「カナリア諸島にて」が生まれた1979年の夏の話は前回で終わりにしようと思っていたけどもう少し。
1979年という年(正確にいえば『ロング・バケーション』のレコーディングに入る1980年の4月くらいまで)、大瀧さんはご本人の表現を借りれば「世を忍ぶ仮の姿で、原稿を書きまくって」いました。『All About Niagara』の「執筆原稿リスト」をリストを見ると、この時期に書いた原稿は全体のほぼ半数を占めています。しかもどれも長いものばかり。原稿用紙の枚数でいえば相当なものになるはず。
この時期に書いた原稿は『All About Niagara』、『大滝詠一 Talks About Niagara』『大滝詠一 Writing & Talking』でほぼ全て読むことができますが、書かれた時期を意識して読むと、以前本を一気に読んだときとは違っていろんな発見があります。とりわけ1979年の夏に書かれた(はずの)この3つの原稿はとても興味深いものがあります。
・「ビーチ・ボーイズの初期サウンド①」(『ミュームージック・マガジン』8月号→『大滝詠一 Talks About Niagara』)
・「ビーチ・ボーイズの初期サウンド②」(『ミュームージック・マガジン』9月号→『大滝詠一 Talks About Niagara』)
・「ナイアガラ・サマー」(『LA VIE』 9月号→『大滝詠一 Writing & Talking』)
ところで「カナリア諸島にて」といえばビーチ・ボーイズの「Please Let Me Wonder」。♪Please let me wonder, please let me wonder, please let me wonder, love♪と歌われるところは「カナリア諸島にて」の♪カナリア(ン)・アイランド、カナリア(ン)・アイランド、風も動かない♪のフレーズとそっくりなんですね。
「カナリア諸島にて」の元ネタが「Please Let Me Wonder」であることは大瀧さん自身が証言されたのだから間違いはないのですが、あくまで「20分の1」ですね。その「Please Let Me Wonder」についてこんな話が出てきます。
次に「Please Let Me Wonder」(65年、52位)と続くが、このミディアム・テンポのバラードが一番ビーチ・ボーイズらしいと私は思う。なお、この曲調は、特にロニーとデイトナスに影響を与え、65年の「サンディ」や同タイトルのLP(夏の必需品)はすべてこの曲調で埋められている。 (「ビーチ・ボーイズの初期サウンド①」)
ロニーとデイトナスの『サンディ』というアルバムについてはずっと以前にブログで書いたような気がしますが、「カナリア諸島にて」はビーチ・ボーイズの「Please Let Me Wonder」からロニーとデイトナスの『サンディ』につながる”あの雰囲気”を意識して作ったことは間違いないはず。悪いはずがありません。
ところで「カナリア諸島にて」で♪カナリア(ン)・アイランド、カナリア(ン)・アイランド、風も動かない♪の部分でビーチ・ボーイズ風の素晴らしいコーラス(もちろん大瀧さんの一人多重コーラス)を聴くことができます。1979年の夏に「カナリア諸島にて」のメロディを完成させたとき、おそらく大瀧さんの頭の中にはサウンドとコーラスが浮かんでいたはず。
そのコーラスについてもちょっと興味深いことを書いています。
話は1979年7月に発表された(まさに大瀧さんが「カナリア諸島にて」をつくった頃)ピンク・レディのこの「波乗りパイレーツ」に触れる形で、「風」の話へとつながります。
ちなみにこの「波乗りパイレーツ」はB面。このB面はアメリカで録音されて、なんとバックコーラスはビーチ・ボーイズ。リハビリ中のブライアン・ウィルソンも参加しているんですね。A面の日本吹込盤はどんなのか知らなかったのでiTunesでダウンロードしました。
さて、大瀧さんの話。
ピンク・レディの「波乗りパイレーツ」でのビーチ・ボーイズのコーラスを聞きながら、A面の都倉俊一氏との差(優劣という意味合いからでなく、只単に違いのこと)を感じ、こういうコーラスは日本人には無理だナァー、とつくづく感じた。編曲を同じにして、声色を似せたところで、カリフォルニアの爽やかな風が吹くだろうか。その風が吹かないなら、こんなコーラス、何程のことがあろう。
サーフィン・ミュージックを意識して作曲したと思われる都倉氏のメロディー・ラインに「カモメの水兵さん」を感じるし、ビーチ・ボーイズを意識したと思しきコーラスに伝統的な大和コーラスーーお囃子を感じる。こういう無意識(多分!)のうちに選択している我々の伝統的なものを、ビーチ・ボーイズが感じさせている、といってしまってはカッコ良すぎたみたいネ。 (「ビーチ・ボーイズの初期サウンド②」)
これからビーチ・ボーイズのような曲をレコーディングすることを考えていたはずの大瀧さんにとって、こういう発言は結構ハードルを高くするように思えますが、でも、自分がやればこんな風にはならないという確信がこのときすでにあったんでしょうね。そして実際、大瀧さんは見事なくらいに「爽やかな風」を吹かせてくれました。
さて最後に、『LA VIE』という雑誌に掲載された「ナイアガラ・サマー」の最後の部分を。これを書いたときにはおそらく「カナリア諸島にて」はできていたはず。なぜか、わが「桃太郎」が登場します。
日本人全体としてレジャーを中心とした〈夏〉を楽しめるようになったのは、「想い出の渚」が出てきた頃だったのではなかったか、そしてそれを凌ぐ曲が出るか出ないか? 又果たして〈桃太郎〉は出現するか? するとしたらそれは何時か?
波の音でも聞きながら、吉備団子の夢でも見ることにしよう……。