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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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カテゴリ:映画( 89 )



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土堂小学校を出て、千光寺山の中腹にある志賀直哉の旧居に向かいました。光明寺はその途中にありました。
僕は尾道に光明寺というお寺があることを知らなかったので、なぜ、小津は光明寺に立ち寄ったのだろうかと結構考えていたのですが、尾道に行く前日に志賀直哉の『暗夜行路』の尾道の場面を読んでいてわかりました。主人公の謙作が尾道に来たときに千光寺に向かう途中で光明寺に立ち寄っているところが出ててきたんですね。あっ、これだったんだなと。その部分を引用します。

 翌日十時頃、彼は千光寺という山の上の寺へ行くつもりで宿を出た。その寺は市の中心にあって、一ト眼に全市が見渡せるというので、其処から大体の住むべき位置を決めようと彼は思った。
 いい加減な処から左へ鉄道線路を越すと、前に高い石段があってその上の山門に獅子吼と勢よく書いた大きな行燈が下がっていた。光明寺という寺で、彼は寺内を出抜けて山へかかったが、うねり、くねった分りにくい小路がいくつもあって、そのどれを選んでいいか見当がつかず、或る分れ道に立って休んでいた。

小津は志賀直哉を敬愛していて、とりわけ『暗夜行路』は若い頃から何度も読んでいて、そこに志賀直哉が暮らした尾道が登場したからこそ『東京物語』の舞台として尾道を選んだわけですから、当然、『暗夜行路』に出てきた場所を訪ねたんですね。東京では永井荷風の『断腸亭日乗』の舞台を歩いたように。

光明寺は土堂小学校からはそんなには遠くないのですが、『暗夜行路』に書かれている通り「うねり、くねった分りにくい小路がいくつもあって、そのどれを選んでいいか見当がつかず」スマホのナビに頼りっぱなしでした。おかげでこの日の後半は電池切れが心配であまりスマホが使えなくなってしまいました。撮りたい写真もいっぱいあったのだけど。
というわけで、かなり迷いながら辿り着いた光明寺。小津は文学散歩をしつつも、当然ロケ地として使えないかを考えてここにやってきたはずです。
これが山門。『暗夜行路』に出てくる「獅子吼と勢よく書いた大きな行燈」はありませんでした。
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そしてこれが本堂と境内。
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僕が行ったときも数人の観光客がいましたが、境内の外れにあったお堂の近くにかわいらしい猫がいて、ほとんどの人がその猫にカメラを向けていました。63年前の夏に、小津たちがここにやってきていたことをいったいどれだけの人が知っているんでしょうか。

僕の今回の目的は墓探しなので(考えたら小津たちもまさに墓探しをしていたわけです)光明寺付近の墓をいくつか見て歩きましたが、それらしい墓地はありませんでした。でも、猫の写真を撮っている人たちを尻目に一応墓地の写真を何枚も撮りました。
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光明寺は正直、あまり見るべきものがない寺だったので、『暗夜行路』の謙作が行ったのと同様に、本堂の横から抜けて山に登り始めました。
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ここらあたりから志賀直哉の旧居に向かう道はさらにすごかったですね。ナビもあまり役に立ちませんでした。坂もかなり急で、汗びっしょりになってしまいました。
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これが志賀直哉旧居前の道。このあたりに住んでいるはずのお年寄りも休み休み坂を登っていました。
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これが志賀直哉の旧居。『暗夜行路』に出てくるままの三軒長屋でした。
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ここからの眺め。
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これが志賀直哉が暮らしていた部屋。瓢箪をつるしていますね。
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長屋の入口近くの部屋にはこんな大きな瓢箪も飾られていました。
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『暗夜行路』では、謙作が尾道の町を歩いたときに「瓢箪を下げた家の多い事も彼には物珍しかった」という言葉が出てきます。小津はこの言葉を見逃さなかったので、『東京物語』の尾道の平山家には瓢箪をつるしていたわけです。
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川本三郎さんの『日本映画を歩く』で、川本さんが尾道を歩いたときに、志賀直哉の『清兵衛と瓢箪』が、尾道を舞台にしているのではないかと気づいたことが書かれているのですが、どうやらそれは以前から周知のことだったようで、志賀直哉の旧居内の売店には『暗夜行路』と『清兵衛と瓢箪』の文庫本が売られていました。でも、あらかじめ調べておいて町を歩くよりも、町を歩いていてここはあれではないかと気づくという方がやはりいいですね。

そういえば志賀直哉の旧居を出た後、食事をとるために立ち寄った店に『尾道を映画で歩く』という本が置かれていたのでぱらぱらと見ていたら、立ち寄ったばかりの土堂小学校は『清兵衛と瓢箪』の舞台にもなっていると書かれているのを発見したので、家に帰って読み返してみましたが、それらしいことは何も書かれていませんでした。確かな根拠といえるようなものは何もない気がしますが。
でも、もしかしたら小津は志賀直哉本人から土堂小学校のことを聞いていたのかもしれません。

ところで志賀直哉の旧居近辺の坂道にはあちこちに猫がいました。猫の名前のついた店もいくつか。小さな路地に猫は似合います。
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by hinaseno | 2016-09-17 12:36 | 映画 | Comments(0)

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昭和28年6月28日の「撮影日程表」には、宿泊した竹村旅館でロケした後、「午后1時出発 仲氏案内 久保町横丁」という言葉が記されています。ただしこれは蓮實重彦著『監督 小津安二郎』の巻末付録を見てのもの。僕は「仲氏家内 久保町校丁」と読んでいました。なんのこっちゃですが。これはきっと『監督 小津安二郎』に活字化されたものが正しいんでしょうね。でも、「久保町」のあとの字はとても「横」には見えないけど。
ところで尾道は横に細長い町ですが、縦割りの形で町名が決められています。古い地図(ネット上で見ることのできる昭和3年のこの地図)で確認すると西から土堂町、十四日町(とよひまち)、久保町、そして浄土寺のある東の端の尾崎町となっていますね。一番広いのが久保町。現在は久保、西久保町、東久保町と3つに分かれているようです。
今回の尾道の探索の一番の目的は「墓探し」ですが、町のどこかで偶然にこのカットが撮影された場所が確認できればと考えていました。一番可能性が高いのは久保町かなと。
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特に見つけたかったのは上のシーン。香川京子さんが尾道の平山家を出て路地を歩くシーンですね。映画で香川京子さんが登場する場面として尾道で撮られたのはこのシーンだけ。前回、浄土寺近くの平山家があったあたりを探しましたが見つかりませんでした。

さて、6月29日の「撮影日程表」。
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上段にはこんな場所が並んでいます。
「千光寺通り」「志賀先生の遺跡の家」「光明寺」「土堂小学校」。
「遺跡」という言葉は気になりますが、これはほぼ読むことができます。ただ『監督 小津安二郎』の巻末付録を見たら「土堂小学校」が「堂上小学校」となっていました。これは明らかに活字化した人のミスですね。

尾道にある志賀直哉の旧居はかなり坂を登ったところにあるので、僕は「土堂小学校」「光明寺」「志賀先生の遺跡の家」の順に歩くことにしました(そういえば昨日書いた「宝土寺」はあとで考えたら志賀直哉の旧居に行った下りがけに立ち寄ったんでした)。

というわけで尾道駅から最初に向かったのが土堂小学校。その名の通り尾道の西の土堂地区にある小学校。『東京物語』に登場する尾道の小学校は浄土寺の近くの筒湯小学校ですが、最初にロケをしたのはこの土堂小学校だったんですね。
坂を少し上って校門前の階段を昇ったら、わおっ!でした。特に右側に見える校舎の素晴らしいこと。
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土堂小学校のこの東側の校舎が建てられたのは調べたら昭和11年。小津が来たときにももちろん建っていたわけです。建物だけを見たら映画で使われた筒湯小学校よりもずっと見栄えがいいような気がします。ちょっとモダンすぎると判断したんでしょうか。

これはネットで見つけた昭和28年の土堂小学校の全景。校舎の3階あたりからだと、東に向かう汽車の様子をとらえることができそうです。おそらく小津たちもそれを確認したはず。
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ちなみにこれはこの校舎の近くで撮ったもの。一応、線路を見ることができます。
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ウィキペディアで土堂小学校を調べたら、著名な出身者のところに林芙美子、大林宣彦、高橋源一郎の名がありました。大林宣彦が監督をした『転校生』と『ふたり』はこの土堂小学校でロケされたようです。

そういえば、結果的には偶然ではない形でいちばん上に貼った香川京子さんが歩いている場所を確認することができたのですが(このいきさつはまた後日)、その場所が久保町の久保小学校のすぐ近くだったんですね。
家に戻ってこの久保小学校の写真を見たらびっくり。これまた素晴らしい校舎でした。ネットからお借りしました。
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この学校、小津たちも絶対に見たに違いありませんが、やはりあの映画で出そうとした尾道の雰囲気からはこの校舎はモダンすぎたのかもしれませんね。でも、映画で小学校の教師をしている香川京子さんが通りがかったときに立ち上がって会釈をしたのはもしかしたら久保小学校の生徒だったかもしれません(たったそれだけの演技でも小津が素人を使うとは思えないけど)。

ところで、昨日、『東京物語』のシナリオ(監督使用台本)を読んだら、驚いたことが。
『東京物語』のラストシーンでは、教室で算数のわり算の筆算を教えている途中で香川京子さんが教室の窓から原節子さんが乗った東京行きの汽車を見送るということになっているのですが、シナリオでは違っていたんですね。

シーン166――海を見晴らす丘
  校外授業の写生時間である。
  子供たちがあちこちに散つて画を描いてゐる。
  京子がそれを見廻りながら、ふと腕時計を見て、一方へ駈けて行つて見おろす。

このシーンは教室での授業風景に変えられたのですが、もしかしたらこのシーンが尾道のどこかで撮影されていたのかもしれません。これくらいのシーンを撮影する予定がなければ、わざわざ香川京子さんを尾道まで呼んだ意味がないような気がしますね。見たかったな、このシーン。
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by hinaseno | 2016-09-16 14:11 | 映画 | Comments(0)

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尾道には本当にたくさんの数の寺があります。あっちを見てもこっちを見ても寺だらけ。いったいいくつあるんだろう。
そんな数ある寺の中で一番有名なのが千光寺。山の上にあってロープウェイで行ける寺ですね。でも、なんで千光寺が一番有名なのか知りません。尾道全体を見渡せるからなんでしょうか。僕は初めて尾道に行ったときに立ち寄ったきり。
個人的には塔のある寺が好きなので、千光寺山の中腹にある天寧寺(もと五重塔だったものを三重塔にしたのでなんだか不格好なんですがそれがなんともいえない魅力)、少し北の西国寺(三重塔)、そして東のはずれのは浄土寺(多宝塔)の3つがメイン。それ以外の寺ははっきり言えば全く知りませんでした。後でいろいろ調べたら塔がなくてもいい寺が多いんですね。今度尾道に行ったときにはそういった寺を訪ね歩こうと思っています。

さて、厚田雄春さんの昭和28年6月の「撮影日程表」の6月28日のところには寺の名前が2つ。
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でも、最初に書かれている寺で困ったんですね。読めないんです。
ちなみに2つめに書かれているのは「千光寺」。『東京物語』が公開された当時、映画に尾道で一番の観光名所である千光寺が映画で使われなかったということで、観光業界の人はかなり不満を抱いたという話を何かで読んだ気がしますが、千光寺でも一応はロケをしたんでしょうか(形だけだったかもしれない)。
気になるのは1つめに書かれた寺。あちこちでロケハンした後、最初に訪れている寺なので、やはり一番気になる寺。でも「福」の次の字が読めないんですね。
「福七寺」?「福土寺」?「福士寺」? ひょっとして「福生寺」? 
調べても尾道にはそんな名前の寺はありません。「福」で始まる寺と言えば「福善寺」だけ。でも、とても真ん中の字は「善」には読めません。
「土」と読めそうなので調べたら「宝土寺」というのが千光寺山のふもとにあります。
ってことで一応宝土寺に立ち寄りましたが、墓地を含めて映画に使われたと思われるようなそれらしい場所はありませんでした。
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この「福○寺」に限らず、厚田さんの書かれたものは本当に読みづらくて、しかも聞き書きしたせいか誤字や当て字が多いんですね。
と思っていたら、これを書いている途中で蓮實重彦著『監督 小津安二郎』の巻末付録にこの「撮影日程表」を活字化したものがあることがわかってびっくり。ネットに活字化していたものもあがっていました(ただし、誤記あり)。もちろん活字化する人も大変だったはずで、いくつかは間違いではないかと思えるものもあります。
ちなみに「福○寺」は「福ゼ寺」と記載されています。そして30日のところにも「福ゼ寺」の文字。

ところで『監督 小津安二郎』の巻末付録でなによりも驚いたのは、小津たちは8月(11日から19日)にもう一度尾道に来ていたのがわかったことでした。どうやら6月には俳優は来ていなくて、笠智衆、原節子、香川京子の3人が来て撮影されたのは8月だったようです。
というわけなので6月の撮影のときにはロケハンが中心。ただし、おそらくいくつかのカットは撮影して映画でも使ったはず。

いずれにしても、これを見つけて8月の日程表に書かれているものを見て、今回書こうとしたことが、いくつか予定変更ということになってしまいそうですが、でも、考えたら、これを見つける前に6月の撮影日程表を見ながら歩いた方が、まさに自分も小津と同じようにロケ地探しをしているような気分になれたので結果的にはよかったかなと。

さて、「宝土寺」の後は「千光寺」には向かわず、その次に書かれた「中央波止場」「住吉神社」へと向かおうかと思いましたが、効率よく歩くために翌29日に記された場所に行くことにしました。
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by hinaseno | 2016-09-15 15:24 | 映画 | Comments(0)

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ということで尾道に行ってきました。今年の4月に行って以来、5か月ぶり。
目的はというと、いろいろあってひと言では言えません。でもあえて言えば「とみ」と「しょうじ」の墓を探すためということになるでしょうか。「とみ」と「しょうじ」というのは、尾道を舞台にした小津安二郎の映画『東京物語』の登場人物の名前。主演である笠智衆演じる平山周吉の妻が「とみ」、そしてその夫婦の次男が「しょうじ」(台本では「昌二」)。「とみ」を演じたのは東山千栄子、「しょうじ」は戦地に行ったまま戦争が終わっても戻ってこず、おそらくは戦死しているので映画では写真に写る顔がチラッと見えるだけ。その「しょうじ」の妻が原節子。

4月に尾道に行ったときのブログでも書いたように思いますが、調べ尽くされているはずのロケ地をネットとかで確認してからその場所を訪ね歩くということほどつまらないことはないので、尾道のシーンで写ったすべてのカットの写真だけを持って行きました。
前回歩いたのは、尾道の東のはずれの、『東京物語』のロケ地としてはあまりにも有名な浄土寺と、そのすぐ近くの元筒湯小学校のあたり。面白いことに、そのあたりで持っていった写真の3分の2くらいは撮影した場所を確認することができました。これはほんとに予想外のことでした。
でも、ひとつだけおやっと思ったことがありました。それは当然そこで見つけられるはずだと思っていた墓地を確認できなかったこと。この4つのカットですね。
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このカットは「とみ」の葬儀が行なわれているシーンで写ります。つまりここは「とみ」が埋葬されることになる墓地ということになります。そして戦地から戻ることのなく、遺骨もない次男「しょうじ」も、きっと「とみ」と同じ場所に墓が作られたはず。

笠智衆の家(平山家)は浄土寺のすぐそばにあることが何度も示されているので、当然あの墓地は浄土寺にあるものだと思っていました。おそらく映画的には平山家のすぐそばにあるお寺で葬儀が行なわれ、そこの墓地に「とみ」が埋葬されただろうとだれもが考えるはず。でも、それらしい場所は見つからなかったんですね。
墓地の場所を特定するのに一番重要なのは、いちばん下に貼ったカットですね。石垣の上に見える墓地のそばにお寺のお堂の脇の廊下部分が写っています。浄土寺にはこんな場所はありませんでした。では、いったいこの墓地のあるお寺はどこなんだろうというのが前回尾道に行ってからずっと気になっていたこと。

運のいいことに、それを解決する重要な資料がすぐに見つかったんですね。それが何度も紹介したカメラマンの厚田雄春さんの昭和28年6月の「撮影日程表」。小津が尾道にやって来たのは6月24日。三石を発見した記念すべき日ですね。27日まではロケハンが続いていますが、宿泊した「竹村旅館」以外場所を記載していません。
で、その後、28日から30日にかけて、おそらくはロケをしたと考えられる場所がずらりと並んで出てきます。これを見たときも、「おおっ!!!」でした。
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ここには浄土寺を含めてお寺の名前が5つ並んでいました。この中にきっと「とみ」と「しょうじ」の眠る墓があるはずだと。
というわけで、ここに記載されている寺を順番に見ていくことにしました。
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by hinaseno | 2016-09-14 13:12 | 映画 | Comments(0)

昨日のブログで書いた「信じられないようなうれしいこと」というのはマイクロスターに関すること。先週の土曜日に武蔵小山のアゲインでマイクロスターのイベントがあったんですね。その日僕は小津の『東京物語』のロケ地である広島の尾道にいたのですが、実は心の半分は東京にありました。
アゲインでのイベントは基本的にトークということを聞いていたのに、なんと2曲、ライブで歌われたということを知ってびっくり。マイクロスターはライブをしないバンドだったはずなのに。どうやら人前で演奏して歌われたのは今世紀初とのこと。それだけでも奇跡的な出来事。
しかも1曲目に歌われたのが、このブログで何度も書いてきた大好きな「My Baby」。イベントではこの曲の驚くような製作秘話も語られたとのこと。うらやましすぎて言葉になりません。
そして2曲目に歌われたのが「東京の空から」。ファーストアルバムの最後から2曲目に収録された素敵な曲。今はこればかり聴いています。詞もいいんですね。その場で聴いていたら泣いてしまったかも、です。
このうらやましすぎる話がどうして「信じられないようなうれしいこと」につながるのかはまた後日ということで。

ところで「東京の空から」というタイトルからすぐに思い浮かんだのは鈴木信太郎のこの「東京の空」。とにかく大好きな絵で、この絵に出会ってからずっと携帯の待ち受け画面にしています。
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昭和6年の東京の空に浮んでいるのはいくつものアドバルーン。
そもそも僕がアドバルーンに興味を持ったのは小津安二郎の映画『早春』の中で岸恵子さんが「空には今日もアドバルン〜」と口ずさんでいたのが美ち奴という人の歌った「あゝそれなのに」という曲だとわかったのがきっかけ。

さて、尾道に行くということでここのところ立て続けに小津の映画を見ています。『東京物語』、そして『早春』。
『早春』は半年に1度くらいは観ていましたが結構久しぶり。もしかしたら2年ぶりくらいかもしれません。なんだか新鮮で、以前気がつかなかった部分にいろいろと目がとまるな、と思っていたら、こんなシーンが。
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なんと画面の右端の空にアドバルーンがゆらゆらと。まさか『早春』にアドバルーンが写っていたとは思いませんでした。以前、映画の中で「空には今日もアドバルン〜」って歌われていても『早春』にはアドバルーンは写っていません、というようなことを書いてしまった気がしますが間違いでした。ちゃんとあの歌の伏線がここにあったんですね。昭和30年の東京の空にアドバルーンです。

ところでこの場所はどこだろうかと思ってシナリオを見たら「お堀端に並ぶビルディング」との言葉。この後、東京駅近くの丸ビルの中にある「耐火煉瓦会社」(この工場が三石にあるという設定ですね)で働いている池部良たちが昼休みにお堀端の土手に座って弁当を食べながら話をするシーンが出てきます。なるほどあのあたり。
ということで昔の地図を見ながら写っている建物を確認。一番真ん中に写っているのが大きな建物が明治生命館。それから商工会議所、東京会館、帝国劇場、第一生命館と続くようです。アドバルーンが上がっているのは帝国劇場の上でしょうか。
ところで、ネットを調べたらほぼ同じ場所を反対側から撮影した昭和30年台のカラーの写真がありました。
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帝劇の上とか他の場所にもアドバルーンが上がっているようにも見えますが、写真についたしみのようにも見えます。

ところで、少し前に尾道に近い福山の文学館に行っていきました。メインはなんといっても福山出身の作家、井伏鱒二のコーナー。いや、これは素晴らしかったです。
いろんな貴重な本が並んでいましたが、一番見たかったのはこの『多甚古村』。
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装幀はあの「東京の空」を描いた鈴木信太郎。こちらに描かれているのは田舎の風景。でもいい絵。これもいつか手に入れることができたらなと思っています。

『早春』といえば、あの三石のシーンが撮影されたのは昭和30年9月11日。というわけで、9月11日に三石に行って、この場所の写真を撮ってきました。快晴の三石の空にアドバルーン、ではなくかなり短くなった煙突が2本。
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これが映画のワンシーン。これを撮影した日も快晴でした。
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by hinaseno | 2016-09-13 14:33 | 映画 | Comments(0)

「早春」から「風」に


世田谷ピンポンズさんのライブがあった日の帰りの車ではずっと「早春」を聴いていましたが、三石の町を通るときに、ふと思い立って久しぶりに三石駅に立ち寄ってみることにしました。
駅舎には駅員が一人いたのでホームに入ってもいいですかと訊ねたら、次の列車が来る時間はまだ先なので、どうぞと。
ということで改札口を通って中に。
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これはホーム側から撮った三石駅の駅舎。この辺に見える建物の作りは昔のままなんでしょうね。

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そしてこれはホームに上がって西の方を見た風景。すでに太陽は向う側の山に沈んでいます。時間は夕方の6時頃。5月の後半ではありますが、山にかこまれたこの町では太陽が沈むのは早く、町全体はすでにかなり薄暗くなっています。

で、この写真の右の方に見える2本の煙突こそが、まさに小津安二郎の『早春』のこのシーンの、池部良の後ろに見える煙突なんですね。
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映画を撮影した当時は何十本も立っていた煙突が今はほんの数本になってしまっているのに、その今残っている数少ない煙突の2本が映画のこのシーンに映っているものだとわかったときは本当に驚きました。
4年前の3月(まさに早春でした)に、なんのあてもなく三石の町を歩いたときに、ちょっと道に迷いかけていたら突然この場所に出たんですね。このときの驚きといったら。
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ところで、小津が初めて三石の町を見たはずの日のこと。この日のブログで書いたことの続きです。
『東京物語』に映ったものと同じ時刻表ではありませんが、同じ昭和28年3月15日改正の特急・急行・準急の時刻表が手に入って、また少しわかったことがあるのでそれを書いておきます。

小津が『東京物語』の撮影のために尾道に出発したのは昭和28年6月23日。野田高梧とともに大船駅で列車に乗ったんですね。例の厚田カメラマンの撮影日程表には大船発21時50分となっています。
ということから、おそらく小津たちが乗ったのは『東京物語』で笠智衆夫婦が乗り込んだ東京発21:00の急行安芸ではないかと考えました。
で、手に入れた時刻表を見たら21:00東京発広島行の急行がありました。
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この急行、大船発は21:52となっていて撮影日程表に記載された時間よりは2分遅い。でも、日程表を書いた厚田がその列車に乗ったわけではないので、だいたいの時間を書いた可能性もあります。

さて、この列車が三石をいつ頃通過したか、ということでこちらの方を。
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姫路着が9:45、岡山着が11:16、広島着が15:25。
残念ながら尾道や、三石に近い相生駅の到着時間が記載されていないのでやはり推測ということになりますが、前回は11:20くらいに三石を通過したのではと考えましたがもう少し早いですね。三石は姫路と岡山のちょうど真ん中くらいなので三石通過は10:30頃になりそうです。朝食も終えていちばんゆっくりできる時間ですね。外も明るい。

ゆっくりと窓の外を眺めることのできる時間であったこと、三石を通過する前にかなり長いトンネルがあったこと、そして進行方向の右側の座席に座っていたこと。いろんな偶然が重なって二人は三石の町に気づくことができたわけです。

ところで、小津の『早春』に主演した池部良は1990年代以降はエッセイストとして活躍します。あの2枚目ぶりからは想像もできないような、人を喰ったようなエッセイばかり。どこまでがホントでどこまでがウソなのかちっともわからない。教訓らしきものも何もないのですが、とにかく面白い。

実はそのタイトルには「風」がずらりと並んでいるんですね。池部良のエッセイを集めることは「風」を集めることでもありました。
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by hinaseno | 2016-06-18 13:54 | 映画 | Comments(0)

尾道でもう一つ、ぜひ見つけたかったのはこのラストシーンを撮影した場所。
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この汽車に乗って東京に戻る原節子さんを義妹の香川京子さんが小学校の教室の窓から見送っているんですね。バックに流れているのはフォスターの「ゆうべのかね」。
これが見送っている香川京子さん。本当に素敵です。
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その前に映るのがこの小学校。
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当時の筒湯小学校。既に廃校になっていることは知っていましたが、浄土寺の後にそこを訪ねることにしていました。

香川京子さんがいる教室はおそらくセット。
ところで僕はずっと香川京子さんは尾道には来ていないと思っていました。香川京子さんは尾道で暮らしていることになっているのですが、明らかに尾道の町といえる場所に出たシーンがないんですね。
唯一、町を歩くシーンとして2度ほど出てくるのがこの場面。
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香川京子さんらしき女性は自宅を出た後、いつも後ろ姿しか映らないので別の女優を使っているんではないかと思っていました。
でも、調べたら香川京子さんも尾道に来ていたようでした。証拠と言えるのがこの写真。たぶん浄土寺の境内で撮ったと思われる原節子さんとのツーショット。
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もしかしたら尾道の町で香川京子さんをもう少し撮っていたのかもしれません。

さて、上のラストシーンを撮った場所、正直皆目見当がつきませんでした。筒湯小学校のあったあたりから見えるのかなと思いつつ、三石での経験もあって、たぶん違う場所から撮っているだろうと思っていました。

でも、あっさりとその場所が見つかったんですね。昨日、紹介したシーンを探すために、浄土寺の東側を歩いていたときに、おや?となったんですね。ちょっと海側を見たときに、ほとんどそれに近い風景がそこにあったんです。危険なので立ち入らないようにとの小さな板が置かれていた小さな空地があって、そこに入ったらこんな風景が。
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持っていた写真と見比べてみたら、ラストシーンを撮ったのはもう少し東にいったあたりだろうなと。ただ、映画の別のシーンを写した写真を見たらおっ!でした。
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これはまさにこの場所あたりでとられたはず。
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ちょっとした櫓を作ってその上から撮ったものなのかもしれません。小津はちょっとした風景をとらえるにしても、普通の目の高さにはしないんですね。

で、例のシーンはこのあたりから撮ったのかな、と。
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手前にはかなりじゃまな木が生えていましたが、このあたりに櫓を建てて撮ったんだろうと思います。

ところで筒湯小学校。場所は浄土寺のすぐ近く。山門を出て西に歩いて、少し山を上った所。校舎は崖からかなり離れたところに移されていていました。
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でも崖の部分はそのまま。
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昔の校舎があったと思われる場所には入れませんでしたが、校舎からは結構いい風景が眺められたのではないかと思います。山陽線を走る列車も見ることもできたはず。でも、映画で使うには遠すぎたんでしょうね。

これは校門があったと思われる場所から見た風景。
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by hinaseno | 2016-04-21 13:07 | 映画 | Comments(0)

小津の『東京物語』を最初に観たのは、たぶん1990年代の初め頃。それから小津の映画を集中的に観るようになったのは1995年以降。もしかしたらそのきっかけのひとつには阪神大震災があったのかもしれません。大きな震災は気づかない形で小さな種を蒔いてくれているようです。

はじめて『東京物語』を観たときに一番驚いたのはこのシーンでした。
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妻の葬儀も終わり、戦争で亡くなった二男(しょうじ)の妻である原節子を除いて子供たちはみな東京や大阪に戻ってしまったあと、日常の生活を取り戻した笠智衆が家の庭で野菜の手入れをしている場面。映るのはほんの数秒です。

笠智衆の背後に見えるのは浄土寺の多宝塔。
僕の大好きな塔が映っていたということで『東京物語』はぐっと身近に感じられるものになりました。
というわけで、僕にとっての『東京物語』はなんといってもこのシーンだったので、まずはこの場所を探しに行きました。

場所のだいたいの予想はついていました。境内の東側。山門に登って行く石段の途中で横道に逸れたのはその場所を探すため。
でも、そこはちょっとびっくりするような場所でした。
浄土寺は崖のせり出した部分にあって、東側にあったのは崖に沿うように建てられたいくつもの家。映画に映っている家はなくなっていました。そのあたり、道と呼べるようなものはなく個人の家の通路のような小さな路地があるだけ。正直入りづらくてそそくさとその場所を立ち去りました。
それでも一応、ここかなと思う場所を撮らせてもらいました。いずれもちょっと違います。
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で、笠智衆が手入れをしていた庭があった可能性が一番高いのは、この向う側あたり。でも、さすがにここに入っていくことはできませんでした。
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ちなみにこれは寺の東側の塀に沿っている道から撮ったもの。
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道の端は崖です。ここの5メートルくらい東の場所から撮られたはず。でも、そこにあんな庭があったとはとても思えない。だって、こうなので。
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そういえばこのあたりに来てはっと気がついたことがありました。この風景。
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これって、映画の冒頭で映ったこのシーンの場所でした。
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このシーン、尾道のどこなんだろうとずっと思っていたのですが、まさか浄土寺だとは思いませんでした。
どうやらこのショットも笠智衆が庭仕事をしている場面を撮ったのと同じ場所から撮ったようです。右端に見えていたのは多宝塔の下層の屋根だったんですね。

ところで、多宝塔のあたりには何本か石塔が立っているのですが、ほとんどが映画が撮影された頃とは違う場所に移されているようでした。
これが映画のワンシーン。
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で、これが多宝塔の近くの塀の側に現在立っている石塔。
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by hinaseno | 2016-04-20 15:30 | 映画 | Comments(0)

小津安二郎監督の『東京物語』、是枝裕和監督の『海街diary』に続いて今観ているのは小津の『晩春』。原節子主演の紀子三部作の第一作目ですね。舞台は『海街diary』と同じ鎌倉。ちょっと面白いシーンがあったので紹介します。
『海街diary』では子供たちがサッカーをしている場面が何度か出てきますが、『晩春』では子供たちが野球をしているシーンが映ります。でも紀子の甥の青木放屁くんは何をやったのかわからないけど野球に行かせてもらえなくて縁側ですねています。その後ろ向きの背中に小さく書かれている背番号は16。
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この時期の背番号16といえばもちろん川上哲治。当時、川上はまぎれもなくプロ野球のスーパースターでした。

さて、尾道の話。
小津の『東京物語』を観て尾道に行った人は、まずこのシーンが撮られた場所を確認するはず。
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原節子と笠智衆が朝日に向かって立っていた場所。ほとんどの人はこの場所さえ確認できたらとりあえずはオーケーということになるんでしょうね。
ただ、僕は別のシーンを確認するために、浄土寺の山門に登って行く石段の途中、山陽線の下をくぐったあたりで横道に逸れて行きました。

でも、やはり最初に一番有名なシーンの場所のことから。
その前にこの写真を。
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浄土寺でのロケの様子をとらえたもの。
原節子と笠智衆のふたりは上のシーンと同じ場所に立っています。そして右で指を指して、二人の立ち位置を指示しているのが小津。背後に見える本堂の前にはたくさんの見物人。
これが現在のその場所。実はここには鐘楼が建っているんですね。
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『東京物語』を撮影していたときには手前に石段があったようですが、現在はそこには塀ができていて石段もなくなっています。
というわけでかの有名なシーンを撮った場所は現在こうなっています。手前には邪魔くさい車が何台も停まっていました。
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これが原節子が笠智衆のもとに向かうシーン。
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右に見えるお堂はそのまま。ただ笠智衆と原節子をはさむように立っているいい雰囲気の石灯籠は右に見えるお堂の正面に移されていました。
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もう1枚、ロケ中の3人の写真を。左の阿弥陀堂も右の多宝塔も人がいっぱい。子供の姿もたくさん。
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「撮影日程表」を見ると、「浄土寺」と書かれているのは昭和28年6月30日。この日は火曜日。子供たちは学校に行く前にやってきたんでしょうね。
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by hinaseno | 2016-04-19 14:24 | 映画 | Comments(0)

尾道へは『東京物語』のために、これを持っていきました。
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『東京物語』に映った尾道と考えられるシーンとロケをしているときの写真、それから川本三郎さんが20年ほど前に尾道を訪ねられたことが書かれたエッセイが載っている『日本映画を歩く』の文庫本。

『東京物語』の尾道のロケ地に関してはネット上も含めてきっと調べ尽くされているはずなので、僕が何か新しい発見をするというのはありえません。映画にとらえられた風景をいくつ自分の目と足で見つけられるだろうかということを考えながら、とりあえず川本さんが20年前に歩かれた場所を辿りながら浄土寺に向かいました。
ただ、駅から浄土寺までがこんなにも離れているとは正直すっかり忘れていました。でも、うれしかったのはそこまで商店街が連なっていたこと。しかも単純な一本の商店街ではなく、いくつも枝分れした商店街があったり路地があったりするので飽きることはありませんでした。
商店街を歩くのは本当に楽しいですね。古い昔ながらの店もあれば新しくシャレた店もある。尾道は海と商店街と、そして塔のあるお寺と、僕の好きな三つのものがそろっているので最高です。
ちなみに川本三郎さんが尾道に来たのは3月。おそらく1997年。1997年といえば、大瀧さんが「幸せな結末」を発売した年で、それに備えたいわゆるリハビリ・セッションが行なわれた年でもあります。大瀧さんが古い映画に興味を持ち始めるのは2年後の1999年に出た川本三郎さんの『銀幕の東京』を読んでから。そしてお二人は、その10年後の2009年に会うことになるんですね。
大瀧さんのリハビリ・セッションについてはまた改めて。今はずっと『DEBUT AGAIN』にボーナス盤に収録されたリハビリ・セッションを聴き続けています(なんてことを書くから話が長くなりますね)。

川本さんは夜行列車に乗って尾道にやって来ます。ただし例の「安芸」はなくなっていたので乗ったのは「あさかぜ」。その「あさかぜ」も現在は廃止されているようです。
川本さんが尾道に到着したのは朝の5時過ぎ。町はまだ眠った状態。1時間ほど待合室ですごして商店街に。
当時、商店街には大林監督の似顔絵を描いた提灯がつるされていたそうです。尾道出身の映画監督大林宣彦が『転校生』や『時をかける少女』などいくつもの映画を尾道で撮影して、そのブームが続いていたんですね。僕も昔、何人かの友人と尾道に行ったときにも『転校生』の例の石段には行きました。

川本さんは尾道の商店街についてこう記しています。

 商店街には木造三階建ての商家が何軒もある。路地には、現在も使える井戸がある。「晩寄りさん」と呼ばれる漁師のおかみさんたちが屋台で魚を売っている。その場で魚をさばいてくれる。向島に渡る桟橋近くには、終戦後のマーケットを思わせるような商店が何軒か、軒を傾かながらも残っている。
 そんな昔の姿をとどめる商店街を歩いているのが楽しい。いま日本の地方都市はどこも郊外の大型ショッピングセンターに客を取られ、昔からの駅前商店街がさびれる一方になっている。そんななかで尾道は、海沿いの細長い地形が幸いしているのだろう。商店街がなんとか健在である。車ではなく歩いて買物をしている女性たちが多いのにはほっとする。檀一雄が絶賛したというラーメン店「朱華園」の前には開店前から観光客を含めて長い行列が出来ている。

そういえば昼すぎに商店街を歩いていたら、すごく長い行列ができているのに気づいて、何だろうと思ったらまさにそれが「朱華園」でした。

さて、駅から30分ほど商店街をぶらぶら歩いて、ようやく浄土寺に到着。
これが『東京物語』で最初に映る浄土寺。境内の右端にある多宝塔が印象的です。すぐ手前を山陽線の汽車が走っています。
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この遠景、どこから撮影したのかいろいろ調べましたが結局わかりませんでした。おそらくは浄土寺の南側に立ち並んでいる民家の2階あたりから撮ったんだろうと思います。
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by hinaseno | 2016-04-18 12:41 | 映画 | Comments(0)