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by hinaseno
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カテゴリ:映画( 92 )



昨日あったうれしいことを少し。
ひとつは村上春樹の新作に関する話。
前に1日1章ずつ読んでいると書きましたが、ちょっとがまんできなくて今は2章か3章ずつ読むようになっています。現在はちょうど真ん中あたり。

その昨日読んだ所で以前だったら絶対に気づけなかったうれしいことが書かれていたんですね。
登場人物の二人が銀座で会うという場面があるのですが、その待ち合わせに指定した場所が、「四丁目の交差点の近く」だったんです。
銀座4丁目の交差点近くといえば、そう、例の服部時計台(現在の和光)がある場所。村上さんの新作では時計台のことは触れられていませんでしたが、僕が読みながら頭の中に描いていた映像の中には、岡山の万成石で作られた時計台の建物がきっちり収まっていました。

もうひとつは、これです。
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「隣町探偵団」と「凱風館日乗」。
前からお知らせしなければと思っていたのですが、できればこの2つが並んだ日にしようと思っていて、昨日それが実現したんですね。
現在、ミシマ社という出版社のサイトで「ミシマガジン」というものがリニューアルされて(前からちょこちょこ覗いていましたが)、新しい連載がいくつか始まったんです。個人的にはこの2つが何といってもたまらなくうれしいものでした。

「隣町探偵団」は、ここでも何度か書いてきたように平川克美さんが現在お住まいの地域近辺の探偵報告です。その報告は朝日新聞で連載されていた「路地裏人生論」でなされていたのですが、その連載も先月で終わり。残念だなと思っていたら、何とすぐに再開されたんですね。タイトルもそのものズバリ「隣町探偵団」。
しかもこの探偵の対象がたまらないんです。小津安二郎の昭和7年の作品『生まれてはみたけれど』。そのロケ地がまさに平川さんの隣町だったんですね。
僕もこの『生まれてはみたけれど』を観てすっかりその魅力にはまったばかりでしたので本当にタイムリーな企画。興味津々です。

それから「凱風館日乗」を書かれているのは内田樹先生(先日、市内に講演にみえられて、初めて実物を拝見させていただきました)。「凱風館日乗」は、その内田先生の日々の出来事を日記の形式で書いたものです。凱風館は内田先生の住居兼道場の名前です。
それにしてもこのタイトル。荷風の「断腸亭日乗」を意識されていることは間違いないですね。
今、僕は小津安二郎の映画と荷風の『断腸亭日乗』のことを書いているのですが、それと同時並行的に尊敬する平川さんと内田先生お二人が、小津の映画とその舞台になっている場所の話を書き、『断腸亭日乗』を意識された日記を書かれているということが起こっているわけです。これ以上の喜びはありません。

そういえば荷風の敬愛した成島柳北のことを初めて知ったのは内田先生によってでした。一時期、内田先生はブログに成島柳北のことをいろいろと書かれていたんですね。成島柳北のことを知るためにいくつもの本を集められたとのこと。ぜひいつの日か一冊の本になった内田先生の成島柳北論を読んでみたいと思っています。
成島柳北に触れた内田先生のこの日のブログの最後にはこんなことが書かれています。

惜しむらくは、現代日本人のうちに柳北の文を解する国語能力を備えたものがすみやかに『絶滅危惧種』になりつつあることである。
小学校から英語を教えるよりも漢詩の音読でもさせた方が日本人の知的能力の向上には資するところが大きいだろうと私は思うが、もちろん同意してくれる人はどこにもいないのである。


もちろん僕はこれに心から同意している一人ではあるのですが(丸谷才一さんも『文章読本』で同じような主張をされています)、なんか国の偉い人は、美しい日本を守るとか言いながら、一方で英語が大事、英語が大事って、どんどん美しい日本語から子供たちを引き離そうとする政策を推し進めています。
正直僕も「柳北の文を解する国語能力を備え」ているとは到底言えないのですが、そこには「絶滅」させるのはあまりにももったいない豊潤なものがあることは理解できます。今後はぜひ『航薇日記』以外の成島柳北の本も読んでみようと思っています。
そういえば僕の勝手な希望としては、内田先生の「凱風館日乗」は文語体で書いてほしかったのですが。

話は再び平川さんの「隣町探偵団」のことに。
平川さんが今回調査の対象にされている『生まれてはみたけれど』の舞台は東京の南西の大森区の蒲田近辺。平川さんや内田先生、そしてアゲインの石川さんが子供の頃に過ごされた場所のまさに「隣町」なんですね(もしかしたら過ごされていた場所も映画に出てきているのかもしれません)。
大森区の蒲田近辺は僕にとって前からずっと気になっている場所でした。なぜなら僕のライフワークである小津の『早春』の池部良が三石に来る前に住んでいた場所がやはり大森区の蒲田近辺に設定されているからです。
ただ、昭和7年の『生まれてはみたけれど』と昭和31年に作られた『早春』の間には戦争があります。実際、この蒲田付近は昭和20年4月15日の空襲で壊滅的な被害を受けているとのこと。建物で残っているものはおそらく何もないはず。ただ、あくまで個人的な直感としてなのですが、この2つの映画はどこかで深くつながっているように思っているんです。それはまた改めて書いてみたいと思っています。その"つながり"を発見する上でも、平川さんの「隣町探偵団」は貴重なものになるだろうと確信しています。

それは別として、僕はいつの間にか、まさに『生まれてはみたけれど』の舞台となっているあたりの町を、一度も行ったこともないのに愛するようになっています。
川本三郎さんの『それぞれの東京』(2011年)の「あとがき」にこんな言葉があります(以前にも一度引用しました)。

大都市である東京も、よく見れば小さな町、歩いて暮らすことの出来る「わが町」の集積である。大きな東京の中の小さな東京にこそ惹かれる。


まさにこの言葉の通り、僕はあの近辺を大きな東京の中の「小さな町」、「歩いて暮らすことの出来る『わが町』」として見ています。一度も行ったことのない人間の勝手なイメージで言えば、あのあたりは「小さな町」というよりも「スモールタウン」といった雰囲気があります。
その意味では『生まれてはみたけれど』は、東京の中の理想的な「スモールタウン」を描いた映画のように思っています。ある意味架空の、ある意味東京の郊外に実在した「スモールタウン」を舞台にした映画。

ああ、たくさん書きすぎて、本題に戻れなくなってしまいました。
ちなみに現在、小津に関する文章を書いているときにパソコンから流し続けているのは、小津の『東京物語』と『早春』のテーマソングです。この音源は以前に、アゲインの石川さんから送っていただいたものです。
『早春』のテーマソングはとにかく最高です。これですね。イントロのマンドリンの音がたまらないです(『早春』のテーマソングなのに、貼られている画像は『秋刀魚の味』。ちゃんとしてください)。

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by hinaseno | 2013-04-17 10:50 | 映画 | Comments(0)

昨日も書いたように、小津は『断腸亭日乗』を読み終えてから、『東京物語』のロケーション・ハンティングをはじめています。映画の舞台として使える場所を探していたのかもしれません。
で、ロケハン初日である 1953(昭和28年)6月15日の小津の日記を見ると、こんな記述があります。

車にて深川宮川にゆく 八幡宮 不動


八幡宮というのはおそらく富岡八幡宮、そして不動というのは深川不動尊のことなのでしょう。いずれも深川にある神社仏閣ですね。
深川は小津が生まれた場所で、10歳ごろに別の場所に引っ越したようですが、20歳ごろにまた深川に戻ってきています。ここから入社したばかりの松竹の蒲田撮影所に通っていたんですね。戦後は別の場所に暮らすようになっています。

深川は小津にとっても馴染み深い場所であったにはちがいありませんが、ここは何よりも荷風がこよなく愛した場所。隅田川の東(濹東)の下町ですね。荷風には『深川の唄』、『深川の散歩』という作品がありますし、『断腸亭日乗』にも何度も出てくる場所。
小津がロケハンの初日に深川に行っているというのは、やはり『断腸亭日乗』の影響を感じずにはいられません。ただ、どうやら深川は『東京物語』の舞台としては使われることはなかったようですね。

でも、『東京物語』では、荷風と関わりの深い場所、荷風が何度も歩いた場所、荷風が愛してやまなかった場所が使われています。このブログでも何度も触れた放水路、荒川放水路ですね。場所は堀切橋あたり。
広島の尾道に住んでいる笠智衆、東山千栄子夫妻の長男の山村聰がこの近くで医者をやっているという設定。東京で医者をやっているということで笠智衆、東山千栄子がはるばる訪ねてきたら、実は東京の端の方だったということを知り、失望するんですね。その失望する東京の端の場所として選ばれたのが荒川放水路の堀切橋付近(もしかしたら、最初にロケハンで深川に向かったのも、山村聰の家の場所を見つけるためだったのかもしれませんね)。
川本三郎さんが『荷風と東京』をはじめ、いろんな本で指摘していますが、やはりこれは小津が荷風の『断腸亭日乗』を読んだ影響と言わざるを得ないですね。荷風の『断腸亭日乗』では、堀切橋から荒川放水路を描いた素晴らしいスケッチがあります。以前にも紹介したこれですね。昭和7年1月22日の日記に添えられたもの。小津もこの絵に目を留めたに違いありません。
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さて映画で使われた荒川放水路でのシーン。個人的にはこのことを知る前から『東京物語』の中で最も感動的なシーンです。この場面ですね。
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山村聰の家の中から笠智衆の目でとらえられた風景として描かれています。ここで東山千栄子が孫に向けて語る言葉もたまらないですね。
その東山千栄子が語る場面の背後にぼんやりと写っているのが荒川放水路ですね。
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荷風がいく筋も描いている工場の煙突からの立ち上る煙のようなものがたなびいているのがうっすらと見えます(荷風が描いた四つ木橋が見えないのが残念)。荷風がスケッチを描いてから20年後の風景。でも、おそらくはほとんど変わっていなかったんでしょうね。

東山千栄子といえば、これも川本さんの本で知ったのですが、前に荷風が詞を書いて菅原明朗が曲をつけて永井智子が歌ったという「葛飾情話」というオペラ(上演されたのは昭和13年)、物語の舞台は荒川放水路ということなのですが、その録音されたもので、物語を説明する「語り」をなんと東山千栄子がやっているとのこと。小津はこのことを知っていたんでしょうか。あるいは東山さんは『東京物語』の撮影中(特に荒川放水路を撮影するとき)に、小津にそのあたりの話をしたんでしょうか。残念ながら小津の日記ではそのあたりが欠落しているので知るすべもありません。

ところで、荷風が昭和7年1月22日の日記で描いた堀切橋から見た荒川放水路の風景のスケッチ。川本さんも『きのふの東京、けふの東京』(平凡社)のカバーと表紙に使っていますね。実はちょっと前に『荷風!』という雑誌があったことを知り、それに川本さんがいくつも文章を書かれていることがわかったので、是非読んでみたいと思っていたのですが、この本に収められている文章の多くがまさにそれだったんだということを今日知りました。出たときにすぐ買ってざっと読んだんですが、最近最もよく読み返している本のひとつです。今日書いた文章も含めて、これまで書いてきた荷風に関する文章も、これから書くであろう文章もこの本を大いに参考にさせていただいています。
今、アマゾンをチェックしたらまだ廃刊になっていないですね。この表紙が使われている(カバーをとった裏表紙にはもうひとつの荷風が描いた放水路の絵も)単行本を買えるうちに買っておいた方がいいと思います。
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by hinaseno | 2013-04-16 09:39 | 映画 | Comments(0)

きのう小津安二郎の誕生日を調べるためにウィキペディアを見たら、あることに気がつきました。今まで何度もそのページは見ていたのですが。
小津は生まれた日と亡くなった日が同じだったんですね(生没同日というそうです)。12月12日。こういう人って、いったいどれくらいいるんだろう。確率的には365分の1ではあるような気がするので、それなりの数はいるんでしょうけど。

それはさておき、何度か書いてきたことですが小津安二郎はある時期、荷風の『断腸亭日乗』を集中的に読んでいました。興味深いのはそれを読んだ時期。

1953(昭和28年) 4月8日(水)の小津の日記にはこのような記述があります。

駅前の本屋によつて荷風全集などの金を払ひ帰る
とにかく書き始める 熱海の海岸のところから書きこのシーンを上げる


川本三郎さんの『荷風と東京』によれば、これは中央公論社の『荷風全集』(全24巻)とのこと。これをこの日に買ったのか、あるいはその数日前に買っていてお金をこの日に払ったのか。いずれにしても小津はこの頃に『荷風全集』を手に入れています。そして何といっても目がいくのはこの後の部分。

とにかく書き始める 熱海の海岸のところから書きこのシーンを上げる


これは言うまでもなくあの『東京物語』のことですね。頭の中では物語は出来上がっていて、どうやらこの日からシナリオを書き始めているようです。それが「熱海の海岸のところから」というのが興味深いです。『東京物語』の最も印象的なシーンの舞台とした熱海に荷風が一時期暮らしていたことを知ったとき、小津はやはり運命的なものを感じたのではないでしょうか。荷風自身も成島柳北との運命的なつながりを確認した場所ですからね。

で、次に小津の日記に荷風が出てくるのはその1か月後の5月9日。

枕頭灯を掲げ荷風日乗をよむ 巻をおくあたわず 興味津々として窓外すでに白む


小津は『荷風全集』を第1巻から読んだわけではなく、その最後の方の第19巻から第22巻に収められていた『断腸亭日乗』から読み始めているんですね。6月11日の小津の日記には「駅前本屋にて荷風全集前期十二冊を購ふ 前年大船の火事にて焼失したれバ也」と書かれているので、4月8日に買ったのは後期分。つまり第13巻から24巻だったんでしょうね。おそらくおめあては『断腸亭日乗』であったことがわかります。

さて5月9日以降の小津の日記に『断腸亭日乗』を読んだことが書かれている部分を全部列挙してみます。

6月1日「うたゝねののちひとり夜白むまで荷風日乗をよむ」
6月3日「読書深更に至る」(この日は読んだ本の書名は書かれていませんが、間違いなく『断腸亭日乗』のはず)
6月5日「荷風日乗を読む」
6月7日「一日床の中にて荷風日乗をよむ」
6月8日「蓐中に荷風日乗をよむ 夕餐を喫し 蓐中荷風日乗をよみつゞく 四更に至る」
6月9日「夕食ののち またしても荷風日乗をよむ」
6月10日「たゞちに就床 またしても枕上荷風日乗をよみつゞく」
6月11日「荷風日乗よみつゞけること例の如し」
6月12日「就床 枕上荷風日乗をよむ」
6月14日「荷風日乗二十二巻よみ終る」


というわけで、6月上旬に一気に読んでいるのがわかります。
実は6月2日の日記にはこんなことが書かれています。

高村所長に会ふ カンヌ映画祭より帰りて始めて成 脚本〈東京物語〉面白しとのこと成


どうやら5月の末くらいにシナリオは完成していて、それが完成したので荷風の『断腸亭日乗』を一気に読んだんですね。もう一つ興味深いのは『日乗』を全部読み終えた6月14日の翌日の6月15日の日記。

細雨 ロケーションハンチング 第1日


まさに小津は荷風の『断腸亭日乗』を読み終えるのを待って、『東京物語』のロケハンを始めているんです。

その後、『東京物語』が完成するまでの日々(『東京物語』の公開はこの年の11月3日)がとても気になるのですが、残念ながら『小津安二郎 全日記』ではこの年の日記は6月19日までで、6月22日からその年の最後までの日記は欠落しています。最も読みたい所ではあるのですが。
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by hinaseno | 2013-04-15 09:28 | 映画 | Comments(0)

a0285828_1052953.jpgまず、この映画のパンフレットをご覧下さい。何の映画のパンフレットかわかるでしょうか。表紙なのに映画の題名が書かれていないんですね。写っている女優はもちろんシャーリー・マクレーン。これは彼女のデビュー作。

この映画のことは川本三郎さんの『ロードショーが150円だった頃』で知りました。この本では、ちょっとだけマイナーな映画を取りあげられているのですが、これを読んで好きになった映画は数知れず。川本さんの映画に関する本の中では最も好きな1冊です。

川本さんの映画の本ではしばしば川本さん自身がお持ちになっている映画のパンフレットの写真が載っています。いいなあ、と思ってネットオークションなどで調べてみると、とんでもなく高かったりします。実は上のパンフレットもオークションで買いました。はっきり言ってかなり高かったです。でも、どうしても持っておきたかったんですね。

洋画を見るようになったきっかけはオードリー・ヘプバーンですね。テレビで見た『ローマの休日』の彼女がたまらなく魅力的だったから。で、彼女の映画をいろいろ見て、その流れでビリー・ワイルダーという監督が好きになって、その作品をいろいろ見るようになって出会ったのがシャーリー・マクレーン。『アパートの鍵貸します』の彼女は最高ですね。

洋画に関心を持つようになった頃、大瀧さんの最も好きな映画監督がヒッチコックであることを知り、今度はヒッチコックものをいろいろ見ました。運のいいことに、その頃テレビのBSでヒッチコックものの映画は何度も放映してましたから、全部ビデオに録画して見ていました。もう本当にはまってしまいました。
一番のお気に入りはダントツで『裏窓』。セットとはいえ、あの夜の都会の風景は何度見ても飽きないですね。もちろん他にも好きなものはいくつもありますが。

そんなある日出会ったのが川本さんの『ロードショーが150円だった頃』でした。その中のある映画に関する文章の冒頭でこんなことが書かれていました。

亡き瀬戸川猛資さんと以前、映画の話をしていて、ヒッチコックの映画の作品の中でどれがいちばん好きかということになった。『ハリーの災難』(55年)というと、瀬戸川さんは「それは変っている」と不思議そうな顔をした。


そのページにあったのが上のパンフレット。そう、あのパンフレットはヒッチコックの『ハリーの災難』なんですね。

でも、川本さんのこの文章を読んだときに僕は『ハリーの災難』なんて全く知りませんでした。おそらくテレビでヒッチコックの映画が何度か特集されたときにも、おそらくは1度も放映されなかったはず。
今はDVDで出ていますが、当時は、近所のレンタルビデオ店に行ってもなくて、たぶんオークションか何かで入手したように思います。

よかったんですよね、これが。川本さんが書かれているように「風変わりな映画」ではあるのですが。死体はあっても殺人はない。ミステリとコメディがあわさったような、かなり脱力系ミステリ。本格的なものよりも”どっちともつかず”的なものが好きな僕にはツボでした。また、そのコメディ的な映画の雰囲気にシャーリー・マクレーンがぴったりとはまっているんですね。いっぺんに大好きになってしまいました。で、絶対に手に入れなくちゃと思って、パンフレットを僕にしては相当な無理をして買いました。川本さんの本では白黒だったのですが、このブルーを背景にしたシャーリー・マクレーンを見たときには感動しました。数少ない宝物の一つです。

ところで今、改めて考えると、この映画、ストーリーや登場人物以外にも好きな要素がいくつもあることに気付きました。
まずはスモールタウンを舞台にしていること。僕の好きな映画の大事なポイントですね。川本さんによるとニューイングランドのヴァーモント州にあるスモールタウン。有名な「ヴァーモントの月」のヴァーモントですね。この映画ではそのヴァーモントの美しい秋の風景を見ることができます。
それからソール・スタインバーグというイラストレーターのかわいらしい絵がタイトル・バックに使われていること。スタインバーグは和田誠さんの最も好きなイラストレーターのひとり。
で、つい先日気付いたことを最後に。
映画のパンフレットには、日本語と英語の両方で映画のキャストとスタッフのクレジットが載っているのですが、その日本語の方を載せておきます。
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ポイントは音楽の挿入歌「旗をふって列車をタスカルーサへ(原題はFlaggin' The Train To Tuscaloosa)」の作曲者の名前。レイモンド・スコット。
おおっ、レイモンド・スコット!って思ってしました。

次回はそのレイモンド・スコットという人の話を。

最後に”Flaggin' The Train To Tuscaloosa”という曲を貼っておきます。
映画のどこで使われていたんだろう。また、チェックしておきます。

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by hinaseno | 2013-03-14 10:11 | 映画 | Comments(0)

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三石のあの場所探し。
昨日書いた通り、ほぼ場所を特定することができました。
まずはその辺りの場所で撮った写真を。
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で、こちらは池部良と淡島千景が、三石の下宿から見ているとされた風景の写真。煙突の左に見える背後の山の形状が同じですね。
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僕が撮った写真には山陽本線の線路が写っていません。前にも触れましたが、映画のこの場面は櫓の上の、カメラの位置まで考えるとおそらくは5mくらいの高さから撮られたものです。

もう1枚、以前も載せましたが小津らしき人物が、あの風景をさがしている写真。
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こちらは櫓を建てる前に、あの風景を撮る場所を探しているものですね。ここは、9月15日のブログで、僕が”あてをつけた”ホシレンガの後方の山の中腹からとらえたものであることは間違いありませんでした。
この写真ではわかりづらいかもしれませんが、僕が撮った写真の煙突の下の部分に見える小さな屋根の形が、まさに同じ形状なんですね。もちろん煙突の太さも形も。
この煙突がポイントでした。

この"あてをつけた"場所、先日あてをつけたとき、以前行った場所と書きましたが、それはもう少し西の三石耐火煉瓦工場との境の辺りで違っていました。現地に行くと、ホシレンガはその東にあるかなり大きな工場であることがわかりました。そして、そこに今まであまり意識していなかった1本の煙突が!
この煙突、実はこれまでも何度も通りすがりに眺めてはいたのですが、他の残っている煙突がどれも煉瓦作りであるのとはちがってコンクリート製でしたので、『早春』の映画以降に建てられた新しいものだとずっと思っていたのですが、そうではなかったんですね。この煙突こそまさに、早春のあの場面に出てくる煙突だったんです。そういえば、その場面の煙突はちょっと白っぽいとは思っていたのですが。
前に示した池部良の下宿の背後に見える2本の煙突はどちらも煉瓦作りなので黒っぽい。しかもホシレンガの背後辺りからだと相当距離があって、あの映画の場面の大きさで煙突が写ることは考えにくい。ということなので、あの場面に写っている1本の煙突はすでに失われてしまっている、とずっと思っていたのですが、残っていたんですね。

改めて考えてみると、『早春』の映画を撮影した後、数多くの煉瓦工場がなくなって、何十本もあったはずの煙突のほとんどが倒されて、わずか数本(確認できるものは4本)しか残っていない煙突の3本が映画の重要な場面に写っている煙突だったというのは、奇跡としかいいようがないですね。このときにも、ああ川本(川本三郎)さん、やっと見つけましたって心の中で叫んでしまいました。

さて実際の場所は地図でいうとホシレンガの背後の山の中腹にある恵び須宮という小さな神社の辺りになります。櫓はおそらくその前の工場の敷地に建てたんだろうと思います。小津らしき人物が風景を探していると思われる写真は、その神社の横の高台だろうと思うのですが、そこは現在立ち入りができないようになっていました。恵び須宮も完全に廃墟になってしまっていました。

後で思ったのですが、小津一行が三石に来るなり建てたというあの櫓。彼らは汽車で来たわけですから、あんな櫓の材料を持ってくるわけにはいきません。もちろんトラックで運ぶということもあったかもしれませんが、はじめから櫓を建てる考えはなかっただろうと思います。でも、あの場面をきちんと撮影するにはどうしても櫓が必要になった。そこで浮かんだのがおそらく盆踊りなどに使う櫓だったんではないかと思います。で、運のいいことに恵び須宮の建物の中にその材料が収められていたのかもしれません。撮影したのが9月上旬でしたので、盆踊りの材料がまだしまわれていなかったのかもしれません。それを撮影用の櫓として使ったと。

もしかしたら今もその櫓の材料があそこに置かれていたかもしれませんね。でも、これはあとでひらめいたこと。次ぎに行ったときに確認してみます。できればホシレンガの人に話を訊けたらと思います。

いずれにしても、あの場所を特定できたのは、小津安二郎という人がこだわる部分に関しては徹底的にこだわるということを前提にして探し当てることができたわけです。前にも書きましたが、三石から汽車が東京方面へ去って行くというイメージでは絶対に考えにくい場所でしたから。
もちろん池部良の下宿は実際はセットでしたし、その下宿のあった場所から見える風景は、あの映画の風景とは違って線路に近すぎて、しかも汽車は三石から遠ざかるのではなく、三石に近づいてくるのですが、でも映画的なリアリティを貫くために小津がやっていたことはすごいとしかいいようがないですね。特に下宿のセットの窓の位置と、池部良と淡島千景に見させる方向! 
きっと小津は東京に戻って、池部良の下宿に設定した場所と、彼の部屋から見ている風景として撮影したホシレンガの背後の場所を記した三石の地図を見ながら綿密にセットの間取り(特に窓の位置が重要)を考えて、あの方向を見させたんでしょう。

正直、ここまでのことが発見できるなんて思ってもみませんでした。
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by hinaseno | 2012-09-24 08:50 | 映画 | Comments(0)

当たり!


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あの場所探し。
正確な場所の特定まではできませんでしたが、結果は見事なくらいに「当たり」でした。
でも、それは言い換えれば小津がすごいということの確認でもあったのですが。
詳しくは後日。
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by hinaseno | 2012-09-23 10:22 | 映画 | Comments(0)

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昨日予測した映画の最後の場面で上りの汽車が走る風景を撮った場所についての補足。
昨日も書きましたが、あの場所には前回三石を訪れたとき、最初に足を運びました。でも、あの方向に目を向けることはありませんでした。その理由は単純です。あの場所から見た上り電車は三石の駅から遠ざかるのではなく、三石の駅に”近づいてくる”ことになるからです。
「早春」では、あの場面が写る前に淡島千景がこうつぶやきます。

「行くわ、汽車」

「やって来たわ、汽車」ではなくて、「行くわ、汽車」。
つまり汽車は映画的には三石駅を出て遠くに去ってくことになっているのです。ですから僕はあの方向ではなく、三石駅から北の方向を眺めました。そして別の場所に行っても、やはり三石駅から北の方向の景色を探しました。そして結局あの映画の風景を見つけることができませんでした。
あの方向は自分にとって盲点だったのです。映画的に三石から汽車が遠ざかっていく風景がとれる場所ではないと。

改めてあの下宿から眺めた汽車の走る風景を。a0285828_19464521.jpgやはり遠ざかって行くようにしか見えません。さて、ここには何らかのトリックがあるのでしょうか。あるいは単に「行くわ、汽車」という言葉の後に出てきた風景なので、実際には汽車は三石に近づいて来ているのに、汽車があたかも三石から遠ざかって行くものとの思い込まされたのか。

この疑問は一週間後に三石に行ったときに解決されるのか、あるいは全くあてがはずれてあの風景を見つけることができないのか、さてどうなることやら。

ちなみに映画では最後に、三石の煙突をとらえた風景が2つ映し出されます。a0285828_19492345.jpgこれがその最後のものです。「早春」で最後に映し出される三石の風景。
最初に三石が映し出された時の陰鬱な感じとは違って、明るく力強く、どこか希望にあふれたものの象徴として煙突がとらえられています。
モクモクと黒煙を吐き出す1本の煙突。背景は間違いなく"青空"。空には雲が半分写っていますが、雲はどんどんとれています。この場面の背景は絶対に青空でなくてはなりませんね。

最後に今年の夏、快晴の日に僕がとった三石の写真を。
まずは三石駅のホームからのもの。ここに写っている2本の煙突が、あの池部良の下宿のあった家の背後に写っている煙突です。
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これは石段の下から駅舎をとらえたもの。赤い屋根が印象的ですね。
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次は昭和初期に作られた三石小学校。すばらしすぎて言葉が出ませんでした。
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これがその校舎の階段。そうじ道具やスコップが並んでいます。
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最後はやはり四列穴門ですね。ただしこの写真だけは別の雨の日に撮ったものです。ここだけは雨の日に撮ったものの方が雰囲気がありました。
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いつか機会があったらぜひ見に行ってみて下さい。きっと、町のこと、好きになると思います。

では、三石のことに関しては1週間後に。
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by hinaseno | 2012-09-16 20:02 | 映画 | Comments(0)

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本来であれば昨日はこの話をブログにアップするつもりでしたが、関口直人さんのことであまりにもびっくりしたために急遽そちらのほうを載せることにしました。そうしたら昨夜、アゲインの石川さんから電話があったかと思うと、急にどなたかにかわられて…、なんとそれが関口直人さんだったんですね。2日続けて腰が抜けてしまいました。あまりに急なことで舞い上がってしまって、その後も興奮してなかなか眠りにつけませんでした。だって、当たり前ですよね。大瀧さんと一緒に仕事をされていた方でもあるし、シリア・ポールがいた伝説の存在であるモコ・ビーバー・オリーブに曲を書かれていた方でもあるし、そしてそのお父さんである良雄さんはあの木山捷平や上林暁との交流をもたれていた方なのですから。ああもう死んでもいいです、と石川さんに思わず言ってしまいました。

ところで、つながりついでのことになりますが、関口良雄さんの「昔日の客」の最初に出てくる話は「正宗白鳥訪問記」。関口良雄さんが作家の正宗白鳥の家を訪問したときの、とても微笑ましいエピソードが書かれています。この正宗白鳥の出身地が、木山捷平と、つまり僕と同じ岡山なんですね。しかも正宗白鳥は、今、僕がブログで書き続けている三石のある備前市の出身。三石からは車で10分くらいのところです。生家が今も残っているとのことなので、いつか必ず行ってみたいと思っています。ちなみに木山さんとも交流のあった藤原審爾の生家も白鳥の生家のすぐ近くです。そしてその備前市には大瀧山福生寺という、偶然というにはあまりにも奇跡的な名前の、僕が子供の頃から何度も行っていたお寺があるという。なんという不思議なつながりなんでしょう。
とにかく僕もこの素晴らしい出来事があった証拠として、今朝石川さんのブログに掲載されたこの写真を載せておきます。右がアゲインの石川さん、そして左が関口直人さんです。
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翌日、石川さんよりもう1枚送っていただいたので、そちらも載せておきます。
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これが本物の関口さんですよって、指をさされているみたいですね。

さて、話は小津の「早春」のことに。
一昨日まで書いたことというのはこの数ヶ月の間に確認したことをまとめたものなのですが、まとめつつ、なんとなく腑に落ちないものを感じていました。このままではたぶん、次に三石に行って映画の最後の場面で上りの汽車が走る風景を撮った場所は、つまり小津が三石に来てその風景を撮るために櫓を建てた場所はここでした、という話で終わりそうになってしまう。

そもそも僕がこのような形で「早春」の研究を始めたのは、大瀧さんの成瀬・小津研究でした。僕のような地方に住んでいる人間にとって、大瀧さんが確認された場所を見て回ることはできません。でも、大瀧さんがそこでとられた手法を自分なりに生かすことができないだろうか、というのがそもそもの出発点でした。で、前から気になっていた三石を舞台にした「早春」に当てはめてみたんですね。そこならば何度も足を運ぶことができると。そうしていくつかの場所、いくつかの事柄を発見したり確認したことをまとめたのが前回までのものでした。
でも、正直、そこまでは時間があればだれでも調べられることです。比べることがそもそもの間違いだとはいえ、大瀧さんの研究とは決定的に何かが違っている、決定的な何かが欠けていると思いました。ただ時間をかけただけではない、研究の姿勢が決定的に違っているなと。

大瀧さんの研究(映画に限らない)では、しばしば「あたりをつける」という言葉が出てきます。ただやみくもに歩かれたり調べられたりされているわけではなく、「あたり」をつけたうえでの行動をとられているんですね。そしてそれはだいたいにおいて的中しています。
では、どうやったらあたりをつけられるかというと、小津の研究に関して言えば、大瀧さんがしばしば語られていたように小津になってみる、ということなんだろうと思います。成瀬研究であれば成瀬になってみる、そしておそらく、先日放送されたアメリカン・ポップス伝でも、その内容が石川さんの指摘されていたように深い物語性をもっているのは、おそらくそこに登場してくる何人ものミュージシャンや関係者に「なってみる」ことをしていたからこそ、あれだけの(大きなものから小さなものまでを含めた膨大な)つながりを発見されていったのだろうと思います。もちろん「なってみる」にはそれなりの膨大な知識と経験が必要なことは言うまでもありませんが。

で、「早春」と三石のことに関して、それは映画のほんの数分の場面とはいえ、小津になって考えてみたいと思いました。そうすればもしかしたら、映画の最後の場面の、上りの汽車が走る風景を撮った場所の「あたりをつける」ことができるのではないかと。
つまり、池部良の下宿として設定した場所と、その下宿の2階のセットと、その下宿から見た汽車の走る風景を実際にとった場所には小津なりの何らかの必然的なつながりがあるのではないだろうかと思いました。小津ならば、ほんの数分の場面であっても、こだわった何かがあるはずだと。
そこで、ふと気がついたのが、DVDのジャケットにも使われている、池部良と淡島千景が下宿から電車を眺めているこの写真。a0285828_8174890.jpg窓から外を眺める場合、普通であれば窓に正対するはず、しかもセットなのですから、そこから見ている風景は実際のものとは関連性がないのですが、この写真の2人はかなり斜めの方向を向いていることがわかります。背後の壁のかど、そして最大のポイントは襖に吊るしている淡島千景のワンピースですね。セットであればこれほど無理な方向を向かなくてもいいはずなのに、小津はあえて2人をその方向に向かせている。ここに何か手がかりがありそうな気がしました。
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それで、小津はセットの部屋でも、かなり細かく部屋の構造を考えるということを以前読んだことがありましたので、映画を見てのわかる範囲で部屋の見取り図と、池部良と淡島千景の2人の動きを示したものを描いてみました。そして最後の場面の二人の視線の方向も。

















そして次にこの家を実際の地図の家の場所に置いてみたらおもしろいことがわかりました。
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2人はすぐ前の線路ではなく、部屋の窓からはかなり斜めの方向の、地図上では南の方向の線路を見ていたことがわかりました。でも、この方向でも、下宿のあった場所から線路までは近すぎて、あの風景にはなりません。あの風景は、反対側の山の麓あたりでとったはずですから。
で、その視線の方向の線を地図で逆に辿ってみたら、ちょうど赤のマルで囲んだ辺り、ホシレンガという工場の背後辺りになります。そこから試しにGoogle Earthであの線路の方向を見たら、それらしい山並みが!
実はこのホシレンガの背後の場所は前回、行っているんです。でも、まさかあの方向だとは思わず、三石駅のある方向、あるいはそれよりも北の方向を見ていました。

この、あたりをつけた場所が、あの風景を撮った、櫓を建てた場所であるかどうかは次回、彼岸の頃に岡山に戻るときに確認してみたいと思っています。当たっていたらうれしいですね。

当たっていることを前提にして考えるならば、小津はまずあの汽車が走る風景を撮れる場所を、あのホシレンガの背後辺りに見つけた。そしてそのライン上にあって、背後に三石の煙突が見える工場付近の家として、あの下宿の場所を見つけた。そしてその下宿の2階のセットでも、あの場所の家であることを考えながら、2人の視線をあの方向に向けさせたのだろうと。

次に三石に行ってみるのが楽しみです。
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by hinaseno | 2012-09-15 08:26 | 映画 | Comments(0)

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「早春」の映画に出てくる、池部良の三石での生活をとらえた3つめの場面。映画のクライマックスです。
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下宿に戻った池部良は「ただいま」と1階にいるはずの人(大家さん)に声をかけて、家の中にある階段を使って2階に上がっていきます。彼がこの家の2階に下宿していることがわかります。


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で、これが2階の下宿している部屋に上がってきた場面。襖に女性のワンピースがかけられていて、その下には大きめの鞄がいくつか置かれています。池部良には気づかない形で、すでに奥さんである淡島千景が三石にやってきていることを映画を見ている人に知らせています。おもしろいですね。

そして手前の部屋に入ってきてしばらくして池部良はそれらがあることに気づきます。この瞬間の彼の表情も含めて、僕はこの場面がたまらなく好きです。
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で、淡島千景が階段から上がってきて、2人は三石で再会します。
そしてこんな会話が交わされます。
「狭い町だぜ」
「さっき買い物に出て見てきたわ」
「ここで2、3年も暮すとなると、大変だよ」
「そうね、でもいいわよ、お互いに気が変わって」

a0285828_9442768.jpgこの後、汽笛が聞こえて2人は並んで下宿の2階の窓から汽車が走る線路を眺めます。この映画の最大のクライマックスです。






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ここで池部良が淡島千景をそっと抱き寄せて汽車を眺める場面は、「早春」の映画を代表する場面として、僕の持っているDVDの表紙を含めて最もよく使われています。






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この2階の部屋から2人が見つめている上りの汽車が走る風景が先日示したこの場面です。ある意味では「早春」という映画の最も大事な場面といえるかもしれません。小津が三石にやってきて、まず探したのは山間の町を汽車が走る風景を最もいい場所を探すことだったのでしょう。

僕は池部良の下宿のあった場所を見つけたとき、そこが山陽本線に近すぎることがすぐにわかりました。あの場面はここにあったはずの家の2階からとらえられた風景ではないと。セットだったんですね。あの2階は。
三石での歓迎レセプションのときの写真を見てもわかるように、淡島千景は三石には来ていなかったんですね。まだ、あの場所を確認する前、淡島千景のインタビューなどいろいろ探していたのですが、三石に関する話が一切見つからないはずでした(池部良は著作も多く、「早春」や三石に関する話をいくつも書いていますが)。

いずれにしても、池部良の下宿のあった場所と、その家の2階から見えることになっている上りの汽車が走る風景が見える場所は、同じである必要はなかったんですね。あの風景が見れて、あのような間取りの2階の部屋がある家を三石で探すのは不可能でしょう。
ですから、小津はあの風景が見れる場所をまず見つけて、そこに櫓を建てたんですね。2階の高さになるように。これはこれですごいことのように思います。映画の中でのほんの数秒の場面であるならば、ロケハンで決めた場所にカメラを固定して撮ってもいいように思いますが、あえて2階であることを示すために櫓を建てて撮影した。その2メートルくらいの高さの違いからとらえられた風景の違いがわかる人なんてだれもいないように思うのですが。でも、あえてわざわざあの櫓を建てた。
この櫓を建てた場所は必ず探してみたいと思っています(一度かなり時間をかけて探してみたのですが見つかりませんでした)。

さて、では下宿のあった家はどのようにして選ばれたのでしょうか。
煙突のある工場から近い場所で選ばれたのだとは思いますが、「瀬戸内シネマ散歩」に載っていた写真で示したように、下宿とされた津村さんの家は平屋でした。もちろん映画では建物の入り口付近しか映っていませんので、2階建か平屋かはわからないのですが、2階建の家を探して、その2階建の家を映像で見せた上で、セットの場面を使ってもよかったように思うのですが。
でも、いうまでもなく背後に煙突が何本か見える場所としてあの場所がベストだったんでしょう。そしてあの辺りには都合のいい2階建の家はなかったのでしょう。
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by hinaseno | 2012-09-13 10:09 | 映画 | Comments(0)

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「早春」の映画に出てくる、三石での池部良の生活をとらえた場面の2つ目。前日の事務所で働く場面の後、そこから自宅の下宿に戻る場面です。映画ではほんの数秒のシーン。
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手前の道のつきあたりには家が建っていますが、道はそこで左右に枝分かれしています。その画面右側の道から仕事を終えた池部良が現れます。
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池部良はまっすぐこちら側に向かってきます。このとき、池部良の背後には労働者風の男が画面左側の道に入って行くのが見えます。
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で、池部良は左に曲がって、画面右にある家の中に入ります。つまり、ここが池部良の下宿なんですね。
この後、画面は家の中へと切り替わっていきます。

この間カメラは固定されたまま。背後には2本の煙突が見えます。右側のおそらく手前にあるはずの煙突はかなり太いですね、ところどころに入っている筋の様子から見ると、おそらく方形。それから左側の、おそらく後方にあると考えられる煙突は遠近感の関係があるとはいえ少し細い。画面上では太さが右の煙突の半分以下です。煙突の形状も右側のものとは違っておそらくは円形のはず。昨日載せた煙突が何本もあるカットでも、やはり横に筋の入った方形の煙突と、円形の煙突の2種類が見えます。この場面の背後にある煙突はまぎれもなく三石にあった煙突のはず。つまり、この場面は三石で撮影されたことは確かでした。

僕が「早春」と三石の研究を始めたとき、何よりもまず最初に、この場面の池部良の下宿を探さなければと考えました。手がかりは背後の2本の煙突と突き当たりで枝分かれしている道。
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でも、三石の町を通っていてわかっていたことなのですが、現在、三石には煙突がほとんど残っていません。最初に町中に入って確認することができた大きな煙突はたった1本。現在も操業を続けているこの煉瓦会社の背後に見える煙突だけでした。
実際はもう1本、かなり小さな煙突が山の中腹にあったのですが、まったくかけ離れた場所にあって、あの映画の場面に出てくる煙突ではないことは確かでした。この状況を目の当たりにして、映画のあの場面に見える煙突は2本とももうすでになくなってしまっているだろうという気持ちになりました。
ただ、道に手がかりはないかと思い、町中をあちこち歩き回り、途中で出会った郵便配達の人に訊いたりしましたが、見当がつかないということでした。道も整備されてなくなってしまっているのだろうかと諦めかけていたところ、そきほどの工場の関係者に、事務所の背後に見える煙突の隣に、もう1本、昨年、上部をかなり切りおとした煙突があることを聞きました。震災の影響で、倒壊の危険性を考慮して切ったのではないかと推測されるのですが、いずれにしても、その切られた煙突が見えそうな高台(山陽本線の土手のある側)をあちこち歩いていたら、なんと映画のまさにその場所に突然出ました。
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煙突は2本ともかなり短くなっていますが、その2本の太さも形も間違いなく、池部良の下宿の背後に映っていたあの2本の煙突です。ここを見つけたときは本当にうれしかったですね。心のなかで思わず「川本さん(川本三郎さん)、見つけました!」って叫びましたから。
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ただ残念ながら、問題の下宿のあった場所はこのように空き地になっていました。ブルーシートの下に木材が残っていますので、わりと最近まで建物が残されていたのかなと思い、後日伺ったら、ほんの数年前に取り壊されたとのことでした。一歩遅かった。
この場所にあった家は、津村さんという方の家だったとのこと。津村さんのご子息は確か三石の別の場所に住まわれているとのことでしたので、いつか機会があればお会いできたらと思っています。映画に関する、何かびっくりするようなものを持っていらっしゃるかもしれません。
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さて、あの場所にあった津村さんの家。なんとその写真が先日紹介した「瀬戸内シネマ散歩」に載っていました。右の写真です。手前の方形の煙突も切られる前で、まだ高くそびえています。
著者がここを取材されたのは4年前の2008年の夏。著者は人に聞いてこの場所に来たとのこと。ちょっとずるいですね。でも、やはりこういうのは人に聞くのではなく自分の足で探し歩いた方が楽しいことを知りました。
ちなみに、本の著者がこの家を訪ねて来たとき、家はすでに空き家になっていたとのことでした。
この家のことについては明日にでも。
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by hinaseno | 2012-09-12 10:13 | 映画 | Comments(0)