東京に行ってからひと月がたってしまいました。早いですね。ブログの方は2日目の、5月9日の後半の話の方に入りかけていますが、ここでまた少し後戻り。
実はこの日のブログに貼ったこの写真について高橋和枝さんがちょっと興味深い情報をくれたんですね。
高橋さんが教えてくれたのはかなりへ~っと思えるような話だったんですが、改めてそのあたりのことを調べていたら、なんと! なんと!の連続。ということで黙っておくわけにはいかなくなったので書くことにしました。
きっかけは森崎書店、ではなくて森岡書店。ってことで、ここ数日、この森岡書店がらみのことを調べる日々が続いています。とにかく驚くことばかり。
上の写真は僕が新富橋に向かうときに通った道でたまたま目に留めた建物を写したもの。かなり急ぎ足で歩いたときにパッと見つけてパッと撮ったものだったので、正直、どこで撮ったか覚えていませんでした。
もともとあの日は三原橋の交差点から昭和通りを通って、新富橋に入る道にあった建物を目印に歩いていたんですが(それがたぶん最短距離)、昭和通りを歩いてもあまりおもしろくなかったので、途中で右に折れて路地に入ろうと考えたんですね。もちろん大瀧さんがそのあたりの路地を歩かれたんだろうなとおぼろげに考えながら。
で、いくつかの路地をやりすごして入ったのが写真に写っている岩瀬博美商店という建物のある路地でした。なんとなく惹かれるものがあったんですね。あくまで直感ですが。
高橋さんが教えてくれた興味深い話というのは、この岩瀬博美商店の左に半円形の装飾がついた建物についてのこと。僕はかなりの勢いで歩いていたのできちんと見ていなかったんですが、この建物、実は素晴らしいんですね。
これはネットで拾った写真。ビルの向こうに僕が写した岩瀬博美商店が見えます。
この建物の名前は鈴木ビル。建てられたのは昭和4年。あの服部時計店よりも古い。
で、このビルの一階の、あの半円形の装飾の下に森崎書店、ではなくて森岡書店というのがあるんですね。チラッと目に入ったような気もするけどはっきりとは覚えていません。
この森岡書店は書店といっても「1冊の本を売る本屋」という特殊なお店とのこと。1冊の本を売るためだけのギャラリーのような本屋だそうです。
で、ここで高橋さんが絵を描かれた小川未明の『月夜とめがね』の最初の展示会が開かれたんだそうです。この展示会の後、おひさまゆうびん舎で『月夜とめがね』の展示会が開かれたんですね。
この『月夜とめがね』はどれも素晴らしい絵ばかりですが、とりわけこのページの絵は大好きで、おひさまでの展示会でこの汽車が描かれた箱も買いました。大事な宝物。
高橋さんからいただいた情報にはいろいろと興味深いことが書かれていて、改めてネットで調べたら森岡書店を紹介している記事がいっぱい。
驚いたのは店主の森岡さんはあの話題になった『荒野の古本屋』を出した方だったんですね。晶文社の「就職しないで生きるには21」というシリーズの1冊。話題になっていたということもありますが、僕は西部劇ファンなので「荒野の~」という言葉に目をとめたんですね。
この「就職しないで生きるには21」のシリーズの次に出たのが夏葉社の島田さんの『あしたから出版社』。ということで森岡さんは島田さんともお友達のようで、夏葉社の本の展示会もしたことがあるそうです。
そういえば隣町珈琲の本棚には確かこの2つも並べて売られていたはず。
森岡書店のある鈴木ビルにはあの木村伊兵衛も参加していた「日本工房」が入っていたそうです。木村伊兵衛といえば、この日のブログでも紹介していますが『東京人』での大瀧さんと川本さんの対談で、川本さんにDVDを静止画像にして調べることについて尋ねられたときの大瀧さんのこの言葉。
「木を見て森を見ず」と言われそうですが、たとえば木村伊兵衛の一枚の写真を見て、そこから膨大な情報を得るのと同じです。
この大瀧さんの言葉で、僕は「木」に目をとめて新田神社に気がついたんですね。それにしてもあの木村伊兵衛が参加していた工房があんなところにあったとは。
森岡さんは元々「日本工房」の仕事を追っていたそうで、新しい店舗を探していたときにたまたま奇跡的にそこに空きができて入ったとのことです。
森岡書店の銀座店がオープンしたのは2015年5月5日。高橋さんの『月夜とめがね』の原画展が開かれたのはその年の秋。そして翌年の初めにおひさまゆうびん舎の原画展とつながっているんですね。
ところで高橋さんに情報をもらって、鈴木ビルや岩瀬博美商店のある場所のことを調べていたら、びっくりするようなことが続々と。まず最初にわかったのはそこの昔の地名。
なんと木挽町!
木挽町を強く意識するようになったのはクラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんの『木挽町月光夜咄』を読んでのこと。この本がきっかけで銀座という華やかな町の中にかつてあった木挽町という町を密かに愛するようになりました。ちなみに吉田さんは木挽町の生まれ。荷風も木挽町に住んでいたことがあります。大瀧さんの研究にももちろん木挽町が出てきます。
ここまででも結構へえ~っという話の連続なんですが、話はそこで終わりませんでした。
改めてあの辺りをGoogleマップで見ながら僕の足取りを確認していたらびっくりするようなものが目に飛び込んできたんですね。
これがこのあたりの地図。紫色の矢印で示したのが僕の足取りです。
驚いてしまったのは岩瀬博美商店と森岡書店のある路地に入る角にある建物。
なんと音響ハウス。
1973年から大瀧さんがCMを録音するときに使っていたスタジオのある建物がこんなところに。大瀧さんが2007年に出した『ナイアガラCMスペシャル 30周年記念盤』のマスタリングのために通っていたのもまさにこの音響ハウスでした。そのときに毎日通っていた道のそばにあった公園が成瀬の『秋立ちぬ』のロケ地だったことがわかって、大瀧さんの成瀬研究が始まったんですね。
まさかその音響ハウスがこんなところにあって、そこを僕が通っていたとは思いもよりませんでした。