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ポール・アンカの「ダイアナ」のギターを弾いていたのがアル・カイオラ


アメリカン・ポップス伝パート2第5夜(2)

さて、58年になってようやくニューヨーク生まれのロックンロール・サウンドが登場したわけですけれども、それ以前のニューヨークはドゥーワップ・グループの花盛りだったんですね。パート1の1回目で聴いていただきましたけれども、54年のこの曲がブームの火種になったと一般的なロックの歴史本では言われております。

THE CREW-CUTS / Sh-Boom

アトランティック・レコードのコーズ(The Chords)の曲を白人グループがカバーしてPopチャートの1位になったんですね、このクリュー・カッツですけれども。
この1位というのがキーポイントなんです。というのもここまで大ヒットしますと業界は無視できないんですね。そこで続々と白人のR&Bのカバーが登場したということですね。フォンテイン・シスターズ(The Fontane Sisters / Hearts of Stone)もマクガイア・シスターズ(The McGuire Sisters / Sincerely)も聴いてもらいました。
そうしますと白人シンガーでもドゥーワップ・スタイルでデビューを飾るという人が出てきます。

NEIL SEDAKA / While I Dream

歌っているのはニール・セダカですね。彼も56年がデビューなんですね。初ヒットが出るのが58年の12月ですから、彼も2、3年間の潜伏期間があったということですね。
で、このドゥーワップの流れに新星が登場します。これがなんとチャートに登場したのが「ハートブレイク・ホテル」と同じ56年の1月のことでした。

FRANKIE LYMON & THE TEENAGERS / Why Do Fools Fall in Love

R&Bでは当然のごとく1位だったんですけれどもPopでも6位を記録しましたね。R&Bチャートでは「ハートブレイク・ホテル」は3位でしたから、ニューヨークではこちらの方に人気が集まっていたということですね。リード・シンガーのフランキー・ライモンはこのときなんと13歳です。まあ実際は14だったと自分では言っているようですけど。まさにティーンネイジャーズ(The Teenagers)だったわけですね。
このドゥーワップ人気というのはアラン・フリードなどの有名DJの力が大きいんですね。白人家庭の子供たちもこのような音楽を知ってしまったので、大人が聴いているようなのんびりした歌はもう聴いていられなくなったということですね。
で、このようなブームの中に単にコーラスだけでなくドゥーワップにラテン・フレーバーを入れた楽曲が登場します。すでにペレス・プラードの「マンボ」なんかが大流行してましたからね。頭にターバンを巻いたターバンズというグループがあるんですけれども、ラテン・フレーバーを入れた大ヒット曲を出しました。55年のことでした。

THE TURBANS / When You Dance

この曲、R&Bチャートでは3位と大ヒットして、Popでは33位だったんですけれども21週間もチャートされました。ですから5ヶ月間もチャートされたということですね。根強い人気があってこのタイプのサウンドが流行し始めました。
56年になりましてフォー・ラヴァーズがこのタイプに挑戦しました。

THE FOUR LOVERS / You're the Apple of My Eye

「冷たくしないで」のオーティス・ブラックウェルの曲なんですけれども、Popで62位にチャートされました。リード・ヴォーカルはフランキー・ヴァリ。彼の声がついにチャート上で聴けたのは、ここから6年後の1962年のことでしたね。グループ名はフォー・ラヴァーズからフォー・シーズンズと変わっておりましたけどね、そのときは。
次もまた同じタイプの楽曲です。グループ名はグラジオラス。

THE GLADIOLAS / Little Darlin'

「リトル・ダーリン」ですね。グラジオラスでした。このグループのリーダーのモーリス・ウィリアムス(Maurice Williams)が作った曲です。この曲をカナダ出身のコーラス・グループがカバーしました。

THE DIAMONDS / Little Darlin’

クリュー・カッツと同じカナダ出身のダイアモンズ。Pop、R&Bともに2位になりました。このサウンドのラインを受け継いでダイアモンズと同じくカナダ出身の若者が自作の曲でデビューします。57年7月に登場したときに、この若者は当時14歳でした。

PAUL ANKA / Diana

この「ダイアナ」はPopでもR&Bでも1位になったんですね。当時日本にポール・アンカ・ファンクラブというのがありまして、そのメンバーだった朝妻一郎さんはこのサウンドが自分の青春の音だと語っておられますが。
フランキー・ライモンが13歳、ポール・アンカは14歳と、1年前のエルヴィスが21歳ということで業界は驚いたばかりだったんですが、13と14が出てきたんですね。
56年のエルヴィスの21歳というのが驚異的だったということは他のベテラン勢の年齢を見るとわかるんですね。シナトラが当時41、ペリー・コモ44、ビング・クロスビーに至っては55ですから、チャートNo.1獲得者としてはエルヴィスの21歳というのは驚異的だったんです。そこへ今度は一気に13、14ですからね。でまた11歳になっていたブレンダ・リーもこの頃にチャートに登場していますから、まさにここからティーンネイジャーの時代が始まりました。
ポール・アンカのサウンドを作ったのはドン・コスタ(Don Costa)です。ベースとバリトン・サックスのユニゾンというのが特徴と言われてるんですね。♫ボン・ツ・トン・ボ・ボ・ボ・ボン♫というのをベースとバリトンがユニゾンでやると。
さらにこれまで打楽器が♫トントコランカントンコンタンタン♫とやっていたんですけれども、ユニークだったのはギターがそのリズムを担当してメロディを付けていたんです。ギターでね。♫ドンドコランカンタンカンタンカン♫っていうやつ。で、これを弾いていたのがアル・カイオラなんですね。

(注)この日のブログでも書いたように、ポール・アンカの「ダイアナ」でアル・カイオラが弾いたギターフレーズがいかにアメリカン・ポップスにおいて重要であったかはこの後大瀧さんによって示されることになるのですが、偶然にも今夜BS-TBSで放送される「SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜」という番組で取り上げられるのがまさにポール・アンカの「ダイアナ」。1週間前に亡くなったアル・カイオラの話が出るかどうか楽しみです。
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by hinaseno | 2016-11-16 12:10 | ナイアガラ | Comments(0)