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by hinaseno
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カテゴリ:映画( 92 )



夏頃の話になりますが、このブログでも何度か触れていた川島雄三の『銀座二十四帖』(昭和30年)をようやく見ました。銀座、築地の興味深い風景がいっぱい。映画の冒頭では大田区の蒲田に近い新田銀座というのが出てきてびっくり。昔、大瀧さんが平川さんに調べるよう指示(?)されたのはどうやらこのシーンの場所だったみたいです。平川さんや石川さんの生まれ育った場所の近くですね。
いろんな風景が出てくる中、最も心ときめいたのはこの風景。映画のエンディングで写されたカット。
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服部時計店の時計台の向こうにアドバルーンがあがっています。僕にとっては超お宝的風景。というわけで...
♫空にゃ今日もアドバルーン
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by hinaseno | 2015-10-08 12:56 | 映画 | Comments(0)

今井正監督の『ここに泉あり』(昭和30年公開)をまた見ました。映画自体も素敵ですが、三井弘次、加東大介ファンとしては最高に楽しめる作品。ほろりとさせられる場面、思わず笑ってしまう場面など、飽きることがありません。さらに地方に作られた交響楽団の苦闘を描いたものなので、いろんなところに音楽がちりばめられています。
で、大好きなフォスターの曲も。
最も感動的な場面の一つであるこのシーンで演奏されたのがフォスターの「金髪のジェニー(Jeanie With the Light Brown Hair)」。僕がフォスターの曲の中でも特に好きな曲です。
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で、今回見直していたらもう一曲フォスターの曲が”歌われて”いました。歌っていたのは、なんと三井弘次。
経済的なことから楽団の存続がきびしくなっていよいよ楽団を解散すると決まった夜、最後の晩ということで楽団員がいっしょに酒を飲み始めます。もちろん一番酔っ払っているのは三井弘次。
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踊ったり、わけのわからないことをわめいたりしていますが、こういう演技は抜群。左にいるのは加東大介。

この後三井弘次は一人だけ酒を飲もうとしない楽団員の方に向かって歌を歌いながら歩いていきます。
このときに歌っていたのがフォスターの「ケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)」の最初の部分。
The sun shines bright in the old Kentucky home

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なんで唐突にこの歌を、と思いましたが、改めてその前を見返したらちゃんと伏線がありました。
べろべろに酔いながら三井弘次が口にしていたのがこの言葉。
「電気センタッキー・ホームに扇風機」

どうやらチンドン屋をしたときのセリフだったようです。「電気センタッキー・ホーム」というのは電気洗濯機とケンタッキー・ホームをかけた言葉だったんですね。

それにしてもこの『ここに泉あり』の2年前に公開された小津安二郎の『東京物語』でもフォスターが使われていたりと、当時の日本人にフォスターの曲が深く浸透していたことがよくわかります。
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by hinaseno | 2015-07-19 12:25 | 映画 | Comments(0)

加東大介の話が続いたので今日は三井弘次の話。
この日紹介したインタビュー記事で、三井弘次は与太者シリーズの映画に出ていたときに、小津に認められて小津の映画に出るようになったと語っていました。
与太者シリーズは昭和6(1931)年から昭和10(1935)年にかけて10回も続いています。一応作品を並べてみます。
①令嬢と与太者(1931年)
②初恋と与太者(1932年)
③与太者と縁談(1932年)
④戦争と与太者(1932年)
⑤与太者と芸者(1933年)
⑥与太者と海水浴 (1933年)
⑦女学生と与太者(1933年)
⑧与太者と脚線美(1933年)
⑨与太者と花嫁 (1934年)
⑩与太者と小町娘(1935年)

このシリーズの「与太者と海水浴」に、当時9歳だった高峰秀子さんが出演されていました。しかも男の子役。高峰さんは子役の頃、かなりたくさんの映画で男の子役を演じていたんですね。ここで「与太者と海水浴」のいくつかのシーンを見ることができます。学生服を着て男の子の役を演じている高峰さんや与太者の一人である三井弘次の写真を見ることができます。

高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』では、この「与太者と海水浴」と三井弘次の話が少し出てきます。ちなみにこのとき三井弘次は23歳。
「与太者と海水浴」は、それまでの女優路線一辺倒の蒲田調には珍しく、若者三人組の喜劇シリーズであり、三人組の一人は、現在もなお独特な芸風で活躍中の三井弘次であった。今から四十余年の昔、「与太者と海水浴」の宣伝スチールを撮るために、私は「写場」へ行って三人の若者と初対面をしたが、なぜか小柄で目つき鋭く、いなせな、というより一癖ありげな若者、三井弘次だけが私の印象に残った。
「今までの松竹の俳優にはなかったタイプの人」だと、子供心にも感じたのだろうか? 以来、四十年余り、私は執念深く三井弘次をみつめ続けたが、彼が歩、一歩と独特の個性を生かして「いぶし銀」のような演技者になってゆくのが、他人ごととは思えないほどうれしかった。彼の演技に接するたびに、私は「先見の明があった」と得意になっている。彼と私は、その後も何本かの映画で共演したが、それとこれとは全く無関係で、私は彼の一ファンであり、彼の演技を見ることが楽しいのである。

正直言えば、小学校3、4年の女の子であれば、いや、女性であれば、嫌悪感を抱かれても仕方がないような人なのに、 三井弘次という役者に目を留め、その後も「執念深く」「みつめ続け」たということに高峰秀子という人の独特の感性を改めて思い知りました。
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by hinaseno | 2015-07-17 12:25 | 映画 | Comments(0)

こちらで見つけた加東大介の素敵な写真。
今からほぼ50年前の昭和39(1964)年夏の『週刊文春』のグラビアに載ったものとのこと。ということでその雑誌を入手。表紙を開いた最初のページに載っていました。うれしいことに加東大介のサインも載っています。加東さんのサインを見たのは初めて。
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タイトルは「私はこれになりたかった」。「88」という数字がついているのは、このタイトルでシリーズが続いていたのでしょうか。
タイトルの後にはこんな言葉が。
「それは縁日のお店やさんです」

で、その縁日のお店やさんになったのがグラビアの写真ですね。
そして写真の下には加東大介のこんな言葉。
子供のころ浅草で育った私は、よく縁日にゆきました。色とりどりのお面や風車をたくさん並べて売っている人を見ると「なんとこの人は物持ちなんだろう」と感心したり、自分がこの人になって、おもちゃも買ってもらえない友達にどんどんあげられたら……という空想をしたこともありました。
その夢は今でも持ち続けています。子供が大好きな私は、いちど縁日に店を出して通りすがりの子供さんたちに、おもちゃを配りたいと思っています。

いい話ですね。写真の加東さん、よく似合っています。
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by hinaseno | 2015-07-15 13:45 | 映画 | Comments(0)

先日、ある店の隅の方を歩いていたら、古い映画関係のスナップ写真がたくさん入った段ボール箱を発見。何かないかと思っていろいろ見ていたら、加東大介と淡島千景の仲睦まじいこんな写真が。
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加東大介と淡島千景といえば、すぐに思い浮かぶのは『早春』のこのシーン。
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池部良の家に泊ることになった加東大介が下にいる淡島千景のところにやってきてくどくどと話をするんですね。
さらにこの後、三井弘次も降りてきて、酔っ払った二人がいやがっている淡島千景を気にせず、しゃべり続けます。三井、加東ファンとしては最高のシーンですが、もちろん淡島千景としては最悪。
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といったイメージしか持っていないので、上に貼った写真は何だかイメージが狂ってしまいます。もちろん加東大介と淡島千景はいろんな映画で共演しているはずなので、おそらく夫婦役、あるいは恋人役もあったにはちがいありませんが、この写真の手がかりはありませんでした。
と思って、裏返してみたらありがたいことに、この写真のもとの持主が、写真の詳しい説明を書いていました。

この写真は昭和43(1968)年に放送された『お多江さん』というテレビ番組のワンシーンだったようです。ウィキペディアの加東大介には出演したテレビ番組に『お多江さん』は書かれていませんね。ネット上には『お多江さん』に関する写真も見づらいのが1枚あるだけ。というわけでかなり貴重な写真ではないでしょうか。
せっかくなので写真の裏に書かれていたことをそのまま写しておきます。
ABCTV6ch
〈スタジオドラマ〉
お多江さん〈カラー〉最終回
横町に幸せの風
放送日 10月5日(日)後8:00〜8:56

新婚旅行のホテルで大照れの磯吉と、そわそわ落ちつかないお多江さん
左より
  加東大介(磯吉)
  淡島千景(お多江さん)

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by hinaseno | 2015-07-14 12:28 | 映画 | Comments(0)

浅草の松屋のことが気になって川本三郎さんの『いまむかし東京町歩き』の「松屋浅草店の屋上遊園地」を読んだら、昭和10年公開の成瀬巳喜男の『乙女ごころ三人姉妹』に松屋の屋上に行くシーンが出てくるとのこと。で、YouTubeをチェックしたら映像がアップされていました。ラッキー。
一時間ちょっとの短い映画ですが、松屋が頻繁に映ります。タイアップしてたのかもしれません。もちろん隅田川とそこに架かっている橋もいくつか映ります。
最初に映ったのはこのシーン。やや見づらいのですが、三女の梅園竜子の向こうに見えるのは言問橋。
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このあと、もう少しはっきりと映ります。三女がこのとき男と歩いているのは隅田川東岸の言問橋の南の川岸。
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次に映るのはこの場面。総武線の鉄橋の向こうに対岸の松屋がとらえられています。この頃はまだスカイクルーザーはできていません。
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で、このあと松屋の屋上から下を眺めたシーンが映ります。映ったのはサミュエル・フラーの『東京暗黒街 竹の家』では映らなかった松屋のすぐそばの吾妻橋。
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ちなみに岩波写真文庫の『川 ―隅田川―』には「吾妻橋」と題してこんな写真が載っていました。どこから撮影されたかは書かれていませんが、まちがいなく松屋の屋上から撮ったもののはず。
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ところで『乙女ごころ三人姉妹』が公開された翌年の昭和11年に書かれた荷風の『濹東綺譚』にはこんな場面が出てきます。
吾妻橋のまん中ごろと覚しき欄干に身を倚せ、種田順平は松屋の時計を眺めては来かかる人影に気をつけている。

翌年、朝日新聞に連載されたとき、木村荘八が描いた挿画がこれ。吾妻橋の真ん中あたりから西をとらえた風景。右に見える建物が松屋ですね。
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ところで、『乙女ごころ三人姉妹』では隅田川を走る水上バスに乗った場面で、橋の下をくぐるシーンが映るのですが、これはどうやら清洲橋のようです
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by hinaseno | 2015-07-13 13:59 | 映画 | Comments(0)

川本三郎さんの本などで何度も紹介されていて一度は見なくてはと思っていたサミュエル・フラー監督の『東京暗黒街 竹の家』をようやく見ました。ロバート・ライアン主演のギャング映画。
ギャング映画なんて全く興味はないんですが、この映画のポイントは昭和30年の東京を舞台にしていること。しかもカラー。とにかく風景をずっと見ていました。
川本さんの本で浅草の松屋が出てくるのは知っていましたが、松屋の場所をきちんと確認したことがなかったので、いきなりこの場面が映ったときにはびっくりでした。
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松屋デパートの屋上からの風景。右の方に見えるのは間違いなく隅田川。というわけで手元にある昭和34年の地図で確認。
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映像は松屋の屋上の南の端から北東方向を捕らえたものであることがわかりました。というわけで手前に見える橋は東武線の鉄橋、そしてその向こうに見えるのは言問橋と推測。で、確認のために岩波写真文庫の『川 ―隅田川―』(昭和25年刊行)を見たら、「浅草松屋の屋上から上流を見る」と題されたこんな写真が載っていました。
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全く同じですね。「手前の橋は松屋内の駅からでている東武線の鉄道、その上の橋は言問橋」と書かれています。

映画ではこのあとこんなシーンも。
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松屋の屋上の遊園地にあったスカイクルーザーから、隅田川の下流を捕らえています。手前に見えるのが駒形橋、その向こうに見えるのが厩橋ですね。
ちなみに松屋のすぐ近くにある吾妻橋は(たぶん)映りませんでした。ちょっと残念。
でも、予期せぬ映画で隅田川の橋を3つもみることができてとてもラッキーでした。

ところで今朝読んだ荷風の『断腸亭日乗』の昭和15年7月12日に松屋が出てきてちょっとびっくり。
今からちょうど75年前の浅草、隅田川河畔の夜の風景。
午後平井君来る。共に土州橋に至り日本橋の花村に食して浅草に往く。オペラ座舞台稽古を看て翌朝の三時に至る。溽暑甚しく家に帰るも眠り難きを知り稽古場に雑談して夜のあくるを待ちたりしなり。然るに稽古は案外早く終り踊子芸人達も皆かへり去りたれば平井谷中の二氏と共に花川戸松屋百貨店の軒下または隅田公園の腰掛に、折々帰来る小雨を傘のかげに避けながら徐に夏の夜の明け行くを待ちたり。吾妻橋〻上の燈火一斉に消るを見し時、遥に電車の響のきこゑ初めて一人二人歩行の人影も見え初めぬ。隅田川の水の濁りて臭気甚しきこと夜明けは殊に堪難きばかりなり。

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by hinaseno | 2015-07-12 12:15 | 映画 | Comments(0)

東京を舞台にした昔の日本映画を見る楽しみの一つは、今はもう失われてしまった懐かしい風景が見られること。
なんて言葉は川本三郎さんの本の中にきっとあったはずですが、本当にそうですね。もちろん、僕が感じる懐かしさは、失われる前の風景を知っている人たちが感じるものとは違っていますが、その懐かしさを求めて風景ばかりを見ています。

存亜風景の中で最も心がときめくのは、隅田川(にかかる橋)と荒川放水路、それから路面電車の走る風景。小津や成瀬の映画にはいくつもそれら風景がとらえられています。
昔の東京の地図を眺めながら映画を何度も見返すうちに、最初の頃は全くわからなかった場所が特定できるようになってきました。もちろん川本さんの本をはじめ、いろんな人の書かれているもので何度も読んでいるはずですが、やはり自分で確認してみて、「知った」という状態になれます。

さて、先日見た小津の『風の中の牝鶏』(昭和23年)にも隅田川のかかる橋をとらえた風景が出てきました。こういうのはネットを見ればすぐにわかることですが、そういうのに頼らないで自分の手元にある地図といくつかの写真を頼りに橋を特定する方が愉しいですね。でも、特定した後ですぐに忘れてしまってはもったいないので、自分なりのメモのつもりで映画の場面の写真を貼っておこうと思います。

『風の中の牝鶏』にとらえられた隅田川の橋は二つ。相生橋と勝鬨橋。いずれも隅田川下流の河口付近にある月島にかかる橋。一応、昭和22年の地図を貼っておきます。
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最初に映るのは相生橋。佐野周二が月島に行くために歩いてこの橋を渡ります。
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かなり長い橋だなと思ったら、途中で路面電車が通り過ぎるシーンが映ります。これだけ長いのならば路面電車に乗ればいいのにと思ってしまいます。
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それからこれが勝鬨橋。
佐野周二が座っているのは勝鬨橋から少し南の月島の河岸。勝鬨橋をバックに三井弘次が客となっている宿で娼婦として働いている女性と佐野周二がかなり長い話をします。ところで勝鬨橋は大きな船が通るときには橋が開く開閉橋ですが、残念ながら開くところは映りませんでした。
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勝鬨橋といえば、松本隆さんの『微熱少年』で、主人公の少年が橋が開いたときに車で飛び越えたのがまさにこの勝鬨橋だったとのこと。昔読んだときには勝鬨橋どころか隅田川すら知りませんでした。また、読み返してみます。
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by hinaseno | 2015-07-09 12:05 | 映画 | Comments(0)

三井弘次と加東大介


先日、『キネマ旬報』の1958(昭和33)年5月下旬号に掲載された加東大介のインタビュー記事を紹介しましたが、そのときにあることをふと思いついて、確認したら、やはり!でした。

加東大介は「今日の傍役」のいう連載の4回目。
手元にあった1958(昭和33)年4月下旬号の望月優子が「今日の傍役」の3回目。そして1958(昭和33)年8月下旬号の志村喬が7回目。ということはどうやら「今日の傍役」の第1回目は1958(昭和33)年2月下旬号のはず。
この第1回目の人がなんとなく三井弘次のような気がしたのですが、見事的中。
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ただ、タイトルが「今日の傍役」ではなく「傍役の研究」となっています。きっと「研究」ではいくらなんでも堅苦しいのでタイトル変えたんでしょうね。
この「傍役の研究(→今日の傍役)」という特集をはじめるきっかけになったのは、三井弘次が前年度の1957年に毎日映画コンクール賞とブルーリボン賞の男優助演賞を受賞したことだったようです。三井さんのインタビューは受賞式の直後くらいだったかもしれません。

実はこの二つの賞、加東大介も成瀬巳喜男の『おかあさん』で1952年に受賞しているんですね。加東大介は尊敬する三井弘次よりも先にこの賞を受賞していたわけです。
これについて加東大介は先日紹介したインタビューでこんなことを語っていました。加東さんの人柄がとてもよく出ています。
考えてみると、加東大介という役者は、大変幸運な男だと思います。ほんとうです。そりゃあ、人間実力次第ということも、ほんとうには違いないけれど、やっぱり運、不運ということはありますよ。そう思いませんか。たとえば、私の尊敬する三井弘次さんをごらんなさい。彼、今年になってあちこちから演技賞を取ったりして、なにか一躍脚光を浴びたかたちだけど、なにも彼が急にうまくなったわけじゃない。彼の演技力というものは、以前からそれこそ折紙つきだといっていい。それが昨年度の演技賞を貰ったということは、たまたま昨年ベスト・テン級の作品に出演したからなんだ。「気違い部落」とか「どん底」とかね。作品がよければ、役者もはえます。今までが、恵まれなさすぎたんです。私なんぞより、当然早く賞を貰っていい方です。

そんな三井さんのインタビューもいい話が多いです。何よりも傍役の地位が上がってきたことをいちばん喜んでいます。
さて、三井さんのインタビューでは当然小津の話が出てきます。
これ(=与太者シリーズ)をやっているうちに、小津先生に認められて、「非常線の女」という映画に出ることになりました。やっぱり中学生の不良の役で、与太者の一種です。しかし、何といっても小津先生についたということは、ぼくにとってたいへんなことでした。第二の人生が拓けたといってもいいくらいです。ずいぶんといろんなことを学びましたし、仕事をやりながら考えさせられる。以来、小津作品には何度も出たし、ずいぶん御世話になりましたが、一貫して小津先生の仕事ぶりは変りませんね。サイレントの頃からセリフを云わせられましたし、細かく芝居の型をつける。そうとう厳しい演出だったけど、こっちが納得できないようなことは云わないし、一概に「口やかましい監督さんだ」ときめつけてしまったら何も得られない。厳しさにこだわったら駄目なんでmこっちが無心に勉強しようと思えば、いくらでも学ぶところのある人です。その頃、先生はさかんにこんなことを云っていました。「十あるものを十までやってはいけない。七つまでやって、あとは次のシーンにのこしておけ」。当時はどういう意味なのかよく解らなかったけれど、最近やっと自分なりに理解できるようになった。おそらく、うまくやろうとしてはいけない、力んで芝居をしてはいけない、ということなんでしょう。考えて噛みしめると、非常に含蓄のある教えである。

そういえば、つい先日、小津の『風の中の牝鶏』(昭和23年)を久しぶりに観返したら、配役で三井弘次が「男A」という役で出演していることがわかりました。どこに出ているんだろうと思っていたら、いかがわしい宿の常連客の一人として麻雀をしてました。こういう役ぴったりですね。
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というわけで加東大介に続いて三井弘次に関する貴重なインタビュー記事が手に入りました。この二人、もっともっと語られていてもいいような気がするのに、ちゃんとした「研究」本はひとつもありません。
だれか『三井弘次と加東大介』というタイトルで本を出してくれないでしょうか。もちろん写真満載で。
たとえば『ここに泉あり』の最も感動的なシーンでのこんな写真なんかがあるといいですね。”傍”にいる二人がとてもいい表情をしています。
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by hinaseno | 2015-07-07 14:31 | 映画 | Comments(0)

「加東大介と役者気質」


先日紹介した『キネマ旬報』の1958(昭和33)年5月下旬号に掲載された加東大介のインタビュー記事を全部読んでみたいとの希望がありましたので、4ページ分のスキャン画像を貼っておきます。
ところで『キネマ旬報』は同じ1958年のものを他に2冊持っていて「今日の傍役」では第3回が望月優子、第7回が志村喬でした。志村喬なんて黒澤明の映画でいくつも主演しているのにちょっとびっくりですね。ちなみに武蔵小山が特集された「新・盛り場風土記」は鎌倉と伊勢です。
というわけで、「今日の傍役4 加東大介」を貼っておきます。タイトルは「加東大介と役者気質」。
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by hinaseno | 2015-07-01 09:32 | 映画 | Comments(1)