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ボビー・ダーリン、そしてアル・カイオラのこと


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大好きなギタリストのアル・カイオラが今月の9日に亡くなったということを昨日知りました。96歳だったとのこと。というわけで急遽予定を変更。ペリー・ボトキン・ジュニアのことやロビン・ワードの『ワンダフル・サマー』のことはまた後日に。先日亡くなったボビー・ヴィーのことも書けないままでいるけど。

アル・カイオラのことはこのブログでも何度も書いてきました。改めて自分のブログを確認したら、なんとブログを始めて5日目に彼のことを書いていたことがわかりました。その翌日も。
そのときのブログで書いているように、アル・カイオラのことを強く意識するきっかけとなったのは今から4年前の2012年に放送された大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝パート2 第5夜」でした。この日のプログラムは8月31日深夜(正確には9月1日午前0時)の放送予定でしたが、放送直前にフィリピン近海で大きな地震が起きたために1週間延期されることになったんですね。実際には大事には至らなかった地震でしたが、まだ東日本大震災の津波の記憶も新しかったので、放送が中止になってしまったのも仕方がないことだったかもしれません。
で、放送されたのが1週間後の9月7日(9月8日午前0時)。この日の放送ではいろんな人が登場したのですが、とにかくアル・カイオラがあまりにも衝撃(笑撃)だったのでそれを書いたんですね。
僕のブログは2012年の9月4日に始めたので、もし予定通りの日に放送されていればアル・カイオラのことは書かなかった可能性があります。その意味でもアル・カイオラに対してはどこか運命的なものを感じています。

で、この日の放送は本当に何度も聴いたのですが、つい先日も聴き返したばかりでした。
きっかけはボビー・ダーリン。
先日文字起こしした「アメリカン・ポップス伝パート4 第3夜」にボビー・ダーリンが唐突に登場したので、それ以前の放送で彼について語られたものを聞き返したくなったんですね。それが「アメリカン・ポップス伝パート2 第5夜」でした。興味深いのはアル・カイオラの話はボビー・ダーリンがらみで出てきたこと。ボビー・ダーリンがいなければ、というかアル・カイオラがいなければアメリカン・ポップスは生まれていなかったかもしれないと思ってしまうほどです。
大瀧さんのアメリカン・ポップス伝の中心にいたのは言うまでもなくエルヴィス・プレスリーでしたが、ボビー・ダーリンこそが陰の中心人物と言ってもいいような気がしました。
ちなみにボビー・ダーリンは「アメリカン・ポップス伝パート3 第2夜」にもこの日のプログラムの主役の一人として登場します。
本当は「アメリカン・ポップス伝パート2 第5夜」の流れで1960年代ポップスへと入ってほしいのに、大瀧さんは何度も後戻りしているんですね。彼には重要な繋がりがいくつもあって、それを確認しておかなければいけないと思わせる存在だったことがわかります。
先日文字起こしした、アメリカのマッカーシズムに触れられた「アメリカン・ポップス伝パート4 第3夜」のプログラムを作るきっかけはいろいろとあっただろうとは思いますが、もともとにあったのはなぜボビー・ダーリンのデビュー曲がフォークソングだったのかという疑問から始まったのかもしれません。

というわけで、次回から「アメリカン・ポップス伝パート2 第5夜」と「アメリカン・ポップス伝パート3 第2夜」のボビー・ダーリンとアル・カイオラに触れた話の文字起こしをしようかと思います。
文字起こしはもちろん大変ですが、大瀧さんの声を聴きながら文字に直していくと言う作業はまるで写経をしているような感じで、心を鎮めてくれる効果があることもわかりました。

アル・カイオラが昨年1月に演奏している映像がありました。


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by hinaseno | 2016-11-14 12:47 | ナイアガラ | Comments(0)