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by hinaseno
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カテゴリ:映画( 92 )



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浄土寺近くの三宅さんの家から浄土寺の境内を通って再び昔保健所と市民病院があった現在は図書館がある場所に戻ってきました。本当はもう少し図書館内をいろいろ眺めて、地元にしかないような本や写真集などを探してみたかったのですが、後の時間のことを考えて次の場所に向かいました。
といってもそこは図書館から100mも離れていない場所。図書館前の道を北に向かったらすぐにこの風景にぶつかりました。
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そうです。ここが香川京子さんの歩かれた場所。映画のシーンからは逆方向から撮ったこの写真の風景がかすかに残っています。
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ちなみにこれが映画に映ったシーン。
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これが同じ方向からとらえた現在の風景。右の家だけが当時のままですが、こちらからだと場所の手がかりになるものがほとんどありません。
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ここを左に行けば西郷寺の門があるのですが、近所のお店でお弁当かおにぎりでも買って西国寺の境内で食べようと考えて、前回この場所を教えてもらったコンビニに行きました。道を教えてもらったお礼も兼ねて。もちろん僕のことは覚えてくれていました。

その店からは西国寺よりもそのとなりの久保小学校の方が近かったので、先にそちらに行くことに。
これが校門。ありがたいことに校門は開放されていました。正面に写真で見ていたあの美しい校舎が見えています。
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校庭から見た校舎の全景。その素晴らしさに圧倒されました。
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何かの工事をしているためか、あるいは外壁が崩落するのを防ぐためにか、校舎には目障りにならない程度にネットが張られていました。でも、いったいいくつ教室があるんでしょうね。今、この教室のいくつくらいが使われているんだろう。耐震とかいろんな問題があるのかもしれませんが、安全性というよくわからない勝手な基準のもとで取り壊さないことを願うばかり。

校庭の端には長い渡り廊下がおそらく昔のまま残っています。そしてその向こうに西郷寺の寄棟造りの本堂が見えています。
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この渡り廊下がまた素晴らしかった。こんな渡り廊下が今残っているところは少ないはず。
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西郷寺のある校庭の南側に小さな門があって、ここから道をはさんで新校舎の入り口があります。さっきの渡り廊下は道の下(というか西郷寺に向かう石段の下)をくぐって新校舎に通じています。現在はこちらの校舎を主に使っているのかもしれません。
この南側の門のところから見た旧校舎。
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校舎の入り口が正面に見えます。その上には時計。もしかしたら昔はこの南側の小さな門が正門だったのかもしれません。
ここから少し目を横に向けると山の中腹に西郷寺ではなく西国寺の三重塔を見ることができます。なんともぜいたくな風景。
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ちなみにこれが南側の門を出たところ。前方の赤い矢印で示したのが『東京物語』の香川京子さんが歩くシーンのそばに映っている家の門。
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で、この後ろに西郷寺に向かう石段があります。
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by hinaseno | 2016-10-26 13:43 | 映画 | Comments(0)

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アメリカン・ポップスの男性シンガーの中ではいちばん好きなボビー・ヴィーが昨日亡くなったとのこと。72歳。まだ若いですね。ボビー・ヴィーのことはまた改めて書こうと思います。

さて、尾道の話。
浄土寺から市立中央図書館へは数百メートルの距離。坂を下って道をまがればすぐに図書館の建物が見えてきます。
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車庫に青いトラックが見えて、もしやと思ったらやはり。
尾道の移動図書館「なかよし号」でした。
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今年夏葉社で復刻された『移動図書館ひまわり号』(前川恒雄著)を読んだばかりだったので移動図書館には強い親しみを持ってしまいます。ちょうど本を詰め込んだばかりのようで、横から見える本棚には本がぎっしり。これから出発するところだったのかもしれません。
尾道の図書館がいつから移動図書館を始めたのかはわかりませんが、始められるときにはきっと前川さんのところに行っていろいろと学ばれたのではないかと思います。そのあたりの話をうかがおうかと思いましたが時間の関係で今回はやめて当初の目的を最優先。それは古い住宅地図を調べることでした。
図書館にあったいちばん古い住宅地図は1960年台のもの。ただそれを見るにはやや煩雑な手続きをしなければならないことがわかったので、その次に古い1970年頃の住宅地図を出してもらいました。探したのは浄土寺の近くにあるはずの「三宅氏」の家。

昭和28年6月30日の撮影日程表の最初に「尾道町の三宅氏 物干台」と記されていて、さらに8月15日にも「午后15時市内の三宅氏物干台」、さらに翌16日も「浄土寺より情景 浄土寺附近 汽車走り 物干台」とあることから、そこで重要なシーンが撮影されたことは明らか。
地図を開いて三宅と記された家はすぐに見つかりました。やはりあそこだったんだなと。で、浄土寺に引き返してその場所に行ったら今も表札には三宅さんの名前が書かれていました。
この写真の右手前に見えるのが三宅さんの家。向こうに浄土寺の多宝塔が見えます。
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建物が当時のままなのかわからないので「物干台」というのは確認ができませんでしたが、この家の2階のあたりから『東京物語』のいくつかのシーンが撮影されたのは確かなこと。そのひとつがこのカット。
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そしてラストシーンのこのカット。
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この二つ、一見違う場所から撮られているような感じがしますが、実はカメラのアングルをちょっとずらしただけだったんですね。

ちなみに昨日も紹介したこの写真は三宅さんの家の前の道から柵の中に入った、今は草がいっぱい生えている場所から撮りました。
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そしてこれはそこからちょっと視線を右に移したもの。
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「三宅氏 物干台」に関してはこのシーンが撮られた家の可能性も考えましたが、ちがっていましたね。
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本当は三宅さんの家の人にいろいろと訊いてみようかと思いましたが、ちょっと勇気が出ませんでした。
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by hinaseno | 2016-10-25 14:09 | 映画 | Comments(0)

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先日、この日のブログで示したコースを歩いてきました。尾道に行くのは今年3度め。この日にも書いているように、小津安二郎の『東京物語』の尾道でのロケを考えるとき、最も重要なのが昭和28年6月30日に行われたロケハンでした。この日小津たちが歩いた場所で『東京物語』の尾道の主だったシーンが撮られていたんですね。最終的には映画に取り入れられなかった場所も含めてどうしても見ておきたくなって行ってきました。

はっきり言ってかなり過酷なコース。あまり人にはおすすめできません。でも、いくつもの素敵な出会いありました。
改めてカメラマンの厚田雄春のこの日の撮影日程表を貼っておきます。
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『東京物語』の尾道のシーンが実際に撮影されたのは昭和28年8月13日から8月19日にかけてのこと。子供たちは夏休みの真っ最中。撮影現場をとらえた写真に子供たちがたくさん映っているはずです。もちろんお盆休みと重なっているので観光客も含めて一般の人もいっぱい。ロケは大変だったでしょうね。これは浄土寺での撮影風景。
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ところで先日『東京物語』のシナリオを読み返しましたら、ラストシーンはこう記されていました。

178――海
  ポンポン蒸気の音が夢のやうに遠くなってゆく。
  瀬戸内海の七月の午後である。

撮影されたのは「8月」だったのですが、映画的には「七月」だったんですね。ちなみにそのラストシーンがこれ。
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このシーンが撮影された場所はこの日のブログでも書いているように、この春に尾道に行ったときに浄土寺付近の山沿いの道を歩いていてたまたま見つけることができました。
ここですね。
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でも、少しだけ風景が違う。この日のブログにはこう書き添えています。

ちょっとした櫓を作ってその上から撮ったものなのかもしれません。

と。そしてこの春に行ったときにいちばん見つけたかったのがこのシーンが撮られた場所。
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これが撮影されたのは、先ほどの場所からもう少しだけ上に登ったところと推測したんですね。でも、どうやらこの2つのシーンは同じ1つの場所から撮ったものだろうということが今回わかりました。それについてはまたあとで。

ということで10月上旬のよく晴れた土曜日に尾道に行って、最初に向かったのは撮影日程表の通り尾道の町の東のはずれの浄土寺。尾道駅からはほぼ2kmの道のり。結構な距離ですが商店街を歩いて行けばそんなに退屈はしません。
実は浄土寺にはいったん別の場所に行ってあることを調べてから再び戻ってくることにしていました。
とりあえず浄土寺の境内のいちばん好きな場所に行くことに。
ここですね。
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塔が見えて海が見えるここが浄土寺でいちばん好きな場所。この日は何かの法事が行われていたようで、境内の建物には色とりどりの布がつるされていました。
ちなみに昭和45年の地図の冊子についていた同じあたりから写したこの写真(多宝塔には同じような布がつるされていますね)。
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赤丸をしたのがこのあまりにも有名なシーンが撮影された場所です。現在とどう違っているかわかりますね。
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浄土寺ではとりあえずこの写真だけ撮って、次の「保ケン病院」と記された場所に向かいました。その途中の道から見えるのがこの場所。
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ここには映画にも登場する筒湯小学校の校舎が建っていました。

さて、厚田さんの日程表には「保ケン病院」と記されている当時保健所と市民病院があった場所には現在、尾道市立中央図書館が建てられています。ここで調べようと思っていたのが昭和28年6月30日の撮影日程表の最初に書かれている「尾道町の三宅氏 物干台」でした。
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by hinaseno | 2016-10-24 13:20 | 映画 | Comments(0)

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その路地は入り口から中は見えない。目の前には石段。かなり急なために手すりがつけられている。石段を登りきると今度は下りの石段。いくつかの方向かに枝分かれた薄暗い路地が見える。石垣や石段があちこちにある。

枝分かれした路地のひとつから話し声が聞こえてきたのでそちらに行ってみる。3人の人が外で話をしている。2人は背中にバックを背負っているので訪問客とわかる。もしかしたら観光客かもしれないけど、この道を通る観光客はそんなにはいないはず。そしてもう一人は年配の女性。彼女が立っているのはある家の入り口付近だったのでおそらくはその家の人であろうと思う。

そのあたりを探索して話が途切れるのを見計らってその女性に尋ねる。
「ここは丹花(たんが)というところですか」
ちょっと驚いたような顔をされる。
「そうですよ、ここは丹花です」
そして、さらにうれしそうにこう話される。
「丹花のことを尋ねて人が来たのははじめてです」

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by hinaseno | 2016-10-23 11:26 | 映画 | Comments(0)

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昨日の最後、実際には映画に一度も登場させないにもかかわらず、福善寺近くの平山家の場所を特定していると書きましたが、あのあたりの風景を思い浮かべていたときに、はっと『東京物語』のあるシーンを思い浮かべました。確認したらやはり写っていました。
そのシーンのカットは浄土寺付近で探していたけど見つからなかったもの。まさか福善寺のあたりで撮られていたとは思いませんでした。映画資料館のパネルにはそのカットの撮影された場所が示されていたっけ?

とりあえず、厚田さんの手帳の左のページに記された図の説明をします。線路の左側に描かれているのが福善寺。墓地を示す墓の絵が描かれています(ちなみに手帳のこのページの写真が掲載された『デジタル小津安二郎――キャメラマン厚田雄春の視』では、この写真の下のコメントも含めて説明は一切ありません)。
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これがこのあたりの現在の地図。
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厚田さんは線路と国道が上下に走るように描いていますが、北を上にした場合の実際の地形はこうなっています。

まず、厚田さんの図に示された平山家の場所の特定から。厚田さんの手帳の平山家の左には階段が描かれています。実はこのあたりの両側はかなりの崖。もともとは山の尾根だったところを切り通して鉄道と国道を作ったんですね。厚田さんが何本もの斜線で描いているのは崖のこと。江戸時代なんかの古い地図を見たら、おそらくはそのせり出した尾根の先の部分全体を丹花と呼んでいたはず。

さて、福善寺とは反対側の国道の沿いの崖には現在この付近に2箇所階段があります。
改めて厚田さんが描いた図を見ると境内に入る門の手前に石段のようなものが描かれています。平山家のそばの石段はその真正面。
厚田さんが描いた門は福善寺の南西側の山門ではなく南東にある小さな門。赤い点線の丸で描いている場所にある門です。実は僕が線路脇の細い坂道(かなりの急坂)を登って入ったのがこの門でした。石段から左に折れて門があるのも厚田さんが描いている通りですね。その門の線路と国道を挟んで反対側にあるのが先日紹介した丹花小路。昔はおそらくここにまっすぐ道が通じていたはず。
厚田さんが平山家のそばに描いていた階段はまさにこの丹花小路に入る場所にある階段でした。とすれば平山家は階段から崖を少し登った左手の赤の四角で囲んだあたりということになります。
撮影日程表に「丹花」と書いているのは、平山家の場所として想定した辺りを探るためだったんでしょうね。

で、『東京物語』でこの付近が映っていたというのはこのシーン。
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右端の崖上に見えるのは地図の紫の四角で示したあたりにあった家だと思います。
ストリートビューを使って丹花小路の入口付近から東の方向をとらえたのがこの写真。右手の崖のあたりに見える階段はそのままです。
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ちなみにこの場所から福善寺側を見るとこうなります。
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『東京物語』のカットはこの写真の左の端の坂の付近から線路のそばに入って撮影したはず。地図で確認すると緑で丸をしたあたりから矢印の方向に向かって撮られたと考えられます。僕は同じ道を通っていたのですが気がつきませんでした。

そういえば厚田さんの手帳の右のページには「福善寺下の線路付近の土蔵」という言葉が書かれています。で、左のページの絵を見ると線路脇に赤く塗られた建物があります。もしかしたらこの建物が「土蔵」で、そこから撮った風景なのかもしれません。

実は僕はここから数十メートルしか離れていない場所で線路の上を歩いたのですが(青い矢印の場所)、そこでも映画のあのシーンとほぼ同じような風景を見ることができていたはずで、ちらっと見ていたとは思いますが気がつきませんでした。情けない。
ちなみにこれがその線路上からストリートビューを使って見た風景。
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ところで、上のシーンがいつ『東京物語』に登場するかというと、まさに映画のラストシーン。原節子演じる紀子の乗った東京行きの列車が走り去っていくシーンとして映ります。
映画の流れからいうと、筒湯小学校に設定されている小学校に勤めている京子(香川京子)が授業の途中で教室の窓から外を見ます。
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で、上りの列車が向こうからやってきます。実際には浄土寺付近で撮られています。
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そしてそのあとにこのシーンが続きます。崖沿いの丹花あたりの風景が見えるのはほんの一瞬。
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列車が走り去っているということを表しているカットですが、実際の位置としてはこちらの方が尾道駅に近いんですね。
ただ改めて考えてみると、このラストシーンの紀子が乗った列車を見送るシーンが撮影された2つの場所というのはとても意味深いように思いました。
一つは浄土寺近くに設定された平山家のそばで撮影されていて、もう一つは「とみ」と「しょうじ」が眠ることになる福善寺近くに設定された平山家のそばで撮影されている。つまり、上は京子という、これからいろんな形で大人の世界を知っていくことになる若い「生者」が見送る形で、そして下は「死者」が見送る形になっていたんですね。

さて、僕は尾道に行った日(考えたら紀子を演じた原節子さんの一周忌に近い日でした)の夕方、「死者」たちが紀子を見送った場所に近い、地図の青い矢印の場所を通って、国道を渡って路地を入ったところにある場所へと向かいました。地図の右端の青い星印で示した場所でした。福善寺近くの丹花小路にあった平山家からは100mも離れていない場所。路地を抜けていけば1分くらいで行ける場所かもしれません。そこは昔、泌尿器科の病院のあった場所。『東京物語』のロケをしたときにも病院はそこにありました。おそらく戦前からあったんだろうと思います。もしかしたら平山家の人たちもその病院に何度かお世話になっていたかもしれません。

今、そこは昔の病院をそのまま残した形でいい雰囲気の古本屋になっています。このシリーズの一番上に貼った写真はその古本屋を撮ったものでした。古本屋の名は弐拾dB。
その日、そこで世田谷ピンポンズさんのライブが行われたんですね。「もうひとつの平山家」とライブが開かれた場所が目と鼻の先だったというのも何かの縁としか言えません。
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by hinaseno | 2016-09-29 11:24 | 映画 | Comments(0)

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小津安二郎の『東京物語』の尾道のシーンを見ると、いろんな形で尾道の平山家が寺のすぐそばにあることが示されています。
例えばこの家の中の様子をとらえたカット。家はもちろんセットですが、庭の向こうにはお寺の塀と何体もの石仏を見えます。
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そして、その庭で作業をしている場面として映し出されたのがこのシーン。
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向こうに見えるのは浄土寺の塀と多宝塔。これによって僕に限らず尾道のことをそれなりに知っている人であれば尾道の平山家はこの地図で示した辺りの場所と普通に考えてしまいます。
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とみが亡くなった日の朝、朝日が昇るのを見に行った笠智衆を原節子が探しに行ったあのあまりにも有名なこのシーンが撮られたのも浄土寺。
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平山家が浄土寺のそばにあったというのはおそらく常識になっているはず。厚田さんの手帳のどこかのページには間違いなく浄土寺のそばの平山家を図示した絵が描かれているに違いありません。
でも、その別のページには福善寺のそばに平山家が描かれていたんですね。これには本当に驚きました。
浄土寺周辺にあの葬儀をした寺の墓地が見当たらなかったので、僕はああ、葬儀は家のそばの浄土寺ではなく、別の寺でしたんだなと考えました。物語としてはそれでもなんの問題もないように思います。例えばあの墓が福善寺にあるものだとわかった人であれば、浄土寺のそばの家から福善寺までは1kmも離れていないので、そこで葬儀が行われ、そこに墓が作られたとしても特に変だとは思わないはず。

ところが平山家はその福善寺のそばにも設定されていたんですね。小津の頭の中にははっきりとした尾道の平山家のイメージがあって、あくまで平山家は寺のすぐそばにあり、その寺で葬儀も行われ、おそらくそこの墓地に平山家の人たちが代々眠っているわけです。そのためには場合によってはそばの寺が浄土寺であろうが福善寺であろうが映画的には構わない。

ふと、これは平川克美さん率いる隣町探偵団によって解明が進められた小津の『生れてはみたけれど』の吉井家とその前を入る鉄道の関係と同じだなと思いました。
小津が頭の中でバーチャルに作り上げた風景に合わせるために、家の前に走っている鉄道は場合によって池上線が写っていたり目蒲線が写っていたりしているんですね。当然それによって吉井家も池上線沿線と目蒲線沿線の2箇所に設定されることになる。
尾道の平山家と、浄土寺あるいは福善寺の関係と全く同じ。

では、その福善寺のそばの平山家は実際にはどこに設定されていたのか。それはだいたいの場所ではないんですね。きちんと場所を特定している。実際には映画に一度も登場しないにもかかわらず。
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by hinaseno | 2016-09-28 13:32 | 映画 | Comments(0)

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福善寺で『東京物語』に映った墓地を確認した後に行った映画資料館の2階には映画に関するたくさんの本が並んでいました。その中から自分が持っていない小津に関する本を何冊か取り出して尾道のロケに関する写真などがないかと調べました。
そこで目に留まったのが『デジタル小津安二郎――キャメラマン厚田雄春の視』に掲載されていたこの写真でした。厚田さんが持っていた手帳の1ページを写したもの。
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右のページには大きく「福善寺墓地」という文字と福善寺境内の絵。そこには墓地をどういうアングルで撮影したかが詳しく記されています。そして左のページには福善寺周辺の地図…。
とはいうものの映画資料館では「福善寺墓地」という言葉を確認しただけで、戻ってから図書館ででも借りてじっくり見てみようと考えて、たいして見ないままページを閉じました。
で、数日後にそれを手に入れてじっくり見たら、そこには驚くべき言葉が。

その前にまず右のページの図を。
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そこには本堂の端の部分と背後の墓地が描かれていて、その中にA〜Dのアルファベットを添えた矢印、あるいはカメラの絵が記されています。もちろんそれは映画で使われた4つのカットを撮影した場所と、撮影した方向を示していたもの。
でも、これ、行く前に見ていてもどこがどこやらわからないでしょうね。行った後だからわかりますが。

AからDを順番に説明しておきます。確かこの順番で映画に映ったはず。
まずAで撮影したのがこのカット。
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そしてこれがBで撮影したカット。
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で、これがCで撮影したカット。
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ここまでは全部境内から墓地を見上げる同じ方向から撮っています。
でも、問題はD。ここで撮影したのがこのカット。
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このカットだけ撮った方向が違うんですね。しかも他の場所からはかなり離れていて、境内からここに映る墓を見ることはできません。墓地のある丘に登る道はれんが坂につながる北の端(図では左の端)にあるので、このDの場所まではかなりの距離。僕はなかなか見つからなくて諦めて戻りかけた時に見つけたのですが、小津たちもたぶん墓の南の端(図では右端)まで行って、そこから戻ろうとした時にこの風景を見つけたのではないかと思います。
境内からは見ることのできないこのカットをあえて入れているのが興味深いですね。この日のブログで僕は「とみ」と「しょうじ」はこの場所の墓に眠っているような気がすると書きましたが、それは小津の意識の中でも同じだったんではないかと思えてきました。

さて、問題は左のページに描かれた福善寺周辺の地図。
そこには赤く塗られた四角、そして「平山家」の文字。

福善寺のそばに平山家!?
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by hinaseno | 2016-09-27 13:18 | 映画 | Comments(0)

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『東京物語』の尾道でのロケを考えるとき、最も重要だったのは昭和28年6月30日のロケハンでした。改めてこの日の厚田さんの撮影日程表を。
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最初は書かれている字も含めてわからないことだらけだったのですが、いろいろ調べてどうにかこの日小津たちが歩いた場所がわかりました。
その歩いた道を図示したのがこの地図。
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本当は昭和28年ごろの大きな地図があれば一番よかったのですが、現段階では手に入らなかったのでネット上にあった昭和3年のこの地図を。ちょっと古いですが、後の地図には記されていないはずの貴重な地名が書かれているので。

赤の矢印で示したのが、この日小津たちが浄土寺から歩いた道。青丸が『東京物語』に登場するシーンのロケ地。
この日に小津たちが歩いたり、行ったりしたのは、映画のシーンには出てはこないけど興味深い場所ばかり。もし、この先『東京物語』の尾道ロケの写真がいろいろと出てくることがあったら、このコースのどこかであることは間違いありません。今度尾道に行ったら絶対にこのルートで歩いてみようと思っています。紅葉が始まっていて、気持ちのよい青空の広がった(鱗雲か鰯雲が出ていてもいいですね)秋の日に行けたらなと。

地図の1番の浄土寺周辺では映画のたくさんのカットが撮影されたのでここでは省略。
2番が筒湯小学校。このカットですね。
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撮影日程表では筒湯小学校の記載はありませんが、この日間違いなく小津たちはこの学校の前を通っています。尾道をロケするときにはおそらく地元の地理に詳しい案内人がいたはずで、最初に紹介されたのが土堂小学校だったはず。でも、小津はこっちにしたんですね。建物としてははるかに土堂小学校の方が魅力的だったはずですが。

3番は昨日紹介したこのカットが撮られた場所。
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なぜこの日にここを通ったかがわかったかといえば、ポイントは撮影日程表に書かれていた「保ケン病院」という言葉でした。昭和3年の地図の3番の近くに診療院というのがあります。これがなんとなくにおったんですね。
で、その後で手に入れたこの地図。
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昭和45年の地図ですが、診療院のあった場所には保健所の文字。その右下には市民病院。「保ケン病院」とメモされた言葉はここの「保健所」と「市民病院」に違いありません。『東京物語』では病院のシーンは出てきませんでしたが、長男の幸一は尾道の病院で働いていて、のちに東京で個人の病院を開業したような感じなので、幸一が働いていた病院としてここを見に行ったのもしれません。
とみが危篤の状態になったときに地元の医者がやってきますが、幸一とかなり細かいやりとりをしていることから2人はもしかしたら尾道の病院で先輩後輩の関係にあった可能性もあります。
ちなみに地元の医者と幸一のやりとりはシナリオではこうなっていました。映画では何を言っているのか聞き取れませんでした。

医者「アーデルラッスしてブルートドルックは下がったんですが、どうもコーマが取れませんので……」
幸一「あゝ、さうですか。レアクチオンが弱いですね」
医者「はあ」


これはかなりの専門用語のはず。お互いに相手が専門医であることを知っていなければできない会話ですね。というわけで、なんらかの形で映画に使う可能性も考えてここにロケハンに行ったような気がします。結果的には病院は使わなかったけれども、そこでたまたま通った路地を映画に使ったんですね。
ところで、昭和45年で市民病院と書かれている場所には現在、尾道市立中央図書館が建っているようです(「なかよし号」という名の移動図書館も走っているみたいですね)。今度尾道に行ったときには、ここに立ち寄ってぜひ調べてみたいことがあります。
このあたりでぜひ立ち寄ってみたいといえば、以前紹介した久保小学校。そして何よりも見てみたいのが西郷寺。
この寺、ネットで調べたら素晴らしいんですね。特に寄棟造りの本堂の美しいこと。しかもこのお寺、個人的に大好きな一遍さんが開いた時宗。あとでわかったことですが尾道には時宗の寺が多いんですね。その中でもこの西郷寺は最高です。

さて、ここからは道順は少しわからないものの次に行ったのは「れんが坂」と呼ばれる坂。厚田さんの日程表の字は「練瓦坂」だったんですね。「れんが」の正しい漢字は「煉瓦」ですが厚田さんらしい当て字。ただ「煉瓦坂」というのが正しい表記でもないようです。
ネットで調べてれんが坂がどのあたりにあるのかはわかりましたが、昭和3年の地図を見ると同じ場所に変な漢字の坂が。文字を縦向きにして拡大するとこうなります。
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最初の字は木へんに「電」。こんな字、存在しないんですね。どうやら「でんぎ坂」と読むようです。これが訛ったのかどうかはわかりませんが「れんが坂」になったということがネットに書かれていました。
このれんが坂のことがわかったのもつい先日。ここを少しだけ歩いていたこともわかりました。ストリートビューを使ってれんが坂をこの方向に歩いていると、突然、こんな風景が飛び込んできます。
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景色が開けた瞬間に、あの福善寺の墓地が現れてくるんです。福善寺の墓地かられんが坂に入れるようになっているので、映画に映った墓地を探していたときにここまできていたんですね。
それにしてもれんが坂を歩いていて、突然この風景に出会ったら、かなり感動するのではないかと思います。小津たちが福善寺の墓地を見つけたのは、たまたまこのれんが坂を通っていたからではないかなと。
実はこのとき小津たちが向かっていたのは御袖天満宮。厚田さんの撮影日程表に書かれていた「天満宮」ってどこだろうと思っていたんですが、尾道には天満宮はここしかなかったんですね。場所は福善寺のすぐそば。もっと早くわかっていれば行ってたのに、でした。小津たちがれんが坂を通ったのは、市民病院のあったあたりから一番の近道だったからだと思います。
ストリートビューで見たこの神社の境内からの風景がこれ。
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この風景を見て思ったのは、ここがこのシーンを撮影する候補地だったのではないかということ。
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シナリオを見るとこのシーンのト書きはこうなっています。
街と海を見下ろす崖上の空き地。

結果的には浄土寺の境内で撮影されることになったわけですが、このロケハンをしているときにはまだ平山家をどこにするかは決まっていなかったはずなので、街と海の見下ろすことのできる空き地(一応境内は想定したはず)を同行したはずの人に訊いて連れてきてもらったのがこの場所だったのかもしれません。ただ、あのシーンを撮るには塀とかが邪魔な感じがします。と言っても今は浄土寺の境内のあの場所にも塀が作られてしまっているのですが。
そういえば上に貼った昭和45年の地図についていたガイドブックに浄土寺のこんな写真が載っていました。
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まだ、鐘楼も塀も建てられていない、『東京物語』が撮影された時のままのあの場所を見ることができます。

さて、御袖天満宮の次は4番目の福善寺。このカットをはじめ墓地のいろんな写真が撮られた重要な場所ですね。
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この場所もト書きに書かれている、向こうに海の見える墓地がある寺として連れてきてもらったのかもしれませんが、御袖天満宮に向かう途中でたまたま発見したような気もします。その方が面白いですね。

その次に行ったのが「丹花町」(ピンクで丸をした場所)。そこに何かがあるというわけではなさそうですが、何かがあったんでロケハンをしたんですね。ただ通っただけの町を書き留めていたらきりがないはずですから。
福善寺の方から山陽本線と国道を渡ってこの丹花町に入る場所をストリートビューで見るとこうなっています。
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歩道からすぐに石段があって、石段に上るそばには「丹花小路」と書かれた石柱。この前の歩道は2往復くらいしていたんですが気付きませんでした。昭和3年の地図を見てもわかるように、このあたりの路地は「○○小路」という名前がついているところが多いんですね。たぶん地図に載っていないものもいくつもあるはず。

この丹花小路はとても気になるのですが、残念ながらストリートビューで入ることができません。ネットにいくつか写真が上がっていますが、なんとも雰囲気のある路地。映画ではこの路地の風景は何も使われなかったわけですが、いったい小津たちはここで何を見ていたのか。これが今回の謎でした。でもその答えが見つかったんですね。それは次回に。

この丹花小路を抜けてまっすぐ南に下った5番目の場所がこのカットが撮影された米揚町(または米場町)。
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ちなみに小津たちが泊まった竹村旅館は海沿いの赤丸の場所。そこを囲むように歩いたことがよくわかります。

ところで、地図には丹花小路からは東に100mほど行った場所に黄色で☆印をつけています。ここには昔病院があったようです。この場所のことについてはまた改めて。
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by hinaseno | 2016-09-26 13:17 | 映画 | Comments(0)

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ということで、後で予定していることの時間を気にしながら、香川京子さんが歩いた場所を探しに行きました。改めてそのシーンを。
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ところで家に戻ってから見つけた蓮實重彦著『監督 小津安二郎』の付録の厚田さんの昭和28年撮影記録の8月17日のところにはこんな記述が。
西国寺通り路地香川の歩き

ここの「西国寺」はおそらく「西郷寺」の間違いのはず。西国寺はロケされたはずの場所からはかなり離れているし、西国寺に行く道からも外れています。
ちなみに同じ日にはこんな記述もあります。
善光寺の墓地

善光寺? 尾道にそんなお寺はありません。もちろんこれは「福善寺」の間違い。厚田さんか、それを書き写した人か(蓮見さん?)、あるいは活字化した人の誰かが間違えたんでしょうね。

映画資料館ではあのシーンをロケした場所が久保小学校と西郷寺の近くであることが確認できたのですぐにわかるだろうと思って、とにかく行ってみることにしました。
でも、その前に6時から予定していたことが行われる場所を確認しておく必要があると思って、行く途中で(行く途中にある場所だったんですね)にその場所を見に行きました。
そこは奥まった路地の中の、かなり見つけにくい所だとは知っていましたが、確かにそうでした。地図を見ながら行ったものの、結果的にはいちばん分かりにくい路地から入ったためにちょっと不安になりかけていたのですが、そのときに聴き慣れた歌が聴こえてきました。

いい歳をしてオレンジジュースを飲みながら
藤子不二雄の漫画本を読んでいる
ふふふふ ふふふふ

ああ、ここだ。ちょうどリハーサル中。
あまりにもその路地の昭和の風景に似つかわしい歌だったので、そこにいて彼の歌声をずっと聴いていようかと思いましたが、ぐっと我慢して、今日の最後の目的の場所に向かいました。

ってことで、そこから歩いて10分ちょっとで久保小学校のあたりに到着。でも、そのあたりをいろいろ歩き回ったけど映画のあのシーンの場所は見当たらない。街並みはかなり新しくなっていて、どうやら当時とはかなり変わっていることがわかりました。家も、道も。
仕方なく近くの食料品店に立ち寄ってレジに立っていた30代くらいの女性に訊いてみました。写真を見せたけど残念ながら『東京物語』のことも知らない。どうやら結婚してこの町に来たようで、そのご主人と思われる40代後半くらいの男性を呼んでくる。ご主人はこの辺りに昔から住んでいるとのこと。ただ、写真をしばらく眺めても首をかしげたまま。
困ったなと思ったら、もしかしたらあそこかもしれないということで、そこへ行く道を教えてもらう。西郷寺の山門へ向かう道の途中に一本の路地が横切っている。そこではないかと。結果的にはそれが当たっていたんですね。もしもその人がいなければ、でした。

路地の角には塀も含めて雰囲気のいい家が一軒建っていました。その家があの映画にちらっと写っている壁の家のような気もする。でも、道は映画に映っている路地とは違ってかなり広くなっている。
そうしたらたまたまその家に住んでいる年配の女性が帰ってくました。訊いてみたら確かにその家の前の路地で『東京物語』が撮影されたと。そのあたりにあった家はほぼ全て取り払われて道を倍くらいに広げらたので街並みはすっかり変わったと。
ということで、その家の横で撮影したものがこれ。
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間違いはない、とは思うけど確信が持てませんでした。何も知らずにここを通ったら絶対に気付くことはできなかったでしょうね。

ところで映画資料館に展示されていた『キネマ旬報』のページに掲載されていた驚きの写真というのがこれでした。
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路地を歩く香川京子さんを正面からとらえたもの。もちろんこんな写真を見たのは初めて。本を手に入れて確かめたら、展示されていたものを見たときにはわからなかったことがいろいろとわかりました。もちろん行ったからわかること。
ポイントは後方に写っている2階建ての家。よく見たら4人くらいの女性が見学しています。この家がまさに僕がいろいろと話を伺った女性の家だったんですね。もしかしたらその女性もそこに写っているのかもしれません。

一応確認のためにグーグルマップのストリートビューの画像を。
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間違いない。2階建ての家はそのままですね。これでようやく確証が得られました。

それにしても、小津は尾道の数ある路地の中でなぜこの場所を選んだんでしょうか。さらに言えばなぜ福善寺の墓地を選んだんでしょうか。
それを解明するためには昭和28年6月30日の足取りを追わなければなりません。
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by hinaseno | 2016-09-24 12:42 | 映画 | Comments(0)

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尾道を歩いていた時に、偶然出くわすことができればいいと思っていたのは、尾道の路地で映したはずのこの2つのカットでした。
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上は香川京子さんが尾道の平山家を出て歩いている場面。こちらは目印というべきものが何もありません。下は大きな建物のそばを子供達が登校あるいは下校する場面。建物には「栗吉材木店」と大きく書かれた看板があるので、こちらはネットを調べればすぐにわかるだろうと思いましたがそれではおもしろくないので。

でも、この日かなりの距離を歩いたにもかかわらず、それらしい風景に出会うこともなく、ロケ地探しもとりあえずは終わりと思って映画資料館に入ったら、すぐ正面に作られたパネルに、大きな地図と『東京物語』に映ったシーンの写真が貼られていました。もちろんこの2枚の写真も。
驚いたのは下の写真が映画資料館を出てすぐ左の場所だということ。嘘みたいな話。何度も通っていた場所でした。すぐに出て見に行こうかと思いましたが、そういうわけにもいかないので、展示されたものを見た後で行きました。
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映画に映っている風景は跡形もありませんね。
これではつまらないので、何かこの建物が映っている昔の写真はないかとネットで探したら、魚信という旅館のサイトにおっと思う写真がありました。魚信は尾道の市役所から少し東の海沿いの旅館。上に貼った写真の右手の少し奥に行ったところに緑色に茂った木が見えるのが魚信の場所。
その魚信のサイトに貼られていたのがこの写真。大正末期とのこと。
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帆船の泊まっているあたりが魚信。その左の方の道をはさんで向こう側に気になる二つの建物が写っています。小津が撮影したのはこの写真の30年後くらいなので、多少建物の外観は変わっているように見えますが、上の方の窓とか屋根の感じから、おそらく同じ建物のはず。
ところで、魚信のサイトでは、この写真の帆船が北前船ではないかと書かれています。北前船というのは江戸時代から明治にかけて米などを運んでいた船。この船がこのあたりに寄港して米などを荷揚げしたので米揚町という名がついたのでは、と推測していたら、このあたりは「揚」ではなく「場」の米場町(こめばちょう)という名で現在も呼ばれていることがネットに書かれているのを発見しました。厚田さんは「こめあげ」町と、多分町を案内した人に聞いたので「米アゲ」町と表記したはずですが。果たしてどちらが正しいんでしょうか。

さて、気になっていたもう一枚のカットが撮影された場所もパネルに記されていました。場所は久保小学校の近く。
ただ、パネルの地図はかなり大雑把なものだったので、すぐにはわかりそうもなく、後の予定のこともあったので、そこに行くべきかどうしようかと考えながら、資料館に展示されたものを見て回りました。
正直、そんなにあっと驚くようなすごいものがあるとは期待もせず見て回っていたら、あったんですね。僕としてはすごすぎるものが。
一つは展示されていた『キネマ旬報』に掲載された『東京物語』のロケの様子を捕えた写真。見たこともない写真が並ぶ中に驚きの一枚が。これを見てやはり香川京子さんが歩いた場所に行かなければと思いました。本当はそこに展示されていたものの写真を撮影しておきたかったのですが、そういうわけにもいかないので戻ってから入手しました。いやはやすごい。
それからもう一つは資料館の2階に置かれていて本に掲載された一枚の写真。その場で見たときにはそれほど驚きはしなかったのですが、後でそれを入手してよく見たら、腰が抜けるほどびっくりなことが。今回の一番の発見でした。その場で気が付いていたらそちらも歩いていたのに、でした。

というわけで、映画資料館を出て、隣の建物のあたりを撮影してから、久保小学校の方に向かいました。
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by hinaseno | 2016-09-23 13:34 | 映画 | Comments(0)