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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

「ぼくは時々考える。今頃、くまくまちゃんは何をしているかな」


高橋和枝さんのイベントに来られていたのは、予想はしていたとはいえほとんどが女性。正直にいえば、僕も『くまくまちゃん』(ポプラ社 2001年)に関しては、ぱらぱらと絵を眺めていただけ。ただ、今回高橋さんにお会いできるということで、廃刊になっている『くまくまちゃん』を入手して読んだら、高橋さんが書かれた文も含めて素晴らしいんですね。大人の男が読んでもちっとも悪くない。
で、ふっと思ったのは、星野道夫がこれを読んだら喜んだだろうなということ。きっとくまくまちゃんのファンになっていたに違いないだろうと。
ただ、星野道夫は『くまくまちゃん』が出版される5年前に亡くなっていました。キャンプしていたときに、クマに……。

星野道夫という写真家、随筆家のことを知ったのは1996年の5月。ちょうど20年前ですね。
5月のよく晴れた日の朝、爽やかな風が部屋の中を吹き抜ける中、アルマンド・トロヴァヨーリを聞きながら僕は出たばかりの池澤夏樹の『未来圏からの風』という本を読んでいました。まさに、未来圏の風を感じながら。
この本では池澤さんがいろんな人にインタビューをしていて、その中のひとりが星野道夫でした。池澤さんはアラスカにある彼の家まで行ってインタビューをしたんですね。
僕はこれを読んで星野道夫という人に近しいものを感じ、いっぺんに彼のファンになり、当時出ていた星野の本や写真集をすべて買い集めました。といっても1996年の5月の段階で、星野道夫に関する本はまだそんなには出ていなかったけど。

そのインタビューで星野はこんなことを言っていました。

「まだ日本にいた頃、北海道のクマのことをすごく気にしていた時期がありました。自分はこうして東京で暮らしていて、それと同じ時に北海道にクマが生きている。クマは昔とまるで違わない生きかたをしている。そのことがものすごく不思議に思えたんです。それを見てみたい、クマから見えないようにこちらから一方的に見たいっていう憧れのような気持ちがあって、…」

星野の本の中でいちばんいいのは『旅をする木』というエッセイ集。いくつも好きな話があって、特にその中の「十六歳のとき」はコピーして15歳になった少年少女たちに読ませたものでした(そのうちのひとりがのちに大学でアラスカの研究をして卒論を書くためにアラスカまで行ったのにはびっくりしました。15歳の頃の彼はサッカーに夢中で、本なんか手に取るような子ではなかったけれど、読書感想文か何かを書くために星野道夫の本が読みたいと言ってきたので、僕は彼に『旅をする木』を貸していたんですね。そんな、すっかり忘れていたことを彼から聞いてすごくうれしくなって、僕は彼に持っていた星野の写真集の全てをプレゼントしました)。

『旅をする木』の中で一番好きなのが「もうひとつの時間」と題されたエッセイ。先程のインタビューで答えていたような話が出てきます。

...やがてぼくは北海道の自然に強く魅かれていった。その当時、北海道は自分にとって遠い存在だった。多くの本を読みながら、いつしかひとつのことがどうしようもなく気にかかり始めていた。それはヒグマのことだった。大都会の東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人込みにもまれている時、ふっと北海道のヒグマが頭をかすめるのである。ぼくが東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが日々を生き、呼吸をしている……確実にこの今、どこかの山で、一頭のヒグマが樹木を乗り越えながら力強く進んでいる……そのことがどうにも不思議でならなかった。

高橋さんの『くまくまちゃん』はまさにこれを絵本にしたような話だったんですね。語り手は「ぼく」。つまり男の子(いや、大人の男であってもちっともかまわない)。
こんな言葉から始まります。

ぼくの大好きなくまくまちゃんは、
山奥の小さな一軒家に住んでいる。

遠くて少し不便な場所だ。

ぼくは時々考える。
今頃、くまくまちゃんは何をしているかな。

「ぼくは時々考える。今頃、くまくまちゃんは何をしているかな」_a0285828_1322235.jpg

星野道夫が亡くなったのは、彼のことを知った3か月後のこと。新聞でその死を知らせるニュースを見たときには本当に驚きました。
その頃、本好きの人が集う場所にときどき行っていましたが、星野道夫のことを知っている人は誰ひとりいなくて、ずいぶんさみしい思いをしたことを覚えています。
でも、その後、星野道夫はそのあまりにも神話的な亡くなり方もあってか、次第に名前が広まっていって、本や写真集もあふれるほどに出て、今では小学校や中学校の教科書に彼の文章が載るようにまでなりました。
複雑な気持ちを抱きつつ、でも、ある時期までは出るものはすべて買ったかな、

そういえば星野道夫には『クマよ』(「たくさんのふしぎ」1998年3月号)という写真絵本があります。
亡くなった後に出版されたものですが、確か亡くなる前に企画されていたものだったように思います。今、読み返したら、これもやはり先程引用したのと同じような言葉から始まります。あの不思議な体験が星野道夫の原点になっているんですね。
「ぼくは時々考える。今頃、くまくまちゃんは何をしているかな」_a0285828_1324724.jpg

あまりにも日々の暮らしに忙殺されていると、自分が暮らしている同じ瞬間に、ほかの人が(ときにはよく知った人のことですら)別の場所で日々を生き、呼吸をしているってことを忘れてしまいがちになりますが、でも、人だけでなくていろんな動物たちもやはりいろんな場所で日々を生き、呼吸をしているってことを想像するのはいいものです。
高橋さんの『くまくまちゃん』を読んで、そんな大切なことを改めて気づかせてもらいました。
ほとんど星野道夫の話になっちゃったけれど。

今頃、高橋さんは何をしているかな。

そういえば、高橋さんのイベントの日に買った夏葉社の『ガケ書房の頃』で、著者の山下賢二さんがこんなことを書いていました。いい言葉だなと。

僕は、〈少しだけ不便〉ということの可能性を再確認した。

くまくまちゃんも「遠くて少し不便な場所」に住んでいます。
「ぼくは時々考える。今頃、くまくまちゃんは何をしているかな」_a0285828_1335145.jpg

by hinaseno | 2016-04-30 15:13 | Comments(0)