昨日、庭瀬の方へ行く用事があったので、あの荷風さんの『断腸亭日乗』の昭和20年7月13日の日記に出てくる白石橋の近くの万歩書店さんに久しぶりに立ち寄りました。いつ以来だろう。手元にあったスタンプカードは2枚とも有効期限がずっと前に切れていました。
店に入ってすぐに探したのは大瀧さんが1979年の夏頃から1980年の春ぐらいまでに書いた原稿が載っている雑誌。でも残念ながら無し。このあと墓参りに行かなくてはならなかったのですぐに帰ろうかと思ったけど、せっかくなのでゆっくりと見て回りました(2時間近く)。探していた本もいくつか見つかってかなりの収穫。
でも、やっぱり本屋で何よりもうれしいのは、思わぬ出会いがあること。その意味でいちばんの収穫はこれでした。
『THE AMERICAN MOTEL』という写真集(洋書)。
モーテルやダイナーがある風景というのは、アメリカのスモールタウンを愛する人間にとってはたまらないものがあります。モーテルといえば日本ではいかがわしい場所というイメージがありますが、本来は幹線道路沿いにある、自動車旅行者のための小さなホテル。アメリカのロードムーヴィーを見ていたら必ず出てきます。それが日本では、少なくとも僕がその存在を知った頃には今のラブホテルと変わらないものになっていたんですね。
僕が持っていたイメージを変えたというか本来のモーテルがどういうものかを知ったきっかけはやはり大瀧さんの「Velvet Motel」でした。『ロング・バケイション』の2曲目に収められた曲ですね。なんども言いますが死ぬほど好きな曲。
この曲が生まれたのは1979年の夏。「カナリア諸島にて」が生まれる直前のことでした。この曲が「カナリア諸島にて」を呼び寄せたと言っても過言ではありません。『ロング・バケイション』で大瀧さんが「Velvet Motel」の次に「カナリア諸島にて」を並べたのは、そういう流れがあったからのはず。
アン・ルイスさんのために書かれた「Velvet Motel」は、当初のタイトルは「Summer Breeze」。歌詞は(おそらく)大瀧さんが書いていました。でも、ボツになって、改めて松本隆さんの詞が付けられてタイトルも「Velvet Motel」に。車に乗った男女がモーテルに泊まる話ですが、男性は結局ソファーで眠ることになります。何があったんでしょうね。
さて、『THE AMERICAN MOTEL』を書店で手に取ったとき、僕の中には「Velvet Motel」のメロディが流れていたんですが、本を開いた最初のページに載っていたのがこの写真。
中庭にあるプール。
というわけで、当然ながら「Velvet Motel」のこのフレーズが流れてきました。
Velvet Motelの中庭から抜け出して
Blue Pool 小雨に打たれて泳いだ
このページの写真なんか、もろ『ロング・バケイション』の「Velvet Motel」の世界。
アメリカのモーテルは何と言っても看板がいいんですね。達郎さんの『For You』のジャケットのイラストを描いた鈴木英人さんのイラスト集から出てきたような看板がずらっと並んでいます。古く錆びついているのがまたいいんですね。
この写真集にはこんな写真もありました。
ヒッチコックの『サイコ』に出てくるモーテル。あの怖いシーンで使われたものですね。
ところで、この写真集を見ながら、僕はある作家の、ある本のことをずっと考えていました。彼もこの写真集に載っているモーテルに泊まりながらアメリカの旅を続けていたのだろうかと。そうしたらちょっと驚くようなことが。
今朝、日本のAmazonで『THE AMERICAN MOTEL』のことを調べていたときのこと。洋書なのに商品説明が日本語でかなり詳しく書かれていたんですね。しかも内容が素晴らしい。一応、その全文を。
裏表紙に引用されている言葉が印象的だ。「今日におけるモーターキャンプは、アメリカ民主主義の最も素晴らしい側面を集約してみせている」
今日、というのは1927年のことだ。ルート66が開通した翌年にあたるのは偶然ではないだろう。そしてここで言う「モーターキャンプ」とは、車で移動してどこかで泊まる行為のことを指している。できるだけ長い日数をかけて、家族で自動車旅行をすることが民主主義の集約だというのだ。この言葉はビジネス雑誌から引用されたもので、それだけに真剣な内容と推測していいだろう。それは単なる娯楽ではなく、アメリカの理念を全米規模でかたちにした偉業だったのだ。
道、移動そして家族は、アメリカという国の根幹を成すものだ。そのようにして作られた国家だからだ。それを強くひとつにつなぎ止めるものとして自動車が普及することで、国民はより自由な自己実現を図ることになる。少なくとも1960年代前半までは、その夢は有効なものとして発展を続けた。
車で移動する人々に清潔なベッドと完備されたトイレを提供する仕事は、やはり1920年代後半から始まった。そのとき道路は、モーテルという「メイド・イン・アメリカ」の独特の文化を、同時に生んだことになる。
初期のモーテルは一棟建ての小屋のようなもので、車をその前に駐車するスタイルだった。やがて小屋の数が増え始めると土地利用のうえで効率が悪くなり、廊下でつながれた横長の建物となる。現在のモーテルの原型だ。その後さらにネオンがあしらわれ、テレビも完備し、中庭にプールを抱えるモーテルも登場する。家族が家族であることを確認できるしくみだ。このようにモーテルはそれぞれに個性豊かに工夫と演出を凝らし、それ自体がひとつの目的となるような旅のハイライトへとなっていく。しかしながら著者のウィッツェルは、現在のモーテルに不満と警鐘を最後に鳴らしている。「そこはビジネスマンが出張で泊まる場所になってしまった。そうなるともう、自由とは距離が遠い」。
モーテルがだんだんと進化していって「中庭にプールを抱えるモーテルも登場する」というくだりには思わずにっこり。
びっくりしたのはこの説明文の最後に記されていた名前。
駒沢敏器。
そう、僕が『THE AMERICAN MOTEL』を読みながら思い浮かべていたのは駒沢敏器の『語るに足る、ささやかな人生』でした。いや、本当に驚きました。
ちなみに『THE AMERICAN MOTEL』が出版されたのは2000年。駒沢敏器の『語るに足る、ささやかな人生』が出版されたのは2005年。
彼がこのAmzonの商品説明の文章をいつ書いたのかわかりませんが、もしかしたらこの写真集を見てアメリカを旅したのかもしれません。『語るに足る、ささやかな人生』を読み直して、彼が泊まったモーテルが『THE AMERICAN MOTEL』に載っていないか調べてみようと思います。
彼が『語るに足る、ささやかな人生』で紹介しているいくつかのスモールタウン映画(たとえば『ギルバート・グレイプ』や『ラスト・ショー』)を久しぶりに観たくなった。
松本隆さんがトロピカルなイメージで作詞したとも思えませんがA LONG VACATIONのジャケットのイメージからトロピカルリゾート感覚で受け入れてそれが一般化したんじゃないかなあ?と。
観光化されていない風の強い海辺で地元のラテン系の住民が仕事をしている心地よい周囲の無関心のなかで主人公が過去に思いをはせている・・そんな歌なんじゃないのかなあって気がしています。
そのあたりのこと、松本隆さんの『成層圏紳士』という本の450ページから10数ページにわたって収録されている「カナリア諸島にて」という文章を読むと面白いだろうと思います。
松本さんはカナリア諸島なんて行ったこともなければ、そこの気候風土のことも知らずに、
ただ名前だけ知っていていて想像であの詞を書いたんですが、
何年か後に、カナリア諸島に行ったんですね。その時の話です。