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ガード下をくぐった向こうには...


ここ最近、アゲインの石川さんがブログで「偶然」つながりの話を書かれていて、興味深く読んでいます。「爺さんの昔話しが嫌いな方はこの辺で読むのを止めてください、面白くないので」と書かれていますが、僕はそういう話を聞くのが好きです。一日たったら消えてしまうのがもったいないけど。

さて、偶然というのはうれしいものもありますが、もちろんうれしいとはいえないものもあります。なるべくそういうのは書かないようにしてきましたが、ひとつだけ。

子どもの頃の古い記憶が何かをきっかけにして突然よみがえるということは、たぶん誰にもときどきはあるんだろうと思います。これから書こうとする話は2年前によみがえった記憶につながる話。そのときに書こうと思ったのですが、結局やめました。
その記憶というのはまだおそらく小学校に入る前の話。物心がつき始めた最初の頃に起きたある小さな出来事。といってもちっともたいした話ではありません。

その日、僕は父親が運転する車で家族とともにある親族の家に向かっていました。それ以前にも何度か車でその道を通っていたはずですが、ある場所のガード下をくぐったときに、その場所の記憶がよみがえって「○○のおばちゃんの家に行くん?」と僕は訊ねました。でも、父親はあきれたように「全然方向がちがうじゃねえか。○○のおばちゃんの家はこっちとは全く反対の岡山(市内)にあるじゃねえか」と一言。後は家族の笑い声が起こり、僕は腑に落ちない気持ちと恥ずかしい思いで泣くことまではしなかったはずですが、子どもなりに何か深く傷付けられた思いを抱きました。
その日向かっていたのは母親の親族の家。そこは実家から東の方向の周囲に田圃が広がるまさに田舎というべき場所。一方、父親の姉、つまり伯母にあたる「○○のおばちゃん」の家は実家から西の方向にある岡山市内にありました。方角も違えば、周囲の風景も全く違います。
ただ、後でわかったことですが、伯母の家の近くにもガード下をくぐり抜けるところがあって、どうやらそのガード下をくぐる記憶で間違えてしまったようでした。そこにちょっと似た感じの高架橋があることを確認したのは大学時代でした。伯母はそこで小さな食堂をしていて、大学から近かったので、食事がてら何度も訪ねて行っていました。

「○○のおばちゃんの家に行くん?」と訊ねた日からも何度か母親の親族の家に行く途中で、そのガード下をくぐり抜けるときに、妙な気まずさとともに、あの日のことを思い出し、同時にそこからは全く反対方向に住んでいるはずの伯母のことを思い浮かべていました。
ただ、中学以降はほとんど家族で母親の親族の家に行くこともなくなり、僕も実家から離れて暮らすようになってそんな出来事があったこともすっかり忘れてしまいました。自分が車を運転するようになって、母親の祖先の墓参りに行ったり、あるいは牛窓に行くときなんかにときどきその場所を通ることもありましたが、あの日の記憶はよみがえることはありませんでした。

3年前、ずっとひとりで暮していた伯母の体の状態がかなり悪くなり、さらに運の悪いことにその伯母の近くに住んでいて彼女の面倒をずっと見ていた父親の妹にあたる叔母が突然、重度の痴呆症となって入院せざるを得なくなり、いろんないきさつから結局父親が伯母を扶養家族にすることにして、実家からそう遠くない病院に入院させることにしました。
その病院は父親の知り合いが勤めている古くからある病院でしたが、伯母が入院した翌年、その病院はそこから少し離れた場所に移転しました。その場所はまさに僕があの日「○○のおばちゃんの家に行くん?」と訊ねたあのガード下をくぐった所から目と鼻の先でした。
移転して間もなく、僕が父と母を車に乗せてそのガード下を通ったときに、突然、僕が「○○のおばちゃんの家に行くん?」と訊ねたあの日の記憶がよみがえったわけです。
その日、僕たちはまさに「○○のおばちゃん」の終の住処となるはずの病院に向かっていました。
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by hinaseno | 2015-10-11 13:33 | 雑記 | Comments(0)