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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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カテゴリ:雑記( 283 )



池上線の千鳥町駅からちょっとだけ寄り道して歩くこと10数分、ようやく広い道路の向こう側に”元”目蒲線の踏切が見えてくる。道路を渡ったところから始まる商店街の入り口には「発展門」と書かれたアーケイド。

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この立っている場所は武蔵新田のあたりをストリートヴューで何度もヴァーチャルウォークするきっかけとなった『銀座二十四帖』のこのシーンのロケ地。おそらく。

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踏切に近づいて2人を探す。武蔵新田駅には姿が見えないなと思ったら、踏切を渡ったところにあるドラッグストアの前ですっかり打ち解けた感じで話し込んでいる石川さんと高橋さんの姿を発見。武蔵新田の町の風景にもとけ込んでいる。東京の郊外のちょうどいい感じの小さな町。

駅のロッカーに大きな鞄を置いて2人と一緒に町歩きを始める。僕が町を案内する予定になっていたはずだけど、石川さんはどんどんと歩みを進める。前日のライブでの高揚が続いていることは明らか。「ふれ愛」門には通り過ぎてから気づく。

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そしてあっという間に目的の「未来門」に。『銀座二十四帖』のこのシーンの場所ですね。

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写真と見比べながら、ここがまさにその場所であることを確信する。

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今回の東京旅行の話を書き始めて、この「未来門」のことを書く日にはどんな未来が待ち受けているのかと思っていたけど…、内気なジョニーもめちゃくちゃ怒っています。ホント、冗談じゃない。

ところで未来門の手前には石川さんが子供の頃にお姉さんと一緒に何度か来られたという金魚屋が今もそのままありました。ということで、その金魚屋の前で石川さんと高橋さんのツーショット。

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僕と高橋さんは未来門をバックにした場所でツーショット。内気なジョニーなので写真は貼りません。

ここで『銀座二十四帖』のこのシーンのことを思い出したので、高橋さんにあの2階の窓からのぞいてくださいと冗談を言ってみる。

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高橋さんも映画のシーンを知っていたので「やりましょうか」とにっこり。

このあと3人で新田神社に向かったけど、一つ確かめたいものがあったのでその場所を確認する。

それは映画のこのシーンを見ていたときに気がついたこと。

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一瞬、自転車に乗った人のようなものが右から現れて左に消えるんですね。ちょっと拡大。赤丸が自転車に乗った人。

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確認したらそこには確かに道の痕跡がありました。どちらも行き止まりになっていて今では路地の隙間の小さな庭のようにしか見えないけど、間違いなく道だったはず。ブラタモリみたいですね。


このあと、この長い話の最初に書いたように新田神社でスキップの話をして、近くで立ち寄った喫茶店で古関裕而(一瞬だけ原節子)の話なんかをしているうちにあっという間に帰る時間がやってきました。

駅に戻りかけたときに石川さんが「ちょっと立ち寄りたい店があるんだ」と行ったのがこの「ボンビアン(BON BIEN)」というケーキ屋さん。

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ここのシュークリームがとっても美味しいとのことで、僕と高橋さんのお土産としてシュークリームを買ってくれました。これは確かにすごくおいしかった。ちなみに「BON BIEN」というのはちょっと変わったフランス語。英語で言えば「GOOD WELL」。日本語に直したら「おいしい おいしく」ですね。


駅が近づいてきたときに大事なことを思い出しました。危うく忘れそうになっていました。

それはこの日もし晴れたら高橋さんが作ったてるてる坊主をもらいますという約束。高橋さん、忘れずにちゃんと持ってきてくれていました。

で、そのときいっしょにお菓子入りの袋ももらったんですね。その袋には可愛らしい絵。「鈴木信太郎が好きだとブログに書かれていたんで」と。

鈴木信太郎、そう、あの大好きな「東京の空」を描いた人。その絵に描かれた風景を見るためにこの日、泰明小学校に行っていたんですが、高橋さんはそんなことを知るはずもありません。

いろんな「たまたま」のつながりがきっかけとなって今回の東京旅行ということになったんですが、最後の最後に素敵なつながりを用意してくれていました。

ということで、これが高橋さんからいただいたてるてる坊主とお菓子の入った袋。自慢です。

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てるてる坊主には「8」という数字。もちろん5月8日ということですね。鈴木信太郎の袋はマッターホーンというお菓子屋さんのもの。この店に縁のあった鈴木信太郎がこの店の包装紙のためにデザインしたんですね。あとで調べたらこの絵は僕の持っている画集にも載っていないものでした。

ところで高橋さんからもらったこのお菓子を帰りの新幹線で食べていたときに大事なことを思い出しました。なんと高橋さんに渡すために用意していたものを渡しそびれていたんですね。もらうもののことだけ思い出して渡すもののことを忘れるなんて、なんとも情けないというか恥ずかしいというか。


さて、東京での最後の場面の話はすでに書きました。これは武蔵新田駅から石川さんの乗った電車が出たあと、踏切が上がって人々が踏切を渡っているところを反対側のホームから撮ったもの。

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実はこれは東京で撮った中で一番好きな写真。

遠くの方に石川さんが乗っている電車が小さく写っています。武蔵新田の日常の変わらない風景ですね。こんな写真を撮るのがはばかられる時代がやってこようとは。


ということで長く続いた話も今日で終わり。余談のような話はもう少し続きます。


最後に余談ですがこのシリーズの最初のタイトルは「Nitta Strut part Ⅱ」、そして最後のタイトルが「Nitta Strut part Ⅰ」。

これはもちろん大瀧さんの「福生ストラット」という曲にかけています。「福生ストラット」は大瀧さんが1975年に出したアルバム『ナイアガラ・ムーン』に収録されていますが、その正式なタイトルは「福生ストラット (パートII)」。じゃあ、パートⅠというのがそれ以前に作られていたかというとそうではないんですね。あくまで最初に作られたのが「パートII」。

で、予想される通り「パートⅠ」はどこにあるんだとか、ないのなら作れとかといったはがきが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の番組の方に来たようです。で、仕方なく作ったのが「パートⅠ」。『ナイアガラ・ムーン』の翌年に出した『ナイアガラ・トライアングル Vol.1』に収録されています。「パートII」のあとで「パートⅠ」を作ったというのがなんとも笑えます。

そういえば最近、すごく人気のある星野源さんがこの「福生ストラット (パートII)」が好きみたいで(星野さんは大瀧さんの大ファン)、ここで「福生ストラット (パートII)」について語っています。いい話です(曲の部分はカットされてます)。





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by hinaseno | 2017-06-16 13:26 | 雑記 | Comments(0)

(ぼんやりと立てていた)予定では新宿のどこかで簡単に昼食をとってから環状線に乗って目黒に行き、そこから”元”目蒲線に乗って武蔵新田に行こうと考えていました。でも予定を変更して五反田で下りることに。五反田駅から池上線に乗ってみたいと思ったので。

というわけで池上線五反田駅。小津の『早春』の舞台の一つに立っているのはやはりうれしいものです。

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電車に乗って向かったのは荏原中延。平川さんの隣町珈琲にもう一度行ってそこでランチを食べることにしたんですね。ところが…。

月曜日は定休日。なんともはや。

どうしようかと考えて、隣町珈琲からそんなに遠くないところにドイツ料理の店を見つけたのでそこで昼食をとることにしました。料理はとても美味しかったんですが、注文したものが手の込んだものだったので料理が出て来るまでにちょっと時間がかかってしまったのと、シャフの人といろんな話をしているうちに予定時間をオーバー。駆け足で駅に行ったら乗る予定にしていた電車がちょうど発車したところ。

ちなみにシェフとした話。僕が岡山から来たというと、友人がつい2日ほど前に岡山に行ってちょうど昨日お岡山の酒をお土産に持ってきてくれたばかりだったと。へえ~でした。それから昔シェフが若い時に働いていたレストランにたまたま池波正太郎が来て、でもシェフはそれが池波正太郎だとは知らずに対応していて、そのときのちょっとしたやりとりが本に載っているのを後で知ったと。再びへえ~っでした。本のタイトル忘れてしまいました。


前日は大崎広小路駅から荏原中延駅までしか池上線に乗らなかったけど、この日はもっと先まで乗りました。途中、小津の『秋刀魚の味』に出てきた石川台駅のホームを見てちょっと岩下志麻さんの美しい横顔を思い出し、次の雪が谷大塚駅で久世光彦演出の向田邦子の『終わりのない童話』に出ていた赤い帽子をかぶっていた小泉今日子さんのことを思い出す。そして降りたのはここ。

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千鳥町駅。下丸子と武蔵新田と結んだ素敵な三角形トライアングル・ステーションの一つの頂点をつくっている駅。この駅の近くに昔、平川克美さんがお住まいだったんですね。

これが駅を出たところ。

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向こうに商店街が連なっているのが見えます。で、ここからもう一つの頂点、武蔵新田駅まで歩きました。特に何があるってわけではないけれど、新宿を歩くよりははるかに楽しかったです。でも正直、かなり体はクタクタになっていたけど。


そして武蔵新田駅に近づいてきたときに見えてきたこの町並み。

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そう、昔、慶応のグランドがあった場所。石川さんの実家もここにあります。ここをまっすぐに行って左に曲がって少し行ったところに高橋和枝さんの展示会をしていたティールグリーンがあるのですが、この日はティールグリーンも休みなのでそこまでは行きませんでした。でも、このあたりも何度かストリートヴューでヴァーチャルウォークしていたので始めて来た気がしませんでした。


そして、約束の時間から30分ほど遅れてしまったので駅の近くで待たせてしまっているはずの石川さんと高橋さんのもとへ向かいました。


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by hinaseno | 2017-06-15 14:35 | 雑記 | Comments(0)

新宿で開かれていた「東京を写す。東京を彫る。- 昭和の編集者・山高登の世界 -」と題された展示会、僕が行ったのが連休明けの月曜日のちょうどお昼時ということもあって、関係者や見学者の方がだれもいなくてちょっとさびしかったんですが、その分、写真はたくさん撮ってきました。撮影禁止ということもなかったので。

会場に着いて、ずらっと並んだ山高さんの作品を横目に見ながら最初に探したのはこれでした。

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山高登さんの父・山高五郎さんについて書かれた説明書き。

実は前日、関口直人さんにお会いしたとき、関口さんから山高さんのお父さんもすごい人なんですよと言われて、展示場にお父さんについて書いたものがありますから是非読んでみてくださいと伝えられていたので。

山高登さんのお父さんの山高五郎さんは船舶関係の仕事をされる一方で船舶海洋画家としても知られていた方だったんですね。かなり正確な船の絵を描かれていて図入りの本も出されていたようです。

説明書きにも書かれていますが、山高登さんが描いた船の絵をお父さんが見たときのエピソードが笑えます。「作品の芸術的評価よりも船のここがおかしい、これが抜けているなどと船舶の専門家としての目線で指摘され、閉口した」と。

ところでこの説明書きに記されていたことでちょっと気になることがあったので写真を撮って家に戻って調べたらやはり! でした。

それは五郎さんが描かれた船の絵が郵便切手に使われていたということ。写真も載っていたので、もしやと思って昔集めていた切手帳を見たらありました。

集めていたといっても、郵便局に母親の知り合いがいたので記念切手が出るたびに母親がシートを買っていたんですね。で、それをシートごと切手帳にはさんで持っていたんですが、切手を買うこともなくなって、ある時期から少しずつそれを使っていました。でも、一応テーマごとに一枚ずつは残しておこうとこんな風に整理していました。左は蒸気機関車、右は船。

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山高さんのお父さんの描かれた絵もきちんとありました。この4枚ですね。これはうれしかった。

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さて、山高さんの作品。展示されていたのは写真と版画、山高さんが版画を描くきっかけとなった年賀状関係、そして『東京の編集者』にもいくつか作品が収録されていた書票。

写真と版画については、写真とそれを元にして描かれた版画の両方を並べて展示しているものもあれば、写真だけ、あるいは版画だけを展示しているものもありました。版画は全て見たことがあるものでしたが、写真は『東京の編集者』に掲載されていないものがいくつか。どれも芸術作品としても、昭和の東京の風景をとらえた貴重な記録としても超一級品。ぜひ、これらの写真を集めた写真集を出してほしいと思いました。

これは隅田川にかかっていた新大橋の写真と版画。

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写真が撮られたのは1963年(昭和38年)。そして版画が彫られたのは1983年。モノクロで撮影された写真を20年の歳月を隔ててカラーで再現しているわけです。

版画の下には「29/200」との文字が記されています。200枚刷ったうちに29枚目ということなんでしょうね。


これは展示されていた年賀状の一つ。

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編集者の時に趣味で彫っていた年賀状がいろんな人の間で評判をよんでいって版画家としてデビューすることになるんですね。年賀状が大評判になったために山高さんもどんどんとこだわるようになって、そのために完成するのが1月になってしまうこともしばしばだったそうです。


そしてこれは書票の一つ。なんと素敵なんだろう。

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そういえば『東京の編集者』にもカバーを取ったところにこんな書票がありました。山高さん自身の書票ですね。風見鶏好きなのでたまりません。

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さて、展示会を駆け足で見て、さらに駆け足で新宿駅に戻りました。ほんとは新宿の町のどこかで食事をしようかと思ったけど、行ってみて新宿という町は自分には全く合わないと思ったんですね。全然落ち着かない。とても食事なんかとる気がしない。どこかに東京都庁の高いビルがあるはずだけど見る気もしない。今頃きっと、あの素敵な築地市場をどうやって潰す方向に持っていくかをあれこれ画策しているんだろうなと思うとうんざりした気持ちになります。

ちなみに、山高さんの『東京昭和百景』の表紙に描かれているのはその築地市場の裏の風景。山高さんは築地の風景の版画をいくつも彫っているので写真をたくさん撮っているはず。それらを見られる日が近いうちに来ることを信じています。

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by hinaseno | 2017-06-14 13:03 | 雑記 | Comments(0)

改めて僕が新富橋に向かう途中の路地で撮ったこの写真を。

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たまたま目にとめて撮った写真からこんなにうれしくなるような話が次々と出てくるなんて思ってもみませんでした。高橋さんに大感謝です。でも「たまたま」とか「偶然」とかというものは気がつくこと(気づかせてくれること)がなければ永遠に知らないで終わってしまうこともある(というかその方が断然多い)ということも思い知らされました。

ところで僕は、森岡書店の日々と題していろいろと話を書きながら、森岡書店の場所をきちんと確認していなかったのですが、実はまさに左の半円形のレリーフの下にあったんですね。僕は勝手にビルのもう少し左のどこかだと思っていました。高橋さんからのメールを読み返したらきちんとそう書かれていたのに。

これは開店している森岡書店とお隣の岩瀬博美商店の写真。

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それから高橋さんの『月夜とめがね』の原画展をされていたときの写真がどこかにないかと思って探したら見つかりました。

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手前の左側の女性が高橋さんですね。で、奥に店主の森岡督行さんが座られています。すごくいい雰囲気。次に高橋さんがここで展示会をされるときがあればぜひ来てみたいです。

そういえば昨日紹介した戦前のこの絵葉書。

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三吉橋から新富橋の方向を写したものですが、よく考えたら赤の矢印で示したビルは現在森岡書店が入っている鈴木ビルですね。間違いないはず。

それから昨日ネットでこんな写真も発見しました。

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上の絵葉書とほぼ同じ場所(おそらく京橋区役所)から撮っていますね。撮影されたのは上の絵葉書の数年後でしょうか。絵葉書では着色されているためにぼんやりしている部分も多いけど、こちらはくっきり。新富橋もはっきりと見えます。もちろん鈴木ビルも。


ところで、上の絵葉書の三吉橋を左に渡ったところに見える、赤い屋根に「グランド~」と書いている建物のある場所に現在建っているのが音響ハウスですね。大瀧さんは1973年頃からここに来てCMのための曲作りをしていたわけです。大瀧さんにCMソングを作るよう依頼したのはできたばかりのCM制作会社ON・アソシエイツの大森昭男さん(由紀さおりさんと結婚されていた方です)。そして、その会社のアシスタント・ディレクターとして働いていたのが関口直人さん。ということなので関口さんもきっとこの音響ハウスにも何度も来られていたはず。


大瀧さんが『秋立ちぬ』に出会った2007年に音響ハウスでマスタリングしていた『ナイアガラCMスペシャル30周年記念盤』に入れられているオリジナル発売当時の解説のカード(書いたのはもちろん大瀧さん)を見ると、「サイダー ’77」のところには「Bells 関口」との文字。これ絶対に関口直人さんですね。鈴の演奏までやっていたとは

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それから大瀧さんの書かれた解説にも関口さんの名がちらほら(昨日気がきつました)。まずは13曲目に収められた「ジーガム」のところにこんな言葉。


これは《9.21》直後に、ヒット・スタジオを二日間借り切って録音したものです。(担当の関口さんは寝袋で寝ました)

それから67曲目の「サイダー74 ONデモ)」は超貴重な音源なんですが、そこにはこんなことが書かれています。


今回、ON・アソシエイツさんの倉庫から発見されたデモ・テープ。この存在は全く忘れておりました。場所は青山のONの事務所。ピアノは”寝袋・関口さん”、エンディングに牧村憲一さんの声が聞こえます。

「サイダー74」は大瀧さんが作ったCMソングの中でとりわけ好きな曲。そのデモ・テープで関口さんがピアノを弾いていたとは。牧村さんというのは当時ON・アソシエイツにいた人。このデモ、改めて聞くととてもいい雰囲気。大瀧さんはたいていスタジオであれこれと試行錯誤しながら曲作りをしたそうなので、曲の感じがつかめたところでじゃあ一回やってみようかということでまわりにいた人を集めて録音したんでしょうね。


ということで昨日は久しぶりに「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「Niagara CM Special特集」(1977年3月22日放送)を聞いていました。ゲストは大森さんと牧村さんと、歌詞を手がけていた伊藤アキラさん。関口さんの話が出てくるところは何度聞いても面白いです。でもいい話なんで、その部分を。


大森:僕、大瀧さんと一緒に仕事をやらせてもらって、だいたい今までのコマーシャルの音楽の録り方っていうのは2時間なら2時間スタジオで、4時間なら4時間、その中にコンパクト化して収めてしまわなければならないと。まあ今現在でも、それは必要なことなんですけれど、そういうペースのものでやらなければならないこともあるんですけれど、大瀧さんとやった仕事っていうのはね、やっぱりスタジオの中に入って実際に音を出してみて、そこからまた生まれてくるものがあって、こうしたらいいんじゃないかああしたらいいんじゃないかという追求がありますよね、その場での。大瀧さんの場合はライターでもあるし、それから自分でミキサーとか最近では11くらい顔があるようですけれどトータルに全部おやりになるからね、そういうところから生まれてくるものというのはやっぱり大事にしなきゃならないなと思いましたね。
だいたい決められた時間でやってしまうっていうのは、僕らが作ってる立場ではあとで反省することがあるんですよ。あそこはああすればよかった、こうすればよかったなと。大瀧さんでもそれだけやってても、まだああすればよかったなってことはあると思うのね。それをコマーシャルであっても、たとえば大瀧さんの場合はコマーシャルソングなんで委嘱されて作ってはいるんだけれども、やっぱりその中に自分の音楽をやりたいと、そういう私観を持っていたからね、それが独断と偏見でもいいんですよ。
牧村:(はじめに大瀧さんのやっていた具体的なエピソードを紹介して)そういう意味ではね、きっとCM業界の中では今他の人でもそういうことやっている人がいるかもしれないけども、模索して素人が参加してたから逆にわざと労力を使う、無駄をね、無駄だとわかってもあえて通って来た道ってあったような気がするのね。それはあの時期に大瀧選手を取り巻く人間としてでなくちゃできなかったことだと思って僕は懐かしく、しかも面白かったと思いますね。
大瀧:(苦笑しながら)周りの人は大変だったんじゃないかと思うけどね。
大森:大変でしたねえ~。
大瀧:(笑いながら)そうでしたでしょ。
大森:う~ん。やっぱり、あれだもんね。何時間…、のべ何時間かなあ、ぶっ続けで入っていたことがあってね。
牧村:だって大瀧氏がホテル行って5、6時間眠る間もまだ続いていたんでしょう?
大森:だから、僕も会社、ONというのを始めたばかりで、そこにアシスタントディレクターというね、関口という若者が…
全員大爆笑
大森:…若者がいるわけなんだけれども、で、彼、この仕事、入ってもらったはいいけどね、こんなに地獄攻めしてね、逃げ出しはしないかと心配したけれども。しかし頼まれていることで、スポンサーのためにやっているんだけど、そこから生まれてくる空気の中でさ、やっぱり自分自身が楽しかったしね、そういうことあったと思うのね。


ということで最後は関口直人さんの話になりました。次回はその関口さんにお会いした時にもいろいろと話を伺っていた山高登展の話にようやく戻れそうです。

関口さんにサインをいただいた『昔日の客』を装幀されたのも山高登さんです。


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by hinaseno | 2017-06-11 14:39 | 雑記 | Comments(0)

自分がたまたま通った路地の角に大瀧さんが通いつめていた音響ハウスがあったことがわかって、改めてそのあたりのことをいろいろと調べました。

まず確認したのは2007年に大瀧さんが『ナイアガラCMスペシャル30周年記念盤』のマスタリングのために音響ハウスまで通っていた道。どうやら下の地図の水色の矢印だったようです。

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駐車場に車を駐めて、そこから歩いて京橋公園の横を通り、で、右に曲がって音響ハウスに向かいます。もちろん森岡書店のある鈴木ビル(そのときにはまだ森岡書店はないけど)と僕が写真に撮った岩瀬博美商店の前を通って。10年の歳月をはさんで僕はそこで大瀧さんとすれ違っていたんですね。なんだか神様が導いてくれたような気にすらなります。


ところでこのあたりは成瀬巳喜男の『秋立ちぬ』と『銀座化粧』の重要な舞台。それぞれの2人の少年が映画の冒頭で自分の家に向かうんですね。2人とも僕と同じように銀座4丁目からスタートして新富橋を通って。

ただし2人のルートはすこし違います。『秋立ちぬ』の秀男が母親と通ったのは濃いピンクの点線の矢印。途中で京橋公園に入って、その向こうに見える京橋小学校を眺めます。自分が行くことになる学校ですね。これがそのシーン。

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大瀧さんは2007年にたまたま知人に教えてもらった『秋立ちぬ』を見ていたら、映画の冒頭でいきなり自分がつい先日まで音響ハウスに通うためにたままたそばを通っていた公園が映って驚いたんですね。大瀧さんの研究はこのいくつもの「たまたま」から始まりました。

ところでこの京橋公園、僕も帰りには横を通ったんですが、それがまさにあの公園だったとは思わなくて結局写真も撮ることなく横を通り過ぎました。いや、通り過ぎた時にちょっと立ち止まって振り返り、ここの公園はもしかしたらと一瞬考えたんですが。

さて、興味深いのは『銀座化粧』のこのシーン。

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昭和通りを渡った坊やが家に帰る途中で通った路地。坊やが走り抜けたのは上の地図の紺色の点線で示した場所。鈴木ビルや岩瀬博美商店がある路地の一つ西の路地ですね。この路地、僕も入りかけたんですが、両側にマンションのようなビルが立ち並んでいて、しかも道が突き当たりのように見えたので入るのをやめたんですね。ストリートビューで見たらこんな感じ。ちょっと入ろうとは思わないですね。でも、ここがそんな重要な路地だったとは。


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大瀧さんがここを特定したのは上の画像の左端に映っている石組みと黒塀。ここに万安楼という大きな料亭があったことをつきとめたんですね。それが紺色の丸で示した場所。現在は銀座タワーという巨大なマンションが建っています。

ちなみにその万安楼は『秋立ちぬ』にも登場します。秀男が新富橋の上で会って親しくなる順子の父親(複雑な家庭です)がここに泊まるんですね。

これは順子が父親の泊まっている部屋に入っていくときのもの。このあと万安楼の広い庭も映ります。

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ところで東京から戻って思い出したんですが(そういうのがいっぱい)、僕は東京に行ったらスマホに入れている「東京時層地図」のアプリ(大瀧さんが調べていた時にはまだこのアプリはありませんでした)を見て楽しむつもりでいたのに、すっかり忘れていました。自宅で見たらあたりまえだけど圏外になっちゃうんですね。

とりあえず「東京時層地図」の画像を貼っておきます。これが現在の地図。「森岡書店」って大きく表示されるんですね。

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で、これは昭和戦前期(昭和3 - 11年)の地図。

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木挽町一丁目という地名に心がときめきます。

そしてこれは昭和20 -25年の航空写真。

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銀座ビルのところに万安楼の大きな屋敷と広い庭があるのが確認できます。新富橋の下にちゃんと川が流れていますね。

でもすばらしいのは音響ハウスのすぐそばの三吉橋。この辺りのメインの橋はなんといってもこの三吉橋。でも、成瀬は2つの映画のシンボルとなる橋をその三吉橋ではなく新富橋をしたんですね。大瀧さんの研究はその理由の解明にまで及んでいます。そこが単なるロケ地巡りとはちがうところ。

ところでこれはネットで見つけた三吉橋の戦前の絵葉書。三吉橋は名所だったようで、この三又の橋をいろんな方向から撮った絵葉書が何種類もあったんですが、これは新富橋の方向をとらえたもの。なんて素晴らしい風景だったんだろうと思います。

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これはもう少し広い範囲をとらえた航空写真。

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このあたりが水の町であったことがよくわかります。まるで水の上に町が浮かんでいるみたい。まだ川が流れていた時に(川の流れはいったいどうなっていたんでしょうね)昔の人みたいにこの辺りの橋めぐりをしたらどれだけ楽しいだろう。

そういえば「大瀧詠一的2009」で語られていましたが、三島由紀夫にまさにその三吉橋からスタートする橋めぐりの物語である『橋づくし』というのがあるんですね。読んでみようかと思いつつ、三島はなんか抵抗あるんだな。

大瀧さんも独自の橋めぐりのルートを考えていたみたいですが、いったいどんなルートだったんだろう。


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by hinaseno | 2017-06-10 14:21 | 雑記 | Comments(0)

川本三郎さんと大瀧さんの対談がきっかけで日本の古い映画に興味を持つようになり(小津の映画だけはいくつか見ていましたが、当時まだ『早春』は見ていませんでした)、同時に東京の古い町にも惹かれるようになって、『東京人』という雑誌もときどき買うようになりました。どちらかといえば古本の方が多いけど、新しいのもちょっと立ち読みして面白そうな記事があれば買っています。


で、今月号。

いやはやびっくりでした。

今月号の特集は「土木地形散歩」というものだったのでどうかなと思ったけど、表紙に「御茶ノ水」と書かれていたのでおっと思って見たら聖橋周辺の写真とともにいろんな御茶ノ水の記事がいっぱい。さらにこんな古い絵はがき(カラー)が掲載されていました。

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もちろんニコライ堂、そして聖橋が写っています。これで買うことを決めて家に戻ってぱらぱらと他のページをめくっていたら、なんと。

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見覚えのある建設中の東京タワーの写真がド~ンと! で、「編集者そして版画家、山高登が撮った 昭和三十年代の東京。」の見出し。

そしてページをめくると。

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「川本三郎・文」

さらにもう2ページ。

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夏葉社から出た『東京の編集者 山高登さんに話を聞く』と、それには未収録の写真についての記事を川本三郎さんが書かれていたんですね。『東京の編集者』が出たとき、一番最初に思ったのは、これをぜひ川本三郎さんに読んでもらえたらなということ。で、できれば書評のようなものを書いてもらえたらと思っていたのですが、まさか『東京人』で、こんな素晴らしいものが読めるとは思ってもみませんでした。もう涙が出るほどうれしかったです。で、すぐに龍野のYさんに電話。Yさん、すでに知っていました。その日の新聞の広告欄に出ていたとのこと。でも、もちろんすごく喜んでいました。


さらに驚くことが翌日(11日の日曜日)にも。毎日新聞の書評欄の最初のページに。

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『東京人』に掲載された川本さんの記事はおもに山高さんの写真に関する話が中心でしたが、こちらは『東京の編集者』の書評。「小さな宝石のような美しい本」という言葉がたまらないですね。もちろん山高さんが荷風に会われた時のエピソードにも触れられています。感涙。

毎日新聞の書評はネットでも読めるようになってからは新聞は買わなくなりましたが、これはもちろん買いました。川本さんの書評の下に和田誠さんの絵があったりして。新聞ってやっぱりいいですね(全然ダメな新聞もあるけど)。


そういえば東京から戻った後に関口直人さんに教えていただいたのですが、先月『週刊ポスト』にも坪内祐三さんが山高さんの写真のことを紹介されたんですね。この画像、関口さんに送っていただきました。

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この坪内さんの記事で紹介されていたのが新宿で開かれていた山高さんの展示会。ただしそれは先月の21日で終了。

ただ、明後日6月9日から今度は神田の古書会館で山高登・玉手箱 展というのが開かれるんですね。この展示会にはYさんの本も40冊くらい展示されるとのこと。僕が見つけた本もあるかな。

なんだか山高登さんの時代が来ていますね。


ところで今朝、録画していた成瀬巳喜男の『女が階段を上る時』を見ていたらこんなシーンが出てきてびっくり。

すぐに場所がわかりました。佃の渡し。

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山高さんの『東京の編集者』の表紙に使われた写真と全く同じ風景。

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by hinaseno | 2017-06-07 14:39 | 雑記 | Comments(0)

タイトルが「再びニコライ堂」となっていますが、別に銀座からニコライ堂に戻ったわけではありません。前にニコライ堂のことを書いた後で、いくつかニコライ堂に関する興味深いものが見つかって、それについて書きたいと思っていたところに、なんと昨日紹介した「大瀧詠一的2009」で、平川さんがニコライ堂に関するびっくりするような話をされていたんですね。

その話が出たのは、大瀧さんに聞き込み調査のことを聞く直前。その前に石川さんが日本という国は記録などを大事にせず、むしろ民間が持っているものに貴重なものが多く含まれているという話をしたのを受けてのこと。


「民間にすごいのがいるね。あそこのニコライ堂を、最初木組みで建てていってだんだん建ちあがっていくじゃないですか。あれを全部写真に残している人がいて。で、全部骨組みができたときにニコライ堂の上から周囲を全部カメラで撮影したという、それがあるんですよ、今。僕、その本もらったんだけど、神田の…、これは是非見てください、これはね。当時の秋葉原とか全部出てんですよ。要するにあきばっぱら(秋葉ツ原)なんですよ。あのへんがね」


この本、なんだろうかと調べたんですがよくわからない。どうやら市販されているものではなさそう。この本、見てみたいです。どんな風景が映っているんだろう。


さて、今は東京に行った時の写真やそれに関連する写真を整理しながらこれを書いているのですが、先日パソコン内のアルバムで見つけたのがこの写真でした。

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成瀬巳喜男の『稲妻』のワンシーン。高峰秀子さんが歩いている後ろにニコライ堂が大きく映っています。で、今は土地勘がかなりできているので、このシーンがどこで撮影されたかすぐにわかりました。

ニコライ堂の前の紅梅坂を西に行って日本大学歯学部付属歯科病院の横の路地を入ったところ。残念ながらここまでは行かなかったので、例によってストリートビューの写真を。ストリートビューはかなりの広角で撮影されているので、ニコライ堂は実際よりは小さく見えています。

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ところで『稲妻』が公開されたのは1952年。『銀座化粧』の翌年ですが、興味深いのはやはりニコライ堂が大きく映された小津の『麦秋』の翌年でもあるんですね。小津への意識があったのか、ちょっと興味深いところ。でも、成瀬の映し出す風景は小津と違って生活感がありますね。


それから、もうひとつニコライ堂の貴重な写真を。なんとあの松本竣介がニコライ堂をカメラで撮影していたんですね。この写真を見つけたのは『松本竣介 線と言葉』という本。実はその写真は『松本竣介展 生誕100年』にも載っていて、そちらは何度も見ていたんですが、写真が小さいために気づかなかったんですね。ニコライ堂が写っているのはこの写真。

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以前紹介した市川崑の『わたしの凡てを』と同じく昌平橋のあたりから写したもののようです。松本竣介はこういう写真をもとにして絵を描いているんですね。


それからもう一枚昌平橋でとった写真。これはニコライ堂は写っていませんが、あの山高登さんが「まるでジオラマで作られたような風景」と書いていた場所ですね。竣介もこういう場所が好きなんですね。ここからの風景を描いているんでしょうか。

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さて、その山高登さんも自らが撮影した写真を元にして版画を作っていた人。僕が新宿へ行ったのは新宿で開かれていた山高登さんの写真&版画展を見るためでした。


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by hinaseno | 2017-06-06 13:19 | 雑記 | Comments(0)

久しぶりにこれを聞きました。2009年の暮れに収録された「大瀧詠一的2009」。録音された場所は築地。話の中心はもちろん大瀧さんが2年余りにわたって研究してきた成瀬巳喜男の『秋立ちぬ』と『銀座化粧』のロケ地巡りの話。内田先生と石川さんと平川さんの3人は、この対談の前に大瀧さんから『東京人』2009年11月号に載ったものとは別の、さらに詳しい資料を渡されていたんですね。


この対談をはじめて聞いたときには語られていたことのほとんどはちんぷんかんぷん(でも、大瀧さんの話は内容がさっぱりわからなくてもおもしろいけど)。その後『銀座化粧』を見て、さらに『秋立ちぬ』も見て、築地のあたりの地図を見たりしながら知識が増えてきて、聞き返すたびに少しずつ話の内容がわかってきたのですが、今回、新富橋まで行ってあのあたりの風景を見てようやくほぼ全ての話が理解できるようになりました。でも、改めて、やっぱり何度聞いてもおもしろいですね。同じところで何度も笑ってしまうし、何度も感心してしまう。

そういえばこの対談で、大瀧さんは新富橋の下の首都高を車で何度か走ったと言っていました。かつて新富橋の下にボートの発着所があったので(『銀座化粧』に映っています)そのボートに乗った感じを知りたいということで車で走ったそうです。風景という”カラオケ”のなかをいろんな登場人物になって動いてみる。やることが徹底しています。

大瀧さんはとにかくこのあたりの路地という路地をしらみつぶしに歩いたようで、古そうな家があれば訪ねていって話を聞いています。というわけで僕も新富橋のあたりの古そうな家を見つけては、大瀧さんが訪ねたのではないかと考えながら町を歩きました。

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家に戻って確かめたら、下の大野屋は『東京人』に掲載された古い写真に写っていました。


ところで「大瀧詠一的2009」では、その大瀧さんの聞き込み調査についての平川さんとのおもしろいやり取りがあったので紹介します。もちろん実際のしゃべりを聞いたほうがおもしろいです。爆笑の連続。


平川:取材をかなりしてらっしゃって、聞き込みをやってるじゃないですか。刑事みたいな。
大瀧:刑事みたいって…、志村喬じゃないんだから。
平川:あれはどんな感じでやったんですか。下から出てったっていう…?
大瀧:まあ、いや、下から出ていったっていう言い方はちょっと。上からの物言いだとね…。
平川:相手は、”あの””あの”大瀧詠一だとはわからないわけですよね。
大瀧:だって「あの」って通じるのはさ、ここの一人か二人くらいのもんだよ。「あの」で通じたらこんな楽なことはないよ。
一同:大爆笑
大瀧:だいたい世の中、たとえば今の主流はって答えられない人が何割かいるのに、「あの」だけで通用する人、どれだけいるの。分野分野の中での「あの」はいるのかもしれないけど、ましてや普通の町へ降りて行って…。
石川:下からでなく普通にでしょ。
大瀧:普通だけど頼み込むわけだから、やっぱり横柄な態度では当然いけないわけですよね。
平川:でも、ここがこうだったんですかとかいうのを聞くときに写真かなんかを。
大瀧:持って行きますよ。
平川:映画のワンカットの写真をみせながら?
大瀧:そうです。DVDも持って行って、プリントしたものも持って行ってお話聞いてっていうことをしましたけど。
平川:相手は大学の先生かなんかだと最初は思うんですかね?
大瀧:う~ん。
平川:あるいは市役所の。
内田:(笑)市役所じゃないと思うけどな。
平川:地上げの調査をしている…(笑)。
大瀧:まあ、そういうようなこともお店なんかだとね、そういうこともあって訝しげに最初は見られるということはどこでもありますけど、それはまあ当然のことだと思うんだけど。それはちゃんとそういうようなことでやっていますけどね。
平川:なるほど。

いちばん笑ってしまうのは、このときには「あの」大瀧詠一と、「あの」を強調していた平川さんが、実は他の二人とは違って大瀧さんのことをほとんど知らなくて、最初は「このおっさん誰なんだ」って感じで僕たち大瀧信者にとっては考えられないような失礼な(?)言動をいくつもされていたのに。でも、この成瀬研究を知ったあたりから「このおっさん、ただものではない」と思い始めるんですね。で、このとき大瀧さんから冗談交じりに聞き込みの仕方を聞いた平川さんが、数年後に同じような調査をされたわけですからおもしろいものです。


ところで僕は地図を見ながら新富橋周辺を30分近く歩いていたわけですが、ある重要なことを見落としていたことに昨日気がついて唖然。すぐ近くに地下鉄の新富町駅があったんですね。そこから東京メトロに乗っていれば乗り換えが一つくらいで新宿に行けたのに、僕はわざわざ和光のそばの銀座駅まで戻ったんです。

なにやってんだか、でした。


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by hinaseno | 2017-06-05 14:42 | 雑記 | Comments(0)

川本三郎さんと大瀧さんの2ショットが載った『東京人』2009年11月号で、大瀧さんは『秋立ちぬ』と『銀座化粧』についてこんな興味深いことを語っていました。


二作品を見比べて、ひとつ思いつきました。主人公を抜いた風景を作ったらどうか……。つまり「映画カラオケ」です。カラオケに歌手がいないように、映画の場面から役者を抜いてバーチャルな世界を作り、登場人物の視線でその世界を歩く。約50年、60年前の東京を歩いた結果、この二作品は約10年という時期を経て、レコードでいうならばA面とB面、続編でもあり姉妹編でもあるということがわかりました。「母ひとり子ひとり」という同じ設定のほか、さまざまなところでシンメトリックな構造になっています。今回お話しするのは、その体験談です。


ただのロケ地めぐりとは全然違うんですね。視点というか、着眼点が独特。きっと制作スタイルが自分と重なっていたんでしょうね。だからこそいくつもの驚くような発見があったわけです。

で、この2つの映画のシンボルというべき場所が新富橋でした。2つの映画に映された風景の中で、唯一同じ場所であったということもありますが、なによりもそこが物語の重要な場所だったんですね。

とりわけ『秋立ちぬ』で少年(秀男)と少女(順子)がはじめて出会うのがまさにこの新富橋の上。

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現在の風景と重ねてみるとこうなります。

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こちら側には当時の面影は何も残っていません。新富橋という橋は残っているものの、その下には築地川の流れはなく、なんと首都高速が走っていました。なんともはや。


ところでこれは映画のワンシーンではないのですが『秋立ちぬ』のスチール写真。新富橋の上で遊ぶ秀男と順子をとらえたもの。

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この写真の向こう側、つまり新富橋の東詰に見える看板に書かれているのが「宝来園茶舗」。看板の位置は変わっているものの「宝来園茶舗」は今も残っていて、大瀧さんと川本さんはその「宝来園茶舗」の看板の前で写真を撮っていたんですね。

僕も新富橋以上にこの「宝来園茶舗」の看板が見えたときがたまらなくうれしかったです。ああ、なくなっていなかったと。

これが現在の風景と重ねたもの。ここからだと現在の「宝来園茶舗」の看板は見づらいけど。

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さて、『秋立ちぬ』では「宝来園茶舗」の看板は映っていませんが、『銀座化粧』では坊やの背後にはっきりと「宝来園茶舗」の看板が映ります。

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ただしよくみると『秋立ちぬ』のスチールに写っている看板とはちがっています。字が右から読むようになっています。

『銀座化粧』の坊や(春雄)はこのあと橋の反対側に行って、『秋立ちぬ』の少年と少女が出会ったあたりで、橋の欄干から築地川を覗き込みます。そのとき彼もある人物に出会うことになります。

これがその人物が近づいてくるところ。

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で、映ったのがこの人。

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三島雅夫という俳優。映画では藤村(ふじむら)という役名で出ているんですが、この坊やの母親である田中絹代に何度も金の無心にやってくる情けない男の役。子供にちょっとした小遣いもあげることができない。


実は、昨日ブログを書いた後でちょっとおもしろいことに気がついたんですね。思わずニンマリしまいました。

この三島雅夫は『銀座化粧』の2年前の映画である小津の『晩春』にも出演しているんですね。それがまさに、あの服部時計店で原節子と会った(昨日映画を確認したら、待ち合わせをしていたわけではなくたまたま出会ったようです)あの「きたならしい」「不潔な」おじさま。ただし、こちらの役は大学の教授。原節子に「きたならしい」「不潔」と言われたのは再婚をしたから。

笑ってしまったのは原節子と会った時の服装。『銀座化粧』での服装とほとんどいっしょなんですね。ハンチング帽は同じもの?

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まるで、原節子さんと服部時計店の近くで食事をして別れた後にそのままこの新富橋にやってきたみたい(やってきた方角は違うけど)。服部時計店の近くでは高級そうな料理屋で食事をしていたのに(もちろん原さんに食事をおごったはず)、そこからほんの10数分の間にいつの間にか貧乏になって、小さな子供のお小遣いすらあげることができない情けない男になってしまったんですね。


ところで『銀座化粧』での三島雅夫の役名の「藤村(ふじむら)」というのはあの泰明小学校出身の島崎藤村からとったのではないかと大瀧さんは考えています。成瀬が映画に島崎藤村を絡めていると。映画では『藤村詩集』についてのちょっとおもしろいやり取りが出てきます。

このあたりの分析もやはり大瀧さん自身の制作スタイルに重ね合わせて考えているんでしょうね。


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by hinaseno | 2017-06-04 12:35 | 雑記 | Comments(0)

大瀧さんが成瀬巳喜男監督の『銀座化粧』(昭和26年)と『秋立ちぬ』(昭和35年)という2つの映画のことを調べ始めたのは10年前の2007年のこと。きっかけはやはり”たまたま”だったようです。

たまたま知人に教えてもらった『秋立ちぬ』を見ていたら、そこに映った公園がつい先日まで『Niagara CM Special』の30周年記念盤のマスタリングのために通っていた銀座のスタジオ(音響ハウス)のすぐそばだったことがわかったんですね。

さらに『秋立ちぬ』には大瀧さんとつながりを感じさせるものがいくつも。例えば主人公の少年(秀男)は野球好きの小学6年生。映画の作られた昭和35年はまさに大瀧さんが小学6年生のときでした。それから「母ひとり子ひとり」の家庭だったというのも大瀧さんと同じ。

更にそのタイトル。大瀧さんが2003年の春にスタートするテレビドラマの主題歌として作った「恋するふたり」という曲は松田聖子に作った「風立ちぬ」の続編として作ったので(カラオケを聴くと全く同じ部分があります)最初につけた仮のタイトルは「春立ちぬ」だったと。ここまでくると運命的なものを感じずにはいられなかったはず。


そういえば大瀧さんは続編というか姉妹編というかシンメトリーというべき作品を作るのが大好きなんですが、『秋立ちぬ』はその9年前に作られた『銀座化粧』の続編ともいうべき作品であることがわかって(築地川を舞台にした、母ひとり子ひとりの物語)、これはもう絶対に調べなければと思ったんですね。

そこでまず最初に読んだのが川本三郎さんの『銀幕の東京』。この本で『銀座化粧』と『秋立ちぬ』のつながりを発見して、大瀧さん独自の、いかにも大瀧さんらしい研究を始めます。例のDVDの静止画像による細かい分析とフィールドワークですね。でも、何よりもすばらしいのはその視点。

で、それから2年間ほど研究して、2009年の8月3日に、自身の研究のきっかけを与えてくれた川本三郎さんにその成果を報告したんですね。もちろんこれは密かに行われたもの。

川本さんは大瀧さんの映画に対する知識とその研究の内容に驚愕。あまりに面白かったので、川本さんは『東京人』のインタビューという形で改めて大瀧さんの成果を語ってもらうことにします。それが2009年8月26日。で、そのインタビューが『東京人』2009年11月号に掲載されます。

それまで僕は『東京人』という雑誌のことは全く知らなかったので、とにかく驚きました。何よりも大好きな大瀧さんが大好きな川本三郎さんと会ったというのが信じられなくて。そしてこの本に掲載された2人のツーショットの写真は僕の宝物になりました。

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この写真の撮影場所は築地の新富橋。

『東京人』の取材の日に、ここを2ショットの場所として選んだのは大瀧さんだったようです。新富橋は『銀座化粧』と『秋立ちぬ』に映された風景の中で、唯一同じ場所。つまり成瀬巳喜男がつくった築地川の物語のシンボルというべき場所だったんですね。

ということでその場所に行ってきました。

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ここが8年前のあの日、大瀧詠一さんと川本三郎さんがいっしょに立っていた場所。感無量でした。

二人が立っていたのと同じ場所に立って、近くにいた人に写真を撮ってもらいました。大瀧さんと同じようなポーズをとって。

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by hinaseno | 2017-06-03 15:39 | 雑記 | Comments(0)