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by hinaseno
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武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その3)


川本三郎さんの『東京の空の下、今日も町歩き』の「『池上』『千鳥』『蒲田』慎ましく懐かしい、水郷の町の面影」と題されたエッセイで前回引用した部分を改めて。


 (池上線の)池上線の次が千鳥町駅。”ローカル私鉄”は駅と駅の間隔が短い。この駅は大正12年開設当時は、光明寺の参道にあたるので「光明寺前駅」と名付けられたが、昭和のはじめ慶應のグラウンドが作られたのをきっかけに「慶大グラウンド前」と改められた。
 グラウンドは千鳥駅町と目蒲線の武蔵新田駅のあいだ、千鳥小学校のあたりにあった。当時は野球といえばプロ野球ではなく六大学野球。特に慶應は人気があった。

このあとこんな話が続くんですね。


練習場が近くに出来たというので、松竹蒲田の女優たちは、こぞって慶應ファンになった。そのひとりが日本最初のトーキー映画、五所平之助監督『マダムと女房』(昭和6年)に主演した松竹のスター、田中絹代。
 新藤兼人『小説 田中絹代』によると、この愛らしい若手スターはのちに巨人の監督となる慶應の三塁手、水原茂の熱烈なファンになり、その練習を見たいためにわざわざ武蔵新田駅に近い矢口町に引越しをしたという。
 このロマンスは、いまふうにいえばワイドショー的な話題になったが、長くは続かなかった。田中絹代のほうがふられたらしい。

僕が田中絹代を意識するようになったきっかけは、大瀧さんが『秋立ちぬ』とともに研究した成瀬巳喜男の『銀座化粧』を見てからでした。大瀧さんがきっかけになるとなにもかもがかけがえのない存在になってきます。

で、その田中絹代は一体どこに住んでいたんだろうと思って調べたらあっさりとわかりました。

「矢口町323番地」

先日貼った昭和24年となっているけれどもおそらく昭和15年以前に測量されているはずのこの地図には「323番地」は書かれていませんが「320番地」と「325番地」を下丸子駅の近くに確認することができます。これがそのあたりを拡大したもの。

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ということでこのあたりをストリートビューを使って例によってバーチャルウォーク。まず降り立ったのは「頓兵衛地蔵」。なんと今もあるんですね。

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この「頓兵衛地蔵」の前の道は昔からあるようで、この道を下丸子駅の方にてくてくと向かいました。で、田中絹代さんの家があったのはどうやらこの左のマンションが建っている場所かあるいはその向こうの空き地(現在は何か家が建っているかもしれません)になっているあたりのようです。

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ついでに下丸子の駅まで。

川本さんのエッセイでは下丸子駅についてこんなことが書かれています。


 多摩川駅で乗り換え、多摩川線(目蒲線のことですね)に乗って三つめの下丸子で降りる。この電車は東京の私鉄のなかでもどこかローカル線の趣があり駅も小さい。いまだに木造の駅舎のところが多い。東京のはずれにかすかに田舎が残っている。
 下丸子の駅はなかでも面白い。駅舎の屋根の上になぜか物干台が設けられている。寝泊まりする駅員のためのものだろうか。
 下丸子駅の開設は大正13年5月。当初は農家や、多摩川の砂利を採取する人の家がある程度だったが、やがて蒲田にできた松竹の撮影所(大正9年設立)に関係する映画人が住むようになり、にぎやかになった。
 このことは目蒲線、池上線の沿線全体についていえる。このあたりは、松竹蒲田との縁が深いのである。

このあとに小津安二郎の『生れてはみたけれど』という映画に触れています。そこでは「池上線の沿線で撮影された」と書かれていますが、平川克美さんが隣町探偵されて池上線だけでなく目蒲線の沿線でも撮影されていたことを明らかにされたんですね。

ところで、川本さんが2002年ごろに行かれたときには駅舎の屋根の上に物干台があったという下丸子駅。今は残念ながら新しい駅舎に建て替えられて物干台はありませんでした。


そんな感じで、川本さんのエッセイを読んだりしながらストリートビューを使って下丸子の駅のあたりをうろうろしていたのが大晦日の日。そしたらその日に内田樹先生が久しぶりにブログを更新されたんですが、冒頭、最初に書かれていたのが昨年亡くなられた内田先生のお兄さんのこと。その中に「下丸子のあの小さな家でのさまざまなささやかな出来事を記憶しているのがもう自分ひとりしかおらず」とあってびっくり。

内田先生は下丸子の生まれだったんだ。

内田先生が下丸子、石川さんが武蔵新田、そして平川克美さんが千鳥町。なんということだろう。すごすぎる。


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by hinaseno | 2017-01-07 12:58 | 雑記 | Comments(0)