Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー

God Be With You Till We Meet Again(その2)


ストリートビューを使って石川さんの実家からティールグリーンのあるあたりまでバーチャルウォークをしていたときに、実はその整然としすぎている街並みに少し疑問を感じて、例によってちょっと調べたらその理由がわかりました。かなりびっくり。あのあたりはまさに、”あれ”があった場所だったとは。それについてはまた改めて。


さて、昨日貼った写真に写っている煉瓦のこと。

その前に、前置きがながくなりますが、昔書いただるまストーブのことから。

石川さんの昔からの友人である平川克美さんが朝日新聞で連載していた「路地裏人生論」を読んで武蔵新田のことをはじめて意識したが2013年1月19日のことですが、その月の初めの1月4日のブログから2回に分けて書いたのが実家の工場に置いていただるまストーブの話でした。自分で言うのもなんですが、結構気に入っています。


このだるまストーブの話の中で何度か「職人さん」が登場しています。僕にとってのだるまストーブの思い出はその職人さんと過ごした時間と結びついているんですね。

その職人Hさんは父親に指導を受けて大工になったのですが、もともと器用だったようで、ある時期からは細かい仕事はそのHさんがするようになっていました。欄間の彫刻彫りなんかもしていたこともあってそれは見事なものでした。

Hさんは体ももちろん丈夫でしたが、ただひどく寒がりだったので冬場になると細かい作業をするときにはだるまストーブにくっついて仕事をしていました。

僕は父親が配達に出ていないときに、ときどき工場に行ってだるまストーブのところのHさんのそばに座って、Hさんのしている作業やストーブの中の火を眺めるという時間を過ごしていました。ときにはストーブの上で餅を焼いていっしょに食べたりもしました。

大工関係の人というのは大声でどなりちらすようなしゃべりかたをする人が多くて、僕は昔から父親も含めてそういう人たちをひどく嫌っていた(恐れていた)のですが、Hさんだけは普通に静かに話す人だったので、自然に近づくようになったようでした。何を話していたかはほとんど覚えていないけれど、とにかくそこで過ごす時間が大好きでした。


そのHさんも父親が仕事をやめてからは家に来ることもあまりなくなり、滅多に出会えなくなりましたが、それでもときどきは家にやってきて父親ができなくなってしまったことをやってくれていました。

最近になってわかったことですが、父親とHさんと、何人かの大工関係の人で実家のいくつかの場所に手を入れる話が進んでいたのに、それぞれの人の都合が合わなかったり、何よりも父親の痴呆がすすんだために立ち消えの状態になっていたんですね。なかでも小屋と駐車場を兼ねていた建物がかなり荒廃が進んでいて、危険なのでなるべく早く倒しておいたほうがいいということになっていたようですが、その話を父親にしたら業者に頼んだ方がいいと言いながら一向に前に進める気配もなく日は過ぎて行きました。

で、ある日、Hさんがやって来たときにそれを話したら僕と一緒にやろうかということに。正直、僕がどれだけの手伝いをできるかはわからなかったのですが、Hさんが高いところに上がっている時には脚立を支えるとか、危険でない場所での釘抜きとか、たいしたことはできないだろうと思いつつ、でも他の人をあてにすることもできなくなっていたので2人でやることに決めました。


それを決めたのが今月の初めの12月1日。最初は一旦は僕がゆっくり手伝える土日で作業をしようということに決まったんですが、土曜日におひさまゆうびん舎での世田谷ピンポンズさんのライブがあることを思い出して、「ちょっと土曜日は出かける用事があるんだ」と言ったら「じゃあ、今日、わしができることをやっとくわ」ということで、早速その日の午後、まだ僕が食事をしていたときにやってきて一人で作業を始められました。

その作業の音を聞きながら急いで食事を済まして、作業をしている小屋のすぐそばの部屋で作業用の服に着替えていた時に突然、どすんというとても嫌な音がしました。そしてその音をきっかけにして鳴り響いていた作業の音もすべてなくなりました。これほどに嫌な沈黙を経験したのは初めてでした。


[PR]
by hinaseno | 2016-12-27 13:20 | 雑記 | Comments(0)