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by hinaseno
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「ティーンエイジ・トライアングル Vol.0」の物語へ


前回まで「アメリカン・ポップス伝パート2 第5夜」の文字起こしを3回に渡って行ってきました。文字起こしをしたのは50分のプログラムのちょうど30分のところまで。このあとエルヴィス、そしてパット・ブーンの話になっていき、それはそれでまた興味深い話が続くのですが、今回のブログのテーマであるボビー・ダーリンとアル・カイオラの話からはそれてしまうので残りの20分間の文字起こしは省略することにします。


前回のブログのタイトルにもしたように、60年代ポップスのサウンドの原点となったのはポール・アンカの「ダイアナ」と、曲をプロデュースしたドン・コスタと、あのフレーズをギターで演奏したアル・カイオラだったという大瀧さんの指摘は、そのあとにかかった曲を聴いてわかるように本当に鋭いというか衝撃でした。

ただ僕なりに補足をすれば(もちろん大瀧さんはそれを十分に理解されていたわけですが)アル・カイオラが「ダイアナ」でやったギター・フレーズをそのまま演奏したボビー・ダーリンの「ドリーム・ラヴァー」と、さらにその「ドリーム・ラヴァー」でピアノを弾いたニール・セダカが同じサウンド(ギターがアル・カイオラだったかどうかは不明)を使って作った「オー!キャロル」の2曲が大ヒットしたというのがアメリカン・ポップス的にはとりわけ重要だったように思います。

でも、「アメリカン・ポップス伝パート2 第5夜」ではおそらく時間の関係もあって大瀧さんはその部分をさらっと流しただけでした。もちろんこのプログラムを作った時すでに、その部分に焦点を当てた特集を後日組むことを考えていたにちがいありません。それが「アメリカン・ポップス伝パート3 第2夜」でした。全20回の「アメリカン・ポップス伝」のプログラムの順序で言えば、この日の放送の2回後のこと。


「アメリカン・ポップス伝パート3 第2夜」のテーマはボビー・ダーリン、ニール・セダカにコニー・フランシスを加えた3人組の物語。さらにこの3人の共通人物であるアルドン・ミュージックのドン・カーシュナーも含めて、大滝さんはこの日の特集のタイトルを「ティーンエイジ・トライアングル Vol.0」と名付けました。実質的にはこの3人こそがアメリカン・ポップスの原点であるということですね。

ということで次回からは「アメリカン・ポップス伝パート3 第2夜」の文字起こしをしようと思います。そちらは全文文字起こしする予定なので何日かかるやらです。


最後にそれを書き起こす前にいくつか補足的なことを。

「アメリカン・ポップス伝パート2 第5夜」の文字起こしした部分の最後にバディ・ホリーの話が出てきます。彼の亡くなり方が神話的だったために、映画『アメリカン・グラフィティ』でも語られるように「バディ・ホリーが死んでロックンロールが死んだ」という言葉が定説のようになってしまっているのですが、大滝さんはそれに異を唱えていますね。58年暮れにはバディ・ホリー自身もロックンロールからポップスへの路線変更をしていたと。これもとても重要な指摘。

前回の文字起こしした部分の最後にかかったのはバディ・ホリーの「It Doesn't Matter Anymore」(作曲はポール・アンカというのがとても興味深いですね)。これが録音されたのが1958年10月21日。場所はニューヨーク。

実はこの日録音された4曲はどれも素敵な曲ばかりなんですね。「It Doesn't Matter Anymore」の他にはバディ・ホリー自身が書いた超名曲「True Love Ways」、ブライアント夫妻が曲を書いた「Raining In My Heart」、そしてノーマン・ペティが曲を書いた「Moondreams」。

で、注目すべきはこの日のセッションでギターを弾いていたのがまさにアル・カイオラ。あの♫ドンドコランカンタンカンタンカン♫は聴かれませんが、でも、バディ・ホリーがあの飛行機事故で亡くなる3ヶ月前に録音されたこれらの曲でアル・カイオラがギターを弾いていたというのはとても興味深いことですね。


ところでバディ・ホリーとボビー・ダーリンは58年頃にはかなりの親密な交流があったようで、バディ・ホリーが58年の7月にニューヨークで録音した2曲(「Early In The Morning」と「Now We're One」)はいずれもボビー・ダーリンの曲。2曲ともロックンロールですね。

で、あのバディ・ホリーとリッチー・ヴァレンスビッグ・ボッパーの3人が飛行機事故で亡くなった59年2月のツアーにどうやらボビー・ダーリンも誘われていたようです。結果的にはそれ以前の約束があったためにボビー・ダーリンは断ったようですが、もしもボビー・ダーリンがこのツアーに加わっていたならば「Dream Lover」は生まれなかったかもしれません。「Dream Lover」のデモが作られたのはまさにその59年2月のことでした。ここで亡くなっていたらボビー・ダーリンはバディ・ホリーほどの語られるべき神話もないままで終わるミュージシャンになっていたでしょうし、なによりもその後の魅力的なアメリカン・ポップスの重要な部分が欠けたことになっていたかもしれません。


そういえば『アメリカン・グラフィティ』といえば、この日のブログでも紹介したこの会話も心に残ります。

「君、コニー・スティーヴンスにそっくりだね」
「ホントにそう思う? でも、私はサンドラ・ディーに似てるかなって思ってるけど」

このサンドラ・ディーと結婚したのがまさにボビー・ダーリン。結婚したのは1960年のこと。これを踏まえた上での「ティーンエイジ・トライアングル Vol.0」の物語を次回から。

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by hinaseno | 2016-11-19 14:08 | ナイアガラ | Comments(0)