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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

「幸せにさよならしちゃったら、まずいよなぁ」(その2)


大瀧さんはナイアガラに所属していた山下達郎さんと伊藤銀次さんと3人でそれぞれの曲を持ち寄って『ナイアガラ・トライアングル』というアルバムを作ることを思いついた時、銀次さんに「想い出にさよなら」を録音するように提案します。「あれを入れようと思うんだ」と。1974年の正月に「想い出にさよなら」を聴かされてから2年近く経っていました。でも、ちゃんと覚えていたんですね。昨日紹介した「POP FILE RETURNS」で銀次さんは「そのとき大瀧さんがこれを覚えてくれていなければ、存在しなかった曲なんですね」と語っていました。

実は、大瀧さんは忘れていなかったばかりか、大瀧さんなりにその曲が日の目を見るような努力をしていたんですね。それはなんと、あの加山雄三に歌ってもらおうということでした。でも、結局うまくいかなくて申し訳ない気持ちをかかえていたわけです。
このあたりのことに関して『レコード・コレクターズ』の2006年4月号に掲載された伊藤銀次さんと大瀧さんの対談を引用しておきます。

大瀧:74年の正月に出来たって持ってきたんだよ。
伊藤:大阪に帰った時に弟が持ってたテープ・レコーダーで作ったんですよ。シェイカーのかわりに薬瓶振ったりして。
大滝:銀次の一世一代の超自信作だったのよ。でも、出すにしても、伊藤銀次のソロっていうのは思い浮かばなかったのよ、恥ずかしながら(笑)。でも、ちょうど加山雄三のディレクターと知り合いだったから、これは加山さんがやってくれたら一石二鳥と思って、テープを持ってったのよ。
伊藤:大瀧さんはそれを僕に言ってくれましたよ。加山さんが歌ってくれたらいいなあとか冗談で言ってたら、ほんとに。
大瀧:で、それがうやむやになっちゃって僕はずっと気になっていたのよ。
伊藤:僕はこの話(『ナイアガラ・トライアングル』のアルバムを作ること)をされた時に、大瀧さんからあの曲をやろうって言われたんですよ。
大瀧:僕はずっとそれが心残りになっててね。だからあの時にこの銀次の曲をそのまますんなり誰かがやるかしてたら、彼のポップス・マインドというか作家意識みたいなのが…。とにかく嬉々として、生涯の自信作が出来たっていう顔をして玄関に立ってたのが未だに忘れられないんですよ。
伊藤:あの曲ができたのはやっぱり大滝さんと会ったからですよ。バンドの曲ではないもの。僕らは演奏をインプロヴィゼーションみたいなので聞かせるバンドだったのね。僕が大滝詠一に会って、ずっと一緒に時間を過ごして出てきた、あの流れの中で最後にポッと出てきたものだと思うんですよ。一区切り。それが「幸せにさよなら」だったんですよ。だからやっと音楽をやったっていう気がするね。自分の中でいろんなものを再構築していって、それからココナツがなくなって自分に戻って。作ろうと思ったっていうよりも…。
大瀧:自然に出来ましたっていうような感じだったから、『トライアングル』でこれはなんとしてもやってもらおうと。

ということで「想い出にさよなら」を含めて『ナイアガラ・トライアングル』の録音が始まります。完成したのは1976年2月。

興味深いのは『ナイアガラ・トライアングル』がほぼ完成した頃の1976年2月3日に放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」。
この日はガール・シンガーズ特集。でも、なんと「想い出にさよなら」というタイトルで曲がかかっているんですね。その次には加山雄三の曲も。
この話はまた後日。
by hinaseno | 2016-01-03 11:54 | ナイアガラ | Comments(0)