Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

カテゴリ:映画( 88 )



a0285828_14141140.jpg

三石のあの場所探し。
昨日書いた通り、ほぼ場所を特定することができました。
まずはその辺りの場所で撮った写真を。
a0285828_8374587.jpg

で、こちらは池部良と淡島千景が、三石の下宿から見ているとされた風景の写真。煙突の左に見える背後の山の形状が同じですね。
a0285828_838695.jpg

僕が撮った写真には山陽本線の線路が写っていません。前にも触れましたが、映画のこの場面は櫓の上の、カメラの位置まで考えるとおそらくは5mくらいの高さから撮られたものです。

もう1枚、以前も載せましたが小津らしき人物が、あの風景をさがしている写真。
a0285828_83933.jpg

こちらは櫓を建てる前に、あの風景を撮る場所を探しているものですね。ここは、9月15日のブログで、僕が”あてをつけた”ホシレンガの後方の山の中腹からとらえたものであることは間違いありませんでした。
この写真ではわかりづらいかもしれませんが、僕が撮った写真の煙突の下の部分に見える小さな屋根の形が、まさに同じ形状なんですね。もちろん煙突の太さも形も。
この煙突がポイントでした。

この"あてをつけた"場所、先日あてをつけたとき、以前行った場所と書きましたが、それはもう少し西の三石耐火煉瓦工場との境の辺りで違っていました。現地に行くと、ホシレンガはその東にあるかなり大きな工場であることがわかりました。そして、そこに今まであまり意識していなかった1本の煙突が!
この煙突、実はこれまでも何度も通りすがりに眺めてはいたのですが、他の残っている煙突がどれも煉瓦作りであるのとはちがってコンクリート製でしたので、『早春』の映画以降に建てられた新しいものだとずっと思っていたのですが、そうではなかったんですね。この煙突こそまさに、早春のあの場面に出てくる煙突だったんです。そういえば、その場面の煙突はちょっと白っぽいとは思っていたのですが。
前に示した池部良の下宿の背後に見える2本の煙突はどちらも煉瓦作りなので黒っぽい。しかもホシレンガの背後辺りからだと相当距離があって、あの映画の場面の大きさで煙突が写ることは考えにくい。ということなので、あの場面に写っている1本の煙突はすでに失われてしまっている、とずっと思っていたのですが、残っていたんですね。

改めて考えてみると、『早春』の映画を撮影した後、数多くの煉瓦工場がなくなって、何十本もあったはずの煙突のほとんどが倒されて、わずか数本(確認できるものは4本)しか残っていない煙突の3本が映画の重要な場面に写っている煙突だったというのは、奇跡としかいいようがないですね。このときにも、ああ川本(川本三郎)さん、やっと見つけましたって心の中で叫んでしまいました。

さて実際の場所は地図でいうとホシレンガの背後の山の中腹にある恵び須宮という小さな神社の辺りになります。櫓はおそらくその前の工場の敷地に建てたんだろうと思います。小津らしき人物が風景を探していると思われる写真は、その神社の横の高台だろうと思うのですが、そこは現在立ち入りができないようになっていました。恵び須宮も完全に廃墟になってしまっていました。

後で思ったのですが、小津一行が三石に来るなり建てたというあの櫓。彼らは汽車で来たわけですから、あんな櫓の材料を持ってくるわけにはいきません。もちろんトラックで運ぶということもあったかもしれませんが、はじめから櫓を建てる考えはなかっただろうと思います。でも、あの場面をきちんと撮影するにはどうしても櫓が必要になった。そこで浮かんだのがおそらく盆踊りなどに使う櫓だったんではないかと思います。で、運のいいことに恵び須宮の建物の中にその材料が収められていたのかもしれません。撮影したのが9月上旬でしたので、盆踊りの材料がまだしまわれていなかったのかもしれません。それを撮影用の櫓として使ったと。

もしかしたら今もその櫓の材料があそこに置かれていたかもしれませんね。でも、これはあとでひらめいたこと。次ぎに行ったときに確認してみます。できればホシレンガの人に話を訊けたらと思います。

いずれにしても、あの場所を特定できたのは、小津安二郎という人がこだわる部分に関しては徹底的にこだわるということを前提にして探し当てることができたわけです。前にも書きましたが、三石から汽車が東京方面へ去って行くというイメージでは絶対に考えにくい場所でしたから。
もちろん池部良の下宿は実際はセットでしたし、その下宿のあった場所から見える風景は、あの映画の風景とは違って線路に近すぎて、しかも汽車は三石から遠ざかるのではなく、三石に近づいてくるのですが、でも映画的なリアリティを貫くために小津がやっていたことはすごいとしかいいようがないですね。特に下宿のセットの窓の位置と、池部良と淡島千景に見させる方向! 
きっと小津は東京に戻って、池部良の下宿に設定した場所と、彼の部屋から見ている風景として撮影したホシレンガの背後の場所を記した三石の地図を見ながら綿密にセットの間取り(特に窓の位置が重要)を考えて、あの方向を見させたんでしょう。

正直、ここまでのことが発見できるなんて思ってもみませんでした。
[PR]
by hinaseno | 2012-09-24 08:50 | 映画 | Comments(0)

当たり!


a0285828_14133861.jpg

あの場所探し。
正確な場所の特定まではできませんでしたが、結果は見事なくらいに「当たり」でした。
でも、それは言い換えれば小津がすごいということの確認でもあったのですが。
詳しくは後日。
[PR]
by hinaseno | 2012-09-23 10:22 | 映画 | Comments(0)

a0285828_14121832.jpg

昨日予測した映画の最後の場面で上りの汽車が走る風景を撮った場所についての補足。
昨日も書きましたが、あの場所には前回三石を訪れたとき、最初に足を運びました。でも、あの方向に目を向けることはありませんでした。その理由は単純です。あの場所から見た上り電車は三石の駅から遠ざかるのではなく、三石の駅に”近づいてくる”ことになるからです。
「早春」では、あの場面が写る前に淡島千景がこうつぶやきます。

「行くわ、汽車」

「やって来たわ、汽車」ではなくて、「行くわ、汽車」。
つまり汽車は映画的には三石駅を出て遠くに去ってくことになっているのです。ですから僕はあの方向ではなく、三石駅から北の方向を眺めました。そして別の場所に行っても、やはり三石駅から北の方向の景色を探しました。そして結局あの映画の風景を見つけることができませんでした。
あの方向は自分にとって盲点だったのです。映画的に三石から汽車が遠ざかっていく風景がとれる場所ではないと。

改めてあの下宿から眺めた汽車の走る風景を。a0285828_19464521.jpgやはり遠ざかって行くようにしか見えません。さて、ここには何らかのトリックがあるのでしょうか。あるいは単に「行くわ、汽車」という言葉の後に出てきた風景なので、実際には汽車は三石に近づいて来ているのに、汽車があたかも三石から遠ざかって行くものとの思い込まされたのか。

この疑問は一週間後に三石に行ったときに解決されるのか、あるいは全くあてがはずれてあの風景を見つけることができないのか、さてどうなることやら。

ちなみに映画では最後に、三石の煙突をとらえた風景が2つ映し出されます。a0285828_19492345.jpgこれがその最後のものです。「早春」で最後に映し出される三石の風景。
最初に三石が映し出された時の陰鬱な感じとは違って、明るく力強く、どこか希望にあふれたものの象徴として煙突がとらえられています。
モクモクと黒煙を吐き出す1本の煙突。背景は間違いなく"青空"。空には雲が半分写っていますが、雲はどんどんとれています。この場面の背景は絶対に青空でなくてはなりませんね。

最後に今年の夏、快晴の日に僕がとった三石の写真を。
まずは三石駅のホームからのもの。ここに写っている2本の煙突が、あの池部良の下宿のあった家の背後に写っている煙突です。
a0285828_19521778.jpg

これは石段の下から駅舎をとらえたもの。赤い屋根が印象的ですね。
a0285828_19593066.jpg

次は昭和初期に作られた三石小学校。すばらしすぎて言葉が出ませんでした。
a0285828_19525629.jpg

これがその校舎の階段。そうじ道具やスコップが並んでいます。
a0285828_19595634.jpg

最後はやはり四列穴門ですね。ただしこの写真だけは別の雨の日に撮ったものです。ここだけは雨の日に撮ったものの方が雰囲気がありました。
a0285828_2035290.jpg

いつか機会があったらぜひ見に行ってみて下さい。きっと、町のこと、好きになると思います。

では、三石のことに関しては1週間後に。
[PR]
by hinaseno | 2012-09-16 20:02 | 映画 | Comments(0)

a0285828_14113275.jpg

本来であれば昨日はこの話をブログにアップするつもりでしたが、関口直人さんのことであまりにもびっくりしたために急遽そちらのほうを載せることにしました。そうしたら昨夜、アゲインの石川さんから電話があったかと思うと、急にどなたかにかわられて…、なんとそれが関口直人さんだったんですね。2日続けて腰が抜けてしまいました。あまりに急なことで舞い上がってしまって、その後も興奮してなかなか眠りにつけませんでした。だって、当たり前ですよね。大瀧さんと一緒に仕事をされていた方でもあるし、シリア・ポールがいた伝説の存在であるモコ・ビーバー・オリーブに曲を書かれていた方でもあるし、そしてそのお父さんである良雄さんはあの木山捷平や上林暁との交流をもたれていた方なのですから。ああもう死んでもいいです、と石川さんに思わず言ってしまいました。

ところで、つながりついでのことになりますが、関口良雄さんの「昔日の客」の最初に出てくる話は「正宗白鳥訪問記」。関口良雄さんが作家の正宗白鳥の家を訪問したときの、とても微笑ましいエピソードが書かれています。この正宗白鳥の出身地が、木山捷平と、つまり僕と同じ岡山なんですね。しかも正宗白鳥は、今、僕がブログで書き続けている三石のある備前市の出身。三石からは車で10分くらいのところです。生家が今も残っているとのことなので、いつか必ず行ってみたいと思っています。ちなみに木山さんとも交流のあった藤原審爾の生家も白鳥の生家のすぐ近くです。そしてその備前市には大瀧山福生寺という、偶然というにはあまりにも奇跡的な名前の、僕が子供の頃から何度も行っていたお寺があるという。なんという不思議なつながりなんでしょう。
とにかく僕もこの素晴らしい出来事があった証拠として、今朝石川さんのブログに掲載されたこの写真を載せておきます。右がアゲインの石川さん、そして左が関口直人さんです。
a0285828_892640.gif

翌日、石川さんよりもう1枚送っていただいたので、そちらも載せておきます。
a0285828_20263185.jpg

これが本物の関口さんですよって、指をさされているみたいですね。

さて、話は小津の「早春」のことに。
一昨日まで書いたことというのはこの数ヶ月の間に確認したことをまとめたものなのですが、まとめつつ、なんとなく腑に落ちないものを感じていました。このままではたぶん、次に三石に行って映画の最後の場面で上りの汽車が走る風景を撮った場所は、つまり小津が三石に来てその風景を撮るために櫓を建てた場所はここでした、という話で終わりそうになってしまう。

そもそも僕がこのような形で「早春」の研究を始めたのは、大瀧さんの成瀬・小津研究でした。僕のような地方に住んでいる人間にとって、大瀧さんが確認された場所を見て回ることはできません。でも、大瀧さんがそこでとられた手法を自分なりに生かすことができないだろうか、というのがそもそもの出発点でした。で、前から気になっていた三石を舞台にした「早春」に当てはめてみたんですね。そこならば何度も足を運ぶことができると。そうしていくつかの場所、いくつかの事柄を発見したり確認したことをまとめたのが前回までのものでした。
でも、正直、そこまでは時間があればだれでも調べられることです。比べることがそもそもの間違いだとはいえ、大瀧さんの研究とは決定的に何かが違っている、決定的な何かが欠けていると思いました。ただ時間をかけただけではない、研究の姿勢が決定的に違っているなと。

大瀧さんの研究(映画に限らない)では、しばしば「あたりをつける」という言葉が出てきます。ただやみくもに歩かれたり調べられたりされているわけではなく、「あたり」をつけたうえでの行動をとられているんですね。そしてそれはだいたいにおいて的中しています。
では、どうやったらあたりをつけられるかというと、小津の研究に関して言えば、大瀧さんがしばしば語られていたように小津になってみる、ということなんだろうと思います。成瀬研究であれば成瀬になってみる、そしておそらく、先日放送されたアメリカン・ポップス伝でも、その内容が石川さんの指摘されていたように深い物語性をもっているのは、おそらくそこに登場してくる何人ものミュージシャンや関係者に「なってみる」ことをしていたからこそ、あれだけの(大きなものから小さなものまでを含めた膨大な)つながりを発見されていったのだろうと思います。もちろん「なってみる」にはそれなりの膨大な知識と経験が必要なことは言うまでもありませんが。

で、「早春」と三石のことに関して、それは映画のほんの数分の場面とはいえ、小津になって考えてみたいと思いました。そうすればもしかしたら、映画の最後の場面の、上りの汽車が走る風景を撮った場所の「あたりをつける」ことができるのではないかと。
つまり、池部良の下宿として設定した場所と、その下宿の2階のセットと、その下宿から見た汽車の走る風景を実際にとった場所には小津なりの何らかの必然的なつながりがあるのではないだろうかと思いました。小津ならば、ほんの数分の場面であっても、こだわった何かがあるはずだと。
そこで、ふと気がついたのが、DVDのジャケットにも使われている、池部良と淡島千景が下宿から電車を眺めているこの写真。a0285828_8174890.jpg窓から外を眺める場合、普通であれば窓に正対するはず、しかもセットなのですから、そこから見ている風景は実際のものとは関連性がないのですが、この写真の2人はかなり斜めの方向を向いていることがわかります。背後の壁のかど、そして最大のポイントは襖に吊るしている淡島千景のワンピースですね。セットであればこれほど無理な方向を向かなくてもいいはずなのに、小津はあえて2人をその方向に向かせている。ここに何か手がかりがありそうな気がしました。
a0285828_8212987.jpg
それで、小津はセットの部屋でも、かなり細かく部屋の構造を考えるということを以前読んだことがありましたので、映画を見てのわかる範囲で部屋の見取り図と、池部良と淡島千景の2人の動きを示したものを描いてみました。そして最後の場面の二人の視線の方向も。

















そして次にこの家を実際の地図の家の場所に置いてみたらおもしろいことがわかりました。
a0285828_823269.jpg

2人はすぐ前の線路ではなく、部屋の窓からはかなり斜めの方向の、地図上では南の方向の線路を見ていたことがわかりました。でも、この方向でも、下宿のあった場所から線路までは近すぎて、あの風景にはなりません。あの風景は、反対側の山の麓あたりでとったはずですから。
で、その視線の方向の線を地図で逆に辿ってみたら、ちょうど赤のマルで囲んだ辺り、ホシレンガという工場の背後辺りになります。そこから試しにGoogle Earthであの線路の方向を見たら、それらしい山並みが!
実はこのホシレンガの背後の場所は前回、行っているんです。でも、まさかあの方向だとは思わず、三石駅のある方向、あるいはそれよりも北の方向を見ていました。

この、あたりをつけた場所が、あの風景を撮った、櫓を建てた場所であるかどうかは次回、彼岸の頃に岡山に戻るときに確認してみたいと思っています。当たっていたらうれしいですね。

当たっていることを前提にして考えるならば、小津はまずあの汽車が走る風景を撮れる場所を、あのホシレンガの背後辺りに見つけた。そしてそのライン上にあって、背後に三石の煙突が見える工場付近の家として、あの下宿の場所を見つけた。そしてその下宿の2階のセットでも、あの場所の家であることを考えながら、2人の視線をあの方向に向けさせたのだろうと。

次に三石に行ってみるのが楽しみです。
[PR]
by hinaseno | 2012-09-15 08:26 | 映画 | Comments(0)

a0285828_1410434.jpg

「早春」の映画に出てくる、池部良の三石での生活をとらえた3つめの場面。映画のクライマックスです。
a0285828_938359.jpg
下宿に戻った池部良は「ただいま」と1階にいるはずの人(大家さん)に声をかけて、家の中にある階段を使って2階に上がっていきます。彼がこの家の2階に下宿していることがわかります。


a0285828_9395956.jpg
で、これが2階の下宿している部屋に上がってきた場面。襖に女性のワンピースがかけられていて、その下には大きめの鞄がいくつか置かれています。池部良には気づかない形で、すでに奥さんである淡島千景が三石にやってきていることを映画を見ている人に知らせています。おもしろいですね。

そして手前の部屋に入ってきてしばらくして池部良はそれらがあることに気づきます。この瞬間の彼の表情も含めて、僕はこの場面がたまらなく好きです。
a0285828_9413771.jpg

で、淡島千景が階段から上がってきて、2人は三石で再会します。
そしてこんな会話が交わされます。
「狭い町だぜ」
「さっき買い物に出て見てきたわ」
「ここで2、3年も暮すとなると、大変だよ」
「そうね、でもいいわよ、お互いに気が変わって」

a0285828_9442768.jpgこの後、汽笛が聞こえて2人は並んで下宿の2階の窓から汽車が走る線路を眺めます。この映画の最大のクライマックスです。






a0285828_9453272.jpg
ここで池部良が淡島千景をそっと抱き寄せて汽車を眺める場面は、「早春」の映画を代表する場面として、僕の持っているDVDの表紙を含めて最もよく使われています。






a0285828_951393.jpg
この2階の部屋から2人が見つめている上りの汽車が走る風景が先日示したこの場面です。ある意味では「早春」という映画の最も大事な場面といえるかもしれません。小津が三石にやってきて、まず探したのは山間の町を汽車が走る風景を最もいい場所を探すことだったのでしょう。

僕は池部良の下宿のあった場所を見つけたとき、そこが山陽本線に近すぎることがすぐにわかりました。あの場面はここにあったはずの家の2階からとらえられた風景ではないと。セットだったんですね。あの2階は。
三石での歓迎レセプションのときの写真を見てもわかるように、淡島千景は三石には来ていなかったんですね。まだ、あの場所を確認する前、淡島千景のインタビューなどいろいろ探していたのですが、三石に関する話が一切見つからないはずでした(池部良は著作も多く、「早春」や三石に関する話をいくつも書いていますが)。

いずれにしても、池部良の下宿のあった場所と、その家の2階から見えることになっている上りの汽車が走る風景が見える場所は、同じである必要はなかったんですね。あの風景が見れて、あのような間取りの2階の部屋がある家を三石で探すのは不可能でしょう。
ですから、小津はあの風景が見れる場所をまず見つけて、そこに櫓を建てたんですね。2階の高さになるように。これはこれですごいことのように思います。映画の中でのほんの数秒の場面であるならば、ロケハンで決めた場所にカメラを固定して撮ってもいいように思いますが、あえて2階であることを示すために櫓を建てて撮影した。その2メートルくらいの高さの違いからとらえられた風景の違いがわかる人なんてだれもいないように思うのですが。でも、あえてわざわざあの櫓を建てた。
この櫓を建てた場所は必ず探してみたいと思っています(一度かなり時間をかけて探してみたのですが見つかりませんでした)。

さて、では下宿のあった家はどのようにして選ばれたのでしょうか。
煙突のある工場から近い場所で選ばれたのだとは思いますが、「瀬戸内シネマ散歩」に載っていた写真で示したように、下宿とされた津村さんの家は平屋でした。もちろん映画では建物の入り口付近しか映っていませんので、2階建か平屋かはわからないのですが、2階建の家を探して、その2階建の家を映像で見せた上で、セットの場面を使ってもよかったように思うのですが。
でも、いうまでもなく背後に煙突が何本か見える場所としてあの場所がベストだったんでしょう。そしてあの辺りには都合のいい2階建の家はなかったのでしょう。
[PR]
by hinaseno | 2012-09-13 10:09 | 映画 | Comments(0)

a0285828_1495837.jpg

「早春」の映画に出てくる、三石での池部良の生活をとらえた場面の2つ目。前日の事務所で働く場面の後、そこから自宅の下宿に戻る場面です。映画ではほんの数秒のシーン。
a0285828_9402174.jpg
手前の道のつきあたりには家が建っていますが、道はそこで左右に枝分かれしています。その画面右側の道から仕事を終えた池部良が現れます。
a0285828_940363.jpg





池部良はまっすぐこちら側に向かってきます。このとき、池部良の背後には労働者風の男が画面左側の道に入って行くのが見えます。
a0285828_9405921.jpg







で、池部良は左に曲がって、画面右にある家の中に入ります。つまり、ここが池部良の下宿なんですね。
この後、画面は家の中へと切り替わっていきます。

この間カメラは固定されたまま。背後には2本の煙突が見えます。右側のおそらく手前にあるはずの煙突はかなり太いですね、ところどころに入っている筋の様子から見ると、おそらく方形。それから左側の、おそらく後方にあると考えられる煙突は遠近感の関係があるとはいえ少し細い。画面上では太さが右の煙突の半分以下です。煙突の形状も右側のものとは違っておそらくは円形のはず。昨日載せた煙突が何本もあるカットでも、やはり横に筋の入った方形の煙突と、円形の煙突の2種類が見えます。この場面の背後にある煙突はまぎれもなく三石にあった煙突のはず。つまり、この場面は三石で撮影されたことは確かでした。

僕が「早春」と三石の研究を始めたとき、何よりもまず最初に、この場面の池部良の下宿を探さなければと考えました。手がかりは背後の2本の煙突と突き当たりで枝分かれしている道。
a0285828_9553452.jpg
でも、三石の町を通っていてわかっていたことなのですが、現在、三石には煙突がほとんど残っていません。最初に町中に入って確認することができた大きな煙突はたった1本。現在も操業を続けているこの煉瓦会社の背後に見える煙突だけでした。
実際はもう1本、かなり小さな煙突が山の中腹にあったのですが、まったくかけ離れた場所にあって、あの映画の場面に出てくる煙突ではないことは確かでした。この状況を目の当たりにして、映画のあの場面に見える煙突は2本とももうすでになくなってしまっているだろうという気持ちになりました。
ただ、道に手がかりはないかと思い、町中をあちこち歩き回り、途中で出会った郵便配達の人に訊いたりしましたが、見当がつかないということでした。道も整備されてなくなってしまっているのだろうかと諦めかけていたところ、そきほどの工場の関係者に、事務所の背後に見える煙突の隣に、もう1本、昨年、上部をかなり切りおとした煙突があることを聞きました。震災の影響で、倒壊の危険性を考慮して切ったのではないかと推測されるのですが、いずれにしても、その切られた煙突が見えそうな高台(山陽本線の土手のある側)をあちこち歩いていたら、なんと映画のまさにその場所に突然出ました。
a0285828_1003451.jpg

煙突は2本ともかなり短くなっていますが、その2本の太さも形も間違いなく、池部良の下宿の背後に映っていたあの2本の煙突です。ここを見つけたときは本当にうれしかったですね。心のなかで思わず「川本さん(川本三郎さん)、見つけました!」って叫びましたから。
a0285828_1023961.jpg
ただ残念ながら、問題の下宿のあった場所はこのように空き地になっていました。ブルーシートの下に木材が残っていますので、わりと最近まで建物が残されていたのかなと思い、後日伺ったら、ほんの数年前に取り壊されたとのことでした。一歩遅かった。
この場所にあった家は、津村さんという方の家だったとのこと。津村さんのご子息は確か三石の別の場所に住まわれているとのことでしたので、いつか機会があればお会いできたらと思っています。映画に関する、何かびっくりするようなものを持っていらっしゃるかもしれません。
a0285828_1042818.jpg
さて、あの場所にあった津村さんの家。なんとその写真が先日紹介した「瀬戸内シネマ散歩」に載っていました。右の写真です。手前の方形の煙突も切られる前で、まだ高くそびえています。
著者がここを取材されたのは4年前の2008年の夏。著者は人に聞いてこの場所に来たとのこと。ちょっとずるいですね。でも、やはりこういうのは人に聞くのではなく自分の足で探し歩いた方が楽しいことを知りました。
ちなみに、本の著者がこの家を訪ねて来たとき、家はすでに空き家になっていたとのことでした。
この家のことについては明日にでも。
[PR]
by hinaseno | 2012-09-12 10:13 | 映画 | Comments(0)

a0285828_1491691.jpg

57年前の今日、つまり1955年(昭和30年)の9月11日(日)の小津の日記にはこう書かれています。

三石 快晴 撮影おハる
池部 岡山にゆく

「早春」はモノクロの映画で、映画の中では、東京駅前にある丸ビルの中にある東亜耐火煉瓦という会社の東京本社から地方の山間の小さな町である三石にやってくることになった池部良の憂鬱な心境を含めて考えれば、前日の曇り空の方が、沈んだ雰囲気を出せるように勝手に考えてしまうのですが、小津はやはり快晴の日を撮影に選んでいるんですね。

「早春」が三石を舞台にしていることを知るきっかけになった本は川本三郎さんの「銀幕の東京」(1999年)です。この本をきっかけに大瀧さんは成瀬研究をされたんですね。僕も結果的にはこの本をきっかけに「早春」、三石研究(研究と言うには遠く及びませんが)を始めることになりました。
それから2005年に出た川本さんの「旅先でビール」という本には、2004年の7月に川本さんが三石を訪ねたときのエッセイがあり、とても参考になりました。

つい先日、三石を訪れたとき、公民館の館長の方から鷹取洋二という岡山在住の人が書いた「瀬戸内シネマ散歩」(吉備人出版)という本があることを教えていただきました。これは岡山周辺で撮られた映画のロケ地を訪ね歩いた本なのですが、この中に「早春」を扱った章がありました。3年前(2009年)に出た本ですが、そこには後で触れることになる貴重な写真と、撮影当時三石の工場で働いていてロケの世話をしたという人のインタビューが載っていました。

そのインタビューに答えられた馬場さんという方の話によれば、撮影の日、小津からは三石にある煙突(20本くらいはあったはず)から一斉に煙を出してほしいとの注文があったとのこと、しかも”モクモクと立ち上る黒煙”を出すようにということだったようです。
今では三石には耐火煉瓦の会社は2社しか残っていないそうですが、当時は数十社も会社があって、その工場すべてに調整して、石炭の代わりに屋根葺きの下地に使われる黒色のルーフィングを一斉に燃やしたとのことです。つまり、日常の操業では出ないような黒い煙を出していたんですね。さぞかし町の人、あるいは周辺の町の人はびっくりされたんではないかと思います。
a0285828_8215841.jpg


さて、「早春」の映画では、そのモクモクと黒煙が上がる風景とともに、三石での池部良の生活を描いた3つの場面が出てきます。

まずは、池部良が三石の工場の事務所で働いているシーン。
a0285828_823380.jpg

古くからそこに勤めている、おそらくは地元の人間と想定される少し年配の社員との会話も少しあります。同じ事務所内には作業をしている人が何人か映っています。

当初、僕はこの場面は三石で撮られた可能性もあるのかなと思い、三石の工場内に残っていて今も事務所として使われている古い木造の建物がありましたので、その中を拝見させてもらえればと思ったのですが、それはかないませんでした。
後日、私の書いた文章を見ていただいた大瀧さんから(アゲインの石川さんを経由して)、三石の事務所シーンは東京の撮影所でのセットであるとのご指摘をいただきました。あのような場面で、実際に三石の事務所で働いている人を使うようなことは決してしないとのこと。
「シロートは緊張して、その緊張は画面に出るものなのです。ですからあの社員は全員が仕出しです。1つ2つのシーンのために、仕出しを岡山まで連れては行けませんからね」
という大瀧さんの説明。
映画の中の、ほんのささやかなワン・シーンではありますが、プロの人たちの制作というものに対する意識の一端に触れることができ、心から感激しました。(続く)
[PR]
by hinaseno | 2012-09-11 08:37 | 映画 | Comments(0)

a0285828_1483077.jpg

僕はライフワークの1つとして小津安二郎の「早春」という映画のことを調べています。といっても、具体的に行動を始めたのは今年になってのことですが。
なぜ、小津の、特に「早春」という映画に興味を抱いたかと言えば理由は単純です。その映画の最後に、実家のある岡山の、三石という小さな町が舞台となっていることを知ったからです。
三石は岡山県と兵庫県の県境にある本当に小さな山あいの町。かつては蝋石と耐火煉瓦で栄えましたが、現在は急速に過疎が進んでいます。僕は姫路に住むようになって20年余りになるのですが、ある時期からは実家に戻るときはいつもこの三石の町を通っていました。少し前までは三石の脇をすり抜ける形で通っていたのですが最近は町中を通るようになりました。
昭和31年(1956年)公開の小津の「早春」は、三石の町が耐火煉瓦の生産で最も栄えていた頃の様子を捉えています。映画の撮影は前年の昭和30年の夏から秋にかけて行なわれています。

実は、今日、9月10日は、57年前に小津が三石にやって来てロケが行われた最初の日なのです。そのとき僕はまだ生まれていませんが、57年前のこの日に、あの小津監督や主演の池部良らが実家のある岡山の、僕が何度も眺めていた町にやってきてロケをしていたということを考えるのは、やはり感慨深いものがあります。
『全日記 小津安二郎』を見ますと、小津一行は9月9日の朝の11時に岡山に来ています。当時、新幹線はまだありませんでしたから、おそらくは飛行機で来たはず。それから市内のホテルで小憩(おそらくは昼食をとったのでしょう)したのち、車で三石に向かっています。
岡山市内から国道2号線を通れば三石までは小1時間くらいで着いたと思います。着いたのは午後2時過ぎぐらいでしょうか。日記を見る限り、この日はどうやら撮影は行われなかったようですが、いくつかの場面を撮影するためのロケハンが行なわれたと思われます。

『松竹編 小津安二郎新発見』には何枚か三石でのロケ、あるいはロケハンの様子を捉えた写真があります。まずはこの写真。

a0285828_1045065.jpg

「『早春』岡山県三石ロケ」との説明書きのあるものですが、1ページを使って大きく載っています。櫓の上でカメラを覗いているのはもちろん小津。背後で腰に手を当てて見守っている眼鏡の人はおそらくカメラマンの厚田雄春。で、手前でカメラを支えているのが、後ろ向きでよくわかりませんが当時撮影助手だった川又昂ではないかと思われます。
大瀧さん経由でお伺いした川又さんの話によれば、小津は三石に着くなりこの櫓を建てたそうです。


a0285828_10465765.jpg


『松竹編 小津安二郎新発見』に載ってる別の写真。
これには「『早春』岡山県三石にて」との説明書きがあります。これは『早春』の最後の場面、つまり上りの東京方面に向かう汽車をとらえる場所を小津(厚田カメラマンかもしれない)が探しているところですね。この写真に見える煙突のある辺りの風景がまさに最後の場面に使われていますので、場所はこのあたりに決定したのだと思います。

a0285828_10525956.jpg

小津がいるのは山陽本線の線路の北側にある山を少し登ったどこかの場所だと思います(実はこの場所がまだ見つかりません)。で、おそらくこの場所に先程の櫓を建てて最後の場面を撮影したはずです。
映画で見ればほんの数秒ほどの上りの汽車が走る場面をとらえるだけなのに、かなり綿密なロケハンをし、しかもそこに櫓を建ててまで撮影するというのは驚かざるをえません。

a0285828_10562420.jpg

さて、『松竹編 小津安二郎新発見』にはもう1枚三石で撮った写真が載っています。でも写真の説明書きには「『早春』ロケ・ハン」と書かれているだけ。『早春』はいろんな場所でロケされていますので、この本の編者はこの写真がどこで撮影されたものなのか確認できなかったようです。でも、この写真の背後に写っている煉瓦造りのアーチ状の橋、これはまぎれもなく三石にあるものなのです。三石に住んでいる人であればだれでも知っている三石のシンボルでもある「四列穴門」と呼ばれるものです。
a0285828_105853100.jpg

小津はこの橋を映画で使おうとしたのでしょうか、それともただ見に来ただけなのでしょうか。もしかしたら映画には結局使われることはなかったけれども、ここの風景をとらえたフィルムがあるかもしれません。

『全日記 小津安二郎』によれば、57年前の今日、9月10日は天気があまりよくなかったらしく、いくつかの三石の風景をとらえたカットを撮っただけのようです。
その日の日記には「三石町長始め町有志のレセプションに出席」と書かれています。この写真がおそらくそのときの様子をとらえたものだと思います。
a0285828_1111274.jpg

この写真は現在、備前市役所三石出張所の2階に飾られています。三石の歴史を写真にとらえたものを部屋いっぱいに展示しているのですが(数年前に始めたとのこと)、残念ながら『早春』に関する写真は、この写真を含めてたったの3枚でした。写真の下に書かれているコメントには小津監督の名前はありますが、どれが小津だかきっとわかる人はいないんでしょうね。池部良も写っていますが、池部良のことは全く書かれていませんでした。

あとの2枚のうちの1枚はこれです。
a0285828_1135212.jpg

これは三石駅で撮られたもののようです。小津一行は三石に三泊したのち、9月12日に京都に向かっています。おそらく三石駅から汽車に乗って向かったのでしょう。この写真は三石を発つ前に地元の何人かの人(真ん中の女性は泊まっていた旅館の人でしょうか)と撮ったものだと思います。池部良はその前日の9月11日に、三石での大事な場面(この場面についてはまた後日)を撮影して、すぐに岡山に向かったようなので、この写真には写っていません。

もう1枚はこれです。
a0285828_1191128.jpg

おそらくは9月11日に池部良が煙突のある工場近くの撮影現場に向かっているところをとらえたものだと思います。57年前の9月11日は日曜日。撮影現場周辺には、子供たちも含めてものすごい人が集まっていたとのことです。ちなみに、市役所の出張所の2階に飾られているこの写真にも何のコメントもありませんでした。この顔を見て池部良とわかる人は今はほとんどいないんでしょうね。ちなみに、この池部良のそばを、ファンからかばうように歩いているのは撮影助手だった川又さんでしょうか。(続く)
[PR]
by hinaseno | 2012-09-10 11:34 | 映画 | Comments(0)