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カテゴリ:ナイアガラ( 287 )



今日は久しぶりの雨。雨の水曜日、雨のウェンズデイですね。

こんな日はコーヒーがひときわ美味しく感じられて、さあコーヒーをめぐる話を、と思いましたが、それはもう少し後にして、書きかけのままになっているこちらの話を。


ロイ・オービソンの「Only The Lonely」タイプの曲を下敷きにしたJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」みたいな作品を作りたいと考えて始まった『ロング・バケイション』プロジェクトで、いちばんのポイントになるのは他人に提供してボツになった曲ではない2つの曲「カナリア諸島にて」と「雨のウェンズデイ」であることは前に指摘しました。

この2つの曲に共通する特徴はなんといってもピアノ。いずれの曲にもピアノのソロの印象的なフレーズが出てきます。エンディングもピアノのやや長めのソロ。演奏しているのは松任谷正隆さん。ユーミンの旦那さんですね。

とりわけ「雨のウェンズデイ」のピアノの使われ方はJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」とかなり似ています。基本的には松任谷正隆さんのアドリブによる演奏が多そうな気がしますが、「ユー・アー・オンリー・ロンリー」を意識していることは明らか。

でも、もちろん大瀧さんなりの遊びが入っていて、♫Wow Wow Wednesday♫の後に出てくるピアノのフレーズはバート・バカラックの「Walk On By」。これの0:34あたりに出てくるフレーズですね。これは大瀧さんの指示。




ピアノのソロといえば最も気になるのは「カナリア諸島にて」のエンディングですね。大瀧さんの曲はほとんどが一発録りなんですが、このエンディングのピアノはあとでダビングで追加されたそうです。

その部分のメロディについてはこれまで長い間考えていて、やはり松任谷さんのアドリブなんだろうと思いつつも、大瀧さんの何らかの”指示(「こんな感じでやって」、という程度の)”があったはずだと思っているのですが、明確にこれだっというものは見つかっていませんでした。


でも、もしかしたら、ってことで、かなりこじつけ気味で考えたのは、ロイ・オービソンのこの「Come Back To Me (My Love)」のエンディングを参考にしたのではないかと。




「Come Back To Me (My Love)」は日本で全く評価されていなかったロイ・オービソンを何とか日本の人に広めようとして、日本独自にシングルが発売されてヒットした曲。大瀧さんもこの曲をとても愛していたんですね。その証拠に大瀧さんが亡くなった時に残されていたジュークボックスにロイ・オービソンの曲で唯一この曲が入っていました。

で、この曲の日本でのヒットに尽力した人の中心にいたのが朝妻一郎さんでした。大瀧さんがJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」みたいな作品を作ろうと考えたときに、その下敷きになったロイ・オービソンの「Only The Lonely」タイプの曲のひとつである「Come Back To Me (My Love)」を、朝妻さんへの贈り物として、そっと、わかる人にはわかるという形で入れたのではないかと。


こじつけと言われればそれまでですが。


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by hinaseno | 2017-11-08 16:00 | ナイアガラ | Comments(0)

『ロング・バケイション』プロジェクトを開始して、まず決めたのが作詞家をはっぴいえんど時代の盟友である松本隆さんにしたこと。以前紹介した朝妻一郎さんの話によれば朝妻さんの提案で決まったような感じになっていましたが、もちろん大瀧さんの意向があったことはいうまでもありません。

作詞家が松本さんに決まったことで、大瀧さんは松本さんにいくつかの曲のデモを送ります。ほとんどは他人へ提供したけどボツになった曲だったはず。

その中で松本さんが最初に詞を書いたのが「カナリア諸島にて」。大瀧さんとしては今回のプロジェクトのきっかけとなった一番重要な曲だったので、その曲に松本さんが反応して一番最初に詞をつけてくれたことにことのほか感動したようです。もちろん詞も素晴らしいものでした(ただし、最終的にレコーディングした形の詞になるまではかなり時間がかかったようですが)。

松本さんから送られてきた曲のタイトルは「カナリア諸島にて」。そのタイトルを頭の中で何度も反芻してあることを思いつきます。

「カナリア」「カナリア」「…リア」…、そういえばロイ・オービソンに「リア」という曲があったな、と。

ロイ・オービソンの「Only The Lonely」タイプの曲を下敷きにして作ったJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」みたいな作品を作りたいと思ってプロジェクトを始めた大瀧さんにとって、ロイ・オービソン的なものをどのように取り入れるかを考えていたときに「カナリア」つながりで「リア」という曲に興味を持ちます。これを何らかの形で「カナリア諸島にて」に取り入れることはできないかと…。


というのはもちろんこじつけの話。当たっていたらおもしろいけど。


前にも言いましたが、ロイ・オービソンの「リア(Leah)」という曲はこれまであまり心に留めることなくスルーしてきた曲でした。いや、スルーというよりも遠ざけていたといってもいいのかもしれません。あの、いきなりの裏声で始まるサビになんともいえない違和感を覚えていたので。

でも、『ブラック&ホワイト・ナイト 30周年記念盤』で1曲目の「Only The Lonely」に続いて歌われたこの映像を見て、おっと思ったんですね。




おっと思ったのは、これまでずっと違和感を覚えていた、まさにその冒頭のサビ。

♪リ~(リ)ア、リア~♪のフレーズが2度繰り返されますが、その「リア~」の部分。「リ」が地声で「ア」が裏声になっています。その地声から裏声にひっくり返る部分が「カナリア諸島にて」で使われているんですね。

どこかというと1番の「不思議だ」の「ぎ」から「だ」、2番の「失くした」の「し」から「た」、「それだけ」の「だ」から「け」にいく部分。とりわけ1番と2番はいずれも「リア」と同じくイ音からア音になっていて(偶然なのか、大瀧さんの指示があったのか)、そこだけ聞くとそっくり。

ちなみに「カナリア諸島にて」のまだ詞がつく前のデモの段階の音源を聞くと(なんでそんなものが聞けるのかはおいといて)、大瀧さんはその部分を裏声にひっくり返すことなく地声で歌っているんですね。詞がついたあと、地声で歌えるところをあえて裏声にしている。ここは明らかにロイ・オービソンを意識したはず。


こじつけでしょうか?


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by hinaseno | 2017-10-21 15:19 | ナイアガラ | Comments(0)

さて、ようやく朝妻一郎さんが語られたこの話に戻ることになります。


80年代に入ってからかな、当時、六本木にあったうちの会社に大滝君が現れて、「ちょっとまたアルバムを作りたいんだけど」と切り出した。そのときにJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」をかけて、「こういうのがやりたいんだ」って彼は言った。僕は「最高。これいいよ!」って答えて、そこから『ロンバケ』の制作が始まっていく。

大瀧さんがここで「こういうのがやりたいんだ」と言ったのは、ただ単にJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」のような曲を作るというのではなくて、J.D.サウザーが「ユー・アー・オンリー・ロンリー」でやった過去の名曲を取り上げ方と同じようなことを自分もやろうということだったんですね。

というわけで大瀧さんは『ロンバケ』でフィル・スペクターをはじめとして、キャロル・キング、バリー・マン、エリー・グリニッチらの名曲を下敷きにして、下敷きにした以上の名曲を作り出します。それは見事という他ないわけですが、アルバムが発売されてまもなく40年が経つというのに、全国に数多くいるナイアガラーをしても気がつかないままでいることがまだまだちりばめられているはず。


ではまさにJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」が下敷きにしたロイ・オービソンの要素について考えてみると、曲作りとか歌い方に関しては無意識のレベルで入り込んでいるような気がしますが、あえて『ロンバケ』の制作を開始して以後に意図的に取り入れたと思われるロイ・オービソン的な要素を考えてみます。

それがはっきりとみられるのはやはり「カナリア諸島にて」と、他人に提供したボツ曲ではなく、『ロンバケ』の制作を開始した以後に作ったはずの「雨のウェンズデイ」の2曲。


まずは「カナリア諸島にて」。

以前から書いてきたようにこの曲(のメロディ)は『ロンバケ』の制作を開始する前に作られています。というかこの曲がきっかけとなって『ロンバケ』の制作が事実上始まるんですね。

この一連の話を書き始めて「カナリア諸島にて」を何度も何度も聞いているんですが、この「カナリア諸島にて」はやはり永遠の1曲とよぶべきものがなと再認識しました。この曲がなければ「風立ちぬ」も「ペパーミント・ブルー」も生まれなかったことは間違いありません。

とにかくこの曲の中には大瀧さんのいくつもの大好きな曲が自然な形で入り込んでいるんですね。肌触りとして一番近いのは、やはり「ゴー・アウィ・リトル・ガール」のような気がしますが、もちろんロイ・オービソンも入り込んでいます。だからこそ大瀧さんはJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」に激しく反応したんですね。


さて、レコーディングを始めて、すでにメロディの出来上がっていた「カナリア諸島にて」に、改めてちょっと意識的にロイ・オービソン的なものを取り入れていきます。それについて考えていたときにはっと思ったのがこの「Leah」だったんですね。何か気づけます?




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by hinaseno | 2017-10-19 13:07 | ナイアガラ | Comments(0)

ロイ・オービソンに関して大瀧さんがちょっと興味深い発言をしているのに気がついたので、その話から。

大瀧さんは「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の第18回目の放送でロイ・オービソンを特集しています。放送されたのは1975年10月14日。

18回目とはいっても単独のアーティストの特集としては大瀧さんの最大のアイドルであるエルヴィスの次に取り上げたのがロイ・オービソン。大瀧さんにとっていかにロイ・オービソンというアーティストが重要な存在かがわかります。ただ、この日ロイ・オービソンを特集した理由は、この放送のちょっと前にロイ・オービソンを聞いて「どうしても今、ロイ・オービソンを聞きたいなと思った」からとのこと。

この日の放送の最後にこんなことを言っています。


今週の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」、特集はロイ・オービソンでした。いかがでしたでしょうか。このへんで彼も再認識されるといいのですが。

ちなみに日本でロイ・オービソンが初めて認識されるきっかけを作ったのはだれあろう朝妻一郎さんだったのですが、この放送がされたときは日本はいうまでもなく海外でもロイ・オービソンは忘れられた存在になっていました

でも、その6年後、『ロング・バケイション』を発売して間もない時期に発売された『サウンド・レコパル』という雑誌の1981年6月号に掲載された「大滝詠一 私の100枚」にはちょっと面白いコメントが載っています。

「大滝詠一 私の100枚」についてはこの日のブログでも紹介していますが、大瀧さんは「私の100枚」の37枚目にロイ・オービソンの『LONELY AND BLUE』というアルバムを挙げて、こんなコメントをしていました。


いつになっても再評価される人。

そう、この6年ほどの間にロイ・オービソンは何度か再評価されることになったんですね。

まずは1977年にリンダ・ロンシュタットがロイ・オービソンの「Blue Bayou」をカバーして大ヒット(全米3位)させています。そしてその2年後の1979年にJ.D. サウザーの「You're Only Lonely」がポップチャートの第7位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで第1位を記録する大ヒット。下敷きにしたのはロイ・オービソンの「Only The Lonely」。


ということなので大瀧さんがJ.D. サウザーの「You're Only Lonely」に激しく反応したのは、それが大ヒットしていたからということではなく、そこに至る長い前史があったんですね。

前史といえば、大瀧さんがはっぴいえんどというグループをやっていたときに、そのお手本としていたグループがバッファロー・スプリングフィールドでしたが、そのグループのメンバーの中で大瀧さんが最も好きだったのがリッチー・フューレイという人でした。そのリッチー・フューレイがバッファローを解散した後に作ったグループがポコ。さらにそのグループを脱退して作ったのがサウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドでした。このバンド名のサウザーこそがJ.D. サウザー。大瀧さんとしてはおそらくリッチー・フューレイの流れでJ.D. サウザーの名前は知っていたはず。


さて、『音楽専科』1980年3月号では長い前書きのあとにいよいよJ.D. サウザー、そしてロイ・オービソンの話が出てきます。


 この2月来日するJ.D. サウザー。アメリカのみならず日本でも大ヒットしましたね「ユー・アー・オンリー・ロンリー(You're Only Lonely)」。この曲が好きな人にはゼヒゼヒ聞いてもらいたい人がいるのジャ。その人の名はロイ・オービソン(数寄屋橋でも売っている)。彼の「オンリー・ザ・ロンリー(Only The Lonely)」「アイム・ハーティン(I'm Hurting)」「ブルー・エンジェル(Blue Angel)」「夢の中で(In Dreams)」「カム・バック・トゥ・ミー(Come Back To Me)」で聞かれるサウンドを始めて聞く人はタメゴローに違いナイ! 曲調がソックリ・ソノラマなのだ。
 ここで注意しておきたいのは〈盗作ウンヌン〉という下世話でアリキタリで知識の乏しい人がよくいうそれではないということです。つまり、タイムマシン的聞き方の最大特徴は、何をどう取り上げたかではなく、うまく取り上げてイルカ、に注目することなんです。過去の名曲を、あるいはオリジナルを、一番新しいアレンジがなされていても、うまく表現されていなければ ペケデアルということです。
 J.Dはオービソン・スタイルを、かなり聞き込んだのか(少年時代のアイドルだったのでしょう)、血肉化しています。後半ファルセットで歌い上げるところなど、オービソンの特徴を余すことろなく取り入れているんデスナ、コレガ。

「数寄屋橋でも売っている」と書いていますが、これはBREEZEの磯貝さんもよく行っていると言っていた中古レコード店ハンターのことでしょうか。

それはさておき、J.D. サウザーの「You're Only Lonely」のポイントは大瀧さんが最も好きな曲調を使っていたということ。この日のブログで紹介した例の”チンチキランカンチンキンチャンチャン”ですね。


ちなみにロイ・オービソンは80年代以降も、いろんな形で何度も何度も再評価され続けています。


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by hinaseno | 2017-10-10 12:25 | ナイアガラ | Comments(0)

『音楽専科』という雑誌の1980年2月号から連載を始めた大瀧さんが翌月の3月号に寄稿したのが、このJ.D.サウザーを取り上げた文章でした。

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この号から大瀧さんのエッセイは「大滝詠一の”ナイアガラ・タイムマシーン・ミュージック”」というタイトルがつけられて、5回続くことになります。取り上げたアーティストは順にJ.D.サウザー、フィル・スペクター、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、そしてキャロル・キング。ローリング・ストーンズ以外は『ロング・バケイション』というアルバムの重要な鍵になっているアーティストばかり。

さて、その第1回目。J.D.サウザーの話に入る前に、ちょっと長い前書き。こんな言葉から始まります。


25年前の歌が過去のものであるのと同じように、今年の1月に出た歌もまた〈過去〉に属しています。昔の歌をただ古いからという理由だけで、興味の対象にしないという時代はもう終りました。と同時に、ナツメロ、オールディーズというレッテルを貼ってただ懐しの涙を流す、という時代も終り、80年代は時間軸を自由に操作した《タイムマシン・ミュージック》の時代なのだよ。

で、このあと「ちょうど25年前にロックン・ロールが生まれました」との言葉。1980年の25年前といえば1955年のこと。

ちなみにタイム・マシンに乗ってまさにロックン・ロールが生まれた1955年に行く映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開されるのはこの5年後の1985年のこと。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』といえば『キネマ旬報』1985年12月上旬号に掲載された小林信彦さんとの対談はまさにその『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に関する話(『映画につれてって 小林信彦対談集』1987年に収録)でしたね。こんな会話が出てきます。


小林:『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にしても、1955年に戻ると言う時代設定が、とにかく素晴らしい。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の年だと、その時代に生きていた人は、すぐに思いますからね。
大瀧:そうですね。だから、ひょっとすると、キリがいいところで、85年になるまで製作を待っていたんじゃないですか、30年前に戻るために。
小林:スクリプトを書き下ろしたのが80年ですから、5年前ですね。その時は、25年前に戻るという話だったのかもしれない(笑)。

というわけで、タイムマシンを使ってロックンロールが生まれた1955年という年に戻る『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の脚本が書かれた年に、大瀧さんが『音楽専科』という雑誌に「ナイアガラ・タイムマシーン・ミュージック」という連載を始めているのは偶然というにはできすぎていますね。


さて、その「ナイアガラ・タイムマシーン・ミュージック」で最初に取り上げたのが、その前年に「ユア・オンリー・ロンリー」という曲を大ヒットさせたJ.D.サウザー。そしてタイムマシンでさかのぼるのは1960年。登場するのはロイ・オービソン。


ところで、8月に放送された朝妻一郎さんの『ポピュラーミュージックヒストリー~発展の歴史と舞台』の第1回目の3曲目にかかったのはスティーブン・フォスターの名曲「Beautiful Dreamer(夢見る人)」。1862年に生まれたこの曲は数多くのアーティストによって演奏されて、歌われてきましたが、その数ある演奏の中から朝妻さんが番組でかけたのは、まさにそのロイ・オービソンが歌ったこのバージョンでした。ロイ・オービソンが「Beautiful Dreamer」を録音したのは曲が生まれてほぼ100年後のこと。




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by hinaseno | 2017-10-07 12:57 | ナイアガラ | Comments(0)

「恋はメリンゲ」


数日前に突然Youtubeにアップされたこの映像の話を。大瀧さんが「恋はメレンゲ」を歌っているライブ映像。もうびっくり仰天。




アップされたのは先月26日(僕が気づいたのは昨日)。10月10日までの限定公開とのこと。

一体これはなんだろうってことで、調べたらすぐにわかりました。


『ナイアガラ・トライアングル VOL.1』を制作中に、それのプロモーション・フィルムを作ろうということになって録音したそうです。録音は1976年2月20日。場所は福生スタジオ。

撮影のため大瀧さんはこのとき真っ赤な服を着て登場したそうですが、白黒ではわかんないですね。

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ミュージシャンはドラムが上原裕、ベースが寺尾次郎、ギターが伊藤銀次と村松邦男、ペダル・スティールが駒沢裕城、そしてピアノが坂本龍一。それぞれ、このブログで何度も登場している人たちです。

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このシーンでは真ん中で歌っている大瀧さんを囲んで右から寺尾次郎、駒沢裕城、上原裕、村松邦男、坂本龍一、伊藤銀次です。坂本さんの場所は暗くって顔の判別ができませんね。

一番おっと思ったのは、駒沢裕城さんがペダル・スティールを演奏している場面が大きく映ったところ。

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かなりの早弾きです。つい先日、石川さんと電話でペダル・スティールの話をして、ペダル・スティールを演奏しているのを生で見てみたいと言ったところでした(アゲインでは駒沢さんも含めてペダル・スティールを演奏する人が来るんですね)。ペダル・スティールの音色って、好きな人は本当に好きなんです。


この日録音された曲は「福生ストラット(PARTⅡ)」「あの娘に御用心」「楽しい夜更し」「ハンド・クラッピング・ルンバ」「恋はメレンゲ」の5曲。「恋はメレンゲ」は最後に演奏されたようです。ちなみに、これらの5曲はすべて1995年に出た『NIAGARA MOON』のボーナストラックに収録されています。

さて、映像をアップした方がどういう人なのかわかりませんが、今後、他の曲の映像もアップしてくれるんでしょうか。あるいは10月10日までこの映像が残ることができるんでしょうか。


ところでビデオでひとつ気になったのは大瀧さん、かなり意図的に「メレンゲ」を「メリンゲ」と発音して歌っていますね。メレンゲの語源はフランスのデザートのメレンゲから来ているという説があって、その綴りは「meringue」。これを意識したんでしょうか。発音を考えると「綴り不思議」です。


最後に、「恋はメレンゲ」といえば、シリア・ポールさんが歌った「恋はメレンゲ」の話をした時に紹介したナンシー・シナトラの「フルーツ・カラーのお月さま」のレコード、手に入りました。ほしかったんだ、これ。B面も最高だし。

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かなり長い間いくつかのネット・オークション・サイトを見張っていて、何度か出品されても僕の考えている上限を超えてしまっていて諦めていたんですが、待てば海路の日和ありです。先日、こちらもほしかった「リンゴのためいき」とともにひっそりと出品した方がいて、いずれも競合もなく、びっくりするような安価で落札できちゃいました。レコード、ジャケットともコンディションは最高です。


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by hinaseno | 2017-10-02 13:14 | ナイアガラ | Comments(0)

1979年の夏頃から1980年の春ぐらいまでに大瀧さんが書いた原稿の中で一番興味深いのは『音楽専科』という雑誌に1980年2月号から10月号にかけて連載されたものでした。これは『大滝詠一 Writing & Talking』には「ナイアガラ・タイム・マシーン・ミュージック」と題されて掲載されています。

その最初、1980年2月号に掲載された原稿のタイトルは「ナイアガラは何度でも死にます〈ナイアガラ・レーベル始末記〉」。ちなみにこれは雑誌に掲載されたもの。

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手書きのタイトルは「ナイアガラ」ではなく「ナイヤガラ」になってますね。おいおい! タイトルのそばには「詠ちゃん、言ってやって言ってやって‼︎」。詠ちゃんって、矢沢さんじゃないんだから。

されはさておき内容は大瀧さんの現状報告。イラストにも書かれているけれど「復活」の話ですね。雑誌の発行日は1980年2月1日。とすると大瀧さんが原稿を書いたのはぎりぎり1980年1月の初めでしょうか。

以前紹介した朝妻さんの話では『ロンバケ』の制作がスタートしたのは80年代に入って大瀧さんが朝妻さんの会社にやってきて「ちょっとまたアルバムを作りたいんだけど」と切り出し、J.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」をかけて「こういうのがやりたいんだ」と言ったときからスタートしたようになっていましたが、この「ナイアガラは何度でも死にます〈ナイアガラ・レーベル始末記〉」を読むと、すでにこれを書いたときには『ロング・バケイション』の制作に向けてかなり具体的にものごとが進んでいる段階(たとえば作詞家を松本隆さんにすることなど)であることがわかります。

一気にものごとが進んでいったのかもしれないけど、大瀧さんが朝妻さんの会社に行ってJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」をかけたのはもう少し前のことだったのかもしれません。


ところでこのエッセイで興味深いのはこの辺りに書かれていることでしょうか。


 休止の理由は? 第一に契約切れになったこともありましたが、4年間やってみての反省点をじっくり検討してみよう、というのが主な動機です。一番大きかった問題点はプロデューサーとアーティストとの両立のさせ方でした。この2つの職種には相矛盾する事柄がとても多く、同時期に1人の人間が両方こなすのは至難の技だとぼくには思えます。もちろん出来る人はいると思いますが、ぼくは自家中毒をおこしてしまった感じです。それからビジネスとサウンドのプロデューサー、そしてアーティストの3者がうまくかみ合うといい仕事ができるのですが、スーパーマンになる道は険しかった、というところでしょうか。負け惜しみですが、これは昨今流行の敗北宣言ではありません。自分の目的は数役を兼ねることではなく、いい仕事をしたい、の方であることを再確認した、といわせて下さい。
 という訳で原点であるアーティストに立ち帰る、これが休養の理由の一つでもあります。作詞家であり友人の松本隆はこういいます。「走りながら給油する」と。しかしこれも人それぞれタイプがあるのではないでしょうか。ある期間休んだ方がいいのが出来るぞ、という暗示にかかりやすいタイプもあります。または沢山作った方がその中で特によいものが出来るもあるようです。筒美京平さんなどはそういうタイプなのではないでしょうか? ぼくは前者のタイプで、ひたすら自己暗示にせいをだしている今日この頃ではあります。

ポイントはプロデューサーをビジネス・プロデューサーのサウンド・プロデューサーに分けていること。プロデューサーとアーティストの両立をやめてアーティストに立ち帰ると言っていますが、サウンド面のプロデューサーは続けてビジネス・プロデューサーを人に任せるということですね。で、そのビジネス・プロデューサーを任せたのが朝妻一郎さんでした。


何度も書いていますが、その朝妻さんのところに「ちょっとまたアルバムを作りたい」と言いに行った時に持っていったのがJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」。「こういうのがやりたいんだ」と大瀧さんが言ったら朝妻さんは「最高。これいいよ!」と答えたんですね。

それは1979年の暮れか1980年の初頭のこと。いずれにしても「カナリア諸島にて」が生まれて半年近く経っていました。


さて、『音楽専科』という雑誌に連載を始めた次の号(1980年3月号)に大瀧さんが寄稿したのはまさにそのJ.D.サウザーを取り上げた文章でした。


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by hinaseno | 2017-09-26 14:47 | ナイアガラ | Comments(0)

「カナリア諸島にて」が生まれた1979年の夏の話は前回で終わりにしようと思っていたけどもう少し。

1979年という年(正確にいえば『ロング・バケーション』のレコーディングに入る1980年の4月くらいまで)、大瀧さんはご本人の表現を借りれば「世を忍ぶ仮の姿で、原稿を書きまくって」いました。『All About Niagara』の「執筆原稿リスト」をリストを見ると、この時期に書いた原稿は全体のほぼ半数を占めています。しかもどれも長いものばかり。原稿用紙の枚数でいえば相当なものになるはず。


この時期に書いた原稿は『All About Niagara』、『大滝詠一 Talks About Niagara』『大滝詠一 Writing & Talking』でほぼ全て読むことができますが、書かれた時期を意識して読むと、以前本を一気に読んだときとは違っていろんな発見があります。とりわけ1979年の夏に書かれた(はずの)この3つの原稿はとても興味深いものがあります。


・「ビーチ・ボーイズの初期サウンド①」(『ミュームージック・マガジン』8月号→『大滝詠一 Talks About Niagara』)

・「ビーチ・ボーイズの初期サウンド②」(『ミュームージック・マガジン』9月号→『大滝詠一 Talks About Niagara』)

・「ナイアガラ・サマー」(『LA VIE』 9月号→『大滝詠一 Writing & Talking』)


ところで「カナリア諸島にて」といえばビーチ・ボーイズの「Please Let Me Wonder」。♪Please let me wonder, please let me wonder, please let me wonder, love♪と歌われるところは「カナリア諸島にて」の♪カナリア(ン)・アイランド、カナリア(ン)・アイランド、風も動かない♪のフレーズとそっくりなんですね。




「カナリア諸島にて」の元ネタが「Please Let Me Wonder」であることは大瀧さん自身が証言されたのだから間違いはないのですが、あくまで「20分の1」ですね。その「Please Let Me Wonder」についてこんな話が出てきます。


次に「Please Let Me Wonder」(65年、52位)と続くが、このミディアム・テンポのバラードが一番ビーチ・ボーイズらしいと私は思う。なお、この曲調は、特にロニーとデイトナスに影響を与え、65年の「サンディ」や同タイトルのLP(夏の必需品)はすべてこの曲調で埋められている。 (「ビーチ・ボーイズの初期サウンド①」)

ロニーとデイトナスの『サンディ』というアルバムについてはずっと以前にブログで書いたような気がしますが、「カナリア諸島にて」はビーチ・ボーイズの「Please Let Me Wonder」からロニーとデイトナスの『サンディ』につながる”あの雰囲気”を意識して作ったことは間違いないはず。悪いはずがありません。


ところで「カナリア諸島にて」で♪カナリア(ン)・アイランド、カナリア(ン)・アイランド、風も動かない♪の部分でビーチ・ボーイズ風の素晴らしいコーラス(もちろん大瀧さんの一人多重コーラス)を聴くことができます。1979年の夏に「カナリア諸島にて」のメロディを完成させたとき、おそらく大瀧さんの頭の中にはサウンドとコーラスが浮かんでいたはず。

そのコーラスについてもちょっと興味深いことを書いています。

話は1979年7月に発表された(まさに大瀧さんが「カナリア諸島にて」をつくった頃)ピンク・レディのこの「波乗りパイレーツ」に触れる形で、「風」の話へとつながります。




ちなみにこの「波乗りパイレーツ」はB面。このB面はアメリカで録音されて、なんとバックコーラスはビーチ・ボーイズ。リハビリ中のブライアン・ウィルソンも参加しているんですね。A面の日本吹込盤はどんなのか知らなかったのでiTunesでダウンロードしました。

さて、大瀧さんの話。


 ピンク・レディの「波乗りパイレーツ」でのビーチ・ボーイズのコーラスを聞きながら、A面の都倉俊一氏との差(優劣という意味合いからでなく、只単に違いのこと)を感じ、こういうコーラスは日本人には無理だナァー、とつくづく感じた。編曲を同じにして、声色を似せたところで、カリフォルニアの爽やかな風が吹くだろうか。その風が吹かないなら、こんなコーラス、何程のことがあろう。
 サーフィン・ミュージックを意識して作曲したと思われる都倉氏のメロディー・ラインに「カモメの水兵さん」を感じるし、ビーチ・ボーイズを意識したと思しきコーラスに伝統的な大和コーラスーーお囃子を感じる。こういう無意識(多分!)のうちに選択している我々の伝統的なものを、ビーチ・ボーイズが感じさせている、といってしまってはカッコ良すぎたみたいネ。 (「ビーチ・ボーイズの初期サウンド②」)

これからビーチ・ボーイズのような曲をレコーディングすることを考えていたはずの大瀧さんにとって、こういう発言は結構ハードルを高くするように思えますが、でも、自分がやればこんな風にはならないという確信がこのときすでにあったんでしょうね。そして実際、大瀧さんは見事なくらいに「爽やかな風」を吹かせてくれました。


さて最後に、『LA VIE』という雑誌に掲載された「ナイアガラ・サマー」の最後の部分を。これを書いたときにはおそらく「カナリア諸島にて」はできていたはず。なぜか、わが「桃太郎」が登場します。


 日本人全体としてレジャーを中心とした〈夏〉を楽しめるようになったのは、「想い出の渚」が出てきた頃だったのではなかったか、そしてそれを凌ぐ曲が出るか出ないか? 又果たして〈桃太郎〉は出現するか? するとしたらそれは何時か?
 波の音でも聞きながら、吉備団子の夢でも見ることにしよう……。


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by hinaseno | 2017-09-20 15:23 | ナイアガラ | Comments(0)

1979年夏の、「カナリア諸島にて」が生まれたときの大瀧さんの心の状態を一言で表すならば「憑き物が落ちた」ということになるんでしょうね。

ここで改めて先日紹介した北中正和さんによるインタビュー記事を。


北中:活動再開のきっかけになったのは、何だったのですか。
大瀧:79年の夏に、本を読んでたら、自然に1曲できた(「カナリア諸島にて」)のね。そういうことって、ほんとうに何年振りかのことでね。『ナイアガラ・ムーン』以降、タイトルを作ってから、曲を作るやり方が続いていたのね。ずーっと。
北中:新しいアルバムは、親しみやすい曲が多いですね。
大瀧:ぼくにとって第1期ナイアガラは、メロディ拒否の時期だったのね、意固地に。その前にソロ・アルバムや、はっぴいえんどの時期があった。それに対して濡れたところを拒否しようみたいな気持ちがあって、歌謡曲対アンチ歌謡曲みたいな感じで、いかに乾くか、ということに専念していたんじゃないかな。当時は、みんな乾燥剤をどれだけ入れるかの勝負だったでしょう。もう、カラカラにひからびで『レッツ・オンド・アゲン』(78年)まで行ったんだけど、さすがにひからびすぎて、体の方が耐えられなかったのか、ふっと浮かんできたのが「カナリア諸島にて」のメロディだった。それがすごいうれしくて、みんなに言って歩いたのね。やれるんじゃないかと。ただし、第1期と同じ轍を踏むことはできない。この3年間アーティストとして、何をしていたかの答えが、今回のLPということなんだと思う。
北中:もう少し説明してくれませんか。
大瀧:ウェットとドライ、対立概念としてとらえていたのをやめて、ひとつのものと見ようとするようになったわけです。

『ロング・バケイション』制作中の、あるいは制作直後のインタビューを読むと、この「ウェットとドライ」についての話が、ときには「涙(泣かすこと)と笑い」、あるいは「メロディとコミカル」と表現を変えながら何度も語られています。例えば何度も紹介している木崎義二さんのインタビューでもこんなやり取りが。


木崎:ここ数年、大瀧さんといえば、コミカルな曲が目立っていたと思うんですが、このアルバムでは再びバラードに力を入れていますね。心境の変化でも?
大瀧:以前はメロディアスな曲とコミカルな曲を対立させて捉えていました。それをやめたってことなんですよ、一言で言ってしまえば。コミカルなアイディアがメロディアスな曲のなかに存在していても、別に代わりはないんです。
木崎:「Velvet Motel」がそれですね。
大瀧:そう。それでね、コミカル・ソングをずうっとやってきたんだけど、ある種、質的な面で壁に突きあたったということもあるんです。ぼくとしてはコミカル・ソングでマッドネスまでどうしても行きたかった。けれども、いくらやってもクレージネスで止まっていてマッドネスまで行けないんです。
木崎:それで反対の曲にあるメロディアスな曲に戻ったというわけですか?
大瀧:最初は反対の曲に戻ったつもりだったの。ところが戻りきれなかったのか混沌とした世界になってしまったんだよ。そこでよく考えてみたところ、さっき言ったような結論に達したというわけ。
木崎:メロディアスVSコミカルの対立概念が消えてしまったわけですね。
大瀧:うん。その対立概念から離れてみたら、進歩とか変革といったものについての概念も消えちゃったんです。なんていうか、歴史的な進歩概念が消えたんですよ。そのときに自分にとって何がやりたいか、これが結果として歴史をつくるんだ、ということに気がつきました。
木崎:その考え方で今回のアルバムはつくられていると……。
大瀧:「今、これがいちばんやりたい」という観点から作ってあります。今いちばんやりたいことなら音楽でなくてもいいわけで……、ただ、大瀧個人としては音楽が最もやりやすいというわけでね。

大瀧さんが一時期、表現者として二つの概念の対立に悩まされ続けていたかがわかります。で、それから解放されて生まれたのが「カナリア諸島にて」で、それが『ロング・バケイション』につながっていったと。


さて、最後に、改めて「カナリア諸島にて」が生まれたときに読んでいた本のこと。それはきっとこれだろうなと。

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中村光夫著『日本の近代』(1968年)。

この本についてはこの日のブログで紹介した「本との出会い」と題された大瀧さんのエッセイに出てきます。

大瀧さんは『CanCam』という女性雑誌に1982年(『ロング・バケイション』の発売翌年)の1年間、「デジタルトーク」と題したエッセイを連載していました。この「本との出会い」というエッセイはおそらく10月号に掲載されたもの。

ここで大瀧さんが出会いとして紹介しているのは『日本の近代』に収録された「笑いの喪失」というエッセイ。内容は悲劇と言われる文学作品の中にも笑いがいくつも散りばめられているというもの。ただ、日本では文学において(私小説というものが主流になって)だんだんと笑いが失くなってきたと。メロディアスVSコミカルの対立概念が消えたという話に通じる内容ですね。

『CanCam』でのエッセイでは「笑いの喪失」の内容には触れていませんが(このエッセイはおそらく語り下ろしで、雑誌の雰囲気に合うように軽い感じで書かれているので、ちょっとヘヴィな話はカットだったんでしょうね)でも、あえて「本との出会い」というタイトルでこの本を紹介したのは、このエッセイを書く何年間かの中では一番大きな出会いだったからではないでしょうか。

まあ、個人的には村上春樹の『風の歌を聴け』との出会いの方が、話としては面白かったんだけど。


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by hinaseno | 2017-09-18 12:22 | ナイアガラ | Comments(0)

今日の話のキーワードは「風」ということになるでしょうか(数日前に、キーワードは「夢」と言っていたのに、「夢」の話はちっとも出てこない)。


キーワードといえば、先日紹介した木崎義二さんによるインタビューの最後に「今いちばんいいたいこと」として、大瀧さんはこう答えられていました。


ぼくが出したいのは直接的な「音」そのものではなく「雰囲気」なんです。ナイアガラの旧譜に関して一線級のミキサーは「あれが音か?」という。また、一線級のディレクターは「まるで、デモ・テープをレコードにしたみたいだ」と、決して褒めた言い方はしない。確かに「音」は悪い。つくりも粗い。しかし、確実に「雰囲気」は録音されている。こんどのレコードも当然「雰囲気」中心で、また「音」もよく、つくりも丁寧な出来上がりとなっています。


考えてみたら、僕がはじめて「ロング・バケイション」に針を下ろしたときに魅了されたのは、まさにあのジャケットを含めての「雰囲気」でした。


で、その「雰囲気」が最初に大瀧さんの中でできあがったのが1979年の夏だったんですね。

ということで1979年の夏のことをもう少し考えてみたいと思います。実は大瀧さんが本がストーリーを書いた永井博さんのこの絵本が出たのがまさに1979年の夏。

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本のタイトル「A LONG VACATION」を考えたのは大瀧さん。当初僕はこの本を書店で見たときに大瀧さんの『A LONG VACATION』のアルバムが売れたので、それに便乗して、大瀧さんの名前もちゃっかりと載せて出したものとばっかり思っていたんですが(だから何度か手に取ったものの結局買わなかった)、そうじゃないことに気づいたのはずいぶん後のこと。

レコーディングが終わってアルバムのタイトルを決めるときに、この絵本のタイトルが収録された曲のイメージにぴったりということで、表紙に使った絵も含めてそのままアルバムタイトルにしたんですね。

ちなみにこの本の発行日は1979年7月25日。なんと村上春樹の『風の歌を聴け』と全く同じ。

「カナリア諸島にて」が生まれる前に、大瀧さんがこの絵本に添えられた絵を見ながら、どこか遠く離れた南の島で過ごしている物語を考えていたのは間違いありません。


「カナリア諸島にて」が生まれる前の1979年6月、大瀧さんは2曲の重要な曲を作っていました。いずれも他人への提供曲。

1曲目はアン・ルイスのために書いた「サマー・ブリーズ」。結果的にはボツになってしまうのですが、のちに松本隆さんの詞がついて「Velvet Motel」になる曲。「サマー・ブリーズ」を詞を書いたのは大瀧さん。依頼する側の要望もあったかもしれませんが、まさに永井博さんの絵本の絵に描かれた夏の海辺にふいている爽やかな風を曲全体に感じることができます。大瀧さんの中に一つの確かな「雰囲気」がつくられていたことがわかります。

で、「サマー・ブリーズ」の次に作ったのがこれ。




歌っているのはスラップスティックという声優のグループ(大瀧さんはこのグループにいくつもの重要な曲を書いています)。

一聴してわかるようにのちに「恋するカレン」になった曲ですね。これはボツになってはいないので「恋するカレン」が出たときにはこの曲の盗作だとずいぶん言われたそうです。

ちなみにこの曲は大瀧さんが曲先で作ったもので、あとで詞がつけられています。タイトルは「海辺のジュリエット」。舞台はやはり海辺(松本さんはのちにこの曲に「浜辺」という言葉が出てくるものの冬の室内の詞を付けました)。

で、次に生まれたのが「カナリア諸島にて」。一つの流れができていたというか、奇跡的とも言っていいほどの名曲がこの1979年の6~7月に立て続けに生み出されていたわけです。


ところで「カナリア諸島にて」が生まれたときに大瀧さんが村上さんの『風の歌を聴け』を読んでいたというのは、もちろん僕の希望的な要素を大量に含んだ妄想に過ぎないのですが、でもその頃、大瀧さんの体の中に(一時期の相当鬱屈した状態を通り越して)爽やかな風が吹き始めていたことは間違いありません。


「カナリア諸島にて」ができたときにはまだ詞は付いていなかったのですが、松本さんはまさに大瀧さんがイメージしていたのにぴったりの詞をつけてくれるんですね。「松本隆が『カナリア諸島にて』の歌詞を電話で読んでくれたとき、 体が震えた」と大瀧さんはのちに語っていました。

曲で何度も繰り返されるのがこのフレーズ。


カナリア・アイランド
カナリア・アイランド
風も動かない



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by hinaseno | 2017-09-17 15:18 | ナイアガラ | Comments(0)