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大瀧さんの作った曲にみられる、ある特徴的な形のメロディを、僕は個人的に「ゆらぎ」と表現しています。多くはサビのやエンディングの部分に聴き取ることのできるものです。

大瀧さんの作った曲の多くは、基本的には大瀧さんの大好きなアメリカのポップスやロックンロールを母体にして作られていて、いくつかの曲では下敷きにした曲がはっきりとわかるような形になっています。ですから大瀧さんのファンになると、必ず大瀧さんが下敷きにした曲、いわゆる「元ネタ」探しというのをするようになります。僕もずいぶんやりました。ある日、ふと聴いた曲で元ネタと思えるようなものに気づいたときのよろこびは、何ごとにも代え難いものがあったりもします。
ネット上にはそんな発見の物語がいくつも見られます。僕もインターネットを始めた最初の頃は、だれかが見つけた元ネタ探しをしていました。ときにそうかと感心させられたり、ときにそれは違うんじゃないとつっこんでみたり。あるいは自分が見つけたものを他のだれかがすでに指摘しているかどうかを確認して、指摘されているのを見つけたらがっかりしたり、でもだれにも指摘されていなかったら秘かに悦んでみたりとか、そんな日々を過ごしていました。

大瀧さんの作った曲で一番有名な曲、となると、やはり松田聖子が歌った「風立ちぬ」という曲になるでしょうか。

「風立ちぬ」の下敷きにした曲として語られるのがジミー・クラントンという人が1962年に歌った「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ」という曲です。僕は山下達郎さんがラジオで語っていて知りました。

「風立ちぬ」も素敵な曲ですが、「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ」も本当に素敵な曲。曲の構造もとてもよく似ています。
曲を作ったのはジャック・ケラーという大瀧さんの大好きな作曲家。「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ」は「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「ジャック・ケラー特集」でも当然かかっていて、大瀧さんはジャック・ケラーの数ある曲の中で1番好きだと語っていました。
「風立ちぬ」には、ほかにもいくつもの曲の要素が鏤められています。僕がまだ気づいていないものもいくつもあると思います。

でも、今回の話のポイントは、「風立ちぬ」にしても他の大瀧さんが作った曲にしても、もしかしたら世界で大瀧さんにしかない独特のメロディがあるということです。それが、僕が「ゆらぎ」と表現する部分です。
大瀧さんは自分が歌う曲にも他人に提供した曲にも、その「ゆらぎのあるメロディ」を入れています。全部が全部というわけではありませんが、でもメロディのきれいな曲のサビやエンディングには必ずと言っていいほど「ゆらぎのあるメロディ」を入れています。
意識的にというのではなくて、大瀧さん自身、歌う側の立場としても聴く側の立場としても、その「ゆらぎ」が大好きなんで、無意識に出てきてるような気がします。と書きつつ、「意識」と「無意識」の境目なんてだれにもわからないですけど、でも「意識的に」では生みだすことのできない自然な「ゆらぎ」。1/f(よく理解していませんが)みたいな感じでしょうか。その「ゆらぎ」の部分を聴くと、うっとりと陶酔した気分になってしまいます。

a0285828_11491688.jpg松田聖子の歌った「風立ちぬ」にも「ゆらぎ」は何カ所か入っています。でも、自分で歌ってみてわかるのですが、「ゆらぎ」の部分は(人に聴かせられるレベルで)歌うのが、とても難しい。
あれだけ歌を歌うことに関しては天才的とも言われた松田聖子も「風立ちぬ」だけは歌うのが難しくて相当悩んだという有名な話があります。確かその時期、松田聖子はのどを痛めて声があまり出なくなっていました(のどを痛めたのは「風立ちぬ」だけが原因ではなかったと思いますが)。
もちろん難しかったのは曲の他の部分にもあっただろうと思いますが、特にその「ゆらぎ」の部分を本人が、あるいはスーパーバイザーとしてレコーディングの場にいた大瀧さんが納得できる形で歌えなかったのだろうと思っています。
そこの部分をうまく歌えるかどうかで、曲の深み、情感は全く違ってきます。ですからYouTubeなどで素人が大瀧さんの曲を歌っているのをたまに聴いたりすると、「ゆらぎ」の部分でたいてい失望することになります。

さて、そんな大瀧さん独自のものだと考えていたのと、まさに同様の「ゆらぎ」を、平野愛子が歌った「港の見える丘」と「君待てども」に聴き取ることができたのでした。大瀧さんが下敷きにしたといったような言葉で語られるものではなく、もっと深い部分にある根源的な何かを見たような気がしました。

と、書きつつ、僕はその「ゆらぎ」が一体メロディのどの部分なのかを示していません。もしかしたら、ああ、あの部分だなと、ピンと来る人もいるかもしれません。それに関しては、また明日にでも。
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by hinaseno | 2012-09-30 11:49 | 音楽 | Comments(0)

大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」は基本的には洋楽、特に1950年代から60年代にかけてのアメリカン・ポップスが中心ですが、ときどきは日本の音楽も特集されています。
1976年3月30日は、大瀧さんの(大)好きな日本の古い曲の特集。せっかくなので、この日かけられた曲を列挙しておきます。
「東京ラプソディ」(藤山一郎)

「私の青空」(二村定一と天野喜久代)。この曲のことについては以前ツイッターでかなり書いたことがあります。また、いつか改めてブログにまとめて書ければと思います。今考えれば、この曲が僕とアゲインの石川さんをつないでくれたのかもしれません。公にはされていませんが、大瀧さんもこの曲をカバーしています。

「山の人気者」(中野忠晴とコロンビア・リズム・ボーイズ)。この音源が中野忠晴とコロンビア・リズム・ボーイズのものかどうかは確認できませんでした。再録音のものかもしれません。

「一杯のコーヒーから」(霧島昇とミズ・コロンビア)。この曲は僕も前から大好きでした、

「蘇州夜曲」(渡辺はま子と霧島昇)。この曲も大瀧さんは相当好きなようです。僕もアン・サリーのカバーで知って大好きになった曲。作詞は西條八十です。

「東京ブギウギ」(笠置シズ子)。現在、ビールのCMでカバーされていますね。

「買物ブギ」(笠置シズ子)。※後記:この曲、どこかで聴いたことある曲だなと考えていたのですが、アゲインの石川さんが企画立案された『バートン・クレーン作品集』の「よういわんわ」ですね。

「お祭りマンボ」(美空ひばり)

「マンボ・イタリアーノ」(沢村みつ子)。沢村みつ子さんの歌うこの曲は残念ながらYouTubeに音源がありませんでした。

このあと、昨日触れた平野愛子の「港の見える丘」と「君待てども」がかかってこの日の特集は終了します。
何曲かリズミックな曲が続いていたので、平野愛子の曲がかけられるときにはメロディックな曲を、との言葉が添えられます。

さて、ポイントはこれらの曲の作曲者。「東京ラプソディ」が古賀政男、そして「一杯のコーヒーから」「蘇州夜曲」「東京ブギウギ」「買物ブギ」が服部良一。この二人はとても有名な人ですね。あとのいくつかの曲は洋楽のカバーです。
で、平野愛子の作曲者はというと、東辰三という人。僕にとっては初めて聞く名前でした。
大瀧さんはこんなふうに言っています。

「服部良一さんと勝るとも劣らない東辰三さんという方がいらっしゃるんですけども、この人の曲っていうのは、ほ〜んっとに、好きなんですね〜。歌手の平野愛子さんもいいんですけど、なんともはや、この東辰三という人はいい曲を書くんですね」

大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」をいろいろ聴いてきて、大瀧さんの好きな曲、あるいは好きなミュージシャンのことを語るときの気持ちのこもった言葉の出され方をいくつか聴いててきましたが、この東辰三さんのことを語るときの気持ちのこもりようは今まで聴いたことのないものでした。本当に、本当に大好きなんです、という大瀧さんの気持ちが伝わってきます。

東辰三。
大瀧さんは「あずまたつぞう」と発音されていますが、「あずまたつみ」と読むという説もあるようです。調べてみると、1900年という切りのいい年に生まれて、1950年という切りのいい年に亡くなられています。
亡くなられた日は9月27日。昨日が命日だったんですね。調べたのが昨日のブログを書いたあとでしたのでちょっとびっくりしました。
ピアノを弾いていたときに亡くなられたそうです。亡くなるときには彼の敬愛する中山晋平が脈をとっていたとのこと。中山晋平は西條八十や野口雨情の書いた詩に曲をつけて、いくつもの有名な童謡や民謡や流行歌を書いた人ですね。木山捷平のときに出てきた人たちにもつながっているのがおもしろいですね。

つながっているといえば、この特集でかけられてはじめて聴いて、個人的にちょっと気に入ってしまった「山の人気者」という曲を歌っているのが中野忠晴とコロンビア・(ナカノ)・リズム・ボーイズというグループなのですが、この中に東辰三さんが在籍していたそうです(番組で大瀧さんは触れられていませんでしたが)。リーダーの中野忠晴にスカウトされたとのこと。バス・パートを歌っていたみたいです。

服部良一が作曲したこの「山寺の和尚さん」も彼らが歌っていて、ところどころ聴こえてくる低音のボンボンボンとか、あるいは3番の「色街のお酌さん〜」という部分を歌っているのが東辰三のようです。相当シャレたセンスをもっていたことがわかりますね。
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by hinaseno | 2012-09-28 09:12 | 音楽 | Comments(3)

先日、アゲインの石川さんに送っていただいた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のシリア・ポール特集のことを書きましたが、同じ日に送っていただいた日本の古い音楽を特集したものを2つ聴いています。その2つの特集では同じ歌手の同じ曲が2曲かけられています。1975年の6月から3年余り続いた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」では、同じ曲がかけられるということはめったにありません。つまり、1度かけられたのに再度かけられるというのは、よっぽど好きな曲、よっぽど思い入れの強い曲ということになります。しかも2曲続けられる形というのは他にありません。

a0285828_1059845.jpgここでちょっとだけ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」という伝説のラジオ番組のことを。
この番組は僕の最も敬愛するアーティストの大瀧詠一さんがDJを務めていたワン・マン番組です。福生にある大瀧さんの自宅のスタジオで、大瀧さんの所有するレコードのみを使って制作されています。基本的には生放送ですが、何度かは録音もあったようです。でも、録音であったとしても編集は一切なし。いくつも曲をかけて、いろんなコメントを添えた上で、ぴったり時間内に収める。ここがすごいところですね。

放送時間は深夜。時間は何度か変っていますが、放送の開始時刻は最初が午前3時、途中から午前0時です。大瀧さんの『ナイアガラ・ムーン』に収められた「楽しい夜更かし」という曲に「午前3時」とか「午前0時」、あるいは「真夜中のディスクジョッキー」なんて言葉が出てくるのはそのせいなんですね…って、気軽に書こうとして今調べたら『ナイアガラ・ムーン』は「ゴー!ゴー!ナイアガラ」が開始する前に作られていることを今、はじめて知りました。ということは、あの番組の放送時間はあの歌に合わせて決められたということ? 途中で午前3時から、2時でも1時でもなく午前0時からに変更されたのも、大瀧さんの意思? それとも単なる偶然? ちょっとびっくりしました。

「ゴー!ゴー!ナイアガラ」が放送されたのはラジオ関東という放送局。関東周辺でしか聴くことができません。当時、岡山に住んでいた僕は当然聴くことができません。しかも大瀧さんのファンになったのは1981年に発売された『ロング・バケイション』というアルバムを聴いてからのことですから「ゴー!ゴー!ナイアガラ」はすでに終了した後。

『ロン・バケ』で大瀧さんのファンになっても、それっきりという人が多かった中で、僕は大瀧さんに関する本や過去のレコードを買い漁る日々が続きました(現在も続いています)。で、その過程で、すぐに過去に大瀧さんのされていた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」というラジオ番組が存在していたことを知りした。番組の特集リストが載っている本もありましたから、それを何度も何度もながめては、いつかそれを聴ける日が来ることを夢みていました。

それが今年、非常に幸運なことに、東京の武蔵小山のアゲインというライブ・カフェをされている石川茂樹さんとの出会いがあり(実際にお目にかかったのではないのですが)、石川さんに「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を録音したものを次々に送っていただいくようになったのです。

さて、今回、石川さんから送っていただいたものに関しては、先日河出書房新社から発売された「増補新版 大瀧詠一」に掲載された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の曲目リストをもとにして、僕がリクエストしたものでした。1つは1976年3月30日の第42回目の特集、もう1つは1978年9月11日の第170回目の特集です。「ゴー!ゴー!ナイアガラ」は172回で放送が終了していますので(最後の放送日は1978年9月25日、今から34年と2日前ですね)、後者は最後から3回目に放送された特集。おそらくは放送終了がわかったうえでの特集であったはず。最後にもう一度大瀧さんにとって大切な2曲をかけておきたいと思われたのだと思います。
その2つの特集でかけられた同じ歌手の同じ曲というのが、平野愛子の「港の見える丘」と「君待てども」でした。

今日はこの曲について話をしようと思いましたが、前置きが長くなりすぎました。この続きはまた明日以降に。
ここに貼っておきますので、ぜひ聴いてみて下さい。

まずは「港が見える丘」。


それから「君待てども」。

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by hinaseno | 2012-09-27 11:24 | 音楽 | Comments(0)

今日は『野人』に収められている木山捷平の詩を2つ。
まずは第一輯に収められた「遠景」という詩。

草原の石ころの上に腰を下して
幼い少女が
髪の毛を風になびかせながら
むしんに絵を描いてゐた。
私ははづかしさうに近よつて
のぞいて見たが
やたらに青いものをぬりつけてゐるばかりで
何をかいてゐるのか皆目わからなかつた。
そこで私はたづねて見た。
「どこを描いてゐるの?」
少女は微笑して答へてくれた
「ずつと向ふの山と空よ。」
だがやつぱり
私にはとてもわからない
たゞ青いばかりの絵だつた。


もう1つは第二輯に収められた「つるみとんぼ」という詩。

空のあをさ。―――
一ぴきのとんぼと、一ぴきのとんぼと
つるんで つるんで とんでゐた。

アッ…………
つばめがそれをくはへて逃げた。
―――空の碧さ。
―――野の青さ。

空と野(山)に2種類の「あお(あを)」が混じり合った風景。

木山さんの詩には、その描写がされていなくても、昼間であればいつも青い空と、その空の青さを写し取った青い田んぼや野が背景に広がっているように思います。村上春樹が引用した「秋」という詩の、木山さんと友人が2人で下駄を履いて「秋をけりけり」した郊外の風景にも、きっと青い空と青い野が広がっていたにちがいありません。

来月初旬に京都の恵文社一乗寺店で村上春樹の「秋をけりけり」を収めた『サラダ好きのライオン』の挿画を描いていた大橋歩さんの挿絵版画展が開かれるとのこと。あの絵は銅版画なんですね。確か大橋さんは『村上ラジオ』ではじめて銅版画を試みたとのことだったと思います。
恵文社一乗寺店には一度も行ったことはないのですが(行ってみたいとはずっと思っています)、「秋はけりけり」のこの挿絵もきっと飾られているのでしょうね。
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この下駄を履いた足、ある意味では木山さんの足でもあるわけですから、本物の原版画をぜひ見てみたい気もします。

そういえば『野人』の読み方について、ずっと疑問に思っています。
「ヤジン」と読むのが普通ですから、僕も口にするときには「ヤジン」と言っていますが、でも、正直、「ヤジン」という言葉から喚起される「ワイルドさ」は木山さんにはないように思います。現代での「ヤジン」という言葉の持つイメージが違和感を持たせてしまうのかもしれませんが。
岩阪恵子という詩人が『木山さん、捷平さん』という本の中で、「ノノヒト」と読む方が似合っているような気がすると書かれていて、そのとおりだなと思いました。

果たして木山さん本人は何と読んでいたのでしょうか。
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by hinaseno | 2012-09-26 11:01 | 木山捷平 | Comments(0)

先日のブログで、木山捷平が昭和2年に書いた「秋」という詩を引用しました。
その年、木山捷平が姫路で自費出版した『野人』に収められたものです。改めて引用します。

僕等にとつて
秋はしづかなよろこびだ。


僕が五銭が煎餅を買つて
ひよこ ひよこ と
この土地でのたつた一人の友を訪ねると
友は
口のこはれた湯呑で
あつい番茶をのませてくれる。

あゝ さびしくも
貧しいなりはいのなつかしさ。

前にも少し触れましたが、この詩は2年後の昭和4年に内藤鋠策の抒情詩社から出版された木山捷平の第1詩集『野』に同じ題名で収められているのですが、言葉が少し変えられています。現在発売されている講談社文芸文庫の『木山捷平全詩集』には『野』の「秋」が収められているだけで、『野人』の「秋」は「未発表詩篇」にも含まれていません。

ここで、『野』に収められた「秋」を引用します。

僕等にとつて
秋はしづかなよろこびだ。


僕が五銭がせんべいを買つて
ひよこ ひよこ と
この土地でたつた一人の友を訪ねると
友は
口のこはれた湯呑で
あつい番茶をのませてくれた。

ああ 友!
秋!
貧しい暮しもなつかしく。

前にも指摘した通り、最も顕著な違いは『野人』の「秋」では現在形になっていたところが、2年後の『野』の「秋」では過去形に変えられていることです。
『野』には『野人』に収められた詩がいくつも収録されています。言葉が新たに足されたり、あるいは削られたり、別の表現に変えられたりと、変更が加えられた部分をいくつも見ることができます。でも、現在から過去へと時制を変えられているのは、この「秋」だけのように思います。

そして、この『野』の「秋」の最も大きな"変更"は、題名の横に次のような副題が付けられていることです。
「―大西重利に―」

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実は先日、岡山の吉備路文学館へ行ってきました。木山さんの奥さんのみさをさんから寄贈された木山さんの数多くの遺品が収められています。現在は木山捷平の展示がされていないのですが、ご厚意で『野人』と『野』の原本を見せていただくことができました。木山さんが実際に所有されていたものでしたので、それに触れたときは正直手が震えました。
上に載せた写真は『野』の原本を開いたものです。「―大西重利に―」という言葉が見えると思います。

大西重利。
「秋」の詩にあえて添えられていることから考えれば、彼が「この土地で(の)たつた一人の友」であったことは間違いないでしょう。そして、もしかしたら彼こそが「南畝町228と288」の謎を解き明かす鍵となる人物なのかも知れません。
大西重利という名で調べると次のような人物が存在することがわかりました。
大正14年に姫路の宝文館という出版社から『童詩集すずめ』という本を出した人に同名の人物がいます。年代的なこと、詩人であること、そして姫路の出版社から詩集を出していることから、木山さんとの接点は十分にありそうな気がします。その詩集が手に入って発行人の住所がわかればいろいろなものが解けてくるかもしれません。

それからもう一つ。これは今朝わかったことなのですが、同じ大正14年に桜井祐男という人が設立した「芦屋児童の村(当初は御影児童の村)」という「新教育」の運動に関わり、後に教師になった人物に大西重利という人物がいることもわかりました。この大西重利は桜井が主催する『教育文芸』という同人誌にいくつか文章も寄稿しています。芦屋は姫路と同じ兵庫県内。児童の教育に関わっていたことから考えると『童詩集すずめ』を出版した人とおそらくは同一人物ではないかと思います。

大正末期から昭和初期に起こったという「新教育」の運動に関しては全く知りませんでしたが、ほぼ同じ時期、西條八十や北原白秋や野口雨情らが関わっていた「新童謡」運動があったことは少し知っています。大西重利が詩を書いていたとすれば、この「新童謡」の運動にも何らかの形で関わっていたのかもしれません。
そして前に触れた、木山捷平が大正11年に姫路の師範学校を抜け出して上京して会いに行き、後に木山さんの『野』を出版することになる抒情詩社の内藤鋠策も「新童謡」の運動に関わっていた可能性は十分にあります。

見えない糸が少しずつつながり始めている気がします。
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by hinaseno | 2012-09-25 09:11 | 木山捷平 | Comments(0)

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三石のあの場所探し。
昨日書いた通り、ほぼ場所を特定することができました。
まずはその辺りの場所で撮った写真を。
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で、こちらは池部良と淡島千景が、三石の下宿から見ているとされた風景の写真。煙突の左に見える背後の山の形状が同じですね。
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僕が撮った写真には山陽本線の線路が写っていません。前にも触れましたが、映画のこの場面は櫓の上の、カメラの位置まで考えるとおそらくは5mくらいの高さから撮られたものです。

もう1枚、以前も載せましたが小津らしき人物が、あの風景をさがしている写真。
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こちらは櫓を建てる前に、あの風景を撮る場所を探しているものですね。ここは、9月15日のブログで、僕が”あてをつけた”ホシレンガの後方の山の中腹からとらえたものであることは間違いありませんでした。
この写真ではわかりづらいかもしれませんが、僕が撮った写真の煙突の下の部分に見える小さな屋根の形が、まさに同じ形状なんですね。もちろん煙突の太さも形も。
この煙突がポイントでした。

この"あてをつけた"場所、先日あてをつけたとき、以前行った場所と書きましたが、それはもう少し西の三石耐火煉瓦工場との境の辺りで違っていました。現地に行くと、ホシレンガはその東にあるかなり大きな工場であることがわかりました。そして、そこに今まであまり意識していなかった1本の煙突が!
この煙突、実はこれまでも何度も通りすがりに眺めてはいたのですが、他の残っている煙突がどれも煉瓦作りであるのとはちがってコンクリート製でしたので、『早春』の映画以降に建てられた新しいものだとずっと思っていたのですが、そうではなかったんですね。この煙突こそまさに、早春のあの場面に出てくる煙突だったんです。そういえば、その場面の煙突はちょっと白っぽいとは思っていたのですが。
前に示した池部良の下宿の背後に見える2本の煙突はどちらも煉瓦作りなので黒っぽい。しかもホシレンガの背後辺りからだと相当距離があって、あの映画の場面の大きさで煙突が写ることは考えにくい。ということなので、あの場面に写っている1本の煙突はすでに失われてしまっている、とずっと思っていたのですが、残っていたんですね。

改めて考えてみると、『早春』の映画を撮影した後、数多くの煉瓦工場がなくなって、何十本もあったはずの煙突のほとんどが倒されて、わずか数本(確認できるものは4本)しか残っていない煙突の3本が映画の重要な場面に写っている煙突だったというのは、奇跡としかいいようがないですね。このときにも、ああ川本(川本三郎)さん、やっと見つけましたって心の中で叫んでしまいました。

さて実際の場所は地図でいうとホシレンガの背後の山の中腹にある恵び須宮という小さな神社の辺りになります。櫓はおそらくその前の工場の敷地に建てたんだろうと思います。小津らしき人物が風景を探していると思われる写真は、その神社の横の高台だろうと思うのですが、そこは現在立ち入りができないようになっていました。恵び須宮も完全に廃墟になってしまっていました。

後で思ったのですが、小津一行が三石に来るなり建てたというあの櫓。彼らは汽車で来たわけですから、あんな櫓の材料を持ってくるわけにはいきません。もちろんトラックで運ぶということもあったかもしれませんが、はじめから櫓を建てる考えはなかっただろうと思います。でも、あの場面をきちんと撮影するにはどうしても櫓が必要になった。そこで浮かんだのがおそらく盆踊りなどに使う櫓だったんではないかと思います。で、運のいいことに恵び須宮の建物の中にその材料が収められていたのかもしれません。撮影したのが9月上旬でしたので、盆踊りの材料がまだしまわれていなかったのかもしれません。それを撮影用の櫓として使ったと。

もしかしたら今もその櫓の材料があそこに置かれていたかもしれませんね。でも、これはあとでひらめいたこと。次ぎに行ったときに確認してみます。できればホシレンガの人に話を訊けたらと思います。

いずれにしても、あの場所を特定できたのは、小津安二郎という人がこだわる部分に関しては徹底的にこだわるということを前提にして探し当てることができたわけです。前にも書きましたが、三石から汽車が東京方面へ去って行くというイメージでは絶対に考えにくい場所でしたから。
もちろん池部良の下宿は実際はセットでしたし、その下宿のあった場所から見える風景は、あの映画の風景とは違って線路に近すぎて、しかも汽車は三石から遠ざかるのではなく、三石に近づいてくるのですが、でも映画的なリアリティを貫くために小津がやっていたことはすごいとしかいいようがないですね。特に下宿のセットの窓の位置と、池部良と淡島千景に見させる方向! 
きっと小津は東京に戻って、池部良の下宿に設定した場所と、彼の部屋から見ている風景として撮影したホシレンガの背後の場所を記した三石の地図を見ながら綿密にセットの間取り(特に窓の位置が重要)を考えて、あの方向を見させたんでしょう。

正直、ここまでのことが発見できるなんて思ってもみませんでした。
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by hinaseno | 2012-09-24 08:50 | 映画 | Comments(0)

当たり!


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あの場所探し。
正確な場所の特定まではできませんでしたが、結果は見事なくらいに「当たり」でした。
でも、それは言い換えれば小津がすごいということの確認でもあったのですが。
詳しくは後日。
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by hinaseno | 2012-09-23 10:22 | 映画 | Comments(0)

  二人のカイオラ


今日は先日指摘した三石のあの場所に行ってきます。
三石にいられる時間がほとんどないのでピンポイントでの確認になります。

当たりか、はずれか。

さて、アル・カイオラのことを少しだけ。
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このアルバムのタイトル曲である「Ciao」という曲について。
曲の始まりからずっとあの特徴のあるフレーズが流れ続けます。
でも、途中でカイオラのもう一つの特徴である、低音弦の響きを生かしたメロディが流れてきます。

どちらがカイオラ?
ふたりともカイオラ?

真相はこの曲の入ったアルバムを入手してからのことですね。

では、今日はこのくらいで。
チャオ!

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by hinaseno | 2012-09-22 09:51 | 全体 | Comments(0)

1958年3月4日のニール・セダカの写真。セダカ19歳の時の写真。
いい目ですね。羨望とともに希望にあふれた目。
彼の視線の先には、サクソフォンを吹いている、あるミュージシャンの姿があります。
でも、セダカはそこに、きっと自分自身の約束された未来を見ていただろうと思います。
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この日録音されているのは「I Belong To You」と「You Gotta Learn Your Rhythm And Blues」の2曲。サックスを吹いているのはキング・カーティス。

ニール・セダカは前年の58年にRCAと契約して「The Diary」でデビューします。
キング・カーティスはセダカのデビュー当時から、バックで演奏しています。
コースターズの「Yakety Yak」が大ヒットした直後で、おそらくセダカは彼を憧れのまなざしで見つめていたと同時に、彼に演奏してもらえることに喜びと希望を感じていたと思います。
ただ「The Diary」のヒットしたバージョンにはキング・カーティスのサックスが入っていません。キング・カーティスのサックス入りの「The Diary」も録音されていますが、録り直されています。
カーティスの入ったバージョンでは、カーティスが情感たっぷりにサックスを吹いているのですが、スタッフはあのバラードに彼の演奏は合わないと判断したのでしょうか。
セダカも「The Diary」を録音する日、まさかキング・カーティスがいるなんて思っても見なかったかもしれません。結果的にカーティスのサックスの入ったバージョンは使われませんでしたが、きっとセダカはカーティスに、コースターズで聴かれたようなもっと軽快な演奏をしてもらえるような曲を作ろうと考えたはずです。

話は1956年に。
この年セダカはトーケンズのメンバーとしてデビューします。
曲は「While I Dream」。素敵なホワイト・ドゥーワップ。大瀧さんのポップス伝でも、ちらっとかかりました。

このあとセダカはソロでデビューしていくつかのシングルを出しますが全くヒットしません。
このとき出したシングルは「Laura Lee」、「Ring-a-Rockin」、「Oh, Delilah」の3枚。
3枚とも1957年10月にニューヨークのJACスタジオで録音されています。このときにギターを弾いていたのが、何とアル・カイオラ。3枚目の「Oh, Delilah」では、おもいっきり"あのフレーズ"を聴くことができます。ポール・アンカの「ダイアナ」のヒットからまだ間もない時期ですね。

カイオラのギターもいいですが、曲もとってもいいですね。後半の曲の展開にやや面白みに欠けるような気がしなくもないですが。でも、個人的には「The Diary」よりも好きです。会社がきちんとした形で宣伝してたらきっとヒットしたのではないかと思いますが、この曲をリリースした会社では無理だったんでしょうね。

で、話はRCA期に戻ります。キング・カーティスに演奏してもらえることがわかったセダカは、やはりこんな「Stupid Cupid」みたいな感じでカーティスに演奏してもらおうと思ったはず。

さらには、この「I Go Ape」。

で、セダカはキング・カーティスに軽快にサックスを吹いてもらうイメージをもって、改めてもう一度アル・カイオラの"あのフレーズ"を使った曲を作ります。それが「Oh Carol」。ある意味ではこの曲はポップスの完成形と言えるのではないかと思います。

ここで、この曲のギターがアル・カイオラ、サックスがキング・カーティスとくれば話は見事にまとまるのですが、実は僕のもっているBear Familyのボックスではミュージシャンは不明となっています。ただ、この後に録音された「キャロル」ことキャロル・キングによるアンサー・ソングである
「Oh Neil」ではキング・カーティスがサックスを吹いていますね。ギターはアル・カイオラではありませんが、この頃にはカイオラの"あのフレーズ"を他のミュージシャンもまねができるようになっていたんですね。

最後に1958年3月4日のニール・セダカとキング・カーティスのツーショットを。素敵な写真ですね。
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by hinaseno | 2012-09-21 08:42 | 音楽 | Comments(0)

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先日放送された大瀧さんのアメリカン・ポップス伝パート2で、アル・カイオラとともに魅かれるようになったミュージシャンがいました。
キング・カーティス。
もちろん名前を目にしたことは何度もありましたが、これまで特に気にとめて聴くこともありませんでした。

ポップス伝パート2の第4夜、リーバー=ストーラーの話の流れから、1958年3月から始まったコースターズのニューヨーク録音の話題になります。最初のナンバーワンヒットとなったのが「Yarkety Yak」(=おしゃべりという意味のスラングなんですね)。R&Bでも1位、ポップ・チャートでも1位。
この曲を紹介するときに大瀧さんはこう言いました。

「サックスはキング・カーティス。ここからニューヨークのコースターズ・サウンドが始まりました」

これに続いてキング・カーティスがサックスを吹いているコースターズの曲が2曲かかります。まずは「Charlie Brown」。

次に「Along Came Jones」。同名のゲイリー・クーパー主演の少しコミカルな西部劇からテーマをいただいているんですね。

このあと、もう1曲コースターズの「Poison Ivy」という曲がかかりますが、この曲ではキング・カーティスのサックスは聴こえてきません(クレジットにはありますが)。
これらはすべてリーバー=ストーラーの曲。ニューヨークのアトランティック・スタジオで録音されています。

この少し前、同じニューヨークのキャピトル・スタジオでコースターズはリーバー=ストーラーの曲を2曲録音しています。
まずは「Dance!」。と思ったのですがYouTubeに音源がないですね。
それから次に、「Gee, Golly」。

この2曲でギターを弾いているのがアル・カイオラ。
このあとアル・カイオラはアトランティック・スタジオにも行ってこの「Run Red Run」という曲でギターを弾いています。そしてこの曲でサックスを吹いているのがキング・カーティス。


アル・カイオラとキング・カーティスは、少なくともコースターズに関してはこの曲が初競演。ロックンロールからポップスへの移行期のニューヨークのサウンドにこの2人が深く関わっているんですね。
コースターズに関してはもう1曲「I'm A Hog For You」という曲で2人が共演している可能性があるみたいですが、アル・カイオラがギターを弾いているかどうかが確かではないようです。

ただ、アトランティックでは他に何曲かこの2人が共演した曲があります。
例えば、ラヴァーン ・ベイカーのこの「I Cried A Tear」という曲。イントロにポロンと弾かれるギターの響き。カイオラの奏でるギターの響きの中で最も好きです。


特定のアーティストのバックではなく、この2人で一緒に演奏しているものもあるみたいですね。
気があったんでしょうか。
少なくともアル・カイオラは才能のある人としかやらないみたいですから、キング・カーティスの演奏能力を高く評価していたんでしょうね。

最後に、このキング・カーティスの曲。ギターを演奏している人を確認できなかったのですが、どこかで聴いたことのある「あのフレーズ」がでてきますね。間違いなくアル・カイオラでしょう。

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by hinaseno | 2012-09-20 13:46 | 音楽 | Comments(0)