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by hinaseno

「杉山の中の一本松」(その2)


ちょっとはじめに断りのようなことを。
木山さんの話を書くと、つい「以前も書いたことですが」とか「何度も書いてきたことですが」みたいな言葉を書いてしまっていて、自分で書きながら煩わしく思えてきたので、木山さんの話に限らずなるべくそういうのはやめにすることにしました。
ということなので、今日書くことも以前に書いた話がいくつも出てきます。

『行列の尻っ尾』に昭和3年に書かれた「杉山の松」が出てきたので、おおっ、もしかしたら姫路の教師時代の話が出てくるかと思ったら、残念ながら出てきたのは”出石”の小学校に勤務していたときの話。
「残念ながら」というのは、木山さんが昭和2年から3年にかけて勤めていた荒川小学校には浅からぬ縁があったため。その縁に関しては秘密ということで今までここに書いたことはありません。でも、この縁なくして僕の木山捷平研究はありませんでした。
それから昭和3年から4年にかけて勤めていた菅生小学校には縁もなければ菅生という町にも行ったこともなかったのですが、不思議なもので木山捷平の研究を始めた途端に縁が生まれたんですね。姫路の木山さんに関しては、”呼ばれた”としか思えないことばかり。
こちらの縁は隠すことはないので。

僕に木山捷平という作家のことを教えてくれたのは、先日、世田谷ピンポンズさんがライブをされたたつの(龍野)の九濃文庫のYさん。おひさまゆうびん舎にはじめて夏葉社の島田さんがやって来られた日に、Yさんもいらっしゃってたんですね。その日が初対面。僕が岡山出身であるということを話したら「あなたと同じ岡山出身の作家で、一時姫路にいた作家がいるんですよ」と。それが木山捷平でした。
今考えると、岡山出身で姫路にもゆかりのある作家は他にも何人もいたはずなのに、Yさんの口から出たのは木山捷平の名前だけ。いや、もしかしたらもう一人だれか別の作家の名前を出されたかもしれません。でも、僕の心に残ったのは木山捷平だけ。
そして少し調べたらあまりに近い場所に暮らしていて、そして何よりも縁の深い荒川小学校に勤務していたこともわかって、これは!っということになったんですね。
一方、菅生小学校についてはまだそれほど意識していなかった頃、Yさんがその頃集め始められていた山高登装幀の本を僕もいくつか見つけることができたのでそれらをYさんにお渡ししようと思ったけれど、なかなか会える時間や場所が見つからず、結局、Yさんが仕事場になるんですが、ということでYさんの勤務地に行くことにしました。
Yさんから場所を聞いたときに、どこかで聞いたことのある地名だなと。それがまさに菅生でした。そのときのYさんが仕事をしていた場所は、木山捷平の勤務していた菅生小学校の目と鼻の先にあったんですね。
「菅生って、木山捷平がいた場所ですね」
といったら、Yさんは、少し考えられて、
「ああ、そういえばそうでしたね」と。

こういうのがYさんの意図したものならば面白くもなにもないのですが、これはまったくの偶然。木山捷平が菅生小学校に勤務していたことをYさんが知ったのはずっと前のことだったので、忘れられていたんですね。
そういえば先日のピンポンズさんのライブも、いろいろな方々の都合を考えた上で日にちを決めた後、実はそれがYさんの70歳の誕生日の日だったということがわかったとのこと。
Yさんは、不思議な何かを持っています。

その日、Yさんのいる場所に本をお持ちした後で、はじめて菅生小学校を目にし、数日後に改めて菅生の町を訪ねることになりました。

田圃の中にあるのが、木山さんが菅生小学校時代に下宿していた家。
「杉山の中の一本松」(その2)_a0285828_11481314.jpg

by hinaseno | 2016-02-27 11:48 | 木山捷平 | Comments(0)