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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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「時に君、ちょっと、ここから外を見てみない。いい見晴しだよ。」菅田は立って障子をあけた。
 ...
 なるほど、障子の外は素晴しい見晴しであった。さっき白河が石段の上で振り返った眺望よりも更に全幅的な眺望であった。すぐ下は崖になっていて、それからずうっと谷合のような低地に黒々と人家が密集し、向うに行くほどずうとせり上っていて、その一番上のところに、白いセメントの建物が置物のようにのっかっていた。満天に星が乱れ咲いていた。燈火の数はさっきよりも幾分少いようではあるが、それでも何千何万という屋根を敷きつめた広大な海原にわたって、きらきらと数限りなく煌めき合っていた。これは空の星を撒いたんだ、と白河はもう一度感嘆した。それにしても、撒かれた美しい星の棲むこの街には、どんな人たちが生活を営んでいるのだろう。
「僕はこの街の灯を見ていると涙が出るよ。」菅田は暗い外に顔を向けたまま言った。
 ...
「あすこの谷のまん中あたりに、がっちりした建物が見えるだろう。——見えないかな。昼間はよく見えるんだが、兎に角赤煉瓦のがっちりした建物が四棟か五棟あるんだ。あれが名高いK印刷所だ。職工が何千人といるんだよ。このあたりの人達は直接間接あの印刷所で食っているんだ。」
 それでは、あの星といっしょに棲む人たちの大部分は、あすこの工場で働いている男や女たちにちがいない。或は、それらの人たちを相手に商売している薬屋やおでん屋や散髪屋たちにちがいない。
「じゃあ東京で指折りの貧民街ですね。」
「そうさ。どぶは汚いし、雨が降りゃ直ぐ水が溢れるし、手に負えないところだよ。」
「それにしても灯だけは流石きれいですね。」
「そりゃ、きれいさ。いくら貧乏でも汚くても、心までは汚くなりゃしないさ。むしろ無邪気できれいだよ。つまり灯は心の表現だね。」

これは上林暁の「星を撒いた街」の最も印象的な場面。夏葉社から出版された『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』に収められた作品の中でいちばん気に入ったのが、表題作でもある「星を撒いた街」でした。作品が発表されたのは昭和6年。『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』に収録された中では最も古い作品でした。
ちなみに夏葉社から出た『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』は『おかしな本棚』に写真が載っていた『星を撒いた街』(白鳳出版社)の復刻ではなく、編者である山本善行さんがいろんな時代の作品の中から選んだもの。最初に選ばれたという「花の精」の収録された『武蔵野』はこの夏、ようやく手に入れて読むことができました。

上林さんの作品をそれほど多く読んだわけではありませんが、個人的には、木山捷平と同様に、昭和初期に書かれた作品に強く惹かれるような気がします。そういえば万歩書店平井店には『上林暁全集』がバラ売りされていたので、今から思えばその第1巻と第2巻くらいは買っておけばよかったなと後悔。

さて、夏葉社つながりの偶然といえば、この春、姫路のおひさまゆうびん舎でお会いした世田谷ピンポンズさんのことを書かないわけにはいきません。そのピンポンズさんにお会いして、少し話をさせていただいたときに、どんな作家が好きですかとうかがったら即座に答えられたのが上林暁さんでした。もうひとり、尾崎一雄の名前を挙げられたように思います。上林さんのファンだとわかって嬉しくなったので木山捷平の話をしたんですね。

で、話はもうふた月くらい前のことになってしまいましたが、8月のお盆休みにおひさまゆうびん舎に行ってピンポンズさんのCDを買ってきました。買ったのはこの日のブログでも、「先ずはじめに聴いてみたい」と書いていた『紅い花』、それから又吉さんが作詞をされた『アナタが綴る世界』も、芥川賞を受賞した余波で売り切れそうだったので。

帰りの車の中でまず聴いたのが『紅い花』。その2曲目に流れてきたのが表題作の「紅い花」でした。その歌詞が、まさに! だったんですね。
一応歌詞を引用しておきます。
紅い花

街を見下ろせる小高い丘の上で
星を撒いたみたいに光る街が見える
私 あれを見ているとなんだか泪がでるの
営みというのかしら なぜだか泪がでるの
足元には紅い花 ひとつ咲いている
僕と君の暮らすアパートの灯りも見えるかしら?
あの一つ一つに人の暮らしがあって
夢も嘘も現実もあの街の一部なのさ
僕もあれを見ているとなんだか泪がでるよ
生きている人たちの営みの光だもの

足元には紅い花 紅い花ひとつ
僕と君の暮らすアパートの灯りはあのあたりかしら
君の胸に赤い花 きっといつか咲くでしょう
それを夢と呼びましょう 星を撒いた街の隅っこで

「星を撒いた街」という言葉が出てくる通り、上林暁の「星を撒いた街」のあの風景を題材にして詞を書かれていたんですね。もちろん原作そのままの風景でなく、ご自身の生活風景に見事にうつし変えています。
「私 あれを見ているとなんだか泪がでるの」あるいは「僕もあれを見ているとなんだか泪がでるよ」というフレーズは「僕はこの街の灯を見ていると涙が出るよ。」という言葉からとっているんですね。こういう「折り込み」は大好きです。
後で調べたら上林暁の初期の作品に「紅い花」という題名の作品があることもわかりました。またいつか読める日がくればと思います。

『紅い花』を何度か聴いて一番気に入ったのは「ターミナル駅」。世田谷ピンポンズさんは”フォーク”ということですが、この曲はかなりロックしています。
又吉さん作詞の『アナタが綴る世界』は言葉数が多くて字余りだったので、むか〜し、フォークを聴いていた時代にたった一枚だけ買った吉田拓郎のLPに入っていた「ペニーレインでバーボン」を思い出しました。個人的にはタイトル曲の「アナタが綴る世界」よりもカップリングの「自転車を漕いだ秋」の方が詞も含めて気に入りました。

さて、その世田谷ピンポンズさんのライブが来月におひさまゆうびん舎で開かれます。万難を排して行く予定です。
何より聴いてみたいのは木山さんの詩に曲をつけた「船場川」。あの短い詩にはたしてどんなメロディを付けられているんでしょうか。
それから岡山人としては「チンチン電車の走る街で」もぜひ聴いてみたいです。願いは届くでしょうか。

ところで、偶然といえば、昨日は上林暁さんの誕生日だったんですね。信じてもらえないかもしれないけど、昨日上林さんのことを書いたのは「たまたま」です。
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by hinaseno | 2015-10-07 11:50 | 全体 | Comments(0)

大瀧さんとシリア・ポールとのつながりにいくつもの「偶然」があったのと同じように、夏葉社の『レンブラントの帽子』をきっかけにして、いくつもの「偶然」が作ってくれたつながりが生まれました。いくつかは以前書いているので、書かなかったことを。

夏葉社の3冊目は『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』。
『レンブラントの帽子』で夏葉社に興味を持ったとはいえ、僕が当時読んでいたのは海外文学ばかりで、昔の日本文学(特に私小説と呼ばれる分野)に対する関心は全くありませんでした。夏葉社の2冊目として関口良雄『昔日の客』が出ていたこともしばらくは知りませんでした。

東日本大震災によって受けた精神的なショックも癒えかけた2011年の初夏の頃、クラフト・エヴィング商會の『おかしな本棚』という本を買いました。新聞の書評でこの本のことを知ったような気がしますが、この本との出会いも自分にとってとても大きいものがありました。
本の中で紹介されていた本はほとんどが持っていないものばかりでしたが、僕が持っていた本もかなり多く入っていて、かなり自分の趣味と重なるものを感じて、それからこの本で紹介されている本を探す日々が始まりました。同時にクラフト・エヴィング商會(=吉田篤弘さん)が出されていた本も集めるようになりました。ブックオフではない古本屋巡りをするようになったのもこの本がきっかけでした。

最初はよく神戸に行っていました。クラフト・エヴィング商會の本のほとんどは海文堂書店で買いました(『おかしな本棚』でも海文堂が紹介されています)。
で、岡山の古本屋を調べていて知ったのが万歩書店でした。その今はなき平井店で見つけたのが『おかしな本棚』でも紹介されていた渡辺一夫訳の『ガルガンチュワ大年代記』でした。まさかこんなのに出会えるなんてびっくりでした。
『おかしな本棚』のそのページを開いてみたら、興味深いことに隣りが小津安二郎・野田高悟『お茶漬の味 他』、そしてその隣が上林暁『夏暦』となっています。何ともすごい取り合わせ。
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この3冊は全部揃いました。
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『おかしな本棚』では上林暁の本がもう2冊紹介されています。1冊が『晩春日記』、そしてもう1冊が『星を撒いた街』でした。
『おかしな本棚』を手に入れた頃は上林暁という作家のことはまったく知りませんでした。ただ、同じ作家が3冊も取り上げられているのは(「ゴー!ゴー!ナイアガラ」で同じ曲を3度かけるのと同様に)めずらしかったので、きっといい作家に違いないという予感はありました。当時僕が知らない作家で同じく3冊くらい取り上げられていたのが小沼丹でした。そこに紹介されていた『小さな手袋』がわりと早く手に入れることができて、それを読んで気に入ったので、とりあえず小沼丹を優先して探す日々が始まりました。古書店に行くと必ず「小沼丹の本はありますか」って言っていました。それが後に小沼丹ファンのたつののYさんと知り合うきっかけになったわけです。
でも、小沼丹を探しつつも、頭の片隅には上林暁がしっかりと入り込んでいました。

そんなときに夏葉社から出版されたのが『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』でした。
『レンブラントの帽子』で意識するようになった夏葉社とはいえ、『おかしな本棚』に載っていた上林暁の『星を撒いた街』を見ていなければ、『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』が目にとまることはなかったような気がします。で、その出版社が夏葉社と知って、ああ、あの夏葉社! となったわけです。
偶然の出会いには必ず”再会”があります。

で、ネットでは売られていなかった『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』の購入方法とかを調べていたときに、2冊目に『昔日の客』が出ていたことを知りました。この2冊を置いているとわかったのが岡山の万歩書店平井店。そのひと月ほど前に『ガルガンチュワ大年代記』を手に入れた店でした。
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by hinaseno | 2015-10-06 15:46 | 全体 | Comments(0)

「鳥たち」


「鳥たち」のことを考える日々。
ワタリガラス(Ravens)、ムクドリモドキ(Orioles)、ショウジョウコウカンチョウ(Cardinals)、ツバメ(Swallows)、カラス(Crows)、フラミンゴ(Flamingos)、ミソサザイ(Wren)、コマドリ(Robin)、ヒバリ(Lark)...。

つい先日、ネットのヤフーかなにかのトップニュースを見ていたら、NFL(全米プロフットボール)で、ボルチモアのレーベンズが勝利したとの記事。
レーベンズ?
もしかしたらと思って調べたらやはりRavens(レイヴンズ)のこと。ドゥーワップ・グループのThe Ravensと同じ名前。それにしてもレーベンズという表記はひどいですね。レイヴンズと表記されることもあるみたいですが。

ところで、そのレイヴンズのあるボルチモアといえば、メジャー・リーグのチーム、ボルチモア・オリオールズがあります。オリオールズは今年調子が良くて、強豪チームが集まるア・リーグの東地区でダントツの首位。地区優勝はもう間違いなし。今年はレッドソックスはだめだったので、オリオールズには地区優勝だけでなく、ぜひリーグ優勝してもらいたいなと。ちなみにドゥーワップのオリオールズもボルチモアで結成されています。歴史はドゥーワップのグループの方が古いんですね。
で、相手側のナ・リーグからは昨年同様にカージナルスが出てきてほしいですね。現在カージナルスも地区首位。カージナルスもリーグ優勝すれば、ワールドシリーズはまさにドゥーワップ対決。しかもいずれも鳥に関する名前。ユニフォームや帽子には鳥の絵があったはず。鳥たちの戦い。
そして最終的にはオリオールズが優勝して、NFLもレイヴンズが優勝ということになればボルチモアはドゥーワップの最初期のグループと同じ名前のチームがそろって全米を制覇することになります。ドゥーワップファンとしてはたまりません。

話はもう一つの「鳥たち」のこと。こちらは小説です。
雑誌『すばる』の最新号に掲載されたよしもとばななさんの新作に、青葉市子さんの歌詞が引用されていると知り、早速購入。新作のタイトルは「鳥たち」。
果してどんな曲のどの部分の歌詞がどんな形で引用されているんだろうと思ったら、冒頭、いきなりでした。引用されているのは青葉さんの最新アルバム『0』の1曲目の「いきのこり●ぼくら」という曲。歌詞はほぼ全部が引用されていました。
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よしもとさんはどんな意図でこの歌詞を引用したのかと考えながら読み進めましたが、どうやらよしもとさんはこの青葉市子さんの「いきのこり●ぼくら」という曲にインスパイアされて、この「鳥たち」という小説を書いたようです。タイトルの「鳥たち」も「いきのこり●ぼくら」の最後の部分に

出てくる言葉。
新しい亡骸を 峡谷へ落とす
鳥たちがすかさず啄んで 空高く 運んでく
毎日の風景 ずっとつづくね
慣れなきゃ、
いきのこり ぼくら、

ここに出てくる「峡谷」も作品の中に大事な場所として登場します。あるいは「慣れなきゃ」という言葉も。もう少し言えば、青葉さんの他のアルバムに収められた曲のタイトルや歌詞に使われている言葉もちりばめられています。たまたま、ではないでしょうね。やはり意図されてのこと。
よしもとさんも青葉市子さんの作品に衝撃を受けられたひとりなんでしょうね。そして、その衝撃から心にわいてきたものを小説という形にされた。

主人公の女の子は歌手ではなく演劇をやっている大学生。年齢は青葉さんと同じくらい。で、主人公の女の子が付き合っている(ちょっと一口では説明しづらい関係)男の子はパン屋で働いています。タルマーリー以来パン屋のことが気になっていたので「天然酵母」とか「菌」とかが出てくるとにっこりしてしまいます。

実はよしもとばななさんの小説を読むのは久しぶり。尊敬する河合隼雄さんがよしもとさんの作品を(村上さんと同様に)高く評価されていて、河合先生のおすすめの本を何冊か読みました。
そういえば、河合先生は、ときどき「魂」ということを考えた方がいいということを常々主張されていました。ただ「魂」というのは文章化するにはあまりにも漠然とした、そして難しい言葉。それを文章化する過程で河合先生は倒れられたのですが。
今回のよしもとさんの作品にはその「魂」という言葉がキーワードのように出てきます。主人公の女の子は「魂」が見えてしまう子。彼女は彼女に(本人たちには気がついていない)ねたみの言葉をぶつけてきた人たちに心の中でこんなことを語ります。
「魂は汚い餌で生きていると餓鬼になって、もっとごみをあさりたくなる。ささいなことのようだが、けっこうな流れができてしまうものだ」
考えてみると青葉さんの曲はこういう言葉を突きつけてきているように思えなくもありません。

ところで、よしもとさんが冒頭で引用している「いきのこり●ぼくら」の歌詞、最後が読点「、」で終わっているんですね。そうだったっけと思って、CDに収められた青葉さん直筆の歌詞カードを確認。
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他の曲の最後はピリオドのような点で終わっていますが、確かにこれだけはちょっと長い。さらさらっと書いたら線が伸びた形になってしまっただけのように思えなくもありません。
「毎日の風景 ずっとつづくね」ということで、終わりのピリオドではなくて読点にしたんでしょうか。その前の「慣れなきゃ」の後の読点(これははっきりと読点になっています)も青葉さんにしてはめずらしい。

いずれにしてもざっと歌詞カードを見ていたときには気がつかないことでした。日常の生活に読点を打って、魂のことを考えてみなければ。鳥瞰的な目を持って。

そういえば、河合先生の本をよく読んでいた時期に、写真家で冒険家の星野道夫の本もよく読んでいました。彼がずっと取り組んでいたテーマがワタリガラスの神話のことでした。僕がワタリガラス(=raven)という鳥を知ったのは彼の本がきっかけでした。

星野がアラスカで偶然出会って親しくなったインディアンのボブ・サムに、ある日星野はこう訊ねます。
「ボブはどこのクランなの?」

クランとは家系のようなものですが、インディアンの神話では、どの家系の始まりも動物の化身ということになっています。ボブはこう答えます、
「ワタリガラスだよ……」

それを聞いて星野は、「ああ、やっぱり」と思うんですね。ちょうど彼がワタリガラスの神話について調べ始めた時期。でも、星野の研究は彼の突然の死によってピリオドを打たれることになります。

実はよしもとばななさんの「鳥たち」にもインディアンの神話が出てきます。いろいろとつながっていますね。
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by hinaseno | 2014-09-15 11:51 | 全体 | Comments(0)

2日ほど実家に戻っていました。
昨日の朝、実家で取っている山陽新聞を読んでいたら、大田区出身の作家である小関智弘の写真が目に留まりました。小関さんの新刊『どっこい大田の工匠たち』に関するインタビュー記事。
小関さんは大田区の町工場で50年間、旋盤工として働いていた人。その小関さんが作家になられたきっかけが書かれていました。結婚直後、小関さんの誕生日に、奥さんからプレゼントとして贈ってもらった『広辞苑』に「町工場」が載っていなかったためとのこと。
自宅に戻って『広辞苑』第4版を見たら、「町工場」という言葉がきちんと載っていました。「民家や商家と並んで町なかにある経営規模の小さい工場」と書かれています。小関さんの小さな努力が実ったんですね。
小関智弘さんの名前を知ったのは、同じ大田区出身の平川克美さん。前にも書きましたが平川さんも大田区の町工場で生まれた人。鉄工所ですね。大田区周辺には鉄工関係の町工場が多く、小津安二郎の『早春』にも鉄工所と思われる工場がちらっと写る場面があります。この場面ですね。
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小津といえば、先日、ブックオフに立ち寄ったら『小津安二郎 第二集』と題されたDVDボックスが、びっくりするくらいに安い値段で売られていました。どうみても新品。
僕は『第一集』は発売されてすぐに買ったのですが、『第二集』は、そこに収められた作品のほとんどをビデオやテレビで放送された時に録画したものや単品のDVDで持っていたので購入していませんでした。ただ、先日、ビデオからDVDに落としたものの画像(『晩春』)があまりにひどいことに気づいたので、いろんな意味でいいタイミングだったので購入しました。ラッキーとしかいいようがありません。
『第二集』に収められている作品は『晩春』『麦秋』『お茶漬の味』『早春』『東京暮色』。持っていなかったのは『東京暮色』だけ。どれも小津作品の中で最高に好きなものばかりです。
さて、昨夜、そのボックスの中に入っていたブックレットを読んでいたら、『早春』をはじめとして小津のいくつかの作品で助監督をされていた田中康義さんの話が載っていて、これがとても興味深く引き込まれてしまいました。
小津の映画の中に、何の説明もなく挿入されている場所を示す、おそらくは蒲田付近に住んでいなければ絶対にわからない固有名詞に触れた話。
『早春』についても2つほど書かれています。
一つ目は杉村春子さんが語っている、自分の亭主の過去の女道楽を語るこのセリフ。
「(小指を出して)これ......、駅向うの川っぷちにカフェーがあるでしょ。あたし、あそこだとばっかり思ってたら、そのとなりの玉突き屋のゲーム取りだったの。それを火の見の傍のアパートに住まはしてたのよ。その時分、うち矢口に住んでいたでしょ」

「矢口」という場所は平川さんの『隣町探偵団』で知りました。田中さんによると、この話に出てくる「川」は「呑川」とのこと。それから「火の見」とは火の見櫓。『隣町探偵団』のキーワードになる言葉がいくつも。

2つ目は淡島千景が池部良に言うこのセリフ。
「栄(雑誌編集者)さんね、鵜ノ木まで原稿とりに来た」

これについて田中さんはこう説明されています。
この鵜ノ木は、蒲田から東急の目蒲線で四つ目の駅で、ちょっと高くなるあたりに大学の先生などが住んでいましたから、知っている人には、原稿取りが現実的なこととして理解できます。

へえ〜でした。
それから『お早よう』では、台本には久我美子さんのこんなセリフが書かれているそうです。
「鉄工場の原っぱで」

このセリフに出てくる「鉄工場」はもちろん大田区にあった町工場。小津のことだから場所はきちんと設定していたはず。ただ、実際の映画ではそこの部分の言葉が変えられて「ガス橋」になっているようです。このガス橋も大田区の下丸子あたりの多摩川にかかっている橋とのこと。
小津はこうした誰も知らない固有名詞を何の説明もなく映画の中に入れているのですが、ここの固有名詞が示すロケーションはしっかりと現実を踏まえているとのこと。
改めて『早春』のシナリオを読み直してみなくてはと思いました。

ちょっと長くなってしまいましたので、残りは明日にでも。

ところで、これは自慢のものです。
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by hinaseno | 2013-12-02 09:57 | 全体 | Comments(0)

石川さんは内田先生、平川さんと中学からの同級生で、後に1977年に平川さんの始められた翻訳会社に内田先生とともに勤められるようになります。たぶん平川さんが会社を始められるということで旧知の信頼のおける人に声をかけられたのだろうと思います。中学校を卒業されてからはおそらくは何年かは会っていなかったようですから久しぶりの再会ですね。

その久しぶりに再会された頃、内田先生と石川さんはこんな会話を交わされています。お互いに音楽好きであることはわかっていましたから、音楽についての話をされるなかでのことだったんでしょう。内田先生(当時は先生ではありませんでしたが)が石川さんにこう告げます。たぶん静かに、ほかの人には聴かれてはならないような内緒声に近かったのではないかと思います。あくまで内田先生経由で読んだ(聴いた?)話をもとに勝手にイメージを膨らませただけのことですが。

「実は、今、俺、大瀧詠一という人に興味を持っているんだ」


この言葉を聞いて石川さんはおそらく目を丸くして軽い叫び声をあげながらこう答えます。うれしいよりも信じられない気持ちが強すぎて怒りに近い声になっていたかもしれません。

「なんでその名前を知ってるんだ!」


石川さんと同様、内田先生も「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を聴いていたんですね。当時、地方ローカルの、それも深夜に放送されていた番組を聴いていた人間はそんなにいなかったはずです。大瀧さんも当時は無名に近い人でしたから。石川さんも、内田先生もだれに話すことなく(話せる相手もなく)深夜ひっそりと聴いていた番組を、すぐ目の前の幼なじみが熱心に聴いているのを知ったのですから。

これが例えば、どちらかだけが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を聴いていて、再会した時に、最近おもしろいラジオ番組を聴いているんだって、もう一人に教えて二人で聴くようになったというのであれば、よくありがちな話として終るのですが、そうではないんですね。この二人の出会い方もナイアガラ的です。はっきりしていることは、この出会いがなければ、今の『大瀧詠一的』という番組は存在しえなかったってことですね。

ちなみに二人は社長である幼なじみの平川さんに、当時からずっと大瀧詠一という人がいかにすごいかをことあるごとに説き続けていたのですが、どうやら平川さんは自分から積極的に大瀧さんのラジオや音楽を耳に入れようとはされなかったようです。これも後のことを考えれば重要な要素ではなかったかと思います。三人ともが大瀧さんの崇拝者だったのではなく、一人はただの大瀧さんをただの年上の人としか見ていなかったということ。このことが『大瀧詠一的』というものを何倍もおもしろくしているんですね。

さて、先日の話に戻します。僕が別の時期に、何の関係もなくたまたま知り、それぞれに尊敬の気持ちを抱くようになった二人が僕の中でつながる日がついにやってきます。

a0285828_10501249.png内田先生が『ユリイカ』に文章を書いてからほぼ1年後の 2005年8月21日。その日、内田先生が大瀧さんと対談したんですね。そしてその場に同席したのが石川さん。これがその日の内田先生のブログに載っている写真です。真ん中が大瀧さん、左が石川さん、右が内田先生。

たぶん、この日かその2日前に書かれた内田先生のブログを読んで、僕はそれ以前にも内田先生のブログで何度も登場していた石川さんという人を確認したように思います。たぶん、内田先生のリンク・ページで、それ以前から見慣れていた石川さんのページに入ったんだと思います(僕は日頃どんな人であれリンク・ページを見ないんです。きっとそういう形で、秋につながりを知るというのが好きではないんでしょうね)。びっくり、ってものではなかったですね。まったく何の関係もなく手にとったものがつながるというのはときどきは起こるものだとは思います。でも、この結びつきは僕の中ではあまりにも奇跡的な物語でした。世の中はいったいどうなっているんだろうと思いました。

a0285828_10521824.jpgちなみにこの日の対談は2005年の11月に発行されたKAWADE夢ムック『総特集 大瀧詠一』に収録され、昨年出たKAWADE夢ムック『増補新版 大瀧詠一』に再録されています。ただ、いずれも収録日の日付は2005年8月16日となっていて、間違っていますね。

ところで、また話が少しそれますが、大瀧さんが長嶋のファンであることは前にも書きましたが、その長嶋がドラフトでくじを引いて、まさに手塩にかけて育てた松井秀喜選手に対しても大瀧さんはデビュー当時から関心を持たれていて、この日の対談でも音楽の話の中で松井に少し触れています。

「松井でも打席に入る前にスウィングしているだけで調子がわかる。今日は上手く歌えそうだとかダメだといったことは歌う前にわかるんだよね」


大瀧さんは、松井のことをまるで自分の息子を見るようなまなざしで見続けていました。松井の引退に関しての大瀧さんの言葉がどこかで聴けたらと思っています。

さて、話はもう少し僕にとって驚くような方向に進んでいきます。

a0285828_1055303.jpg僕が毎日見続けていたブログの1つに、ペット・サウンズというレコード店の「今日のこの1曲」というものがあります。店長の森勉さんは、音楽雑誌でレコード評などを書かれている人で、昔から知っていて、あるときにこの店のサイトがあるのを知って毎日見るようになっていました。たった1度だけですが通販で購入したこともあります。The Teen Queensというグループの『Eddie My Love』というCD。たぶん、その日の「今日のこの1曲」に紹介されていて欲しくなって買ったんだと思います。また、偶然の話を書いてしまいますが、昨夜、いろんな作業が終ってやっとゆっくりできたので、少し前に石川さんから送っていただいた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の1976年3月23日に放送されていたものを聴いていたら、このThe Teen Queensの「Eddie My Love」という曲がかかっていました。別に僕が希望したものではないのですが、本当に不思議です。

話がまたそれてしまいましたが、ペット・サウンズのブログを見ていたある日、店のあった場所のビルを取り壊すということを知りました。店はどうなるんだろうと心配したら仮店舗を作って営業が再開、それからしばらくして新店舗が東京の武蔵小山に作られ再オープンします。2007年の3月。調べてみたら、僕がペット・サウンズ・レコードでCDを買ったのはこの年の4月。やはりお店の再開がうれしかったんでしょうね。

驚いたのは、ペット・サウンズが再オープンしたとき、そのペット・サウンズのビルの地下1階で、なんと石川さんが店を開くことになるんですね。それがライブ・カフェ・アゲイン。これにも本当にびっくりしました。

で、この年の暮れにそのアゲインで、内田先生、石川さん、平川さんの3人が揃って大瀧さんとの対談が収録されることになります。信じられないことが次々に続いて、ついにここまできたわけです。この日の音源がアップされたときは本当にうれしかったですね。大瀧さんの声が聴けるのももちろんうれしかったですが、石川さんの声を聴いたのもこのときがはじめて。そして内田先生、平川さん、石川さんの幼馴染みのノリも楽しかったですね。

そしてその『大瀧詠一的』も今年が5回目。ついに大瀧さんの、あの福生のスタジオに3人が行って収録ということに。これも僕にとっては感動的なことでした。もちろんうらやましくて仕方がないことでしたが、でも、自分もその場に参加できているような気持ちになれるものでした。

『大瀧詠一的』の楽しみ方を、もし一つだけあげるとするならば、内田先生や石川さんのような昔からの大瀧さんの崇拝者とは違って、大瀧詠一という人のことをほとんど知らない平川克美さんが、大瀧さんとの対談を重ねる中で、いくつもの(半端ではない)驚きとともに、しだいに大瀧さんの魅力に惹きつけられていき、大瀧さんを「師」と呼ぶようになるほどに変わっていく姿を見れることではないでしょうか。大瀧さんという人のすごさもあると思いますが、60歳を超えられて、なお、そのようになれる平川さんもすごいとしか言えません。

もし、まだ聴かれてない人がいらっしゃったら、ぜひ、第1回から聴いて欲しいですね。何を言っているのかわからないことが多いですが、でもおもしろいんです。で、おもしろくて何度も何度も聴いているうちにだんだんとものごとがわかってくる。そうすると、さらにおもしろくなるし、同時に大瀧詠一という人のすごさもわかってくる。僕も最初は映画の話とか、東京の町の話なんてちんぷんかんぷんでしたから。

内田先生と大瀧さんの対談の最後で大瀧さんはこう語られています。

「面白いのは内容じゃなくて語り口」


内容ももちろん面白いんですけどね。でも、語り口って大事です。

というわけで、この物語もとりあえずは今日で終りにします。きっと、だれも興味を持たれないような、僕個人の物語でした。でも、一度書いておきたかったんです。最後まで読んでいただいた人は、心より感謝します。

それから、石川さん、内田先生、平川さん、そしてこのような奇跡的なつながりを用意していただいた大瀧さんにも心から感謝の意を伝えたいと思います。

では、また来年。
よいお年を。
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by hinaseno | 2012-12-31 11:07 | 全体 | Comments(2)

  Polka Dots and Moonbeams


2日空いてしまいました。実は一昨日、少し書こうと思って朝パソコンに向かって電源を入れたら、すっと応援し続けてきた松井秀喜選手の引退の報道が。数日前から流れ始めてはいたのですが、まさか本当にそうなるとはと茫然自失状態に。ここに何か書こうかと思いましたが、言葉を上手くまとめられそうもありませんので、結局書けないままの2日間を過ごしました。松井選手(選手ではなくなったのですが)のことはまた改めて書きたいと思います。年下でしたが心から尊敬すべき選手でした。本当にご苦労様でした。そして心から感謝の意を伝えたいと思います。たぶん彼の後に応援する選手は出てこないだろうとずっと思ってきましたから、おそらくは野球はもうあまり見ることはないだろうと思います。江夏豊から始まった野球観戦人生もピリオドが打たれた気がします。

さて、この3日前の話に戻ります。
と、その前に、いきなり話はそれるのですが、いったい僕はいつパソコンを買ったのかと思って調べていて昨夜わかりました。

1998年7月29日。

村上春樹の『夢のサーフシティ』をきっかけにして、それを見るためにパソコンを買ったことは間違いなかったのですが、その発行日が1998年7月1日。発売されたのはその数日前だと思いますので(村上春樹の本はだいたい発売日に買っています)、一ヶ月くらいはどうしようかと悩んでいたみたいです。1998年7月29日 は平日でしたので買い物は午前中にしています。とすると、どうやら購入を決心したのはその前の日の晩。1998年7月28日。

その日はまさに大瀧さんの50歳の誕生日なんですね。われながらびっくりしました。偶然なのか、それをきっかけにしたのかは今となっては定かではありませんが。

パソコンでインターネットにつないだおそらくその日に、僕は石川さんのサイトに辿り着いていると思います。言うまでもなく大瀧さん関係の何かを検索している流れで。

辿り着いたページはおそらくここだと思います。大瀧さんの楽曲はいろんな曲を下敷きにしていることは知っていましたので、僕の知らないものがあるかどうかを探していたんでしょうね。で、ここで最も驚いたのが大瀧さんの『ロンバケ』の「Fun×4」という曲の下敷きソングとして取りあげられていたDick Hymanの「Polkadots and Moonbeams」という曲でした。

実はDick Hymanという人の「Polkadots and Moonbeams」は未聴なのですが、「Polkadots(Polka Dotsと分けて表記される場合が多いですが) and Moonbeams」はジャズのスタンダードで、大好きなビル・エヴァンズの特に好きなアルバムの1枚である『Moon Beams』に収められているまさにタイトル曲でしたから何度も何度も聴いていました。


いろいろ調べてみたらエヴァンスだけではなく何人もの演奏したもの、歌ったものを持っていて、耳に入れる機会は何度もあったはずですが、でも気づきませんでした。後で考えれば、例えばポール・ピーターセンの歌っているこれなんかを聴けば、もしかしたらつながったのかもしれませんが、石川さんは映画の中でメドレーで流れてきたピアノで演奏されているものを聴いてピンときたのことでしたから、驚きました。

大瀧さんの下敷きにしている曲でも、アメリカン・ポップスやイギリスの60年代の曲であれば知らなくてもちっとも驚くことはなかったのですが、僕がある時期から聴くようになっていたジャズのスタンダードを下敷きにして大瀧さんが曲を作っていたというのは、目から鱗の発見でした。もちろんそれを発見したのは石川さんだったのですが。

それから、折りをみては石川さんのサイトを拝見するようになりました。最初はずっと「ウゴウゴ・イナガラヤ・スペシャル」ばかり見ていましたので、僕にとっては「ウゴウゴの人」と心で呼んでいました。サイトのあちこちに石川さんの名前があったのですが。

サイトを拝見するようになってすぐにわかったのは、石川さん(ウゴウゴの人)は大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」をリアル・タイムで聴いていた人だということ。言うまでもありませんが「ウゴウゴ・イナガラヤ」は「ゴー!ゴー!ナイアガラ」をもじったものですね。もちろんDJのニーチ・ショウタキも大瀧さんがDJをするときの呼称である「イーチ・オータキ」のもじりですね。それだけでも、大瀧さんへの敬愛のほどがよくわかりました。こんなことを言ってはあれなのですが、大瀧さんの下敷きソングを発見した人の多くは(というかほとんどと言ってもよかったのですが)、かなり上から目線的に紹介していることが多く、そういうのを読むと、いつも不愉快な気持ちになることの方が多くて、そういう人のは後は読むことはしなくなったのですが、石川さんは違っていました。

で、石川さんは「ナイアガラ下敷きソング特集」で「Polkadots and Moonbeams」を指摘したことで、大瀧さんから「正解」というメールをいただいたことを知ります。大瀧さんと石川さんの交流はそこから始まったようですが、うらやましいと思うと同時に、大瀧さんにメールを送っても大丈夫と認められるだけの人だということを確認できたような気がして、尊敬する気持ちを強く持ちました。

石川さんのホームページには今でも、

このHomepageを初めてご覧になった記念に、是非、右のスタンプを押してみてください!お礼のメールをお送りします。


との言葉があって、何度もこのスタンプを押してはメールを送ろうとしたのですが、それができないまま、今年まできていたわけです。

さて、「Polka Dots and Moonbeams」という曲。メロディだけでなく、詞もかなり「FUN×4」とかぶっているところがあります。「FUN×4」は作詞松本隆となっていますが、詞のかなりの部分を大瀧さん自身が書かれているそうです。きっと「Polka Dots and Moonbeams」の歌詞のイメージをもとにして書かれたんでしょうね。
「Polka Dots and Moonbeams」はこんな歌詞です。とってもロマンチック。

ある庭で、いなかのダンスパーティーが開かれていた
誰かがぶつかったような気がしたら、こんな声が聞こえてきた「あら、ごめんなさい」
突然、僕の目に飛び込んできたのは水玉模様と月の光
あっというまに夢のようにきれいな「とがっていない鼻をした彼女」に夢中になった

音楽が始まって、僕はどうしようかと戸惑っていた
呼吸を整えて、こう言った「次に僕と踊ってもらいたいのですが?」
おびえて震えている僕の腕の中には水玉模様と月の光
夢のようにきれいな「とがっていない鼻をした彼女」の上できらめいている

僕たちがフロアをさまよっていたら
ほかの踊っている人たちの目には疑問が浮かんでいた
どんなに疑問があっても僕の心はすべての答えを見つけていた
そしてたぶん、それ以上のいくつかのことも

今、ライラックの花と笑いに包まれたコテージにいて
僕は「Ever after(それからずっと)」って言葉の意味を知っている
夢のようにきれいな「とがっていない鼻をした彼女」にキスするたびに
僕はいつでも水玉模様と月の光を目にすることになるだろう


最後に大瀧さんの「FUN×4」を貼っておきます。
歌詞も含めて聴き比べてみてください。「コテージ」という言葉も出てきます。
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by hinaseno | 2012-12-30 12:43 | 全体 | Comments(1)

内田(樹)先生の本の書評に目を留めて、内田先生、平川さんに関心をもちはじめた翌年の2004年から事態は驚くような方向へ動いていきます。僕にとっては嘘みたいとしか言いようがないのですが。

僕が気にとめ始めてからでも内田先生は大瀧さんに関してたくさんの文章をあちこちで書かれました。それらはそれまでに大瀧さんの音楽について書かれたものとは全く異なる、はっとさせられるようなものばかりでした。特に大瀧さんの音楽と村上春樹の文学を「倍音」というキーワードでつなげたところは見事というほかありませんでした。

a0285828_14574771.jpgそんな中で白眉だったのが、『ユリイカ』2004年9月号の「はっぴいえんど特集」に載った内田先生の文章でした。内容もさることながら、この本での内田先生の文章の位置づけですね。「はっぴいえんど特集」ということでしたから、まず、そのメンバーの最新の対談が順に載っています。

まずは松本隆さんと町田康さんの対談。次に細野晴臣さんと大里俊晴さんの対談。そして鈴木茂さんと安田謙一さんとの対談。

さあいよいよ次は大瀧さんの対談が...と思ってみると、ないんですね。他の3人のメンバーの最新の言葉が並んでいるのに、大瀧さんのだけがありません。で、そこに載っているのが内田先生の「大瀧詠一の系譜学」という文章。何、それって思った人は多かったでしょうね、きっと。

僕は内田先生のブログを読んでいて、たぶん内田先生が何度も告知されていたのでよくわかっていましたが、はっぴいえんどファン、大瀧ファンでこの本を手にとった人は、だれだ内田って? ってことで、もしかしたら怒りすら抱いた人がいたかもしれません。お前の文章なんか読みたくないよ、ってことで読まなかった人も多いのではないかと思います。でも、この文章、達郎さんとの新春放談ネタも含まれていて、めちゃくちゃに面白いんです。

で、言うまでもありませんが、大瀧さんもこれを読まれて内田先生という人に関心を持たれたはず。そして同時に大瀧さんは内田先生の文章の最後に書かれた次の言葉に目を留められたにちがいありません。そして、おおっと思わず言葉を出されたはずです。

「ナイアガラ関連の資料提供につきまして、30年来のナイアガラー・フレンドである石川茂樹くんのご協力に深く感謝します」


大瀧さんにとっては石川さんはすでによく知った人でしたから、おそらくこのつながりに驚くと同時に運命的なものを感じられたのではないかと思います。そのような「縁」をだれよりも大切に考える人ですから。

ちなみに僕はこの文章を読んだ時点では、まだ"あの"石川さんだとは気づいていませんでした。僕はその頃までは石川さんのことを個人的には「ウゴウゴの人(またはニーチ・ショウタキ)」という名前で心に留めていましたから。僕の中でつながったのはもう少し後でした。

さて、内田先生の「大瀧詠一の系譜学」は次のような言葉で締めくくっています。

「過去を歴史のなかに封印することなく、つねに活性化させ続けること。大瀧さんのこの方法論的自覚こそ、系譜学的思考の核心をひとことで言い切っていることばだと私は思います」


「過去を歴史のなかに封印することなく、つねに活性化させ続けること」

そう、大瀧さんは今もそれを実践され続けています。
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by hinaseno | 2012-12-27 15:01 | 全体 | Comments(1)

『東京ファイティングキッズ』の「おわりに」に平川克美さんはこんな言葉を書かれています。

「ビジネスにおいて最も大切なことのひとつは『繰り返される』ということであると僕は思っている」

「ささやかであっても繰り返し注文をもらうこと。繰り返し雇ってもらえること。繰り返し声をかけてもらうこと。こういった繰り返しがなければ、ビジネスそのものが成立しないのである。
そして、この『繰り返される』ということを担保するのは、戦略という好戦的なものではなく、むしろ見えない資産である『信用』というものである。
どんなに精緻な戦略的言辞を弄しても、「だまされた」と思えば顧客は二度と買ってはくれない。逆に信用が増えれば、この繰り返しは必ず拡大再生産される。あたりまえのことのようだが、戦略的な思考をしているとこの道理が見えないのである」


極めてまっとうな言葉ですね。でも、テレビなんかに出てくる経済学者やビジネスの専門家と呼ばれるたちから、僕はこんなまっとうな言葉をきいたことがありませんでした。そしてこの言葉には物語があります。ささやかな繰り返しを大切にする人たちの物語が。

a0285828_115029.jpgで、『東京ファイティングキッズ』が出て間もなく平川克美さんの最初の著書『反戦略的ビジネスのすすめ』が出版されます。正直僕はビジネス書には全く関心はなくて今まで一冊も買ったことはなかったのですが、でも、発売されてすぐに買いました。タイトルに「反戦略的」という言葉があるように、ありがちなビジネス書ではないこともわかっていましたしたから。

『反戦略的ビジネスのすすめ』には各章のはじめに、詩や小説からの一節が載せられています。 黒田三郎、飯島耕一、三木卓の詩、そして太宰治、シェイクスピア、岩井克人、メルロ=ポンティなどからの引用。普通のビジネス書(といっても全然読んでいないので確証はありませんが)とは全然違っています。
そして極めつけは第二章。村上春樹の『1973年のピンボール』です。内田先生同様、平川さんも村上春樹の大ファンだったんですね。引用されているのはこの言葉。

しかしピンボール・マシーンはあなたを何処にも連れて行きはしない。リプレイ(再試合)のランプを灯すだけだ。リプレイ、リプレイ、リプレイ……、まるでピンボール・げーむそのものがある永劫性を目指しているようにさえ思える。


まさにささやかな繰り返しを描いた場面ですね。『反戦略的ビジネスのすすめ』のこの章には1977年に(まさに大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を放送していた頃)平川さんは内田先生たちと「アーバン・トランスレーション」という翻訳会社を設立したことが書かれています。会社名を「ア」から始めるというのも極めてナイアガラ的です。会社名を決めたのは内田先生と、専務の〇〇さん(後ほど登場します)だったのでしょうか。

平川さんと内田先生が「アーバン」という翻訳会社をされていたことは『東京ファイティングキッズ』は内田先生の著書で知っていましたが、興味深かったのは、1980年に村上春樹の『1973年のピンボール』が発表されたとき、友人から「『ピンボール』のモデルは君たちではないのか」といわれたとのエピソードが書かれていたこと。『1973年のピンボール』に描かれた情景、あるいは小説の中で交わされている会話に、平川さんらがされていた翻訳会社と似通った風景がいくつもあったことが書かれていました。
もちろん、平川さんや内田先生も驚かれたかもしれませんが、僕自身にとっても、たまたま実家に戻っていたときに開いた新聞から関心を持った人たちが、僕の大好きな村上春樹に深くつながっていったのですから。運命的と思わざるを得ませんでした。

そしてここにはもう一つの運命的なつながりがありました。それがこの章に登場する「専務のイシカワくん」です。こんな紹介の言葉が。

「専務のイシカワくんは音楽への造詣の深い、優しい精神の持ち主で、最近60年代の音源を紹介する本を共同執筆し、出版しています」


「専務のイシカワ」さんはまさにこの時期に、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を深夜まで起きて録音されていたわけですが、平川さんの『反戦略的ビジネスのすすめ』を読んだ時にはちっとも”あの方”とつながるはずもありませんでした。
a0285828_113534.jpgちなみにここに書かれている「最近60年代の音源を紹介する本」とはこの『ゴールデン・ポップス』という本のことです。このシリーズの本は何冊か持っていて、もちろんこの本も買っていましたが、この「専務のイシカワ」さんが書かれているのを知ったのは今年のことでした。すみませんでした(誰に謝っているのでしょうか...)。ちなみにこの本の表紙の女の子(ルラルですね)が手に持っているのは大瀧さんの好きな「ティーンエイジ・トライアングル」ですね。今、気づきました。
(続く)


残念ながら明日から仕事でかなりハードな日々が週末まで続くことになりますので、このブログの更新は今までのように毎日は無理になりそうです。本当はこんなに長くなるとは思わなかったのですが、まあ「大瀧詠一的2012」がすべて配信されるまでに終ればいいかなと思っています。
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by hinaseno | 2012-12-24 11:06 | 全体 | Comments(0)

内田先生の本やサイトに書かれた文章を読んだとき、なんてまっとうな意見を言う人なんだろうと、心から感動したことを覚えています。この声はもっともっと多くの人に、できれば為政者と呼ばれるような人たちに届けばいいと心から思いました。それは、まもなくあっという間に実現することにはなったのですが。でも、僕が内田先生のサイト(最初はブログ形式ではなかったように思います)を見始めたときには、まだそんなにはカウンター数も多くなくて、「ちょうど〜件目の訪問者の人は証拠の写真を送ってください。粗品を進呈します」みたいなことも書かれていて、僕も何度か狙ったこともありましたがだめでした。当初はそんなふうなとても牧歌的、家庭的なサイトでした。
そういえば『子どもは判ってくれない』の書評には、確か内田先生がその本を最後に断筆宣言をされたと書かれていたような記憶があります。なんてもったいないんだろうと思ったりもしたのですが、結局、執筆活動を再開されます。考えてみると、内田先生はサイト(ブログ)で何度か断筆宣言をされています。結局は再開されて今に至っているのですが。
『大瀧詠一的』のどこかで、大瀧さんが、あてにならないことの喩えとして「内田先生の断筆宣言みたいなもので...」と語られていて、知らない人には「?」なのですが、僕はそれを聞いて思わず吹き出してしまいました。

さて、『子どもは判ってくれない』に「友達であり続ける秘訣」という文章があります。その友達として語られているのが平川克美さん。小学校5年生のときに内田先生が転校してきて平川さんと同じクラスになって以来の友達なんですね。平川さんはどうやらそのクラスを仕切っていたようです。二人はすぐに意気投合して仲良しになる。どうやら二人とも相当の悪ガキみたいですが、そのときの担任の先生がよかったみたいですね。
その文章には平川さんと最近(文章を書かれた2001年当時)の会話が書かれている。平川さんの会社が株でかなりの損失を出してしまったという話を聞いての会話。


「差損が出たらどうするの?」
「『ごめんね』って土下座する」
「『ごめんね』ですむの?」
「うん」


平川さんという人のキャラクターが出てますね。もともとこれはサイトに載っていたものが本になったものですが、こんな話、実名で書かれて大丈夫なのかなと思ってしまいました。考えてみれば、『子どもは判ってくれない』は「大人」というもののあり方を語っているのですが、当時50歳を過ぎた「大人」である人が、自分自身のまだ生きている友人のことを実名を出して、その友達関係のありようを語るなんてなかなかできることではないように思います。
『子どもは判ってくれない』にはこんな言葉があります。

私も平川くんも自分の中にある「曖昧な感覚」や「なんだか訳の分からない概念」を言語化することについてはずいぶんこだわりがある。だから、会ったときの話題はたいてい、「自分がうまく言えないこと」、「自分がそれを語る適切な語法をまだ習得していない心的過程」をめぐることになる。
ところが、まことに不思議なことではあるが、私が自分の中にある非常に言語化しにくい「思い」をようやく言葉にしたとき、平川くんから来る反応はいつでも「そう! それこそ、ぼくの言いたかったことなんだよ!」なのである(そして、当然ながら、平川くんが苦吟しつつようやく語りだす言葉はほとんどすべて「私が言いたかった、当のこと」なのである)。


本当にうらやましくなる関係。で、内田先生のサイトを見たら、すでにその平川さんと内田先生とのやりとりが書簡形式で続けられているのがわかりました。これを読んで僕はすぐに平川克美という人に惹きつけられることになります。内田先生と同じことを語っていてもちょっと表現の形がちがう。より文学的、物語的な語り口をもっているんですね。時に過激な内田先生の言葉を平川さんを通じて物語的に理解することができる。その意味では絶妙な関係だなと思いました。

このネット上での書簡形式の対話はのちに『東京ファイティングキッズ』という一冊の本になります(2004年10月発行)。
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ちなみに「東京ファイティングキッズ」というのはストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」がネタもととのこと。ラジオデイズの『大瀧詠一的』も最初は「大瀧詠一×東京ファイティングキッズ」になっています

さて、『東京ファイティングキッズ』という本の中で僕が最も好きなのは平川さんが書かれた「『縁側』的な共有地を持たない社会というのは非常にコスト高の社会になるのは言うまでもありません」という文章。昔の家によく見られた縁側の話から、社会、共同体のあるべき姿へと話は進みます。例えばこんな言葉に僕は線を引いています。

こういった自分のものであって、自分のものでないもの、あるいは誰のものでもないものに向き合うときひとびとはいくぶんかの遠慮といくぶんかの貢献、いくぶんかの愛情といくぶんかの距離をもってそれらを消費しようとするのだと思います。そこには暗黙の了解というものが働いており、それが、(村の井戸水を)汲み尽くしてしまうといった「共同体の悲劇」にブレーキをかけるベクトルとして働きます。


平川さんのこの考えは今でも一貫して持たれていて、表現の形を変えられては発信し続けられていて、全くその通りだと思うのですが、為政者には届かないというか、むしろそればかりか縁側的な部分をどんどん失くしてしまおうとする為政者を望む社会になっているように思います。残念というか哀しいと言うか。
(続く)
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by hinaseno | 2012-12-23 11:29 | 全体 | Comments(0)

子どもは判ってくれない


今から9年前のある日のこと、その日たまたま実家に戻っていて、実家でとっている地方新聞(山陽新聞ですね)を開いたら、書評欄があって、その中の内田樹という人の『子どもは判ってくれない』という本の書評に目に留まりました。

今でこそ本はよく読みますが、当時は何人かの好きな作家の本の新刊が出れば読むくらいで、新聞や雑誌の書評を熱心に見るようなことはありませんでした。でも、ときどきは本のタイトルや、あるいは表紙のデザインに目がとまって書評を読むことはありました。場合によってはそれで面白そうだなと思って購入することもありました。

『子どもは判ってくれない』には、たぶんいくつか僕が目をとめてしまう要素がありました。まずは何といってもそのタイトル。いうまでもなくトリュフォーの映画『大人は判ってくれない』をもじったものですね。トリュフォーの映画は小西康陽さんの影響でよく観ていましたので、そのタイトルの感覚に惹かれたのが最初でしょうか。
それから「大人」のところを「子ども」にしているところ。教育関係の仕事をしていましたので、当然、反応してしまいます。でも、タイトルに「子ども」とついているくらいで反応していたら切りがありません。やはり「大人は判ってくれない」の「大人」のところに「子ども」が入っているという面白さに惹かれたのだろうと思います。

もう一つは「内田樹」という名前。その少し前に僕はあるものに文章を書くことがあって、そのために考えたペンネームの1つにそっくりだったんです。
「樹」は「たつる」と読むのですが、たぶんそれを確認したのはずいぶん後だったと思います。僕は最初は「いつき」と読んでいました。
「樹」という字には昔から深い縁を感じていました。まずは何よりも木(樹)が好きで、昔から木の写真ばかり撮っていました。今でも車を運転していて、いい木に出会うとうっとりと眺めてしまいます。
それから当時僕が最も読んでいた2人の作家にはいずれも「樹」という字がついていました。いうまでもなく村上春樹、そして池澤夏樹。だからペンネームは「秋樹」にしようかとも考えたのですがちょっと語呂が悪い。といって「冬樹」はちょっと。
それから、もう一つ。僕にとって大好きな映画があってそれが岩井俊二の『ラブレター』なのですが、その主人公の2人の名前(同姓同名ですね)が「藤井樹」。「樹」は「いつき」と読みます。この印象が強くて結局僕は下の名前を「樹」としました。
名字は最終的にちょっと変えたのですが1字はかぶっていました。つまり3文字のうちの2文字が僕の最初に考えたペンネームと同じだったんです。著者の名前がどれくらいのサイズで載っていたかは定かではないのですが、「内田樹」という名前を見て、あっと思ったことは確かでした。しかも本のタイトルも、僕の気になるものが含まれていて、正直運命的なものを感じざるを得ませんでした。

運命的といえば、僕は実家に戻るのはせいぜい年に5〜6回で、しかも山陽新聞に書評が載る月曜日にいることはめったにありません。年に1回あるかないか。そんな中でこの書評に出会ったんですね。

で、書評で引用されたいくつかの言葉を読んで、自分の感覚にあまりにも近いものを感じたので、自宅に戻ってきてすぐに書店に行って本を購入しました。そして一気に読んでしまいました。まずは何といっても言葉のリズムの良さ。これほど僕にぴったりあったリズムで文章を書く人は他にはただ一人しかいません(それはあとでわかるのですが)。
そしてその内容。僕が心に思っていても言葉にできなかったような内容のことを、あまりにも的確に、しかもユーモアにあふれた表現を使って書かれていました。そのユーモアの感覚と思索の方法も僕には近しいものでした(それもあとでわかるのですが)。

で、僕は内田樹という人の当時出ていた本を買い込みました。『ためらいの倫理学』『『おじさん』的思考』『期間限定の思考』『疲れすぎて眠れぬ夜のために』...。そして、そのいずれかの本でその村上春樹と大瀧詠一という名前を何度も目にすることになります。内田樹という人も、僕の最も敬愛している2人の大ファンだったんですね。運命的な出会いに、さらなる運命が待っていたんですね。もちろん驚きましたが、僕が強く惹かれた理由もそこにあったんだと納得しました。

『子どもは判ってくれない』で、内田樹という人が神戸女学院の教授をされているということがわかりましたので(現在は退官されています)、僕は個人的に内田先生と呼ぶようになりました。それからその本には内田先生のホームページのアドレスが載っていて、その日から僕はほぼ毎日更新される内田先生のブログを読み続ける日々が始まります。
(続く)
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by hinaseno | 2012-12-21 10:50 | 全体 | Comments(0)