原節子さんを主演にした小津の『晩春』ではラストの方で面白い話が出てきます。原節子さんが結婚する相手の名前に関する話。
紀子三部作で原節子さんが結婚する(した)相手といえば、『東京物語』は「しょうじ(昌二)」、『麦秋』は兄「しょうじ(省二)」の友人である謙吉と「しょうじ」つながりになっているのですが『晩春』では「しょうじ」とは何の関係もない名前。
なんと「佐竹熊太郎(くまたろう)」。
『晩春』の原作は広津和郎の「父と娘」という作品なので、その作品に「熊太郎」の名が出てくるのかどうかはわかりませんが、これはたぶん脚本を書いた小津と野田高梧が考えたギャグのような気がします。
ちなみに熊太郎は、名前は辺ですが顔はゲーリー・クーパーに似ているとのこと。「こないだ野球映画に出ていた」と杉村春子が話していたので、何の映画だろうと調べたらどうやらこの『打撃王』という映画のようです。これですね。
僕はゲーリー・クーパーといえば何といっても西部劇の『真昼の決闘』。でも、『晩春』のときにはまだ公開されていなかったようです。
原節子演じる紀子はおばの杉村春子のすすめで熊太郎と見合いをすることになります。見合いの後、数日経っても紀子はいいともだめだとも返事をしない。父親の笠智衆(周吉)とおばの杉村春子(まさ)は気をもんでこんな会話をします。
この「クーちゃん」というときの笠智衆の顔が何ともおかしいんですね。どこまでまじめでどこまでギャグなのやら。
さて、話はころっと変わって(実は少しだけつながっているけど)、先日読んだのがこの『ノーラ、12歳の秋』という本。
12歳の少女が主人公の物語。作者はアニカ・トールという人。
この本を手に取ったきっかけは高橋和枝さん。先日紹介したように、今、姫路のおひさまゆうびん舎で「くまくまちゃん」の原画展を開催中です。最初の話は「くまちゃん」つながりでした。
先日、高橋和枝の作品をチェックしていたときに、ぱっと目にとまったのがこの『ノーラ、12歳の秋』でした。表紙の絵と挿絵を高橋さんが描いています。
高橋さんの絵はどれも繊細な優しさにあふれているのですが、作風はかなり幅があります。そんな中で一番惹かれた表紙がこれでした。
ちなみにこれが裏表紙。
小学校の秋の風景。これだけで切ない気持ちになってしまいます。淡い茶系で統一された色もいいですね。以前紹介した「月夜とめがね」もそうですが、高橋さんの作り出す色は本当に素晴らしい。
で、物語を読みながら挿絵を見ていたら、あることに気がついたんですね。もしや、これって、と。
で、確認したらやはり。
確認したのは夏葉社の島田潤一郎さんが書かれた『あしたから出版社』。
『あしたから出版社』は島田さんが大好きだった従兄が事故で亡くなりそうだという連絡が入る場面から始まります。
その頃島田さんは就職活動というか転職活動をいろいろとされていました。でも、うまくいかないことばかり。そんな中、ある一編の詩に出会います。ヘンリー・スコット・ホランドという神学者が書いた詩。この詩が従兄を亡くした島田さんの喪失感をなぐさめてくれたんですね。
ある日、叔父と叔母のためにその詩で本をつくることを思いつきます。それを手がかりにして未来を切り拓いていこうと。もちろんそのためには「いい本」をつくらなければならない。そして島田さんは「いい本」をつくるために出版社をつくる決心をします。それが夏葉社ですね。始めたのは2009年9月1日。
ちなみに僕も何か大きなことをスタートさせたのはたいてい9月1日。
さて、一編の詩から本をつくるとはいっても一体どうすればと悩み、作業は難航します。何かイラストをつけてみようかと。
で、何か参考になるような本がないかと自宅の本棚を探します。宮崎駿監督がテレビでいっていた「求めているものが見つからないときは、『半径3メートル』のなかで探すのがいい」という言葉を信じて。
で、見つけたのが『ノーラ、12歳の秋』だったんですね。
紀子三部作で原節子さんが結婚する(した)相手といえば、『東京物語』は「しょうじ(昌二)」、『麦秋』は兄「しょうじ(省二)」の友人である謙吉と「しょうじ」つながりになっているのですが『晩春』では「しょうじ」とは何の関係もない名前。
なんと「佐竹熊太郎(くまたろう)」。
『晩春』の原作は広津和郎の「父と娘」という作品なので、その作品に「熊太郎」の名が出てくるのかどうかはわかりませんが、これはたぶん脚本を書いた小津と野田高梧が考えたギャグのような気がします。
ちなみに熊太郎は、名前は辺ですが顔はゲーリー・クーパーに似ているとのこと。「こないだ野球映画に出ていた」と杉村春子が話していたので、何の映画だろうと調べたらどうやらこの『打撃王』という映画のようです。これですね。
僕はゲーリー・クーパーといえば何といっても西部劇の『真昼の決闘』。でも、『晩春』のときにはまだ公開されていなかったようです。
原節子演じる紀子はおばの杉村春子のすすめで熊太郎と見合いをすることになります。見合いの後、数日経っても紀子はいいともだめだとも返事をしない。父親の笠智衆(周吉)とおばの杉村春子(まさ)は気をもんでこんな会話をします。
まさ「あれで、紀ちゃん、つまんないことを気にしてんじゃないかしら」
周吉「何?」
まさ「名前、佐竹さんの」
周吉「佐竹熊太郎か」
まさ「うん、熊太郎……」
周吉「いいじゃないか熊太郎、強そうで……そりゃお前の方がよっぽど旧式だよ。そんなこと気にしてやいないよ」
まさ「だって、熊太郎なんて、なんとなくこの辺(と胸のあたりをさして)モジャモジャ毛が生えてるみたいじゃないの。若い人って案外そんなこと気にするもんよ。それに、紀ちゃんが行くでしょう? そしたら、あたし、なんて呼んだらいいの? 熊太郎さんなんて、まるで山賊呼んでるみたいだし、熊さんて言や八さんみたいだし、だからって、熊ちゃんとも呼べないじゃないの?」
周吉「うん。でも、なんとか言って呼ばなきゃ仕様がないだろう」
まさ「そうなのよ。だからあたし、クーちゃんて言おうと思ってるんだけど」
周吉「クーちゃん?」
この「クーちゃん」というときの笠智衆の顔が何ともおかしいんですね。どこまでまじめでどこまでギャグなのやら。
さて、話はころっと変わって(実は少しだけつながっているけど)、先日読んだのがこの『ノーラ、12歳の秋』という本。
12歳の少女が主人公の物語。作者はアニカ・トールという人。
この本を手に取ったきっかけは高橋和枝さん。先日紹介したように、今、姫路のおひさまゆうびん舎で「くまくまちゃん」の原画展を開催中です。最初の話は「くまちゃん」つながりでした。
先日、高橋和枝の作品をチェックしていたときに、ぱっと目にとまったのがこの『ノーラ、12歳の秋』でした。表紙の絵と挿絵を高橋さんが描いています。
高橋さんの絵はどれも繊細な優しさにあふれているのですが、作風はかなり幅があります。そんな中で一番惹かれた表紙がこれでした。
ちなみにこれが裏表紙。
小学校の秋の風景。これだけで切ない気持ちになってしまいます。淡い茶系で統一された色もいいですね。以前紹介した「月夜とめがね」もそうですが、高橋さんの作り出す色は本当に素晴らしい。
で、物語を読みながら挿絵を見ていたら、あることに気がついたんですね。もしや、これって、と。
で、確認したらやはり。
確認したのは夏葉社の島田潤一郎さんが書かれた『あしたから出版社』。
『あしたから出版社』は島田さんが大好きだった従兄が事故で亡くなりそうだという連絡が入る場面から始まります。
その頃島田さんは就職活動というか転職活動をいろいろとされていました。でも、うまくいかないことばかり。そんな中、ある一編の詩に出会います。ヘンリー・スコット・ホランドという神学者が書いた詩。この詩が従兄を亡くした島田さんの喪失感をなぐさめてくれたんですね。
ある日、叔父と叔母のためにその詩で本をつくることを思いつきます。それを手がかりにして未来を切り拓いていこうと。もちろんそのためには「いい本」をつくらなければならない。そして島田さんは「いい本」をつくるために出版社をつくる決心をします。それが夏葉社ですね。始めたのは2009年9月1日。
ちなみに僕も何か大きなことをスタートさせたのはたいてい9月1日。
さて、一編の詩から本をつくるとはいっても一体どうすればと悩み、作業は難航します。何かイラストをつけてみようかと。
で、何か参考になるような本がないかと自宅の本棚を探します。宮崎駿監督がテレビでいっていた「求めているものが見つからないときは、『半径3メートル』のなかで探すのがいい」という言葉を信じて。
で、見つけたのが『ノーラ、12歳の秋』だったんですね。