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by hinaseno
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「Executive Producer;朝妻一郎」


今回いろいろと書くことになる話のキーワードがあるとすれば「夢」、それから「ロイ・オービソン」かな、と。

「夢」といえば「夢前川」。姫路の西に流れている川ですね。木山捷平の小説にタイトルにもなっている川です。ウィキペディアを見たら、この夢前川の上流にあった夢前町は、今は姫路市に編入されてしまっていますが、全国で唯一町名に「夢」が付いている町だったんですね。


最近、なんだか夢前川のあたりの風景をしきりに思い浮かべています。木山捷平のことなんて全く知らなかった頃、用事があるなしに関わらず夢前川のいろんなところに行っていました。川沿いの道を車で通ったり、あるいは河原に降りたり。もちろんいつも音楽を聴いていました。当時一番よく聴いていたのが渡辺満里奈さんの『Ring-a-Bell』やブライアン・ウィルソンの『Imagination』。この2枚は夢前川周辺の風景とぴったり重なっています。

渡辺満里奈さんの『Ring-a-Bell』のプロデューサーは大瀧さん。ブックレットの最後に記された「Produced by 大瀧詠一」のクレジットを久しぶりに見たときには本当に嬉しかったな。


その頃、1990年代の後半は音楽プロデューサーというのが日本でブームになっていました。中心にいたのは小室哲哉。それからつんく♂とか。アーティスト以上にプロデューサーの方が注目を浴びる時代が来るなんてびっくりでした。

僕がプロデューサーというのを意識するようになったのはやはり大瀧さんでした。「Producer;大瀧詠一」とか「Produced by Eiichi Ohtaki」とかの文字を見るたびに心ときめいたものです。で、アメリカン・ポップスも、だんだんとアーティストではなくプロデューサーで聴くようになっていったんですね。フィル・スペクター、ブライアン・ウィルソン、スナッフ・ギャレット……。


さて、僕が最初に「Producer;大瀧詠一」の文字を見ることになったのはもちろん『A LONG VACATION』。歌詞カードの裏のクレジットの最後に「Producer;大瀧詠一」と記されています。

ところでその上に「Executive Producer」という肩書きを持った人の名前が記されていることにどれだけの人が気がついていたでしょうか。

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この『A LONG VACATION』の「Executive Producer」としてクレジットされているのがまさに朝妻一郎さんでした。


Executive Producer(エグゼクティブ・プロデューサー)って、一体どんな人だろうと思いますね。アメリカのWikipediaを見るとこんな風に書かれています。


The executive producer is responsible for business decisions.

「エグゼクティブ・プロデューサーはビジネスに関する決定に責任を負っている」と。つまり金銭的な部分で責任を持った人ですね。実際にエグゼクティブ・プロデューサーの仕事をされている人が書いた記事によるとエグゼクティブ・プロデューサーは「関わる会社やスタッフの選定、制作費、宣伝費を決めて出資会社の選定、利益配分の決定、著作権管理者及び利益配分を決めて etc. 最終的に利益が出た場合の利益配当までを含めての責任者」ということになるようです。


さて大瀧さんの『A LONG VACATION』の「Executive Producer;朝妻一郎」ということに関して、音楽評論家の北中正和さんがこんなことを書いています。


 ジャケットにはエグゼクティヴ・プロデューサーとして朝妻一郎とクレジットがある。当時のナイアガラの事情に詳しい中山久民さんにうかがったら、やはりレコーディングの経費は朝妻さんが保証したとのことだった。音楽出版社の経営者の朝妻さんは、ニール・セダカの音楽が好きで音楽業界に転職してきた人だ。60年代アメリカン・ポップへの愛情や夢が朝妻・大滝の二人を世代を越えて結びつけたということだろう。
 つまり『ロング・バケイション』は、優れたアーティストと敏腕経営者が背水の陣を敷いて行った大きな賭けだった。
            (『レコード・コレクターズ』2001年4月号)

あのサウンドは、大瀧さんが崇拝するフィル・スペクターやブライアン・ウィルソンがまさにそうしていたように、長期間にわたってレコーディング・スタジオを押さえた上で、数多くの一流のミュージシャンを集めることができるだけの金銭的なことがなければ作り得なかったことも事実。それを保証していたのが朝妻さんだったんですね。

もちろんそこには大瀧さんと朝妻さんの信頼関係があったことと、何よりも朝妻さんが大瀧さんのアーティストとしての才能を高く評価していたからであることはいうまでもありません。


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by hinaseno | 2017-09-04 15:16 | ナイアガラ | Comments(0)