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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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ライブラリーやアーカイブがいかに大切か


「アメリカン・ポップス伝パート4 第3夜」の文字起こし。いや、大変でした。これまで放送されたものの一部分くらいの文字起こしは何度かやりましたが一つの放送全部というのは初めて。放送は50分間でしたがどれだけの時間がかかったんだろう。
アゲインの石川さんは、「アメリカン・ポップス伝」が放送されたときには、毎回その日のうちに文字起こしをされていましたが(文字起こしだけでなく曲のリンクも)、それがいかに大変なことであるかがよくわかりました。睡眠時間を相当削ったはず。
でも、ただ聴くだけ、あるいは、人が起こししたものを読むだけでは絶対に気づけないようなことに気づくことができたのは大きな収穫でした。

いちばん驚かずにはいられないのは、番組のある部分でほんのちょっと語られたことが、必ずあとにつながっていること。50分の放送の中は言いつくせなかったつながりもいっぱいあるんだろうなと。おそらくそれはこれ以降の放送で語られることになったはず。

いくつか感想などを。
まずはハリー・ベラフォンテのこと。番組でもかかった「バナナ・ボート」はもちろんよく知っていましたが、たぶんいろんな替え歌を聴いていたせいか(♫今月ァ足りない借りねばならぬ♫は知らなかったけど)なんとなく冗談音楽のようにとらえてしまっていましたが、実はそれは労働歌と呼ばれるものだったんですね。
そのハリー・ベラフォンテさんの話で印象に残ったのが、彼が図書館でロマックス親子のライブラリーを勉強してフォークソングに興味を持ったというくだり。
このアーカイブを作ったのがレッドベリーなどの曲を録音したロマックス親子が作ったものであることがこの日の最初に示されていたこともあって、このくだりを聴いたときには感動すら覚えました。大瀧さんはアメリカン・ポップス伝でいろんな形の音楽のつながりを示してくれていますが、この日の放送で紹介されたのはロマックス親子のようにアメリカ中を走り回ってフォークソングを録音した人がいて、そのアーカイブを図書館がきちんと保管していて、それをだれもが聴けるようにしていて、音楽の世界で身を立てようとしている人がそれを聴いて学んでいたという形のもの。ここには音楽に限らず大切なことがいっぱい含み込まれています。
ちなみに僕のiTunesのライブラリーにはハリー・ベラフォンテさんの曲はクリスマスの曲が1曲だけ。彼のレコードもCDも1枚もありません。でも、この話だけでハリー・ベラフォンテという人にシンパシーを持ってしまいました。
それ以上にシンパシーを抱いたのはジョンとアランのロマックス親子ですね。彼らがいなければ、あの曲もこの曲も生まれていなかったんだなと考えると、彼らの活動がいかに重要なものだったかを思い知らされます。
ただ、そのアランも赤狩り旋風が吹き荒れていたときにはイギリスに逃げなくてはいけなかったという状況をあったとは。でもよくこのときに彼らの作ったライブラリーまで廃棄するという暴挙までにはいたらなかったんだなと胸をなでおろします。愚かな為政者や、そんな為政者に忖度する愚かな人たちはときにとんでもないことをするので。

そういえば一番腹立たしい思いを抱いたのは、赤狩りの標的にされたウィーヴァーズのカタログを所有していたデッカ・レコードが彼らのカタログを全曲削除したという話。面倒なことを避けようと思ったのかもしれませんが本当にひどい話です。

でも、これに似たことが最近日本でも頻繁に起こっていますね。例えばあるアーティスト、あるいは芸能人が何か犯罪を犯すと、そのアーティストが関わった作品を全て削除するという動き。これはあまりにもひどい。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、どうも最近は人を憎まなくてはいけないようになっていて(こういうのって容易に利用されます、というかされていますね)、結局企業側がそれを配慮するあまり作品をすべて削除してしまおうとする。作品には何の罪もないのに。そんなことをやっていたらブライアン・ウィルソンさんの作品なんて…、いやブライアンに限らず、ですが。

というわけで、この日の放送のいちばん感動的な場面はマッカーシーが失脚したあとに行われたウィーバーズの再結成コンサートですね。この場面は何度聴いても涙が出そうになります。
その一方で滑稽と思わざるを得なかったのがボビー・ダーリンのこと。ウィーヴァーズのカタログを全部削除したデッカ・レコードが赤狩り旋風が終わってフォーク・ブームがやってきたときにウィーヴァーズのカタログを再発するわけにもいかずに、デビューしたてのボビー・ダーリンに無理やりフォークを歌わせたこと。
これが失敗に終わったというのも音楽に神様がいるんだなという気がします。このあとボビー・ダーリンは自作の曲でヒット曲を出し、アメリカン・ポップスで最も重要なアーティストの一人になっていったわけですから。

そういえば番組ではかかりませんでしたが、ウィーヴァーズの再結成コンサートの3曲目に歌われたこの「Pay Me My Money Down」という曲。



どこかで聴いたことがあるなと思ったらビーチ・ボーイズがカバーしていた「Cindy, Oh Cindy」。



この「Cindy, Oh Cindy」という曲で最初に歌ったのがハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」がチャートに入る前に「バナナ・ボート・ソング」という曲を出していたタリアーズというグループだったこともわかりました。「Cindy, Oh Cindy」は「バナナ・ボート・ソング」の2ヶ月前にリリースしています。
ということで、タリアーズの「Cindy, Oh Cindy」を。



ビーチ・ボーイたちはもちろんフォークソングに大きな影響を受けていました。
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by hinaseno | 2016-11-07 12:53 | ナイアガラ | Comments(0)