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カテゴリ:雑記( 233 )



今読んでいるのは『小泉今日子 書評集』。2005年から2014年にかけて読売新聞の書評欄に書いたものをまとめたもの。全部で97冊の本を紹介しています。

その「はじめに」の最初にこんなことを書かれています。


本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声を掛けにくいのではと思ったからだった。

「本を読むのが好きになる」というきっかけにはいろんな理由があるとは思うけど、こんな理由をきいたのは初めて。小泉さんなりの事情があったようです。

で、小泉さんが読書好きだということがちょっとずつ広まっていた頃に書評の話が舞い込んでくる。それを引き受けるときのエピソードもおもしろい。仲介したのは久世光彦。でも、小泉さんはすぐには引き受けない。「女優とかタレントとしての名前が欲しいだけだったら嫌だ」、さらに「文章の書き方などについて分かっていないことがいろいろあるので、原稿にきちんとした評価をしてくれるのか」と考えて、依頼に来た人に「私の原稿に対して、『これはボツだ』とか『書き直せ』だとか、そういうことがしっかり言えますか」と言う。でも相手は「ボツは絶対ありません」と答える。小泉さんは「じゃあやらない」。こんなやりとりがしばらく続く。で、小泉さんが席を外したときに、久世さんが読売の人にボツにするといておけ、と言ったようで、戻ってきた小泉さんにその人が「ボツにします」と言ったら小泉さんがパッと右手を差し出して握手をしたと。いいエピソードですね。


小泉さんの書評は連載されていたときから何度かは読んでいました。かなり評判になっていたので。紹介された本は結構多岐にわたっていて、こんな本を読んでいたのかというものもあります。ベストセラーも多いけど小泉さんが取り上げたことでベストセラーになったものもかなりありそうです。中には映画化されたものも。ちなみに小泉さんが紹介された97冊のうちで僕が読んだことのあった本は3冊。小川洋子の『ミーナの行進』、益田ミリ『ほしいものはなんですか』、そして中村弦の『ロストトレイン』。

というわけでほとんどが読んでいないのですが、読んでみたくなる本がいくつもあります。また、取り上げられた本にからめた話というのもとても興味深いものばかり。はっとさせられる話も多い。例えばこんな話。


 あなたの一番大切なものは何ですか? と訊かれたら、私は迷わず「記憶」と答える。私の心の中に詰まっている様々な記憶は過去からの優しい風のように、今の私を慰め、励まし、奮い立たせてくれる。良い事も、悪い事も全部が愛しい大切な思い出。私の記憶は私が私であることの証明みたいなものなのだ。

そんな小泉さんの「記憶」の中で、最も大切にされているのが久世光彦さんと仕事をされていたときの記憶ではないかと思います。小泉さんと久世さんとの関わりについてはこちらに音楽ディレクターの佐藤剛さんが素晴らしい文章を書かれているのでそれを読んでみてください。

なんども紹介している『東京人』という雑誌の「久世光彦 向田邦子 昭和の記憶」という特集(2009年9月号)で小泉さんがインタビューに答えられているのですが、こんなことを話されています。


久世さんのことを見てきたひとりとして、後輩たちにもちゃんと伝えていかなければと思います。
去年(2008年)、久世さんの『マイ・ラスト・ソング』を浜田真理子さんの歌と私の朗読で再現したのも、そういう意味合いが大きかったんです。

そう、小泉さんは2008年から久世さんを偲んで『マイ・ラスト・ソング』という舞台を続けられているんですね。小泉さんが朗読をして浜田真理子さんが歌を歌う。

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これを知ったのは昨年5月に行われた舞台に平川克美さんが行かれたというツイートを読んでのことでした。そのことはこの日のブログでちょっと触れていますね。浜田真理子さんというミュージシャンを知ったきっかけはもう忘れましたが、彼女のことを意識するようになって、ある日開いた夏葉社の『冬の本』に彼女の名前を見つけてびっくりして、それから平川さんとこんな対談までされて(かなり親しい間柄)、すっかり身近な存在になっていたんですが、その浜田さんが小泉さんとこんな素晴らしいイベントをされているとはでした。

ちなみにこのイベントの構成・演出を手掛けられるのが先ほどの文章を書かれた音楽プロデューサーの佐藤剛さんなんですが、その佐藤さんのインタビューで「なぜ浜田さんがピアノ弾き語りで、小泉さんが朗読されるという組み合わせになったのでしょうか?」という問いに対してこんな答えをされていました。


最初からこの2人の組み合わせしかないと思っていました。久世さんのエッセイ『マイ・ラスト・ソング』には約120くらいの歌がとりあげられていますが、童謡・軍歌・讃美歌・歌謡曲・ポップス・演歌など非常に多岐にわたっているんですね。外国の曲もあるし、それらを一人で歌いこなすのは普通ではちょっと考えられない。だけど、浜田真理子さんならそれができると直感したんです。小泉さんも「浜田さんがいれば全部歌えるね」と言われていた。つまりは浜田さんがいなければこの企画は誰も考えることができなかったんです。小泉さんは小泉さんで「私は久世さんの文学者としての一面を朗読で表現することならできるよね」と言われていた。で、僕がどのエッセイを読んでもらうか、また全体をどうするかを考えれば…。もうこの段階でライブ「マイ・ラスト・ソング」のスタイルはできていたんですよ。

浜田真理子さんは今月15日に『タウン・ガール・ブルー』という新しいアルバムを出されます。小泉さんも紹介文を書かれているようでとっても楽しみ。


『マイ・ラスト・ソング』はぜひ一度行ってみたい。一番聴いてみたいのは平野愛子の「港の見える丘」。そういえば昨年5月に行われた舞台には、もちろん平川さんも行かれたのですが、あの能年玲奈さんも行かれたことがわかりました。彼女のブログにこんな写真も載っていました。

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小泉さんとの写真にはこんな言葉も添えられています。


「ママとツーショットおさしん!きゃー。」
「ママの歌も聴きたかったーー。それではまたっ」

能年玲奈という名前でのオフィシャルブログの最後に更新された日の最後の言葉。


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by hinaseno | 2017-02-03 12:33 | 雑記 | Comments(0)

小泉今日子さんについての本をネットで読めるものも含めていろいろと読んでいますが、今のところ大瀧さんについて彼女が語った言葉を見つけることができていません。どこかにないかな。

それはさておき、小泉さんが1昨年の暮れから『GLOW』という女性雑誌で対談の連載を始められていることを知りました。なんとタイトルが「小泉放談」。読んでみたいけど、さすがに女性誌に手を出すのには(並べている場所に行くのにも)勇気がいりそうです。単行本になるのを待ったほうがいいかな。

その「小泉放談」の最初の相手はYOUさん。これがネットで読めるようになっていたので読んでみたらYOUさん相手なのに結構真面目な話をしています。例えばこんな部分。


今、私が思うのは「この先、何を残せるか」っていうことかな。YOUは出産して、子どもが大きくなってというところまで成し遂げているけど、独身で子どもを持たなかった身からすると、いったい自分は世の中に対して何ができるんだろう?みたいなことを考えたりするんですよねえ。



何かね……周囲を見回すと、生きにくそうにしている人がいっぱい目に入ってくるんですよ。そういう時、「もうちょっとどうにかして、環境を整えられないかなあ」という気持ちになることは、確かにある。


ここのところ、世の中を見ていてやっぱり時代が終わっていく感覚って、あるじゃないですか。昭和というか、今70代、80代の人たちが作り上げてきたものが。実際、人には寿命というものがあるから、お別れする機会もたくさんあるし。古い時代の仕組みや枠組みが成り立たなくなっていくとしたら、その先の新しい何かは、私たちの世代で作って行かなきゃいけないのかなって。


「ああ、あの人がいなくなっちゃった」という時に考え始めても、もう遅くて。

小泉さんが芸能界を変えておきたいという使命感のような思いは、『MEKURU』(2016年2月発行)でのインタビューでも語られています。


時代に対して決着をつけていきたいっていう思いがありますね。芸能という昭和から始まった歴史があるわけだけど、時代が進んだ現在、昔からのやり方がちょっとうまくいかなくなっているところもあると思うんです。だからこれからは、みんなが個の人間として、どこにいても発言できるような成熟した社会になっていったらいいなあと思う。

自分のことだけではなく芸能界全体のことを考えているんですね。そんな小泉さんが最も気にかけている存在があるとすれば、『あまちゃん』で共演した能年玲奈さんだろうと。子供を持たなかった小泉さんが、ドラマの中とはいえ、自分の子供の役を演じた能年さんの強い味方になっているんだなと。


『黄色いマンション 黒い猫』には、その能年玲奈さんの話が出てきます。「アキと春子と私の青春」というタイトルのエッセイ。


 約一年間、朝のドラマでヒロイン「アキ」の母親役「春子」を演じた。若い頃アイドルを目指し、故郷を捨て、親を捨て、家出までして上京して東京で夢に破れ、タクシー運転手と結婚をして娘を生み家庭に入った専業主婦。そして年頃になった娘はかつての自分と同じアイドルの道を目指し始める。私は子どもを持たなかったが、役を通じて母親の気持ちを体現できるのは女優という仕事の面白いところである。ヒロインを演じた能年玲奈ちゃんの瑞々しさはアキそのもので、この子を全力で守りたいという気持ちにさせてくれる魅力的な女の子だった。ドラマの中でのアキの成長はそのまま能年ちゃんの成長だった。これはもうドラマを越えたドキュメンタリー。大人たちの中で懸命に頑張る彼女の姿を見ていると過去の自分をよく思い出す。
(中略)
 春子がなれなかったアイドル。私がならなかったお母さん。人生は何が起こるかわからない。どこで何を選んで今の人生に至ったかはもうわからないけれど、ほんの小さな選択によって、春子が私の人生を、私が春子の人生を送っていたのかもしれない。私が選ばなかったもうひとつの人生。だから、春子とアキ、私と能年ちゃん、ふたつの関係が物語を通して同時に進行するという不思議な体験をしている。
 例えば、春子は過剰なほどに娘を守ろうとする。自分と同じ苦い思いを味わって欲しくないという思いが春子をそうさせる。娘を傷つけようとする敵に対して牙をむき暴言を吐き大暴れする。母親ならではの戦いっぶり。でも私の場合は、苦い思いも挫折も孤独も全て飛び越えて早くこっちへいらっしゃいという思いで能年ちゃんを見守る。まさに「その火を飛び越えて来い!」という心持ちで待っている。すぐに傷の手当ができるように万全な対策を用意して待っている。先輩ならではの立ち振る舞い。こんな風にフィクションとノンフィクションが同時に起こっている不思議な体験はなかなかできることではない。あまちゃんマジック。いやいや能年マジックなのだと思う。彼女が私の心を動かすのだ。

考えてみたら『最後から二番目の恋』の前に僕がドラマを見たのは『あまちゃん』でした。大瀧さんも久しぶりに夢中になって見た朝ドラだったようです。僕が見始めたのは最終回に近かったのですが、そのあと再放送を全部録画して見ました。大瀧さんが夢中になって見られていたのもよくわかりました。なによりも大瀧さんの出身地である岩手が舞台であったこと。そして自分が曲を提供していた2人のアイドル、小泉今日子と薬師丸ひろ子が出演していたこと。ポスターとはいえ松田聖子も何度も映っていたし、小泉今日子の娘時代である有村架純さんは「風立ちぬ」をオーディションで歌っていました。

さらにいえば、というか大瀧さんが関心を持った大きなポイントは、いくつかのトライアングル構造が作られていたこと。まず、松田聖子、小泉今日子、薬師丸ひろ子というまさに大瀧さんが曲を提供した元アイドル。そしてアイドルを目指している能年玲奈、橋本愛、有村架純の3人。


この3人のうち、橋本愛さんは『あまちゃん』が始まる前からいくつもの新人女優賞をとっていて、その後も映画の主演をいくつもされています。

有村架純さんは今、映画、テレビ、CMとひっぱりだこのようで、今年の春から始まるNHKの連ドラの主演も決まっていますね。『最後から二番目の恋』の脚本家でもある岡田惠和の希望で主演が決まったそうです。昨年の紅白の司会も務められていましたね。

さて、能年玲奈さんは、といえば、現在、能年玲奈という名前で芸能活動ができない状態が続いています。「能年」というのは本名だし、このブログでも書いたように、あの木山捷平と深い縁があった姫路の南畝(のうねん)町ともつながりのある、古代からの由緒ある名前。それが使えない芸能界ってひどいというか怖いというか。おそらく相当大変な時期を過ごしていただろうとは思いますが、彼女のブログを見る限り、あの『あまちゃん』の頃の彼女の姿を保っているようです。小泉さんがいろんな形で励まし続けているんだろうなと思います。

昨年、「のん」という芸名で声優を務めた『この世界の片隅に』という映画が大ヒットして(まだ見ていないけど、できれば尾道の映画館で見れたらと考えています)、彼女も声優として大変高い評価をもらったようですが、でも声優でなく、女優として、おっ!!!と思わせる映画に出演してほしいと考えています(とある場所で聞いたあの話が実現して、あの人がぽろっと言ったことになれば最高なんだけど、これは秘密ですね)。


さて、『黄色いマンション 黒い猫』に収められた「アキと春子と私の青春」はこんな話で締めくくられています。


撮影中に二十歳になった能年ちゃんに、三つの鍵がついたネックレスを贈った。大人になるために必要な鍵。ゆっくり慎重に楽しんで大人のドアを開いて欲しい。ドアの向こうにはいつでも未来が待っている。必要ならばいつでも私も待っている。
「その火を飛び越えて来い!」

三つの鍵というのがなんともいいですね。「快盗ルビイ」の歌詞にも鍵という言葉が出てきますが、鍵穴のあるドアはきっとまっすぐな場所ではなくトライアングル構造になっていそうです。もしかしたらそれは「未来」と「希望」と「発展」の鍵なのかもしれません。武蔵新田のアーチにつけられた名前のように。


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by hinaseno | 2017-02-02 12:09 | 雑記 | Comments(0)

「見逃してくれよ!」


小泉今日子さんといえば僕にとっては後にも先にも「快盗ルビイ」だけ、でしたが、今年になって彼女の書いたものを読んだり、最近は彼女の過去の曲をデビュー曲から順番に聴いたりしています。

意外なことにデビュー曲から「夜明けのMew」あたりまでは聴き覚えのある曲が並んでいました。よく見ていた音楽番組で聴いていたんでしょうね。「怪盗ルビイ」はあまり音楽番組を見なくなっていたときに作られた曲でしたが、確か「夜のヒット・スタジオ」でいきなり大瀧詠一という名前を見てびっくりした記憶があります。

「快盗ルビイ」以降も知っているのは数曲。正直言えば「快盗ルビイ」以外はどれも今、聴くのにはちょっとしんどいかなと。

ただ、最新アルバム(といっても5年前の2012年に出たアルバムですが)『Koizumi Chansonnier』は素晴らしい。「100%」、「プライヴェート」、さらに小西康陽さんが書いたいかにも小西さんらしい「面白おかしく生きてきたけれど」などいい曲だらけ。とりわけ最高なのがあのトム・ベルの書いた「カントリー・リビング」。実は今年になってこればっかり聴いています。


さて、昔の曲は「快盗ルビイ」以外はちょっと今聴くにはしんどいと書きましたが1曲だけ超気に入っている曲があります。大ヒットしていたみたいだけど、歌番組も見なくなっていた時期の曲なのでよく知りませんでしたが、これが歌詞も曲も小泉さんの歌も、そして歌っているときの小泉さんのパフォーマンスも何から何まで最高。

それがこの「見逃してくれよ!」。




この曲、もともとはCM用に作られた曲。これですね。




実はこの「見逃してくれよ!」に関して、大瀧さんがらみのちょっとした秘話があるんですね。『大瀧詠一SONG BOOK VOL.2』で、大瀧さんはこんなことを書いていました。


小泉さんに関してはデビューの頃の12CH番組『おはようスタジオ』で見て以来、〈聖子の次〉はこの人だと思っていました。なかなか時期が合わずにギリギリ間に合った、という感じだったでしょうか。この後のCMの〈見逃してくれヨ~〉というのが気に入り、早くシングル・カットした方がよい、とアドバイスしたものでした。

なんと「見逃してくれよ!」がシングルになったのは大瀧さんのアドバイスがあったからなんですね。大瀧さんがアドバイスした相手はもちろんディレクターの田村充義さんのはず。ナイアガラーの田村さんが大瀧さんのアドバイスを聞かないはずがありません。

というエピソードを知ったからというわけではなく、とにかく「見逃してくれよ!」は最高です。


ところで、大瀧さんはかなり早い段階で〈聖子の次〉は小泉今日子さんだと考えていたようですね。中森明菜さんではなく。

実は僕にとっての〈聖子の次〉は、これまで一度も書いたことがありませんでしたが、それは岡田有希子さんでした。

この「リトル・プリンセス」という曲をテレビで初めて見たときに衝撃を受けたんですね。1984年の夏。大瀧さんの『EACH TIME』ばかりを聴いていた夏でした。




岡田有希子という歌手もよく知らないままこの曲を聴いたのですが、メロディー、サウンドとも何から何まで大瀧さんが作ったとしか思えない曲作りだったんですね。でも、実際は作詞作曲竹内まりや。竹内まりやさんは同じ1984年に『Variety』というアルバムを出して、シンガーソングライターとしての実力を思い知らされていたときでした。

9月に出た岡田有希子のファーストアルバムは出てすぐに買いました。10曲中4曲が竹内まりやさんの曲。どれも素晴らしい曲でした。

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ただ結局岡田有希子さんのレコードを買ったのはこの1枚だけ。さすがにこういうのを買うのは恥ずかしくなっていた時期でした。でも、テレビでは彼女に注目し続けていました。そんなときにあの悲劇が起きました。


小泉今日子さんの『黄色いマンション 黒い猫』には、その岡田有希子さんの話が出てきます。エッセイのタイトルは「彼女はどうだったんだろう?」。

ただ、このエッセイは最後まで「彼女」という表現しか出てこないので、それが岡田有希子さんのことだと気づくのは、あの悲劇のことが出てきてでしょうか。あるいはそこを読んでも気づかない人も多いのかもしれない。でも、なぜか僕は冒頭の部分を読んだときから、それが岡田有希子さんの話だと感じていました。こんな書き出しです。


 彼女はひどく近眼で、仕事じゃない時はいつも牛乳瓶の底みたいな分厚いメガネを掛けていた。レンズを通して小さくなった目がなんとも可愛かった。 
 私たちはテレビ局の楽屋で顔を合わす。私は先輩アイドルで、彼女は新人アイドルだった。あの頃の私たちはいつも疲れていた。仕事はめまぐるしく忙しいし、大人の世界の中でどうしたらいいのかわからなくて怖いことだらけで気持ちはいつも張り詰めていたし、とにかく寝不足でいつも眠くてダルかった。高校の制服で楽屋に現れる彼女も、青白い顔をして「おはようございます」と、小さな声で言った後は一言もしゃべらず、分厚い眼鏡をはずして鏡に向かい、静かにお化粧を始める。ずっと鏡を見つめて誰かと目を合わせることさえ避けているようだった。

彼女が亡くなったある日、原宿を歩いていた小泉さんに「あっ、キョンキョンじゃん、サインしてよ」と若い男が話しかけてきます。困った小泉さんはもごもご言いながら断ろうとしていたらその男の子が彼女の出来事を茶化すようなことを口にする。


 なんてことを言うんだろう。私はキレた。騒ぎになってもなんでもいい。私はその男の胸ぐらを掴んで、
「なんにもわかってないくせに、人の死を茶化すようなことを言うな。そんなこと冗談みたいに言うな」

で、最後は岡田有希子さんが夢の中に出てくる話で終わります。正直、このエッセイには泣かされてしまいました。そしてこれを読んで小泉今日子という人に対する見方が完全に変わってしまいました。こんな思いを抱きながら、それでも彼女は「見逃してくれよ!」みたいな曲を歌い続けたんだなと。


彼女に何もしてあげることができなかったという後悔も含めて、岡田有希子さんとの記憶は消えることがなかったようで、それが小泉さんにある種の使命感のようなものを作らせたようで、この長い話の最後に予定している「未来」の話へつながっていくことになりますが、それはまた次回以降に。

今日の最後に、岡田有希子さんが亡くなったあとに、竹内まりやさんがセルフカバーしたことで知ったこの「ロンサム・シーズン」を貼っておきます。死ぬほど好きな曲です。




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by hinaseno | 2017-02-01 12:21 | 雑記 | Comments(0)

昨夜、アゲインの石川さんからお電話。僕がブログに書いた武蔵新田近辺の話が、局地的ではあるけれど結構大きな反響をよんでいるとのこと。「きみは僕より詳しいから、今度武蔵新田を案内してくれ」と言われました。案内する自信、あります。


さて、僕が武蔵新田に関心を持つきっかけを与えてくれたのは武蔵新田のティールグリーンで絵本の原画展をされていた高橋和枝さん。

その高橋さんの待望の新刊が出ました。なんとあのくまくまちゃんシリーズの第3弾『くまくまちゃん、たびにでる』です。それにともなって絶版になっていた『くまくまちゃん』と『くまくまちゃんのいえ』も新たな装幀で復刊。『くまくまちゃんのいえ』は持っていなかったので、せっかくなので3冊まとめて買いに行きました。買ったお店はもちろん姫路のおひさまゆうびん舎。おひさまゆうびん舎では現在「かえってきた、くまくまちゃんフェア」を開催中。とても全部は気づけそうにないくらいに、店の至るところにくまくまちゃんがいっぱい。くまくまちゃん愛にあふれています。で、おひさまゆうびん舎さんで売られている本は高橋さんの直筆のサイン&イラスト入り。ここで買うべきですね。

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さて、おひさまゆうびん舎ほどではないけれど、僕の家でも何匹かのくまくまちゃんがお出迎え。そう、高橋さん手製のくまくまちゃんと、高橋さんのワークショップで学んだことをもとにして描いたくまくまトーンズ。

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くまくまちゃんは女性に大人気なんですが、店主の窪田さんによると大人の男の人も結構買っているそうです。うれしいですね。

くまくまちゃんの物語の語り手は「ぼく」、つまり男性なんですね。くまくまちゃんというのは女性ではなく男性が思い描いた存在。そこがポイント。ただただかわいいだけではない世界がそこにあるんです。

読んでいなかった『くまくまちゃんのいえ』ではその語り手の男性が登場します。20代の男性のようにも見えるし50代の男性に見えなくもない。

それから最新刊の『くまくまちゃん、たびにでる』もとても素敵な本でした。夜、窓から外を眺めている絵は最高。それからふっと大瀧さんのことを考えてしまう場面もありました。

高橋さんの絵本には日頃、特に男性は、と言ってもいいかもしれないけど、心の片隅に追いやってしまった感情をふっと呼び起こしてくれて、それをほっこりと癒してくれる力があります。その意味ではもっともっと男の人に読んでもらえたらと思っています。「くまくまちゃん」は大人の男の人にこそ読まれるべき絵本ではないかと。とにかく僕はくまくまちゃんに出会えてよかったなと。彼が僕の心の中の山奥に住みついた、いや、そこに住んでいることに気づかせてくれたことに感謝しています。


ところで、改めて考えてみると僕がくまくまちゃんに出会えたのも「快盗ルビイ」のおかげですね。あの曲の作詞を大瀧さんが和田誠さんに依頼したからこそ、僕は和田さんのことを知って和田さんのファンになり、和田さんが表紙を描いたマラマッドの『レンブラントの帽子』に目を止めることになり、で、夏葉社のことを知って、『さよならのあとで』を読んで、その挿画を描かれた高橋和枝さんのことを知ることができたのだから。

でも、正直にいうと、はじめて「快盗ルビイ」を聴いたとき、どうして歌詞を松本隆さんにしてくれなかったんだろうとかなり残念に思ったものでした。ディレクターの田村さんもきっとそれを期待していたんじゃないでしょうか。田村さんはインタビューで大瀧さんに作曲を了解してもらったときのことをこう話しています。


歌詞は?と聞くと大瀧さんは和田誠さんがいいという。和田さんは(映画の)監督ですよ(笑)。

やはりかなり意外だったんでしょうね。ちなみに『大瀧詠一SONG BOOK VOL.2』の解説で大瀧さんはこんなことを書いています。


 ビクター製作の同名の映画主題歌でしたが、監督は和田誠さんでした。作詞は映画制作関係者側には『探偵物語』の関係者も多かったので〈松本隆〉になるものだと思っていたようですが、私は和田誠さんご本人が面白いのではないかと考え依頼しました。最初は〈意外〉に受け取られたようですが〈脚韻〉を踏むなどの和田さんならではの詞となりました。

作詞家をだれにするかは大瀧さんの判断に委ねられていたんですね。普通に考えれば候補としては次の3人。1番手は「なんてったってアイドル」「夜明けのMew」「キスを止めないで」などの歌詞を書いていて当時ブレイクしていたあの秋元康。2番手は「まっ赤な女の子」「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」「ヤマトナデシコ七変化」などの歌詞を書いていた康珍化(かん ちんふぁ)。そしてもちろんはっぴいえんどからの盟友である松本隆。松本さんも小泉今日子さんには「迷宮のアンドローラ」や「水のルージュ」の歌詞を提供していました。そのときの作曲者は筒美京平さん。「木綿のハンカチーフ」コンビですね。

でも、改めて小泉さんの曲をいろいろ聴いてみると、松本さんの書いた叙情的な歌詞はなんとなく小泉さんに合わない気がします。たぶん大瀧さんもそれを感じたんでしょうね。で、松本さん以外でと考えて、当然、秋元康と康珍化が頭には浮かんだとは思いますが結局大瀧さんが選んだのが和田誠さん。和田さんの本をずっと読んできて、きっと曲の歌詞を書ける人だと直感したんでしょうね。

そして、出来上がった和田さんの遊び心いっぱいの歌詞は小泉さんにも「快盗ルビイ」という曲にもぴったりでした。和田さんの歌詞がなければ「快盗ルビイ」をこんなに好きになってはいなかったのではと思えるくらい。


ということで改めて和田誠さんの歌詞を貼っておきます。「脚韻」にどれだけ気づくことができるでしょうか。20箇所くらいあります。


誰かの熱いハート

いつでも恋はきらめく謎ね


ねらいをつけたら 

もう逃がさないから

海賊が埋めたあの宝 

手に入れたらすぐサヨナラ


キラキラ ダイヤモンド 

赤いルビイも 輝く夜

夢みれば上がる温度 

光るエメラルド 心はおどる


好きよ金銀サンゴ

憧れてたタンゴ

欲しいのはサファイア

それとも素敵なキス・オブ・ファイア


ヒミツの鍵穴 

やさしくかける わな

涙をかくしたあの戸棚 

思わず心に咲く花


誰かの熱いハート 

盗んでいたのいつのまにか

はばたく 天使の鳩 

今度の恋は たしかに間近


いつでも恋はきらめく謎ね

私は 私は 燃えるルビイ


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by hinaseno | 2017-01-30 13:02 | 雑記 | Comments(0)

大瀧さんと田村充義ディレクターとの出会いは、田村さんが小泉さんの前に担当していた山田邦子のとき。山田邦子が人気絶頂のときですね。田村さんを大瀧さんに紹介したのが大瀧さんと親しい関係にあったあの川原伸司(=平井夏美)です。大瀧さんの未発表作品である「アンアン小唄」を山田邦子にやらせてみてはと川原さんが考えて、田村さんを大瀧さんに会わせたようですね。

たぶんその出会いの場で田村さんは自己紹介をかねて自分がはっぴいえんど以来の大瀧さんのファンであることを話したはず。


さて、ネット上のここここに、一昨年の3月21日に小泉今日子さんの音源がハイレゾ化された配信されたときに監修をされた田村さんのインタビューが載っていて、そこで「快盗ルビイ」にからめて大瀧さんとのエピソードがいろいろと語られています。


大瀧詠一さんは昔から知っていて、担当していた山田邦子さんでも仕事をしたことがあったのですが、なかなか曲を書いてくれない(笑)。映画の仕事があってやっと書いていただきました。


1970年代にTBSラジオでやっていた「ゴー・ゴー・ナイアガラ」という番組で僕が大瀧詠一さんと知り合って、会うごとに「小泉に作品を書いてください」とお願いしていたんですが、それがやっと実現した曲でした。


これを読むと田村さんは「ゴー・ゴー・ナイアガラ」の単なるリスナーでなく、なんらかの交流を持っていたことをうかがわせます。もしかしたらハガキを書いていて番組で読まれていたかもしれないと思って「ゴー・ゴー・ナイアガラ」のおハガキの日の特集をいろいろと聴いていたら1977年2月8日放送のおハガキ特集の日に「(トマベチヨシミ改め)タムラウメノスケ」というペンネームの人のハガキが読まれていたことがわかりました。大瀧さんは番組にハガキを送ってくれた人はとりわけ大事にされていて、レコードなどを送ってあげたりもされていたので、もしこの「タムラウメノスケ」が田村ディレクターだとすれば、実は僕は「ゴー・ゴー・ナイアガラ」にハガキを書いていましたとなって、大瀧さんも一気に親しみを持つことができただろうと思います。ということで大瀧さんは山田邦子が「アンアン小唄」を歌うのを快く了解。


曲のアレンジは大瀧さんではないのですが、歌入れの時には大瀧さんも立ち会って、その場で「山田邦子を〈日本のジャニス・ジョブリン〉にする!」とかいって、山田邦子に「もっと怒鳴れ、もっと怒鳴れ」と要求したそうです。それがこれ。




リリースは1982年10月。前年に出した『ロングバケーション』も、さらに小泉さんのデビューと同じ日の1982年3月21日に発売した『ナイアガラ・トライアングルVol.2』も大ヒットしていて、周囲からは素敵なメロディの曲を書くまじめなアーティストとみられていた時期にこんなことをやってたわけです。もちろん、それは大瀧さんという人を以前からよく知っている川原さんと田村さんがいたからこそ。


ということで、大瀧さんとの強い縁を確認することのできた田村ディレクターは翌年に小泉今日子さんを担当するようになって、おそらく早い段階で大瀧さんに曲を依頼しただろうと思います。でも、大瀧さんは次の作品『EACH TIME』に取り掛かり、それが難航し、結果的に創作意欲が一気に落ちてしまうことになります。それでも田村さんは松本隆作詞、大瀧さん作曲の「はいからはくち」や大瀧さん作詞作曲の「颱風」をパロディにした「渚のはいから人魚」や「颱風騎士(タイフーンナイト)」という曲を小泉さんに歌わせて、メッセージを送り続けます。

そしてたぶん田村さんにとっては5年越しの夢が叶う日がくるんですね。『大瀧詠一 SONGBOOK 2』のライナーで大瀧さんはこう書いています。ちなみに『大瀧詠一 SONGBOOK 2』の制作担当です。


「ビクターの田村充義ディレクターは小泉今日子さん担当であることはすでに書きましたが、この『大瀧詠一 SONGBOOK 2』の制作担当でもあります。〈小泉-大瀧〉の作品を実現することは彼の〈悲願〉でもあったということで、この作品は彼に捧げたもの、と言っても過言ではありません」


歌を歌った小泉さんはこんないきさつがあったとは知る由もありません。


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by hinaseno | 2017-01-24 13:24 | 雑記 | Comments(0)

小泉今日子さんのことについて書くのならば、やはり大瀧さんが作曲した(作詞は和田誠さん)『快盗ルビイ』のことに触れなければなりません。でも、この日書いた「「快盗ルビイ」のヒミツ」をはじめ、この曲については何度も書いてきたので、今回は、この曲を書いたいきさつに触れてみようと思います。


その前に小泉さんのデビューのことから。小泉さんは1981年初頭に、あの『スター誕生』に出場して合格。ビクターと契約します。『スター誕生』はもちろん見ていましたが、欽ちゃんが司会をやめたときくらいから見なくなっていたので小泉さんが出ていたのも合格したのも知りません。

ちなみに『スター誕生』のメインスポンサーはアサヒビール。ただしCMで流していたのは清涼飲料水部門。そう、あの三ツ矢サイダー。この三ツ矢サイダーのCMの曲をかいていたのが、はっぴいえんどをやめてソロ活動を始めていたばかりの大瀧さんですね。これの最初の方でずらっと見ることができます。




さて、『スター誕生』で合格した小泉さんは翌1982年に「私の16才」という曲でデビュー。なんとデビューした日が3月21日。ナイアガラデーに小泉さんがデビューしていたんですね。ちなみに1982年3月21日のナイアガラ・デーに発売されたのはあの『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』。この記念すべきアルバムと小泉今日子さんの歴史が同じだったとは。大瀧さんがこのことに縁を感じないはずはありません。


今、手元には昨年の2月4日の小泉さんの50歳の誕生日の日に発行された『MEKURU』という小泉さんを特集した雑誌があるのですが、ずらっと並んだシングル盤のジャケットの写真を見ると、デビュー当初は正統派のアイドル路線で売り出していたことがわかります。この1982年は「花の82年組」とよばれるほどアイドルの当たり年で小泉さんはその中ではかなり出遅れた状態になっていたようです。当時は歌謡曲にも目を向けていましたが、最初の4枚のシングルの曲はどれも知りません。

僕が小泉今日子というのを初めて知ったのは5枚目のシングルの「まっ赤な女の子」ですね。ウィキペディアを見ると、やはりこの曲でブレイクしたと書かれています。この曲のときに髪をショートカットにイメージチェンジしたとも。確かにその前のシングルのジャケットの写真は当時のアイドルがみんなしていた聖子ちゃんカットですが、ここでバッサリ髪を切っています。いろんな意味でこの曲が転機になったようですね。

実はこの「まっ赤な女の子」からビクターの小泉さんの担当ディレクターが代わっているんですね。それまではあの「ルイジアナ・ママ」を歌った飯田久彦。この人が『スター誕生』で合格の札を上げたようです。でも彼がディレクターをしていたときには曲がヒットしない状態が続いていました。

そこで1983年から新たにディレクターになったのが田村充義さん。この人がキーマンでした。『MEKURU』でのインタビューでそのあたりのことを小泉さんはこう言っています。


「(デビューして)1年くらい経ったころ、『そろそろ違うことやってもいいのかもしれない』と思って、私は歌も下手だしダンスもできるわけじゃないし、どうせそんなに長くこの仕事をしていないだろうから、だったらちょっと違う女の子像を作れたらいいなあと思ったんですよね」
「自分の理想の女の子になろうと思ったんです。そう思っていた時期に、ちょうどディレクターの田村(充義)さんが担当になって、彼が持ってきてくれる企画や楽曲がまさにそれができるなっていうものだった。『この曲ならこういう格好ができる、こういう髪型でもオッケー』みたいな。田村さんは時代や人を見る力があるので、そういう感覚がピタッと合ったんでしょうね」

で、『MEKURU』にはその田村さんのインタビューも。


「『まっ赤な女の子』から、25年間小泉さんを担当しました。アイドルの制作は初めてだったので、どうやるべきかを考えましたが、結果が出なかったらどうせクビになるんだから、だったら自分が面白いと思うことをやろうというところからスタートしました。82年組のアイドルの中で、当時はまだ5番手、6番手でしたから、事務所の方も大目に見てくれたんだと思います。だから、まずはじめに僕がやろうとしたのは、他のアイドルとの差別化でした」
「糸井重里さんが大活躍されているキャッチコピーの時代でしたので、シングルのタイトルをキャッチコピー化したんです。キャッチコピーのようなタイトルのシングルを作り重ねることで、彼女のイメージが固定化されるんじゃないかと」

というわけで「まっ赤な女の子」から、かなり印象的なタイトルの曲が作られるようになります。そんな中に、ある人たちにとってオッと思わせるようなタイトルの曲が登場します。

「渚のはいから人魚」「ヤマトナデシコ七変化」、アルバムに収録された「颱風騎士(タイフーンナイト)」。

はっぴいえんどの『風街ろまん』に収録された「はいからはくち」、「暗闇坂むささび変化」、「颱風」をパロディにしたようなタイトル。そしてまもなく松本隆さんにも作詞を依頼するようになります。

そう、田村さんは昔からのはっぴいえんどファン、そして「ゴー!ゴー!ナイアガラ」時代からの大瀧さんファン(ナイアガラー)だったんですね。大瀧さんがよくラジオ関東時代の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を聴いていた人に業界に入った人が多いと語られていましたが、田村さんもその一人でした。


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by hinaseno | 2017-01-23 12:58 | 雑記 | Comments(0)

「花屋」の話


『最後から二番目の恋』を見終えて、小泉今日子さんに関心をもって手に取ったのが昨年出た彼女のエッセイ集『黄色いマンション 黒い猫』。装丁は和田誠さん。和田さんが描かれた小泉さんのイラストを見るのは、和田さんが監督を務められた『快盗ルビイ』(主題歌を作曲されたのは大瀧さん)以来。

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この表紙の絵を見てエッセイの最初に収録された表題作を読むと誰もが驚くことになります。その内容は書きませんが、たぶんそのエッセイを読まれたはずであるにもかかわらず、あえてこのような絵を描かれた和田さんはやはり素晴らしいなと思わずにはいられませんでした。エッセイを読んで改めてこの絵を見ると心が震えます。


さて、昨日読んだのは「花や 庭や」というエッセイ。こんな書き出しでした。


 休日の夕方は、商店街をぶらぶら歩く。スーパーで晩ご飯の食材を買って、タバコ屋で中南海をワンカートン買って、薬屋でお化粧用のコットンを買って、酒屋で冷えた白ワインを買って、最後に花屋で自分のために好きな花を選んで買う。

小泉さんも近所の商店街を歩くのが好きみたいですね。商店街を歩いていろんな買い物をしている小泉さんの姿を想像するだけでうれしくなります。いったいどこの商店街を歩いているんでしょうか。少し前に読んだエッセイではいろんな商店街を歩いて昔ながらのいい喫茶店を探している話もありました。いつか平川克美さんの隣町珈琲を見つけられるかもしれません。

そういえば『銀座二十四帖』に関して、僕のブログを読まれた平川さんからとても興味深い情報をいただきました。


『銀座二十四帖』の主人公のコニイ(三橋達也)は銀座(新田銀座ではなく本当の銀座)で花屋を営んでいます。実はあの武蔵新田の新田銀座にあるサロンひとみから朝帰りする若い男性が働いているのがこの花屋。彼はサロンひとみから出た後に、店で売るための花を積み込むために花を栽培している場所に向かいます。そこは武蔵新田からそんなに遠くない場所。映像とともにこんなナレーションが出てきます(聞き違いがあるかもしれません)。


ここは多摩川の温室村。バラ、カーネーション、ラン。花木類は伊豆、川崎、川口、西新井、沼田付近、そしてここ多摩川のヒルタ付近で朝早く積み込まれます。

実はこの「温室村」というのは地名だとは思っていなかったので聞き流していたのですが、そんな地名があったんですね。そのあとに語られる「ヒルタ」という地名は探したのですがわかりませんでした。

その温室村という場所があったのが現在の田園調布5丁目あたり。東京時層地図を調べたら高度成長前夜(昭和30-35年)の地図に温室村がありました。

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これが映画に映る温室村の風景。花を積み込んでいるトラックはサロンひとみの下に置いてあったものと同じ。

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ところで、僕のもっている『写真で見る日本 15 関東編 東京(1)』(昭和32年発行)に温室村の写真が載っていました。一応観光名所にもなっていたようですね。

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ちなみにこの本の表紙は銀座の中心街。あの服部時計店の時計台の向こうにアドバルーンが上がっています。下には路面電車。なんともいい風景です。

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さて、平川さんによると今も温室村というバス停があって、実は平川さんは以前、その近くにお住まいだったそうです。しかも驚いたのは、小泉今日子さんが結婚されていたときに住んでいた家もすぐお近くだったとのこと。びっくりですね(さらにもっとびっくりな話も教えていただきました)。

小泉さん、温室村で栽培された花を買われていたんでしょうか。


ところで、映画では花を積み込んだトラックが銀座に向かうこんなシーンが映ります。どこを通っていってたんでしょうか。平川さんによれば武蔵新田を通るルートではないかとのことですが果たして。

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by hinaseno | 2017-01-22 13:08 | 雑記 | Comments(0)

ついにトランプさんがアメリカ大統領に就任。未来は一体どうなるんでしょうか。

なんだか暗澹たる気持ちになってしまいます。あのShe & HImの歌詞にも登場したジェリー・ブラウンさんが知事を務めるカルフォルニア州が独立に向けて動いているという話も出てきていますね。

日本でもこれ以上ないほどいじめられている沖縄も独立するような未来がやってくれば希望が見えてくるのだけど。でも、絶対にそんなことはさせないためのさらに恐ろしい法律が作られそうで心が暗くなります。


そんな暗い話が多く続く中、あちこちから心を明るくしてくれる驚くようなうれしいものが届けられています。どれも信じられないようなものばかり。心から感謝です。それらが僕にとって今と、少しだけ先の未来を幸福にしてくれることだけは確かです。いずれも古い時代に関するものばかりだけど。


未来といえば武蔵新田商店街の「未来門」。なんだかここが僕にとって大切な場所になってしまいました。このアーチをくぐって新田神社の前を過ぎれば「希望門」。未来と希望をつなぐ場所。


牛窓を舞台にした想田和弘さんの映画『牡蠣工場』が受賞したソレイユ・ドール(金の太陽賞)に、中井貴一主演の映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』も受賞していたことを知って、久しぶりに録画していた『RAILWAYS』を見たくなって、今見ているところ。これは大好きな映画。映画のストーリーもそうですが、一畑電車の走る風景はたまらないものがあります。

ところで録画していたのは昨年の10月くらいに日本映画専門チャンネルで放送されたもの。実はそれ以前に録画(NHKのBSで放送されたものだったかな)したものをもっていたのですが、今回また録画したのは映画の前後で中井貴一のインタビューがあったから。

中井貴一は大好きなんですね。俳優として、というよりもエンターテイナーとして。この人の喋りは本当に面白くて、彼の笑いのセンスには驚かされるばかり。


そういえば年末に内田先生の下丸子に関して書かれたブログを読んで、小津安二郎の『お早よう』が下丸子でロケされていたことを知って、たぶんみんなが紅白を見ていた頃に僕は『お早よう』を見ていました。小津の、晩年の映画の中では異色作。ほとんどコメディ。

主演は佐田啓二。そう、中井貴一のお父さんです。この映画の2年後に中井貴一が生まれています。映画を見る限り、佐田啓二は下丸子には来ていないかな、という気がしました。

『お早よう』を見た後で、中井貴一の作品を見たくなって、正月になって見始めたのが、日本映画専門チャンネルで『RAILWAYS』と同じ時期に放映された『最後から二番目の恋』というドラマ。これも録画したまま見ていなかったんですね。

主演は中井貴一と小泉今日子。そう、相手役が小泉今日子さんというのがポイントでした。このドラマはコメディなんですが、あの中井貴一と驚くほどの言葉数のやりとりを見事にこなしている小泉今日子さんの演技の素晴らしさに心を打たれてしまい、すっかり小泉さんファンになってしまいました。


ということで次回から小泉今日子さんの話をちょっと書いていこうと思います。一応最後は「未来」という言葉に繋げようと思っていますが、いろんなことを書いているうちに予定外の方向に行くかもしれません。武蔵新田の話も、まさか未来門に行くとは思っていなかったので。


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by hinaseno | 2017-01-21 12:26 | 雑記 | Comments(0)

大瀧詠一さん繫がりで…


内緒にしておこうかと思っていた話ですが、いい機会なので紹介することにします。それは、わがナイアガラ・トライアングル・ステーションの千鳥駅近くにお住まいだった平川克美さんが書かれたエッセイのこと。平川さんが書かれたものは内田樹先生のブログ上でされていた往復書簡で知って以来、出版されてきたものは可能な限り追ってきました。ただ、ここ数年、さすがに追いきれなくなってきて、単行本として書籍化されるのを待つという形になりつつあります。

その平川さんが最近、『望星』(東海教育研究所発行)という雑誌に「路の記憶」という連載を始められたことは知っていましたが、この雑誌、どこの書店に行っても置かれてないんですね。

まあこれも単行本に収められるのを待とうと思っていたものの、ちょっと気になって雑誌のサイトを調べたら、なんとこの雑誌に川本三郎さんと池内紀さんの対談が3か月おきに連載されていることがわかったんですね。というわけで川本三郎さんと池内紀さんの対談が載った号を取り寄せました。対談が最初に載ったのが2016年3月号で、その号に掲載された平川さんの「路の記憶」を読んだらこれがびっくり。なんと僕のことが…。

この日のエッセイのタイトルは「晩年に暮らしたい町」。これだけでピンとくるものがありました。そう、この日のブログで書いた牛窓の話ですね。平川さんのエッセイも牛窓の話。

こんな言葉からエッセイが始まります。最初に出てくる言葉は例の「池上線」。


 池上線沿線に住み、仕事場も五つ先の駅から数分のところに引っ越してきて以来、生活圏が縮まってほとんど半径1キロメートルの外へは出なくなってしまった。
 そんなわけで、めっきり旅をする機会も減ったのだが、一度だけ訪ねた岡山県がらみの話題が、身辺に何度か持ち上がってきて、これはどんな因縁なのだろうかと頭を捻っている。わたしは、岡山にはほとんど何の繋がりもないのだが、岡山へ行って以来、様々なものが磁石が鉄粉を吸い寄せるように繋がってくるのである。

で、このあと「牛窓」の話に。もちろん川本三郎さん(と奥さん)の話も出てきます。うれしくなってニコニコしながら読んでいたらこんな言葉が出てきたんですね。


大瀧詠一さん繫がりで知り合った知人も、川本ファンで、よく「牛窓」の記事をブログに書き、現地報告をしてくれていた。

この「大瀧詠一さん繫がりで知り合った知人」って間違いなく僕のこと、ですね。びっくりやらうれしいやら。思わず飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになってしまいました。「大瀧詠一さん繫がりで知り合った」というのがなんともうれしい。正確に言えばこの間にアゲインの石川さんが入るわけですが。

話はこのあと平川さんがパンフレットに文章を寄せられた想田和弘さんの牛窓を舞台にした映画「牡蠣工場」のことに。

そういえばその「牡蠣工場」、つい先日、毎年フランスで開催されている日本映画祭の最高賞であるソレイユ・ドール(金の太陽)賞を受賞されたんですね。ここにその記事があります。

このソレイユ・ドール、過去に受賞した作品を見たらなかなか興味深い作品が並んでいます。2010年には中井貴一主演の大好きな映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』が受賞しています。

「牡蠣工場」、はやくDVDになってほしいですね。未公開部分を入れたボーナス映像があれば最高です。帯はもちろん平川さんで。


さて、平川さんのエッセイはこんな言葉で終わります。


これで、わたしはどうしても、「牛窓」に行かなければならなくなった。

といことで、それから間もなく平川さんは牛窓に来られたんですね。

平川さんの牛窓、岡山がらみの話をまとめた本もいつかぜひ出してほしいです。


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by hinaseno | 2017-01-19 12:40 | 雑記 | Comments(0)

「未来門」のすぐそばに


昨夜、アゲインの石川さんと電話。いろんな話をしましたが、中でも驚いたのは、僕がブログに貼った例の「未来門」の写真に、つい先日のアゲインでのイベントに参加されていた方の店が写っていたとの話。

その方に、僕のブログに載っている写真を見せて「これ、君の店だろう」と言われたそうです。店の名前をうかがったら確かに写ってました。

こんな偶然信じられます? びっくりすぎますよね。

とはいいつつ、石川さんも僕も、もうこんなことには慣れっこになっているので、結構普通に話していましたが、後で考えたらやはりこれはすごすぎる話だなと。

ただ、僕の推測が正しければ、その方の店は例の「サロン ひとみ」の隣の「○○モーター商会」と書かれている場所ということになるのですが、○○と現在そこにある店の名前(その方の名前をそのまま店の名前にしています)が違っていることは確認していました。その方のお店は代々続いているとのことなので僕の推測は外れていた可能性もあるのかなと思いますが果たして。その方がそのあたりの古い写真をお持ちであれば一番いいのですが。

いずれにしてもいつかは未来門をくぐって新田神社にお参りしておかなくてはならないような気がしてきました。


ところで偶然といえば、僕が武蔵新田に関する話を書く前にブログで長々と書いていたのはロス・バグダサリアンというアーティストのこと。

先日、久しぶりに中古レコード屋さんに行ったら、棚の目立つところにこのレコードが置かれていてびっくり。

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『The Mixed-Up World of BAGDASARIAN』というアルバム。ロス・バグダサリアン名義のたぶん唯一のこのアルバムが出ていたことは調べていて、海外のサイトに注文しようかと考えたりもしていたのですが、まさかこんな形で出会うとは、でした。

なかなか面白いジャケットですが(手前に写っているのはエリマキトカゲですね)内容はイマイチでした。彼の地声は正直あまり魅力的なものではありません。


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by hinaseno | 2017-01-18 13:52 | 雑記 | Comments(0)