「ほっ」と。キャンペーン

Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

カテゴリ:音楽( 348 )



a0285828_12081808.jpg

Rich Podolsky 著『Don Kirshner: The Man with the Golden Ear』より


少年の頃、ジャック・ケラーは父方の祖父を知らなかった。ジャックの父、マル・ケラーはジャックが14歳の時に亡くなった。孫が生まれるのを見るまで長生きできないというのがケラー家の男に4世代も続いていた。

彼の家系に引き継がれている心臓の問題をよくわかっていたので、ケラーは自分自身を絶えず監視していた。適切なダイエットと運動、それから医者の用心深い目を通して、ケラーは長生きして、いつか自分の孫と遊ぶことを願っていた。彼と彼の妻のロビは4人の子供をもうけたが、そのうちの最初の2人は養子だった。

1998年、ケラーは胸に締め付けられるような痛みを覚えた。何が起こっているのかわかったので、5分もかからないうちに自分で車を運転して病院に向かった。3つのバイパスが施されて、文字通り人生に新たなリースを提供することになった。数年後、3人の孫のうちの一人目が生まれた。

2004年3月に、ケラーが演奏者として参加したオールディーズのクルーズのおかげで、彼はトニー・オーランド、トニ・ワイン、そしてロン・ダンテとの素晴らしい再会を果たした。

クルーズ船での温かな再会はケラー家をナッシュヴィルから車で行ける距離の中で行われるオーランドのショーへ連れ出すことになった。2005年2月10日に彼らは車に荷物を詰め込んで4時間も運転してエヴァンスヴィルやインディアナに行ってトニー・オーランドとトニ・ワインのショーを見た。このときオーランドはジャックを聴衆に紹介するだけでなく彼にステージに上がって何か演奏するように頼んだ。彼が演奏に選んだのはただ1曲、『奥さまは魔女(Bewitched)』だった。観衆から盛大な拍手喝さいをあびた。

そのショーの後、ケラーは彼が持参していたあるものでオーランドを驚かせた。それは何年も前の記憶を呼び起こすものだった。

「僕が最初にジャックに会ってから44年も経って、僕が16歳だった時に彼に書いた手紙を彼は自分のスーツケースから取り出したんだ」とオーランドは言った。「手紙は汚れもなくまっさらだった。しわひとつなかった。彼が完璧な形でこの手紙を保管していた場所にはさらに僕を驚かせるものが入っていた。それは僕の最初のナイトクラブから僕が歌ったプログラムだった。彼が僕にその手紙を見せてくれた時、とりわけ強く印象に残っているのは、彼のことをいかに大切に思っているかということと、彼が44年間も当時のものを汚れもなくまっさら形で保管していたということがだった。それから彼は1枚の写真をひっぱり出して僕に尋ねたんだ。『これは君のおじさんのジョニーじゃないのかい?』って。僕は22年間もおじのジョニーに会ってはいなかった。しかもその写真はまるでポラロイドから出てきたばかりのように色あせていなかった。

2005年のその週、ケラーはナッシュビルに戻った後微熱が出して、それはなかなか下がらないように思われた。その週には3日間のセッションをプロデュースすることになっていたので、彼はAdvilという薬を使ってなんとか熱を抑えようとした。でも、薬を飲むのをやめるとすぐに熱が出た。

2月18日までに、ほとんど恢復の糸口をもたらすことのない何度かの血液検査のあと、ケラーは「僕の血液の血小板は低いんだ。私が知っているのはそれだけだ。癌だとは思わない」と言った。

「僕は彼のことを心配している」とアーティー・カプランは言った。「その音が好きではない」と。

3月2日に、ケラーはさらなる検査を受けに行った。このとき彼は入院させられた。3月7日の月曜日までに彼は悪い知らせを受け取り、それを披露してくれた。彼はNK T細胞白血病と診断されていた。”NK”とは”ナチュラル・キラー”を表している。この状態の白血病と診断された平均的な患者はたった55日間しか生きられなかった。でもジャックはよくなると確信していた。

「医師たちは熱を抑えて僕が家に戻ることができると自信を持っているよ」と彼は僕に話してくれた。「もしそうなったら、いろんなこと[彼の仕事]を順番にこなすよ。僕は何年も自分の心臓のことを心配していたのでそのようなことが起きただけだよ」と。

ケラーはできるだけ聞き手にわかりやすく教えてくれた。彼はそうするほどに強かった。その日彼の少年時代からの友人であるアーティー・カプランとの話を終えた時、彼はこう締めくくった。「愛してるよ」と。カプランはナッシュヴィルへ飛行機で飛んで行く計画を立てた。

次の2週間はジャック・ケラーにとっては良好だった。熱がひいて彼は本当に自宅に戻って物事を順番にこなすことができた。その間、彼は昔の仲間みんなから電話を受け始めた。ジェリー・ゴフィンが最初に電話をかけ、それからジェリー・リーバー。ドン・カーシュナーも何度も彼に電話をかけた。ケラーの子供のころからの友人であるブルックス・アーサーも電話してきて昔の喧嘩の収拾をした。トニ・ワインは彼に会うためにナッシュビルに飛んできて1週間滞在した。


この本を執筆する過程で、私たちが行なった数多くの会話を通してジャックと私は親密な間柄になることができた。彼は私にナッシュビルに来て、本のために彼が持っている写真や記念のものなどを集めるようにすすめてくれた。私は彼の健康のことを心配していたので、言われた通りにきちんと飛行機のチケットを予約した。


時はあっという間に過ぎ去り、友人たちもそれを知っていた。「だれが電話してくれたか君は絶対にあてることはできないはずさ。信じられなかったよ」とケラーが私に話してくれたのは3月19日のことだった。「僕が電話に出たら、こんなことを言う声が聞こえたんだ。『ジャック、キャロル・キングよ』。僕たちは1963年に戻ったみたいに話をしたよ。素晴らしいことだった。気になっていたことがようやく解決したんだ」

その電話の前、ケラーとキャロル・キングはほぼ30年間連絡を取り合っていなかった。2002年にキングがセミナーのためにナッシュヴィルにやってきたので、ジャックは彼女に会うためにそのセミナーの終わり頃に立ち寄った。彼は二人でコーヒーを一杯飲むことができないかと頼んだが、彼女のマネージャーが彼女を振り払うように行かせたので、二人は結局話をすることができなかった。ケラーは昔の友達を失ってしまったのではと気にしていた。でも、彼女の電話がすべてを変えた。「今、私たちについてはすべてがうまくいっているとわかったよ」と彼は言った。

「それから君に教えるけど、他に誰が電話してくれたと思う? バリー・マンとシンシア・ワイルだよ。キャロルがきっと彼らをまきこんだにちがいないけどね。それからジェリー・リーバーが電話してきたんだ。彼は僕のことを偉大な作曲家だと言ってくれたんだ。想像できる? あの偉大なジェリー・リーバーがそんなことを話してくれたなんて」

3月20日に、そんな人たちすべてをまとめあげていた人物のドン・カーシュナーが電話でジャックと話をした。「僕は彼にジェリー・リーバーが言ってくれたことを話したよ」ジャックはそのときのことを思い出す。「ねえ、ドニー(ドン・カーシュナー)が僕に何と言ったと思う? 彼はこう言ったんだよ。『私は君が偉大な作曲家であるということを君に話した最初の人間だよ』と。君は彼を大好きになるよ」と。

死が差し迫っている人間として、彼はきっとみんなにさよならを告げることを楽しんでいた。それから熱が再びぶり返して彼は病院に戻った。


2005年3月31日木曜日の夜、午後11時30分、ケラーは病院のベッドから私に電話をかけてきた。彼がそんなに遅く電話をかけるなんて以前にはないことだった。


「たぶん、僕たちが予定していたときよりも少し早くここに来たほうがいいよ」と彼は言った。「僕にはそんなに時間は残されていないと思う」と。翌朝、2005年4月1日金曜日の8時30分、ベッドサイドに彼の家族全員がいる中でジャック・ケラーは「少し休むよ」と言って、それを最後に目を閉じた。白血病と診断されてからたった27日後に彼は帰らぬ人となった。

皮肉にも彼の子供の頃からの友人で、ケラーがはじめての曲をいっしょに書いたポール・カウフマンも34日前に癌で亡くなっていた。一人とも行年68歳だった。

(つづく)


[PR]
by hinaseno | 2017-02-19 13:38 | 音楽 | Comments(0)

a0285828_12081808.jpg

今、手元に置いている一冊の洋書。

a0285828_12153151.jpg

タイトルは『Don Kirshner: The Man with the Golden Ear』。日本語に直したら「ドン・カーシュナー:黄金の耳を持つ男」。ドン・カーシュナーというのはアメリカン・ポップスのアイドル歌謡の作品を一手に引き受けて大成功を収めたアルドン・ミュージックを設立したアルさんとドンさんの2人のうちのドンさんのほう。その評伝ですね。彼は「黄金の耳を持つ男」と呼ばれていました。本の筆者はRich Podolskyという人。出版されたのは2012年。「アメリカン・ポップス伝」の資料として大瀧さんは間違いなくこの本を読んでいただろうと思います。

この本、できあがるまでにかなり長い年月をかけて関係者にインタビューをしたようなのですが、中でもとりわけ多いのがジャック・ケラーでした。ジャック・ケラーは「Beats There A Heart So True」を出した翌年の1959年にアルドン・ミュージックと契約。ドン・カーシュナーは会社のオーナーとはいえ年が近かったので結構親しい関係にあったんですね。

ドン・カーシュナーと親しい関係があったとはいえ、これだけ多く彼のインタビューがなされているということは筆者がジャック・ケラーのことを信頼していた証ですね。インタビュイーとして信頼する条件をあげるならば、まず第一に記憶が正確であること。嘘や大げさなことを言わないことでしょうか。あるいはある種の成功を収めた人にありがちな自慢話、手柄話のようなことも言わない。

そういえば山下達郎さんがジャック・ケラー特集のときに、いろいろとジャック・ケラーに関する資料を読んで知った彼の人柄をこんな風に語っていました。


「ジャック・ケラーという人はあまり欲がないといいますか、ガツガツしたところもなく、自分がヒットソングライターであるということをそれほど声高にアピールもしていない」

さらにこんなことも。


「自分の成功とか、身の丈に満足していた感じがします」

実際に会ったことはないけれども、なんとなくそんな感じがします。で、もう一つ、彼が積極的にインタビューに応じていたのは、何かを伝えようとする気持ちが人一倍強かったからにちがいありません。

でも、彼はこの本が出版される前の2005年に彼は亡くなります。筆者はまだ本の出版に向けてのインタビューを重ねている中での死だったようです。

この本は全部で28の章から成り立っています。面白いのは章のタイトルがすべて曲のタイトルからとられているんですね。作曲家別に見てみると28章のうち最も多いのがキャロル・キングの9曲。ヒット曲の多さからいって当然ですね。一応挙げておくと「Will You Love Me Tomorrow」「Halfway To Paradise」「Take Good Care Of My Baby」「Some Kind Of Wonderful」「The Loco-Motion」「Go Away Little Girl」「Up On The Roof」「It Might As Well Rain Until September」「One Fine Day」。

次がニール・セダカの7曲。「The Hungry Years」「Stupid Cupid」「Oh Carol」「Where The Boys Are」「Next Door To An Angel」「Breaking Up Is Hard To Do」「Love Will Keep Us Together」。

その次がジャック・ケラーの4曲なんですね。で、それに続いてバリー・マンの3曲となっています。あのバリー・マンよりも多いというところに筆者の思いが感じられます。ちなみにバリー・マンは「On Broadway」「Who Put The Bomp」「I Love How You Love Me」。


さて、ジャック・ケラーの書いた曲から取られたタイトルはまず「Everybody's Somebody's Fool」。コニー・フランシスが歌ったナンバー・ワン・ソングですね。で、ボビー・ヴィーの「Run To Him」。次はちょっと意外な曲ですが、ロビン・ルークという歌手が歌った「The Part Of A Fool」。この曲、なぜかよくバリー・マンの曲と間違えられていて、バリー・マンの作品集に収められたりしています。どうもバリー・マンと間違ってクレジットされているレコードがあるみたいですね。

そして最後が、そうペリー・コモの「Beats There A Heart So True」。本では最後から2つめの27章。

この章はジャック・ケラーが亡くなった後に書かれているんですね。ジャック・ケラーを追悼するために書かれた文章で、この本の主役であるドン・カーシュナーとはほとんど関係のない内容になっています。そのタイトルとしてとられたのが「Beats There A Heart So True」なんですね。

実は今回、ずっと「Beats There A Heart So True」という曲の話をしてきたのはこれを紹介したかったためでもありました。


ところでつい最近気がついたのですが、この本の扉にこんな言葉が記されていました。

a0285828_12163732.jpg

本の献辞として二人の名前が記されています。一人は筆者の奥さんのダイアナさん。そして、もう一人がジャック・ケラーなんですね。「この本を作ることができたのは、ジャック・ケラーの精神と音楽への深い愛情のおかげだった」と。


この本、とにかく素晴らしい本で、できればだれかが訳してくれないかなと思っているのですが、誰も訳してくれそうもないので、ではということでその「Beats There A Heart So True」の章を少しずつ訳していこうと思います。「Beats There A Heart So True」にまつわる話はさらに長くなりますが、ジャック・ケラーと、ジャック・ケラーにも負けないくらいの音楽に対する深い愛情をお持ちの石川さんに捧げます。アゲイン10周年おめでとうございますという気持ちをこめて。


[PR]
by hinaseno | 2017-02-16 12:17 | 音楽 | Comments(0)

a0285828_12081808.jpg

2010年9月12日から3週にわたって放送された山下達郎の「サンデー・ソングブック」のジャック・ケラー特集では知らない曲が何曲もかかりました。僕なりにいろいろと準備していましたが驚きました。さすが達郎さんだなと。もちろん「Beats There A Heart So True」も初めて聴いた曲。曲をかける前に達郎さんはこんな紹介をします。


(ノエル・シャーマンとジャック・ケラーが共作した曲の中で)今日は私がジャック・ケラーの初期の最高傑作だと思います、ほんとにいい曲です。ペリー・コモの1958年、シングル「Moon Talk」のカップリングとして発売されました「Beats There A Heart So True」という、まだロックンロール以前の香りが残っておりますが、ほんとに素晴らしい作品です。

こんな達郎さんの大絶賛の言葉がありながら、僕はこの曲を印象にとどめてはいませんでした。むしろ心に強く残ったのは第3週目にかかったアネットの「Crystal Ball」からナット・キング・コールの「My First and Only Lover」、ジュリー・ロンドンの「We Proved Them Wrong」、ルイ・アームストロングの「I Like This Kind of Party」と続く4曲の曲。全部初めて聴く曲でした。その前の、この日の1曲目にかかったリトル・エヴァの「The Trouble With Boys」(これはA面ですね)も大好きな曲だったので、ラジオを聴きながら最高にハッピーな気持ちになったことを覚えています。で、そのあともしばらくはこればっかり聴いていました。でも、これを録音したMDはいつのまにか紛失(2週目のものも)。だれかください。

一応この5曲並べて貼っておきます。作曲はすべてジャック・ケラー。

リトル・エヴァの「The Trouble With Boys」。




アネットの「Crystal Ball」。




ナット・キング・コールの「My First and Only Lover」。




ジュリー・ロンドンの「We Proved Them Wrong」。




ルイ・アームストロングの「I Like This Kind of Party」は残念ながらYouTubeにありませんでした。


というわけで1週目の最初の方でかかったペリー・コモの「Beats There A Heart So True」は達郎さんの大賛辞があったものの僕の中ではすっかり影が薄くなってしまいました。いや、僕だけでなくこの曲を心に留めた人はどれだけいたでしょうか。

でも、一人いたんですね。それが石川さんでした。ブログで何度も語られ続け、おそらく店に来られた人にも曲の魅力を伝え続けられたんだろうと思います。

「Beats There A Heart So True」という曲は「Moon Talk」のカップリングということで、A面、B面ははっきりしないんですが、チャートに入ったのは「Moon Talk」(最高位29位)のほうでこちらが実質的にはA面だったようです。ということなので「Moon Talk」はペリー・コモのベストもののCDにはよく入っているのですが(僕の持っている50曲入りのCDにも入っています)、「Beats There A Heart So True」が収録されたCDはほとんどありません。でも、石川さんはそれが収録されたものを見つけて、できるだけ多くの人に聴いてもらおうと思って、当時YouTubeにアップされたんですね。それがこれです。


現在では「Beats There A Heart So True」の音源はほかに2つほどアップされていているのですが、2年くらい前までは石川さんがアップされていたものだけでした。

石川さんがアップされた音は、権利上の問題も考えられてのことだとは思いますが、たぶんスピーカーを通して収録されたものになっています。でも、だからこそというか、これ、アゲインの音がしていますね。野口さんも多分これを聴かれてこの曲の魅力を知られたはず。


ところで石川さんが「Beats There A Heart So True」をYouTubeに公開されたのは2012年6月14日。この同じ日か翌日くらいに石川さんから送っていただいたのが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のジャック・ケラー特集を録音したCD-ROMでした。

それを聴いて何よりも驚いたのは大瀧さんが時間の関係で曲はかけなかったけどジャック・ケラーが書いた曲として「Beats There A Heart So True」を紹介していたことでした。こんな言葉。


58年にはペリー・コモに1曲書いているんですね。「Beats There A Heart So True」という曲で、共作がノエル・シャーマンなんですよ。あのジョー・シャーマン、ノエル・シャーマンのシャーマン兄弟のですね、...と共作したんですよ。すごいもんですね。

いや本当にびっくりでした。「Beats There A Heart So True」の第一発見者は大瀧さんだったんだなと。なんだか「Beats There A Heart So True」という曲を通していろんなものがつながったような気がして、で、そのつながりの中に僕も入れたような気がしてなんともうれしい気持ちになりました。ちなみにそれが確認できた日は僕の誕生日でもありました。最高の誕生日プレゼント。さらに数日後に人生で最高なことが起こることになるのですがそれは内緒。もちろん石川さんのおかげです。


[PR]
by hinaseno | 2017-02-15 12:53 | 音楽 | Comments(0)

a0285828_12081808.jpg

僕も石川さんも、全国の達郎さんファンも、(たぶんほとんどいないと思われる)ジャック・ケラー・ファンも初めてペリー・コモの「Beats There A Heart So True」を耳にしたのが2010年9月12日に放送された山下達郎さんの「サンデー・ソングブック」でした。3週にわたって放送されたジャック・ケラー特集の第1回目。その3曲目にかかります。僕はとにかくこの特集を楽しみにしていました。かなり前から達郎さんはジャック・ケラー特集をすると言っていたので。

ちなみに僕がジャック・ケラーという作曲家に興味を持ったのは、やっぱり大瀧さんでした。大瀧さんが「おれはジャック・ケラーなんだ」と言ったのが全てのきっかけ。

この発言をされたのは2009年の新春放談。久しぶりに聞き返したらこの年の新春放談の最初の方でこんなこと言ってました。達郎さんが例によって、今、何をされているんですかという問いかけをしたあと。


大瀧「ネタとしてはタモリさんとかぶるんですね。最近『タモリ倶楽部』をよく見てんだけど。去年、スタジオで偶然バッタリお会いして、かぶったネタについてちょっとお話ししましたけど。あの人、鉄道マニアと古地図をやっていて。そのところでちょっとクロスするんですけどね」
山下「大瀧さんって鉄道マニアですか?」
大瀧「いやいや、古地図の方」

ちょうど大瀧さんは成瀬の映画研究をされていたころ。タモリさんと情報交換していたというのがすごいですね。

それはさておき、ジャック・ケラーの話。こんな会話が交わされます。


山下「僕はよ~くわかったけど、大瀧さんはヘレン・ミラーとジャック・ケラーなんだなって」
大瀧「ジャック・ケラーだよ。言わなかったっけか?」
山下「いいえ」
大瀧「ああ、そう? これ言おうと思って来たの。おれはジャック・ケラーなんだ。ヘレン・ミラーでもあるんだ」
山下「それはよ~くわかった」
大瀧「わかったね。いや、さすがだな~、って言ったって、だれがわかるんだ、こんな話(爆笑)」
山下「だから次はジャック・ケラーをやろうと思うんですよ」
大瀧「(笑いが止まらず)日本中のだれもわからない。こんな話...」
山下「いいんですよ、わからなくても」
大瀧「ああ、おかしい。で、つくづくジェフとエリーだと言われて、いや、実はず~っと内心、だれかがジャック・ケラーだって言ってくれるかなっと思ってたら、君だったね」
山下「よ~く、わかりました。この歳になって」
大瀧「ほんとにね。産湯はね、ジャック・ケラーなんだよ」
山下「そうなんですね」
大瀧「で、体質にも合うんだね」
山下「わかります」

さらにこんな会話。


大瀧「ジャック・ケラーはちゃんと集めてんの? 結構意外なものがあるんだよね。で、みんな小品なんだよ。これって大作は一個もなし」
山下「B面が多いですね」
大瀧「B面が多い。B面好きなんだよ。ほんとにB面好き」
山下「だけどジャック・ケラーは大変」
大瀧「大変だね~」
山下「もう4年ぐらいやったんですけどね」
大瀧「何があるのかも、僕も全貌つかんでないし。聴いてみなきゃ、わかんないしね」
山下「今度、一揃い揃ったら全部あれしますから。DVDかなんかにデータ入れて」
大瀧「今時ジャック・ケラーという人なんていないよな~」

このときの放送で達郎さんは次はジャック・ケラー特集をすると言ったんですね。実現したのはそれから1年9ヶ月後のこと。その日まで僕は自分なりにジャック・ケラーの音源をいろいろと集めました。今はウィキペディアにこんなリストが掲載されているので、それに基づいて集められますが、当時は持っていたCDやレコードのクレジットを一つずつ確認する作業。J. Kellerと記載されていてもジェリー・ケラー(Jerry Keller)というシンガーソングライターもいて大変。大瀧さんが言われる通り「聴いてみなきゃ、わかんない」。でも、50曲くらいは集めたように思います。もちろんそのときにはまだ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のジャック・ケラー特集なんて聴いていません。

で、僕にとっては待ちに待ったジャック・ケラー特集の日がやってきます。


[PR]
by hinaseno | 2017-02-14 12:42 | 音楽 | Comments(0)

a0285828_12081808.jpg

ところで野口久和ザ・ビッグバンド with BREEZEのライブのMCで、石川さんの名前は出されませんでしたが、野口さんにペリー・コモの「Beats There A Heart So True」を教えた人(もちろん石川さんです)は『レコード・コレクターズ』という雑誌の「コレクター紳士録」に登場した方だという話がされていました。

石川さんが「コレクター紳士録」に登場したのは『レコード・コレクターズ』の2009年4月号。

a0285828_14443374.jpg

当然のことながら大瀧さんの話も出てきます。初めて大瀧さんからメールが来た日のこと。そして僕が石川さんのことを知るきっかけになった例の「Polka Dots And Moonbeams」にまつわる話も。


「ジャズのファンってああいうポップスは聞かない、ポップスのファンはジャズを聞かないと。でも、大瀧さんはそういう知識を幅広く持っているので、そこが面白いんですね」

と語られています。その通りですね。

余談ですが「コレクター紳士録」には石川さんがアゲインを始められる前に翻訳会社に勤められていたことにも少し触れられています。この翻訳会社の社長が平川克美さんで同じ会社には内田樹先生がいたということなんて、これを書いた人も読んだ人もだれも知らないはず。


さて、話はペリー・コモのこと。

僕が初めてペリー・コモを意識したきっかけはやはり大瀧さんでした。2007年1月14日に放送された新春放談で大瀧さんがこんなことを言ったんですね。


「ペリー・コモとか上手いよ~。ほんっとに上手い。なんであんなに上手いのかね」

このときにはフランク・シナトラやビング・クロスビーやトニー・ベネットなどのポピュラー歌手の名前があがるのですが、歌の上手さに関してはペリー・コモが格別だと。

それにしてもこのときの大瀧さんの発言は僕にとってはすごく意外なもので、かなり驚いた記憶があります。大瀧さんもこういった音楽を聴かれるんだなとそのときに初めて知りました。僕は当時ジャズ・ボーカルを結構聴くようになってましたが(ただし偏っていました)ペリー・コモに関しては全くのノー・マーク。ということでこの日の放送でかかった「It’s Impossible」の入ったCDなど、ペリー・コモのCDを何枚か買いました。ただ、代表曲をかなり数多く収めたCDにも「Beats There A Heart So True」は収録されていませんでしたが。


このあとに大瀧さんのポピュラーミュージックへの知識を思い知らされたのが2012年3月26日から始まった『アメリカン・ポップス伝』でした。野口さんが大瀧さんの知識に驚かれていたのも、おそらくはこの日の放送を聴かれてのことだろうと思います。

この記念すべき最初の放送のテーマは1956年にナンバーワンになったエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」の登場がいかに衝撃的なものであったかを実証すること。そこで大瀧さんがしたのはエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」が登場するまでにどんな曲が流行っていたかを紹介することでした。ここで数多くのポピュラーミュージックがかかるんですね。一応大瀧さんは1951年からナンバーワンになった曲をかけることにするんですが、ただ単に曲を並べただけじゃんと思う人がいたら大間違い。それぞれの曲の一番の聴かせどころをつなげて時々コメントをはさみながら50分の放送で200曲あまりの曲をかけるわけですが、それぞれの曲の聴かせどころを熟知していなければとてもあんな編集はできません。

で、この記念すべき第一回目の放送の最初の曲が実はペリー・コモなんですね。「If」という曲。時間の関係とかいろんなことを考えて1951年からにされたのだとは思いますが、改めて考えてみると、やはりペリー・コモから始めようと意図したのかもしれません。1951年のナンバーワン・ヒットをかけた後にこんなこんな言葉が出て来ます。


「戦前はビング・クロスビーの一人舞台だったわけですけれども、戦後はペリー・コモが一番人気でしたね」

ペリー・コモの曲はこのあと1952年、1953年、1954年にそれぞれ1曲ずつナンバーワン・ソングがかかります。エルヴィスが登場した1956年にはナンバーワンになった曲はありませんが、翌1957年にはまたナンバーワンソングを出しています。「Beats There A Heart So True」が発売された1958年も、ナンバーワン・ソングは出なかったものの「Catch a Falling Star」は全米2位の大ヒット。B面だったバカラック作曲の「Magic Moments」も全米4位の大ヒット。ジャック・ケラーが「Beats There A Heart So True」を書いたのはそんな状況。でも、このときジャック・ケラーはまだ駆け出しだったんですね。ヒット曲はひとつもない。すごいプレッシャーだったんじゃないでしょうか。

ただこのとき彼には支えになってくれる存在がいました。それが作詞家のノエル・シャーマン。有名なシャーマン兄弟の弟ですね。この時期彼は兄のジョー・シャーマンと仲違いしていたこともあって他の作曲家を探していて、見つけたのがジャック・ケラーだったようです。2人が共作した曲は20曲ほど。僕の手元には14曲ありますが、とにかくいろんなタイプの曲を作っています。ティーンネイジャーのたわいもない曲から「Beats There A Heart So True」のような大人の曲までさまざま。ノエル・シャーマンからいろんなタイプの曲作りを教わっていたんでしょうね。

それにしても曲作りの経験を多く積んでのことであるならば理解できますが、「Beats There A Heart So True」はジャック・ケラーにとっては最初期の、彼がまだ21歳のときの作品。驚きますね。

彼は翌年にアルドン・ミュージックと契約して、ティーンネイジャー(でない人もいるけど)のアイドル向けの曲を量産することになって、こういう大人の路線の曲を作ることはなくなります。


[PR]
by hinaseno | 2017-02-13 14:47 | 音楽 | Comments(0)

a0285828_12081808.jpg

昨日紹介した野口久和ザ・ビッグバンド with BREEZEのライブのMC中で、野口さんがペリー・コモの「Beats There A Heart So True」を知ったきっかけとして紹介されている武蔵小山のライブハウスのオーナーというのはもちろんアゲインの石川茂樹さんのこと。

石川さんは数日前に野口さんからライブで「Beats There A Heart So True」を演奏するということを聞かされていました。ただ、ライブの日は石川さんの店でもライブの予定が入っていたために野口さんのライブに行くのは難しいと伝えていたようです。でも、絶対に行っておかなければということで、無理をしてライブに向かわれたんですね。

当日、ライブ会場はかなりの客がいたようで、野口さんはそこに石川さんが来られていたことを知りません。そんな中であのMCがあったんですね。さらに総勢17人からなるビッグバンドの演奏をバックにBREEZEの素晴らしいコーラスにとって石川さんの大好きな「Beats There A Heart So True」が歌われます。石川さんがどれほど興奮し感動されたか、他人事ながら心が震えます。

ちなみに野口さんのライブが行われたのは2012年9月3日。石川さんがその日のことを書かれてブログにアップされたのが翌9月4日。実は僕がこのブログを始めたのがまさにその日、2012年9月4日でした。つまり石川さんが「Beats There A Heart So True」にまつわる話を書かれているのを読んでから、僕はブログを始めようと決心したんですね。

翌日、僕は石川さんに、前日のブログに書かれていた話の感想とともに、僕もブログを始めましたということを伝えるメールを送ります。

その日の石川さんからの返事。ちょっと紹介します。


ペリー・コモのあの曲、何だかドラマになってしまい、一人で感動しております。あそこから得た教訓は常にメッセージは出しておくことが大事だということです。

今考えれば、「常にメッセージは出しておくことが大事」だという石川さんが得た教訓を僕なりに強く感じたからこそ僕はブログを始める決心をしたんだと思います。まあ、ブログなんて多くの人が気軽にやっているわけで「決心」なんて気持ちを持たなくてもやれるものなんですが、僕はどうしようかとぐずぐずしていた時期が長かったので、まさに「Beats There A Heart So True」が僕の背中を押してくれたんですね。

石川さんからはさらにこんな嬉しい言葉もいただきました。


ブログを始めたことを心から喜びたいと思います。貴方の視点は今の世の中にあって大変貴重な存在だと思います。時々参考にさせていただいております。是非貴重なメッセージを発信してください。少なくとも私はフォローしますので。

今読んでも泣けてしまうくらいにうれしい言葉。僕にとっての「Beats There A Heart So True」はこんな思い出と結びついているんですね。でも、まさかこの曲が僕にとってもこんなに大切な曲になるとは思ってもみませんでした。

ところで、僕が石川さんに送ったメールにはこんなことを書きました。


川本三郎さんがよく使われる表現をすれば、「Beats There A Heart So True」という曲は石川さんが発見されたと言っても過言ではないと思います。

ここで川本三郎さんの名前を出したのは、川本さんがしばしば発見という言葉を使われるから。たとえば川本さんの『白秋望景』にこんな言葉が出てきます。


 風景はいつも発見されるものだ。前からそこにありながら、誰もそれに気がつかなかったものが、ひとたび意識して見つめられる時に、新しい風景としての意味を持ってくる。
 武蔵野の雑木林は国木田独歩によって発見された。東京の下町、そして路地は永井荷風によって発見された。夏目漱石の『草枕』にある「ターナーが汽車を写すまで汽車の美を解せず」という言葉にならえば、独歩が登場するまでわれわれは雑木林を知らず、荷風が描くまで路地の美しさを知らなかった。

音楽も風景と同じように(単なる比喩ではなく僕にとっては音楽と風景は同じ価値を持っています)、前からそこにありながら、誰もそれに気がつかなかったものが、ひとたび意識して聴かれる時に、新しい音楽としての意味を持ってくるんですね。発見者がいなければすぐに忘れられてしまう。「Beats There A Heart So True」という曲は、達郎さんがラジオの番組でかけたとはいえ、石川さんのような発見者がいなければそれだけで終わっていました。実際僕はその日の放送を聴いていて、録音もして何度も聴いていたのに聴き流していたんですから。

でも、あとでわかったことですが、この曲には第一発見者がいたんですね。シングルのB面にひっそりと収められていたこの曲をジャック・ケラーが書いた曲として見つけていた人が。もちろんそれが大瀧さんでした。


[PR]
by hinaseno | 2017-02-12 12:13 | 音楽 | Comments(0)

a0285828_14300630.jpg


2012年9月3日。場所は秋葉原にあるTokyo TUCというジャズのライブハウス。この日出演していたのは野口久和ザ・ビッグバンド with BREEZE。BREEZEはジャズのコーラスグループ。グループ名のBREEZEはあの和田誠さんにいただいたもの。

この日のライブでは、まず最初に野口久和ザ・ビッグバンドが何曲か演奏。それからコーラスグループのBREEZEが加わってビッグバンドとともに1曲。で、次の曲が歌われる前にこんなMCが始まります。やりとりをしているのはBREEZEのメンバーの一人、磯貝たかあきさん(好きな海外のアーティストはフランク・シナトラとペリー・コモ)とバンドリーダーの野口久和さん。


「じゃあ、次の曲に行きたいと思いますが、次の曲は今日のライブのために野口さんが新しくアレンジしてくださった曲なんですが、これはちょっと知る人ぞ知るといいましょうか。ねえ、野口さん」
「もしもこの中で、この曲を聴いたことがあるっていう人がいらっしゃったら相当なマニアというか…」
「そうですよね」
「実は僕も最近までこの曲を知らなかったんですけれども、うちの近所の、武蔵小山という町なんですが、そこにライブハウスがありまして、ジャズのライブハウスではないんですけれど、僕もポップスのバンドをやっていて出たりしてるんですけど、そこのオーナーがポピュラー・ミュージックにとても造詣が深い方で、たとえば『レコード・コレクターズ』って雑誌がありますけど、あれの「コレクター紳士録」に登場した方で、それでジャズ畑の方ではないですけど、たとえば大瀧詠一さんみたいな方と交流があって。で、実は大瀧詠一さんという方は、皆さんはポップスの『ロング・バケーション』とかのイメージがあるでしょうけど、あの方ぐらいアメリカン・ポピュラー・ミュージックのスタンダードに詳しい方もいないんですね。で、ご自分でラジオの番組をやってレヴューしてて、それこそ亡くなった青木啓(あおきひらく)先生に次ぐくらいの知識を持っている。もう下手な話ね、そこらのジャズメンよりも全然曲を知っていますよ、特にスタンダードを。大瀧さんとか山下達郎さんはね。
 それでこれからBREEZEの歌う曲は、ライブハウスのマスターが山下達郎さんの番組でかかって、ペリー・コモが歌っている曲なんですけどね、それを聴いて気に入った曲だと。それを僕は情報をキャッチして聴いてみたら素晴らしい曲で、じゃあ早速BREEZEでも歌ってもらって、ビッグバンドの新曲としてやろうと。で、今日初めてみなさんに聴いてもらおうと。たぶん初めてお聴きになる人がほとんどだろうと思います」
「メロディーはとても温かい感じなんですけれども内容はちょっと悲しくて、あなたが僕のもとを去ってしまって、僕は何か悪いことをしてしまったのか、この愛は本当だったんだろうか、そしてこの先、僕の前にまた真実の愛が現れるんだろうかという詞ですね。 
 ではお送りしましょう。『Beats There A Heart So True』」


[PR]
by hinaseno | 2017-02-11 11:01 | 音楽 | Comments(0)

昨日アゲインの石川さんからメール。YouTubeのある曲が貼られていました。貼られていたのはスパイダースの「あの時君は若かった」。




実はこの曲の元ネタが「Fools Rush In」なんですね。紹介するつもりでいたんですがすっかり忘れていました。「Fools Rush In」を取り上げるのならば、絶対に紹介しておかなければならないものでした。


ところで僕がリッキー・ネルソンの「Fools Rush In」を、というかリッキー・ネルソンの代表曲のほとんどを初めて聴いたのは1986年1月30日に放送された「山下達郎サウンド・ストリート」のリッキー・ネルソン追悼特集でした。「Fools Rush In」のことをいろいろと調べていたときに、久しぶりにそれを聴き返したら(ひと月ほど前)「Fools Rush In」をかける前にスパイダーズの「あの時君は若かった」の話をしていたんですね。へえ~、でした。改めてその部分の言葉を。


この曲はスタンダードでございまして、これがロック風にアレンジされていました、これはスパイダーズの「あの時君は若かった」の元ネタでございまして、メロディーラインはほとんど同じです。

確かに冒頭部分のメロディーラインはほとんど同じですね。「あの時君は若かった」が「Fools Rush In」を元ネタにしていることはネットにも書かれていたので、音楽に詳しい人には有名な話のようです。ちなみに「あの時君は若かった」の作曲はかまやつひろしさん。かまやつさん、こういうことよくやっているようです(石川さんからはかまやつさんが作った別の曲と、そのオリジナルを教えていただきました。元ネタのジャンルの広さに驚いてしまいます)。

ところで改めて聞き返したら達郎さんはこの曲がスタンダードだと言っていましたね。このあと続けて大瀧さんとシリア・ポールがカバーした「The Very Thought of You」もかけています。


さて、石川さんの話が出たので次の話の予告編のようなことを書いておきます。実は次の話は石川さんが達郎さんのラジオ番組(サンデーソングブック)で聴いて深い感銘をうけた曲のこと。僕もその時の放送は聴いていて録音もして何度も聴き返していたのですが、正直それほど意識することなく聴き流していた曲でした。石川さんのその曲に対する思い入れやその曲にまつわるエピソードなどを聴いているうちに僕もだんだんとその曲を好きになりました。作曲は僕が最も好きな作曲者の一人であるジャック・ケラー。ということなので、以前もその曲について何度か触れているのですが改めて。


実は先日、石川さんからその曲にまつわるある貴重な音源を送っていただきました。演奏しているのは野口久和 The Big Band。野口さんのお父さんは有名なジャズ評論家の野口久光さん。昔『レコード・コレクターズ』という雑誌を買っていたときに「私とジャズ」という連載をされていたのでお名前はよく知っていました。久光さんは多彩な人で、画家もされていたようで、調べたら有名な映画のポスターや雑誌の表紙を描かれていたこともわかりました。画集も出ていたので手に入れたらその素晴らしさにびっくりでした。

a0285828_13163487.jpg

野口久和さんはいろんな音楽活動をされてきているようですが、一番びっくりしたのはネットのあるサイトに書かれていたものを見つけたときでした。石川さんから野口久和さんの音源を送っていただいたときは、ちょうど小泉今日子さんのことをいろいろ調べていたときで、例の「快盗ルビイ」の大瀧さんと小泉さんのデュエット・ヴァージョンがつくられるきっかけになった相茶さんという方を調べていたときに見つけたのがこのページでした。

THE GOOD-BYEというグループの紹介記事。THE GOOD-BYEのことはもちろんよく知っています。中心メンバーは例のたのきんトリオの野村義男。トシちゃんとマッチがアイドル路線を続ける中、野村義男はロックグループを結成して活動していたんですね。彼のロックミュージシャンとしての才能はその筋でも高く評価されていました。

ちなみに「快盗ルビイ」がカラオケ付きのCDで再発されたときのカップリング曲の「キスを止めないで」の作曲者が野村義男でした。


さてそのサイトのページ。THE GOOD-BYEのサポートメンバーのところにあの川原伸司さん、相茶紀緒さんとならんで野口久和さんの名前があったんですね。川原さんが初代キーボーディスト、アレンジャー、ディレクター、そして野口さんが2代目キーボーディスト、アレンジャー。ちょうど石川さんから送られてきた野口久和さんの音源を聴いていたときだったのでこれには本当にびっくりでした。野口さんはジャズ中心に活動されていた方だと思っていたので。YouTubeでTHE GOOD-BYEの映像を探せば川原さんや野口さんの姿を見つけられるかもしれません。


ということでその野口さんがビッグバンドを率いて2012年の8月の末に行ったあるライブのMCから話を始めようと思っているのですが、その前に一つだけつい先日初めて行った本屋さんの話をしておきます。


[PR]
by hinaseno | 2017-02-07 13:17 | 音楽 | Comments(0)

「Fools Rush In」(3/3)


改めて「ゴー!ゴー!ナイアガラ」で「リッキー・ネルソンのヴァージョンのオリジナル」と紹介されたブルック・ベントンの「Fools Rush In」を。




チャート・インしたのは1960年11月20日。10週間チャートに入っていて最高位は24位。

もともとバラードだったスタンダード・ソングをかなり斬新なアップ・テンポのポップスのアレンジしたのはベルフォード・ヘンドリックス(Belford Hendricks)。この人はブルック・ベントンのアレンジで評価が高まったようで、のちにサラ・ヴォーンやナット・キング・コールのアレンジを手がけるようになっていますね。ナット・キング・コールの有名な「ランブリン・ローズ」(大瀧さんのジュークボックスに入っていた曲)も彼のアレンジ。僕の好きなこの「My First and Only Lover」も彼のアレンジでした。ちなみにこの曲の作曲はジャック・ケラー。次にする予定の話の主役です。




さて、リッキー・ネルソン(このときのアーティスト名はリック・ネルソンですね)が「Fools Rush In」を録音したのは1963年8月15日。アレンジはジミー・ハスケルですが、なんといってもポイントはギターのジェームス・バートン。彼のギターがこの曲の魅力を何倍にも引き立てています。

この映像のいちばん右でギターを弾いているのがジェームス・バートン。間奏で彼のソロを聴くことができます。




リッキー・ネルソンのヴァージョンがチャート・インしたのは1963年9月14日。13週チャートに入っていて最高位は12位。

で、リッキー・ネルソンのヴァージョンがチャートに入ってから間もない9月21日に「Fools Rush In」を録音したのがレスリー・ゴーア。クラウス・オガーマンがソフトでしゃれたアレンジをしていますが、よく聴くとリッキー・ネルソンのヴァージョンを下敷きにしていることがわかります。




この曲はシングル・カットせず、アルバム『Lesley Gore Sings Of Mixed-Up Hearts』に収録。ちなみにこのアルバム、A面の1曲目が「She's A Fool」、3曲目が「Fools Rush In (Where Angels Fear To Tread)」、5曲目が「My Foolish Heart」と、Foolがつく曲を並べています。

リッキー・ネルソンのヴァージョンでいえば、エルヴィスも、もろにリッキー・ネルソンのヴァージョンで歌っています。1972年発売の『Elvis Now』に収録。




ここでちょっと気になったのは、リッキー・ネルソンのヴァージョンのオリジナルであるブルック・ベントンのヴァージョンをリッキー・ネルソンがカバーする前にやっているのはあるんだろうかいうこと。調べたらありました。このブレンダ・リーが歌ったもの。リッキー・ネルソンが録音する1年前に発売していました。




さて、最後に一番うれしい発見はあのShe & Himがまさにリッキー・ネルソンのヴァージョンで歌っていたこと。これはアルバムには未収録ですが、ちょっと特別な形でシングル盤のレコードが発売されていたようです。B面はまさにリッキー・ネルソンの「Fools Rush In」。レコードが発売されたのは2010年のようですね。このレコード、欲しい。でも、見つからない。

うれしいことにYouTubeに歌っているものがありました。これはレコーディング風景ですね。それにしてもなにかある曲に関心を持つと必ずと言っていいほどShe & Himが出て来ます。




[PR]
by hinaseno | 2017-02-06 12:36 | 音楽 | Comments(0)

「Fools Rush In」(1/3)


いつもお世話になりっぱなしの石川さんのアゲイン(Again)が来月10周年を迎えられます。僕が初めて石川さんとメールでやりとりをさせていただくようになったのは2012年の3月なので、アゲインがちょうど5周年を迎えられたとき。あれからもう5年がたったんですね。そういえばもうひとつ僕がいろんな形でお世話になっている姫路のおひさまゆうびん舎さんもこの3月に6周年を迎えます。どちらの店主も無理をしないでと言っても無理される方々なんですが、くれぐれもお体にはお気をつけください。


さて、アゲイン10周年をお祝いする企画第2弾(第1弾は武蔵新田の話でした)として、また長い話を書こうと思っているのですが、その前にちょこっとだけと思っていたキョンキョンの話がずいぶん長くなってしまいましたね。で、もうひとつだけ書きたかった話を。それは「Fools Rush In」という曲のこと。今年になってから小泉今日子さんの曲とともにずっと聴いていたのがいろんな人の「Fools Rush In」でした。

この曲を知ったのはリッキー・ネルソン。




リッキー・ネルソンで知ったスタンダード・ソングはいくつもあります。というよりも、スタンダード・ソングだということは後でわかったことで、ずっとリッキー・ネルソンがオリジナルだと思って聴いていたのですが。たとえば大瀧さんとシリア・ポールがデュエットした「The Very Thought Of You」、あるいはボビー・ダーリン、コニー・フランシスの話で出て来た「That's All」、さらに「I'll Walk Alone」、そして「Again」。


さて、「Fools Rush In」。小泉さんのディレクターである田村充義さんが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」時代からのナイアガラーだということを知って、田村さんの名前が出てこないかとお葉書特集の日の放送をずっと聴いていて「タムラウメノスケ」という名前を見つけたのが1977年2月8日に放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でした。

で、実はその日の放送で「Fools Rush In」がかかっているんですね。歌っているのはリッキー・ネルソンではなくブルック・ベントン(Brook Benton)というシンガー。




僕がちょっと、オッと思ったのは、この曲をかけたときの大瀧さんのコメントでした。この日の放送は以前に一度だけ聴いていたんですが、その部分は聞き流していました。

実はこの曲がかかる前に読まれる葉書が超爆笑もの。それはよく覚えていました。就職の面接試験の時の話(「だれか尊敬している人はいますか」と訊かれて「大瀧詠一です」と答えたことから始まります)なんですが何回聞いても涙が出るくらい笑えます。大瀧さんも笑い泣きしながら読んでいます。このブログで一度紹介しようかな。

で、その葉書を書いた人は前にリッキー・ネルソンの「Fools Rush In」をリクエストしてたんですね。

というわけで大瀧さんのこんな言葉。


この人、いろいろリクエスト書いてありましたけどね。この人は前にリッキー・ネルソンの「Fools Rush In」をリクエストしてきてね、それに応えたと思いますので、そのリッキー・ネルソンのヴァージョンのオリジナルを聴いてみたいと思います。

ここで大瀧さんは「リッキー・ネルソンのヴァージョンの」という部分をかなり強調します。そして曲がかかった後の言葉。


ナインティーン・シックスティ(1960年)、ブルック・ベントンで「Fools Rush In」でした。オリジナルと申し上げたのは、この曲のオリジナルというのではなくてね、こういうヴァージョンで歌ったオリジナルという意味合いなんですね。そういうような言い方もあるんですよね。で、作ったのは古い歌でね、40年(1940年)ごろの歌だったと思いますけどね。そういうような意味合いですんでね、お間違いのないようにね。ときどきこういうこと言うと、お前は何にも知らねえな、これは40年の古い曲なのに、これがオリジナルだなんてぬかし上がってなんて葉書がときどき来るんですけどね。わりと、はっきり聴いてくださいよ(笑)。

ということで、相手の言うことをきちんと正確に聞かないで、いきなり偉そうな言葉をぶつけてくるというのは昔もいたみたいですね。まあ今のSNSの時代のひどさとは比較にならないでしょうけど。言うまでもないけど大瀧さんはアメリカン・ポップスに詳しいだけでなくジャズのスタンダードにも造詣が深いんですね。


それはさておき、大瀧さんのこの言葉をうけて「Fools Rush In」をいろいろと集めて聴き比べをしたら結構おもしろいものをいくつも発見できたので、もう2回ほど「Fools Rush In」の話をしようと思います。


[PR]
by hinaseno | 2017-02-04 12:16 | 音楽 | Comments(0)