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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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2017年 09月 10日 ( 1 )



改めて朝妻一郎さんの『ヒットこそすべて オール・アバウト・ミュージック・ビジネス』に収録された「A LONG VACATION」、レコーディングが終わるあたりまでの話を引用します。興味深い話のオンパレードです。


 僕にとっての80年代の幕開けは、大滝詠一君の『A LONG VACATION』から始まっている。
 日本コロムビアとのナイアガラの契約が終了して、1年ぐらい動きがなかった大滝君が、当時六本木にあったPMPにやって来て、J. D. サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」みたいなレコードを作りたいと言った。すべてはそこからだった。
 大滝君は当時、所属のレコード会社がないわけだから、どこから出そうかという話になった。そのとき僕は「ソニーにしよう」と思ったんだ。本当は、70年代からPMPがずっとお金を出してきて、それを許してくれてた上司の羽佐間重彰さんが、このころにポニーキャニオンの社長になっていたから、道理から言えばキャニオンにすべきかもしれなかった。だけど僕は、羽佐間さんのところに行って「申し訳ないですけど、このレコードはポニーキャニオンじゃなくて、ソニーから出させてもらいます」と申し出たんだ。当然、羽佐間さんには「どうしてソニーなんだ?」って問いただされた。でも僕は「いや、ポニーキャニオンの得意としている音楽と、大滝君が作ろうとしている音楽には大きなギャップがあると思います」とはっきり言ったんだ。「絶対にソニーの方がいいと思います。申し訳ないですけど、これはソニーから出させてもらいますから」と主張した。そしたら羽佐間さんも気圧されたのか「しょうがないな。本当にそう思うか?」とおっしゃった。僕は「そうです。」と答えた。
 今だから、このときのやりとりは懐かしく振り返って言えるけどね。だけどあれは「売れなきゃしょうがないでしょう」って気持ちの表明でもあったんだ。
 僕は「音楽出版業っていうのはアメフトのクォーターバックだ」ってよく言うんだ。クォーターバックの選手は全部フィールドを見渡して、自分のチームと相手のチームの選手がどういうふうに動いているかというのを見て、「じゃあ、フォーメーション45で行こう」などと決めて、誰を走らせてそこにロングパスをするのか、もっと細かくつないで行くのかなどという指令を出すのが役割。アメフトのゲームは、クォーターバックが本当に優れているかどうかが勝敗を左右する。
 同じように音楽ビジネスというフィールドにおいては、音楽出版社が全体を見渡す位置にいるわけ。要するにレコード会社にはどうしても自分の領域だけしか見えない面がある。その点、音楽出版社は一番良いポジションにいると思う。いろんなレコード会社や事務所と仕事をしているから「このレコード会社は、こういう側面に優れている」とか、「このレコード会社は、こういうアーティストは向いていない」といったことが客観的に分かるんだ。だから大滝君の『A LONG VACATION』のときも、「あ、やっぱりこれだったらソニーだな」と判断した。「ソニーの白川隆三君とやったら、絶対に良いものができるし、それをちゃんと売る手段を講じてくれる」という確信があったんだ。(略)大滝君が新しいアルバムを作りたいと言ってきたときにも、まず白川君が頭に浮かんで「大滝詠一と一緒にやらない?」と言ったら、二つ返事で「いいですね」だったんだ。
 そうしたら、これはもう本当にすごい偶然だったんだけど、大滝君が7月28日生まれ、白川君も7月28日生まれ、僕の息子が7月28日生まれ。「何だ、みんな7月28日だ」と盛り上がった。これはうまくいくんじゃないかと思ったね。
 さらに言えば、当時、白川君は太田裕美の担当ディレクターでもあった。太田裕美は「木綿のハンカチーフ」で作詞・松本隆君でやっているわけだし大滝君とははっぴいえんど時代の仲間でもある。そこで白川君から「大滝君の新作は作詞・松本隆で行こう!」ということになった。あのときは、そういう流れを見極める役割を僕がしたということになるんだろうね。
 『A LONG VACATION』を作るに当たって、軽井沢のホテルで合宿をした。メンバーは僕と大滝君、松本君、白川君の4人。合宿とは言っても2、3日一緒に泊まるだけで、何か特別なことをしたわけじゃない。ただ一緒にご飯食べて、ワイワイ話をして、全体のコンセプトを決めるためのネタの出し合いみたいなことをした。
 その中で、僕はひたすら「ともかく胸キュンの曲、悲しい曲を書いてよね」って言っていた。あの時点で、実際に曲ができていたという記憶はないな。ひょっとしたら原案みたいなものは何曲かあったのかもしれないけど。
 どうして「胸キュン」にこだわったかと言うと、やっぱりヒットする曲の要素って2つしかないという思いが僕にはあった。聴いてハッピーになるか、聴いて胸がキュンとするか、そのどちらか。もちろんそれ以外だってあるんだと思うけど、常にヒットの王道はその2つ。やっぱりこれから大滝君が作るアルバムは絶対に売れてほしいと思っていたから、そういう言葉が出て来たんだろうね。 
 いざレコーディングに入ったら、制作費は破格だった。通常の4~5倍くらいはかかったんじゃないかな。会社からも「どうしてこんなに金がかかるんだ?」って言われたけど、僕は「我々はこのお金を払うことによって、良いレコードを作ってるだけじゃなくて、新しいノウハウも得てるんですから」とか説明をしていたな。でも、それは言い逃れではなくて本当だったんだ。大滝君のレコーディングを見にいくたびに「こういうやり方もあるんだ」ということを目の当たりにして学んでいたからね。
 それに正直言って、大滝君のレコーディングで、最初にバジェット(予算)や期限を決めることに、あまり意味がない。コロムビア時代は年に4枚リリースという契約があって、無理やり作っていた部分があったけど、実際に『A LONG VACATION』のレコーディングに立ち会ってみたら、確かにこれは出来上がるまで待つしかないなと思わされた。そこでムチを入れて叩くことが、良い結果を生むとは決して思えないわけだからね。そういう意味では、70年代に不本意な作品を出さざるを得なかったということも『A LONG VACATION』のためには役に立ったと思う。レコードを出さないタメの時期に自分の心の中に発酵してたものが、最良の形で花開いたんだから。
 結果的にあれがミリオン・セラーになったから言っているわけじゃなくて、やっぱり大滝君の才能に関して、僕は自信があった。この人は本当に優れた音楽家だし、いつか絶対に花が咲くだろうと信じていた。
 でも、『A LONG VACATION』の中身に関しては、僕から口を出したのは、本当に最初の合宿のときの「悲しくて胸キュン」のリクエストだけ。曲順とかアートワークにも関わっていない。あとは大滝君が「こういうふうにしたい」と言うのを聴いて「いいんじゃない」って反応しただけだよ。
 レコーディングには前半と、後半の仕上げの時期とで全体の3分の1ぐらい行ったかな。「良いものが出来ている」という手応えはあった。大滝君がスタジオで録音しているときから「これはすごくいいな!」と思っていた。ミリオンとまでは思っていなかったけど、これは大ヒットだと。


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by hinaseno | 2017-09-10 13:21 | Comments(0)