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by hinaseno

サンディもシェリーもウェンディも、僕の彼女とは比べものにならない(最終回)


「Sandy(あるいは「Sherry She Needs Me」)」に関する記事を読むと、もともと歌詞がなく「Sandy」という仮のタイトルが付けられた曲に、1976年に録音したときにラス・タイトルマンが歌詞を付けて「Sherry She Needs Me」というタイトルにした、というのが見られることがありますが、これは1964年当時にラス・タイトルマンという人がいかに優れた作曲家であったかを知らない人の推測だろうと考えています。
「Sandy」のバッキングトラックを録音していたときに歌詞が完全にできあがっていたかどうかはわかりませんが、曲の歌詞はおそらくブライアンが書いたはず。改めて言うまでもありませんがブライアンは作曲だけでなく作詞もできる人。「Surfer Girl」も「I Get Around」も「Girls On The Beach」も「Wendy」も、あるいはシングルカットされた「There’s No Other」のA面である「The Little Girl I Once Knew」もすべてブライアンの作詞作曲でした。
ただ、サビの部分の名前をサンディ(Sandy)にするかシェリー(Sherry)にするか悩んだのかもしれません。
で、どうしようかと思っているうちに時が経って、いろんな事情から歌入れをすることができないままアルバム『Summer Days(And Summer Nights)』のレコーディング最終日の1965年6月4日がやってきます。この日にレコーディングしたのは「Sandy(あるいは「Sherry She Needs Me」)」の1週間後の4月8日にやはりバッキング・トラックだけ録音していた曲。それに詞を付けて歌入れをしたんですね。それが『Summer Days(And Summer Nights)』を代表する曲でもある「カリフォルニア・ガールズ」。
そして、この3日後の6月7日にグレン・キャンベルのシングル「Guess I’m Dumb」が発売。
『パーティ!』のレコーディングが行なわれたのはこの3か月後。
で、「There’s No Other」の録音をしていたときにブライアンの口から最初に飛び出したのが「サンディ」、そして次に出てきた名前が「シェリー」でした。
「サンディ」と「シェリー」。
偶然にしては出来過ぎでいます。この女性の名前はブライアンにとってよほど特別なものだったんですね。
面白いのはこの名前を出したときのメンバーの反応。おそらくは頭に「?」を浮かべながらブライアンの指示通りにコーラスを続けます。
Sandy, oh, not like my baby

Sherry, oh, not like my baby

次に名前を出したのが「ウェンディ(Wendy)」。
このときのメンバーの反応がいいんですね。それまでの2人の名前は「?」だったのに、3人目にようやくよく知っている名前が出てきたので、ブライアンが「ウェンディ」と言った瞬間に、誰かが「Ah! Wendy!」って言い返してコーラス。
Wendy, oh, not like my baby


「Wendy」というのは1964年に発売された『All Summer Long』に収録された曲。ブライアンの作詞作曲ですね。Wendyという名前もブライアンはお気に入りだったようで、1969年に生まれたブライアンの2人目の娘にこのWendyという名前をつけています。

ところで結局お蔵入りしたもののブライアンが「Sherry She Needs Me」を録音した1976年というのはブライアンの歴史の中ではとても重要な年。
昔(おそらく1990年代中頃)、音楽評論家で大瀧さんとも親交があり、何度か「新春放談」にも参加していた萩原健太さんが「ブライアンぞろ目の年説」を唱えられていたことがありました。ブライアンはぞろ目の年にすごいことをするという話。1966年に『ペット・サウンズ』、1988年にファースト・ソロアルバムの『Brian Wilson』を発売しているところが目立ちますが、もうひとつその間の1977年に重要なアルバムを出しているんですね。
精神的にも健康的にも最悪の状態が続いていたブライアンが、例のユージン・ランディによって一時的に健康も創作意欲も驚異的に回復して1枚のアルバムを作り上げます。
それが1977年に発売された『Love You』というアルバムでした。アルバムの最高位は53位ということで、ほとんど語られることのないアルバムですが、実はこのアルバムは事実上ブライアンのファースト・ソロ・アルバムと言ってもいい内容。全曲ブライアンの作曲、プロデュース。しかも14曲中11曲がブライアンの作詞作曲でした。
このアルバム、もともとは『Brian Loves You』というタイトルでソロ・アルバムを作る予定だったんですね。この時に満を持して録音したのが「Sherry She Needs Me」でした。いかにこの曲がブライアンの中で重要な曲であり続けたかがよくわかります。
でも、結局、アルバムはビーチ・ボーイズのアルバムとなり、そうなると内省的な曲が省かれることになって、またしてもカットされてしまった。

この1976年から77年にかけての時期はとにかくすばらしい曲をいくつも書いていて、でもお蔵入りした曲がいっぱいあるんですね。
この時期ににかかれたもののお蔵入りになってブライアンのセカンド・アルバム『I Just Wasn't Made for These Times』に当時の音源のまま収録されたこの「Still I Dream of It」も名曲です。



あるいは『Made In California』のボーナストラックとして初めて聴くことができたインストゥルメンタルの「Why」というも素晴らしい曲。
改めて1976年から1977年のブライアンについては調べ直してみようと思っています。

さて、健太さんがぞろ目説を発表してはじめてのぞろ目の年となったのが1999年。でも、その年にはアルバムは出ませんでした。出たのはその前年の1998年。ブライアンの4枚目のソロアルバム『Imagination』。悪くないアルバムでしたが、もしかしたらもう1年かけてみたらすごいものになっていたのかもしれません。

さて、このアルバムで一番びっくりしたのはこの曲でした。タイトルは「She Says That She Needs Me」。ブライアンの声は素晴らしく魅力的に復活しています。



あの「Sandy(あるいは「Sherry She Needs Me」)」が少しだけ詞を変えて、さらにタイトルも少し変わってとなって正式にアルバムに収録されたんですね。
この曲のクレジットは「ブライアン・ウィルソン - ラス・タイトルマン - キャロル・ベイヤー・セイガー」。どうやら キャロル・ベイヤー・セイガーが歌詞を少し変更したようです。
最も大きな変更は本来の歌詞ではSandyあるいはSherryの名前が入っていた場所にSorryという言葉が入っていたこと。

最初
Sandy baby, it's time we said good-bye

次に
Sherry baby, it's time we said good-bye

となっていた歌詞がこうなっていました。
Sorry baby, it's time we said good-bye

by hinaseno | 2016-02-13 13:08 | 音楽 | Comments(0)