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by hinaseno
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カテゴリ:ナイアガラ( 286 )



「青空のように」という曲を初めて聴いたのはアルバム『ナイアガラ・カレンダー』。手元には1981年にソニーから出たLPがあるので、『EACH TIME』が出る前くらいに買ったんでしょうね。ジャケットはオリジナルとは違ってカレンダーではありません。

そう、オリジナルの1977年12月25日(クリスマスですね)に出たアルバムは翌78年のカレンダーがジャケットになっていました。「青空のように」は6月の曲として収録されていて、家の近所で子供と一緒にいる大瀧さんの写真がつけられていました。その写真は1977年7月1日に発売されたシングルレコードのジャケットと同じもの。

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そういえば写真に写っているのは大瀧さんの息子さん。でも、女の子と間違えられることが多かったようですね。「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でも何度かそのことが話題になっていました。「すみませ~ん、女の子じゃないんです~」と。


で、これがジャケットの裏側にのっている7月から12月のカレンダー。

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考えたらこの年のカレンダー、今年使えるんですね。祝日はかなり違うけど。ちなみに7月28日に赤丸が付いているのは大瀧さんの誕生日。もうすぐですね。

オリジナル版のライナーノーツの最後に「P.S.」としてこんな言葉が。


尚このカレンダーは1989、1995、2006、2017、2023、2034、2045、2051、2062、2073、2079年……………にも使用出来ますので捨てないで、とっておかれた方がよろしいと思います。


というわけで今年は11年ぶりにオリジナルのカレンダーを使うことができる年でした。しかも今年、2017年は『ナイアガラ・カレンダー』の40周年でもあったし。


さて、僕は「青空のように」のシングル盤なんか持っていなかったので、長い間、「青空のように」は6月の曲というふうにとらえていました。でも、やはりこれは6月というよりも7月の曲ですね。

もともと6月はジューン・ブライドということで結婚の曲を考えたみたいですが、曲ができなくて結局は以前に作っていた「青空のように」を6月に入れたようです。


さて、「青空のように」はシリア・ポールの『夢で逢えたら』を制作する中でつかんだスペクター・サウンドをさらに発展、深化させる形で作られたわけですが、当然ながら大瀧さんなりの遊びを入れてるんですね。

キーワードは「青空」。

ということでまずはクリフ・リチャードのこの「I Could Easily Fall (In Love With You)」に使われた手拍子を入れました。邦題は「いつも青空」。




それから…


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by hinaseno | 2017-07-12 14:41 | ナイアガラ | Comments(0)

僕が大瀧さんの『ロング・バケーション』を初めて聴いたときにはすでに『ナイアガラ・トライアングル VOL.2』が発売されていました。当時はLPなんかそんなに何枚も買えないので『ナイアガラ・トライアングル VOL.2』はレンタル屋でレコードを借りてカセットテープに録音したものを聴いていました。というわけで『ロング・バケーション』も『ナイアガラ・トライアングル VOL.2』も後追いということになります。

大瀧さんのアルバムで初めて発売日に買ったのは『EACH TIME』。でも、改めて考えてみたら、発売日の当日ではなかったけれど、発売日の数日後にレコード店で見つけて新譜として最初に買ったのが『ナイアガラ・ソングブック』でした。目立つ所に置かれていたこのジャケットに目がとまったんですね。

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『ロンバケ』同様に夏にぴったりのジャケット(ちなみに発売日は1982年6月1日)。ジャケットのイラストを描いているのは『ロンバケ』と同じ永井博さん。オッと思いますね。ところがアーティスト名義が大瀧詠一ではなくNIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL。どうやら”歌のない”インストのレコードだとわかって、どうしようかなとしばらく考えて買ったように思います。


収録曲のほとんどは『ロング・バケーション』と『ナイアガラ・トライアングル VOL.2』からのものでしたが、知らない曲が3曲(正確には2曲)ありました。

まずはA面2曲目の「Summer Breeze」。でも、これは針を下ろしてすぐに『ロンバケ』に収録された「Velvet Motel」の同じ曲だとわかりました。あとの2曲が「夢で逢えたら」と「青空のように」。すでに録音されていた「白い港」を外して、あえてこの2曲を入れているんですね。この2曲が大瀧さんにとって重要な曲であることがわかります。といっても、当時はこの2曲が入っている意味がよくわからなかったけど。ちょっと違和感も覚えたかもしれない。


さて、今回のタイトルである「お日様」の曲というのはもちろん「青空のように」。♬気まぐれお日様~♬と出てくる曲ですね。この曲も最初の出会いは”歌のない”ストリングス・バージョンだったので、そこにお日様が出てくるなんて知ったのはかなり後のこと。

「青空のように」のようにはシリア・ポールの『夢で逢えたら』のアルバムとほぼ同時期にレコーディングされました。「夢で逢えたら」で”ガールズ版”の曲を作ったので、”ボーイズ版”の曲を作ろうということだったようです。

で、勝手な推測ですが「恋はメレンゲ」で「お月様」と「お星様」で遊んだので、「お日様」の曲にしようと思ったのではないかと。で、「お日様」ならば「青空」。ということでこの曲は「青空」をキーワードに遊ぶことにしたんですね。


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by hinaseno | 2017-07-11 12:28 | ナイアガラ | Comments(0)

「お月様」と「お星様」についての話を書いたので次は「お日様」のことを。

でも、その前に。

先週の「山下達郎サンデー・ソングブック」のことを。お題は「JET STREAMで棚からひとつかみ」。JET STREAMという深夜のラジオ番組が50周年を迎えたということで特集されたようです。JET STREAMは城達也さんがパーソナリティを務めていた頃にはときどき聴いていました。

先週の達郎さんの放送は聴けなかったんですが、かかった曲のリストを見ると、どうやら達郎さんがパーソナリティを務めていたならば、ということで選曲していたようです。それがかなり興味深い選曲。聴きたかったな。

(ちなみにこれはサンソンを聴きながら書いているのですが、途中で大瀧さんとシリア・ポールのデュエットしたヴァージョンのオリジナルであるリック・ネルソンの「The Very Thought Of You」がかかってびっくり。大瀧さんとシリアの話もちらっと出ました)

城達也さん時代のテーマソングであるFrank Pourcel Grand Orchestra の「Mr. Lonely (Jet Stream Version)」のあとにまずかかったのが、このLawrence Welkの「Calcutta」。




これは昔(30年前です)大瀧さんと達郎さんの新春放談で大瀧さんがかけた曲。大瀧さんのお気に入りの曲ですね。もちろん僕のお気に入りの曲の一つになりました。


そのあとジャッキー・グリースンやヘンリー・マンシーニのあとにかかったのがBill Pursellが演奏するこの「Our Winter Love」。




この曲、以前ブログで紹介したような気がするけど書いていなかったですね。「Our Winter Love」という曲はレターメンで歌ったものを聴いて大好きになって、で、何年か前にこの曲について調べていて、このBill Pursellが演奏するバージョンを知ってそれについて書いたはずですが、アップしないでほったらかしにしたかもしれません。そういうの結構あります。

たぶんこの日のブログの流れで調べたんですね。レターメンのバージョンのアレンジがとってもロマンチックで、そのアレンジャーのペリー・ボトキン・ジュニアはやっぱりすごいなって書いたんですが、調べてみたらそれ以前に発表されていたこのBill Pursellのバージョンのアレンジをほぼそのまま踏襲していることがわかったんですね。


それから達郎さんがかけた曲でちょっとびっくりしたのは、The Sounds of Sunshineというグループのこの「Love Means (You Never Have To Say You're Sorry)」。




このThe Sounds of Sunshineというグループのことはこの日のブログで紹介しています。おひさまゆうびん舎での『今日の人生』について語る会ために作ったCDの最後にこのグループが歌った曲を入れたんですね。その曲のタイトルは「Today Is The First Day (Of The Rest Of My Life)」。日本語に直したら「今日は残りの人生の最初の日」。CDを作ったのはこの曲のことを知ってもらいたかったため。

このグループ、長くて意味深なタイトルの曲をいくつも歌っているんですがその一つ、「Love Means (You Never Have To Say You're Sorry)」が達郎さんの番組でかかったんですね。日本語に直したら「愛は、ごめんなさいと謝る必要が決してないということを意味する」。「今日は残りの人生の最初の日」以上に哲学的なタイトルです。ちなみに邦題は「愛とは決して後悔しないこと」だそうです。


さて、サンソンの「JET STREAMで棚からひとつかみ」の最後にかかったのがこの曲でした。番組聴いてたらきっと感動しただろうな。




『ナイアガラ・ソングブック』の最後に収録された「夢で逢えたら」のインストルメンタル・バージョン。演奏はNIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL。


シリア・ポールの『夢で逢えたら』の前に僕がずっと聴いていたのはこの『ナイアガラ・ソングブック』でした。

ちょっと前に、大瀧さんが古関裕而の「ひるのいこい」について語った話をしましたね。こんな言葉。


「一回廃墟になったときに古関裕而のあの(「ひるのいこいのテーマ」の)メロディーを流して、みんながどんな反応をするのか俺は見てみたい」
「そんなときは、これは誰が作ったとか考える余裕がないわけ」

このとき大瀧さんは「歌がないからいいんだ」とも語っていました。

で、僕は、もしも大瀧さんの曲でこのような状況に当てはまる曲があるとすればなんだろうかと考えて、それは「夢で逢えたら」のインストルメンタル・バージョンしかないだろうと思ったんですね。歌の入っていないインストルメンタル・バージョンの「夢で逢えたら」こそ、まさに”あの大瀧詠一”の曲と語られることなく多くの人の耳に届く曲だと思うから。

きっと大瀧さんもその思いがあったから、震災の後に『ファースト』の40周年盤ではなく『ナイアガラ・ソングブック』の30周年盤を出したんですね。こんなことを言ってはあれですが、おそらくは未発表曲が満載されるはずだった『ファースト』の40周年盤を出していた方が『ナイアガラ・ソングブック』の30周年盤よりもはるかにたくさん売れたはず。でも、大瀧さんはそれをせず、あえて”歌の入っていない”『ナイアガラ・ソングブック』を出したんですね。

『レコードコレクターズ』という雑誌に掲載された『ナイアガラ・ソングブック』についてのインタビュー(インタビューが行われたのは大瀧さんが亡くなった2013年の2月8日)で大瀧さんは、古関裕而の「ひるのいこい」について触れた後、最後にこんなことを語っていました。


「まあ、古関裕而の「ひるのいこい」には逆立ちしてもまったくかなわないんだけれども、国破れて山河あり、の意味合いから、この『ナイアガラ・ソングブック』も鎮魂として捉えられてくれるとありがたいなと思ってる。そういう思いで発売を決めて。今回はいっぱい見本盤を仕入れてサインしてどこかに送ろう、と。鎮魂になってくれればいいんだけどね」


泣けます…。

というわけで、結局「お日様」の話にはいきませんでした。

いや、「お日様」つながりでおひさまゆうびん舎のことをちらっと書きましたね。次回はそのおひさまゆうびん舎の5周年のときのお祝いとして作ったCDに入れた「お日様」の曲の話をします。


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by hinaseno | 2017-07-09 15:39 | ナイアガラ | Comments(0)

お月様とお星様


今日は七夕ですね。というわけでもないけどお星様の話になります。今夜お星様が見えたらいいけど微妙かな。


シリア・ポールの「恋はメレンゲ」で興味をもったのは「お月様」と「お星様」の部分でした。

”原曲”の「恋はボサ・ノバ」のシングル盤の歌詞カードの日本語訳の詞では「お月様」と「お星様」はこんなふうに出てきます。


お月様のせいではなかったかしら
いヽえボサ・ノバよ
お星様のせいだったかしら
違うわ、ボサ・ノバよ

ここを大瀧さんはこんな歌詞にしています。


フルーツカラーのお月様も
キラキラ輝くお星様も
一緒に踊ったあのメレンゲ
二人は恋におちた

耳を止めたのはこの部分が歌われるときのバックコーラス。例の「快盗ルビイ」のときみたいに遊んでいるんですね。

「フルーツカラーのお月様も」と歌われるときのバックコーラスはすぐにわかりました。


♬I see the moon, I see the moon♬


大瀧さんの大好きなナンシー・シナトラが歌った「I See The Moon」からとっているんですね。「I See The Moon」の邦題は「フルーツカラーのお月さま」。これが日本盤のジャケット。このレコード探しています。

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そういえば『夢で逢えたら』のB面3曲目でカバーしている「Tonight You Belong To Me」もナンシー・シナトラが歌っています。その邦題は「いちごの片思い」。ほかにも「レモンのキッス」とか、ナンシー・シナトラの曲の邦題はいろんなフルーツがいっぱい。強引すぎるけど。


気になったのは♬I see the moon, I see the moon♬に続くコーラス。ちょうどシリアが「お星様も」と歌ったあとに出てきます。でも何度聞いても聞き取れない。最後はどうにか”Get Me”と聞き取れるくらいでなんと言っているかわからない。大瀧さんのことだからきっと「お星様」と関係のある曲を入れているに違いないと思いながらどうにも手がかりがつかめないでいました。


ところが思わぬところに解答が。それは「恋はメレンゲ」のオリジナルが収録されている『ナイアガラ・ムーン』の40周年記念盤に付けられていた写真集の中にありました。これです。

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「恋はメレンゲ」の楽譜、というか正確にいえばコーラス譜。

実は『ナイアガラ・ムーン』の「恋はメレンゲ」にはこんなコーラスはついていません。これはシリア・ポール・バージョンの「恋はメレンゲ」のコーラス譜なんですね。本来であればシリア・ポールの『夢で逢えたら』の40周年記念盤の付録に掲載されるべきもの。どうやら間違えて(?)掲載されたようです。『ナイアガラ・ムーン』の40周年記念盤は大瀧さんが亡くなった後に出たものなので、気付く人がいなかったのかもしれません。でも結果オーライ。気になっていた♬I see the moon, I see the moon♬のあとのコーラスがわかりました。

歌われていたのは♬Where's It Gonna Get Me?♬。

調べたらこれはやはり大瀧さんの大好きなシェリー・フェブレーの曲のタイトルでした。有名な「ジョニー・エンジェル」のB面。

で、邦題を調べたら、やはり推測した通り。「お星様」がついていました。

「お星さま教えてね」。これが日本盤のジャケットです。

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それにしてもナイアガラの世界は奥が深い。


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by hinaseno | 2017-07-07 13:10 | ナイアガラ | Comments(2)

シリア・ポールさんのことを書きながらずっと彼女のアルバム『夢で逢えたら』を聴いていました。

『夢で逢えたら』のアルバムで好きな曲はといえば、なんといっても「The Very Thought Of You」。それから「Tonight You Belong To Me」、「Walk With Me」と続きます。「夢で逢えたら」は別格。

今回何度も聴いていていて、なぜか一番引っかかったのは「恋はメレンゲ」でした。大瀧さんの『ナイアガラ・ムーン』に収録された曲のカバー。女性が歌うということで、少しだけ女性言葉に変えられています。

で、一番引っかかったのは、1番の最後と、エンディングに出てくる「つづりふしぎ」という言葉。

いちおう「綴り不思議」と聞き取れて歌詞カードを見てもそうなっていたんですが、でもはっきり言って意味不明。ちなみに「メレンゲ」の綴りは英語・スペイン語ともに”merengue”。ちっとも不思議な綴りではありません。

もしやと思って、この曲の下敷きになっているイーディ・ゴーメの歌った「恋はボサ・ノバ(Blame It On The Bossa Nova)」の歌詞を見たら”magic spell”という言葉を発見。これを「綴り不思議」と訳したんですね。でも”magic spell”は本来「魔法の呪文」という意味。

ちょっと気になったので『ナイアガラ・ムーン』の30周年盤が出た時のインタビューを見たら、「恋はメレンゲ」のこの「綴り不思議」という歌詞についての話が出ていました。聞き手は湯浅学さん。


湯浅:「綴り不思議」というのもありますね。”magic spell”。
大瀧:そうそう。「綴り不思議」とは普通は訳さない。そのまんまなんだよな(笑)。「魔法の呪文」じゃああんまり当たり前なので。

ということで意味なんてものを考えていてもしょうがないですね。


ところで「恋はメレンゲ」は曲だけでなく歌詞も「恋はボサ・ノバ」のパロディになっていることがわかったので、それをもう少し分析してみました。その前にシリア・ポール・バージョンの「恋はメレンゲ」の歌詞を。


あれはダンスパーティーの夜
あなたの目に魅きつけられ
一緒に踊ったあのメレンゲ
震えが止まらなかった

フルーツカラーのお月様も
キラキラ輝くお星様も
一緒に踊ったあのメレンゲ
二人は恋におちた

(恋はメレンゲ) 彼はとっても
(恋はメレンゲ) うまく踊ったの
たった一度のダンスで ロマンスの花が咲く
恋はメレンゲ 綴り不思議

いつの日か子供達に
二人のロマンス聞かれたら
一緒にきっとこう言うでしょう
メレンゲのせいよと

(恋はメレンゲ) 彼はとっても
(恋はメレンゲ) うまく踊ったの
たった一度のダンスで ロマンスの花が咲く
恋はメレンゲ リズム魔法
たった一度のダンスで ロマンスの花が咲く
恋はメレンゲ 綴り不思議 不思議

で、これを英語の歌詞と比べていたんですが、そういえばと思って東京に行く前に中古レコード店で見つけた「恋はボサ・ノバ」のシングル盤のレコードの歌詞カードの日本語訳を見たら、なんとなんと。大瀧さんはこの日本語訳をパロディにしていたことがわかりました。

これが「恋はボサ・ノバ」の日本語訳。表記はそのままにしています。


ダンスで彼に目をつけたの
悲しそうに、はづかしそうに一人ぼっち
踊りはじめてしばらくしたら
この人こそはと思ったの。

ボサ・ノバのせいよ
魔法のようなあのリズム
ボサ・ノバのせいなの
彼が上手に踊ったわ
たった一度のダンスに始って
直ぐに素敵なロマンスになった
みんなボサ・ノバのせいなのよ
恋の踊り、ボサ・ノバ。

お月様のせいではなかったかしら
いヽえボサ・ノバよ
お星様のせいだったかしら
違うわ、ボサ・ノバよ
それじゃ音楽のせいだったの?
そうなのボサ・ノバのせいなのよ。
恋の踊りのせいだったの。

彼と結婚の約束したわ。
そして子供も沢山つくるの
子供達にロマンスを聞かれたら
すぐに心からこう言うの。

ボサ・ノバのせいよ
魔法のようなあのリズム
ボサ・ノバのせいなの
彼が上手に踊ったわ
たった一度のダンスに始って
直ぐに素敵なロマンスになった
みんなボサ・ノバのせいなのよ
恋の踊り、ボサ・ノバ

「たった一度のダンスで ロマンスの花が咲く」や「いつの日か子供達に 二人のロマンス聞かれたら 一緒にきっとこう言うでしょう メレンゲのせいよと」なんて、ほぼそのままですね。

面白かったのはこの日本語訳をした人が”magic spell”を「魔法のようなあのリズム」と訳していたこと。「恋はメレンゲ」の「リズム魔法」はここからきてたんですね。同じ部分に使われていた「リズム魔法」と「綴り不思議」はいずれも”magic spell”からきていたとは。


もうひとつ面白かったのは「お月様」と「お星様」のこと。これについても大瀧さん、結構遊んでいるんですね。特に「お星様」のほうが、最初はなんのこっちゃでしたが、意外なところで答えを発見。気づけた自分は偉いなと自画自賛したくなりました。

それについてはまた次回に。


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by hinaseno | 2017-07-05 13:16 | ナイアガラ | Comments(0)

「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「シリア・ポール・ストーリー」で、関口さんの話が出てきたときにかかったCMソングのこと、作曲家が樋口康雄とわかったことで調べたら、ネット上にこんなデータがありました。


資生堂 「香り’77」(リアレンジ)
1977/4/6
作詞=資生堂 作曲=樋口康雄 歌=シリア・ポール

この曲ですね。シリアの歌詞の中にも「わたしの香り伝えたい」という言葉が出てくるので間違いなさそう。

1977/4/6というのはおそらく録音日。

気になったのは「リアレンジ」という言葉。確認したら、こんなデータを発見。


資生堂「香り’77」
1977/3/30  
作詞=資生堂 作曲=樋口康雄 歌=スザーナ・ウォーカー

どうやらこの「香り’77」は最初1977年3月30日にスザーナ・ウォーカーが歌って録音していたようです。でもその1週間後の4月6日に曲をリアレンジしてシリアが歌って録音しています。このあたりのいきさつ気になりますね。

気になるといえばシリアのバージョンを録音した4月6日いう日付。それはまさにシリアが『夢で逢えたら』を録音していた時か、歌入れがちょうどすんだ頃だった可能性が高い。

『Niagara Record Collecting Guide』によれば、シリア・ポールの『夢で逢えたら』が録音された時期は1977年4月。日付までは書かれていません。

でも、もう少し詳しい日付を推測する手がかりがありました。それは「シリア・ポール・ストーリー」のひと月前に3週にわたって放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ 100回記念DJパーティ」。

そのパーティが行われたのは4月25日。そこにシリア・ポールがゲストに呼ばれているんですが、そのときに「夢で逢えたら」をかけたあと、このレコードのミックス・ダウンが終わったのは2~3週間前だと言っていたんですね。ということは録音は4月5日頃。やはり、あのCMソングの録音、ミックス・ダウンは『夢で逢えたら』の直後と考えていいようです。


改めて考えてみると自分で作った曲でもないCMソングを番組でかけるというのは、いくら大瀧さんと親しい関口さんがその曲のディレクターを務めたとはいえ、やはり異例というか不自然なこと。音源はおそらくマスターテープからとられているはず。とするならば、大瀧さんが何らかの形でこのCMソングに関わっていたと考えたほうがいいように思います。1週間前にスザーナ・ウォーカーが歌ったバージョンがどんなものかはわからないけど、シリアの歌い方、特に語りに関して大瀧さんのアドバイスがあったのではないかと。あるいは大瀧さんがミックス・ダウン(トラック・ダウン)に関わっていたかもしれない。そういう関わりがなければ番組でかけることはないはず。

関口さんのいたONのCMソングのミックス・ダウン(トラック・ダウン)といえば例の三吉橋のそばの音響ハウス。実はその音響ハウスについてちょっと面白いことがわかりました。それは『レコード・コレクターズ増刊 大瀧詠一Talks About Niagara』に収録されているシリア・ポールの『夢で逢えたら』についてのインタビュー。ここで興味深い話が出てきます。聞き手は湯浅学さんと萩原健太さん。インタビューが行われたのは2011年2月。


湯浅:『夢で逢えたら』のときは録音はFUSSA45スタジオで。トラック・ダウンはどこで?
大瀧:最初は音響スタジオなんですよ。で、音響ミックス版というのもあって、今回(ボックスに)入れようかどうか非常に迷って。
萩原:違うんですか?
大瀧:雨の音がでかい(笑)。まるで台風。左右入れかえたり、前編、全く違った印象があると思う。音響の音はちょっと重たいから。重たくなったのでミックスをやり直そうとして遅くなった。録りはけっこう早めにやっていたにもかかわらず、ミックスで悩んで。で、サウンド・シティ(スタジオ)に行って軽い形になった。両方出すっていうのも一瞬考えたんだけども、二つ出すのも良くないからなかったことにして(笑)。出来が良くないからね。「The Very Thought Of You」は最初音響でやって、その後フリーダム(スタジオ)に行ってやって、それもうまくいかないからサウンド・シティに行ってやった。

こういう話にオッと思えるようになったのも、東京に行って音響ハウスのそばを通ったため。いや、正確に言えば、あとで通っていたことがわかったため。

というわけで大瀧さんの自宅のFUSSA45スタジオで録音して、最初は音響ハウスでトラック・ダウンをやったと。おそらくその前の『ナイアガラCMスペシャル』からの流れのはず。

で、そこできっと関口さんと会って、シリア・ポールの話になったときに関口さんから「海の底でうたう唄」のエピソードを聞き、縁を感じた大瀧さんは関口さんとの話でシリアをCMに、ってことになったんでしょうね。


それはさておき音響ミックス版は結局公にはならなかったみたいですが、もしも『夢で逢えたら』の40周年記念盤が出ていれば、きっとボーナス・トラックとして音響ミックス版が収録されたはず。で、同時にきっと音響でミックスされたはずの「香り’77」も入ったかもしれません。

ああ聴いてみたい。

50周年は先すぎるので、シリアの70歳の誕生日に間に合わないかな。『今日の人生』つながりでも最高なんだけど。


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by hinaseno | 2017-07-04 15:18 | ナイアガラ | Comments(0)

「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のシリア・ポール・ストーリーはまだYouTubeで聞けることがわかりました。これですね。この3:40あたりで関口さんのことが語られます。そして僕がずっと気になっていた曲がかかるのは5:44あたり。たった30秒のCMソングです。



こんな歌詞ですね。


お願い いつもそばにいて
あなたの低い声が好き
わたしの香り伝えたい
お願い いつもそばにいて

曲をかけた後、大瀧さんはこんなことを言っています。


「これは、その関口さんがディレクターしまして、シリアがつい最近、ちょっと前でしたかね、やりましたCMなんですけどね。作曲は僕でもなければ関口くんでもないんです。あしからず」

この曲については以前2年前に書いたこの日のブログでも紹介しています。こんなことを書いていますね。


これがボサノヴァ・タイプのとってもいい曲なんですね。セリフの部分もとても魅力的。たぶん「夢で逢えたら」のセリフの部分を意識されたはず。
ただ、曲を書いたのは関口さんでも大瀧さんでもないとのこと。あの当時こんなシャレた曲をだれが書いたんでしょうか。ジョアン・ジルベルト調のギターを弾いている人も気になります。

というわけで、この曲のことが気になって、その作曲者がだれか関口さんにお尋ねしていたんですね。当初はちょっとわからないという返事をいただいていたんですが、調べてくださっていたんですね。それが樋口康雄。


樋口康雄は大瀧さん同様、関口さんがいらっしゃったCM制作会社ONアソシエイツでいくつもCMソングを作っていたようで、10年前にはこんなCDも出ていました。

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このCD、まだ入手可能だったので、すぐに手に入れました。でも残念ながらシリア・ポールの歌ったものは収録されていませんでした。

ただ、いろいろ聞きましたがすごいですね、この樋口康雄という人。3曲目の「数寄屋橋阪急’74」なんて、ピチカート・ファイヴの曲かと思ってしまいました。しかも驚くのはピチカートがこういう曲を歌って渋谷系のアイコンになる10数年も前に作られた曲。信じられない。1974年にこんなしゃれた曲を作っていたミュージシャンがいたとは。

そのほかにも、ソフトロックと呼んでもいいようなタイプの曲がいっぱい。時代を十数年先取りしている。すごい才能。この人ならばあのシリア・ポールが歌った曲を作っていても十分に納得できます。それにしても、大瀧さんとともに、こんな才能のあるミュージシャンをみつける大森昭雄さんの才能にも改めて感服です。

ちなみに企画監修しているのはソフトロック系のコンピレーションなどを手がけられている濱田高志さん。そしてピチカート・ファイヴの小西康陽さんも寄稿。なるほど。


さて、CDには収録されていなかったけれども、これがきっかけでようやくシリアの歌ったあの曲がどういうものだったかわかってきました。それはまた次回に。


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by hinaseno | 2017-07-02 12:35 | ナイアガラ | Comments(0)

ちょうど40年前の1977年6月に放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のシリア・ポール・ストーリーの一番の聞きどころはなんといっても関口さんの話が出てくる場面。ここを聞いて、『昔日の客』(夏葉社)のあとがきを書かれていた関口直人さんとつながったんですね。何度も書いたけど。

せっかくなのでその部分の書き起こしておきます。

モコ・ビーバー・オリーブのメンバーの一人としてシリア・ポールがレコードデビューした第1弾シングル「わすれたいのに」にまつわるいくつかの偶然の話が終わったところから。


大瀧:それで第2弾のヒットがあったでしょ?
シリア:うん、その第2弾のヒットまでにアルバムの中からシングルはカットされてたわけね。
大瀧:ああ、2、3枚ね。
シリア:第2弾でヒットしたっていうのが「海の底でうたう唄」。
大瀧:〽︎ちゃららららんらんちゃららららん、ってのね。
シリア:そうです。


で、この曲がかかります。




作曲者はもちろん関口直人さん。このYouTubeの解説のクレジットは「関口直人」ではなく「関口真人」になっていますね。間違ったまま記載されているウィキペディアからとっているんだろうと思います。ちゃんと訂正してください。


大瀧:あれが何を隠そう関口さんなんだ。この話はもう出てるんだから、この番組で。
シリア:ああ、そうなの?
大瀧:うん。
シリア:そうなの、関口さんなの。
大瀧:前にCMスペシャルの特集の番組をやったとき、僕のいつもCMに関係しているON(オン)っていうところの代表の大森さんとかとね、いろいろ話をしてて、そこで今アシスタント・ディレクターをやっているのが関口さんなんだよね。全然知らなくてね。ま、それも偶然なわけだよね。大森さんっていうのは前にも言ったんだけど冗談工房のね、三木鶏郎さんの門下である。CMのオーソリティーなわけじゃん、ミキトリ(三木鶏郎)さんていうのは。そこの門下の人と出会えたというのも非常に偶然なわけよね。で、サイダーに会ったのも偶然だし、サイダーの詞を書いている伊藤アキラさんっていう人もミキトリさんの門下なわけよ。ふ~む。これはどういうわけかね。おれはもうCMやるように、もう最初っからやられてたんだろうね。
シリア:うん、そうなのかもしれない。うん。
大瀧:で、そこでアシスタントやっている関口くんってのがいつもいてね。あごでこき使ってたんだけど…。そんなことはない(笑)。
シリア:ふふっ(笑)。
大瀧:まさかその人がねぇ。知ってたけどね、あの歌はさ。第2弾ヒットで。それがねえ、関口さんの作曲だったとはねぇ、夢にも思わなかったね。これもなんかものすごい奇遇だね。
シリア:そう、だから私も後でそれをわかったでしょう。だからあの時だけで終わったんじゃなくて、また、そのつながりがあるっていうのが、ものすっごく不思議なのよねぇ。
大瀧:不思議だねぇ。
シリア:う~ん。

この会話の流れを考えると、大瀧さんがシリア・ポールのアルバムを作っていることを知った関口さんが、CMの仕事かなにかで大瀧さんに会ったときに、実は「海の底でうたう唄」の曲を書いたのは僕なんですと伝えたんでしょうね。それを聞いた瞬間の大瀧さんの驚きを想像するだけでなんだか鳥肌が立ってしまいます。偶然とか縁というものを日頃から大事に思っている人だけに。

そしてこの部分をはじめて聞いて、その関口さんが『昔日の客』の関口さんにつながって、しかもその日にアゲインに関口さんがいらしていたということがあったんですね。

なんという偶然の連鎖。鳥肌が立つどころではありませんでした。


さて、この会話の後、シリア・ポールが歌ったある曲が流されます。それはシリアのアルバムには収録されていない曲ですが、ずっと気になっていたんですね。


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by hinaseno | 2017-07-01 12:31 | ナイアガラ | Comments(0)

東京に行った日の夜、関口直人さんとお別れする間際にこんなやりとりをしたことを思い出しました。


「そういえば、あの曲の作曲者、わかりましたか?」

「ああ、あれはヒグチ・ヤスオです」

「ヒグチ・ヤスオ?」

どこかで聞いたことがあったような気がするけれどもぴんとこない。で、とりあえず携帯のメモに「樋口やすお」と入力。

「ONのCM関係のCD、まだ手に入ると思いますよ」

「帰って調べてみます」


*  *  *


さて、前回の「2017年10月22日の人生」に書いた翌日10月23日に70歳の誕生日を迎えられるというのは、ナイアガラの原節子といってもいいシリア・ポール。大瀧さんがらみでは「夢で逢えたら」のシングルを1枚と、それを収録したアルバム1枚を残しただけなんですが、まちがいなくナイアガラの女神(ミューズ)ともいうべき人。原節子さん同様、大変に美しい人です。

これは大瀧さんとレコードを作っていた当時のシリア・ポール。

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先日、久しぶりに「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のシリア・ポール・ストーリーを聞き返しました。シリア・ポールさんをゲストに招いて1977年6月14日と21日の2回に渡って放送されたもの。僕にとっては運命的とも言えるものだったので、何度も聞き返しています。

いきなりおっと思ったのは番組の冒頭で告知されたシリア・ポールのアルバム『夢で逢えたら』の発売日。1977年6月25日。ちょうど聞いたのが今週の日曜日だったのでまさにぴったり40周年の日でした。もし大瀧さんがご存命ならば、40周年記念盤を出していたかもしれないなと思って、2011年に行われたインタビューを読んでいたらちょっとおもしろいことが。出ていればきっと…、もしかしたら冒頭で触れた曲が収録されていたかもしれないと思ったり。これについてはまた後で。


「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のシリア・ポール・ストーリーではシリアの芸能生活のスタートから語られます。彼女の芸能界デビューは映画。子役を募集していたのを知って応募したら合格したんですね。『亡命記』という映画。

1955年の松竹の映画で主演は佐田啓二と岸恵子。監督は野村芳太郎。このときシリアは小学校1年生。佐田啓二と岸恵子(『早春』の前年!)が共演していて、しかもシリア(このときの芸名はシリヤ・ポールとなっていたみたいです)が出ていたとなるとぜひ見てみたいけど、残念ながらDVDにはなっていないようです。

ただ、この映画、今年の3月に大阪で上映されたようで(第12回大阪アジアン映画祭特集企画<アジアの失職、求職、労働現場>上映作品のひとつ)、こちらに映画を見た人のレポートが載っていました。

シリア・ポールについてはこんなことが。


「募集子役の日印ハーフのシリア・パールさん。どうみても主演二人の子どもに見えず、彼女には悪いのですが違和感を覚えてしまい、何故彼女なのかと思いました。今なら大人顔負けの演技をする子どもタレントがワンサカいますが、当時は少なかったのでしょうか」

「シリア・パール」となっているのはなぜでしょう。これを書いた人はこの少女が”あの”シリア・ポールだとは全くご存知ないんですね。

そのページに貼られていたのがこの写真。


佐田啓二の膝の上に乗って汽車の窓から外を眺めているのが当時、6~7歳のシリアのはず。

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by hinaseno | 2017-06-30 14:30 | ナイアガラ | Comments(0)

縁側ってのは縁


相変わらず暇を見つけて(見つけなくても)、大瀧さんが出演したラジオ番組をいろいろと聞いています。車の中ではずっと「ゴー!ゴー!ナイアガラ」。家ではいろいろ。

昨日から聞いていたのは1997年1月5日放送の新春放談。この新春放談でおっと思ったのは「築地の路地裏」という言葉がたとえ話として出てきたこと。大瀧さんが1996年6月に始めたインターネットのサイト「アミーゴ・ガレージ(Ami-go Gara-ge)」のあり方について達郎さんが「築地の路地裏」というたとえを使ったんですね。こんなやりとり。


山下:いいじゃないですか。築地の路地裏の、なんか一杯飯屋みたいで。
大瀧:(笑)だからそれを目指したわけ。そういうのってさぁ、私の得意のパターンだけど“聖地はスラム化する”というナイアガラ語録があってね。そういう路地裏のようなものを守るってのは、もう今や意図的にやるのは非常に難しい。

大瀧さんはこの「築地の路地裏」のたとえがいたく気に入ったようで、このあとご自身も何度も使っているのですが、このまさに10年後にその「築地の路地裏」を実際にしらみつぶしに歩かれたことを考えると、なんとも面白いですね。大瀧さんにとってはこういう達郎さんの口からぽっと出たような言葉も「縁」のひとつになっていたんだろうと思います。

「縁」といえば、「路地裏」の例えの流れで、「最近”縁側文化”ということを言ってるんだ」と話されたんで、何のことだろうと思って調べたら『インターネット・マニア』という雑誌の1996年11月号のインタビューでそれを語っていました。タイトルは「アミーゴ・ガレージは”縁側文化”を目指す」。『大瀧詠一 Writing & Talking』に収録されていました。


「縁ていうのが好きでね、昔から。縁があるかないかで全部決めてるんですよ、世の中。縁てのはなかなかに面白い言葉で。”アミーゴ・ガレージ”やってて最近気に入ってるのは、“縁側”という言葉。縁の側。そのぉ、中に入らないんですよ、お客さんは。庭を通るときに、縁側に寄ってお茶を出される。旅人ならばまあその縁側へいったん座って、お茶を出されて何時間かの話をして通り過ぎていくと。縁側ってのは縁なんですね」


「縁を作る、契りを結ぶ場なんだろうね。縁があるかないかを、縁側で判断する。そこで家の中に入る人もいれば、縁側に座るだけの人もいる、縁側を見ながらそのまま素通りする人もいれば、庭先のはるか遠くを通って行く人もいる……。これがなかなかに人生かな、と思う。で、まさに、この”アミーゴ・ガレージ”は縁側だな、と思うんだよ」


「来る旅人の心構えで出口も違うと、ね。その”縁側”で縁が結べるかどうかというようなまさに”縁側文化”みたいなところまでインターネットも進んで、使えたらね、これはもう人間の勝利だと思うけど」

その大瀧さんのアミーゴ・ガレージも熱心に更新されていたのは2、3年だったでしょうか。で、ある日、ばっさりと全て消されたんですね。

ちなみに僕がインターネットを始めたのは1998年7月。”アミーゴ・ガレージ”は後追いで見ていましたがあまりにも情報が膨大で全部を消化できない状態でいたら、ある日突然消えていたんです。

泣きました。

縁がなかったんだと言われれば、それまでなんだけど。


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by hinaseno | 2017-06-27 12:15 | ナイアガラ | Comments(0)