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カテゴリ:文学( 140 )


スロウな本屋へ(2/2)


スロウな本屋さんは、ナビを使わなければわからない、まさに隠れ家のような場所にありました。

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近くの大きな道は車で何度も通っていたけど、一歩入ったところにこんな場所があったとは。なんともいい場所、いい家を見つけたものです。店主の小倉さんからこの家を見つけた話もうかがいましたが、とても興味深い話でした。いいものを見つける眼と、確かな感覚を持った人とつながる力(運)をお持ちのようです。

ちなみに小倉さんの出身地は和気。山陽線の駅でいえば三石のとなりのとなり。和気清麻呂さんの和気です。

さて、古い民家を改装した店内もなんとも素敵でした。その名の通り外の世界とは隔絶されたスロウな時間が流れていて、いつまでもいたくなるような場所。

玄関から建物に入って(靴を脱いで上がります)最初に目に飛び込むのがこのスペース。

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もともと押入れがあった場所を改装してるんですね。絵本中心の児童書がずらっと並んでいて(星野道夫の本はこちらにいくつかありました)、子供達は下のスペースで、ゴロゴロしながら絵本を読めるようになっています。子供が喜ぶような工夫も。行ってのお楽しみです。

アラジンのストーブが置かれている奥の部屋には基本的には大人が読む本が並んでいます。

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とはいっても、僕が行っていたときには母親に連れられた4~5歳くらいの女の子がこっちの部屋にも入ってきていろんな本に手を伸ばしていました。場所も、そして本も区別があってないようなもの。

ジャンルは多岐にわたっていますが、店主の確かな考えが伝わってくるような本が並んでいます。持っている本もあれば、ネット等で目にして気になっていたものの実際に手に取る機会がなかったような本もいっぱい。小さな声で語られる、ささやかだけれど大切なこと特別なことが書かれているはずの本ばかり。全て新刊ですがこれだけの本をよく集められたなと感心しました。大きな書店に行けば置かれているのかもしれませんが、いろんなコーナーに足を運ばなければならないし、たくさんの本の中から気づくのは大変そう。

平川克美さんの『言葉が鍛えられる場所』は平積みにされていました。Facebookやサイトの紹介ページで取り上げたら反響があったようで、かなりの数が売れたそうです。ちなみに平川さんのことは『小商いのすすめ』を読んで好きになられたとのこと。店にはほかにも『「消費」をやめる』や『何かのためではない、特別なこと』がありました。そういえば僕がサウダージ・ブックスから出版された原民喜の『幼年画』を読んだきっかけは平川さんの『何かのためではない、特別なこと』に収録された書評でした。

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ところで、店主の小倉さんも昨年の秋に旧内山下小学校で開かれた建築家の光嶋裕介さんと岡山大学文学部准教授の松村圭一郎さんとミシマ社代表の三島邦弘さんによるトークイベントに行かれていたそうで、どうやらその日にミシマ社さんとの縁ができたようで、昨日は岡大で三島さんと松村さんとトークイベントを行われたようです。行きたかったけど時間の都合が合わず行けませんでした。どんな話がされたんでしょうか。またお店の方に伺って聴いてみようと思います。


ところでスロウな本屋さんで買った本を一つだけ紹介。児童書の部屋で買ったこの『赤い蝋燭と人魚』(小川未明 文 酒井駒子 絵)。

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実はこの『赤い蝋燭と人魚』には苦い思い出があって、それを書くと話が長くなるけど一応書いておきます。

話は中学3年生の夏休み明けのこと。その日は死ぬほど嫌いだった読書感想文の発表会。読書感想文って本当に読書嫌いにしますね。しかもその発表会のようなものがあったから最悪でした。読書感想文の発表会のたぶん最後くらいに、一人の女の子が読んだ本が紹介されました。彼女はとてもおとなしい子。今思えば、ちょっと知恵遅れの子だったかもしれない。勉強もまったくできなくて、授業中にその子があたると授業が進まなくなってしまう。

その子が紹介したのが『赤い蝋燭と人魚』の絵本でした。

先生がその本を出したときに「絵本じゃん。ずるい」とクラスのだれかが言いました。するとあちこちから「ずるい、ずるい」の声。僕が「ずるい」という声を発した中のひとりにいたかどうかは覚えていないけど(最初に「絵本じゃん。ずるい」と言ったのが僕かもしれない)、心の中で中学3年生にもなって絵本の感想文を書くなんてとちょっとばかにした気持ちになっていました。

彼女は真っ赤になってずっとうつむいていたけど、そのうちに泣き出してしまいました。たぶん先生は絵本でも素晴らしい本があるんですとか言っていたはずだけど、その声はクラスの多くの人間には届くことはありませんでした。

覚えているのはこれだけ。でも、この日のことがなんとも苦い思い出としてずっと残っているんですね。何かあるたびに思い出してしまう。きっとクラスの人はみんな忘れてるだろうけど。当事者だった彼女はどうなんだろう。


それから何年かたったある日、たぶんどこかの図書館で『赤い蝋燭と人魚』を目にして、あの日の苦い思い出がよみがえって、ちょっと手にとって読んだらなんだか気持ちの悪い話ですぐに本を戻してしまいました。


一昨年に高橋和枝さんが絵を描かれた『月夜とめがね』の話が素晴らしくて作者の小川未明のことが気になって、本の最後のページの作者の紹介のところを見たら最初に書かれていたのがまさに『赤い蝋燭と人魚』。これは機会があればきちんと読まなければと思いました。

で、また『赤い蝋燭と人魚』のことをちょっと忘れていたのですが、先日読んだ『小泉今日子 書評集』に取り上げられていたのが酒井駒子さんが絵を描かれた『赤い蝋燭と人魚』でした。これは絶対に読まなくてはと思っていたときにスロウな本屋さんで出会ったんですね。

あの日以来初めて手にとってきちんと読みましたが、すごい話でした。こんな深い悲しみをたたえた物語だったとは。あの当時、中学3年だった彼女はこの悲しみを受け止めることはできたんだろうかと思いました。いや、できたからこそ感想文に書くことができたんでしょうね。それは当時の僕はとても受け止めることのできない質の悲しみでした。

ところで、こんなことを書きながら僕はその彼女の顔を今思い出すことができない。アルバムを見てもわからない。彼女は一体誰だったんだろう。これは実際に起こった話だったんだろうか。何か記憶を封印しているような気がする。やはりあのとき最初に「絵本じゃん。ずるい」と言ったのは僕だったのかもしれない。


というわけで、次回は予告していた話に戻ります。


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by hinaseno | 2017-02-09 13:27 | 文学 | Comments(0)

スロウな本屋へ(1/2)


初めての本屋に足を運ぶのはいつになっても心がワクワクします。もちろん何度も足を運んでいる本屋に行くのもやはりワクワクするけど、その1.5倍くらいのワクワク感がありますね。


先日、スロウな本屋という本屋さんに行ってきました。場所は岡山市内の中心部の、ちょっとややこしいところ。2年前にオープンしていたそうですが知りませんでした。きっかけはこの『せとうち暮らし』という雑誌。

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そういえば結局書くことができなかったけど、昨年の暮れに久しぶりに神戸の元町に行った時に立ち寄ったのが1003という書店。近くに住んでいればきっと何度も通いたくなるようなとっても素敵な本屋でした。そこで買った本の一つが『瀬戸内海のスケッチ 黒島伝治作品集』。出版社はサウダージ・ブックス。この出版社、以前、原民喜の『幼年画』を倉敷の蟲文庫さんで買ったときから目をつけていました。サウダージ・ブックスは夏葉社と同じひとり出版社。でも、サウダージ・ブックスの本、なかなか普通の書店ではみかけないんですね。ちなみに『瀬戸内海のスケッチ 黒島伝治作品集』の選者は夏葉社から出版された上林暁の2冊の本と同じ山本善行さん。ということで悪かろうはずがありません。

1003には普通の書店には置かれていない、あるいは置かれていてもなかなか気づかないような本が並べられていましたが、真ん中のカウンターに近い長机に並べられていたのが『せとうち暮らし』という雑誌でした。たぶん創刊号から全部あったはず。ちょっと手にとってパラパラと見たらとてもいい本であることがわかりました。本当はゆっくり見たかったのですが時間がなかったのと、その前に立ち寄ったいくつかの本屋&レコード店でかなりの買い物をしていたので、また改めてということにしました。

で、戻って近くの書店に行ったら雑誌のコーナーに『せとうち暮らし』があったので購入。出版社は瀬戸内人。どうやらサウダージブックスという一人出版社をされていた方はこの瀬戸内人という出版社に入られたようで、絶版になっていた原民喜の『幼年画』も瀬戸内人から再版されています。

さて、この『せとうち暮らし』の最新号で紹介されていたのがスロウな本屋さんでした。場所は吉備路文学館の近く。ちょっと気になってサイトを覗いたらこれがびっくりだったんですね。こちらです。

まず目に飛び込んだ写真がこれ。

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下の段のいちばん向こう側に置かれているのは昨年度に僕が読んだ本の中でいちばんよかったと思っている平川克美さんの『言葉が鍛えられる場所』。その上には昨年復刊されたメイ・サートンの『独り居の日記』。そして手前には『須賀敦子の手紙』。

実は昨年暮れに姫路のおひさまゆうびん舎さんで開かれていた「私の本棚」展に僕の本棚の写真も貼っていただいていたのですが、どちらかといえば古い本を並べている中に、須賀敦子、高峰秀子とならべてメイ・サートンの『独り居の日記』を入れたんですね。その部分。

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この本に気がついて、へ~って思ってくれる人が一人でもいてくれたらうれしいなと思って、あえてメイ・サートンの『独り居の日記』を入れました。ちなみに川本三郎さんのエッセイ集『ひとり居の記』はそこからとられているんですね。そのメイ・サートンの『独り居の日記』と平川克美さんの『言葉が鍛えられる場所』が上下に並んで置かれているわけですから、とにかく驚いてしまいました。これは行かないわけにはいきません。というわけで、先日、久しぶりに気持ちよく晴れた日に、店からは結構遠い場所に車を駐めて歩いて行ってきました。


ところでそのスロウな本屋さんのサイトのイベントのところを見たらメイ・サートンの『独り居の日記』を定期的にされるとのこと。素晴らしいですね。参加したいな。


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by hinaseno | 2017-02-08 14:40 | 文学 | Comments(0)

昨日はおひさまゆうびん舎で開かれた夏葉社の島田潤一郎さんのトークイベントに行ってきました。島田さん、どんどん魅力的な人になっていますね。改めてこれからもずっと夏葉社、そして島田さんの活動を応援していこうと思いました。
夏葉社ファン、島田さんファンもどんどん増えているようです。一度島田さんに接したら誰もが応援しようという気持ちになりますね。この日のことはまた改めて書こうと思います。

話は変りますが、ちょっと大きな書店に行くと小泉今日子さんの『小泉今日子書評集』のとなりに小橋めぐみさんという女優の『恋読』という本が並んでいることがあります。小橋さんが書かれた書評や本に関するエッセイをまとめたもの。
小橋さんは最近では小島信夫長編集成9 「静温な日々/うるわしき日々」の月報に、エッセイを寄稿されているんですね。素晴らしい文章を書かれているという評判なのでぜひ読んでみたいのですが、残念ながら僕が行ったいくつかの大きめの書店のどこにも置かれていませんでした。仕方がないので図書館で借りようかと考えています。小橋さんのこの日のブログに貼られた写真で少し読むことができます。

僕はテレビをほとんど見ないので(小泉今日子さんが出演された『あまちゃん』を見たのが、一番”最近”見たドラマです)、小橋めぐみさんが出演されたドラマを見たことはありません。
その小橋さんのことを知ったのは昔、NHKで放送されていた『週刊ブックレビュー』に出演されたとき。調べたら2010年2月6日。司会はもちろん児玉清さんです。
彼女がそこで紹介したのが僕の大好きな本だったカズオ・イシグロの『夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』でした。
もちろん好きな本を紹介してくれたというのがうれしかったのですが、彼女の小さな、かぼそい声で語られる言葉が素晴らしかったんですね。優れた読み手であり、しかもそれを表現する言葉を持っていることに感心しました。これがきっかけで彼女に注目するようになりました。といってもドラマはまだ一度も見たことがないけど。
ただ、僕が毎週欠かさず見ていた『世界ウルルン滞在記』に彼女が出ていたことを知って、運良くそれが再放送されたので見たら、内容をよく覚えていました。あのときの女の子だったんだなと。

さて、その小橋さんが読売新聞で毎月連載している「空想書店」の店主に今年の4月になられたんですね。そのときの文章がこれ
これがまたいい文章なんですね。 文章を一応、貼っておきます。

 八百屋の佐吉は、不思議に思っていた。
 店の向かいにある小さな本屋のことだ。その本屋に入っていく客たちは、みな、浮かない顔をしていた。なのに店から出てきた客は、少し明るい表情になっているのだ。佐吉は、本を読んだことが一度もなかった。彼は常々思っていた。生きていくのに必要なのは本ではなく食べ物だ。本を読んだって偉くもならなければ、悩みが解決するわけでもないんだ、と思ったところで、母親の病気と、近くにできた大型スーパーのことを思い出し、ふう、と肩を落とした。
 「おやじ、顔色悪くないか」と声をかけてきたのは、隣の電気屋の五郎だった。「疲れてるんだったら、向かいの本屋行って来たら?」
 「行かねえよ、何でだよ」
 「行くと元気になるって評判だぜ。だまされたと思ってさ」。五郎は一度言い出すと、こっちが首を縦にふるまで絶対に譲らない。仕方なく彼は、向かいの本屋に入った。店主と話し込んでいる客の後ろに、二人の別の客が並んでいる。よく見ると、客たちは買うべき本を一冊も持っていない。店主と客の会話が聞こえてきた。「父親の代からだから今年で五十年、K町で本屋をやっているのですが、電子書籍の波におされてか、年々客足が遠のいてしまって。もう店を閉めるべきかどうか悩んでるんです」
 店主は、うんうん、とうなずきながら、おもむろに立ち、棚から一冊の本を取り戻ってきた。表紙には『本屋会議』と書かれていた。
 次の客は三十代後半に見える女性だった。「つい最近彼と別れてしまって。周りはもう結婚しているのに、自分はこの先どうなるんだろう、と考えると不安で」。最後は涙声になっていた。彼女には、白石一文の『私という運命について』が差し出された。
 気が付いたら、店主の前にいた。ニコニコしながら佐吉を見ている。佐吉は、突然ぶちまけた。「母親は家で寝たきりだ。妻は文句ばっかり言う。スーパーのせいで、商売あがったりだ」。そんな彼に店主は、一冊の本を差し出した。『宮澤賢治詩集』と書かれていた。


なんと夏葉社の『本屋会議』。おおっ!でしたね。
実は小橋さんはネットで『小橋めぐみの 本のめぐみ』というのをされていて、このときの放送で書店員の人に紹介されて『本屋会議』を読まれているんですね。夏葉社のこと、島田さんの話も出てきます。ちょっと笑えます。



最後に「夏葉社という出版社、追いかけていきたいな」と。素晴らしい。小橋さんが小島信夫に注目されたのももしかしたら夏葉社から出版された『ラブレター』がきっかけだったかもしれません。たぶん、この日の収録の後で『ラブレター』を買われたのではないかなと。

ところで、この小橋さんの「空想書店」の最後に出てくるのが『宮沢賢治詩集』。
実は「空想書店」が新聞に載ったときに、だれかがそれを撮影したものがネットにアップされていたのですが、「そんな彼に店主は、一冊の本を差し出した。」までしか写っていなかったんですね。その「一冊の本」がだれの何という本だろうかと思ったら『宮沢賢治詩集』で、これも、おおっ! でした。
というわけで、今日はこれから永瀬清子さんと宮沢賢治の話を聴きにいきます。こちらも楽しみにしていました。

そういえば、先日、小橋さんの出られた旅番組を見たのですが、廃校になった古い小学校の中にアップライトのピアノが置かれていたんですね。小橋さん、ピアノをやっていたということで、そのピアノを弾きはじめたんですね。それがなんとドビュッシーの「月の光」! 残念ながら一部しか放送されなかったのですが、素晴らしい演奏でした。
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by hinaseno | 2016-09-04 13:02 | 文学 | Comments(0)

前川恒雄さんの『移動図書館 ひまわり号』で、いちばんよかった話を。「本屋」のことをずっと考えられている島田さんが「図書館」の本を出されたときにはちょっと意外な気がしたのですが、ここにこそ「本」を読むということの本質があるようにおもいました。

日野の古い分館を建て直したときの開会式で、市議会の文教委員長がこんな挨拶をします。

「私たちは、私立図書館によって、皆さんのふところから本代を出さなくてもいいようにしたいと思っています」

このあと、利用者の代表の人がこんなあいさつをします。これが素晴らしいんですね。

「いま、議員さんは、私たちのふところから本代を出さなくてもいいようにしたいと言ってくれました。しかし、図書館があると本を買わないといけなくなります。私も日野に引越してきてから、いい図書館があるので本を読むようになり、子供も本好きになりました。そうすると、どうしても手もとに置いておきたい本が出てきます。借りるだけではすまず、買うことになります。私の家は小さな家ですが、いまは本でいっぱいです」


さらにこんな話が続きます。

 式が終ると、参列していた数人の書店主が私をとりかこみ、口々にいった。
「図書館のおかげで店の売上げがのびた」
「うちは支店を出せるようになった」
 何より嬉しかったのは、
「図書館ができてから店の品ぞろえが変った。いい本が売れるようになった」
 と一人が言うとみんながうなずいたことである。

この話、僕自身も利用者として心から理解できる話。本当にこの通りなんですね。でも、本にほとんど触れることのない無知な為政者にはそれがわからない。そしてその無知な為政者に、昨日紹介したような「みんなをあんまり賢くしてもらうと困るんだよなあ」と考えるような人がくっつくとどういうことになるのか。その状況が今できつつあるんですね。で、とんでもない図書館を作る。
この巨大な動きは全国に広がって、どうやら岡山の高梁市にもそうした図書館が作られるようになったようです。
高梁市はその名の通り高梁川沿いにあって、永井荷風も乗った伯備線(伯備線から眺められる高梁川の美しいこと!)で行ける町。今年の春には川本三郎さんも行かれていて、一度はゆっくり訪ねてみたいと思っていた町だったのですが。
頭が痛いです。
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by hinaseno | 2016-09-03 10:50 | 文学 | Comments(0)

今日で8月も終わり。大瀧さんが生きていれば、この夏、まだアメリカン・ポップス伝を聴くことができたのかなとか、いや、アメリカン・ポップス伝にかわってブリティッシュ・ポップス伝がはじまっていたのかなとか、やはり考えてしまいます。

その大瀧さんの郷里は岩手県ですが、台風の被害が心配です。まだ震災の復興が不十分どころか手つかずのままの場所があちこちにあるはずなのに東京のオリンピックのために金も人もそちらにつぎこんで...。大瀧さんが目には見えない形でいろんな支援をされていたことを考えるとなんだか怒りすら覚えてしまいます。

ところで岩手県といえば宮沢賢治の郷里でもありますが、その宮沢賢治の誕生日が4日前の8月27日でした。生きていれば120歳。ということでいろんなイベントが各地で行われているようですが、賢治の郷里で大瀧さんの生まれた場所にも近い花巻の宮沢賢治童話村でも「宮沢賢治生誕120年イーハトーブフェスティバル2016」というイベントが開催されていました。賢治の誕生日当日には最も好きな映画監督の一人である岩井俊二さんと、一時期ピチカート・ファイヴに入っていたミュージシャンの田島貴男さんがゲストで参加されていたとのこと。そこで上映された岩井さんの「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」と「少年たちは花火を横から見たかった」は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が入り込んでいるんですね。「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は夏に一度必ず見る映画です。
田島さんは賢治と何か縁があるんでしょうか。生まれは東京都大田区とのことですが。

さて、その宮沢賢治との関係が深いこともわかった岡山の熊山出身の詩人、永瀬清子さんは賢治の10年後に生まれたので今年生誕110年。永瀬さんと賢治のつながりでいえば、賢治が亡くなった翌年にあの「雨ニモマケズ」を記した手帳が発見される場に永瀬さんが同席されていたんですね。
で、うれしいことに今週の金曜日から熊山で「宮沢賢治のほとりで-永瀬清子が貰った「雨ニモマケズ」」と題された展示会が開かれることを知りました。講演会の日にもぜひ参加しようと考えています。

その永瀬清子さんの『短章集』には先日紹介した「日輪の山」以外にも宮沢賢治に触れる話がいくつも出てきますが、それとともに熊山近辺の、よく知った風景が出てきて楽しませてもらっています。
数日前に読んだ「地の人の声」にはいきなり「Uバス」が登場します。これは僕も何度か乗ったことのある宇野バスのこと。ただ、今は宇野バスは熊山まで走っていないようですね。いい話だったので長いですが全文引用しておきます。「市内」というのは岡山市のこと。

 Uバスは市内から遠い田舎の方へいくバスなので、座席のうしろの方などで大きな声でしゃべっている人が時々ある。
 顔も見えず姿も見えないのに、声だけきこえてバスの中の人がみんなくすくす笑ったりするのは、いかにも地の人の声と云った感じ。
 今日は野太いおじさんの声で
「むかいの××屋のおばあがとうとう死んでなあ」と云う。となりの人はぼそぼそと何か答えている。
「わしを呼びつけ(敬称なしの意)で小さい時からがみがみ叱りやがって、口やかましいばあさんじゃった。この間から湯水が通らんようになって、もうあかんと思うてからに、あばあの耳もとで
『おばあ、何か云い置くことはねえか』とわしが云うたとみんさい。おばあは小せえ声でひとこと、
『わしゃさんにょう(算用・計算の意)がちごうた』
と云やがった」。
 バスの中の人々がにやりとし、かすかな声でなにか笑ったような感じ。
 でもその笑いは会心の笑みと云うのでもなく、ただおかしいと云うのでもなく、何となく同類相あわれむようなほんの声なく笑いをみなその頬にうかべたような感じだったのだ。
 田舎の家へ着いてから私は隣のおばさんや向いの人に逢ったので、今のバスの中でのことを話したら、みんな同じように
「ほおん、そりゃほんまの事じゃ」とか「よう云うたのう」とか「かわいやのう」とか、みんなその見ず知らずのおばあさんに共感の意を表わした。
 人生の終りにあたって、自分の一生を省みれば、きっとしまいには楽になるだろうとの心づもりで、苦にみちた道程を働きつづけ、さて何の報いられる事もなく、苦闘の終らぬまに人生は済んでしまうのだ。
 それ位ならもうすこししたい事もするように望んだらよかった。楽しい事を知りたかった。人をゆるせばよかった……とさまざまの感慨が、単純なその言葉になって思わずほとばしったのだろう。
 意識も失せるまぎわなのに(自分はそろばんの計算をまちがえた)とさりげなくユーモラスに、具体的に、その痛切な内容を表現したおばあさんに田舎の人は誰も彼も信愛の情をそそいだのだ。
 所が私は又都会へ帰ってその話をした時にふしぎにも意味はちっとも相手に伝わらず、蓮の葉の上を露がころげるように、このことばはしみこまないのだ。
「へえ、何の算用をまちがえたの」とか、「なぜまちがえたんだね」とか、それが人生のすべてのもくろみ、予定、希望の意味だったことがさっぱり受けとれない。又その計算は、モータルである人間にはどうしてもまちがわずにいられない事なのがわからない。
 都会の人が人生をすべて計算通りすすめ得るとは限らないものを、その頭のわるさにはあきれるほかなかった。田舎の人なら身に引きくらべて、どんな人でも「なぜ」などときく人はいないのに。
 都会人というものがいきで敏感で、田舎者は勘がにぶく物わかりがわるいという通り相場は、私には到底信じられない嘘っぱちなのだ。

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by hinaseno | 2016-08-31 11:37 | 文学 | Comments(0)

少し前にこのブログで紹介していたように、平川克美さんと小池昌代さんの詩をめぐるトークイベントが昨夜開かれたようです。
もちろん行くことはできなかったのですが、うれしいことに小池さんが永瀬清子の「あけがたにくる人よ」を朗読されたとのこと。小池さんの生の声で、あの詩が読まれるのを聴くことができた方々を心からうらやましく思います。
永瀬さんのことについて平川さんと小池さんの間でどんな話が語られたんでしょうか。
いつか小池さんに熊山に来てもらって永瀬さんの詩を朗読してもらいたいですね。ちなみに熊山にはこの春、詩人の谷川俊太郎さんが来て講演をされたそうです。

さて、永瀬清子に関しては個人的には宮沢賢治との関わりのことに一番興味を持ているのですが、その熊山で来月、永瀬清子と宮沢賢治についての講演があることがわかりました。なんというタイミング! ですね。

さて、今朝読んだ『短章集』にも宮沢賢治の話が出てきたので少し長いですが全文紹介しておきます。タイトルは「第三芸術」。作品の舞台はもちろん熊山。「その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々」の姿をみることができます。

 私が廻りトの田で麦の中耕をしている時、日は傾き、新田(しんでん)山のかげは次第に私の方へ迫って来た。心はあせり、噛みきれぬ骨と戦う犬のように畝の長さをもてあつかっている時、通りかかったヤスさんが身軽に私の田へ入って来て、私の鍬をとって代りに土を打ってくれた。一打ちで土はこまかく柔らに砂糖のようになり、二しゃくいで、それは定規でさしたように美しく掻きあげられた。
 みるみるうちに畝と畝の間は整然とととのえられ、麦の根元には空気をふくんだ土の微粒がふうわりと盛られた。
 宮沢賢治の「第三芸術」にも同じ経験が書かれているが、都会の人が読んでも多分何の事もないであろう。私はその時の賢治と同じく茫然とたたずんでいた自分を思い、ヤスさんのかぶっていた白い手拭、紺の手甲を思い、

  わたしはまるで恍惚として
  うごくも云うもできなかった。
  どんな水墨の筆触が、
  どういふ彫塑家の鑿のかほりが、
  これに対して勝るであらうと考へた

 と全く同じ気持であった。
 人々のやさしさにかばわれて、わが百姓が成り立っていた日々のことを私は思う。その時村に農業について、私より未熟な人はなく、田や作物について、私より物知らぬ者はなかったのだ――。

最後の言葉が素晴らしいですね。
ちなみに宮沢賢治の「第三芸術」というのは僕の持っている詩集にはなかったので、ネットで調べたら一応あったのですが、永瀬さんの引用したものと少し言葉が違っていました。
とりあえずその詩を貼っておきます。

第三芸術
   
蕪のうねをこさえてゐたら
白髪あたまの小さな人が
いつかうしろに立ってゐた
それから何を播くかときいた
赤蕪をまくつもりだと答へた
赤蕪のうね かう立てるなと
その人はしづかに手を出して
こっちの鍬をとりかへし
畦を一とこ斜めに掻いた
おれは頭がしいんと鳴って
魔薬をかけてしまはれたやう
ぼんやりとしてつっ立った
日が照り風も吹いてゐて
二人の影は砂に落ち
川も向ふで光ってゐたが
わたしはまるで恍惚として
どんな水墨の筆触
どういふ彫塑家の鑿のかほりが
これに対して勝るであらうと考へた

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by hinaseno | 2016-08-11 13:33 | 文学 | Comments(0)

ちょうど20年前の1996年の今日、8月8日は星野道夫が亡くなった日。あれから20年も経ってしまったんですね。
星野道夫という人を知ってからまだ数ヶ月しか経っていなかった頃、彼の書いていた本をすべて読み(最初に買ったのは『旅をする木』)、いくつか出ていた彼の写真集を毎日毎日眺めていた、まさにそんな日に彼が亡くなったことを知ったので、その日も、それから何日も彼の死を受けとめられない日々を過ごしていました。彼のことを知っている人はまわりに誰もいなかったので、彼の話をしても「ふ〜ん」ということにしかならず、さらにさびしい思いが増したりもしました。
でも、僕はそれから今に至るまで、ことあるごとに彼のことを語り続けてきました。たぶんあちこちに小さな種はまいていたんだろうと思います。

先日、久しぶりに没後10年のときに放送された番組を見返しました。星野道夫の撮った写真とともに、彼の言葉がいくつも紹介されていました。どれも素晴らしい言葉ばかり。よく知った言葉もあれば、初めて聞くような言葉も。
その中でいちばん心に響いた言葉を。

 きびしい冬の中に、ある者は美しさを見る。暗さではなく、光を見ようとする。キーンと張りつめた厳寒の雪の世界、月光に照らしだされた夜、天空を舞うオーロラ……そして何よりも、苛酷な季節が内包する、かすかな春への気配である。それは希望といってもよいだろう。だからこそ、人はまた冬を越してしまうのかもしれない。
 きっと、同じ春が、すべての者に同じよろこびを与えることはないのだろう。なぜなら、よろこびの大きさとは、それぞれが越した冬にかかっているからだ。冬をしっかり越さないかぎり、春をしっかり感じることはできないからだ。それは、幸福と不幸のあり方にどこか似ている。

番組では何という本の何というエッセイに書かれた言葉なのかは紹介されていませんでしたが、調べたら『長い旅の途上』に収められた「アラスカ山脈の冬 自然の猛威」というエッセイの中の言葉でした(番組では少し省略されていました)。

ということで久しぶりに『長い旅の途上』をパラパラとめくっていたら「クマの母子」という話が目に入りました。これも大好きな話。星野のクマに対する愛にあふれた作品。

ある日、クマの研究家の友人から、冬ごもりしているクマの調査に行くからいっしょに行こうと誘われます。場所は町のすぐ郊外。クマがいそうな場所の見つけて二人でゆっくりとスコップで雪を掘ります。突然、ボオッと大きな穴が開き、クマを見つけた友人が咄嗟に麻酔の注射を打つ。そのとき、母グマが前足を振りながら友人を威嚇したようです。それを聞いた星野。

びっくりしただろう。クマが、である。半年近くも静かに眠っていたのに、突然光が差し込み、人間の顔が近づいてきたのだから。

で、5分ほど過ぎて麻酔が効いたことを確かめてから星野も巣穴を覗き込む。そこには昨年生まれたばかりの二頭の子グマが母グマに抱かれてすやすやと眠っている。

 私はいとおしくてならなかった。この小さな空間で、じっとうずくまりながら春を待つクマが、である。そこには、原野を歩く夏の姿より、もっと強い生命(いのち)のたたずまいがあった。
(中略) 
 早春のある日、誰かがこの林をクロスカントリースキーで駆け抜けてゆくだろう。その雪面の下で、クマの親子がじっと春を待っているのも知らずに……。私は今、その二つのシーンを、ひとつの風景として想像することができる。


ところで『長い旅の途上』の表紙の絵は川上澄生。なんとなく山高登さんの版画に近いものがあるように思ったら、山高さんは川上澄生の影響を受けていたようです。
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by hinaseno | 2016-08-08 12:57 | 文学 | Comments(0)

小川さんに似たひと


昨日の最後に、次回はルーマーというアーティストのレコードにつながる話を、と書きましたが、それは改めてということで今日は別の話を。これもずいぶん前に書こうと思っていたことです。それは小川洋子さんに関する話。
この日、世田谷ピンポンズさんの「鳴るは風鈴」という曲にからめて小川洋子さんの「メロディアス ライブラリー」というラジオ番組のことに触れて、最後に「考えたら小川洋子さんについて書こうと思っている話もお蔵入りしかけています」と書いていたのが今日の話です。

ところで小川洋子さんの「メロディアス ライブラリー」というラジオ番組は毎週日曜日の朝10:00〜10:30の放送。この時間、結構聴き逃してしまうんですね。
実は今日も。
この番組はその日どんな本が取り上げられるかはあらかじめ番組サイトで予告されているので、今日のは絶対に聴こうと思っていたのに、気がついたら11時近くなっていました。オリンピックには興味がないといいながら、たまたまテレビをつけたら男子の水泳をやっていたのでつい見ちゃいました。萩野選手が金メダルをとった400m個人メドレー。日本人初の金メダルですね。
おおっ、やったな〜と思って、しばらくしてはっと気がついて時計を見たら10:30を過ぎていました。

今日の小川さんの番組で取り上げられたのは朽木祥さんの『八月の光』。朽木さんのことは高橋和枝さんが絵を描かれた『とびらをあければ魔法の時間』という素敵な本で知りました(この『とびらをあければ魔法の時間』のことはまた改めて)。
朽木さんは広島出身で被爆二世の人。『八月の光』はあの原爆が落とされた日の話とのことで、近いうちに読んでみようと思っていたら小川さんの番組で取り上げられることがわかったので、いいタイミングと思っていたのに。残念。

さて、小川洋子さんの話。
数ヶ月前のある日、古書五車堂さんで何冊か古い『東京人』を買ったら、その中に小川洋子さんの随筆があって少しびっくり。小川さんと『東京人』という雑誌はちょっと結びつかなかったので。
随筆のタイトルは「1984年、雪。」。タイトルから、おっ!でした。掲載されていたのは『東京人』2001年4月号。

1984(昭和59)年は、前年の暮れから3月くらいにかけて、ふつうはあまり雪が降らないところでも記録的な積雪が続いたんですね。「五九豪雪」とよばれているようです。
当時、小川さんは早稲田大学の4回生で卒業間近。岡山での就職も決まっていました。
こんな話から始まります。

 大学時代、中野坂に住む女子中学生に勉強を教えていた。地下鉄の駅からなら近いのだが、電車賃がもったいなくて、定期の使える国鉄(懐かしい響き……)中野駅から二十分以上歩いて通っていた。
 卒業を間近に控えた1984年の冬は東京に大雪が降った。一体私は何回転んだろうか。岡山育ちの私は、雪が滑るものだということを、その時まで知らなかった。

この随筆には書かれていないけど、当時小川さんはきっとウォークマンを聴きながら歩いていたのではないかと思います。ヘッドフォンから流れていたのは小川さんの大好きな佐野元春。『SOMEDAY』、『No Damage』、そして『Niagara Triangle』。大瀧さんの『A LONG VACATION』もたぶん聴いていたはず。もう間もなく『EACH TIME』という新譜が出るという情報も入っていたでしょうか。いや、それよりもニューヨークに行った佐野さんのニューアルバムの発売を今か今かと待っていた頃かもしれません。

そんな小川さん、家庭教師を終えるとたいてい途中の蕎麦屋に立ち寄っていたとのこと。で、合格発表の日に教え子の家に行ったら彼女は見事希望校に合格。彼女がめざしていたのは音楽大学の附属高校だったので、その日は勉強はしないで彼女の弾くピアノをはじめて聴かせてもらったそうです。そして、帰りのこと。

 帰り、やはりお蕎麦屋さんに入った。いつもよりお客さんが少なかった。食べ終えてお茶を飲んでいると、おかみさんが珍しく声を掛けてきた。
「いつも旦那と話していたんだけど、お客さんとそっくりな顔の人を知っているんです。この人、どう、似ているでしょ?」
 見せてくれたのは雑誌の表紙に映った若い女性だった。彼女が自分に似ているかどうかはよくわからなかったが、私は何度もお礼を言った。見ず知らずの私を、遠くからちゃんと見ていてくれた人がいたことに、感謝したい気持ちだった。


この随筆を読んだ頃、僕は小川さんによく似た一人の少女のことを考えていました。
実は小川さんは、昔から人に「あなたは〇〇に似ている」と言われることが多いようで、この随筆のほかにもそんな話を書いていたような気がします。彼女の『人質の朗読会』に収められた「死んだおばあさん」で、主人公の女性がいろんな人からあなたは私の死んだおばあさんに似ているという話も、いくつかは小川さん自身が実際に体験したことではないかと思います。

僕もたぶん10年くらい前から意識するようになったのですが、小川洋子さんに似た人というのは確かにいるんですね。いろんな所で見かけました。
不思議なことに小川さんに似た人は幼い少女からかなりお年を召された人まで幅広い。手元にある『ユリイカ』の2004年の小川洋子の特集号に収められた写真を見ると、小川さん自身が少女の頃から現在に至るまでほとんど変わらない顔をしています。この写真なんか大学時代の写真かと思いきや2002年、彼女が40歳のときの写真。びっくりですね。
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別に小川さんの顔が好みのタイプというわけでもないのですが、小川さん似の人を見るとそれだけで好感を持ってしまうようになりました。
で、数ヶ月前に小川さんに似ているというのは卓球の伊藤美誠ちゃん。
ってことで、オリンピックにはあまり興味はないけど、彼女は応援するつもりでいます。
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by hinaseno | 2016-08-07 15:29 | 文学 | Comments(0)

先日、永瀬清子の家に隠れ部屋があることを紹介しましたが、『短章集』の昨日読んだところにその部屋の話が出てきたので紹介しておきます。
タイトルは「田植と不受不施」。このエッセイは読んでいて胸が熱くなりました。
永瀬さんという女性の素晴らしさ、人としての美しさがよく表れていてるので全文紹介しておきます。

田植と不受不施

 不受不施派と云う日蓮宗の中でも特別にきびしい歴史をもった私の家の宗旨は、三百年間の徳川時代を通じてご法度であった。「キリシタン不受不施信じる者一人も無之」と村おさは役人の前で読みあげていたと母は私に話した。
 自分たちの信仰を不当に政治の力で否定されたこの宗旨の人はかくれて信じかくれて祭り、見つけられれば僧侶は遠島申しつけられそこで死に、信者もろとも餓死して抗議した人もある。
 田舎の私の家にもそうした時代の法中(僧侶)をかくまうための窓のない部屋が残っている。
 私の精神の要素に、頑固、ひたむき、忍耐、潔癖などがあるとしたらそれはその古い人たちがくれたのかもしれない。ほかの女の人が美徳とすることにうとく、そうしたことに強いことも致し方のない理由があるのかも知れない。
 矢田と云う村ではかくまわれていた法中を捕方が探しだし引きたてていくとの報せがつたわるや、折から田植をしていた篤信の百姓衆はせべて苗をおっぽりだしてその難にはせつけた。その内の六人はついに四十キロの道を捕われた上人について岡山までいき、その不当を訴えようとしたが、共に捕われ打首に処せられた。
 戦後農婦になってからの私は、田植の最中と云うことがいかにのっぴきならぬ意味をもっているかを知った。田植水が来たら一日を争って植えるほかない。それは文字通り一家の一年の生活がかかっているのだ。苗をほうりなげてそのままついていった人々の胸の内をおそろしいまでに思った。しかも一年どころか再び帰れなかったのだ。そして家族は四散した。
 しかし、今年私が廻りトの田圃で一人苗をとっている最中、小瀬木の山の曲り角から赤や緑の旗をなびかせて、原水爆禁止の人々の一群があらわれた。
 それは歩いて東京での八月六日の大会に参加しようと、沖縄から九州のはてからはじまった行軍だったのだ。地域地域の人々もその行を応援しようと共に歩き、又ある者は東京までも一緒にいくのであった。
 みなすげ笠や巾広のつばの帽子をかぶり、その手にプラカードをにぎりその顔はすでに銅のように日焼けていた。
 私は何を考えるまもなく苗の束をほうり出して彼等の行列の方へ走っていった。役場の前で休憩の時、お茶の一杯も汲んであげたいと思ったからだ。助役が出てあいさつをした。
 けれどもそこで少休止の後再び出発した時、私の足はひとりでについて歩きだした。その時は苗のことも田植のことも忘れていた。私はだんだん一緒に歩いていきとうとう和気の町を過ぎ山を越して、瀬戸内海の片上までついていった。原水爆禁止の、沖縄を返せの歌がさまざまに歌われ、梅雨時の雨が何度も私たちをぬらした。
 あとから考えてその事は奇妙にさえ思われる。いつもとどきかねると思っていた六人衆の心が、その時はいつしらず、ぴったりと身近になっていた。いつもなら心にかかる筈の夕食の支度のことも思わず、自分の疲れやすいこと、明日の田植に困ること、その他一切が消えて、いま原水爆の恐ろしさを訴えなければ、訴える時は絶対にないかのように足が従ったのだ。
 あの歌声と赤い旗は、まだらの服を着た笛吹き(パイパー)が山のかなたへと子供を吸いよせたように私を連れていった。
 原水爆の灰が降ってくるなら百姓がつくる米はすべて犯される。そして子供たちもすべて犯される。不当な実験は次ぎ次ぎに行なわれていまここでやめさせなければ地球はだめになるのだと叫びたかった。
 藩主に百姓たちが命がけで訴えようとした。そのように、目にみえぬ大きな無道の前の小さな声、小さな歩幅をみせつけなければ私はいられなかったのだ――。


この日のブログから何度か紹介した片上まで歩かれていたとは。そういえば、この日、紹介した今村昌平の『黒い雨』が今日、NHK-BSで放送されます。片上も少しだけ映ります。

最後に大好きな「ハーメルンの笛吹き男」の伝説の話が出てきます(この伝説が実は史実に基づいたものであるという阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』は何度読み返したことだろう)。

あの隠れ部屋は不受不施派の僧侶をかくまうための部屋だったんですね。
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「窓のない部屋」と書かれていますが、先日見たときには小さな窓がこんなふうにありました。
あとになってこしらえたんでしょうか。でも、この窓は「南」にあるので、ここから熊山は見えないはず。

最後に、これは昭和23年、熊山に暮らしていた頃の農婦姿の永瀬清子さん。美しい。
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by hinaseno | 2016-08-05 12:05 | 文学 | Comments(0)

「東の窓」に「熊山」


永瀬清子の「日輪と山」の話に。この作品は現在入手することができる『短章集 蝶のめいてい/流れる髪』(思潮社)にも収録されています。『短章集』は吉本隆明が「戦後の仕事で印象深いものの一つ」として紹介していたので手に取りました。短いエッセイや散文詩のような作品を集めたものですが、いい作品が多く、個人的にはいくつか読んだ詩集よりも気に入っています。

ということで改めて「日輪と山」を引用します。今回は全文を。
日輪と山

 宮沢賢治の描いた絵に「日輪と山」と云う水彩画があって、高くそびえた山が真中にあり、その頂上よりやや左よりの肩に日輪が懸かっている。がその日輪は山の手前にかいてある。つまり紅い太陽から発した光線はオレンジ色の濃淡の二重か三重の覆輪の同心円であらわされそのまんまるな太陽のため山の頂の一部は欠けてみえなくなっているのだ。
 はじめてその絵をみた時、私はたしかにある種のよほど幼稚な童画のようだと思い、そこが却って面白いと思い、一方、又へんにも思ったが、山の手前に太陽があるのは、宮沢賢治の主観的な空想か誇張にちがいないと思った。
 しかし私は実際どのように見えるものか、宮沢賢治がどの程度に主観をまじえて描いたのかを知ろうと思い、ある朝太陽が熊山をはなれるのを待って東の窓に立っていた。
 熊山をみつめてじっと待っていると、次第に光は東の空にみちて来て、ついに太陽はその肩から第一箭をはなった。所が不思議不思議、その時強い光線はかがやきわたり、目もまばゆく射して、山の尾根の線はかき消され、すっかり見えなくなってしまったではないか。
 それは賢治の絵と全く一致しており、それによってまさに賢治の絵がリアリステックに正しい事を知った。それは普通に日本画の日の出の景色として描かれたり、一般に幼稚園の子どもが描いたりするような、山の肩から半円の紅いお盆として登ってくる図柄とは全然別なものであった。
 毎朝のように東の窓には熊山はあり、その肩から太陽は必ず年百年中出ていたのに、この事実を、私は正しくリアルに自分の眼でみたことがなかったのを、この時はじめて知ったのであった――。

これを読んだときに気になったのは「東の窓」に「熊山」が見えたということ。南ではなく東?
ここで地図を。
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青で囲んでいるのが熊山の頂上。右下には「大滝山福生寺」がありますね。ちなみに大滝山福生寺があるのは備前市。備前焼で有名な伊部のすぐ近くです。

永瀬清子の生家は赤で囲んだ「松木」という地名が書かれている「木」の字のあたり。ここから熊山は南東、正確にいえば南南東の方角ということになります。「東の窓」から見るよりも南の窓の方が見やすそうな気がします。

さて、これは永瀬清子の生家のあるあたりを拡大した地図。上が北の方角です。
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赤丸で囲んだのが永瀬清子の生家や倉などのある建物。右下の小さな四角は井戸のある建物。
家の北側には道路が東西に走っています。ただし正確にいえばやや右下に傾いた形で。この道路沿いに玄関があるのですが、道に沿ってというよりもさらにもう少し右下に傾いた形で家が建てられていることが解ります。ということで、永瀬さんの家の「東の窓」は実際には南東方向を向いているんですね。でも、玄関のある方向を北とするならば、その窓があるのは東ということになります。
この写真の左の方に見えるのが生家の母屋の「東の窓」。
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この写真を撮った日は生家に入ることができなかったので窓からの風景を確認できませんでしたが、この窓の近くから井戸のある方向を撮ったのがこの写真。
木がちょっと邪魔をしていますが熊山をほぼ正面に見ることができます。
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ところでこの井戸のある建物には「ナーシッサス」と題された詩(散文詩)が掲げられていました。この作品も『短章集』に収録されています。
「ナーシッサス」というのはナルシストという言葉のもとになっているナルシス(ナルキッソス)のことですね。
ナーシッサス

 早春の夕日がさしてつるべ井戸の水を汲んでいる私の影が、井戸の小屋の板壁にうつっている。ああなんと力をこめて汲んでいることぞ。目も口もなくてそれでなお可憐な感じがこみあげる。自分で汲みながらその影をみつめている。
 それは雑誌が来て、まるではじめて読むように息をつめて自分の書いたものを読む時とおんなじだ。
 影にみとれるナーシッサスの私。驕慢と人は思うだろう。ほんとははかなくいとおしいわざである。そのいとしさは私にしかわからない。
 二度目に汲みに来た時はもう夕日はかくれて影はうつらなかった。

この井戸から下に降りる道がありました。昔の写真を見たらそこに門があったようです。ここの道を通って永瀬さんも田んぼに行ってたんでしょうね。
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これが永瀬さんの生家の「南」側の風景。実際には南西方向を向いています。
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で、これは「南」側の田んぼ沿いの道から見た熊山。建物の感覚でいえば「東」の方向。
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ちなみに生家の2階の「南」側の窓から撮ったのがこの写真。
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目の前に見えるのは地図で確認すると道々山と呼ばれる山のようです。永瀬さんの作品にしばしば登場する新田山のことかもしれません。

生家の建物の角度のずれは別にして、永瀬さんは熊山を「東」の方角と認識していたのではないかと思える作品が『短章集』にありました。「夜の虹」という作品。太陽ではなく月が熊山から昇ってくる話。こんな言葉が出てきます。

 熊山駅を降りた時、雨が降りだして右手から横なぐりに叩きつける。駅を出て人っ子一人いない長い熊山橋を渡りかけた。橋は土堤の傾斜をのぼった所に高く架かっている。
 その高い空間を一人歩いている時、ふと右頬の空気に異常を感じて、こうもりの蔭にすくめていた顔を東の方にふりかえらすと、美しい月が今静かに熊山から昇ってくるところ。
 深夜のふかいふかい空の深淵から、それはしずしずとまぶしいくらい硬質の光でせり上がってくる。
 そして全部が宙空に浮んだ時、おお、冬の空の時雨を透して行手の小瀬木の山々の上に大きな途方もないあざやかな虹をつくっているではないか。

上の地図を見れば解りますが、熊山橋から熊山は生家よりもさらに「南」の方位。でも、永瀬さんは「東の方」に熊山を見ています。もしかしたら永瀬さんは熊山の東側の丹下山や論山もふくめてひとかたまりに熊山と考えていたのかもしれませんが、きっと日々の生活感覚で熊山は東にあると理解していたんだろうと思います。

最後に「窓」好きなので「窓」に関する別の詩を。
『短章集』には「窓から外をみている女は」という作品が収められています。とても印象的な詩なので引用しておきます。
窓から外をみている女は

 窓から外をみている女は、その窓をぬけ出なくてはならない。日のあたる
方へと、自由の方へと。
 そして又その部屋へかえらなければならない。なぜなら女は波だから、
潮だから。人間の作っている窓はそのたびに消えなければならない。

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by hinaseno | 2016-08-03 10:31 | 文学 | Comments(0)