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by hinaseno
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Springsville in Tokyo #17 - ニコライ堂と聖橋のある風景


翌朝、目が覚めてすぐに窓のカーテンを開ける。雲ひとつない快晴。前日は黄砂の影響があって霞んでいた空もすっきりと澄み切っている。心の中で小さくガッツポーズ。頭の中にマイルス・デイヴィスの「スプリングズヴィル」が流れてくる。最高の気分。


ここで小さくガッツポーズをした理由を少し。もちろんこの日も、あっちやこっちへと行きたい場所がたくさんあったので晴れるに越したことはなかったのだけど、実はこの日、武蔵新田で会うことになっていた高橋さんと小さな約束をしていたから。

武蔵新田で会うことを決めたとき、高橋さんがてるてる坊主を作りますというということを書かれていたので(確か、高橋さんが一度武蔵新田を歩こうとした日に雨が降って結局歩けなかったんですね)、じゃあもし晴れたらそのてるてる坊主くださいって言ってたんですね。お互いにどこまで本気なのかっていう約束ではあったけど。そのてるてる坊主についてはまた後日。でも一体いつになるんだろう。


学士会館のレストランで早々に朝食を済ませて、一度は絶対に行かなくてはと思っていた場所へ。それは小津の『麦秋』のこのシーンで、(僕と誕生日が同じ)原節子さんが喫茶店の窓から眺めていた場所。

Springsville in Tokyo #17 - ニコライ堂と聖橋のある風景_a0285828_14334488.png

その窓から見えた風景というのは。

Springsville in Tokyo #17 - ニコライ堂と聖橋のある風景_a0285828_14342488.jpg

そう、あのニコライ堂。小津の映画の中で最も好きな映画『麦秋』の最も好きなシーンで映っていたので、いつか絶対に見たいと思っていました。神田の学士会館に泊まったのはニコライ堂に歩いていける距離だったからでもありました。

改めて『麦秋』のこのシーンのシナリオを。


  窓から見えるニコライ堂――。
  紀子と謙吉がお茶をのんでいる。
謙吉「昔、学生時分、よく省二君と来たんですよ、ここへ」
紀子「そう」
謙吉「で、いつもここにすわったんですよ」
紀子「そう」
謙吉「やっぱりあの額がかかってた......」
紀子「――?」(と見る)
  ミレーの『落穂拾い』の古ぼけた額――
謙吉「早いもんだなぁ......」
紀子「そうねぇ――よく喧嘩もしたけど、あたし省兄さんとても好きだった......」
謙吉「ああ、省二君の手紙があるんですよ。徐州戦の時、向こうから来た軍事郵便で、中に麦の穂が入ってたんですよ」
紀子「――?」
謙吉「その時分、僕はちょうど『麦と兵隊』読んでて.....」
紀子「その手紙頂けない?」
謙吉「ああ、上げますよ。上げようと思ってたんだ......」
紀子「頂だい!」

このシーンは何度見ても涙が出そうになります。そういえば東京に行く前にちょこっと立ち寄った古書展で、謙吉が読んだはずの『麦と兵隊』を見つけました。

Springsville in Tokyo #17 - ニコライ堂と聖橋のある風景_a0285828_14350448.jpg

1938(昭和13)年発行。ちなみに徐州戦があったのも同じ年。


さて、ゴールデンウィークも終わって、早足で会社へ出勤するたくさんの人を横目に見ながらニコライ堂のある場所へ。ビルの間からその姿が見えたときにはやはり感動しました。よくぞ空襲の被害も受けずに、と。

Springsville in Tokyo #17 - ニコライ堂と聖橋のある風景_a0285828_14352371.jpg

何はともあれ映画と同じアングルを探しましたが、どうやらニコライ堂の右にある事務所のような建物があった場所にかつてあったと思われる別の建物の3階くらいの窓から撮ったようです。もちろんそんなところに喫茶店があったはずもなく。

ちなみにこれはその事務所の下あたりから撮ったもの。映画のカットがいかに上から撮ったものかわかりますね。

Springsville in Tokyo #17 - ニコライ堂と聖橋のある風景_a0285828_14353602.jpg

チェックアウトの時間までには戻らないといけないので、いそいで次の場所へ。向かったのは聖橋。

ところが着いてみたら聖橋はかなり大規模な工事中で、聖橋の写真も撮れないばかりか(工事中の姿を撮っても仕方ないので)、邪魔なものがいっぱいで聖橋からの風景も撮れない状態になっていました。しかもかなり狭められた歩道を人がいっぱい歩いて行く。体がぶつかりそうで、とても落ち着いて写真を撮れる状態ではありませんでした。

ちなみに僕が「聖橋」という橋の名前を初めて覚えたのは、さだまさしさんの「檸檬」という曲でした。

こんな歌詞が出てくるんですね。


食べかけの檸檬 聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれちがう

ちょっと笑ってしまったのは聖橋を渡ったところから向こう側を眺めていたら「レモン」と大きく書かれた文字が。カフェかなと思っていましたがどうやら画材屋さんのようですね。

Springsville in Tokyo #17 - ニコライ堂と聖橋のある風景_a0285828_14360064.jpg

さて、ニコライ堂と聖橋といえば松本竣介ですね。彼は昭和1941(16)年頃、ニコライ堂の絵をたくさん描いていますが、その中に「ニコライ堂と聖橋」と題された作品があります。

Springsville in Tokyo #17 - ニコライ堂と聖橋のある風景_a0285828_14363044.jpg

たぶんかなりデフォルメしているだろうとは思いますが、ニコライ堂は、というか教会というのは近くで見上げるよりもちょっと離れたところから眺めたほうがいいんですね。

それから以前紹介したことのあるこの「ニコライ堂」と題されたこの絵は聖橋の上から捕えたものです。

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この2つの絵に描かれた風景に近いものが撮れたらと思いましたが、工事用に作られたものやビルがじゃまをして無理でした。

ちなみにこれは聖橋の方から撮ったニコライ堂。現在ではこんなふうにいろんなものに隠れてしまいます。

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松本竣介は、『麦秋』の原節子の兄、「省二」と同様にニコライ堂のある風景が大好きだったんだろうと思いますが、ニコライ堂付近の道も結構描いていて、いい作品が多いんですね。

とりわけ僕が好きなのが「並木道」という作品。それについてはまた次回に。


by hinaseno | 2017-05-28 14:39 | 雑記 | Comments(0)