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by hinaseno
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カテゴリ:ナイアガラ( 247 )



今年のナイアガラ・デイに発売された70年代に出した9枚のアナログシングルを復刻した『NIAGARA 45RPM VOX(ナイアガラ 45 ヴォックス)』、内容についてはまたいずれゆっくりと書こうと思っていますが、とりあえず最初に針を下ろしたのはいちばん聴いてみたかった「青空のように」のDJコピー用のシングルのB面。「青空のように」のインストゥルメンタルです。演奏者のクレジットは大滝詠一楽団。もちろん未発表音源。調べたことはないけど、この1枚のオリジナルを手に入れるだけでも今回の『VOX』の値段をはるかに超えてしまうのではないかと思えるくらいに貴重なもの。

さて、針を下ろして、あっ、これは聴いたことがあるぞと。調べたら1977年7月25日に放送された第111回目の『ゴー!ゴー!ナイアガラ』の最後にかかっていました。

その日の特集は大滝さんの誕生日に近いということで恒例の大滝詠一特集。この特集は毎回、貴重なものがかかっていて、今も未CD化の音源がいっぱい。

今回のヴォックスには復刻されたアナログシングルの全曲を収録したCDもついているので、これでまたひとつ貴重な音源を手にすることができました。ということで、昨日からずっとこれをリピートし続けています。「青空のように」って本当にいい曲ですね。もちろん大瀧さんの書いた詞も最高です。

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by hinaseno | 2017-03-23 14:18 | ナイアガラ | Comments(0)

「快盗ルビイ」の「ボール・ルーム・ヴァージョン」と『大瀧詠一SONG BOOK VOL.2』に収録されたヴァージョン(非売品のレコードでは「オン・エアー・ヴァージョン」と記載されているので、一応「オン・エアー・ヴァージョン」と表現することにします)の最も大きな違いはそのエンディング。

「ボール・ルーム・ヴァージョン」は、最後の♫私は 私は 燃えるルビイ~♫が歌われた後、約20秒間のストリングスとホーンによる壮大なエンディングがつけられています。その部分のアレンジは服部克久さんですね。完全にお任せしていたのか、大瀧さんのある程度の指示に従ってのことなのかは不明。

で、「オン・エアー・ヴァージョン」はというと、その部分はすべてカット。代わりに♫ルビ・ドゥビ・ルビ・ドゥビ…♫というフレーズが入れられています。この部分は1番の後に出てくる同じフレーズの演奏を貼り付けたのかもしれません。ただ、ポイントは♫燃えるルビイ~♫が終わって♫ルビ・ドゥビ・ルビ・ドゥビ…♫が出てくる前のドラム。「快盗ルビイ」のカラオケ・ヴァージョンを何度か聴いていたときにハッと気づくものがあったんですね。♫燃えるルビイ~♫と歌われる部分でいったん演奏がとぎれてすべての楽器の音が消える。そしてその後に聴かれるドラムの音。それはまさに「ペパーミント・ブルー」の最初に聴かれるドラムのフィル・インと全く同じものだと。きっとドラムの青山純さんに同じように叩かせたんだろうと考えていたんですが、例の「Each Timeヴァージョン」という言葉を見たときにひらめいたんですね。もしかしたら「ペパーミント・ブルー」のフィル・インを「快盗ルビイ」にそのまま使っているのではないかと。で、なんども聴き比べをしました。多少の音色の違いは感じられるものの、テンポも音の強弱もまったく同じ。

とするならばと考えたのが「オン・エアー・ヴァージョン」の最後のジャジャジャジャン。ここで聴かれるドラムは「夏のペーパーバック」のエンディングで3回繰り返されるものと同じ。この日のブログで紹介したように「快盗ルビイ」にはいろんな曲を取り入れているのですが、どうやら大瀧さんは最後にご自身の『EACH TIME』を代表する2曲の「ペパーミント・ブルー」と「夏のペーパーバック」を入れたようです。今頃気づいたかって大瀧さんに言われそう。

「ボール・ルーム・ヴァージョン」との違いが最もよく表れているのが最後の部分なので、「ボール・ルーム・ヴァージョン」と区別するために大瀧さんはどこかででポロっと「Each Timeヴァージョン」と言ったのかもしれません。


ところでYouTubeに貼られたこの画像。




テレビ番組で小泉今日子さんが「快盗ルビイ」を歌っているビデオですが、これ、なんとエンディング付きのカ

ラオケ(カセットテープに収録されたもの。ただし何箇所か編集でカットしていますが)で歌っていますね。2:32で「ペパーミント・ブルー」のフィル・イン、最後に「夏のペーパーバック」のエンディングのドラムを聴けます。

一応、「ペパーミント・ブルー」も貼っておきます。




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by hinaseno | 2017-01-29 12:11 | ナイアガラ | Comments(0)

「快盗ルビイ」のヴァージョンを調べていたら知らないものまでいろいろと。ちょっと整理しておきます。


①オリジナル・シングル・ヴァージョン

1988年10月26日に発売されたレコードとCDシングルに収録されたもの。最後はフェイドアウト。

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②エンディング付きヴァージョン

フェイドアウトではなくエンディング付きのもの。1995年3月24日発売の『大瀧詠一SONG BOOK VOL.2』に収録されていたのを聴いて初めて知りましたが、最初に発表されたのは1988年にプロモーション用に作られた非売品のレコードのB面に収録されたオン・エアー・ヴァージョン(On Air Version)と記されたもの。

これ、最近手に入れました。

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③カラオケ・ヴァージョン(フェイドアウト)

1991年に「キスを止めないで」とカップリングして発売されたCDシングルに収録。①のカラオケ。

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④カラオケ・ヴァージョン(エンディング付き)

レコードやCDシングルが発売された時にどうやら同時に発売されていたカセットテープに収録されているようです。②のカラオケですね。こんなのがあったなんて知りませんでした。手に入れたいけど、カセットテープの再生機はもうないし…。


⑤ボール・ルーム・ヴァージョン(Ball-Room Version)

先ほどの非売品のプロモーション用のレコードのA面に収録。1988年12月17日発売の『Best of Kyong King』に収録されていて、現在、iTunes Storeやアマゾンでもダウンロードできます。僕が初めて聴いたのは1989年1月5日放送の「新春放談」でした。


⑥小泉今日子&大瀧詠一デュエット・ヴァージョン

2002年12月18日発売の『KYON3 ~KOIZUMI the Great 51~』に収録されたもの。②とその仮歌(ガイドヴォーカル)である⑦をミックスして作っています。二人がマイクの前でいっしょにデュエットしたわけではありません。


⑦大瀧さんのソロ・ヴァージョン

2016年3月21日発売の大瀧詠一の『DEBUT AGAIN』に収録。オケは②と同じ。


⑧ムービー・バージョン

映画『快盗ルビイ』のサントラ盤の最後に収録されたもの。サントラ盤をもっていないので確かではありませんが、アレンジが八木正生さんということなので、おそらくジャズにアレンジされたものだろうと思います。


さて、ネットを調べていたら、Each Timeヴァージョンというのがあると書かれていて、ちょっと色めき立ってしまいました。ただしEach Timeヴァージョンのことを書いているのはそのブログだけ。例のプロモーション用のレコードのB面に収録されていて「『Each Time』をちょっと意識した感じのミックスの物」なんて書かれているけど、実際は(On Air Version)と記載されたエンディング付きのヴァージョン。どういうこと?


でも、実はちょっと前にあることに気がついていて、もしかしたらあれかな、と。

それについては次回に。


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by hinaseno | 2017-01-27 13:25 | ナイアガラ | Comments(0)

今回は小泉今日子さんの話を中心に、と思っていましたが、やはり「快盗ルビイ」のことをもう少し書いてみたくなりました。最近、気づいたことも含めて書きたいことがいっぱいあるので。


さて、一口に「快盗ルビイ」といっても、実際にはいろんなヴァージョンが存在します。たぶん聖子ちゃんに提供した曲もきっといろんなヴァージョンが存在しているんだろうとは思いますが、公になっているのは「風立ちぬ」のカラオケヴァージョンとCMヴァージョンくらい。キョンキョンのが多いのは、やはりディレクターの田村さんがナイアガラーだったからこそでしょうね。

「快盗ルビイ」のヴァージョン違いについてはまた改めて触れますが、僕たちが最も心ときめいたのは2002年に発売された小泉さんのベストアルバム『KYON3 ~KOIZUMI THE GREAT 51』に収録されたこの「小泉今日子&大瀧詠一デュエット・ヴァージョン」ですね(実はアルバムは持っていないんだけど)。




これに関しては2003年1月12日に放送された新春放談で興味深い話が語られています。昨年発売された大瀧さんの『DEBUT AGAIN』にも関連する話。『DEBUT AGAIN』は一応大瀧さん本人によるセルフカヴァーのアルバムということになりますが、「快盗ルビイ」に関しては小泉さんが歌うためのガイドボーカルとして録音された仮歌ですね。

前回紹介した田村さんのインタビューで、田村さんはこんな話をされていました。


「僕は彼女の歌入れは全部やっているのですが、この曲だけは大瀧さんです。だから他の曲ともしかしたら雰囲気が違うかもしれません。大瀧さんの仮歌入れも大瀧さんはスタジオに鍵をかけて、外に監督やら映画のプロデューサーをひたすら待たせているので、ロビーはとんでもない圧迫感」

『DEBUT AGAIN』に収録されたその仮歌を小泉さんの歌ったものとミックスしてデュエット・ヴァージョンを作ろうと思いついたのも田村さんでした。でも、そこにはやはり”たまたま偶然”があったわけです。

というわけで新春放談のその部分を。


山下:去年はもう1個、あの、キョンキョンの…。
大瀧:ありました。
山下:あれはいきなりどうしたんですか?
大瀧:あれはね、人に提供した曲っていうのは僕はあんまりやってないんですよね。基本的には。「夏のリビエラ」とか、あのくらいしかない。
山下:セルフカバーっていうのはほとんどやりませんもんね。
大瀧:書いたものはそのまま、その人に向けて書いたのでね。なけなしの才能をね、なんとかがんばって。あと、キーが全く別だからね。
山下:なるほど。キーも神経質ですからね、大瀧さんはね。
大瀧:キーはね。僕ね、キーがちょっと違うと全部下手になるのよ。もともと下手なんだけれども、うまくない。ピッチは悪いんだけれども、とにかくね、キーが合わないと、ずーっと下手なのよ。あれって不思議だね。
山下:そんなもんですよ。
大瀧:そーお?
山下:絶対そうですよ。半音違っただけで全然歌違いますもん。
大瀧:その半音の間にいっぱいあるんだ、ポイントが。半音違ったらもう全く別の歌。だから男と女なんかまるでそうでしょ。例えば小泉の場合なんかでも、彼女の場合は上がCだから1つ低いんですよ。だから「暗いね」とか、デモテープ聴いて。暗いも何もないでしょ、男が歌を歌うにはあれっきゃないんだからさぁ。
山下:ホントそうですよね。
大瀧:そういうのもあるし。あとはまあ、提供の曲はあまり自分でやらないようにってこともやってたんだけども、これはねぇ、たまたま偶然に当時のスタッフだった相茶君(おそらく相茶紀緒さん)と会ってね。お父さんのお葬式だったんだけれども。その時に担当ディレクターの田村と会って「いやあ久々に『怪盗ルビイ』聴いたら良かったよ」って僕が言ったのがきっかけだったのよ。それでなんかアイデアが閃いたらしくて、「デュエット、どうでしょうか?」って言われて、「いや、あんまり…」と思って断ろうと思ったんだけれど。どうもね、なんか相茶君のお父さんのお導きじゃないかっていうふうに僕はそういうふうにすぐにとる方なんですね。それで、あっ、これはやれって言われたんだなって思ったんで、それでやってみたんですけど。
山下:あれは仮歌なんですか、じゃあ?
大瀧:仮歌。
山下:あの当時の声なんですか?
大瀧:当時。2回ぐらいっきゃ歌ってないと思うんだよね。気軽にこんな感
じかなあとかいう。
山下:要するに仮歌っていうガイドヴォーカルですか?
大瀧:ガイドヴォーカル。
山下:じゃあキョンキョンはあれを聴いて。
大瀧:あれを聴いて。だから随分あの通りに歌ってたみたいよ。

ところで大瀧さんの『DEBUT AGAIN』が出たときに、本人の意思を無視して勝手にセルフカバーのアルバムなんか出すべきではないというようなことをアマゾンのコメント欄に書いていた人がいましたが、おそらくこの日の新春放談で語られた大瀧さんの言葉を覚えていたんでしょうね。ときどきこういう原理主義的なナイアガラーがいて、なんだかなぁ…となってしまうことがあります。

実はこの日の新春放談ではこのあとこんな話も出てくるんです。これがまさに大瀧さんらしい話なんですね。


山下:いろんな人知ってるけど、絶対にイヤだっつったら、絶対に最後までイヤだっつって通した人って、僕の人生で見てる限り3人くらいしか見たことないけど、大瀧さんは絶対にイヤだって言ったら絶対にやんないもんね。
大瀧:やんないときはやんないですね。
山下:やんないときはやんない。いいじゃないのと思うんだけど。頑固ものと言ってみればそれまでだけど。
大瀧:いや、頑固者はあなた。
山下:(笑)
大瀧:僕は全然頑固じゃないですよ。
山下:そうですか。
大瀧:ああ、順応派ですね。
山下:でも、基調方針から外れることで絶対にやりたくないことはダメなんでしょ。
大瀧:ダメだろう…ね。
山下:一旦「ノー」って言ったら絶対に「ノー」だっていうことがあるじゃないですか。
大瀧:いや、99パーセント行っても、中村ノリ(近鉄にいた中村紀洋のこと。前年のシーズン終了後にFA宣言し、その年の暮れ、つまりこの新春放談を収録した直前くらいに「メジャー移籍は絶対にない」と言い続けていたのにニューヨーク・メッツと契約した)のようにポーンと1%セントでひっくり返るという人生を、僕ね、3、4回ありますよ。

絶対イヤだとはいってても、何かのお導きのような出来事が、たまたま、偶然起きれば大瀧さんは行動に移す人なんですね。


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by hinaseno | 2017-01-26 12:25 | ナイアガラ | Comments(0)

キャロル・キングとジェリー・ゴフィンが作ったボビー・ヴィーの「Take Good Care Of My Baby」が大ヒットしたので、アルドンのスタッフライターのだれもがその次のシングルの曲を書きたいと思っていました。もちろんジャック・ケラーも。

彼は自分専属の作詞家がいなかったので、当時、毎週木曜日にはブルックリンにあるキャロル・キングとジェリー・ゴフィン夫婦が住むアパートで、ジェリーと曲作りをしていました。ある日車で彼らの家に向かっていたとき、車の中でペギー・リーの曲が流れてきて、それが彼の心をとらえます。

それが彼女のなんという曲なのかはどこにも書かれていなかったので、いろいろ聴いてみて、1959年のこの「I'm Lookin' Out the Window」という曲かなと。ポイントは何度も繰り返される印象的なリフ。




ケラーは彼らのアパートに到着してすぐにそのリフを何度も何度も繰り返しながらメロディを作り上げていきます。4時間後にそれを完成。かなりの時間がかかったのでしばらく休憩。さて、ジェリー・ゴフィンが詞をつける段階になったときにそこにやってきたのがキャロル・キング。彼女はキッチンで仕事をしたり子供の様子を見たりしながらずっとジャック・ケラーの作る曲を聴いていたんですね。彼女はケラーに「ちょっと休んでて。あなたが弾くのをずっと聴いていて曲を覚えたので、あなたが眠っている間、ジェリーのために私が曲を弾いてあげるわ」と。

ケラーが目が覚めた時に、キャロルがピアノのところに座っていて「ジャック、あなたの曲よ」って言って曲を歌ったと。それが「Run To Him」。

たまらない話ですね。キャロル・キングはアレンジもできるので、おそらくジャック・ケラーが作ったメロディに彼女なりの彩りを添えたはず。ジャック・ケラーにしても寝る前に作ったメロディをどこまできちんと楽譜に書いていたかわからないけど、出来上がった曲はよければそれでよしだったんでしょうね。で、キャロル・キングもケラーが曲を書き上げるまで何時間もあのフレーズを聴き続け、さらにジェリーが詞を書き上げるまでケラーに代わってメロディをピアノで弾き続けたわけですから曲の影響を受けないはずがありません。「Sharing You」とか、ボツにはなったけどなかなか素晴らしい「Tears Wash Her Away」は明らかに「Run To Him」の影響下で作られています。さらに重要なのは6歳上のケラーが書いた曲を弾いているうちに知らず知らずのうちに”大人の感覚”のようなものがキャロル・キングの中に入り込んでいったことではないかと思います。それが「Go Away Little Girl」につながっていく。


「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の記念すべき第1回目の放送(特集はキャロル・キング)ではキャロル・キングがボビー・ヴィーに作った曲が4曲もかかります。「How Many Tears」「Take Good Care Of My Baby」「Walkin' With My Angel」そして「Sharing You」。このあとで大瀧さんはこう言います。


4曲目の「Sharing You」ですけど、これはのちの名曲「Go Away Little Girl」、スティーヴ・ローレンスが歌って1位になりましたがこれのベースになっていると思われます。

まだ、資料としては曲しかないときになんと鋭い分析なのかといまさらながら驚かされます。


「Venus In Blue Jeans」に関しても興味深い話があります。

大瀧さんはジャック・ケラー特集のときに「Run To Him」がきっかけでジャック・ケラーの作る曲の曲調が少し変わってそれが「Venus In Blue Jeans」につながったという発言をされていたのですが、実はこの「Venus In Blue Jeans」のデモ(歌っているのはバリー・マン)が録音されたのが、ジミー・クラントンが歌って大ヒットする1年前の1961年8月2日だったんですね。「Run To Him」が作られた日がいつなのかはわかりませんが、シングルがリリースされたのは10月末。ちなみに「Run To Him」のB面に収録されたキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが曲を書いた「Walkin’ With My Angel」のデモが録音されたのが1961年8月23日なので、どうやら時系列的に考えれば「Run To Him」よりも「Venus In Blue Jeans」のほうが先に作られた可能性が高そうです。でも、「Venus In Blue Jeans」もボビー・ヴィーの「Take Good Care Of My Baby」が大ヒットしている頃に作られたことは確かなようなので、その影響を大いに受けていることは間違いないはず。もちろん曲を作るときにはできればボビー・ヴィーに歌ってもらえたらと思っていたにちがいありません。

ところで、この「Venus In Blue Jeans」にもキャロル・キングがちょっとかかわっているんですね。曲はデモが作られてから誰に歌われることもなくアルドンのライブラリーに置かれたままになっていたようです。

ある日そこにジミー・クラントンがやってきます。彼は2年間の兵役を終えて戻ってきたばかり。で、自分でニューヨークのアルドンの事務所に行って曲探しをしたようです。そこで見つけたのが「Venus In Blue Jeans」。

その場には曲を書いたジャック・ケラーとハワード・グリーンフィールドがいたようで、是非とも録音したいという話になったときに、ケラーたちがアレンジを頼んだのがキャロル・キングなんですね。彼女はデモにはなかったブラスとハープを使った素晴らしいアレンジを考えつきます。で、クラントンはまだきちんとした契約もせずにそれを録音。

これもすごい話です。


最後にもう一つ、「Go Away Little Girl」とともに大瀧さんがキャロル・キングが作った曲の中でとりわけ好きな「It Might As Well Rain Until September」という曲の話を。これですね。




かつて大瀧さんはこんなことを書かれています。


(『ロング・ヴァケーション』の)中で一番最初に作った「カナリア諸島にて」で使用した、ジャズのスタンダードでよく耳にするところの、ポップスの黄金のコード進行に私がはじめて出会ったのはキャロル・キングの「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」(63年、歌=スティーヴ・ローレンス)でした、このコード進行から生まれた(使われている)スタンダード曲は世界中に星の数ほどありますが、日本でヒットした曲といえば、橋幸夫の「雨の中の二人」(66年)ぐらいしかありませんでした。「カナリア…」発表当時、それへの類似を書かれたこともありましたが、ポップス黄金律の中でも頻度の高いものを〈橋幸夫〉でしか体験したことのない非常に貧しいポップス体験の人でも〈ポップス〉を語れる状況になったのだな、と思ったものでした(蛇足ですが「カナリア…」には「ゴー・アウェイ...」からの〈直接〉の影響はありません)。
このコード進行はキャロル・キングお得意の路線でしたが、「ゴー・アウェイ...」以前に彼女の名義で発表した「It Might As Well Rain Until September」で既に使っていたものです。このパターンは60年代初期のヒット・ソングでは石を投げると必ずぶつかるくらいのかなりの頻度で使われたものですが、現在では日本ポップスの黄金律の一つとなったようです。

この「It Might As Well Rain Until September」も実はボビー・ヴィーのために作った曲。曲調がもろにボビー・ヴィー=スナッフ・ギャレットのリバティ・サウンドしてます。で、スナッフ・ギャレットはボビー・ヴィーで録音。ちなみにボビー・ヴィーが「It Might As Well Rain Until September」を録音したのは1962年6月20日。で、「Go Away Little Girl」を録音したのは1962年3月28日。スティーヴ・ローレンスが歌ってヒットするのは翌63年ですが、時系列でいえば「Go Away Little Girl」のほうが先に作られていたようです。

それはさておきスナッフ・ギャレットは「It Might As Well Rain Until September」を録音したものの、まだ「Sharing You」がヒットチャートを上昇中だったので慌ててリリースする必要はないと判断。でも、タイトルに9月とついていて内容的には夏の歌である曲を時期遅れで発売するのはどうかと考えたドン・カーシュナーがキャロル・キング本人が歌ったデモにストリングスを入れて7月の末にリリースするんですね。すると最高位22位のヒット。まあボビー・ヴィーが同じ時期にリリースして入ればもっと大ヒットしていたかもしれませんが、キャロル・キングにとっては自分自身が歌った久しぶりのシングルで、彼女自身も自分の歌に自信を持つきっかけになったはず。これがあったからこそ、のちに彼女はシンガーソングライターへの道を歩めたわけですね。

ところでボビー・ヴィーで録音したものはシングルではなく翌年発売されたLP『The Night Has A Thousand Eyes』に収録。これですね。キャロル・キングでヒットした後なので、キャロル・キングの曲をカバーしたした形になってしまいましたが実はキャロル・キングのはもともとはデモでこちらがオリジナル。でも、キャロル・キングの方がいいですね。




というわけで「Go Away Little Girl」と「Venus In Blue Jeans」にからめたボビー・ヴィー・ストーリーは一応これで終わります。

出版社のドン・カーシュナーとリバティ・レコードのスナッフ・ギャレットの思惑が様々に交錯しながら、キャロル・キングとジャック・ケラーという作曲家が影響を与え合って、それぞれを高め合っているのがなんとも興味深いですね。それもこれもボビー・ヴィーという魅力的なシンガーがいたからこそ。

というわけでボビー・ヴィーとジャック・ケラーとキャロル・キングとジェリー・ゴフィンとドン・カーシュナーが一緒に写っている写真があればよかったんですが、これはボビー・ヴィーではなくエヴァリー・ブラザーズが写っている写真。これはこれですごいです。まじめそうなジャック・ケラーが下に寝転んでふざけたポーズをとっています。

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それからこれはジャック・ケラーが30年ほど前にテレビ番組に出て生で歌っている映像。「Run To Him」と「Venus In Blue Jeans」を続けて歌っています。昨日見つけてびっくり。彼はシンガーではないのでそんなに歌はうまくありません。




それにしても、達郎さんも言っていましたが、もしも彼にキャロル・キングにとってのジェリー・ゴフィンや、ニール・セダカにとってのハワード・グリーンフィールドや、バリー・マンにとってのシンシア・ワイルや、あるいはバート・バカラックにとってのハル・デイヴィッドのようなきちんとしたチームを組める作詞家がいたならば、もっと素晴らしい曲をいくつも生み出すことができていただろうなと思ってしまします。

最後はジャック・ケラーの話になってしまいました。僕はとにかくジャック・ケラーが大好きです。


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by hinaseno | 2017-01-03 12:22 | ナイアガラ | Comments(0)

ジャック・ケラーが作曲したボビー・ヴィーの「Run To Him」は、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の5回めの放送であるジャック・ケラー特集でかかっています。放送されたのは1975年7月15日の深夜。

4回めまでのキャロル・キングとニール・セダカとバリー・マンの特集くらいはわからないわけでもないけど、その次にジャック・ケラーの特集をしたというのはすごすぎますね。それもこれも大瀧さんが特集の中で語っていた通り「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」があったから。それをかけたくて特集したんですね。で、そこに至る流れでボビー・ヴィーの「Run To Him」がかなり重要であったこと指摘しています。


この日の特集でまず最初にかけたのはコニー・フランシスの歌った「Everybody's Somebody's Fool」、「My Heart Has A Mind Of Its Own」、「Breakin' In A Brand New Broken Heart」の3曲。いずれも大ヒットした曲ですね。そのあと似たような曲調の曲としてマクガイア・シスターズの「Just For Old Time's Sake」とパティ・ペイジの「Don't Read the Letter」がかかります。そのあとの言葉から文字起こしを。


*   *   *   *


聴けばまたまたわかります通り、こういったような曲調ですね。この頃はほとんどジャック・ケラーはこういったような曲調で、なんか今までアルドン・スクリーンジェムズ系統の作品をずっと聴いてきたわけですけども、なんかどっか違うんじゃないかと。そうですね。この人はこういったカントリー畑の出身なんでしょうかね。こういったようないわゆるポップ・カントリーといわれるような曲が多かったわけですけども、この61年11月にこの曲が出てから変わりましたよん。

ボビー・ヴィー、「Run To Him」。


Bobby Vee / Run To Him


ボビー・ヴィー、「Please Don't Ask About Barbara」。


Bobby Vee / Please Don't Ask About Barbara


ボビー・ヴィー、「Please Don't Ask About Barbara」でした。

「Run To Him」はですね、「Take Good Care Of My Baby」、キャロル・キングの、ボビー・ヴィーの中ではベスト3に入ると言いましたけど、その次作でしてね。そのヒットの余勢を借りまして2位まで上りましたけどね、この「Run To Him」。

ボビー・ヴィーをもらったことが、ジャック・ケラーは作風をかなり…少し…ちょっとですけど…かなりですか、変わるきっかけになったんじゃないかと思いますけどね。この「Run To Him」のB面が「Walkin' With My Angel」、キャロル・キングの作品ですけどね。

そして「Run To Him」に続きまして出たのが「Please Don't Ask About Barbara」で、15位ですか、ベスト20に入りましたね。

この「Please Don't Ask About Barbara」がアルドン・スクリーンジェムズ系統らしい曲になってきたという感じですね、ジャック・ケラーも。

ここでひとつ謝らなくちゃいけないんですけど、ここで次はエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her?」がかかる予定だったんですけども、これをですね、キャロル・キングの特集のときに間違えてかけてしまいましたのでございますよ。え~、♫ハウ・キャナイ・ミーハ~♫ですけどね、なんでかけちゃったのか、実に私のミスでして申し訳ありません。「That’s Old Fashioned」のB面だったんですけどね。エヴァリーはそういえば両面ヒットが多いですけどね。♫ハウ・キャナイ・ミーハ~♫とここでくる予定だったんですけど、そして「Don't Ask Me To Be Friends」も続く予定だったんですね。この「Don't Ask Me To Be Friends」も僕は好きなんですけどね、現在、ちょいとお皿(レコード盤のこと)がなくてかけられません。いやぁ、かけたいなぁ。

え~、そしてこの62年8月、この曲です。ジミ~・クラントン! ナインティーン・シックスティ・トゥー(1962年)、「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」。


Jimmy Clanton / Venus In Blue Jeans


「Venus In Blue Jeans」、ジミー・クラントンでした。え~、名曲ですね、実に。

ん~ん、なんて言いますかね、僕が言おうとしているところのアルドン・スクリーンジェムズ系統の曲調の典型ですね。♫ジャ・ジャ・ジャ・ジャ・ジャ♫とか必ず入ってきますしね、典型って言われる曲には。

ジミー・クラントンというとエース(ACE)レコードですね。あのジョニー・ヴィンセント(Johnny Vincent、ACEレコードの設立者)の。ヒューイ・スミスなんかがいますね。あのエース・レコードの変わり種もいいとこですけどね。でも曲によってはブルージーな曲もありますね。いわゆるニューオーリンズみたいなドラムとサックスのソロが入ってね。でも、非常に変わり種でね。いわゆるブルースの人にはエースってレーベルはたまんないんだけども。ある雑誌にエースのディスコグラフィが載ってて、ジミー・クラントンをはちゃめちゃにけなしてましたけどね。

僕は好きですね。もうこの曲なんかは抜群でね。いわゆる僕が言おうとしているところのアルドン・スクリーンジェムズ系統の中でこれはかなり評価してますよ、この曲は。この曲があるからジャック・ケラーも一応この特集に入れたっていうくらいなもんで、実にホントにいい曲ですね。


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それまでの4回までの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」での大瀧さんは今聞くとすごく堅苦しい語りになっているんですが、この日の、特に「Run To Him」からはかなりテンションが上がってきて、「Run To Him」をかける直前には「変わりましたよん」なんて言っていますね。エヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her?」と「Don't Ask Me To Be Friends」をかけれなかったのは本当に残念そう。

そして大瀧さんのテンションが最高に上がるのが「Venus In Blue Jeans」がかかるとき。このあたりは大瀧さんの興奮ぶりを含めて何度聴いてもたまらないものがあります。


さて、大瀧さんがかけたくてもかけれなかったエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her?」と「Don't Ask Me To Be Friends」も今なら苦もなく聴くことができます。実はこの特集では曲目だけを紹介するだけでかからなかった曲がかなりあって、その中にペリー・コモの「Beats There A Heart So True」という曲があります。

この曲はのちに達郎さんの「サンデー・ソングブック」で3回にわたって放送されたジャック・ケラー特集でかかります(2010年9月12日放送)。この特集、もちろん達郎さんが独自に調べられたこともたくさんあるようですが、大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でも特集を踏襲していることは明らか。で、この達郎さんの特集でペリー・コモのこの曲に感動したのがアゲインの石川さんですね。YouTubeにアップされているこの音源は石川さんが作られたものです。




ところで、大瀧さんが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でジャック・ケラー特集を放送してから後、当然のことですが、いろんな音源やら曲にまつわる証言を載せた本も出たりして、このあたりの曲にまつわるもう少し詳しい背景がわかってきました。大瀧さんはきっとそのあたりを調べ直して新たなストーリーを作っていたんだろうと思いながら残念ながら。。。なんて悲しんでいても仕方がないので、そのあたりを取り入れたボビー・ヴィーとジャック・ケラー・ストーリーをもう少し書いてみます。



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by hinaseno | 2017-01-02 11:37 | ナイアガラ | Comments(0)

つい先日もかなり有名なミュージシャンが亡くなりましたが、今年も数多くのアーティストが亡くなりました。とりわけショックが大きかったのは村田和人さん。彼の歌をアゲインで聴きたかった。石川さんからは何度も村田さんのライブほど素晴らしいものはないから一度は見ておいて欲しいと言われていたのに。


そしてボビー・ヴィー。

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60年代のアメリカン・ポップスで、僕の最も好きな男性シンガーがボビー・ヴィー。永遠に中断することになってしまった大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝」で、いちばん聴いてみたかったのも必ずやってくれたはずのボビー・ヴィー・ストーリーでした。


1977年7月に放送された「(スナッフ・ギャレットの)リバティ・サウンド特集」でボビー・ヴィーの「Rubber Ball」と「The Night Has A Thousand Eyes」の2曲をかけたあと大瀧さんはこう語っています。


(プロデューサーの)スナッフ・ギャレットとボビー・ヴィーというこのコンビはたくさん大ヒット曲がありますけどもね。この頃ボビー・ヴィーは、まあ、郷ひろみみたいな感じだったですね。いわゆるティーンのアイドルでしたね。超、超アイドルでしたけれどね。非常に曲がいいのと、それから作家に恵まれたというか、いい作家を起用したというか、その辺もいわゆるプロデューサーの才能なんですね。その辺はボビー・ヴィーの特集のときにまた詳しくお話ししたいと思います。

大瀧さんは近いうちに必ずボビー・ヴィー特集をすることを考えていたことがわかります。でも、このあと60回ほど放送がありましたが、結局ボビー・ヴィー特集は実現しなかったんですね。


さて、大瀧さんはかつて、もしだれかミュージシャンが亡くなってその人を追悼するのであれば、その人の曲をかけるんじゃなくて、その人が好きだった曲をかけてあげるべきだと語られていました。

というわけなので、昨日は大瀧さんが死ぬほど好きだったはずの曲を何曲か集めて聴いていました。大瀧さんが死ぬほど好きだという曲ですぐに浮かぶのはやはりこの2曲。

一つはスティーヴ・ローレンスが歌った「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」。




もう一つが、今年ようやく日本盤のシングルを手に入れることのできたジミー・クラントンの「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」。




この2曲、実は少なからずボビー・ヴィーが関係しているというか、もしボビー・ヴィーというシンガーがいなければは生まれなかったと言ってもいいかもしれません。そんなたまらないストーリーがもしかしたら「アメリカン・ポップス伝パート5」で語られていた可能性もあります。


61年の大ヒットとなったボビー・ヴィーの「Take Good Care Of My Baby」を書いたのはキャロル・キングとジェリー・ゴフィンのコンビ。彼らは次に書く曲もボビー・ヴィーに歌ってもらえるだろうと考えて新しい曲作りにとりかかります。それが「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」。

ジェリー・ゴフィンはこんなことを語っています。


「僕が『ゴー・アウェイ・リトル・ガール』を書いていたときに、僕の心にあったのはボビー・ヴィーだった。キャロルと僕はそれを10分くらいで書き上げたんだ。僕はきっとその曲をボビーのプロデューサーであるスナッフ・ギャレットも大好きになってくれるだろうと思っていたんだけど、彼はそれを気に入ってくれなかった」

あの曲を詞も含めてたった10分で書き上げたというのには驚いてしまうけど(でも、アメリカン・ポップスの名曲はたいていそれくらいの時間で作られていることが多いですね)、たとえば松田聖子のために優れたアーティストが競うようにして優れた曲を書いていたのと同じようなことが当時のボビー・ヴィーにもあったんですね。彼に、正確に言えばスナッフ・ギャレットがプロデュースしたボビー・ヴィーに、できればシングルとして歌ってもらえるような曲を作ろうとしていたわけです。彼の歌った曲に素晴らしい曲が多いのはそのためですね。

ただし、スナッフ・ギャレットはどんなに前作で大ヒットを飛ばした曲の作家でも、曲がアーティストに合わないと判断すれば使わない。

ということで、「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」はいったんはスナッフ・ギャレットに渡されたものの結局、彼はその曲をボビー・ヴィーの新曲として使うことはしませんでした。ちょっと大人の歌だったので、もう少しあとで使ってもいいと考えたのかもしれません。

そんなときに、その曲のデモに耳を止めたのが”黄金の耳を持つ男”ドン・カーシュナーでした。そう、最初はボビー・ダーリンとコンビを組んで曲作りをしていたものの、自分の才能がないということがわかって作家としての道はあきらめて、音楽出版会社を作った人。大瀧さんに「人生早めの切り替えが大事」と言われたあの人です。彼は友人のスティーヴ・ローレンスに曲をあげてすぐに録音させるんですね。それが大ヒットとなったわけです。


ところで、ジェリー・ゴフィンはあのように発言していますが、スナッフ・ギャレットがデモの段階からこの曲を気に入らなかったわけではなさそうです。実際彼はスティーヴ・ローレンが録音するよりも先にボビー・ヴィーの歌った曲を録音します。録音したのは1962年3月28日。前日にはのちにシングルとしてリリースされる「シェアリング・ユー(Sharing You)」(曲を書いたのはキャロル・キングとジェリー・ゴフィン)を録音しています。

ボビー・ヴィーの「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」は残念ながらYouTubeにアップされていませんがイギリスのACEから出た『Honey And Wine: Another Gerry Goffin & Carole King Song Collection』に収録されています。スティーヴ・ローレンスのバージョンに耳が慣れているせいもあるとは思いますが、このアレンジ、特に弦のアレンジにはかなり違和感を覚えてしまうんですね。ちょっと曲を殺してしまっているような感じ。アレンジャーはボビー・ヴィーのほとんどの楽曲で素晴らしいアレンジをしているアーニー・フリーマンなんですが、彼にしてはちょっと意外なほど残念なアレンジ。スナッフ・ギャレットもそれを感じたようです。もしかしたらもう一度アレンジをやり直してあとで録音し直そうと思っていたような気もしますが、とりあえずはボツ。そのタイミングをドン・カーシュナーが逃さなかったんですね。


ところで「Take Good Care Of My Baby」の次のシングルとして選ばれたのがこの「ラン・トゥ・ヒム(Run To Him)」という曲。




のちにキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが書いて、「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」の前日に録音されたこの「シェアリング・ユー」は明らかに「ラン・トゥ・ヒム」の影響を受けていますね。




いや、「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」も曲に関しては「ラン・トゥ・ヒム」の影響を感じてしまいます。

この「ラン・トゥ・ヒム」。作詞はジェリー・ゴフィン。でも、作曲はキャロル・キングではなくジャック・ケラー。あの「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」を書いた作曲家でした。ボビー・ヴィーというシンガーを介してキャロル・キングとジャック・ケラーはお互いに影響を与えあっていたんですね。


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by hinaseno | 2016-12-31 14:10 | ナイアガラ | Comments(0)

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ライブではいくつか新曲が披露されました。最初に披露されたのがライブの前日に小山清の「落穂拾い」を読んで思ったことを歌にしたというもの。タイトルは『「落穂拾い」を読んで作った歌(仮)』。僕もライブの2日くらい前に「落穂拾い」を読み返していたので、おっでした。

世田谷ピンポンズさんが小山清の作品をもとにして作った曲は「かぜのたより」「早春」に続いてこれで3作目。小山清三部作ということになりますね。これも小山清らしい”明るいさびしさ”が上手く表現された素敵な曲でした。聴き取った詞を載せておきます(ただし赤字の部分はよくわからなかったので、聴き取れた人がいたら連絡ください)。小山清の「落穂拾い」と読み比べてみるとなかなか面白いです。


『「落穂拾い」を読んで作った歌(仮)』

日が暮れると私はなにもしてないのに

とてもくたくたに疲れている

今日も誰ともしゃべらなかった

虚空に向かってつぶやいてみる


私の作る歌はそのばかり

私の歌は私の孤独です


誰かに贈物をするような心で歌が書けたらな

誰かに贈物をするような心で歌が歌えたらな


帰り道見つけた可憐な花が

それでも生きるのよと私に言う


いびつな形の私のままで誰かの心に届いたら

いびつな形の私のことを誰か好いてくれるかしら


誰かに贈物をするような心で歌が書けたらな

誰かに贈物をするような心で歌が歌えたらな


小山清の「落穂拾い」の「誰かに贈物をするような心で書けたらなあ」がサビでちょっとだけ言葉を変えて使われていますね。

小山清を心から愛している窪田さんへのピンポンズさんからの贈り物。小山清もきっと喜んでいるでしょうね。

それにしても小山清の「落穂拾い」をちょっと久しぶりに読み返しましたが、贈り物のような言葉にあふれていますね。例えばピンポンズさんが作った曲の歌詞には使われなかったけど、こんな言葉とか本当に素敵です。


その人のためになにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互いに必要とし合う間柄になれたなら、どんなにいいことだろう。


さて、新曲とは別に初めて聴いた曲もいくつかありました。その中で特に気に入ったのが「タウン」という曲。これはかなり古い曲ということですが僕の持っているどのCDにも入っていませんでした。「タウン」というのがカタカナで表記されるのかどうかもわかりません。

曲を歌う前に「『タウン』とか『街』とかそんなのばっかりですけどね」と言われていましたが、僕はピンポンズさんが歌う街の歌(ピンポンズさんが歌にした街)が大好きです。で、その中でもこれは詞も曲も最高の一つ。東京の小さな街の冬の風景を切り取った素敵な曲。ぜひCDにして欲しい曲です。

ということでこの「タウン」も聴き取った詞を載せておきます。聴き取り違いがいくつかあるかもしれません。


タウン

世田谷線が横を通る公園で

ホームランバーをほおばりながら

君はコートのフードをすっぽり被り

雪は降ってこないかなと空を眺めてる


赤いビルのてっぺんはうすぼやけ

冬を知らないこの街にも雪は降ってくる


線路を電車がすべってく

いつもの駅から遠ざかってゆく

雪に沈んだこの街で

あなたと私 生きていくのよ


夜が通りを歩いてく

人々は息を潜めて隠れる

どこにも行けない歌だけが

街の広場で鳴り響いてる


線路を電車がすべってく

いつもの駅から遠ざかってゆく

雪に沈んだこの街で

あなたと私 生きていくのよ


雪に沈んだこの街で

あなたと私 生きていくのよ


「赤いビル」というのはキャロットタワーのこと。キャロットタワーの見える世田谷線沿線の公園の画像を探したらこんなのがありました。

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街の曲といえば「名画座」と「わが町」を聴くことができたのもうれしかったです。この2曲はまちがいなくピンポンズさんを代表する曲。だれかにピンポンズの曲を聴いてもらおうと思ったら、まずこの2曲を勧めます。


そういえば今年出たアルバム『僕は持て余した大きなそれを、』の最後に収録された小品「カム・バック」を聴けたのもうれしかった。

次にピンポンズさんのライブを見れるのはいつだろう。


答えは風の中…

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by hinaseno | 2016-12-11 14:26 | ナイアガラ | Comments(0)

アメリカン・ポップス伝パート4 第5夜(エンディングまで)

(はじめに)アメリカン・ポップス伝の最終回のプログラムの文字起こしを「かわいそうなのはコニー・フランシス」で終わるのはなんだかコニー・フランシスに悪いような気がするので、この日のプログラムの最後まで文字起こしすることにしました。

放送の最後、大瀧さんは「パート5ではいよいよ本格的に60年代ポップスへと突入します」と。さあ、いよいよ始まるんだ、というところで残念ながら永遠の最後になってしまったわけです。そして最後にかかったジョニー・ソマーズの「ワン・ボーイ」は永遠の1曲となりました。

ということで、文字起こしを。


 *    *    *


さて、『ギジェット』で幕を開けたビーチ・ムーヴィーは63年に女王の座がサンドラ・ディーからアネットへと移ります。そのアネットのシングル・デビューは59年でした。


Tall Paul / ANNETTE

(注)ここでかかったのは演奏前の言葉とアネットの咳払いが少し入ったテイク。YouTubeにはありませんでした。「Take 6」との声が入りますが、これがOK Takeだったんでしょうか。この音源も何に入っているかわかりませんでした。それにしても大瀧さんは「アメリカン・ポップス伝」ではそういう音源をたくさんかけていましたね。集めるだけでも大変だったと思います。


59年、7位のヒット曲「トール・ポール」。ディズニーの人気テレビ番組『ミッキーマウス・クラブ』で人気が出たので、アネットの歌手デビューとなりました。

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『ミッキエマウス・クラブ』時代のアネット(左)

ただこれはアネット用の曲ではないんですね。以前に『ミッキーマウス・クラブ』の先輩が歌っていたものですけど、そのカバーでしたがアネットに合っていたということなんでしょう。

で、『ミッキーマウス・クラブ』は子供向けでしたが、この頃大人に人気があった番組に『サンセット77』がありました。


77 Sunset Strip / The Big Sound Of DON RALKE


このドラマで一気に人気が沸騰したのがエド・バーンズ。まあ、いつも櫛で髪をといているというアクションが人気で彼の歌も大ヒットしました。


Kookie, Kookie (Lend Me Your Comb) / EDWARD BYRNES & CONNIE STEVENS


59年4位となった「クーキー、クーキー、櫛貸して」ですね。ドラマのシチュエーションをそのまま歌にしたもので、まあ今で言えばラップということですかね。女性の声はコニー・スティーヴンスです。


(注)2人でいっしょに歌っている映像がありました。



彼女もテレビドラマ『ハワイアン・アイ』で人気が出たので、ワーナー・ブラザーズは彼女用の歌を探します。ビル&ドリーポストという夫婦デュオチームが作った曲が「シックスティーン・リーズンズ」。


Sixteen Reasons (Why I Love You) / BILL & DOREE POST


コニー・スティーヴンスを想定して書いた曲とのことで、コニー・スティーヴンスにはぴったりでした。


Sixteen Reasons / CONNIE STEVENS


60年、POP3位、R&Bでも10位にランクされたコニー・スティーヴンス「シックスティーン・リーズンズ」でした。

映画『アメリカン・グラフィティ』で、路上を歩いている女の子に「コニー・スティーヴンスにそっくりだね」と声をかけると喜んで車に近づいてきて「そう、うれしい! でも自分ではサンドラ・ディーに似てると思ってんだけど」というシーンがありましたね。サンドラ・ディーもコニー・スティーヴンスも女性アイドルのいちばん人気だったんですね。

(注)このシーンで女の子(キャンディ・クラーク)に声をかける「愛すべき近眼坊や」のテリー君を演じているのはチャーリー・マーチン・スミスという俳優。川本三郎さんは『傍役グラフィティ』(川本三郎、真淵哲共著 1977年)でこのチャーリー・マーチン・スミスを一つの章で取り上げています。「『アメリカン・グラフィティ』の成功の大部分は、この愛すべき道化役者チャーリー・マーチン・スミスとキャンディ・クラークに負っていると思うのだが、どうだろうか」と書かれていますが、同感です。ちなみにこの『傍役グラフィティ』という本のことは今年になってアゲインの石川さんに教えていただきました。

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キャンディ・クラークとチャーリー・マーチン・スミス(『傍役グラフィティ』より)

この「シックスティーン・リーズンズ」、ストリングスの華麗なアレンジはドン・ラルク(Don Ralke)。そのドン・ラルクがストリングス・アレンジを施して大ヒットとなったのがジョニー・ソマーズのこの曲でした。


One Boy / JOANIE SOMMERS


(注)一旦「ワン・ボーイ」の音量を絞って、

ジョニー・ソマーズもコニー・スティーヴンスと同じワーナー・ブラザーズ・レコードからのデビューでした。まさにハリウッド調のポップソングでしたが、このあと映画、テレビ、歌から続々と女性アイドルが登場してきて60年代ポップスと呼ばれるひとつの時代が作られたのでした。

(注)この言葉の後、再び「ワン・ボーイ」の音量を上げて、エンディングまで曲がかかります。で、そのあと番組のテーマソングである「夏のペーパーバック」のインストゥルメンタル・バージョンがかかります。

興味深いのはドン・ラルクによってアレンジされた「ワン・ボーイ」の弦の演奏の最後の部分と、そのあとに井上鑑さんによってアレンジされた弦の演奏の最初の部分が重なって聴こえるんですね。このつながりに気がついた時には心が震えました。

で、大瀧さんの最後の言葉。

渋谷区神南NHKスタジオからお送りしましたアメリカン・ポップス伝パート4、最終日の本日はウェストコーストの50年代ポップス事情をお送りいたしました。ウェストコーストのポップス・クリエイターたちの顔ぶれも、だいたい50年代末にそろっていたということがお分かりいただけたことと思います。

パート5ではいよいよ本格的に60年代ポップスへと突入します。

それではまた次回をお楽しみに。大瀧詠一でした。


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by hinaseno | 2016-12-03 11:05 | ナイアガラ | Comments(0)

アメリカン・ポップス伝パート4 第5夜

(はじめに)ボビー・ダーリンとサンドラ・ディーのことが語られるのが「アメリカン・ポップス伝パート4 第5夜」。結果的には最後の最後となってしまったアメリカン・ポップス伝の放送です。

この日のプログラムは、ハリウッド映画が盛んになって、それに関連で50年代中期から後期にかけて西海岸に新しいレコード会社が次々に設立されたという話。大好きなコルピックス・レコードが登場するところから文字起こしをします。


 *   *   *


…そしてワーナー・ブラザーズとコルピックスも58年創立でどちらも映画やテレビ関連のレーベルでした。コルピックス・レコードはコロンビア映画のサントラを作っていましたが59年4月公開の映画が『ギジェット(Gidget)』。主演はサンドラ・ディー。主題歌を歌っていたのは共演者でもあったジェームス・ダーレンでした。


Gidget / JAMES DARREN


これは後にビーチ・ムーヴィーと呼ばれたものの元祖です。『ギジェット』。たくさんのサーファーが登場してサーフィン場面もふんだんにあります。もちろん水着の女性も(笑)、え~、たくさん出てきます。しかもカラー。インストバンドのベルエアーズ(The Belairs)のメンバーもこんなにサーフィンの映像が出てくる映画は初めてだった、この映画は衝撃的だったと発言しています。

「ギジェット(Gidget)」とは小さな女の子、ちっちゃな女の子”Girl in Midget”という、それを縮めたもので、もともと小説かなんかで有名になっていたキャラクターをサンドラ・ディーが演じたわけですが、それがぴったりだったんですね。

この映画の予告編でナレーションを担当していたのがディック・クラーク(Dick Clark)。そのディック・クラークの初の主演映画が作られることになって、この「ギジェット」の監督ポール・ウェンドコス(Paul Wendkos)が起用されました。それが「ビコーズ・ゼイアー・ヤング(Because They're Young)」。


Because They're Young / DUANE EDDY


60年公開のコロンビア映画「ビコーズ・ゼイアー・ヤング」。ディック・クラークが経営参加していたジェイミー・レコードのエースがデュアン・エディですから主題歌に起用されたんだと思います。映画の中にデュアン・エディとレベルズが登場してこの曲を演奏しておりました。


Shazam! / DUANE EDDY


映画「ビコーズ・ゼイアー・ヤング」の主題歌を書いたのはドン・コスタ。メロディの譜面だけがリー・ヘイズルウッドのところに送られてきてデュアン・エディとレベルズがアレンジをして4位となる大ヒットでした。トゥワンギー・ギターの映画主題歌はこれが初めてで、これを聴いたドン・コスタは早速アル・カイオラのギターでこのサウンドを使いました。

(注)ここでまたまたアル・カイオラが登場。「早速アル・カイオラ」と言うとき、大瀧さんの語気が強くなります。


The Magnificent Seven / AL CAIOLA


「荒野の七人」、作曲はエルマー・バーンスタインですが、アレンジとプロデュースがドン・コスタです。このあとアル・カイオラ楽団は「ボナンザ(Bonanza)」、「ガン・スモーク(Gunsmoke)」などトゥワンギー・ギター・サウンドの主題歌を連発します。

ドン・コスタ プロデューサー、さすがに機を見るに敏、プロデューサーはこうでなくてはなりません。


さて『ギジェット』のサンドラ・ディー、『ギジェット』公開から約半年後に公開されたこの映画に出演します。


The Theme from "A Summer Place" / PERCY FAITH


『サマー・プレイス(避暑地の出来事)』、映画も大ヒット、主題歌のパーシー・フェイスもナンバーワンを獲得しました。ここでサンドラ・ディーの人気は確定的なものになったんですね。

そしてボビー・ダーリンが黙っていられなくなって熱烈なる求婚をしてめでたく結婚となりました。

かわいそうなのはコニー・フランシス。

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ボビー・ダーリンとサンドラ・ディー


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by hinaseno | 2016-12-01 13:05 | ナイアガラ | Comments(0)