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by hinaseno
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「カナリア諸島にて」が生まれたとき(4)


1979年夏の、「カナリア諸島にて」が生まれたときの大瀧さんの心の状態を一言で表すならば「憑き物が落ちた」ということになるんでしょうね。

ここで改めて先日紹介した北中正和さんによるインタビュー記事を。


北中:活動再開のきっかけになったのは、何だったのですか。
大瀧:79年の夏に、本を読んでたら、自然に1曲できた(「カナリア諸島にて」)のね。そういうことって、ほんとうに何年振りかのことでね。『ナイアガラ・ムーン』以降、タイトルを作ってから、曲を作るやり方が続いていたのね。ずーっと。
北中:新しいアルバムは、親しみやすい曲が多いですね。
大瀧:ぼくにとって第1期ナイアガラは、メロディ拒否の時期だったのね、意固地に。その前にソロ・アルバムや、はっぴいえんどの時期があった。それに対して濡れたところを拒否しようみたいな気持ちがあって、歌謡曲対アンチ歌謡曲みたいな感じで、いかに乾くか、ということに専念していたんじゃないかな。当時は、みんな乾燥剤をどれだけ入れるかの勝負だったでしょう。もう、カラカラにひからびで『レッツ・オンド・アゲン』(78年)まで行ったんだけど、さすがにひからびすぎて、体の方が耐えられなかったのか、ふっと浮かんできたのが「カナリア諸島にて」のメロディだった。それがすごいうれしくて、みんなに言って歩いたのね。やれるんじゃないかと。ただし、第1期と同じ轍を踏むことはできない。この3年間アーティストとして、何をしていたかの答えが、今回のLPということなんだと思う。
北中:もう少し説明してくれませんか。
大瀧:ウェットとドライ、対立概念としてとらえていたのをやめて、ひとつのものと見ようとするようになったわけです。

『ロング・バケイション』制作中の、あるいは制作直後のインタビューを読むと、この「ウェットとドライ」についての話が、ときには「涙(泣かすこと)と笑い」、あるいは「メロディとコミカル」と表現を変えながら何度も語られています。例えば何度も紹介している木崎義二さんのインタビューでもこんなやり取りが。


木崎:ここ数年、大瀧さんといえば、コミカルな曲が目立っていたと思うんですが、このアルバムでは再びバラードに力を入れていますね。心境の変化でも?
大瀧:以前はメロディアスな曲とコミカルな曲を対立させて捉えていました。それをやめたってことなんですよ、一言で言ってしまえば。コミカルなアイディアがメロディアスな曲のなかに存在していても、別に代わりはないんです。
木崎:「Velvet Motel」がそれですね。
大瀧:そう。それでね、コミカル・ソングをずうっとやってきたんだけど、ある種、質的な面で壁に突きあたったということもあるんです。ぼくとしてはコミカル・ソングでマッドネスまでどうしても行きたかった。けれども、いくらやってもクレージネスで止まっていてマッドネスまで行けないんです。
木崎:それで反対の曲にあるメロディアスな曲に戻ったというわけですか?
大瀧:最初は反対の曲に戻ったつもりだったの。ところが戻りきれなかったのか混沌とした世界になってしまったんだよ。そこでよく考えてみたところ、さっき言ったような結論に達したというわけ。
木崎:メロディアスVSコミカルの対立概念が消えてしまったわけですね。
大瀧:うん。その対立概念から離れてみたら、進歩とか変革といったものについての概念も消えちゃったんです。なんていうか、歴史的な進歩概念が消えたんですよ。そのときに自分にとって何がやりたいか、これが結果として歴史をつくるんだ、ということに気がつきました。
木崎:その考え方で今回のアルバムはつくられていると……。
大瀧:「今、これがいちばんやりたい」という観点から作ってあります。今いちばんやりたいことなら音楽でなくてもいいわけで……、ただ、大瀧個人としては音楽が最もやりやすいというわけでね。

大瀧さんが一時期、表現者として二つの概念の対立に悩まされ続けていたかがわかります。で、それから解放されて生まれたのが「カナリア諸島にて」で、それが『ロング・バケイション』につながっていったと。


さて、最後に、改めて「カナリア諸島にて」が生まれたときに読んでいた本のこと。それはきっとこれだろうなと。

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中村光夫著『日本の近代』(1968年)。

この本についてはこの日のブログで紹介した「本との出会い」と題された大瀧さんのエッセイに出てきます。

大瀧さんは『CanCam』という女性雑誌に1982年(『ロング・バケイション』の発売翌年)の1年間、「デジタルトーク」と題したエッセイを連載していました。この「本との出会い」というエッセイはおそらく10月号に掲載されたもの。

ここで大瀧さんが出会いとして紹介しているのは『日本の近代』に収録された「笑いの喪失」というエッセイ。内容は悲劇と言われる文学作品の中にも笑いがいくつも散りばめられているというもの。ただ、日本では文学において(私小説というものが主流になって)だんだんと笑いが失くなってきたと。メロディアスVSコミカルの対立概念が消えたという話に通じる内容ですね。

『CanCam』でのエッセイでは「笑いの喪失」の内容には触れていませんが(このエッセイはおそらく語り下ろしで、雑誌の雰囲気に合うように軽い感じで書かれているので、ちょっとヘヴィな話はカットだったんでしょうね)でも、あえて「本との出会い」というタイトルでこの本を紹介したのは、このエッセイを書く何年間かの中では一番大きな出会いだったからではないでしょうか。

まあ、個人的には村上春樹の『風の歌を聴け』との出会いの方が、話としては面白かったんだけど。


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by hinaseno | 2017-09-18 12:22 | ナイアガラ | Comments(0)