは、おそらくは古くから人が行き交っていたはずの、この裏通りですね。海沿いの道が整備されるまではきっとこの通りがメインストリートだったんではないかと思います。ここから北は山になっていて、そこに石段でつくられたいくつもの路地が無数に伸びています。普通の観光客はあまりここを通らないのかもしれません。ちょっともったいない気がします。

 川本さんも当然ここを歩かれています。『日本すみずみ紀行』にはこう書かれています。

 
 路地を歩くと、瓦葺き、格子作りの古い家がたくさん残っている。江戸時代末から明治にかけてのものが多い。ただどの家ももう"現役"の活気はなくして、歴史の底に沈んでいるような寂しい佇まいだ。町全体が、骨董屋の奥にひっそりと置いてある古い家具のようだ。路地裏に明治時代に建てられた煉瓦作りの二階建ての洋館が残っていたが、これも廃屋になっていた。
(中略)
 細い道はくれるようにして海沿いに続いている。漁師の家にはいまでも使われている井戸があったりする。豪商の大きな邸宅がある。造り酒屋があり。古い石段がある。ただ歩いている人の姿をほとんど見かけない。商店の数も少ない。町全体が隠居してしまった老人のようだ。

 
 25年ほど前の風景。でも、この路地は川本さんが行かれた当時のままのはず。廃屋の数はいくつか増えているかもしれませんが、でも、さびれた感じはしませんでした。「骨董屋の奥にひっそりと置いてある古い家具のよう」、あるいは「隠居してしまった老人のよう」と書かれていますが、だからこそ川本さんも奥さんも老後に住んでみたいと思われたんではないかと思います。

a0285828_9242864.jpg 川本さんも書かれていますが、路地を歩いていて、すぐに気がつくのは井戸が多いこと。温暖小雨の気候なので井戸は必要不可欠のものだったんですね。もともとは近くに学校があったために「学校の井戸」とよばれるこの井戸の看板を読むと、牛窓の町並みは共同井戸を中心にして発展してきたと書かれてありました。

a0285828_930408.jpg ところで、この背後の白い建物、とってもいい雰囲気。写真館だったようです。遊郭もいいですが、こんな建物もものすごく心惹かれるものがあります。今はもう営業をしていないのでしょうか。ここにこんなプレートが立てかけてありました。

「カンゾー先生」

 もう写真がかなり変色してしまっていますが、実は今から15年くらい前に、この牛窓を舞台にして映画が撮られていたんですね。全然知りませんでした。去年買った『瀬戸内シネマ散歩』(『早春』のことを書いている本)という本で初めて知りました。
 監督は今村昌平、主演は柄本明と麻生久美子。原作は坂口安吾なんですね。映画はまだ見ていませんが、今日ぐらいに借りてこようかと思っています。この写真館も写っているんでしょうか。
 『瀬戸内シネマ散歩』を読んでみると、映画の病院として使われた旧牛窓役場は、保存を願う人たちの声も届かず取り壊されたそうです。残念ですね。

a0285828_10133016.jpg そういえば、この近くにあったこの建物のそばにも「カンゾー先生」のポスターと、小さな碑が作られていました。
 それにしてもこの建物は雰囲気があります。廃屋になっていて、かなり朽ち果てていますが、でもどこか風格のようなものがあります。「川源」さんの古い建物と書かれてありました。こちらはもと遊郭ではなく純粋な旅館だったんでしょうか。とにかく気になる建物。
 この建物については、また明日以降に書いてみたいと思います。

 ところで、路地裏にはやはりネコが似合います。というわけで、そばに寄ってきてくれたネコの写真を。
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by hinaseno | 2013-01-25 10:15 | 雑記 | Comments(1)

 久しぶりに行った牛窓で、まず訪れてみたかった場所は「ニコニコ食堂」でした。川本三郎さんの『日本すみずみ紀行』で、川本さんが初めて牛窓に行かれた時に食事をとられた食堂です。こんなふうに書かれています。

 

 日がおちると少し寒くなった。セーターを着た。酒を飲みたくなって居酒屋を探したがどこにもない。雑貨屋のおばさんに聞いたら町には居酒屋はないという。無論、バーもない。バス停のそばに食堂があったのを思い出してそこに戻った。
 ニコニコ食堂という、バスの運転手相手らしい小さな食堂だ。夫婦二人でやっている。そこでおでんと小さなイカの煮物をさかなにビールを飲んだ。隣ではこれから岡山まで走るというバスの運転手がラーメン・ライスを食べていた。もう一人の客は女性ライダーで、岡山からこの町に住む友人を訪ねてこれから帰るところだといっていた。
 二本目のビールをあけるところには運転手も女性ライダーも岡山に帰っていった。まだ夜の七時をまわったばかりだというのに、ニコニコ食堂はもう店閉いである。町に出ると通りは真っ暗で、商店はすべて戸を閉ざしていた。


 川本さんは最初の滞在のときには、牛窓のいろんな場所を訪ねられていますが、このニコニコ食堂のことが特に印象に残ったようで、数年前に牛窓を再訪されたときもまずニコニコ食堂に向かわれます。

 

 町の様子はさほど変わっていないが(現在、瀬戸内市になっている)、オフシーズンのせいかどこか寂しい。昼に町に着いてまずは昼食。お目当ては、バスの発着所の前にある「ニコニコ食堂」。以前来た時に。ここでメバルの煮付けを肴にビールを飲んだ。そのいい記憶があったので店に行ったのだがなんと店仕舞いしている。建物は残っていたが「本年一月末をもって閉店しました。操業以来八十年、御愛顧ありがとうございました」と張り紙がある。
 寂しい限りだが、幸い、近くにいい小料理屋があった。以前、来た時はなかった。夫婦で店を切りまわしている。いい店だった。刺身と瀬戸内名物のままかりを肴に酒を飲んだ。ひとり、「旅愁」を感じることが出来た。


 操業80年ということは店を始めたのが1930年頃ということになります。昭和5年頃。結構すごいですね。親子二代くらいでされていたのかもしれません。最初から「ニコニコ食堂」という名前だったんでしょうか。「ニコニコ」というと大瀧さんのこの曲が浮かんできます。あるいはこの曲も歌い出しに「ニコニコ」が出てきます。詞を書いたのはいずれも大瀧さん本人。「ニコニコ」というオノマトペ、大瀧さん好きみたいですね。オノマトペは時代によって流行り廃りが激しいのですが、このカタカナで表された「ニコニコ」という言葉は現代も生き続けています。まさにスマイルですね。そういえば前に書いた「スマイルがつながる」という文章をうけてアゲインの石川さんがいろんな人の歌った「スマイル」を集めたCDを作られたものを先日送っていただきました。うれしい限りです。それともう一枚送っていただいたものも今聴き続けているのですが、それについてもまた後日改めて書いてみたいと思います。

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 さて、その「ニコニコ食堂」、すぐに見つかりました。バスの停留所の真ん前ですね。川本さんが書かれていたように店は閉まっていました。張り紙もなくなっていました。でも、看板もそのままで建物が残っているのはうれしかったですね。「ニコニコ食堂」の「食堂」の部分が外れてしまって「ニコニコ」とだけ残っているのを見て思わずにっこり。

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 驚いたことに、そのすぐ近くに川本さんが最初に牛窓に来た時に滞在された「川源」という旅館もありました。川本さんも書かれていますがもともと遊郭だった建物。外からはわかりにくいですね。
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でも、その向かいには昔の遊郭の建物がそのまま残っていました。調べてみると、このあたりには昔は遊郭が数十間並んでいて岡山城下の中島(渥美清主演の『拝啓天皇陛下様』に出てきますね。実家からそんなに遠くないので、また行ってみようと思っています)とならぶ屈指の花街だったようです。こんなことを言っていいのかわかりませんが、昔の遊郭にはロマンティックなものを感じるようになっています。現在残っている遊郭は、この写真の建物と川源だけのようです。

 そういえばこの遊郭だった建物の隣に、おそらくは川本さんが牛窓を再訪されたときに食事をとられたはずの小料理屋がありました。僕はここでさんま定食をいただきました。昼時で客は10名ほど。常連の方と、観光客らしき人がいました。川本さんが書かれているようにいい店でした。

 川本さんが最初に牛窓を訪ねられてからまもなく牛窓にはリマーニといったギリシャ風の真っ白なリゾートホテルができました。さらにはその近くにはコンビニなどもできていて、海岸通はおそらくは夜でも明るくなっているように思います。でも、川本さんは牛窓を再訪されて、それらが当然目に入っていただろうとは思いますが、少なくとも『そして、人生はつづく』に収められた文章にはそれらについて一切触れられていません。今はおそらくここを観光に訪れた人の多くはそのリゾートホテルのレストランで食事をとるはず。僕も前回、10年ほど前に来た時はそこで食事をしました。でも、川本さんはそこに一切目を向けることなく小料理屋でお酒を飲んでいます。川本さんのこだわり(というようなものではなく、川本さんにとってはあくまで自然な形なのだろうと思いますが)を垣間みたような気がしました。
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by hinaseno | 2013-01-24 10:42 | 雑記 | Comments(0)

 昨日は牛窓に行ってきました。本当は3月くらいに行こうと思っていたのですが、なぜか急に行かずにはいられない気持ちになりました。

 いくつかのきっかけがありました。
 まず、その前日に万歩書店さんで見つけた『町の誘惑』という本(1994年発行)。安西水丸さんと稲越功一さんの共書。水丸さんが文と絵を担当。稲越さんが写真を担当しています。
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 水丸さんと稲越さんはいずれも村上春樹さんや川本三郎さんと関わりの深い人たち。イラストや写真を担当する人どうしの組み合わせというのもちょっと意外でしたが、やはり興味の惹かれる組み合わせ。で、中を見たら日本のいくつかの町を二人で旅していて、その2つめに牛窓がありました。稲越さんの写真がいいんですよね(水丸さんのイラストもかわいい)。裏表紙の写真も牛窓。ただしそれはもしかしたら牛窓の向かいにある前島で撮られた写真なのかもしれません。

 ちなみに水丸さんは大学の同級生が備前の伊部の出身でこの本を書かれた頃には郷里に戻って陶芸をしているとのこと。その人から備前焼や竹久夢二、あるいは牛窓の話をいろいろと聞いたようです。この本では、別の章でも備前の伊部を訪ねられていました。水丸さんと岡山の関係はけっこう深そうです。

 それからもう1冊、「文藝春秋SPECIAL」の「もう一度日本を旅する」と題された特集号を見つけて、きっと川本さんの文章が入っていそうな気がしたんで見ると予想通り、「日本の小さな町を歩く」と題されたエッセイが。
 書き出しだけ読んで、どこかで読んだ気がするなと思いましたが、まあいいかと思って買って家に戻って最後まで読んだら、何と先日読み終えたばかりの『そして、人生はつづく』の、しかも4日前のブログで取りあげた、川本さんが牛窓を再訪したときの話が載っている、一番うれしかったまさにその文章。ぱらぱらと見て気づかない自分も情けないのですが、でも、"よばれてるな"と思わずにはいられなかったのでいくつかの予定を変更して牛窓に行きました。といっても実家からは車で30分あまりで行ける距離なのですが。

 牛窓を訪ねるのは何年ぶりだろう。10年ぶりくらいでしょうか。前回来た時に立ち寄った絵本を中心にした古本屋(できたばかりだったはず)はなくなっていました。それから「風街」という喫茶店があった建物は今もありましたが、「風街」のあった2階は空いたままになっていました。

 牛窓が好きな理由はいくつもあります。まずはなんといっても目の前に海が広がっていること。それから塔(三重塔)があること。江戸から明治にかけての古い町並みが残っていること。そういうのがちょうどいいくらいのサイズで収まっている小さな町。川本さんの『日本すみずみ紀行』を読むと、川本さんもほんの数時間ほど町を歩かれただけで「もうどこにも行くところがなくなっ」たと書かれています。確かにその通りです。

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 牛窓の海岸沿いのこんな風景を見ると僕はいつも大瀧さんの『ナイアガラ・トライアングルVol.2』に収められた「白い港」という曲のこの部分が頭に流れてきます。

「セイルをおろした無数の帆柱がこわいほど綺麗だよ」

 詞はもちろん松本隆さん。そういえば同じアルバムには「オリーブの午后」という曲もありますが、牛窓はオリーブの日本有数の産地。『ナイアガラ・トライアングルVol.2』は、まるで牛窓のためにつくられたようなアルバム。本当は全然違うんですけどね。きっと、あのアルバムに近い風景を住んでいた場所からそんなに遠くない牛窓に見出したんでしょうね。

 前回触れた松本隆さんの『成層圏紳士』には朝日新聞に連載されたコラムとは別に東京新聞に連載されたコラムが載っていて、大瀧さんがらみの話が2つ。日付を見ると『ナイアガラ・トライアングルVol.2』を作る前と作った後くらいの時期の話。
 その一つに「冬の軽井沢で」という話があります。これもちょっと素敵な話。松本さんが信州に仕事場を手に入れた頃の話。

 
 二週間ほど前に、大滝詠一が訪ねて来てくれた。彼は旧来の友人だし、前作の『ロング・バケイション』をつくってから、もう二年以上時も流れたから、そろそろ次のプロジェクトにはいろうということで、雑談をしに現れたわけだ。彼は酒もたばこもコーヒーも飲まないという不思議な人で、ぼくも酒は飲まない人だから、紅茶と日本茶をすすりながらの渋い対話である。
 生木を拾い集めて、暖炉に入れ、火をつけようとぼくが苦戦していると、彼は手元もあざやかに火をつけてしまった。「雪国育ちだからね」と例の口調で言って、「このマキのこの角度がいいんだ」と解説するのがいかにも彼らしい。


 都会生まれで都会育ちの松本さんが上手くできないのを見て、大瀧さんが見事に火をつけてしまう。どんなふうに薪を組んだらいいか知ってるんですね。実践に裏打ちされた知識。 暖炉に火をつけるのもひとつの焚火ですね。焚火文学が好きな僕の、とっておきの小品です。

 牛窓から話がそれてしまいました。この続きはまた明日以降。
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by hinaseno | 2013-01-22 11:15 | 雑記 | Comments(0)

 昨日、平川さんが現在朝日新聞に連載されているコラムのことを書きましたが、朝日新聞のコラムと言えば、昔、新聞を購読していた頃、たぶん日曜日の、やはり「be」のような別冊のものに、ほんの一時期(今調べたら、たった2ヶ月)だけ連載されたコラムがありました。切り取ってノートに貼ったものは今でも大事に持っています。

 書いたのは松本隆。
 はっぴいえんどのメンバーのひとりで、ドラムと曲の詞を担当していた人ですね。言うまでもなく、『ロング・バケイション』をはじめとして、大瀧さんの多くの曲の詞を書いています。もちろん松田聖子の数々の詞も松本さんが書かれています。

 その松本さんが朝日新聞の日曜版に1985年11月から12月にかけてコラムを連載されていたんですね。今からもう30年近く前になります。
 コラムのタイトルは「親友旧交」。松本さんと交流のあった歌手、音楽家について書かれたものです。全部で8回。最初が松田聖子。それから細野晴臣、筒美京平、ユーミン、南佳孝、斉藤由貴、そして大瀧詠一。で、最終回がチェッカーズのフミヤとCCBのヒデキ。
 言うまでもなく、僕としては大瀧さんのことが書かれる日がいつくるかいつくるかと待ち続けていたわけです(松本さんもきっと僕たちを待たせたと思います)。

 で、待望の”その日”がやってきます。コラムのタイトルは「待ってくれた大滝」。このコラムはのちに『成層圏紳士』と題された単行本に収録されます。すでに廃刊になっているみたいですね。ということなので、その日のコラムをここに全文引用しておきます。

 
大滝詠一について語ろうとすると、もう十数年のつきあいになるのに、彼のことを何も知らないような気がしてくる。そういえば彼から家族のこととか、身の回りの雑事について聞いたことが無い。仕事以外のプライベートなことに関して口が重いのかもしれない。
 一度だけ彼がぼくの家を訪ねてくれたことがある。
「今度作るアルバムは売れるものにしたいんだ。だから詞は松本に頼もうと思ってね」
「よろこんで協力させてもらうよ」
 後にミリオン・セラーになった「ア・ロング・ヴァケーション」は、こんな会話から生まれた。
 発売日も決まって、さあ制作に入ろうという時期に、僕の妹が心臓の発作で倒れた。ちょうど大平首相が倒れた翌日で、偶然にも同じ病院の隣の病室に入院した。
 僕は電話で大滝さんに事情を説明して、他の作詞家を探してくれないかと言った。
「いいよ、おれのアルバムなんていつでも出せるんだから。発売は半年延ばすから、ゆっくり看病してあげなよ。今度のは松本の詞じゃなきゃ意味が無いんだ。書けるようになるまで気長に待つさ」
「ありがとう」
 でも数日後、妹は息をひきとった。
 精神的なショックから立ち直るまで、三カ月ほどかかった。その間、彼は何も言わずに待ってくれた。
 あのアルバムの中の詞に人の心を打つ何かがあったとしたら、明るくポップなブルーのジャケットの裏に、透明な哀しみと、それを支えてくれた友情が流れていたからだと思う。
 数年後、『イーチ・タイム』を作ってから、二人の間の距離が開いて、彼は再び長いバケーションを楽しんでいるようだが、来年の春あたりに、突然電話してきて、「そろそろ何かやろうか」なんて言い出すような予感がしてる。

 いい話ですね。後で知った大瀧さんの当時の事情を考えれば、一刻でも早く、できればそのアルバムのジャケットや曲の内容からしても絶対に夏に出しておきたい(当初の発売予定は1980年7月28日。そう、大瀧さんの32歳の誕生日の日)と思っていたはず。でも、待たれたんですね、実際には半年以上(発売されたのは翌年の3月21日)。

 もしあのとき大瀧さんが他の作詞家に頼んでアルバムを予定通りに作られたとしたらどうなっていたんだろうと思うことがあります。きっとアルバムが売れたことは間違いないだろうと思います。でも、果たして僕が、いや他の多くの人たちが現在に至るまでずっと愛し続けることになるアルバムになっていたかどうかはわかりません。少なくとも僕は、そのポップなメロディ、サウンドとともに、あの松本さんの「透明な哀しみ」をたたえた詞がなければ、これほどに愛し続けることはなかったことだけは確かなことです。
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by hinaseno | 2013-01-20 10:19 | 雑記 | Comments(0)

a0285828_2075923.jpg 川本三郎さんの『そして、人生はつづく』を読み終えてから、いよいよ永井荷風の『断腸亭日乗』を、と思ったのですが、その前にこれまで部分的にしか読んでいなかった川本さんの『荷風と東京―「断腸亭日乗」私註』を読むことにしました。
 ただ、これを読むのもかなりの決心がいります。なぜなら600ページを超える大書ですから。でも、この本を読むタイミングとしては、『断腸亭日乗』を手に入れたということも含めて、今がいちばんいいように思いました。
 今はまだ、2章しか読んでいませんが本当に興味深い話が続きます。昨日読んだ章では荷風の老人好きのことが語られています。
 例えば、昭和10年10月25日、荷風はある路地裏を歩いていて、小さな古本屋を見つけます。

「日本堤東側の裏町を歩み行く時、二間程の間口に古雑誌つみ重ねたる店あるを見たれば硝子戸をあけて入るに、六十越したりと見ゆる坊主の亭主坐りゐて、明治廿二三年頃の雑誌頓智會雑誌十冊ばかりを示す」

「禿頭の亭主が様子話振りむかしの貸本屋も思出さるゝばかり純然たる江戸下町の調子なれば、舊友に逢ひたる心地し、右の雑誌其他二三種を言値のまゝにて購ひ、大通に出ればむかしの大門に近きところなり」

 なんという荷風らしい風景! こういう場面を想像するだけでたまらない気分になります。  
 路地裏で思いがけず古本屋を見つける。そしてその店の年老いた主人に「舊友(=旧友)に逢ひたる心地し」て、いくつかの本を「言値のまゝに」に買ってるんですね。

 路地裏と言えば、川本さんは『白秋望景』でこんなことを書かれています。

「風景はいつも発見されるものだ。前からそこにありながら、誰もそれに気がつかなかったものが、ひとたび意識して見つめられる時に、新しい風景としても意味を持ってくる。
 武蔵野の雑木林は国木田独歩によって発見された。そして路地は永井荷風によって発見された」

 『白秋望景』では北原白秋が水を発見したことを指摘しています。 もちろん彼らの「発見」を発見したのは川本三郎さん。発見したことの発見。川本さんが路地裏や郊外や水の風景を再発見されているからこそなしえたこと。

 さて、川本さんの他にも、現在、路地裏を探索し、新たな発見をされている人がいます。平川克美さんですね。平川さんは先週も触れましたが、現在朝日新聞の土曜日版の「be」に「路地裏人生論」というコラムを連載されています。書かれている内容は地理的な意味合いでの路地裏を語ったものばかりではないのですが、路地裏を探る目を持った人ならではの切り口で、グローバル化といった現在の大通りに見られる世界からは縁遠い場所(すぐそばにありながらはるか遠くにはなれた場所ですね)にいる人(ときには動物)たちのことを描き続けられています。

 僕は現在、朝日新聞を購読していませんので、平川さんが「路地裏人生論」の連載を始められてからは、2週間に1度くらいの割合で近所の図書館に行ってコピーをとったりしていたのですが、正直、行っても誰かが新聞の束を確保していることが多く、結局見ることが出来ないまま帰ることになることが続いていました。
 で、先週初めて買ったのをきっかけに、土曜日だけは近所のコンビニで新聞を買うことにしました。ということで、今朝、少し早く起きて、ちょっとだけ離れたコンビニまで散歩がてら歩いて行って新聞を買ってきました。そしてコーヒーを飲みながら平川さんの「路地裏人生論」を読みました。なかなかいいものです。土曜日の朝の新しい日課になりそうです。

 今日の「路地裏人生論」の書き出しはこんなふうになっています。

「晴れた日曜日は、絶好の町歩き日和。とはいえ、遠出は億劫だ。最近はもっぱら隣町を歩く。いつもの三人組で、隣町観光、いや隣町探偵をするのが楽しい。脚下照顧。ちょっと使い方が違うが、わかっているつもりの隣町でも歩いていると思わぬ発見がある」

 「探偵」という言葉が書かれていて思わずニンマリですね。ここでの「いつもの三人組」の残りの二人は、石川さん、内田先生とは違うようです。いろんな探偵団をもっているようです。
 この日訪れられたのは武蔵新田という所。もちろん全くわかりません。でも、平川さんに歩かれることによって、そこが身近な場所になってくるから不思議です。川本さんが歩かれた場所がそうであるように。

 さて、来週の「路地裏人生論」は、どうやら大瀧さんの話が出てくるようです。このブログでもずっと以前に触れた「天然の美」のことも。来週になるのが今からとても楽しみです。
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by hinaseno | 2013-01-19 20:12 | 文学 | Comments(0)