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by hinaseno
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「アル・カイオラはニューヨークにおける最初のロックンロール・ギタリスト」


アメリカン・ポップス伝パート2第5夜(1)

アメリカン・ポップス伝パート2、本日は今シリーズの最終回。引き続きましてニューヨークのお話からですが、1956年エルヴィスが「ハート・ブレイク・ホテル」で登場したときと全く同じ時期にニューヨークのデッカ・レコードから新人がデビューしておりました。

BOBBY DARIN / Silly Willy
(注)「Silly Willy」は例のフォーク・ソングをカバーした「Rock Island Line」に続く2枚目のシングル。

歌っているのはボビー・ダーリンです。作詞がドン・カーシュナー、作曲がボビー・ダーリンの自作の歌なんですが、デビューの頃はフォークソングとかカリプソを歌っていたようですね。ボビー・ダーリンはレコードのデビュー前はCMのジングル制作などを行なっていて、そこで同じ仕事をしていたコニー・フランシスと知り合いました。そしてカーシュナー、ダーリンのコンビが彼女に曲を贈りました。

My First Real Love / CONNIE FRANCIS

これはコニー・フランシス4枚目のシングルとして発売されたんですけども、バックコーラスがずいぶん♬ワワワ♬と言ってましたが、これはどうやらボビー・ダーリンが一人で歌っていたそうです。
で、この後、アトランティック・レコードとボビー・ダーリンは契約するんですが、とにかく器用な歌手なんですね、ボビー・ダーリンというのは。なんでも歌える。それでアトランティックとしてはどの路線で売り出そうかということで、最初はやはりエルヴィス路線を考えたようなんですね。というのが最初のレコーディングはナッシュビルのブラッドリー・スタジオで行われていたんです。

BOBBY DARIN / I Found a Million Dollar Baby
(注)「I Found a Million Dollar Baby」の作曲はハリー・ウォーレン。1931年に発表されています。その年に録音されたこれが大ヒットしたとのこと。

ロックンロール・タイプの曲ではなくて、古いポピュラーソングの新しい解釈というのがいかにもアトランティックらしいけれども。
スタジオはナッシュビルのブラッドリーで、さらにジョーダネアーズがバック・コーラスなんですね。ですからやはりここはエルヴィス路線を考えていたんだと思います。このジャズ路線は後にボビー・ダーリンの新境地を開拓することになるんですけれども、まあ、これはあとのことです。
(注)ボビー・ダーリンのジャズ路線の話が出てくるのが半年後に放送された「アメリカン・ポップス伝パート3 第2夜」。

ということで、アトランティック内部でボビー・ダーリンはジャズでいくのかロックでいくのかという分裂がありました。アトコ・レーベルの責任者ハーブ・アブラムソンとプロデューサーのジェリー・ウェクスラーはロックンロール路線に大反対でした。それを押し切ったのは社長のアーメット・アーティガンで「天の声で振り切った」というふうに言われています。それがロックンローラー、ボビー・ダーリンを誕生させました。

BOBBY DARIN / Splish Splash

(ジェリー・リー・ルイスの)「Great Balls of Fire」ですよね、これね。
お聴きの通りステレオなんですね。これはロックンロール・レコードとして初めてステレオ盤で売り出された曲だとも言われています。やはりこれはトム・ダウドが8チャンネル・レコーダーを持っていたからだと思うんですけどね。ヒット曲のタイトルが織り込まれていたこの曲はPop3位でしたがR&Bではナンバー1でした。やはりアトランティックはこの分野での販売力が強かったということなんですかね。
アトランティック・レコードがエルヴィスを買い損なったということは何度も申し上げましたけれども、それの答えがこれだったのではないかと思いますね。アトランティック初の白人ロックンローラーとなったわけですね、ボビー・ダーリンは。
で、彼はニューヨーク初のロックンローラーになったと言ってもいいと思うんですね。ニューヨークの音楽産業というのは巨大ですから、エルヴィスが登場して続々ロックンローラーが出てきてもニューヨークから見ればごく一部なんですね。ニューヨークのルーレット・レコードとかケイデンス・レコードがありますけども、原盤は地方で作っていたもので、ニューヨーク製作のロックンロール・レコードというのはほとんどないわけです。またさらにこの頃はニューヨークにいいロックンロールのギタリストがいなかったということもありましたね。それからエルヴィスから解放されたリーバー&ストラーが58年にニューヨークにやってきたということもニューヨークのロックンロール・シーンにとっては大きかったのではないかというふうに思います。コースターズとこのボビー・ダーリンのミュージシャンは似たような人たちがやっておりました。
さて、ボビー・ダーリンの次の曲がロックンローラーとして決定づける曲となりました。ギターを弾いていたのはアル・カイオラです。

BOBBY DARIN / Queen of the Hop

サックスはキング・カーティス。左で聴こえていたのがアル・カイオラでした。
これは58年10月、Popでは9位でしたがR&Bでは6位でした。あいかわらずR&Bの方が受けがよかったんですね。
アル・カイオラはホリー(バディ・ホリー)の名作「Rave On」のギターも弾いてるんですね。バディ・ホリーがニューヨークで録音したものです。ですからアル・カイオラはニューヨークにおける最初のロックンロール・ギタリストと言っていいでしょうね。
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by hinaseno | 2016-11-15 12:52 | ナイアガラ | Comments(0)