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by hinaseno
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カテゴリ:ナイアガラ( 254 )



リッキー・ネルソンはジェリー・フラーたちと出会って間もなくそれまでのインペリアル・レコードからデッカ・レコードへ移籍します。デッカに移ってからは、ちょっと大人のスタンダードを歌うようになります。というわけなので、デッカ時代のリック・ネルソンはあまり熱心に聴いてきませんでした。いや、ほとんど聴いていなかったというのが正直なところ。ベア・ファミリーから出ているデッカ時代のボックスや、それが出る前に買ったCDを持ってはいたのですが。

実は移籍して間もない時期はまだジェリー・フラーの曲を何曲か録音しているんですね。中でも移籍直後の1963年3月に録音されたこの「For Your Sweet Love」という曲は、例の”チンチキランカンチンキンチャンチャン”リズムを使った素晴らしい曲。邦題は「甘い恋」。ほぼ直訳です。

移籍したと言っても録音場所も演奏メンバーもほぼ同じ。グレン・キャンベルもギターを弾いています。

さて、この「For Your Sweet Love」という曲。あるグループによってすぐにカバーされているんですね。これがとびっきり素敵なんです。歌っているのはカスケーズというグループ。「悲しき雨音」で有名なグループですね。リック・ネルソンの歌ったものと同じ曲ではあるのですが、邦題はなんと「恋の雨音」。歌詞の中に”rain”が出ては来るのですが。

実は僕が「For Your Sweet Love」という曲を聴いたのはリック・ネルソンよりもカスケーズが先。昔から大好きな曲でした。でも、作者のジェリー・フラーのことを今まで考えることはありませんでした。カスケーズのメンバーかその周辺の人だと勝手に考えていました。で、それをリック・ネルソンがカバーしたんだろうと。全然違ってたんですね。今回のリック・ネルソンの話も、その全然違ってたってところから始まっていました。
きっかけはカスケーズの「For Your Sweet Love」でした。
もちろん大好きな曲で以前から何度も聴いていたのですが、ひと月ほど前に久しぶりに聴いた時に、おやっと思ったんですね。なんか「風立ちぬ」に通じるものがあるなと。ちょうどピーター・デ・アンジェルスのサウンドと「風立ちぬ」のつながりを考えていたときでした。
するといくつかの興味深いものが見つかったんですね。
カスケーズの「For Your Sweet Love」のアレンジャーはペリー・ボトキン・ジュニア。あの雨音サウンドを作った人ですね。あるいはオールディーズを愛する人の多くの人が最高のサマー・ソングと考えているロビン・ワードの「ワンダフル・サマー」の曲を作り、その最高にロマンチックなアレンジをしているのもペリー・ボトキン・ジュニア。

そのペリー・ボトキン・ジュニアは、あのフランキー・アヴァロンのこの「Sleeping Beauty」という曲のアレンジをしているのがわかったのですが、これが見事なピーター・デ・アンジェリスの「ヴィーナス」サウンド。

ジェリー・ラガヴォイのときと同様に、おそらくはそばにピーター・デ・アンジェリスがいたんでしょうね。一生懸命に真似ている感じがします。でも不思議とその後の彼のスタイルになる、あの爽やかな雨音サウンドも少し聴き取ることができます。ピーター・デ・アンジェリスのサウンドを学んだ上で、独自のサウンドを生み出していたんですね。

それからもう一つ。大瀧さんは『ロンバケ』を作る前にスラップスティックという声優のグループにいくつかの曲を提供していているのですが、それらはのちに大瀧さん自身の曲に作り直されているんですね。
たとえばこの「海辺のジュリエット」という曲は「恋するカレン」の一部にそのまま使われています。

あるいはこの「デッキ・チェア」という曲はほぼそのまま「スピーチ・バルーン」ですね。

そんなスラップスティックに大瀧さんが提供した曲に「星空のプレリュード」という曲があります。

この曲は大瀧さん自身の曲には使われていないのですが、よく聴くと「風立ちぬ」につながるメロディを聴き取ることができます。おもしろいのはそのアレンジ。
アレンジは大瀧さんではなく、完全にお任せだったはずなのですが、もろにカスケーズの「悲しき雨音」と「恋の雨音(For Your Sweet Love)」のアレンジを使っているんですね。

改めてよく聴いてみると「星空のプレリュード」のメロディはどこか「For Your Sweet Love」に似ているところもあるような気がします。アレンジャーの人がそれを感じとってあのアレンジにしたのか、もしかしたら大瀧さんがアレンジャーの人にカスケーズみたいな感じでお願いしますと言ったのかはわかりませんが。

そのあたりのいきさつは別として、あのメロディにカスケーズ・サウンドが結構ぴったりと合っていることは確か。で、その「星空のプレリュード」を原型にして作ったように思われる「風立ちぬ」に、カスケーズの「For Your Sweet Love」のサウンドを少し取り入れたのではないかと。ただ、もとを辿ればカスケーズの「For Your Sweet Love」のサウンドもピーター・デ・アンジェリスの「ヴィーナス」サウンドをもとにして作られたものではあるのですが。

というわけで、「風立ちぬ」の〈20分の1の神話〉(その2)でした。
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by hinaseno | 2013-07-25 09:11 | ナイアガラ | Comments(0)

昨日、ロイ・オービソンとジョー・メルソンと話を少ししてしまいましたが、「風立ちぬ」のことで少し言い忘れていることがありました。
「20」のうちのひとつになるかもしれない話。これを中森明菜の曲の題名になぞらえて〈20分の1の神話〉と言います。〈20分の1の神話〉という言葉を語られたのも大瀧さん。神は細部に宿るということですね。

これからも大瀧さんの何かの曲の細部について自分なりに気がついたことがあれば〈20分の1の神話〉シリーズとして、ときどき書いてみたいと思います。
ほお〜っと感心されることになるか、こじつけだと思われるかはわかりませんが。たぶん9割以上はこじつけだと思われるでしょう。

「風立ちぬ」は詞先だと言いました。詞先で詞の内容にとらわれていると曲のイメージがなかなか出て来ないので、大瀧さんのまずされたことは詞の言葉数を数えることだったと思います。で、すぐにあることに気づかれたはず。
まるで昔の文語定型詩みたいに「五」と「七」ばっかりだなと。
そういえば「風立ちぬ」というタイトルも文語だし。どうやら松本は意図的にやってるな、と思ったに違いありません。
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松本さんが松田聖子の曲に詞を書くようになったのはその前の「白いパラソル」(正確には1981年5月に発売された『Silhouette ~シルエット~』に収められた「白い貝のブローチ」)からなので、まだ松田聖子に関わり始めて間もない時期。にもかかわらず、早くもいろんな実験的なことを始めているんですね。もちろん相手が大瀧さんだとわかっていたからこそなんでしょうけど。

文語定型詩に曲をつけるというのは戦前から行なわれていたこと。特に童謡や民謡運動のときにさかんに作られていました。代表は何といっても西條八十やら北原白秋ですね。もちろん大瀧さんは今から20年前に放送された「日本ポップス伝」でも語られていたように、そのあたりの音楽にも造詣が深い。
で、参考までにそれらをいろいろと聴き直されたのではないかと思います。
そこで目に止まったのが「からたちの花」。この曲ですね。

北原白秋作詞、山田耕筰作曲の有名な童謡。

大瀧さんが目(耳)を止めたのは最初の5文字、「からたちの」。なんと「かぜたちぬ」と重なる言葉が3つも。最後の「の」と「ぬ」も近い。これは使える、と。

まあ、これは100%こじつけの話で、実際には僕が日本ポップス伝を聴き返していたときに気がついたことなんですが。
もうひとつ言えば、昨年、川本三郎さんの『白秋望景』を読んで以来、僕は白秋に惹かれてしまって、つい先日も古書五車堂で北原白秋の詩に白秋の生まれ育った柳川の風景をとらえた『水の構図 水郷柳川写真集』というのを見つけて多いに喜んだばかりだったこともあって。
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僕が昔から最も好きな童謡は「ペチカ」。以前書いていたような気がしたのですが、書いていませんでしたね。これもやはり北原白秋と山田耕筰のコンビで作った童謡。でも、 川本さんの『白秋望景』 を読んだり、「日本ポップス伝」を聴き返したりしているうちに「からたちの花」が大好きになりました。正直言えばこれまで一番の歌詞しか知らなかったのですが、特に5番(第5連)の歌詞にはぐっとくるものがありますね。詩を引用しておきます。

からたちの花が咲いたよ。

白い白い花が咲いたよ。



からたちのとげはいたいよ。

青い青い針のとげだよ。

からたちの畑(はた)の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。


からたちも秋はみのるよ。

まろいまろい金のたまだよ。



からたちのそばで泣いたよ。

みんなみんなやさしかったよ。



からたちの花が咲いたよ。

白い白い花が咲いたよ。

川本さんは「童謡における『よ』の発見」で、この詩に触れられています。唱歌に対する運動として始められた童謡。それまでの唱歌にはない、子供の日常会話の中に出てくるはずの「よ」を取り入れ、全ての行の最後に、その「よ」で韻を踏ませている。これも当時としては大きな実験だったんですね。このあたりから「よ」を取り入れた童謡、たとえば「揺籃のうた」(野口雨情)、「赤蜻蛉」(三木露風)が生まれてくる。

さて、大瀧さんの「日本ポップス伝」では、このあとにいったん童謡から離れて、この曲がかかります。

島倉千代子の「からたち日記」ですね。昭和33年の曲。作詩西沢爽、作曲遠藤実。
遠藤実は大瀧さんが最も敬愛する作曲家のひとりですね。対談もされているはず。一度、その対談を聴いてみたいと思っているのですが、まだ聴けていません。

この「からたち日記」も七・五を多用した定型詩ですね。やはり詩先なんでしょうか。メロディ的に「からたちの花」に重なる部分はありませんが、ポイントは語りの部分(ちょうど1:00あたりの「幸せになろうね」と言うあたり)のバックで「からたちの花」のメロディが流れます。これは大瀧さんが「日本ポップス伝」で指摘されていることなのですが、そのときにこう言葉を添えられています。

「こういうふうにしてやるもんですけど。dedicationというのはね、音楽家は」

単なる引用とかパクリということではなく、いろんな形で唱歌が流行歌の中に取り入れられ発展していくという話。

曲のバックにdedicationを捧げる曲のメロディを少し取り入れるのも、大瀧さんはしばしばされていますね。
僕は前に「風立ちぬ」の下敷きとなっている音楽として、アメリカの音楽のことばかり指摘したのですが、少なくとも定型詩的な松本さんの詞に曲をつけるときに、こうした日本のポップス、流行歌の歴史を考えなかったはずはなかっただろうと思います。
「からたちの花」あるいは「からたち日記」を「風立ちぬ」に取り入れたかどうかは別として。

ところで、『水の構図 水郷柳川写真集』の写真を見ていると、荷風が昭和20年7月13日にみた庭瀬付近の風景に重なるものを感じます。庭瀬から妹尾にかけてのあたりもまさに水郷だったはずですから。
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by hinaseno | 2013-07-16 10:07 | ナイアガラ | Comments(0)

久しぶりに音楽の話です。

ほぼ1カ月にわたって荷風の『断腸亭日乗』に関する話を書き続けてきました。
この間、いろいろと書いてみたいことがあったのですが、中でもやはり先月末に放送された大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝パート3」は、放送されてもうひと月になるというのに、いまだに聴き続けています。新しい発見満載でした。
でも、大瀧さんの「探偵力」には本当に驚かされます。

さて、今日はあまり時間がありませんので、ほんの”さわり”だけ。
今回のポップス伝、最もよく聴いているのは第1夜から第3夜にかけてのもの。第4夜と第5夜は未知のものが多すぎて、ちょっと戸惑いました。

今回かかった曲の中で、初めて聴いて最も興奮したのがこの曲でした。この曲からの流れが最高だったんですね。そこばっかりリピートして何回も聴いていました。

曲のタイトルは「With All My Heart」、歌っているのはジョディ・サンズ。1957年の作品ですね。1957年といえば小津の『早春』が公開された翌年。


このリズム。例のリズムですね。結局僕は、こういうリズムにわくわくするものを感じてしまうようになっているんでしょうね。
曲を書いたのはボブ・マルクーチとピーター・デ・アンジェリス。オーケストラやコーラスなどこの魅力的な曲のサウンドを作っているのもピーター・デ・アンジェリス。第3夜の主人公は(人によって、意見が異なるとは思いますが)僕にとっては、このピーター・デ・アンジェリスでした。
今回のポップス伝では、このピーター・デ・アンジェリスという人と、いずれ語るはずのもう一人の人物の出会いが最も大きな出来事でした。前回のアル・カイオラとの出会いに勝るとも劣りません。ピーター・デ・アンジェリスはアル・カイオラと深く結びついている人。

このジョディ・サンズの「With All My Herat」を何度も聴き続けているうちに、ふとある曲のメロディに重なっていることに気づきました。
松田聖子の「エイティーン」という曲ですね。


さびの部分のメロディはもろですね。リズムもほぼそのままいただいています。
作曲は大瀧さんではなくて平尾昌晃(「瀬戸の花嫁」の人ですね。古いですが)、編曲は信田かずお。まだ、大瀧さんを始め、はっぴいえんどのメンバーが曲作りに関わる前ですね。
僕もこの曲は後で知りました。この曲の収められたシングルもアルバムも持っていないのですが、松田聖子のアルバムの中では個人的に大好きな『Touch Me, Seiko』の中に収められていたんですね。シングルのB面の曲ばかりを集めた素敵なアルバムです。

というわけで、ピーター・デ・アンジェリスさんの話。ちょこちょことしていきたいと思います。
それとは別に書いておきたいうれしいこともあるのですが、それはまた改めて。
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by hinaseno | 2013-04-29 10:54 | ナイアガラ | Comments(0)

昨日は以前ここで触れた加山雄三の「若大将のゆうゆう散歩」の放送があった日。でも、残念ながら関西では見れないんですね。さて、どんな放送になったんでしょうか。

加山さんといえば、石川さんが作られた加山さんの曲を集めたCDとともに送っていただいていた、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の加山さんの曲がかかった日の放送のもの。その日はリスナーからのリクエストに応える「お便り」の日なのですが、例の加山さんの「ブーメラン・ベイビー」がかかってしばらくして、その数週間前の放送で大瀧さんが紹介した、"ある方からの手紙"に対する反響のことが語られていました。何人ものリスナーが、その"ある方からの手紙"に深く心を揺さぶられたということを葉書を書いていたんですね。

一体どんな手紙なんだろうと気になっていたら、数日後、まるで僕の声が届いたみたいに石川さんがブログで、その"ある方からの手紙"が大瀧さんによって読まれる部分だけの音源をアップしたんです。手紙にも感動しましたが、その手紙を読んだあとの大瀧さんの言葉にもやられました。

で、先日、石川さんからその日の放送を全て収めたコピーを送っていただいて、例によって車の中で一人で聴いていたら、内容を知っているのに胸がいっぱいになってしまいました。その時は僕の好きな川沿いを走っていたのですが、少しだけ風景がゆがんで見えました。

石川さんのブログでの音源アップはたった1日だけのものでしたから(あの部分だけ切り取って音源をアップする作業は相当に手間のかかるものだったと思いますが、たった1日だけのものであるのにもかかわらず、あえて石川さんはそれをされたんですね。音楽とはまた別の形で何かが伝わるのではと考えられたんだと思います)、今はもう聴くこともできません。でも、やはりこの手紙は紹介しておきたいと思ったので、ここにその手紙の全文と、その手紙を紹介する前後の大瀧さんの言葉を書いておきたいと思います。残念ながらこのときの大瀧さんの語り口は想像していただくしかありません。

番組の流れ的には、その前の別のリスナーの葉書で大瀧さんは結構大受けしてたんですが、突然声のトーンが変わってこんな言葉が発せられます。

さて、今日の最後になったんですけども、是非ともこのお手紙を紹介させていただきたいと思います。


手紙を書かれたのは大瀧さんのリスナーの中では何度も大瀧さんの番組に葉書を出されている人の母親。昭和初期のお生まれということですので、当時で50歳に近い方ではないかと思います。そういう年代の人からお手紙をもらったのは初めてとのことでした。「ゴー!ゴー!ナイアガラ」をまだ全部聴いたわけではありませんが、大瀧さんはたぶん湿っぽい(まではいかなくても、しんみりした)内容の葉書や手紙は番組では極力紹介しないようにしているんだと思います。そういうのを嫌われているというのではなく、そのような手紙を読んだときに大瀧さんご自身の受ける影響を避けられているようにも思いました。


で、その手紙です。これはあくまで聴き取りしたもので(何カ所か聴き取りづらい言葉がありました)、正確ではない部分もあるように思います。

「親子揃って恥をかくことないよ」と、迫ってくる息子の手を払いのけながらも書こうとしている私は昭和初期の生まれ、いくらかクレージーかもしれません。大瀧さんの名を耳にしてからもう久しい日数が流れています。すっかり傾倒している息子を通して大瀧さんの持つすべての、ではないかもしれませんが魅力を感じることができます。もちろん専門的な音楽評などできるはずもありませんが、理屈抜きに楽しく素晴らしく、あるときには心に滲みいるような、またあるときは弾む鞠のような気持ちになります。
今までの数十年の間、耳にした音楽は数限りなくありました。そして感動したり、雀躍したりして、音の持つ妙に人生の旨味を感じてきました。そのいろいろの音楽を聞き慣れた耳に、実に斬新な感覚のメロディが飛び込んできました。それが大瀧さんたちとの出会いでした。その後、せっせと息子の勧めによりレコードなりテープなりを鑑賞する時間をもちました。
息子と私は共通性のあるものなら何でもそれを通して話し合い、教え合い、また言い争ってみたりしています。というよりも共通性を持つように歩み寄った結果という方が、あるいは正確かもしれません。
スポーツにしろ音楽にしろ、世代の差なんて全く意識しないで夢中になれるなんて最高の幸せと思っております。けれど、大瀧さんに関する限り、私自身直接お目にかかったこともありませんし、何の知識も持ち合わせてはおりませんので、息子から詳しく話してもらいました。
レコードにサインしてもらったこと、福生行きの切符を買って贈ったこと、池袋の映画館にオールナイトの映画、クレージーキャッツを観に行ってみなさんに会ったこと、つい先日の渋谷でのパーティのこと、大瀧さんのパネルのことなどなど。
何にでも好奇心、というか興味を示す私が「大瀧さんに手紙を書くわ」と言い出して、「まさか本気ではないでしょう」なんて、息子に言われてますのに、その「まさか」が実現してしまいました。何に対してでも興味を持ったら、即すぐぶつかってみたいという幼さというか情熱というか、そんなものが私の中にはまだまだうごめいているのです。何かをしたいと思って実行せずに後悔を残すより、やってみて、たとえ失敗に終っても、その方が私には素晴らしいことだなと思っているからです。
そんな私の考え方は、当然子供たちにも浸透して、やりたいことをやっている息子と娘に自分を見る思いであります。「今年の夏は『ナイアガラ音頭』できめよう」なんて、「何をきめるのか?」 そんな可笑しいやりとりをしている可笑しい家庭をご想像下さい。是非、今後も素晴らしい、楽しい音楽を与えてください。心からの拍手をお送りします。


この手紙を読み終えられてから、普通はあまり言い淀んだりすることのない大瀧さんが、ちょっと言葉をつまらされます。で、つまりながら紡ぎ出される大瀧さんの言葉、これが手紙と変わらないくらいに素晴らしいんですね。こんな言葉です。

ふつう世代の断続とかよく言われますけど、断続っていうのは完全にぷつんと切れていることを言うんですけど、断絶ではないと思うんですよね、ただ不連続なだけだったと思うんですよね。戦前、戦中、戦後っていうのはね。だから、どっかにそういったようなところを見つけられれば、共通性というのはわりと、共通項みたいな部分ていうのは探せると思うんですね。


「断絶ではなく、ただ不連続なだけ。共通項みたいな部分は探せば必ず見つけられるはず」
この言葉はものすごく深い意味を持っているように思いました。当時大瀧さんは27歳。すごいですね。人生が変わりそうな言葉でした。

このあと最後に大瀧さんは、声のトーンを通常のものに戻しつつ、こう語られます。

今、なんて言ったらいいか言葉が思い起こせませんので、これから作る音楽とか、そういったものでご返事に代えさせていただきたいと。あんまりかっこ良すぎたかな、これ。


最後は照れくさそうに、ちょっと茶化した感じで語られていますが、まさに実行されてこられたんですね。大瀧さんがその後作られた音楽やそれ以外のいろんなもので。僕自身、大瀧さんのおかげで、断絶しているとしか思えなかったような様々なものに、どれだけつながりを作っていただいたかと思います。それだけでなく知らず知らずのうちに、つながりを見つける方法(と、その喜び)を教わっていたようにも思います。

大瀧さん、そしてこの放送のコピーを送っていただいた石川さんに心から感謝します。

少しだけ余談になりますが、先日、石川さんとお話しさせていただいたとき、世代間の「断絶」を嘆かれていた方々を6時間くらいかけて強く注意したと伺いました。で、ご自分は今、10代の人たちとのつながりを作ろうとしているんだとおっしゃられてました(僕なんかの世代はもういいと言われてしまいました。しくしく)。
「断絶」なんて意識はかけらもありません。素晴らしいですね。今日もきっとその努力(努力っていったら叱られそうですが)をされていることだと思います。今日はアゲインでナイアガラのイベントがあるんですね。近くであれば絶対に伺うのですが。
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by hinaseno | 2013-03-20 09:36 | ナイアガラ | Comments(0)