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by hinaseno
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カテゴリ:ナイアガラ( 286 )



大瀧さんの音楽を聴き続けてきた人で、大瀧さんの曲の中で最も口ずさんだ曲は? と聴かれれば、はたして何を答えられるんでしょうか。
やはり「恋するカレン」? 「君は天然色」はテレビで流れ続けていますが、そんなに気軽に口ずさめる曲ではないはず。
僕の場合はダントツで「Tシャツに口紅」。『EACH TIME』の制作が一時中断したときに、ラッツ&スターのために作られた曲です。



例えば朝早く起きて、東向きの窓のカーテンを開けて、朝日の上りかけた空を見ると、ついこの曲の最初のフレーズが自然に口をついて出てきます。
夜明けだね 青から赤へ 色うつろう空 お前を抱きしめて

もちろんカラオケや、あるいは家でぽろぽろとギターを弾きながらもよく歌いました。
そういえば「Tシャツに口紅」のコードは自分で聴き取って、こんなふうにルーズ・リーフに書いて大瀧さんの楽譜の中に挟んでいました。もうボロボロですが。
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なんでこの曲を一番よく歌ったんだろうと考えるようになって、最近ようやくわかってきたのは、これこそ大瀧さんが言っていた"バリー・マン的な「歌謡」"なんだなということでした。

話はころっと変わって、バリー・マンには及びもしない(あたり前ですが)僕が初めて作った曲の話。
当時勤めていた会社の同僚の結婚式のときに、何か歌ってということになって、せっかくだから曲を作ってみようと。
一応決めていたのはビーチ・ボーイズ・タイプの3連バラードにすること、それからC-Am-F-Gの循環コードを使うこと(つまりはドゥーワップですね)。あとはギターを弾きながら、英語とも日本語ともつかないような言葉をしゃべりながらメロディを作っていきました。
で、メロディはどうにか1週間くらいで完成。次に詞をつける作業。
家にいてはなかなかかけないことが分かったので、仕事の後、知り合いのいなさそうな家からも仕事場からも離れた所にある喫茶店に通って、頭の中にメロディをめぐらせながら詞をつけていきました。帰りの車で、詞のできあがった部分を声を出して歌うということを繰り返して。

ようやく詞も完成して、改めてギターを弾きながら曲を歌ってみようと思ったとき、頭の中で数日めぐらしていたメロディとどこかちがうことに気づきました。正確にいえばCからAmに行っていたはずのところがしっくりこない。
いろいろと確認してみたらAmではなくEmに近くなっていたんですね。曲を作る特にはずっとAmにしていたのに、詞をつけて歌を口ずさんでいるうちにAmではしっくりこないメロディに変化していたという。
まあ単なる情けない話。
というわけで、コードをEmに変更してギターを弾きながら歌を入れたものをカセットテープに録音。会社の同僚の一人に楽譜がかける人がいたのでそれを渡して楽譜にしてもらおうとしたのですが、そのEmに変更した部分が音符にとれないとのこと。音符に表せない音で歌ってたんですね。絶対音階のない頭でメロディを奏でているうちに、いつの間にかずれていった音。

さて、話は「Tシャツに口紅」に。実はこの曲、CからEmに行ってるんですね。
大瀧さんの作った曲でCからEmに行く曲といえば、代表はなんといっても「恋するカレン」。大瀧さん自身、バリー・マン的な「歌謡」をイメージして作った曲であると言っています。ただ、大瀧さんは、「恋するカレン」が『ロンバケ』の中で最も人気があることに、あまり納得されていないようでした。日本という国ではどうしても「歌謡」的なものが評価されてしまうことへの不満。
というわけで、『EACH TIME』では、そのバリー・マン的な「歌謡」をあえて外したんですね。その結果、『EACH TIME』には、親しみやすい曲、ちょっと口ずさみたくなるような曲がなくなってしまった、と。

僕は『EACH TIME』の中の「ペパーミント・ブルー」が死ぬほど好きなのですが、でも、この曲、歌えません。CDに合わせて歌うことはありますが、とてもギターを弾きながら歌えるような曲ではありません(YouTubeでいくつかアップされている人のものを聴いても耐えられない)。

『EACH TIME』の20周年盤が出たときの、2004年の『レコード・コレクターズ』のインタビューで「Tシャツに口紅」について大瀧さんは興味深い発言をされています。実は大瀧さんに最初に曲の依頼が来たとき、そのタイトルは次のように決まっていました。
「め組の人」。
どうやら最初の「いなせだね」という言葉も決まっていたようです。でも、メロディが全然浮ばなくて、結局大瀧さんは曲はできないと断って、井上大輔さんが曲を作ることになります。それが見事大ヒット。で、その次の曲を大瀧さんが作ることになります。
そのつぎの「Tシャツに口紅」は、やらしてもらったんだけど、ああいうタイプが『EACH TIME』に入っててもよかった。そうするともうちょっと目鼻があるものに...。わかりやすい歌謡のものがまったく入ってないからね。難しいものだけになってしまったんだけども。

『EACH TIME』の制作段階ではバリー・マン・タイプの「歌謡」を意識的に避けようとされていたことは確かなようですが、できあがったあとで、偏りすぎてしまったことを少しだけ反省されているような言葉。
僕にとって最初にアナログで出た『EACH TIME』は大好きなアルバムなのですが、その後付け加えられた曲が、やや重く難しめのものが多くなっていたので、正直それらが付け加えられた『Complete EACH TIME』は、あまり好きにはなれませんでした。聴きなじんだ曲順も変えられていましたので。
というわけなので、そんな付け加えられた曲とのバランスを取る意味でも、3月に出る『EACH TIME 30th Anniversary』には「Tシャツに口紅」を入れてもらえたらなと。これが僕の大きな願いではあったのですが。

ちなみにCからEmに行けばバリー・マンになるというわけではないのですが、バリー・マンの曲にはいくつもCからEmに行く曲を見つけることができます。
たとえば、以前「快盗ルビイ」の話ときに紹介したシェリー・フェブレーの「Johnny Loves Me」。



あるいは、トニー・オーランドの「Bless You」。シンシア・ワイルとのコンビで初の大ヒットとなった曲ですね。この曲のメロディの最初の部分は、少し「Tシャツに口紅」に似ているような気がします。



この2曲はいずれも「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のバリー・マン特集でもかかった曲。この日にかかったポール・ピーターセンの「My Dad」もCからEmに行っていますね。CからEmに行く曲はキャロル・キングにはいくつかありそうですが、エリー・グリニッチにはきっと一曲もないでしょうね。このあたりのことは、また明日にでも。

ちなみに「Tシャツに口紅」の詞は松本隆さん。
海と夏をテーマにした松本隆さんの詞はどれもロマンチックでたまらないのですが、この「Tシャツに口紅」の歌詞は最高に素敵です。『EACH TIME』の曲の歌詞には救いのないものが多いのですが、この曲には救いがあります。例えばこんな部分。
 仔犬が不思議な眼をして 振り向いて見てたよ

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by hinaseno | 2014-01-12 10:04 | ナイアガラ | Comments(0)

昨夜のアゲインでのモメカルによる大瀧詠一特集のライヴ、大盛況だったようです。僕のブログを読まれている方で行かれた人はいるんでしょうか。僕も本当に行きたかったです。でも、行ってたら涙が止まらない状態になっていたでしょうね。
ところで、ネット上で流れてきたライブの写真、よく見たらモメカルの後に、あのナイアガラ双六が! 
さすが石川さんです。どれだけの人がそのメッセージを受けとられたでしょうか。

さて、話はかわって。
大瀧さんが亡くなられた前日の12月29日の夕方、駅前を歩いていたら数十人の人だかりが。
何だろうと思ってみたら、アマチュアのデュオが歌を歌っていました。しばらく駅前は工事が続いていたので、そういうのを見かけるのは久しぶり。神戸でもそうですが、路上で演奏しているアマチュア・バンドは、近年、圧倒的にデュオが多くなったように思います。
つけていたヘッドフォンを外し、ちょっと彼らの歌うものを聴いてみました。最近テレビでよく聴かれるタイプの音楽。彼ら自身のオリジナルなのか、あるいは彼らの好きなグループのカバーなのか。でも、すぐにそれが僕の心には届かない音楽だということが分かって、そそくさとその場を通り過ぎました。
デュオをやっているくらいだから、少なくともサイモン&ガーファンクルくらいは知っているのかなとは思いつつ、おそらく彼らも、彼らのコピーしていると思われる日本のグループも、もう、サイモン&ガーファンクルも知らなくて音楽をやっているのかなと思ってしまいました。もちろんエヴァリー・ブラザーズなんか知るわけがない。
そして、ストレートと言えば聞こえがいいかもしれないけれど、ちょっと聞くに堪えない言葉の羅列。比喩もなければ、心情を風景に託すこともない…。

そういえばキムタクが主演したテレビドラマの主題歌として『幸せな結末』が大ヒットした数年後、大貫妙子さんのラジオ番組に大瀧さんが出演したことがあって、そのときに大貫さんから「今夜君は僕のもの」という部分の歌詞について、「私たちが音楽をはじめたときは、そんなストレートなことを言わない約束だったでしょ」ってつっこまれて、大瀧さん、ちょっと困っていましたね。「オレも歌うときに、どうかと思ったんだけど」とか言われながら。
ちなみに作詞は松本隆さんではなく多幸福という名前の人。ウィキペディアをみると大瀧さんと当時の番組のプロデューサーの共同ペンネームとなっていますが、基本的には番組プロデューサーの方が書かれていたはずだと理解しています。
その頃すでに、ストレートな言葉でなければ届かない、という状況が生まれつつあったんでしょうね。

歌詞といえば、昨日、エヴァリー・ブラザーズの曲を流し聴きしていたときに、この「When Snowflakes Fall In The Summer」という曲の初めの方で出てきた言葉に思わず耳を留めてしまいました。
”December”そして”apple”。



気になったので、歌詞を調べてみました。
When roses bloom in December
When pears grow on an apple tree
When snowflakes fall in the summer
You'll be true to me

When moonbeams shine in the morning
When sparrows don't know how to fly
When snowflakes fall in the summer
You won't make me cry

You'll never change, I just know it
And there'll never be a summer snow
And darling, it's just as impossible
For me to ever let you go

When spring rain comes in the Autumn
When lemons taste like honeydew
When snowflakes fall in the summer
I'll stop loving you

あり得ないことをいくつも並べて、そんなあり得ないことが起こったときに君を愛することをやめるよ、ということで、逆に君を愛することをやめることは絶対にないってことを歌にしているんですね。彼女が自分のところに戻ってくることも絶対にあり得ないと知りながら。

ちなみにこの「When Snowflakes Fall In The Summer」という曲の作詞はシンシア・ワイル、作曲はバリー・マン。
アメリカン・ポップスの夫婦の3大ソングライター・チームの一つ。
キャロル・キングとゲリー・ゴフィン、ジェフ・バリーとエリ・グリーニッチ、そしてバリー・マンとシンシア・ワイル。この3組の中では、最も叙情的な曲を書いていたチーム。たわいもないポップソングとして作られているのに、ちょっとした歌詞に深みがあります。

大瀧さんはこの3組が等価に自分自身の中にあるとしながらも、次のような興味深い喩えをしていました。
キャロル・キングとゲリー・ゴフィンは「唱歌」、ジェフ・バリーとエリ・グリーニッチは「童謡」、そしてバリー・マンとシンシア・ワイルは「歌謡」。
最初にこの喩えを聴いたときにはよくわからなかったのですが、最近ようやくわかってきました。特にバリー・マンとシンシア・ワイルの「歌謡」ということについて。
その話は、また後日するとして、最後に、先日書かなかった「Crying In The Rain」に関する素敵な話を。

ある年の冬、仲の良かったキャロル・キングとゲリー・ゴフィン、バリー・マンとシンシア・ワイルの2組の夫婦は休暇をとって、同じ車に4人乗っていっしょにスキーに行きます。
その帰りの車中でのこと。ちょっとした競争をするんですね。
どんな競争かというと、どっちのカップルが作った曲がラジオで多くかかるかという競争。その車中での様子を想像するだけでわくわくしますね。
かなりのデッドヒートが続いたそうです。ほぼ互角の勝負。引き分けかな、と思ったときに、最後にかかったのがエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」。
でも、これはキャロル・キングが作った曲ですが、作詞はゲリー・ゴフィンではありません。で、シンシア・ワイルの言葉。
「半ポイントで彼らの勝ち」

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by hinaseno | 2014-01-10 09:32 | ナイアガラ | Comments(0)

No I'm Not Lonesome Tonight


昨日、ちょっと本屋に行く機会があったので、発売されたばかりの週刊文春を手にとりました。大瀧さんの記事が2ページほど。アゲインの石川さんがインタビューに答えられているのを複雑な気持ちで読みました。小林信彦さんのコラムには大瀧さんのことには触れられていませんでした。おそらく亡くなられる以前に書かれたんでしょうね。
これからおそらくいろんな形で大瀧さんを追悼するものが出てくるんでしょうね。でも、多分僕はそれらをあまり手には取らないような気がします。すでにラジオでいくつか放送された追悼番組は聴いていません。

さて、話は、もう一度、大瀧さんと達郎さんのデュエットのこと。
パソコンで聴くだけではものたりないので、こういうのを作って車の中でも聴いています。もうこればっかり聴いている状態(画像をアップしたあとで気がついたのですが、主語が複数なのに"sings"は間違いですね。でも、アメリカン・ポップスでは「She Say」って曲もあったりするのでご容赦下さい)。
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演奏されている曲を聴くのももちろん楽しいですが、曲の合間に交わされている話も楽しくて仕方ありません。
それを聴きながら、昨日気がついたこと。

大瀧さんが達郎さんと歌った後で、もっとも満足感を得ていたエヴァリー・ブラザーズの曲はこれでした。
「When Will I Be Loved」。



前にも書きましたが、この日演奏された曲のいくつかは、のちの「新春放談」でかけられたので耳にしていましたが、この曲を歌うのを聴いたのははじめて。もちろんエヴァリー・ブラザーズの代表的な曲なので、何度も聴いている曲ではありましたが、特に好きというわけではなかった曲でした。
僕の作ったCDには、大瀧さんと達郎さんのデュエットしたもののあとに、2人の歌った曲の原曲を入れています。聴き比べです。そしたらちょっと面白いことに気づきました。
まず、キーはすべて原曲と同じ。ギターの演奏もほぼ原曲通り。と思ったら、「When Will I Be Loved」だけ、ちょっとちがいました。ところどころに原曲にはないフレーズが入っています。コードはいっしょなのですが、それが3連に刻まれています。
やっているのはまぎれもなく大瀧さん。そこだけ「君は天然色」しています。ちなみに最初の3連のコードはE。「君は天然色」と同じです。大瀧さん、この曲でめいっぱい遊んでたんですね。
ちなみにこちらがエヴァリー・ブラザーズの歌った原曲です。比べてみて下さい。



ところで、もういくつか気がついた興味深いこと。
番組では語られていなかったのですが、この「When Will I Be Loved」という曲は、フィル・エヴァリーが単独で作った数少ない曲。ケイデンス時代ではこれ1曲だけ。ワーナーに移籍してからも、初期はもうひとつ「Made To Love」という曲があるくらい。でも、大瀧さんはその数少ないフィル・エヴァリーの曲が大好きみたいで、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のエヴァリー・ブラザーズ特集のときでも、「Made To Love」はきちんとフィル・エヴァリーの作った曲であると紹介しています。

もう一つ興味深いのは声のパート。
デュエットのとき、上のパートを歌っているのは達郎さん、で、下のパートを歌っているのが大瀧さん。ちなみにエヴァリー・ブラザーズで上のパートを歌っているのはフィル、下のパートを歌っているのがドン。
つまり、大瀧さんとフィルは相性がぴったりなんですね。

そういえば、昨日1月8日はエルヴィス・プレスリーの誕生日。
僕は1月2日の夜に更新したブログで「Are You Lonesome Tonight」ってことを書いたのですが、どうやらアメリカン・ポップスの世界の神様が、数ある人の中から大瀧さんをさびしくさせないための最高の人を選んだようです。フィル・エヴァリーが天に召されたのは、ブログを書いた翌日の1月3日。

フィルの家族の人には申し訳ない気もしますが、でもフィルは天国で大瀧さんに出会って大喜びしているんではないでしょうか。だって、兄のドンと同じパートをギターを弾きながら歌ってくれる人がいたわけですから。
そして、フィルの作った「When Will I Be Loved」をいっしょに歌ったときに、大瀧さんがギターで入れた3連を聴いて、思わず「それ、最高だね」とか言ってるんでしょうね。

そういえば今夜はアゲインでモーメント・ストリング・カルテットによって大瀧さんの曲が演奏される日。素敵なライヴとなることを願っています。
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by hinaseno | 2014-01-09 09:03 | ナイアガラ | Comments(0)

昨日貼った1981年8月14日放送の、大瀧さんと達郎さんがエヴァリー・ブラザーズの曲をデュエットした「サウンド・オブ・ポップス」という番組。全部の曲を演奏した後、大瀧さん、こんなことを言っています。
「どの曲でも、1曲としてぴっしり決まらないというところに、いかに曲が好きかということが表れてるね。人のよさが表れる。対象に対する憧れみたいなものを、まだ捨てきってないところにね」

咄嗟に出たはずのこんな、ちょっとした言葉の中にも大瀧さんらしさがにじみ出ていて、うれしくなってしまいます。
でも、2人が、改めてきちんとした形で、こんなデュエットのアルバムをレコーディングしていたら、どれだけすばらしいものができていたんだろうかと、残念で仕方ないという思いを抱いてしまいます。大瀧さん、達郎さんとデュエットできて、とっても幸せそうでしたし。

残念の数を数えていたら切りがないのですが、でも、大瀧さんでしかなしえなかったことは、あまりに多すぎて...。
そんな残念なことの数を数えることになるかもしれませんが、この番組を聴かれて、達郎さんが、ひとつの大きな(というべきかどうかは人によるのでしょうけど)間違った説明をされたことに、どれだけの人が気づかれたんだろうかと、咄嗟に思ってしまいました。それは、間違いなく3月に放送されるアメリカン・ポップス伝で絶対に語られるはずの、”僕にとっての”アメリカン・ポップス史で最大の関心事に触れることでしたから。
それは例の「Crying In The Rain」に関すること。

曲を歌う前に達郎さんは、「これはキャロル・キングとゲリー・ゴフィンの名曲と謳われて...」と紹介します。
でも、違うんですね。正しくはキャロル・キング(作曲)とハワード・グリーンフィールド(作詞)の作品。これがなんと、あとにも先にも2人の唯一のコラボレーション。
なぜ、この組み合わせがここで生まれたのか。そして、こんなにすばらしい曲が生み出されたにもかかわらず、このあと一度もこの組み合わせで曲が作られることはなかったのか。
この辺りのことについては、一昨年に発売されたケン・エマーソン著『魔法の音楽』に、かなり詳しく書かれています。
もともとキャロル・キングは夫である作詞家のゲリー・ゴフィンとだけコンビを組んで曲を作っていて、一方のハワード・グリーンフィールドは、ニール・セダカやジャック・ケラー、あるいは昨年の暮れに何度か取り上げたヘレン・ミラーらとコンビを組んでいました。でも、あるとき(おそらくは1961年の秋)、おふざけのつもりでコンビを交換して曲を作ってみようということになったようです。キャロル・キングはハワード・グリーンフィールドと、そしてゲリー・ゴフィンはジャック・ケラーと。曲を作るときにはアルドンの会社の中の、小さく分けられた部屋の中に入ります。でも、どうやらヤキモチ焼きのゲリー・ゴフィンはそのアイデアにあまり初めから乗り気ではなかったようですが。
で、キャロル・キングとハワード・グリーンフィールドが作ったのが「Crying In The Rain」、一方、ゲリー・ゴフィンとジャック・ケラーが作ったのが、後にジャック・ジョーンズに歌われる「I’ve Got My Pride」。興味深いのは、この「I’ve Got My Pride」という言葉が「Crying In The Rain」の歌詞の中に出てくること。おそらくとなりの部屋にいるキャロル・キングのことが気になってずっとゲリー・ゴフィンが聴き耳を立てていた証拠のような気もします。
で、小さな部屋に別の男と二人っきりで曲を作っている状況をがまんすることができなくて、二度とそれを許さなかったという。「Crying In The Rain」に関しては、その後、もう一つオチがあるのですが、まあそれは本を読んでみて下さい。

さて、このエピソード、話としてはものすごく興味深いのですが、大瀧さんはおそらくこの話のウラを取ろうとされていたはず。実際に当事者の何人かに話を聞いていたかもしれません。
ああ、聴きたかった...。

僕なりに、ポップス伝のこの後のストーリーを考えるならば、きっとこうなっていたのではないかと思います。それはアメリカン・ポップス伝で最高の話の流れになっていたに違いないことなのですが。
それは、もしゲリー・ゴフィンの嫉妬心が強くなければ生まれることがなかったかもしれない話。

ゲリー・ゴフィンがあまりヤキモチを焼くことがなかったら、おそらくキャロル・キングとハワード・グリーンフィールドはもう少し共作を続けていただろうと思います。少なくとも会社はそれを勧めたでしょうし、エヴァリー・ブラザーズもそのコンビでもう何曲か曲を作ってもらいたかっただろうと思います。でも、ゲリー・ゴフィンは頑にそれを拒否します(たぶん)。おもしろいことにゲリー・ゴフィンは、 キャロル・キングに絶対に自分以外のほかの誰とも曲作りはさせないようにして、その一方ではジャック・ケラーと何曲か共作を続けます。大ヒットと言うわけではありませんが、なかなかいい曲を作っています。
さて、ハワード・グリーンフィールドはというと、もちろんニール・セダカとのコンビもずっと続けていて、その一方でジャック・ケラーとの共作を再開。ある曲のデモテープができあがったとき、それを2人が最初に聴かせたのがキャロル・キング(なんでこれをキャロル・キングに真先に聴かせようとしたのかも興味あります)。彼女はそれを聴いてすぐにアレンジを施します。そして生まれたのがこの曲。



きっと大瀧さんであればこの流れを作ってくれていたはず。『魔法の音楽』では、このあたりの話が逆転しているのですが。

そして「Venus In Blue Jeans」が生まれていなければ、この曲も生まれてはいなくて(大瀧さんも、そのように紹介してこの曲をかけたかもしれません)、多分僕は大瀧さんを知ることがなかったように思います。すべてはゲリー・ゴフィンの嫉妬心のおかげ?


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by hinaseno | 2014-01-08 10:29 | ナイアガラ | Comments(0)

例えば、だれかがギターを持ってポーズを決めていたら、僕はその人がどのコードを押さえているのか、つい見てしまいます。やはりCが多いように思いますが(僕も何の気なしにかまえたら、たいていC。あるいは大好きなAmaj7)、ときどき意外なコードを押さえているのを見てへえ〜っと思ったり。
大滝さんが亡くなられた翌日、実家のデイリースポーツに大きく写っていたのはこの写真でした。
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大滝さんがギターをかまえている写真。隣には達郎さんもいますが、達郎さんはギターを下においてポーズをとっています。
こんな写真があったんだとちょっと感動。記事を読み終えた後、改めて写真を見たら、大瀧さんはあるコードを押さえていることに気づきました。
「E」のコード。

そういえば大瀧さんはときどきEのコードのことについて話をしていたなと思いあたりました。
大瀧さんは基本的に3コード、つまりC-F-Gの曲が大好きでいらっしゃるのですが、アメリカン・ポップスの典型であるC-Am-F-Gも、もちろん好きで、そのコード進行はいろんな曲で使われています(この単純なコード進行で、あれだけ豊潤なメロディを作り出せるんだから、すごいと言う他ありません)。
でも、確か「幸せな結末」を最初に録音したときに、本当はCからAmへ行くところを「間違ってEにしちゃって」録音されたんですね。そのオケは、一度「新春放談」でかかりました。C-E-F-Gとなるのはカンツォーネによく見られるコード進行なのでしょうか。大瀧さんはカンツォーネが好きだとも言われていましたが、ポイントはEのコードの響きが好きだったんではないかと考えたりもしていました。

そんなことを考えていたら、ちょっと興味深い話が。
実は上の写真には「1981年7月、都内のスタジオで山下達郎さんと写真に納まる大滝詠一さん」との言葉がそえられているのですが、それはまさに前回このブログで書いたエヴァリー・ブラザーズの曲を達郎さんとデュエットしたものを収録した日に撮影されたものであることがわかりました。
で、それが放送されたのがその年1981年の8月14日なのですが、なんとその日の番組を全部録音していたものがYouTubeにアップされていることがわかりました。いや、びっくり。



この日演奏された曲はだいたい聴いていたのですが、エヴァリー・ブラザーズの曲についての大瀧さんと達郎さんとの会話がふんだんに聴けて、もう楽しくて仕方ありません。大瀧さんが亡くなられて、大瀧さんの歌が聴けなくなっていたのですが、一昨日からこればっかり聴き続けています。
1981年7月は、その年の3月に発売された『A LONG VACATION』が急に売れ始めた時期。達郎さんが「すごいじゃないですか、『ロング・バケーション』」って言ったら、大瀧さんも「いや、おかげさまで、まあ、ニコニコニコ」と答えられています。

興味深かったのは、最後に歌う”ある曲”を歌う前の大瀧さんの言葉。
「最後は名曲中の名曲だよね、エヴァリーのね。これで決めなきゃ、だめだよ」

と言って、ギターをダラ〜ンと鳴らします。
それがEコード。
「Eが出てき、ダラ〜ンとやると、何が出てくるかって、わかるから。これだね。もう涙なくしては歌えない、もうオレ」

で、歌われるのが「All I Have To Do Is Dream」。演奏する直前に「Here's Don & Phil」と言ってますね。もちろんエヴァリー兄弟のファースト・ネーム。もう、涙なくしては聴けません。



ちなみに『A LONG VACATION』の1曲目の「君は天然色」もEのコードで始まります。
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by hinaseno | 2014-01-07 09:00 | ナイアガラ | Comments(2)

十二月の旅人たちと...


「始まりが終わり・終わりが始まり」

そんなことを考えた一日。

昨日、1月4日、大瀧さんの葬儀が行われたようです。
そんな昨日の朝、ちょうど昨日のブログを書き終えた直後に、エヴァリー・ブラザーズの弟のフィル・エヴァリーの訃報が飛び込んできました。
エヴァリー・ブラザーズといえば、僕にとっては何といってもキャロル・キングの作ったこの「Crying In The Rain」でした。これを初めて聴いた時の”新鮮な”驚きは今でも忘れない。



初めて聴いたのは1984年1月12日。大瀧詠一さんと山下達郎さんによって長らく続けられた「新春放談」の記念すべき第1回目の放送の初日にかけられた曲。大瀧さんの曲が2曲、それから達郎さんのいたシュガー・ベイブの曲が1曲かけられた後にかかっています。
僕のアメリカン・ポップスの旅はまぎれもなくこの「新春放談」が始まり。その最初の最初がエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」だったわけです。
曲が作られたのは1961年。まさにアメリカン・ポップスが誕生した年といえるのかもしれません。僕にとって最も大切な年。

大瀧さんのアメリカン・ポップス伝は、前回のパート4で1960年まで辿り着いていました。さあいよいよ、だったんです。すでにキャロル・キングもエヴァリー・ブラザーズも登場していたとはいえ、はたしてどんな形で「Crying In The Rain」が紹介されるのか、ちょうど30年前に始まった僕のアメリカン・ポップスの旅がいよいよ、というところでしたが…。
もうそれは永遠に聴けなくなりました。そして、フィル・エバリーまで…。

ちょっと気が滅入ったので、気分転換にとランニングすることに。
ランニング中に聴いていたのは大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の第1回目のキャロル・キング特集でかかった曲を並べたもの。そこには1961年に作られた、あるいは発表された曲がずらっと並んでいます。1曲目はThe Shirellesの「Will You Love Me Tomorrow」。
曇っていましたが雨は降っていないだろうと思っていたのに、外に出たら冷たい雨。ああ、まさに「Crying In The Rain」。
やめようかと思いましたが、まあいいかと走りました。
走っている途中で、ふとあることに気づきました。
そういえばリッキー・ネルソンも年末に亡くなっていたのではなかったかと。
後で調べたらやはり。12月31日。

1984年1月12日の第1回目の「新春放談」のとき、その数年前に大瀧さんと達郎さんがラジオの特番でエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」をデュエットしたことを知りました。でも、確か達郎さんはその録音したテープが見つからないということで、それを聴くことができませんでしたが、1986年の「新春放談」の3回目のときに、テープが見つかったということで二人のデュエットした「Crying In The Rain」を聴くことができました。



その新春放談の翌週、達郎さんはリッキー・ネルソンの追悼特集をします。放送されたのは1986年1月30日。リッキー・ネルソンはその前年1985年12月31日に亡くなったんですね。僕はリッキー・ネルソンのことを知らないわけではなかったのですが、そのとき初めてリッキー・ネルソンの曲をいろいろと聴き、そのすばらしさに目覚め、いっぺんにファンになってしまいました。
そんなこともあってエヴァリー・ブラザーズとリッキー・ネルソンは、僕にとってのアメリカン・ポップスの2つの大きな柱になったんですね。どでかい箱入りのCDがいくつもあります。

そういえば、そのリッキー・ネルソン特集で、リッキー・ネルソンに「A Long Vacation」というタイトルの曲があることも知りました。僕が大瀧さんのファンになるきっかけとなり、アメリカン・ポップスに夢中になるきっかけとなった『A LONG VACATION』というアルバムのタイトルが、リッキー・ネルソンの曲からとられていることを知ったのが、リッキー・ネルソンが亡くなった直後だったわけです。
そしてそのリッキー・ネルソンの命日に大瀧さんが亡くなったことを知り、大瀧さんの葬儀の日にエヴァリー・ブラザーズのフィルが亡くなったことを知ったという。何てことなんだろうと思いました。

昨日の夕方、葬儀に参列された松本隆さんが大瀧さんを追悼するメッセージをツイートされました。それがあまりに感動的なもので、思わずこみあげてくるものがありました。
そのメッセージをここに掲載しておきます。
今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。 ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。 持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。
眠るような顔のそばに花を置きながら、 ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。 だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。
北へ還る十二月の旅人よ。ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。 なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。 苦く美しい青春をありがとう。

この中の「十二月の旅人」というのは、もちろん『A LONG VACATION』の最後に収められた「さらばシベリア鉄道」の詩に出てくる言葉。夏のアルバムと認知されている中で、ただ一つだけ冬をテーマにした曲です。



この日のブログで書いたことにも重なりますが、はっぴいえんど解散以後、しばらく関係が途絶えていた二人が、久しぶりに共作を開始したのが『A LONG VACATION』でした。でも、その途中で松本さんの家族に不幸が起こります。妹さんが病気で亡くなられたんですね。
発売予定日(1980年7月28日。大瀧さんの誕生日です)も決まっていたので、松本さんは別の作詞家に替えてもらうように大瀧さんに頼みます。でも、大瀧さんは発売日を半年以上も先に延ばし松本さんの復帰と精神的な恢復を待つことにします。
で、大瀧さんは当初の発売予定日を過ぎた8月末にレコーディングを再開。その最初に録音されたのが、後に「さらばシベリア鉄道」になる曲でした(このレコーディングに、のちにナイアガラトライアングルを組むことになる佐野元春さんが伊藤銀次さんといっしょに見に来ます。佐野さんは大瀧さんのレコーディングを見て、これからは自分の曲は自分でプロデュースしなければならないことを決意するとともに、「サムデイ」のサウンドをそこで得ることになる)。
そして、おそらく大瀧さんから渡されたオケを聴きながら、松本さんは「十二月の旅人」との言葉の入った「さらばシベリア鉄道」の詞を書き上げます。最愛の妹さんの死という悲しい出来事があったからこそ生まれたといえるかもしれない詞。

それにしても「十二月の旅人」というのは、今、改めて考えてみると不思議な言葉です。松本さんも"謎のように"「十二月」という言葉が出てきたと書かれています。
「十二月」といえば、はっぴいえんどというグループを結成して、はじめて2人が作ったのが「十二月の雨の日」。始まりの曲が「十二月」で、妹さんが亡くなった後に作られた曲に詞をつけたときに「謎のように」出てきたのが「十二月」、そして…、
大瀧さんが旅立たれたのが「十二月」...。

始まりが終わり、終わりが始まり。“ナイアガラ双六”的ストーリー。
村上春樹の『ノルウェイの森』の中の例の有名な言葉にならえば、
「終わりは始まりの対極ではなく、その一部として存在している」、あるいは
「始まりは終わりの対極ではなく、その一部として存在している」。
そんなことを考えさせらた一日でした。
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by hinaseno | 2014-01-05 20:34 | ナイアガラ | Comments(0)

大瀧さんを偲んで、ちょっとしんみりとした曲を聴き続けていたのですが、今朝になって急にそういうのを聴きたくなくなって、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかかった曲をまとめているプレイリストをシャッフルさせたら、この曲が出てきました。The Orlonsの「The Wah Watusi」。うん、今はこういうのがいいですね。



ちなみに2曲目に出て来たのはJimmy Clantonの「Venus In Blue Jeans」。最高ですね。



さて、昨日は、もうずいぶん前から更新されなくなっている大瀧さんのサイト、Ami-go Gara-geを覗いて、このサイトでは最も新しい文章である「アメリカン・ポップス伝 PT1」を読んでいました。

途中にこんな言葉があります。
《ラブ・ミー・テンダーが“マイ・ハッピネス”だった》というのは、今回の作業中に発見した結論で、始まりが終わり・終わりが始まりという“ナイアガラ双六”的なストーリーになったと、我ながら満足のいく構成になりました。

ナイアガラ双六とは、これです。
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『ナイアガラ・カレンダー』のおまけですね。再発されたときに、ついてたものです。終わりに近づけば近づくほど、始まりに戻されてしまいます。

ちなみにこの双六の裏側は大瀧さんの顔の福笑い(鬼泣き?)。上に「A HAPPY SMILE」と書かれていますが、このパーツを切り取って実際にやった人はいるんでしょうか。
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でも「始まりが終わり・終わりが始まり」という言葉は、これからの大瀧さんとの関わりを考える上でも心しておくべき言葉ですね。大瀧さんが亡くなって、終わったのではなく(実際にはアメリカン・ポップス伝は終わってしまったのですが)、でも、これが始まりであるととらえ直さなければ、大瀧さんがこれまでにいろんな形で何度も発信されてきたメッセージを受けとったことにはならないですね。

ところで、Ami-go Gara-geの「アメリカン・ポップス伝 PT1」の最後にP.S.としてこんなことが書かれています。
業界内友人の連日のレポート提出と、小林信彦さんの“文春コラム”に、感謝申し上げます。励みになりました。

そういえば、と書店に行ってみたら、昨年に出た小林信彦のコラム集『映画の話が多くなって』の中に、小林信彦さんが週刊文春で大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝」の感想を書かれたものが載っていました。短いながらも、さすが小林さんという視点で書かれています。例えばこんなところ。
第一夜はエルヴィスの「ハートブレーク・ホテル」を流して、これが1956年にチャートの第一位になったという前置きをする。この歌が当時の若者(ぼくは23)に大きなショックをあたえた。
――ここまでは誰でもいうことだが、氏はその〈ショック〉を立証しようとする。...

そう、大瀧さんは「〈ショック〉を立証」という、絶対に誰もしない、容易ではない作業をされるんですね。僕なんかは「すごい」という言葉ですませてしまうところを、小林さんはきちんと言葉にされていて、やはりそういうのって大瀧さんはうれしかったでしょうね。

ところで、この『映画の話が多くなって』は1昨年書かれた文章をまとめたものなのですが、その最後にこんな書き出しで始まった文章が載っていました。
「年末の訃報というのは、つらいものである」

1昨年の暮れに亡くなられた小沢昭一さんのことを書かれたもの。小林さん、2年続けて同じ書き出しで始められる文章を書かなくてはならないんですね。
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by hinaseno | 2014-01-04 11:07 | ナイアガラ | Comments(0)

They Remind Me Too Much of You

昨夜のブログで書き並べたエルヴィスの曲の一つですが、今の心境はまさにこのタイトルそのもの。この曲が最も沁みます。
昨日、実家でぼんやりとテレビを見ていたら(基本的にテレビの選択権は僕にないのですが、だれもいなくなったときに静かな番組はないかといくつかチャンネルを変えていたら)、ある俳優がオーロラを見る旅をする番組が。
で、北極に近い空にオーロラがたなびく映像を目にしながら(こんな感動的なオーロラの映像を目にしたのは初めて)、ふと頭に浮かんできたのはやはりこの曲でした。
大瀧さんが小林旭に作った「熱き心に」。作詞は阿久悠。



『EACH TIME』制作後、実際には『EACH TIME』制作途中から曲ができない(曲としてまとめあげることができない)状態になった大瀧さんが、『EACH TIME』を終了してから2年経って初めて作ったのがこの「熱き心に」。大瀧さんにとってエルヴィスと並ぶもう一人のアイドルである旭さんが歌われるということで引き受けられたそうですが、やはり曲作りは難航したようです。
大瀧さんが曲を作るときに頭に描いていた曲は2つ。最初に大瀧さんは、それぞれの曲をイメージした2パターンの曲を作ったそうです。
ひとつは小林旭の曲の中で、音楽業界的に(「一般に」ではなく)最も人気が高かった「さすらい」。狛林正一が補作曲・編曲をされている曲です。大瀧さんは「多分無意識」としながらも「さすらい」は「月の沙漠」のメロディをもとにしていると指摘しています。
もう一曲は、実はもう一曲が大瀧さんの証言では2つに分かれています。1995年に発売された『大瀧詠一作品集 VOL.2』の解説では「惜別の歌」。大瀧さんの「個人的な思い入れ」のある曲とのこと。ところが2004年の『レコードコレクターズ』のインタビューでは「北帰行」。さて、正しいのはどちらなんでしょうか、と思いつつ、実は「北帰行」と「惜別の歌」はわりと似たタイプの曲で、しかもシングルのA面とB面。編曲はいずれも狛林正一。たぶんはっきりとどちらかの曲を下敷きにして作ったというのではなく、あくまで曲調や雰囲気を参考にされたんでしょうね。
で、「さすらい」をもとにした曲と「北帰行/惜別の歌」をもとにした2曲ができあがったのですが、それぞれそれなりに満足する形に仕上がり、さてどちらにするかと相当に悩んだようです。悩まれたということは、どこかそれぞれに足りない何かを感じられていたのかもしれません。
で、「悩みに悩んでギリギリのところで」二つを一つにしようと考え、それを完成されたんですね。「北国の...」で始まる最初の部分と「あ〜春には...」で始まるサビの部分に分かれるようですが、正直、どっちが「さすらい」をもとにしたフレーズで、どっちが「北帰行/惜別の歌」をもとにしたフレーズなのかよくわかりません(ちなみに数年前に放送された「スピーチ・バルーン」では「熱き心に」は、小林旭も歌った「落日のシャイアン」のラインで作られているものに「気がついた」と語られていました。何度か書きましたが原曲の編曲はアル・カイオラ、小林旭の歌ったものの編曲は狛林正一)。
いずれにしても、この曲ができあがったときの大瀧さんの達成感、成就感ははかりしれないものだったようで、曲が完成したとき「夜中に内線で女房起こした」そうです。で、その年の紅白に小林旭が出演して「熱き心に」を歌っているのを見たときには、うれしくて涙が出たそうです。
これがその紅白のときの映像でしょうか。



ところで、実家では阪神ファンの父親が「デイリースポーツ」という、どんなときでも阪神一色の新聞をとっているのですが、その元日号をみたらいくつもの阪神に関する特集がくまれているなかで、なんと大瀧さんのことが一面に扱われていました。伊藤銀次さんのコメントも載っています。ただそういうのを読んでも、まだ事実として受け入れられない状態ですが、そんな関係者のコメントの中に小林旭のコメントもありました。ネット上では見かけないものでしたので、旭さんのコメントをそのまま引用しておきます。
「『熱き心に』という日本でも指折りの名曲を作り出したクリエーターが亡くなったことに大変ショックを受けている。小林旭という音楽性を理解できた数少ない音楽家だった。そういう仲間がまた逝ってしまったことが本当に残念だ」

それから小林旭の関係者の話として、小林旭は大瀧さんを「音楽性にも通じるものがあり、とても信頼していた」とのこと。

ちなみに『レコードコレクターズ』のインタビューでは、最後に聴き手の湯浅学さんとこんなやりとりが。
大瀧「その時(紅白で『熱き心に』を歌ったとき)、アキラさんは何歳だったと思う?」
湯浅「46歳ですか?」
大瀧「そう。で、僕が『幸せな結末』を歌ったのは?」
湯浅「7年前だから...48歳ですね」
大瀧「そう、アキラさんが『熱き心に』を歌った歳とほぼ同じだったんですよ」
湯浅「それはわかりやすいかもしれない」
大瀧「そうでしょう。ディーン・マーティンの『エヴリバディ・ラヴズ・サムバディ』が46歳だったんだよ。去年僕は54歳だったんだけどシナトラが『サムシング・ステューピッド』を歌ったのが52。そういうふうなところが面白いですよ。昨今これ気が付いた」

こういうことを大瀧さんはずっと考えていたんですね。そういえば昨年の晩秋に僕はペリー・コモの『Just Out Of Reach』というアルバムをよく聴いていたのですが、この曲を歌っていたペリー・コモは当時63歳でした。



大瀧さんは近年、ときどきペリー・コモのことを口にされていて、最初は意外に思っていたのですが、今にして思えばペリー・コモの歌っていた年齢をかなり強く意識されていたのではないかと。
もしかしたらこんなタイプの曲をご自身のスタジオでこっそりと録音されていたんじゃないでしょうか。

ペリー・コモは63歳のときに、こんな曲も歌っています。こういう曲を大瀧さんの声で聴いてみたかったです。

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by hinaseno | 2014-01-03 12:06 | ナイアガラ | Comments(0)

Are You Lonesome Tonight?


いつだったか、大瀧さんは、もしだれかミュージシャンが亡くなってその人を追悼するのであれば、その人の曲をかけるんじゃなくて、その人が好きだった曲をかけてあげるべきではないか、というようなことをおっしゃられていたような記憶があります。僕の思い違いなのかもしれませんが。

大瀧さんが亡くなられて、といっても、まだ僕にはそれを事実として受けとめることができない状態が続いているのですが、大瀧さんが亡くなられたという報が流れた後、ネット上で大瀧さんの曲をラジオやテレビで、できるだけどんどん流して、といったことを何人もの人が書かれているのを見て、僕も少しそんな風に思ったりしたのですが、でも、とてもではないのですが大瀧さんの曲を聴く気持ちになれないことがわかりました。
元旦に一度だけ「Rock’n’Roll お年玉」を聴いただけです。

はっきり言えば、音楽というべきものを何も聴きたくない状態にいるのですが、唯一聴けたのが大瀧さんを追悼しようと思って流したエルヴィスのバラード。エルヴィスの一周忌のときに大瀧さんが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかけられた曲です。
大瀧さんもエルヴィスが亡くなって、一年くらい経ってようやくエルヴィスを聴けるようになったんですね。僕も大瀧さんが亡くなられたという事実にきちんと向き合えるようになるのは、やはり1年くらいかかりそうな気がします。
大瀧さんの曲をいつ聴こうという気持ちになるのか分からないのですが、とにかく今は1978年8月14日に放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」で大瀧さんがかけられたエルヴィスの曲を何度も何度も繰り返し聴いています。そしてしばらくはそれを聴き続けるだろうと思います。

一応その日かかった曲を紹介しておきます。リンクはしません。
1曲目。Love Me
2曲目。Loving You
3曲目。That's When Your Heartaches Begin
4曲目。Don't
5曲目。Fame And Fortune
6曲目。Are You Lonesome Tonight?
7曲目。Home Is Where The Heart Is
8曲目。Where Do You Come From
9曲目。They Remind Me Too Much of You
10曲目。I Feel That I've Known You Forever

特に6曲目の「Are You Lonesome Tonight?」からの流れがたまらないです。

ただ、大瀧さん、エルヴィスは天国にいますけど、大瀧さんが敬愛するミュージシャンは、まだほとんどこちら側にいるじゃないですか。いくら大瀧さんであってもあのエルヴィスを独占することはできないでしょうし。
やっぱりいくらなんでも早すぎましたよ、大瀧さん。
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by hinaseno | 2014-01-02 23:20 | ナイアガラ | Comments(0)

実は正直このブログもしばらくは休止しようと考えていたのですが、意を決して。

新年最初といえば、やはり大瀧さんのこの曲ですね。
『ナイアガラ・カレンダー』の1曲目に収められた「Rock'n' Roll お年玉」。



何度か書いたような気がしますが、僕は大瀧さんの曲の歌詞カードをじっくり見たことはありません。何かの機会に歌詞カードを見て、全く違う言葉を覚えていたりしていることがあってびっくりしたり。
今朝、このブログを書こうと決意して、タイトルを「だけど君にあげよう Rock’n’Roll お年玉」という歌詞の一節をいただこうと思って改めて歌詞を確認したら「だけど...」なんてどこにも歌われていない。あれれっ、でした。「だから君にあげよう Rock’n’Roll お年玉」に、「だけど今年は何もする気なく怠惰」の「だけど」がくっついて記憶していたようです。
改めてこの部分のフレーズの歌詞を見てみると、なんだか笑えました。落語好きの大瀧さんならではの”オチ”があります。今年の初笑い。
1番は
「そこで君にあげよう Rock’n’Roll お年玉」

2番は
「だから君にあげよう Rock’n’Roll お年玉」

ここまでは結構強気。ところが3番になると、急に弱気になります。
「どうにもならない Rock’n’Roll お年玉」

実は僕の記憶では、ちょっと弱気になりかけた4番あたりで「だけど君にあげようロックンロールお年玉」と気持ちを持ち直して歌っている気がしたのですが実際にはこうなっていました。
「どしたらいんだろ Rock’n’Rollお年玉」

迷いの境地に陥っています。で、5番はさらにこんな言葉に。
「だから僕にもちょうだい Rock’n’Roll お年玉」

なんと、おねだりに変わっています。もう聴いた回数は1000回は超えているのではないかと思っているのですが(もしかしたらその3割ほどかも?)、ぼんやり聴いているだけでは気づかないものです。

というわけで、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしく。
天国にいる大瀧さんもときどきは覗いて下さい。と言いつつ、きっと大瀧さんのことだから天国とはまた別の居場所を見つけられているでしょうけど。誰も知らないような秘密の隠れ家のような場所。
でも、もちろん真先にエルヴィスにはお会いされたんでしょうね。
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by hinaseno | 2014-01-01 11:10 | ナイアガラ | Comments(0)