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by hinaseno
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♫今月ァ足りない借りねばならぬ♫ ーーアメリカン・ポップス伝パート4 第3夜(最終回)


さて、労働歌というと、明けて57年、1月に初登場して2月には5位と大ヒットした労働歌がポップチャートに登場しました。

Banana Boat Song / HARRY BELAFONTE

まあ、この頃♫今月ァ足りない借りねばならぬ♫っていうふうに流行ったんですけどね。みんな「デイ・オー(Day-O)」と覚えていますがタイトルは「バナナ・ボート」。これを歌ったのはハリー・ベラフォンテ。デビューは古くて49年にレコードを出しています。そのあと図書館でロマックス親子のライブラリーを勉強してフォークソングに興味を持ったんですね。で、ヴィレッジ・ヴァンガードで歌うようになって、そこにレコード会社のディレクターが見にきて契約を結んで。で、54年にアメリカ文学の父と言われるマーク・トウェインをメインテーマに据えたファースト・アルバムを作りました。出したときはすぐには売れませんでしたが、2年後の56年、これまた1956年なんですね、突然チャートの3位を記録したんです。シングル・ヒット全くなくてアルバムが3位というのはこれはおそらく当時のポップ史上初めてのことだったと思いますね。
で、1か月後に発売された2枚目のアルバムは1位です。100万枚以上売り上げました。3枚目のアルバムもまた1位。56年には2枚のゴールドディスク・アルバムを獲得したんですからものすごいブームでした。この年はエルヴィスもゴールドディスク2枚でしたから、アルバム・チャートではエルヴィスとハリー・ベラフォンテは互角の戦いをしていたわけです。翌57年の4枚目は2位でしたがゴールドディスクを獲得しています。とにかくこの頃はベラフォンテ・ブーム、カリプソ・ブーム。以前のマンボーのようにカリプソーという言葉が流行語になっていろいろなところで使われました。

Day Dah Light / EDRIC CONNOR

カリプソーとして流行しましたが実際はメント(Mento)と呼ばれる音楽形式で、ベラフォンテのバージョンは今かかっておりましたところのエドリック・コナーのもとに、さらに次のルイ・ベネットのバージョンを加味したものだと言われています。

Day Dah Light / LOUISE BENNETT

「デイ・ダー・ライト」でした。実はベラフォンテの「バナナ・ボート」がチャート・インする2週間前にタリアーズが「バナナ・ボート・ソング」というタイトルでレコードを出しておりました。

The Banana Boat Song / THE TARRIERS

このタリアーズのリーダーはエリック・ダーリン(Erik Darling)。ウィーヴァーズに影響を受けて56年にタリアーズを結成しました。彼らの「バナナ・ボート・ソング」の方がベラフォンテの「デイ・オー」よりも一つ上の4位にチャートされました。
このタリアーズのリーダーのエリック・ダーリン、彼はピート・シーガーがウィーヴァーズを抜けたときにウィーヴァーズのメンバーになりました。で、そのあと作ったブループがルーフトップ・シンガーズ(THE ROOFTOP SINGERS)でした。

注:ここで大瀧さんはおそらくルーフトップ・シンガーズの代表曲、例えば「Tom Cat」か「Walk Right In」をかける予定だったのではないかと思いますが、入れ忘れたか、あるいは編集の過程で誤ってカットしてしまったのではないかと思います。
で、かかったのはこの曲。

Marianne / THE EASY RIDERS

このカリプソブームやフォーク復活の動きは徐々に他の会社も参加してくるんですね。まずはCBSのミッチ・ミラー。今かかっている「マリアンヌ」を歌っているのはイージー・ライダースです。この曲はカリプソ作家として有名なローリング・ライオン、吠えるライオンですかね、この曲をもとにしています。

Mary Ann / ROARING LION

イージー・ライダースのリーダー、テリー・ギルキーソン(Terry Gilkyson)は作家として活動するかたわら、50年代初期にはウィーヴァーズに呼ばれてゲスト・シンガーとして時々歌っていました。まあ、もともとフォークに縁があったわけですね。そして56年にイージー・ライダースを結成して、この♫All day all night, Marianne♫は4位の大ヒットとなりました。
ではもう1曲イージー・ライダースの曲を聴いてみましょう。

Green Fields / THE EASY RIDERS

この曲はのちに同じCBSのフォーク・グループ、ブラザース・フォアがカバーして大ヒットさせましたが、オリジナルはこのイージー・ライダースでした。

ここまではフォーク関連のアーティストでしたが、いよいよポップ側からのアプローチも始まります。
57年に「ハニーコーム」というナンバー・ワン・ヒットがありました。

Honeycomb / JIMMIE RODGERS

これを歌っていたのはジミー・ロジャース。彼はもともとフォークシンガーになりたかったという人で、第2弾シングルに選ばれたのはウィーヴァーズのレパートリーだった「キッシーズ・スイーター・ザン・ワイン」。

Kisses Sweeter Than Wine / JIMMIE RODGERS

だんだん上がっていく構成なので、なかなかカットしづらい曲なのですが、邦題は「ワインより甘いキッス」という、これが第3位のヒットとなりました。レコード会社はギャンブラーのジョージ・ゴールドナー(George Goldner)とモーリス・レヴィ(Morris Levy)が作ったルーレット・レコードです。この会社がフォークソングというジャンルに本格的に手を出してきたわけですから、ブームもそろそろ本格的になってきたということですね。
プロデューサーはヒューゴ&ルイージ(Hugo & Luigi)という、この2人はフォークソングというジャンルがヒット曲の宝の山であるということをしっかりと見抜いていたチームでした。
ヒューゴ&ルイージはこの後フォークだけでなく、60年代ポップスを作った重要なチームということになるんですけども、その話はまた次の機会ということで。
ジミー・ロジャースはこの後もトップ10ヒットを連発するビッグ・スターになったんですが、アルバムの中からの曲を聴いてみましょう。

Evergreen Tree / JIMMIE RODGERS
注:1番をすべてかけます。

日本ではクリフ・リチャードのヒット曲で有名ですが、オリジナルはジミー・ロジャースでした。作家はアーロン・シュローダー(Aaron Schroeder)とウォーリー・ゴールド(Wally Gold)の名コンビで、ポップスの作曲家たちもフォーク調の需要が高まってきたということでしょう。しかしジミー・ロジャースは自らをフォークシンガーと名乗って『Jimmie Rodgers Sings Folk Songs』とか『An Evening Of Folk Songs』とか、しっかりとフォークソングという文字を入れたアルバムを発表していきました。アルバムの中にはフォーク・グループのカンバーランド・スリー(The Cumberland 3)という、そこのメンバーの曲もありました。

Find the Girl / JIMMIE RODGERS

「ファインド・ザ・ガール」という曲ですが、作曲はジョン・スチュアート(John Stewart)です。1961年、キングストン・トリオのリーダー格のデーヴ・ガード(Dave Guard)が脱退して新メンバーとして加入したのがこのジョン・スチュアートでした。

Where Have All the Flowers Gone / KINGSTON TRIO

ようやく出だしのキングストン・トリオの話に戻ってまいりました、ってこれじゃあ「やかん()」だね、こりゃ。
ジョン・スチュアートが新加入した第2次キングストン・トリオがこの61年に吹き込んだのが「花はどこへ行った」でした。ヒットしたのはそれから3年後のことだったんですが、まあそのキングストン・トリオやそれ以降のフォーク・シーンについてはまた次の機会にお話しすることといたします。

※落語の「やかん(薬缶)」のことのようです。
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by hinaseno | 2016-11-05 11:53 | ナイアガラ | Comments(0)