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Rich Podolsky 著『Don Kirshner: The Man with the Golden Ear』より


少年の頃、ジャック・ケラーは父方の祖父を知らなかった。ジャックの父、マル・ケラーはジャックが14歳の時に亡くなった。孫が生まれるのを見るまで長生きできないというのがケラー家の男に4世代も続いていた。

彼の家系に引き継がれている心臓の問題をよくわかっていたので、ケラーは自分自身を絶えず監視していた。適切なダイエットと運動、それから医者の用心深い目を通して、ケラーは長生きして、いつか自分の孫と遊ぶことを願っていた。彼と彼の妻のロビは4人の子供をもうけたが、そのうちの最初の2人は養子だった。

1998年、ケラーは胸に締め付けられるような痛みを覚えた。何が起こっているのかわかったので、5分もかからないうちに自分で車を運転して病院に向かった。3つのバイパスが施されて、文字通り人生に新たなリースを提供することになった。数年後、3人の孫のうちの一人目が生まれた。

2004年3月に、ケラーが演奏者として参加したオールディーズのクルーズのおかげで、彼はトニー・オーランド、トニ・ワイン、そしてロン・ダンテとの素晴らしい再会を果たした。

クルーズ船での温かな再会はケラー家をナッシュヴィルから車で行ける距離の中で行われるオーランドのショーへ連れ出すことになった。2005年2月10日に彼らは車に荷物を詰め込んで4時間も運転してエヴァンスヴィルやインディアナに行ってトニー・オーランドとトニ・ワインのショーを見た。このときオーランドはジャックを聴衆に紹介するだけでなく彼にステージに上がって何か演奏するように頼んだ。彼が演奏に選んだのはただ1曲、『奥さまは魔女(Bewitched)』だった。観衆から盛大な拍手喝さいをあびた。

そのショーの後、ケラーは彼が持参していたあるものでオーランドを驚かせた。それは何年も前の記憶を呼び起こすものだった。

「僕が最初にジャックに会ってから44年も経って、僕が16歳だった時に彼に書いた手紙を彼は自分のスーツケースから取り出したんだ」とオーランドは言った。「手紙は汚れもなくまっさらだった。しわひとつなかった。彼が完璧な形でこの手紙を保管していた場所にはさらに僕を驚かせるものが入っていた。それは僕の最初のナイトクラブから僕が歌ったプログラムだった。彼が僕にその手紙を見せてくれた時、とりわけ強く印象に残っているのは、彼のことをいかに大切に思っているかということと、彼が44年間も当時のものを汚れもなくまっさら形で保管していたということがだった。それから彼は1枚の写真をひっぱり出して僕に尋ねたんだ。『これは君のおじさんのジョニーじゃないのかい?』って。僕は22年間もおじのジョニーに会ってはいなかった。しかもその写真はまるでポラロイドから出てきたばかりのように色あせていなかった。

2005年のその週、ケラーはナッシュビルに戻った後微熱が出して、それはなかなか下がらないように思われた。その週には3日間のセッションをプロデュースすることになっていたので、彼はAdvilという薬を使ってなんとか熱を抑えようとした。でも、薬を飲むのをやめるとすぐに熱が出た。

2月18日までに、ほとんど恢復の糸口をもたらすことのない何度かの血液検査のあと、ケラーは「僕の血液の血小板は低いんだ。私が知っているのはそれだけだ。癌だとは思わない」と言った。

「僕は彼のことを心配している」とアーティー・カプランは言った。「その音が好きではない」と。

3月2日に、ケラーはさらなる検査を受けに行った。このとき彼は入院させられた。3月7日の月曜日までに彼は悪い知らせを受け取り、それを披露してくれた。彼はNK T細胞白血病と診断されていた。”NK”とは”ナチュラル・キラー”を表している。この状態の白血病と診断された平均的な患者はたった55日間しか生きられなかった。でもジャックはよくなると確信していた。

「医師たちは熱を抑えて僕が家に戻ることができると自信を持っているよ」と彼は僕に話してくれた。「もしそうなったら、いろんなこと[彼の仕事]を順番にこなすよ。僕は何年も自分の心臓のことを心配していたのでそのようなことが起きただけだよ」と。

ケラーはできるだけ聞き手にわかりやすく教えてくれた。彼はそうするほどに強かった。その日彼の少年時代からの友人であるアーティー・カプランとの話を終えた時、彼はこう締めくくった。「愛してるよ」と。カプランはナッシュヴィルへ飛行機で飛んで行く計画を立てた。

次の2週間はジャック・ケラーにとっては良好だった。熱がひいて彼は本当に自宅に戻って物事を順番にこなすことができた。その間、彼は昔の仲間みんなから電話を受け始めた。ジェリー・ゴフィンが最初に電話をかけ、それからジェリー・リーバー。ドン・カーシュナーも何度も彼に電話をかけた。ケラーの子供のころからの友人であるブルックス・アーサーも電話してきて昔の喧嘩の収拾をした。トニ・ワインは彼に会うためにナッシュビルに飛んできて1週間滞在した。


この本を執筆する過程で、私たちが行なった数多くの会話を通してジャックと私は親密な間柄になることができた。彼は私にナッシュビルに来て、本のために彼が持っている写真や記念のものなどを集めるようにすすめてくれた。私は彼の健康のことを心配していたので、言われた通りにきちんと飛行機のチケットを予約した。


時はあっという間に過ぎ去り、友人たちもそれを知っていた。「だれが電話してくれたか君は絶対にあてることはできないはずさ。信じられなかったよ」とケラーが私に話してくれたのは3月19日のことだった。「僕が電話に出たら、こんなことを言う声が聞こえたんだ。『ジャック、キャロル・キングよ』。僕たちは1963年に戻ったみたいに話をしたよ。素晴らしいことだった。気になっていたことがようやく解決したんだ」

その電話の前、ケラーとキャロル・キングはほぼ30年間連絡を取り合っていなかった。2002年にキングがセミナーのためにナッシュヴィルにやってきたので、ジャックは彼女に会うためにそのセミナーの終わり頃に立ち寄った。彼は二人でコーヒーを一杯飲むことができないかと頼んだが、彼女のマネージャーが彼女を振り払うように行かせたので、二人は結局話をすることができなかった。ケラーは昔の友達を失ってしまったのではと気にしていた。でも、彼女の電話がすべてを変えた。「今、私たちについてはすべてがうまくいっているとわかったよ」と彼は言った。

「それから君に教えるけど、他に誰が電話してくれたと思う? バリー・マンとシンシア・ワイルだよ。キャロルがきっと彼らをまきこんだにちがいないけどね。それからジェリー・リーバーが電話してきたんだ。彼は僕のことを偉大な作曲家だと言ってくれたんだ。想像できる? あの偉大なジェリー・リーバーがそんなことを話してくれたなんて」

3月20日に、そんな人たちすべてをまとめあげていた人物のドン・カーシュナーが電話でジャックと話をした。「僕は彼にジェリー・リーバーが言ってくれたことを話したよ」ジャックはそのときのことを思い出す。「ねえ、ドニー(ドン・カーシュナー)が僕に何と言ったと思う? 彼はこう言ったんだよ。『私は君が偉大な作曲家であるということを君に話した最初の人間だよ』と。君は彼を大好きになるよ」と。

死が差し迫っている人間として、彼はきっとみんなにさよならを告げることを楽しんでいた。それから熱が再びぶり返して彼は病院に戻った。


2005年3月31日木曜日の夜、午後11時30分、ケラーは病院のベッドから私に電話をかけてきた。彼がそんなに遅く電話をかけるなんて以前にはないことだった。


「たぶん、僕たちが予定していたときよりも少し早くここに来たほうがいいよ」と彼は言った。「僕にはそんなに時間は残されていないと思う」と。翌朝、2005年4月1日金曜日の8時30分、ベッドサイドに彼の家族全員がいる中でジャック・ケラーは「少し休むよ」と言って、それを最後に目を閉じた。白血病と診断されてからたった27日後に彼は帰らぬ人となった。

皮肉にも彼の子供の頃からの友人で、ケラーがはじめての曲をいっしょに書いたポール・カウフマンも34日前に癌で亡くなっていた。一人とも行年68歳だった。

(つづく)


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# by hinaseno | 2017-02-19 13:38 | 音楽 | Comments(0)

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Rich Podolsky著『Don Kirshner: The Man with the Golden Ear』より


. . . And through all eternity

She'd be good for only me

Beats there a heart so true?


他のだれもがそうであったように、ブリティッシュ・インヴェイジョンが起こると、ジャック・ケラーはなかなかヒット曲を書けない状況におかれた。彼はコニー・フランシスのために一連のNo.1ソングを書いていたけれども、彼の最大のヒットはまさにそんな厳しい時期に作った、あるテレビ番組の主題歌である。

1964年、スクリーンジェムズはエリザベス・モンゴメリーが主役を演じた『奥さまは魔女(Bewitched)』という新たなテレビ・ドラマの制作に乗り出した。その放送局の幹部がドン・カーシュナーに頼んだことは、彼の会社と契約している作家たちにその番組のためのテーマソングを作らせることだった。カーシュナーは作家全員に『奥さまは魔女(Bewitched)』のパイロット版の一編を見るように言った。そのパイロット版ではプロデューサーはフランク・シナトラの歌う「ウィッチクラフト」を使っていて、それをオープニングのクレジットのところで流していた。しかしその幹部は独自のテーマ曲を欲しがった。

他のあらゆることと同様に、カーシュナーはこれをコンペティションにした。そして全てのソングライター・チームが全力を尽くした作品を集めた。その中で他を圧倒して選びとられたのがジャック・ケラーとハワード・グリーンフィールドが作ったヴァージョンだった。カーシュナーは、『Hazel』や『ギジェット(Gidget)』のようなテレビ番組のために、ジャック・ケラーとハワードのところに直接行ってテーマソングを作るよう頼んだ。テレビ番組のテーマソングに自分の曲が使われるのはあまり好きではなかったキャロル・キングとジェリー・ゴフィンやバリー・マンとシンシア・ワイルを通り越す形で。ケラーはまた後に『Here Come the Brides』という番組のテーマソングとして「Seattle」という曲を書くことになる。その曲は1969年にペリー・コモにも歌われてヒットした。

『奥さまは魔女(Bewitched)』が完成したとき、まず最初にフランキー・ランデルがRCAのためにそれを録音した。インストルメンタルのヴァージョンも録音された。スクリーンジェムズはジャック・ケラーのメロディーだけのヴァージョンでやっていくことにしたがグリーンフィールドの書いた詞も一応残された。ドン・コスタがスティーヴ・ローレンスの歌ったすばらしいバージョンをプロデュースしたが(それは最近リメイクされた『奥様は魔女』の映画で使われた)、そのときにはすでにスクリーンジェムズはインストルメンタル・ヴァージョンを使うことを決めていた。

40年以上、『奥様は魔女』のインストルメンタル・ヴァージョンが視聴者を楽しませていた。2005年にジャック・ケラーはヒップホップのビートを使って『奥様は魔女』を再録音し、もう一度ヒットすることを願った。彼はそれを電話機に入れることさえしていた。

60年代後半も70年代もジャック・ケラーはずっと曲を書き続け、プロデュースをし続けて、1970年にはボビー・シャーマンによって歌われてトップ10ヒットとなった「Easy Come, Easy Go」を作曲した。「私は最初はそれをモンキーズのデイヴィ・ジョーンズに見せたんだ。で、彼は検討しますと言ったよ」とジャック・ケラーは回想している。「彼が検討している間にボビー・シャーマンがそれをシングルカットして発売したんだ」と。

1956年にジャック・ベナンティ(Jack Benanti)が最初にケラーのことを気に入って、彼を事務所に自由に出入りできるようにし、ベナンティのクライアントであるフランク・シナトラのための選曲を手伝うようになってからずっと、ケラーはいつかOl’ Blue Eyes(シナトラのニックネーム)のために曲を書くことを夢見ていた。1968年になって、その夢は「When Somebody Loves You」と呼ばれる曲で実現した。それはシナトラにとって申し分のない曲だとケラーは考えていたが、いろんな事情でハワード・グリーンフィールドに曲を仕上げさせることができなかった。そこでキーリー・スミス(ルイ・プリマとコンビを組んでいた)が手伝って曲を仕上げた。ネルソン・リドルがそのバラードにアレンジを施した。シナトラはその曲を大いに気に入って次のアルバムのタイトル・ソングにそれを選んだ。ケラーは一切プロデュースすることはできなかった。それでも、彼は自分の履歴がようやく完全なものになったと感じた。

ロサンゼルスに移ってからケラーはモンキーズのアルバムをいくつもプロデュースして大成功を収めた。そのうちのひとつには彼自身が書いた「Your Auntie Grizelda」という曲も収められていた。1984年、ジャック・ケラーはさらなる変化を求めてナッシュヴィルに移り、そこの集まりの一員となって改めて曲を書くことを楽しむようになった。彼が最初に到着したとき、「The Tennessean」という新聞の記者が彼にナッシュヴィルのソングライターと競い合うのはどんな感じがするか尋ねた。それに対してケラーはこう答えた。「私は列の最後尾に並んで、自分の順番がやってくるのを待つことをいやだとは思わないよ」と。

(つづく)


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# by hinaseno | 2017-02-18 14:21 | Comments(0)

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今、手元に置いている一冊の洋書。

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タイトルは『Don Kirshner: The Man with the Golden Ear』。日本語に直したら「ドン・カーシュナー:黄金の耳を持つ男」。ドン・カーシュナーというのはアメリカン・ポップスのアイドル歌謡の作品を一手に引き受けて大成功を収めたアルドン・ミュージックを設立したアルさんとドンさんの2人のうちのドンさんのほう。その評伝ですね。彼は「黄金の耳を持つ男」と呼ばれていました。本の筆者はRich Podolskyという人。出版されたのは2012年。「アメリカン・ポップス伝」の資料として大瀧さんは間違いなくこの本を読んでいただろうと思います。

この本、できあがるまでにかなり長い年月をかけて関係者にインタビューをしたようなのですが、中でもとりわけ多いのがジャック・ケラーでした。ジャック・ケラーは「Beats There A Heart So True」を出した翌年の1959年にアルドン・ミュージックと契約。ドン・カーシュナーは会社のオーナーとはいえ年が近かったので結構親しい関係にあったんですね。

ドン・カーシュナーと親しい関係があったとはいえ、これだけ多く彼のインタビューがなされているということは筆者がジャック・ケラーのことを信頼していた証ですね。インタビュイーとして信頼する条件をあげるならば、まず第一に記憶が正確であること。嘘や大げさなことを言わないことでしょうか。あるいはある種の成功を収めた人にありがちな自慢話、手柄話のようなことも言わない。

そういえば山下達郎さんがジャック・ケラー特集のときに、いろいろとジャック・ケラーに関する資料を読んで知った彼の人柄をこんな風に語っていました。


「ジャック・ケラーという人はあまり欲がないといいますか、ガツガツしたところもなく、自分がヒットソングライターであるということをそれほど声高にアピールもしていない」

さらにこんなことも。


「自分の成功とか、身の丈に満足していた感じがします」

実際に会ったことはないけれども、なんとなくそんな感じがします。で、もう一つ、彼が積極的にインタビューに応じていたのは、何かを伝えようとする気持ちが人一倍強かったからにちがいありません。

でも、彼はこの本が出版される前の2005年に彼は亡くなります。筆者はまだ本の出版に向けてのインタビューを重ねている中での死だったようです。

この本は全部で28の章から成り立っています。面白いのは章のタイトルがすべて曲のタイトルからとられているんですね。作曲家別に見てみると28章のうち最も多いのがキャロル・キングの9曲。ヒット曲の多さからいって当然ですね。一応挙げておくと「Will You Love Me Tomorrow」「Halfway To Paradise」「Take Good Care Of My Baby」「Some Kind Of Wonderful」「The Loco-Motion」「Go Away Little Girl」「Up On The Roof」「It Might As Well Rain Until September」「One Fine Day」。

次がニール・セダカの7曲。「The Hungry Years」「Stupid Cupid」「Oh Carol」「Where The Boys Are」「Next Door To An Angel」「Breaking Up Is Hard To Do」「Love Will Keep Us Together」。

その次がジャック・ケラーの4曲なんですね。で、それに続いてバリー・マンの3曲となっています。あのバリー・マンよりも多いというところに筆者の思いが感じられます。ちなみにバリー・マンは「On Broadway」「Who Put The Bomp」「I Love How You Love Me」。


さて、ジャック・ケラーの書いた曲から取られたタイトルはまず「Everybody's Somebody's Fool」。コニー・フランシスが歌ったナンバー・ワン・ソングですね。で、ボビー・ヴィーの「Run To Him」。次はちょっと意外な曲ですが、ロビン・ルークという歌手が歌った「The Part Of A Fool」。この曲、なぜかよくバリー・マンの曲と間違えられていて、バリー・マンの作品集に収められたりしています。どうもバリー・マンと間違ってクレジットされているレコードがあるみたいですね。

そして最後が、そうペリー・コモの「Beats There A Heart So True」。本では最後から2つめの27章。

この章はジャック・ケラーが亡くなった後に書かれているんですね。ジャック・ケラーを追悼するために書かれた文章で、この本の主役であるドン・カーシュナーとはほとんど関係のない内容になっています。そのタイトルとしてとられたのが「Beats There A Heart So True」なんですね。

実は今回、ずっと「Beats There A Heart So True」という曲の話をしてきたのはこれを紹介したかったためでもありました。


ところでつい最近気がついたのですが、この本の扉にこんな言葉が記されていました。

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本の献辞として二人の名前が記されています。一人は筆者の奥さんのダイアナさん。そして、もう一人がジャック・ケラーなんですね。「この本を作ることができたのは、ジャック・ケラーの精神と音楽への深い愛情のおかげだった」と。


この本、とにかく素晴らしい本で、できればだれかが訳してくれないかなと思っているのですが、誰も訳してくれそうもないので、ではということでその「Beats There A Heart So True」の章を少しずつ訳していこうと思います。「Beats There A Heart So True」にまつわる話はさらに長くなりますが、ジャック・ケラーと、ジャック・ケラーにも負けないくらいの音楽に対する深い愛情をお持ちの石川さんに捧げます。アゲイン10周年おめでとうございますという気持ちをこめて。


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# by hinaseno | 2017-02-16 12:17 | 音楽 | Comments(0)

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2010年9月12日から3週にわたって放送された山下達郎の「サンデー・ソングブック」のジャック・ケラー特集では知らない曲が何曲もかかりました。僕なりにいろいろと準備していましたが驚きました。さすが達郎さんだなと。もちろん「Beats There A Heart So True」も初めて聴いた曲。曲をかける前に達郎さんはこんな紹介をします。


(ノエル・シャーマンとジャック・ケラーが共作した曲の中で)今日は私がジャック・ケラーの初期の最高傑作だと思います、ほんとにいい曲です。ペリー・コモの1958年、シングル「Moon Talk」のカップリングとして発売されました「Beats There A Heart So True」という、まだロックンロール以前の香りが残っておりますが、ほんとに素晴らしい作品です。

こんな達郎さんの大絶賛の言葉がありながら、僕はこの曲を印象にとどめてはいませんでした。むしろ心に強く残ったのは第3週目にかかったアネットの「Crystal Ball」からナット・キング・コールの「My First and Only Lover」、ジュリー・ロンドンの「We Proved Them Wrong」、ルイ・アームストロングの「I Like This Kind of Party」と続く4曲の曲。全部初めて聴く曲でした。その前の、この日の1曲目にかかったリトル・エヴァの「The Trouble With Boys」(これはA面ですね)も大好きな曲だったので、ラジオを聴きながら最高にハッピーな気持ちになったことを覚えています。で、そのあともしばらくはこればっかり聴いていました。でも、これを録音したMDはいつのまにか紛失(2週目のものも)。だれかください。

一応この5曲並べて貼っておきます。作曲はすべてジャック・ケラー。

リトル・エヴァの「The Trouble With Boys」。




アネットの「Crystal Ball」。




ナット・キング・コールの「My First and Only Lover」。




ジュリー・ロンドンの「We Proved Them Wrong」。




ルイ・アームストロングの「I Like This Kind of Party」は残念ながらYouTubeにありませんでした。


というわけで1週目の最初の方でかかったペリー・コモの「Beats There A Heart So True」は達郎さんの大賛辞があったものの僕の中ではすっかり影が薄くなってしまいました。いや、僕だけでなくこの曲を心に留めた人はどれだけいたでしょうか。

でも、一人いたんですね。それが石川さんでした。ブログで何度も語られ続け、おそらく店に来られた人にも曲の魅力を伝え続けられたんだろうと思います。

「Beats There A Heart So True」という曲は「Moon Talk」のカップリングということで、A面、B面ははっきりしないんですが、チャートに入ったのは「Moon Talk」(最高位29位)のほうでこちらが実質的にはA面だったようです。ということなので「Moon Talk」はペリー・コモのベストもののCDにはよく入っているのですが(僕の持っている50曲入りのCDにも入っています)、「Beats There A Heart So True」が収録されたCDはほとんどありません。でも、石川さんはそれが収録されたものを見つけて、できるだけ多くの人に聴いてもらおうと思って、当時YouTubeにアップされたんですね。それがこれです。


現在では「Beats There A Heart So True」の音源はほかに2つほどアップされていているのですが、2年くらい前までは石川さんがアップされていたものだけでした。

石川さんがアップされた音は、権利上の問題も考えられてのことだとは思いますが、たぶんスピーカーを通して収録されたものになっています。でも、だからこそというか、これ、アゲインの音がしていますね。野口さんも多分これを聴かれてこの曲の魅力を知られたはず。


ところで石川さんが「Beats There A Heart So True」をYouTubeに公開されたのは2012年6月14日。この同じ日か翌日くらいに石川さんから送っていただいたのが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のジャック・ケラー特集を録音したCD-ROMでした。

それを聴いて何よりも驚いたのは大瀧さんが時間の関係で曲はかけなかったけどジャック・ケラーが書いた曲として「Beats There A Heart So True」を紹介していたことでした。こんな言葉。


58年にはペリー・コモに1曲書いているんですね。「Beats There A Heart So True」という曲で、共作がノエル・シャーマンなんですよ。あのジョー・シャーマン、ノエル・シャーマンのシャーマン兄弟のですね、...と共作したんですよ。すごいもんですね。

いや本当にびっくりでした。「Beats There A Heart So True」の第一発見者は大瀧さんだったんだなと。なんだか「Beats There A Heart So True」という曲を通していろんなものがつながったような気がして、で、そのつながりの中に僕も入れたような気がしてなんともうれしい気持ちになりました。ちなみにそれが確認できた日は僕の誕生日でもありました。最高の誕生日プレゼント。さらに数日後に人生で最高なことが起こることになるのですがそれは内緒。もちろん石川さんのおかげです。


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# by hinaseno | 2017-02-15 12:53 | 音楽 | Comments(0)

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僕も石川さんも、全国の達郎さんファンも、(たぶんほとんどいないと思われる)ジャック・ケラー・ファンも初めてペリー・コモの「Beats There A Heart So True」を耳にしたのが2010年9月12日に放送された山下達郎さんの「サンデー・ソングブック」でした。3週にわたって放送されたジャック・ケラー特集の第1回目。その3曲目にかかります。僕はとにかくこの特集を楽しみにしていました。かなり前から達郎さんはジャック・ケラー特集をすると言っていたので。

ちなみに僕がジャック・ケラーという作曲家に興味を持ったのは、やっぱり大瀧さんでした。大瀧さんが「おれはジャック・ケラーなんだ」と言ったのが全てのきっかけ。

この発言をされたのは2009年の新春放談。久しぶりに聞き返したらこの年の新春放談の最初の方でこんなこと言ってました。達郎さんが例によって、今、何をされているんですかという問いかけをしたあと。


大瀧「ネタとしてはタモリさんとかぶるんですね。最近『タモリ倶楽部』をよく見てんだけど。去年、スタジオで偶然バッタリお会いして、かぶったネタについてちょっとお話ししましたけど。あの人、鉄道マニアと古地図をやっていて。そのところでちょっとクロスするんですけどね」
山下「大瀧さんって鉄道マニアですか?」
大瀧「いやいや、古地図の方」

ちょうど大瀧さんは成瀬の映画研究をされていたころ。タモリさんと情報交換していたというのがすごいですね。

それはさておき、ジャック・ケラーの話。こんな会話が交わされます。


山下「僕はよ~くわかったけど、大瀧さんはヘレン・ミラーとジャック・ケラーなんだなって」
大瀧「ジャック・ケラーだよ。言わなかったっけか?」
山下「いいえ」
大瀧「ああ、そう? これ言おうと思って来たの。おれはジャック・ケラーなんだ。ヘレン・ミラーでもあるんだ」
山下「それはよ~くわかった」
大瀧「わかったね。いや、さすがだな~、って言ったって、だれがわかるんだ、こんな話(爆笑)」
山下「だから次はジャック・ケラーをやろうと思うんですよ」
大瀧「(笑いが止まらず)日本中のだれもわからない。こんな話...」
山下「いいんですよ、わからなくても」
大瀧「ああ、おかしい。で、つくづくジェフとエリーだと言われて、いや、実はず~っと内心、だれかがジャック・ケラーだって言ってくれるかなっと思ってたら、君だったね」
山下「よ~く、わかりました。この歳になって」
大瀧「ほんとにね。産湯はね、ジャック・ケラーなんだよ」
山下「そうなんですね」
大瀧「で、体質にも合うんだね」
山下「わかります」

さらにこんな会話。


大瀧「ジャック・ケラーはちゃんと集めてんの? 結構意外なものがあるんだよね。で、みんな小品なんだよ。これって大作は一個もなし」
山下「B面が多いですね」
大瀧「B面が多い。B面好きなんだよ。ほんとにB面好き」
山下「だけどジャック・ケラーは大変」
大瀧「大変だね~」
山下「もう4年ぐらいやったんですけどね」
大瀧「何があるのかも、僕も全貌つかんでないし。聴いてみなきゃ、わかんないしね」
山下「今度、一揃い揃ったら全部あれしますから。DVDかなんかにデータ入れて」
大瀧「今時ジャック・ケラーという人なんていないよな~」

このときの放送で達郎さんは次はジャック・ケラー特集をすると言ったんですね。実現したのはそれから1年9ヶ月後のこと。その日まで僕は自分なりにジャック・ケラーの音源をいろいろと集めました。今はウィキペディアにこんなリストが掲載されているので、それに基づいて集められますが、当時は持っていたCDやレコードのクレジットを一つずつ確認する作業。J. Kellerと記載されていてもジェリー・ケラー(Jerry Keller)というシンガーソングライターもいて大変。大瀧さんが言われる通り「聴いてみなきゃ、わかんない」。でも、50曲くらいは集めたように思います。もちろんそのときにはまだ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のジャック・ケラー特集なんて聴いていません。

で、僕にとっては待ちに待ったジャック・ケラー特集の日がやってきます。


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# by hinaseno | 2017-02-14 12:42 | 音楽 | Comments(0)