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武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その9)


『銀座二十四帖』で、新田銀座が映る最初のシーンの場所は推測できましたが、問題はその次に映るこのシーンの場所。

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いろんな看板が目に入りますが、すぐに目がいくのは武蔵新田と書かれたアーチ以外で唯一電飾の看板が使われている右側の「サロン ひとみ」。この建物から朝帰りする若い男が出てきて、次に2階の窓から下着姿の女性が声をかけます。

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ここはカフェーで男はこの店の常連であることがわかります(直前のカエルのカットとつながってるようですね。説明はしないけど)。


武蔵新田にカフェー街があったことはやはり川本三郎さんの『東京の空の下、今日も町歩き』にも触れられています。川本さんが武蔵新田の商店街を歩きながら探していたのはかつてカフェー街があった場所。


 このあたりはまた、戦時中から戦後にかけてカフェー街があったので知られる。洲崎の業者が昭和20年の7月、敗戦直前に、この地に移ってきて開業した。工場で働く”産業戦士”の遊び場所となった。
 終戦後は羽田に駐留したGIたちがジープで遊びに来た。そば屋(昼食をとった浅野屋のいうそば屋)のご主人によると30数間の店があったという。

でも、どうやらカフェー街を見つけられなかったようなので川本さんがどうされたかというと、


 地元の人にこういうことを聞くのは少しはばかられたが、思い切って聞いてみると、そば屋のご主人は気軽に「そこのマルエツの奥だ」と教えてくれた。

で、言われた場所に行ってみて、2軒ほどそれらしい家を見つけます。実は単行本には写真はないのですが、『東京人』にはそこで撮った写真が掲載されています。

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こんな建物の2階から女性が男に声をかけていたんですね。

ところでマルエツというスーパーはまだありました。ただ、ストリービューでいろいろ歩いてみましたが川本さんが撮影した建物は見当たりません。

実は平川克美さんが武蔵新田を歩いたのもこのカフェー街を探すため。川本さんが行かれてから10年の歳月が流れているので、建物は一軒も残っていなかったようです。


ところで、『銀座二十四帖』では森繁のナレーションで「銀座は銀座と言ってもここは東京郊外にある有名な多摩川新田銀座」と語られるのですが、この「有名な」というのはカフェー街があったことで有名だということだったんでしょうね。考えてみたら監督の川島雄三は『銀座二十四帖』の翌年に洲崎の遊郭を舞台にした映画『洲崎パラダイス赤信号』を撮っているので赤線についてはかなり詳しく調べていたはず。武蔵新田を映画に使ったのはそういう背景がありそうです。


そういえば、何度か紹介している小津の『早春』で語られる杉村春子の言葉。この淡島千景と語るシーン。夫の浮気の話ですね。

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「(小指を出して)これ……、駅向うの川っぷちにカフェーがあるでしょ。あたし、あそこだとばっかり思ってたら、そのとなりの玉突き屋のゲーム取りだったの。それを火の見の傍のアパートに住まはしてたのよ。その時分、うち矢口に住んでいたでしょ」


この矢口というのは武蔵新田の商店街があるあたりの地名。ここで語られていたカフェーというのは武蔵新田のカフェー街だったのかもしれません。

面白いことにこの昭和24年(といってもたぶん昭和17~8年ごろ)の地図を見ると、武蔵新田の商店街のある通りの矢口の「矢」の文字のあるあたりに火の見櫓のマークがあります。
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僕にとっては縁がありすぎる『早春』に、ちらりとはいえ武蔵新田のことが入り込んでいるとするとちょっとすごすぎますね。


次回は「サロン ひとみ」があった場所を確認してみます。


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by hinaseno | 2017-01-16 14:22 | 雑記 | Comments(0)